« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

2010/10/31

「10K 子どもを授業ぎらいにする10の方法」

10/30

大学祭が台風の直撃を予測して、中止になった。残念である。児童教育学科は、「橘ちびっ子ランド」というものを行う。地域の子どもたちを招いて遊ばせるのである。一年目は200人ぐらいの参加者であったが、去年は800人ぐらい来たイベントに成長している。

しかし、児童教育学科の学生とってはこれは一種の学習発表会である。子どもたちの反応を予測し、あれこれ工夫を凝らしながら作り上げていくのである。この機会が失われたことは大きい。どっかで設定し直してやらせてあげられないものかなあ。

午後から、関西青年塾に向かう。途中で、眼鏡を修理して行く。新京極に私が贔屓にしている眼鏡屋さんがある。

私は丸眼鏡が好きである。ジョンレノンがしていたタイプの眼鏡よりも一回り大きめの丸眼鏡である。ある時機これが眼鏡屋さんから一斉に姿を消した。思うにサッカーの中田元選手が細長い黄色い眼鏡を掛けていた辺りから、消えたのではないかと思っている。

で、丸い眼鏡フレームが好きな私は困ってしまって、しばらく細長い眼鏡をかけていたのだが、この店を発見して以来、丸い眼鏡フレームに戻っている。

で、この店の凄さはその眼鏡の調整にある。人の顔は耳の位置が左右揃っていないので眼鏡が斜めになってしまうというもっともらしい説を信じていた私は、この店で衝撃を受ける。まっすぐになるのである。

あまりにもびっくりして聞いてみたところ、顔の横の骨の形が左右で違うので、その形に合わせて眼鏡のテンプルの部分を調整しているというのである。それならぴったりになるはずだ。もうそれからこの店以外では眼鏡を作ろうと言う気持ちになっていない。

匠の技術を持っている店は、あるものである。新京極にある「眼鏡研究所」という店である。お悩みのご同輩にはお薦めの店である。

で、直してから関西青年塾に遅れて到着する。

本日は、私も一つ講座を持つ。「知的な国語科の授業の作り方」というタイトルである。これは土作先生から頂いたお題だ。一ヶ月ほどあれこれ考えていて、講座の内容を固める。

お題を頂いて講座を作るのは、実は大変だが面白い。
今回のお題の場合は、

1)知的
2)国語科
3)授業
4)作り方

の四要素を満たすように作ることを求められる。あれこれ
考えて

1)は、授業の開発の仕方
2)は、実践例
3)は、授業の定義、考え方
4)は、アイディアを具体化するための授業構成術

ということを中心に展開することにした。
50分の授業なので多くを語ることは出来なかったが、エッセンスは伝えられたかな。

メインの講師は、甲南小学校の多賀先生。物腰の穏やかでありつつ、内側に熱を秘めた先生であった。

「10K 子どもを授業ぎらいにする10の方法」というのが面白かった。懇親会のときにお話ししたのだが、私の主張とも随分重なっているところがあって、嬉しかった。また、野中先生のご主張とも重なる部分があるなと思った。

三人の意見が重なるのだから、かなりそうなのではないかと思う。

http://edublog.jp/tagayan/archive/319

また、イメージを手がかりにして、物語文を読んで行くと言う模擬授業も良かった。子どもの表層の読みに対して、テキストに書かれている形象を手がかりにして、深層の読みに入って行く具体例を示して下さった。このレッスンは学生に受けさせたいなあと思った。

その後、懇親会。さらに、二次会。多賀先生とたっぷり話す。
気がついたら結構な時間。
良い研究会だった。

関西青年塾は、次回は二月に行われる予定です。
中村健一さんという噂です。
ご期待。

2010/10/30

HPの移行作業

10/29

朝、小さなトラブルがあって凹んだまま午前中を過ごす。気分を直すために近所に新しく出来たラーメンやに行ってみる。が、今ひとつ私の趣味ではない。

午後は、HPの移行作業に入る。今使っている.macのアカウントが11月には使えなくなるというのである。新しくHPを作る必要がある。

今のHPは、それこそOS9の時代のアプリケーションで作っているので、htmlのよく分からない私には、手動でコピペをしながら保存するのが、レイアウトを崩さないままでの保存となる。

ということで、http://homepage.mac.com/ikedaosamu/は、11月から見ることができなくなります。

元々このHPは、自分の実践の記録のために作ったと言う部分もあった。そこから、自分のための教科書を作ろうかなというように思い始めて作り続けていった。

やがてブログが登場し、フロー情報はブログ。ストック情報はHPという使い分けをしていくようになった。

実際、HPを作っていて良かったなあと思えることはいくつかあった。

1)大学院の書類申請
2)卒業生からのアクセス
3)資料提示

などだ。

1)14条特例で大学院に行くことを決めたとき、申請書類の締め切りが本当にギリギリであった。その時、自分が今まで書いて来た本や経歴等、このHPにまとめてあったものをコピペして提出したのであった。

ここにまとめていなかったら、このHPにアクセスできる場所にいなかったら、大学院はなかったし、京都で大学の教員というのもなかったはずだ。

2)ふと、思い出すのだろう。私の名前で検索してくる卒業生がいる。そして、メールを寄越してくれる。バーチャル同窓会の起点のようになっていることがある。

3)今の用途として多いのがこれ。自分の実践の紹介の際に、リンクを教える。または、講座のときにネットに繋いでその場でそのリンクの内容を見せるという使い方である。

データを移しながら、その記事をざっと読み直すことになる。もう10年ぐらい前のことなのだなあと思う。しかし、俺、結構良いことを言っているんじゃないの?と思うこともあったりする。自画自賛。

ま、逆に言えば10年前から進歩がないとも言える。これを教育の哲学を持ったという言い方で表現するのか、頑固になったという言い方にするのか。はたまた進歩がないという言い方なのか。欲は分からない。

近々リニューアルで登場ということにしたい。

嫌がって飲まなかったが、いい加減長引きすぎているので風邪の薬を飲む。鼻と喉の症状が和らぐ。読書が進む。

娘とリビングで遊んでいたら、外が赤い。
夕焼けだ。
リビングは東南に向いているので、夕焼けで赤くなることは基本的にはない。

だが、時々ある。
西の空の夕日(写真右)が東の空にある雲に反射して、一瞬赤く染まるのだ。この時間は長くても5分ぐらい。
慌ててカメラを取り出して撮影する。見事だった。

Yuukei

朝の凹みが少し緩和されるのであった。
オフの一日だった。

2010/10/28

今日指摘したことの一つは、「そして、また、この」という用語の使い方

10/28

朝から小さなトラブル。ふむ。体調が悪いとこんなものか。
娘がやってきて、話しかけてくる。

「○○ね、お腹にいる時、本当に寂しかったの」
『どうしたの?』
「お父さんに会いたかったの」

と娘。
ぅううう。
体内記憶があるとは思っていない。彼女にあるのは、優しさだと思う。

私が頭にきているので、慰めてようとしてくれたのだと思う。娘は時々こんなことも言う。

「○○がいなかったから、お父さんとお母さんは寂しかったの?」

と。

『ん、そうだね。寂しかったときもあったよ。でも、今は○○がいるから、とっても嬉しいよ。寂しくないよ。生まれてきてくれてありがとうね』

と言っているのがベースになっているのだろうなあと思う。わがままを言うときの娘は、怪獣だ。が、その怪獣に懐柔されている父さんであった。

午前中の卒論ゼミでは、卒論の進捗状況に基づいてあれこれ。このごろ、本屋に行って思うのだが、学生が選んだ卒論のテーマに関する本が、どんどん目に飛び込んでくる。そして、つい買ってしまう。親ばかならぬ、先生馬鹿である。ま、でもこうして牛に引かれて善光寺ならぬ、学生に引かれて新しい書棚ってのもいいもんだ。

いいもんだ。が、卒論の文章を読む限り甘いことは言っていられない。今日指摘したことの一つは、「そして、また、この」という用語の使い方についてである。

これらの言葉をきちんと使えないと、論理構造が崩れたり、論旨が曖昧になってしまう。しかし、書いている本人にはその意識がない。当たり前のことだが、文章を書いている本人は、正しいと思って書いている。さらに言えば、伝わると思って書いている。だから、間違いや読みにくさは発見しづらい。

しかし、その場でさっと読まされる文章で引っかかる場所を丁寧に読むと、やはり「そして、また、この」という言葉の使い方がダメであることが多い。通常、「そして」は使わない。「また」は等価のものが並立関係になるように書く。「この」などの連体詞の後は、何を受けているのかきちんと名詞を書くということが大事なのだが、これができない。だから文章が繋がらないことになる。学生の卒論の文章を元にして、あれこれ指摘する。

用語の定義、接続詞の使い方、目次の構成などがしっかりできていることが、とにかく大事だと考えている。

二回生ゼミでは実践記録をさらに読み進める。発表の仕方は分かってきたし、テキストも読めるようになってきているが、まだまだである。

書かれている事実が、一見平凡だと、その平凡なことに隠れている意味や価値が読み取れない。華やかな、派手なものは目につくので分かるのであるが、平凡なことに隠れている実践の宝が見えないのである。

ま、二回生では仕方がないか。読み方を教える授業でもあるのでと半分思い、二回生でこのぐらいできなくてどうするという思いもある。チクショウと思って、次回良い発表することを期待する。

帰る準備をしていたら、他のゼミの学生が卒論の相談にやってくる。一回生のゼミの時の学生である。卒論と卒業後のあれこれについて話を聞く。話をする。

『あと三ヶ月で四年間の授業期間はおしまいだなあ』
と話したところ、
「もう一回一回生からでも全然大丈夫です」
とのこと。
『いいから早く卒業して働け。または大学院に行け』
などと話す。
本当にあっという間だ。

「先生、元Cは凄く合格していますよね」
と言い出す。一回生の時のゼミのCクラスのことを言っている。私も薄々感じてはいたのだが、そうなのである。よく受かっているのである。採用試験も一般企業も第一希望に合格しているのだ。

もちろん、その後の学生諸君の頑張り、先生方のご指導が大きく影響しているのであって、私がやったことなんてのはほんの少しのことでしかない。それでも、そうやって学生が言ってくれることは、なかなか嬉しいものだ。

残念ながら、週末の大学祭は台風の影響で中止になってしまった。一期生にとっては最後の大学祭。一回生にとっては最初の大学祭。それぞれ思いはあるが、台風には勝てない。

延期に変わることを期待しつつ、週末を過ごそう。

あ、土曜日は、関西青年塾で講座をします
こちらはやります。
良かったらどうぞ。

2010/10/27

同じ事実から得られる情報の差の違い 実習指導と学級担任論

10/27

本日の学級担任論の授業は、昨日の教育実習訪問指導のことから。ここを導入にして、この授業をくくる。つまり、大きな伏線を張ることにする。

昨日の実習生の行う小学校5年生の社会科の授業研究授業は、自動車産業に関する授業で、その日は自動車産業の車の出来るまで。取り扱っていたのは、最後の部分で、ドア、エンジン、シートはどの順番で取り付けるのかということである。写真を児童に見せながら説明している。

教生は、この授業を進める上で、次のような発問をした。

「青いカバーは、なんでつけられているのでしょうか?」

最終点検をするときに、フロント部分に掛けられている「青いカバー」の役割について問いを立てているのだ。

私は、この授業を見ているときに、
(あ、この発問は子どもに混乱を生み出すぞ)
と思ってしまった。
そして、実際小学校の授業ではそうであった。

で、大学の授業で同じように学生諸君に質問してみた。

「青いカバーは、なんでつけられているのでしょうか?」

である。
学生諸君の答えは、ほとんど同じであった。つまり、「傷つかないように、埃がかからないように、汚れないように」であった。

そうである。大人はこの「青いカバーは、なんでつけられているのでしょうか?」という問には、この様に答えるのである。

しかし、子どもはそれだけでは無いのである。同じ発問であっても、立ち上げる問はずれることがあるのである。具体的に言えば、

・ なぜ、青なのか? 他の色じゃダメなのか?
・ なぜ、カバーなのか? シートではダメなのか?

ということに問いを立てる子どもがいる筈だと私は直感したし、研究授業では実際に出たのである。

ところが授業者の教生にはそれが見えない。実際の研究授業では、Fくんというある子どもが
「なんで青なんだ?」
と呟いていた。これは私は聞き取れた。その後、授業を見て参観されていた校長先生も同じく聞き取っていたことがわかった。

そして、Fくんはその後に見た別の資料では、緑のカバーだったのを発見して「なんだ、緑でもいいんだ」と言っていたのである。この間7分の時間が流れていたのであった。彼は7分間無駄になってしまっていたのである。

同じ時間に同じ授業を見ているのだが、見えているもの、聞こえてくる音は違っているのである。ここが見えるか見えないかが、経験の差であり、教員の実力の差であると思う。

教生や若い先生には見えにくい部分である。それは仕方の無い部分かもしれない。

だから、私が研究授業で指導講評を任される場合は、授業者の見えていない部分を、こうだったねと確認し、そこの意味を検討することを主にしている。

とまあ、そういうことを学級担任論の導入部で、昨日見た研究授業で印象的だったことということで話したのである。

これが今日の授業の伏線である。

今日の授業の学級担任論の授業の柱は、学級集団の分析、その目的と方法ということであった。

その分析の方法の一つとして、クラスの集合写真の読解の方法について講じた。

ここでは詳しくは述べられない。述べてしまうと、どこかで児童や生徒が読んでしまう可能性があるからだ。そうすると、学校教育現場に立つ学生たちがやりにくくなるから書かない。教育にはタネも仕掛けもあるのだ。それを全て明らかにしながらやるという立場を私は取らない。

で、その写真の読み取り方、クラスの人間関係の読解の方法を教えたのだが、学生諸君は結構ショックを受けていた。同じ写真を見ながら、私の読み取りと、学生諸君の読み取った情報とが大きく違うのである。

他にも私がExcelで記録していたクラスの日記も見せる。学生諸君に口を酸っぱくしていっている「記憶でなく、記録せよ」ということをだ。

事実からはたくさんの情報が得られる。しかし、若い先生にはこれが得にくい。これは事実である。しかし、事実の記録がなければ、そもそも読み取ることすらできないのである。

若さの持つ情熱も大事であるが、経験というものもなかなか馬鹿にできないものである。

同じ事実から得られる情報の差の違いに、ショックを受けるのである。経験はこれを可能にすることが多いのである。

であるからして、学生諸君、記録をとって、事実から読み取れる人たちに見ていただくというのは、とても重要なことなのだよ。記録はしっかりするのだ。

「青いカバーはなんのために?」

という問から、何かを見える人と、見えない人がいるということを思い起こして欲しいのだ。

はい、今日の授業はおしまい。

発熱している割には結構頑張ったかもしれない。自画自賛である。








2010/10/25

世にも奇妙な物語であった。

10/25

世にも奇妙な物語。

研究室に到着したところに、携帯電話に着信ベルがあった。番号を見たところ、見覚えのない番号。だが、まあ虫の知らせで出てみた。すると、奥さん。

『どうしたの?』
「とても不思議なことがあって、ちょっと外に出たら開けておいた家のドアが閉まっていて、◎◎が中に残されてしまっていて。いまどこ?」
『研究室だよ』
「鍵が閉まっているの。変でしょ。こんなことあるの?」
『え? 忘れ物をとりに帰ったら家のドアの鍵が開いていたので、閉めて来たよ』
「え? じゃあ、閉めたの?」
『そうだよ。確か私が家を出るときには鍵を閉めたはずなのに、なんで空いているんだ?と思いながら閉めて来たよ。もう一度出るときに、忘れ物取りに来たぞって言いながら出て行ったろ?』

つまりこういうわけだ。

1)奥さんは娘の昼寝のために、寝室で寝かし始めている。
2)大学に行くためにそっと家を出る私。
3)駐車場で、今日は必要なMacBook Proを持って来ていないことに気がつく。
4)マンションのロータリーに車を置いて、家に帰る私。
5)娘を寝かしつけた奥さん。所用で家を出る。鍵の音で娘が寝ないように鍵を閉めないで家を出る。
6)5)のタイミングで、私が家に戻る。鍵が開いているのを不思議に思うものの、私があけっぱなしかなと思いながら、中に入る。
7)MacBook Proを手にして『忘れ物を取りに来たぞ』と小さな声で寝室の前で一言言って過ぎる。しかし、このとき、奥さんは実際は外にいた。私は、娘を起こさないように返事をしないのかと思って外に出た。8)今度はしっかりと鍵を閉めようと思い、閉めて車で研究室に向かう。
9)所用を済ませて家に戻る奥さん。鍵が閉まっていて、驚く。慌てて知り合いに携帯電話を借りて、電話をかけてくる。
10)事情を知って、二人とも驚く。

で、困ったのが奥さん。鍵は閉まっている。中には3歳になったばかりの娘。私の授業は始まるところ。どんなに早く帰ってもあと2時間はかかる。

考えた末に、娘を家の外から起こして、家のドアの鍵を開けるように指示。娘はこれに応えた。そして、ミッションコンプリート。見事に内側から鍵を開けたのだ。(大きな拍手)

下手なドラマよりも、感動はあったなあ。
世にも奇妙な物語であった。


あとどのぐらい振り回してくれるのかなあ

10/24

iPhoneのFace Time使えなかった理由が判明。なんと、iPhoneの電話の設定にFace Timeがあり、これがオフになっていた。そこまでは分からなかったなあ。久しぶりにちょっと不親切なMacであった。

でも、これで無料テレビ電話が開通したということだ。家と研究室とiPhoneでこれができる。すごい。

昨日作っている途中だった、カプラを完成させる娘。最初の枠組みだけ私が作ったのだが、あとは自分で。単純だが、面白い玩具だ。

X2_32170f9

午後から昼ご飯を食べに行きつつ、買い物へ。
だんだんぐずる娘。大声で泣き叫ぶ。
眠いのね。
その後熟睡。

娘のわがままに振り回される一日。あとどのぐらい振り回してくれるのかなあ。今日は怪獣のように振り回した娘は、その後妙に私に優しい。

その優しさが嬉しくてキャンドルを灯す。

X2_3228c92

蜂蜜漬けの梅干しが好きな娘。夕ご飯にも食べる。一口食べて
「甘酸っぱいねえ」
と。
甘酸っぱい思いをするのは、後何年かなあ。
父さんは、もうその一言で甘酸っぱいのだが(^^)。

喉が痛いのだが、この荒れた喉で「ヤマトの諸君、また会えて嬉しいよ」とやると、デスラー総統に似ている。怖がるような喜ぶような娘。

本日は東京で買って来た「蒼天」。昔住んでいた青梅の地酒「澤乃井」の純米吟醸。多摩川水系で少年期を過ごした私の体は、多摩川の水で育てられたとも言える。口の中に広がったとたん、すっと体に消えて行く。良い酒だ。

親ばかの休日が終わった。

2010/10/24

書き言葉、話し言葉、そして言葉にならない何か

10/24

風邪はきちんと治さなければならない。

明日の教室で、二回目となる野口芳宏先生の講座。ありがたいことだ。先生のお元気さに甘えてあれこれお願いする。

今回は、「モチモチの木」を使って教材研究とは何かということを講義して頂くのがメイン。とても楽しみにしていた。

ところが、風邪の治り切っていない私。熱の頭でボーッとしていた。教材を印刷するのを忘れていたのだ。教科書をコピーしてあるのだが、それを印刷するのを忘れていた。それが講座の最中に発覚。慌てて、コピーすることに。

折角の野口先生の講座の流れを切ってしまうことになった。参加者の皆さん、すみません。野口先生すみません。先生のお陰でなんとかことなきを得たが、顔は熱いのに、冷や汗をかいた。

休憩時間に
「先生、顔が赤いですね」
と参加者の先生方にあちらこちらで言われる。
うーむ。まずい。

「モチモチの木」。
やっぱり圧巻だった。

作品の素晴らしさを、こうやって子どもたちに読み解かせて行くのかということをこれでもかというぐらいに示して下さった。そして、その土台となる「素材研究」の意味を示して下さった。

真夜中と夜中の違い。
しがみつくと抱きつくの違い。
熊の鳴き声の意味。

物語の主題に迫る扉の位置を明らかにし、その鍵穴を示し、鍵を挿して開ける。そこに広がすすんごい世界。

読解ってすごいなあと、会場にいた参加者のため息が伝わってくる。

講座の最後に私も質問した。

『先生、素材研究をして、読み続ければ、先生のように私たちも本当に読めるようになるのでしょうか?』
「うーん。なりますよ。でも、未だに私も分からないことがたくさんありますよ。でも、その分からないということが、良いんですね。その分、まだ成長できると思えるからね」

そうなんだ。先生は何回も仰っていた。合っている間違っているは大きな問題ではない。変わることが大事なのだと。そうなんだ。

懇親会は、新しい生協食堂で。2500円でこの内容はすごすぎる。野口先生は、参加者とのお話にずっと耳を傾けて下さっている。私は伺いたいのをぐっと堪えて、日本酒ソムリエを続ける。

先生は、二次会まで参加して下さる。ここではもう良いだろうと思い、先生の横でお話を伺う。

うーん、お話を伺うというよりは先生のオーラに包まれているということだろうか。野口先生は遥か彼方にいる方で、こうして隣で先生の息づかいを感じられるなんてのは、数年前の私には考えられないものだった。

本を読むことは大事。講座に出かけて行くことも大事。だが、明日の教室は先生の息づかいの感じられるところに行ける。これが大事だと考えている。

書き言葉、話し言葉、そして言葉にならない何か。
先生のそれらを丸ごと自分の体に入れて、その先に私たちの実践や研究が繋がって行く。繋げて行きたい。

そんな場所を提供し続けていきたい。明日の教室だ。

そのためにも、風邪はきちんと治したいf(^^;。

2010/10/22

本日『街場のメディア論』(内田樹 光文社新書)を読み終える

10/22

本日は、オフ。風邪を治すことに専念したいが、読みたい本は山積み。研究室も片付けなければならない。そして、 「今日はお父さんが迎えに来てね」と幼稚園に行くときに娘が懇願する。今日は、オフではある。取り敢えず朝風呂に入りながら本を読むだけはした。今日はオフだ、が。

今頃であるが、本日『街場のメディア論』(内田樹 光文社新書)を読み終える。ゆっくりゆっくりと片手に鉛筆を持ちながら、内田樹先生と会話を楽しみながら読み進めたので、二ヶ月近く掛かっていることになる。

こういうじっくり楽しめる本は、じっくりと楽しむべきである。年間に相当の量を読んでいる私ではあるが、本によって随分読み進めるスピードが違うのだ。

で、『街場のメディア論』である。第一講の「キャリア論」なんて、私が中学校の教員をしているときに、こっそりと言っていたことを書いて下さっていて、びっくり。

いや、なんでこっそりと言っていたかと言うと、私は進路指導主任をしていて、その時の流れは「自分の個性や適性を考えて、将来の仕事を選びましょう」「自分の好きなことを仕事にしましょう」というものであったから、それと違う考えの私は、こそっと行っていたのである。

私は、自分の個性や適性で選べる仕事なんてのは、いまある仕事に適合させるようなものであり、これから生まれてくる仕事には対応できない。だいたいからして10年前に元気のあった仕事が凋落している例はいくらでもあるし、10年前になかった仕事が盛んになっている例も多い。

また、個性や適性は、子どもとしてのものであって、仕事人としてのものではないし、仕事をするにあたって、その人の個性や適性なんて考慮されることは新人の場合にはないってことだ。

個性や適性でなければできない仕事は、出来なければならない仕事が出来た上で、その上のクリエイティブな部分で必要になってくるものであって、就職の際には必要ない。そして、その個性や適性は仕事に取り組む中で生まれてくるというものだからである。

確かに『13歳のハローワーク』はインパクトのある良い本である。しかし、好きなことだけで仕事なんて出来ない。仕事は、1)収入を得る。2)自己実現。3)社会貢献。の三つから成り立っていると私は考えている。『13歳のハローワーク』は、このうち2)だけで仕事を考えて行けば良いような感覚を醸し出す。

好きなことを仕事にする。ということは、好きなことがないと仕事に就けないということである。しかし、これは本当であろうか。
東大の文一を卒業した人たちにアンケートをとったら、中学生のときに抱いていた自分の就きたい仕事に就くことの出来た人は、3割だったというものを読んだことがある。

好きなことを仕事にするって、そもそも無理ではないかと思うのだ。ところが進路指導をする教員は、基本的に「好きなことを仕事にしている」のである。教員は自分がなりたくてなった仕事なので、進路指導についてもこれを当てはめようとする。私は違うと思う。

好きなことを仕事にするのではなく、就いた仕事を好きになるのである。この方が幸せに近いと思う。そのためには、自分が何を好きで、何に適しているかを調べるのではなく、自分は何がキライで、何に適していないかを知っている方が良いはずである。なんとなれば、その方が仕事に対するストライクゾーンが広くなるからである。

ってなことを、こっそりと話していた。だが、真実だと思っていた。それとほとんど同じようなことを更に分かりやすく、さらに論理的に内田樹先生は書かれている。いやあ、嬉しかったなあ。楽しかったなあ。

で、結局お迎えは私。迎えに行ったら、
「お母さんは?」
と。
『え?』
「三人で帰りたかったの」
と。
そりゃあ困る。お母さんは買い物に出かけてしまっているのだ。
そこで、
『じゃあ、公園に行こうか?』
ということで、近くの公園に行くことになった。

公園は小学生の遠足で大にぎわい。
娘はその小学生の中に入って、黙々と遊具を渡り歩く。

この遊具を全て渡り切った娘。こっちは下でハラハラ。本人は、大満足。そして、早速二回目に挑戦。君は何を目指しているのかね(^^)。

X2_31afb5d

最後まで渡り切って満足した様子だったので、娘にお願いをした。

『ハンモックをやっても良いですか?』
「うーん。いいよ」
『やった!』

X2_31b2f80

公園で車に積んであるハンモックを取り出して設置。仰向けになって色の変わり始めた銀杏、椛などを愛でる。

公園の清掃をしにきている中学生が、
「あ、いいなあ。ハンモックだ。乗りたいなあ」
と次々に言いながら過ぎて行く。さすがに、100人にどうぞとは言えないf(^^;。

こうやって公園に、普通に設置されていればいいのになあ。ハンモック。小中学校の校庭にもあるといいのになあ。ハンモック。幸せが増えると思うのだが。

そんなことを思い描いていたら、そこにダッシュしてきた娘が飛び込んでくる。腹筋を鍛えることになる。今日はオフなのである。研究室の片付けは、明日の朝にしようf(^^;。

2010/10/21

「引用なき所に印象はびこる」

10/21

相変わらず、食事の後と夜になると熱が出てくる。んなことで、昨晩は、久しぶりにお酒を抜いて食事。餃子にも関わらずビールを飲まないなんて相当、お利口さんである。

私は体調が悪くても、ぎりぎり食欲のあるタイプである。食べて直すタイプなのでありがたい。また、お酒は気分の悪い時、嫌なことが合ったときには口にしないタイプである。美味しく、気持ちよく聞こし召したいタイプである。だから、飲まなかった。

食事後、さっと汗を流してそのままダウン。夜中にはMacBookAirの新型が発表されるであろうということは分かっていたが、そこまでつき合えない。

しかしながら朝起きて、早速確認。

(をを、11インチが出たか。そして、8万円台か。うーん、いいなあ。ただ、11インチはSDスロットがないのか。うーん。うーん。

え、何? Face Time がマックでもできるようになったのか?よーし、じゃあ早速設定だ)

ということで、アップルのHPに行ってβ版をダウンロードして、家中のマックに設定。iPhoneだけはうまくいかないなのだが、そのうちなんとかなるだろう。家にある二台のマックはいとも簡単にFace Timeを認識して、使えるようになった。

これで世界の中にまた幸せが少し増えたなあと思う。

娘の風邪も長引いている。病院に行くと、次の風邪を引いたようですねということで、次から次へと風邪を引いているようだ。幸いにして、娘も食欲があるので良かったが、奥さんも風邪を引いてしまった。なかなか大変だ。

娘はいつも楽しみにしているプレ幼稚園を休んで、家にいたいと言い出す。初めてのこと。確かにいつも以上にボーットしていて、熱もある。初めてのお休みだ。

大学では、卒論ゼミと二回生ゼミの授業。

卒論ゼミでは、目次案とはじめにあたりの検討を、今日も三人。勉強不足を指摘。参考文献を指定した冊数を示していない。対外機関で行う予定にも関わらず連絡が取れていない。用語がぶれていることなどについて。

まだ勉強の域を脱していない者が多くいる。
「ということで、私の主張は、○○先生と同じです」
ということを言う。これはレポートである。その先生の意見を比較検討して、批判して、自分の考えを提出しなければ論文にならない。

また、中間発表会の日程の調整を指示する。

二回生ゼミでは、二つ目のグループの発表。ハンドアウトを元に実践記録を読み進める。

ここで気になったことは二つ。一つ目は、用語のぶれである。ハンドアウトには「障害」とあるのに、説明のときには「病気」と言う。こういうようなミスがあるのだ。これは用語にセンシティブになっていないということが原因の一つと考えられる。

論文を書く時、用語の統一は基礎的な問題ではあるが、ここを間違えると根本的におかしなことになってしまう。「子ども、子供、こども、コドモ、kodomo」といくつもの表記ができるのが日本語。これは日本語の豊かさを支えているが、論文では用語の表記が違う場合は、基本的に違う概念を表しているということが、まだしっかりと意識できていない。鍛えねばならぬ所である。

また、実践記録を読む際に
「なんとなく、こう思う」
という感想を述べる学生が目立つ。これは、ダメである。「ここに、こう書いてあるから、こうなのだ」というように、引用しながら語ることができなければ、実践記録を読んだことにはならないし、論文にならない。まさに、宇佐美先生のおっしゃる「引用なき所に印象はびこる」になってしまうのである。

『それは、どこに書いてあることから考えたの?』

と投げかけると、学生たちは考え込む。そして、読み続ける。それでいいのだと思うし、そうでなければならないのだ。

クールダウンをするために研究室で寛ぐ。
研究室のFace Timeは繋がった。
熱も少し下がった。
さ、帰りましょう。

2010/10/19

面白いアプリ? ブラウザにドラッグ&ドロップで写真ページを作る

面白いソフト?です。

1)http://min.us/ をクリックする。

2)デスクトップに置いてある写真をドラッグ&ドロップする。

これだけでネット上に、写真ページが出来てしまいます。
なんて簡単なんだ。

http://min.us/mec0v8S#icCNnC

は、これで作った琵琶湖の風景の写真です。

子どもは親の似て欲しくないところが似るものだ

10/19

9時32分発の京王線順特急に乗り京都に向かう。新幹線通勤である。

もう少し早く出ることも考えたのだが、電車に詳しい義父義兄よると、この時間の京王線からが、昼間の通常ダイヤ通りの運転になり、この前までは朝のだらだら運転になるというので、これにした。運良く聖蹟桜ヶ丘から座ることができたので、寝て行けた。

品川駅で、新幹線を予約。一番早いN700系の電源のある席を取ることができた。慌てて昼ご飯を購入して乗り込む。

あるゼミ生が本日採用試験の最終面接である。席に座ってから試験会場のある方向をiPhone4のコンパスで確認して、しっかりやれのオーラを送る。科学的なのか非科学的なのかわからないが、使えるものは何でも使うのである。

新幹線の中では、iPhone4のWi-Fi接続の設定を試みるが、今ひとつうまくいかない。ヨドバシカメラのワイヤレスゲートは解約したのだが、その設定が残っていてうまくいかないのかなあ。

諦めて昼ご飯を車内で食べたら、もう京都。
滋賀の自宅に戻ったのは、大学の授業開始70分前。

研究室には、授業開始15分前に到着。日本の公共交通機関の安定性に感謝である。

早速本日の4限の授業の最終確認をする。本日は、「国語科の授業をつくる」の第三回目。どうやって授業を開発して行くのか。これを私が作った学習ゲームを例にして講じる。この部分は、来週の関西青年塾で講じることのベースにする予定。

授業の始まりは、季節の話をすることが多いのだが、今日は娘の七五三の話から始める。そのうちに、子どもは親の似て欲しくないところが似るものだと言う話をする。

『で、私は自分の父親が暇があると食卓の上にあるポットを磨くのが気に入らなかったのです。なんというか、貧相に見えたのです。一家の主が、お湯を入れておくポットを台布巾で磨く。これがどうも貧相に見えたのです。

で、学生時代に一人暮らしをするようになって、ポットを私も買うことになります。ところが、ある日私は、気がついたら自分でポットを磨いている自分を発見するのです。愕然としました。

それから、私は娘のミルクを与えるために常にお湯が必要になるつい最近まで、ポットは持っていませんでした。親が似てほしくないところや、子どもが似たくないところが、似るものなのです。そう。君達もそろそろ自分の母親に顔が似て来たと思っていないかな?女性は20歳ぐらいから似始めるからなあ。それまでは父親にだったのに』

という話をすると、ほとんどの学生が嫌な顔をする。そして、更に話す。

『私も、「自分の親に似るのをいやだなあ」と思って、教師をしている大学の同級生の友人に話したことがある。ま、そんなに強い言い方でいったのではないが、話したわけだ。すると、こんなことをいわれたのだよ。「だから、池田は甘いんだ。そんなんでよく教師がやっていられるなあ」とね。

君達は、私の発言のどこに問題があるか分かるかね? 

その友人がいうには

「世の中には、自分の親がどんな顔をしているのかも分からないで生活している子どもたちは、たくさんいるわけだ。自分の顔が親に似て来て嫌だなあという言い方は、親のいない子どもにとっては、自慢話でしかないんだぞ」

というのである。私は、そうだなあと思ったのだよ。似ていることを確認できるのは、それは幸せなのだよ。

七五三のときにあれこれ変なことをしている娘を見て、私の母親が「お前の小さい頃にそっくりだねえ」という。それを聞いて、親の命長からんことを願い、私も娘のためにも長生きせねばなあと思ったのだよ』

その理由は言わなかった。その理由はもちろん、

「もう、嫌になっちゃう。私、お父さんの嫌なところばかり似ている」

って娘に言わせたいからである(^^)。

その後、研究室に籠って事務仕事を続ける。サーバーの不調や体温の上昇や学生の訪問、さらには原稿依頼の電話を乗り越えて仕事を続ける。

すると、来週の関西青年塾で行う「知的な国語の授業の作り方」の講座アイディアが降って来た。湧いて来た。慌てて新しいドキュメントを開いて、そこに書き込みながら一方で仕事をこなす。

気がついたらもう既に19時を回っている。体温の上昇が顕著になって来たので、20時には研究室を出ようと、その日のうちに終わらせておかなければならない仕事に絞って、あれこれ。

体は疲れているのだが、精神的に高揚しているのであろう。結局寝たのは日付が変わってからであった。

2010/10/18

娘の七五三であった。

10/16

娘の七五三であった。

お宮参りをした府中の大國魂神社で行った。あれからもう三年も経ち、娘はお宮参りに来ている赤ちゃんに興味を示し、話しかけていた。成長しているのだ。

想像していたイメージにある三才の七五三は、着慣れない着物と履き慣れない草履の娘が、お父さんの手を掴んで、ヨロヨロ歩くのを親族が微笑ましく見るというものであった。

ところが豈図らんや、である。
着物も草履もセットアップした髪も関係なしに、動き回るのである。走り回るのである。

お祓いを待つ間、ウロウロと歩き回りあちこちに笑顔を振りまいている娘であった。

神社の境内では、前から写真を撮ろうとしてダッシュして距離をとろうとする父親に、さらにダッシュして追いかけて来て飛び込んでくる娘であった。

お宮参りにしても、七五三にしても同じ年齢の子供達が集まる。つい、自分の子どもと他の子どもを比べたくなる自分に気づく。ま、実際のところ多少は比べていたりする。

だが、そんなことはまあどうでもいい。健やかに、ひょうきんに、愛らしく、ワガママに育ち、弱いものに優しく、お転婆で、おしゃまで、賢く、お間抜けな娘。

これ以上、いま何を望むというのだ。

想像していた七五三とは、全く違うものになったが、それはそれで良い。

娘よ、七五三、おめでとう。

2010/10/11

そう、娘が我慢ではない。 親が我慢である。

10/10

晴れの特異日。そして、今日はゾロ目の日だ。
2010/10/10/10/10/10秒がある日だ。

ゾロ目だからなんだということもない。ただ、なんとなく嬉しいものだ。
30分前からドキドキしながら待つ。しかし、過ぎてしまえばなんでもない。

ネットでは忘れてしまった人が嘆いていたので、夜もあることを告げた。

(一日に二回あるんだよな)

と思っていた。
ところが、糸井重里さんは流石であった。
糸井さんは、ハワイ時間でのゾロ目を楽しもうとしていたのである。
(ああ、そうか。一時間おきにもあるんだな)

と思ったのである。流石に視野が広い。もちろん、視野が広いだけでなく焦点化も凄いのだが。勉強になる。

昼前から京都駅まで出かける。娘の三歳のお祝いを買いにだ。一ヶ月前になったのに、まだ三歳のお祝いをやっているのかという思いもあるが、いただいたお祝いは形にしておきたいので、買いに行ったのだ。

買ってあげたいと思っていたのは、単純なおもちゃ「カプラ」である。単なる木の板である。だが、これはなかなか奥が深い。積み上げるのが好きな娘にはちょうどいいおもちゃである。これを買いに出かけた。

お目当ての品を購入してから食事に行くことに。
流石に三連休の中日の京都駅である。食堂はどこも長蛇の列。あきらめて、近鉄の一階の食堂街に向かう。びっくりするぐらいにきれいになっている。ちょっと前までは飲み屋しかなかったイメージだったが。

面白いものを見つけた。
水のアートである。
原理は電光掲示板と同じであろう。電光掲示板なら光に該当する部分を水で表している。そこに光を当てて文字や模様を作っているのだ。

写真は、大文字を表したもの。これはしばらく見とれてしまう。

Img_5529

昼ご飯を食べて、さらにそのショッピングモールを歩く。そこには、舞子さんの絵柄が印刷されていたお煎餅があった。舞子さん好きな娘の目が輝く。

「買ってぇ〜〜〜!!!」

である。
ま、買うのは簡単。ダメである。買ってと言えば、買うというようなことを教えてはならん。すると、大泣き。その場を離れようものなら元の場所に押し戻して大泣き。

もちろん泣けば買ってもらえるということを教えてもいかんので、ここも我慢をさせる。ところが、これが続くのだ。近鉄のショッピングモールから伊勢丹の七階まで、時間にして30分以上とんでもない大声で

「買ってぇ〜〜〜!!! あそこに戻る!!!」

とやり続けるのである。
娘は生まれたときに15分以上泣き叫び続けた。慶応義塾大学医学部付属病院のスタッフは、新記録だと言ったとか。その持って生まれたエネルギーで泣くのである。

道行く人は、当然何事かと振り向き、そして微笑んで過ぎて行く。そう、それならいい。しかし、声だけ聞く人は明らかに児童虐待だと思うレベル。さらに、エレベーターの前で泣き続けられたときには、その近くの喫茶店で休息していた人たちに、困った顔で見られてしまうレベルであった。

ここでも、我慢であった。
そう、娘が我慢ではない。
親が我慢である。

買ってあげるのは、簡単。
だけど、そんなことをして育てたら、この子の成長はない。
言えば買ってもらえる。泣けば買ってもらえる。
そんなことを教えてはならない。

買ってあげたい。
喜ぶ顔を見たい。
これは、親の自己満足だ。
子どものためというよりは、親のためだ。
もう三歳のお祝いには、ピアノを与え、カプラまで選んだのだし。

親ばかであるが、馬鹿親にはならんぞと、厳しく。
伊勢丹の絵本コーナーにたどり着いて、やっと収まる娘であった。

ふう。

もちろん、家に帰れば親バカである。
一緒になって早速カプラで遊ぶ。

最初の10段を組んであげた。
その様子をじっと見ていた娘は、そこから自分でどんどんと積み重ねて行った。

途中ユラユラすることもあったが、なんとしょっぱなからすべてを積み上げてしまった。200ピース、100段である。

いやあ、凄い、凄い。
記念写真を撮って、思い切り抱きしめる。

Img_5612

夜のゾロ目の瞬間は、娘との一日を振り返っていたときに過ぎてしまった。それもまたよし、だ。

2010/10/07

今日は、朝日と夕日と両方

10/7

四時台に目が覚める。
ごそごそ起きだしてベランダのハンモックに移動。さすがに、タオルケット一枚は必要だ。

まだ外は本当に暗い。
しかし、30分もすると空は青くなり、6時の日の出まで刻一刻と空の色が変化していくのを楽しめる。

美しいなあ。

X2_2ecde94

X2_2ece376

X2_2ecf33d

朝ご飯は、魚沼産のコシヒカリ新米。この時期だけの贅沢だ。あまりにも美味しくて、大きめのお茶碗に二杯も食べてしまう。ああ、日本人に生まれて良かった。

米は炭水化物。炭水化物はブドウ糖になる。ブドウ糖は、脳味噌のほぼ唯一の栄養源。たくさん食べてたくさん消費しよう。

授業は、四回生ゼミと二回生ゼミ。
四回生ゼミは、卒論の途中報告を三人ずつ始める。目次案を書き直し、序論の検討を行う。

割と頑張ってきている学生たちではあるが、先行研究の批判の部分が弱い。というか、ない。これでは論文になりえない。自分が扱おうと考えているテーマについて、いままで何が解明されてきて、何が解明されてきていないのか。ここを明らかにする必要がある。

そして、その明らかにされていない部分のうち、ここを研究の対象として扱うということを示して論証を始めていく。だから、先行研究の批判は必須なのである。

今日は、若者言葉、コミュニケーションティーチング、書字障害をテーマに選んだ学生たちの指導を重ねる。卒論提出まであと二ヶ月。さ、気合いを入れ直せ。

二回生ゼミは、竹内常一先生の『おとなが子どもと出会うとき 子どもが世界を立ち上げるとき』を読み進める。今回までは私がレポーター。教育実践記録を読むということはどういうことなのか。実際に読み進めていく。

子どもの言葉の、実践記録に書かれている教師の言葉の、その裏や表に彼らの世界に入っていく秘密の扉が描かれているのだが、それはなかなか発見できない。

ここをどうやって発見していくかの指導をしていく。
読み込み、読み解き、読み開く。
恩師から指導を受けた方法だ。

学生たちに少しずつかもしれないが、伝える。

授業後、他のゼミの学生が合格の報告に来た。昨日に続いてである。こういうのは嬉しいものだ。

今後のことについてあれこれアドヴァイスをする。

気がついたら、外は夕焼け。いやあ、きれいだ。
今日は、朝日と夕日と両方とも味わえた。

X2_2ee1b3e

なかなかいい一日だった。
さ、帰ろう。

2010年 研究会の予定

教育研究会「明日の教室」関連のご案内をブログのトップに置くことにします。

                   ◆

02/13(日)  10:00~13:00    帝塚山小学校教諭 仲里靖雄氏
03/ 5                             野中信行氏 
04/23     立命館大学教授 陰山英男氏

                   ◆


明日の教室の書籍1〜5と、DVD1~10が発売されました。

書籍は、http://www.gyosei.co.jp/home/books/book_detail.html?gc=3100501-01-000/
DVDは、http://www.sogogakushu.gr.jp/asunokyoshitsu/dvd_1.htm

からお求めください。

2010/10/06

【明日の教室 秋のスペシャル 10/23 野口芳宏先生をお迎えして】

【明日の教室 秋のスペシャル 野口芳宏先生をお迎えして】

10/23(土) 13:30~17:00
京都橘大学 児優館 C201教室
80人限定
参加費 一般:3000円 学生:1500円 苦学生:要相談

お待たせいたしました。
野口芳宏先生のご登壇の詳細が確定しましたので、ご案内をさせていただきます。

ありがたいことに、野口芳宏先生に再び明日の教室にお越しいただけることになりました。本当に嬉しく思います。

今回は、二つの講座をお願いしています。その内の一つは、おそらく今まで先生がされてはいないのではないかという講座をお願いしました。

それは、「教材研究」のしかたについてです。教材研究は大事だということはこれはもう誰もが首肯すべきところではあります。しかし、実際に研究授業、模擬授業、実践記録では、この教材研究が終わった所からが私たちの目に届きます。

実際の所、教材研究はどうすればいいのだろうか? 若い先生方ほど、これは大事だと分かった上で、でも仕方が分からないままで授業をされているのではないでしょうか。

今回は、ここに野口先生のご指導をいただきます。教材は「モチモチの木」を扱う予定です。

そして、二つ目の講座は韻文の模擬授業。今回は、短歌を使っての模擬授業をしていただけることになりました。野口先生の俳句の授業を受けたことのあるみなさんはいらっしゃるかもしれませんが、短歌はない方もいらっしゃるのではないでしょうか。

何の短歌を使うかは、当日のご案内となります。

なお、主催者からの強いお勧めです。野口先生の最新刊の『利他の教育実践哲学 魂の教師塾』(小学館)を予めお読みいただいての参加をお薦めいたします。

特に第二部は、若い教師は必読でしょう。

野口芳宏先生:

1936年生まれ。千葉県出身。千葉大学教育学部附属小教諭、木更津市立小校長、北海道教育大学教授を歴任。2008年4月からは、植草学園大学 (発達教育学部)教授。千葉県教育委員。近著として『利他の教育実践哲学 魂の教師塾』(小学館)。著作に、『野口芳宏著作集 「鍛える国語教室」』全23巻(明治 図書)、『野口芳宏 先生 退官記念ビデオシリーズ』全3巻〔(有)カヤ〕他多数ある。 当日は「国語の授業を作る・模擬授業」がテーマです。

お申し込みは、こちらに。
今回、懇親会は大学のクリスタルカフェで行う予定です。仕込みの都合から、懇親会参加の締め切りだけ、早くなっています。

10/18(月)が懇親会の締め切りです。
お間違えのないようにどうぞ。

2010/10/05

本学の教育実習は、三回生の後期に行う

10/4

今日から三回生池田ゼミの諸君の教育実習が始まった。地元の小学校に戻りこれから一ヶ月間実習に没頭する。キャンパスには一回生と二回生の姿ばかりになる。

現状の教育実習には、さまざまな問題点があるが、それでも一ヶ月間懸命に実習に励んで来た学生たちは大きく成長する。帰ってくるのが楽しみである。

本学の教育実習は、三回生の後期に行う。通常、私立大学の教員養成系の教育実習は四回生の前期に行うところがほとんどだが、本学はそれを選ばなかった。学科の立ち上げの際に、文科省に申請していた四回生前期の予定を、申請し直して三回生後期にしてある。

その理由は3点ある。

1)学校現場は、前期よりも後期の方がゆとりがある。
2)学生の進路最終判断の時機に適している。
3)実習後、振り返りの時間がある。

ということである。

1)これは、そういうことである。特に学級づくりをしている最中に実習生が来て、それを中断させられる、または、壊されるとなかなかしんどい。後期ならば、これはない。

2)三回生で、最終的に教師を目指すかどうかを実習後に判断するものもいる。四回生の前期では、実習後ということでは一般企業に行くとなったら厳しい。

さらに、教員を目指す学生諸君は、実習後に採用試験に向けて勉強する時間が約半年ある。教育実習で高まったモチベーションで勉強に励むことができる。

3)これが、実は結構大事であると感じている。四回生で教育実習を行うと、実習、試験、卒論というようにどんどん時間が流れて行く。実習で得たものをもう一度大学の授業の中で確認しながら学ぶということができない。

ところが、三回生の後期なら可能なのである。変な話、三回生で私の授業を落第した学生は、四回生でもう一度履修するのだが、四回生で履修した授業は三回の時よりも面白いと言い、採用試験の合格者も出ているのである。

もちろん、デメリットもある。それは半年前倒しになることから、学生たちの授業の密度が高まってしまうということである。だが、これは学生たちに上記のメリットを説明して、頑張れと言ってある。

学科の立ち上げの際、決まっていた四回生前期の教育実習を、急遽三回生後期へと変更してカリキュラムを組み直すのは、大変なことだった。

しかし、今こうしてみると思い切ってやって良かったと、心から思う。
成長して帰ってくるのが、楽しみである。

2010/10/03

ディベートに出会ってから20年が経つ

10/2

ナーンもする気の起きなかった昨日。本を読んで呟いてゴロゴロしていた。そういう日もある。というか、最近多いかなあf(^^;。

で、本日は全国教室ディベート連盟近畿支部のディベート入門講座で、講師を務めた。

3時間でディベートの仕組みと重要な点。さらには試合を2試合するという内容である。ちょっと時間は延びてしまったが、内容はまあまあのものが行えたのではないかと思う。自画自賛である(^^)v。

ディベートに出会ってから20年が経つ。

学生時代にはディベートのデの字も知らなかったのだが、授業で子どもたちに討論の授業の面白いのをやりたいとリクエストされてから、あれこれ調べ、アメリカの高校生の使っている教科書を購入し、何で国語の先生が英語を勉強しなければならんのだと思いながら英語で読み続け、気がついたら全国教室ディベート連盟の設立に加わり、修士論文までディベートで書いてしまった。

ディベートが専門ということではないのだが、私の人生に置いてディベートはかなり大きな位置を占めていることは確かである。

20年前に比べて、ディベートに関する書籍、講座、DVDなどはかなり充実した。私が始めた頃は何もなかった。英語でディベートをする人たちがいただけで、日本語でなんてのはビジネス界にすこしいるだけで、何もなかった。

だけど、だから良かったんだなあと今は思う。
なんだか分からないものに向かって行き、なんとかしようとあれこれし続けた時間がそこに生まれたのだから。そして、多くのなかまたちと出会うことができたのだから。

人からものを教わるのが苦手な私だから、自分と仲間たちとであれこれできたのが幸せだったんだなあとも思う。

ディベートは、特殊な指導方法ではない。日本中の先生が普通に実践できるものであると考えている。確かにディベート甲子園に出場することになると、向き不向きとかいろいろとあるかもしれないが、教室で行うディベートならば、全ての子どもたちに体験させるべき内容だと考えている。

講座が終わってから全国教室ディベート連盟近畿支部を支えてくれている若い社会人・学生スタッフ諸君と飲み会。

(そうか、今年二十歳のスタッフは、私がディベートに出会ったときに生まれたんだなあ)

と個人的に感慨に耽る。
もう少し頑張ろう、か。

2010/10/01

小豆たった煮え立った〜♪ の衝撃

10/1

わらべ歌の一つに、「小豆たった煮え立った。煮えたかどうだか食べてみよう。むしゃむしゃむしゃ。まだ煮えない/もう煮えた」というのがある。

小豆役の子どもの周りを他の子どもが周り、「むしゃむしゃむしゃ」のところで、小豆役の子どもの髪の毛をこねくり回すのである。

私が子どもの頃に育った東京の多摩地域では、こうやって歌っていた。少なくとも私たちはこうやって歌っていた。そして、人気のある子どもと人気のない子どもは、いつまでたっても小豆が煮えないのである。

人気のある子どもは、多くの子どもが触りたいから、いつまでたっても小豆だったし、人気のない子はいつまでも髪の毛をぐしゃぐしゃにされつつ軽いリンチを受けると言うもので、今思うと子どもの残酷性を表す遊びだったかもしれないなあと思うものであった。

ところが、この「小豆」。異論が出た。「小豆」ではなく「あぶく」だと言うのである。奥さんから出た。そんな馬鹿なはずはないという強い思いがあったが、twitterで呟いてみた。

すると一晩で、小豆vsあぶくは、(2)vs 10という結果になった。あぶくの圧勝であった。ちなみに、(2)というのはそうかもしれない、その可能性もあるということである。

私は眠れない夜を過ごしたのであった。

翌日、業務の合間を縫って図書館で調べる。こういうとき大学は便利だ(^^)。

わらべ歌に関する本を四冊ほど調べてみる。
そのうち、該当の歌と思われるものが載っていたのが三冊あった。そこには衝撃の事実が描かれていたのである。

載っていたのは、以下の三冊。

1)
『わらべうたと子ども』

木村はるみ.蔵田友子
2001.4.10初版
2004.4.10三刷
(有)古今社発行

2)

『にほんのわらべうた3
おてぶしてぶし』

近藤信子
柳生弦一郎
2001.4.10 初版
2004.9.15 4刷
福音館書店

3)

『たのしさいっぱい! うたあそびよくばり100選』

音楽教材研究会編
2000.4.10 1刷
2005.6.20 新装3刷
民衆社

これらの本は全て、「あぶくたった」であったのだ。
軽い衝撃である。

ではあるが、私はまだ「小豆たった」であると唱えたい。
それは、3)の本のイラストにその根拠の片鱗を見つけることができる。その歌にあるイラストの猫が

引用開始 ーーーーーーーーーー

「あずき豆役の子は、目をつむってね」

引用終了 ーーーーーーーーーー

と言っているのである。これは何を示すのであろうか。恐らく、イラストレーターは、「小豆たった」でこの歌を理解していたと思われる。だから、この台詞を入れたのである。または、イラストレーターのみならず、編集者もそう思っていたのだと言えるかもしれない。

更に言えば、だいたいからして「あぶくが立った。煮えたかどうか食べてみよう」として、あぶくが立たないと煮えたかどうだか分からない食材なんてそんなにはないだろう。

というか、あぶくが立った上で、さらに煮えたかどうかを確認しているのである。そのぐらい固い食べ物なのである。だから、小豆なのだ。

小豆が煮え立った、というのがこの遊びのルーツである。

で、衝撃だったのは、実はこれではない。なんとなれば、私は小豆なのであって、あぶくのはずはないと思ているからである。
私の衝撃は、以下の歌詞を読むと分かる。

上記1)より引用開始 ーーーーーーーーーー

あぶくたったにえたったにえたかどうだか食べてみよむしゃむしゃ まだにえない/もうにえた

とだなににしまって 鍵かけて
ガチャガチャガチャ

ごはんを食べて
ムシャムシャムシャ

お風呂に入って
ジャブジャブジャブ

歯みがきをして
シュシュシュ

おふとん敷いて 電気を消して さあ寝ましよ(しゃがんで両てのひを重ねて頬にあてる)

(オニ)
とんとんとん
(みんな)
何の音?
(オニ)
風の音
(みんな)
ああよかった

(オニ)
とんとんとん
(みんな)
何の音?
(オニ)
ブランコのゆれる音
(みんな)
ああよかった

(オニ)
(すきなことを入れる)

(オニ)
(最後に)おばけの音
(みんな)
キャー(逃げる)

引用終了 ーーーーーーーーーー

この歌は、「あぶくたったにえたったにえたかどうだか食べてみよむしゃむしゃ まだにえない/もうにえた」で終わりではなく、そのあとがあるということである。そして、その最後の部分は

引用開始 ーーーーーーーーーー

とんとんとん
(みんな)
何の音?
(オニ)
風の音
(みんな)
ああよかった

引用終了 ーーーーーーーーーー

であるというのだ。私はこの部分は全く別のわらべ歌だと思っていたのだが、一つの歌だったというのだ。実はこれは「鬼ごっこ」のための歌だったのだ。1)の本でも、鬼ごっこの部分に分類されている。これが私の受けた衝撃である。ちなみに、このわらべ歌のルーツは、1)によれば東京の歌だとか。

調べてみるものである。

« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

2022年3月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31