やっとこれを言えるようになった
9/13
バカンスから戻り、振り返りながら片付けをしている。バカンスについては後ほど載せようと思うが、今回のバカンスはちょっと凄すぎた。
ラッキーに恵まれた。いや、恵まれすぎた。
同じバカンスを希望しても、まあ、無理だろうと言うようなものとなった。
この夏の前半、懸命にやったのでこういう贅沢も許されていいだろうと思えるような旅だった。
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「この夏の前半、懸命にやったのでこういう贅沢も許されていいだろうと思えるような」と書いていることが、しみじみ日本人だなあと思う。
別に誰に許可を得ることもないのである。法的に問題のあることは、なんらしていないのである。だが、遊ぶことに、ゆったりすることにある種の罪悪感を感じてしまい、その罪悪感を消すための言い訳を考えるのが、日本人にはあるような気がする。少なくとも私の世代にはあるのではないかと思う。
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大学に移って5年目である。
1年目は、中学校教員の生活のリズムが体から抜けずに、4時頃に目が覚めて、また寝てといういことを繰り返していた。大学の授業は9時から始まり、8:30に家を出れば授業開始には十分に間に合うのだから、ゆったりすればいいのだがこれが出来ない体のリズムになっていた。
また、土日に講演や講座、研究会が入っていて休むことができないという一年目の生活のとき、平日に授業がなくて体を休めることができる日があるにも関わらず、なんとなく東の方向を見ると
(みんな、いまごろやっているんだよなあ)
と言う思いになり、休むことができなかった。
そんなことから、体のリズムがおかしくなりつつ、休むにも休みにくいということの中での大学教員一年目を過ごした。
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今年で大学に異動して五年目になる。
ここにきてやっと、自分に言い訳をするのができるようになった。というか、職種が違うのだから勤務形態や休日形態が違うのは当然なのだということを受け入れるのにやぶさかではないという私になれた。
九月にオフを取っていいのである。
やっとこれを言えるようになったということだ。
ま、実際に沖縄に行ってみれば、オフを取ってのんびりしている人の多いこと、多いこと。学生たちだけではなくカップルや家族連れも多いのである。
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人生の時間について、違う角度からも考えて行こうかなあと思うのであった。
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