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2010/10/27

同じ事実から得られる情報の差の違い 実習指導と学級担任論

10/27

本日の学級担任論の授業は、昨日の教育実習訪問指導のことから。ここを導入にして、この授業をくくる。つまり、大きな伏線を張ることにする。

昨日の実習生の行う小学校5年生の社会科の授業研究授業は、自動車産業に関する授業で、その日は自動車産業の車の出来るまで。取り扱っていたのは、最後の部分で、ドア、エンジン、シートはどの順番で取り付けるのかということである。写真を児童に見せながら説明している。

教生は、この授業を進める上で、次のような発問をした。

「青いカバーは、なんでつけられているのでしょうか?」

最終点検をするときに、フロント部分に掛けられている「青いカバー」の役割について問いを立てているのだ。

私は、この授業を見ているときに、
(あ、この発問は子どもに混乱を生み出すぞ)
と思ってしまった。
そして、実際小学校の授業ではそうであった。

で、大学の授業で同じように学生諸君に質問してみた。

「青いカバーは、なんでつけられているのでしょうか?」

である。
学生諸君の答えは、ほとんど同じであった。つまり、「傷つかないように、埃がかからないように、汚れないように」であった。

そうである。大人はこの「青いカバーは、なんでつけられているのでしょうか?」という問には、この様に答えるのである。

しかし、子どもはそれだけでは無いのである。同じ発問であっても、立ち上げる問はずれることがあるのである。具体的に言えば、

・ なぜ、青なのか? 他の色じゃダメなのか?
・ なぜ、カバーなのか? シートではダメなのか?

ということに問いを立てる子どもがいる筈だと私は直感したし、研究授業では実際に出たのである。

ところが授業者の教生にはそれが見えない。実際の研究授業では、Fくんというある子どもが
「なんで青なんだ?」
と呟いていた。これは私は聞き取れた。その後、授業を見て参観されていた校長先生も同じく聞き取っていたことがわかった。

そして、Fくんはその後に見た別の資料では、緑のカバーだったのを発見して「なんだ、緑でもいいんだ」と言っていたのである。この間7分の時間が流れていたのであった。彼は7分間無駄になってしまっていたのである。

同じ時間に同じ授業を見ているのだが、見えているもの、聞こえてくる音は違っているのである。ここが見えるか見えないかが、経験の差であり、教員の実力の差であると思う。

教生や若い先生には見えにくい部分である。それは仕方の無い部分かもしれない。

だから、私が研究授業で指導講評を任される場合は、授業者の見えていない部分を、こうだったねと確認し、そこの意味を検討することを主にしている。

とまあ、そういうことを学級担任論の導入部で、昨日見た研究授業で印象的だったことということで話したのである。

これが今日の授業の伏線である。

今日の授業の学級担任論の授業の柱は、学級集団の分析、その目的と方法ということであった。

その分析の方法の一つとして、クラスの集合写真の読解の方法について講じた。

ここでは詳しくは述べられない。述べてしまうと、どこかで児童や生徒が読んでしまう可能性があるからだ。そうすると、学校教育現場に立つ学生たちがやりにくくなるから書かない。教育にはタネも仕掛けもあるのだ。それを全て明らかにしながらやるという立場を私は取らない。

で、その写真の読み取り方、クラスの人間関係の読解の方法を教えたのだが、学生諸君は結構ショックを受けていた。同じ写真を見ながら、私の読み取りと、学生諸君の読み取った情報とが大きく違うのである。

他にも私がExcelで記録していたクラスの日記も見せる。学生諸君に口を酸っぱくしていっている「記憶でなく、記録せよ」ということをだ。

事実からはたくさんの情報が得られる。しかし、若い先生にはこれが得にくい。これは事実である。しかし、事実の記録がなければ、そもそも読み取ることすらできないのである。

若さの持つ情熱も大事であるが、経験というものもなかなか馬鹿にできないものである。

同じ事実から得られる情報の差の違いに、ショックを受けるのである。経験はこれを可能にすることが多いのである。

であるからして、学生諸君、記録をとって、事実から読み取れる人たちに見ていただくというのは、とても重要なことなのだよ。記録はしっかりするのだ。

「青いカバーはなんのために?」

という問から、何かを見える人と、見えない人がいるということを思い起こして欲しいのだ。

はい、今日の授業はおしまい。

発熱している割には結構頑張ったかもしれない。自画自賛である。








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