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2010/10/28

今日指摘したことの一つは、「そして、また、この」という用語の使い方

10/28

朝から小さなトラブル。ふむ。体調が悪いとこんなものか。
娘がやってきて、話しかけてくる。

「○○ね、お腹にいる時、本当に寂しかったの」
『どうしたの?』
「お父さんに会いたかったの」

と娘。
ぅううう。
体内記憶があるとは思っていない。彼女にあるのは、優しさだと思う。

私が頭にきているので、慰めてようとしてくれたのだと思う。娘は時々こんなことも言う。

「○○がいなかったから、お父さんとお母さんは寂しかったの?」

と。

『ん、そうだね。寂しかったときもあったよ。でも、今は○○がいるから、とっても嬉しいよ。寂しくないよ。生まれてきてくれてありがとうね』

と言っているのがベースになっているのだろうなあと思う。わがままを言うときの娘は、怪獣だ。が、その怪獣に懐柔されている父さんであった。

午前中の卒論ゼミでは、卒論の進捗状況に基づいてあれこれ。このごろ、本屋に行って思うのだが、学生が選んだ卒論のテーマに関する本が、どんどん目に飛び込んでくる。そして、つい買ってしまう。親ばかならぬ、先生馬鹿である。ま、でもこうして牛に引かれて善光寺ならぬ、学生に引かれて新しい書棚ってのもいいもんだ。

いいもんだ。が、卒論の文章を読む限り甘いことは言っていられない。今日指摘したことの一つは、「そして、また、この」という用語の使い方についてである。

これらの言葉をきちんと使えないと、論理構造が崩れたり、論旨が曖昧になってしまう。しかし、書いている本人にはその意識がない。当たり前のことだが、文章を書いている本人は、正しいと思って書いている。さらに言えば、伝わると思って書いている。だから、間違いや読みにくさは発見しづらい。

しかし、その場でさっと読まされる文章で引っかかる場所を丁寧に読むと、やはり「そして、また、この」という言葉の使い方がダメであることが多い。通常、「そして」は使わない。「また」は等価のものが並立関係になるように書く。「この」などの連体詞の後は、何を受けているのかきちんと名詞を書くということが大事なのだが、これができない。だから文章が繋がらないことになる。学生の卒論の文章を元にして、あれこれ指摘する。

用語の定義、接続詞の使い方、目次の構成などがしっかりできていることが、とにかく大事だと考えている。

二回生ゼミでは実践記録をさらに読み進める。発表の仕方は分かってきたし、テキストも読めるようになってきているが、まだまだである。

書かれている事実が、一見平凡だと、その平凡なことに隠れている意味や価値が読み取れない。華やかな、派手なものは目につくので分かるのであるが、平凡なことに隠れている実践の宝が見えないのである。

ま、二回生では仕方がないか。読み方を教える授業でもあるのでと半分思い、二回生でこのぐらいできなくてどうするという思いもある。チクショウと思って、次回良い発表することを期待する。

帰る準備をしていたら、他のゼミの学生が卒論の相談にやってくる。一回生のゼミの時の学生である。卒論と卒業後のあれこれについて話を聞く。話をする。

『あと三ヶ月で四年間の授業期間はおしまいだなあ』
と話したところ、
「もう一回一回生からでも全然大丈夫です」
とのこと。
『いいから早く卒業して働け。または大学院に行け』
などと話す。
本当にあっという間だ。

「先生、元Cは凄く合格していますよね」
と言い出す。一回生の時のゼミのCクラスのことを言っている。私も薄々感じてはいたのだが、そうなのである。よく受かっているのである。採用試験も一般企業も第一希望に合格しているのだ。

もちろん、その後の学生諸君の頑張り、先生方のご指導が大きく影響しているのであって、私がやったことなんてのはほんの少しのことでしかない。それでも、そうやって学生が言ってくれることは、なかなか嬉しいものだ。

残念ながら、週末の大学祭は台風の影響で中止になってしまった。一期生にとっては最後の大学祭。一回生にとっては最初の大学祭。それぞれ思いはあるが、台風には勝てない。

延期に変わることを期待しつつ、週末を過ごそう。

あ、土曜日は、関西青年塾で講座をします
こちらはやります。
良かったらどうぞ。

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