« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »

2010/11/26

紅葉葉楓(もみじばかえで)から溢れてくる柔らかい日差し

11/26

今年の紅葉は凄い。
例年になく色鮮やかだ。
ということで、忙しい。

私の大学時代の友人が長野県の高校の教員になったが、秋になった時忙しい忙しいというので、何がそんなに忙しいのかと聞いたら、キノコを取ったり木の実を拾ったりに忙しいというのを聞いて、ふざけるなと思ったが、今は分かる。

あそこも行きたい、ここも行きたいと思うのだ。
今日は、オフの日。
娘がプレ幼稚園に行っている間に、石山寺に行こうと思ったのだが、その途中の公園がとんでもなく奇麗なので、つい立ち寄ってしまった。

それが全て。

ハンモックを広げて、紅葉葉楓(もみじばかえで)*1から溢れてくる柔らかい日差しを受けながら、ゴロンとしていた。

本当は本も紅茶も持って行ったのだが、本は2ページ。紅茶は一杯でおしまい。あとはただ、その光の波が奏でるリズムを体で受けとめていた。

エエテルってのを嘗ての科学者は信じていたらしいが、なんかそれも分かる気がする。波が伝わってくるのは、エエテルを伝わっているのじゃないかと思ってしまう。そんな感じの光の波だ。

Web

Email2

Img_7828

寝転がれば、首が痛くならずにこの景色を抱きしめることができる。
ハンモック万歳なのである。

まだまだあるが、ココログの画像アップの限界になるので、このぐらいにしておきますf(^^;。

滋賀は美しい。
そして、なんといっても人がいない。

いや、いなくはない。むしろ増えている。日本で人口が増えている県というのは、そんなにはない。その中の一つだ。だが、湖西はまだ少ない。増えたと言っても東京のことを考えたら、話にならない程度のことだ。

美しくて住みやすい。
体が朱色に染まるぐらい、包まれていた一日だった。

*1 『葉っぱのフレディ』の葉っぱです。

2010/11/25

一時一事の原則と空白禁止の原則は、指示のベクトルが違うのではないだろうか?

11/25

Img_7696

三限の二回生ゼミでは、フィールドワーク報告会を行った。学生たちが現場に入って子どもたちの様子を観察する時間を定期的に作って指導しているが、そこで学んだことをハンドアウトにまとめて、報告し合う時間とした。

方法は、書き込み回覧作文方式で全員のハンドアウトを読んで、その後に気になったまとめを選び、質問をするというものである。

この中で特に学生たちが気になったのは、小学校一年生のクラスで、運動会のときの新人の先生とベテランの先生の違いについての発表であった。新人の先生は丁寧に説明している。ベテランの先生はポイントだけ説明してる感じがする。それでいて、結果的にベテランの先生の方がうまくできている。これは何なのかという発表であった。

これについてさらに詳しく聞いてみる。そこで分かったのは、

・ 最終的なゴールは何かを理解して指示を出しているベテランの先生。
・ 一時一事の原則で指示を出している新人の先生。
・ 空白禁止の原則を重視して指示を出しているベテランの先生。
・ 個人の指導をする新人の先生と、グループの指導をするベテランの先生。

これらの違いが分かった。
学生の目からは、うまく言ったのはベテランの先生で、それはなぜなのか。端的な説明ができたからではないかという答えになっていた。ま、それはそうなのだろうが、私は違うことを考えていた。

最終的なゴールは何かを示して、その後指示を出すというのは、「古畑型」の指示の出し方である。目的を示し、ここにたどり着くためにはどうしたら良いのかを考えさせる。そして、足りない部分はお互いに補い合いながら進むことを求めているのが、ベテランの先生ということであった。

もちろん、一時一事の原則は重要である。ここができていない若手は、クラスが崩壊する。ではあるが、これは言ってみれば「コナン型」の指示の出し方なのかもしれない。ゴールが見えにくいため、どこにたどり着くのかが分からない。だから子どもたちが不安になるのである。

クラスには子どもの差がある。この差をうまく活用することができれば、古畑型で個人ではなく、グループや集団を動かしながらゴールに達成することができるのではないかというのが、今回の結論となった。

新人の先生の一時一事の原則に従った指示の出し方が悪いということではない。しかし、今回のベテランの先生の空白禁止の原則の指示がうまく機能していたと言えるのではないかということである。

一時一事の原則、空白禁止の原則は、『授業の腕をあげる法則』(向山洋一 明治図書)にある有名な法則である。この本は何回も読んだのだが、読むたびにやっぱりこの部分がよく分からなかったのである。

一時一事の原則、空白禁止の原則はそれぞれは分かる。しかし、一時一事の原則を行うと、できる子とできない子の差が出てしまい、空白が生まれるのである。そうすると、空白禁止の原則に抵触するのである。

空白禁止の法則には、「まず全体に、大きな課題を与えよ。然る後に個別に指導せよ。」とある。つまり、目的を与えよということである。

何が言いたいか。つまり、一時一事の原則と空白禁止の原則jは、指示のベクトルが違うのではないだろうか? もっと言えば、私が言う所の「コナン型」と「古畑型」の違いではないだろうかと、今日学生たちに説明しながら思っていたのだ。

だから、一時一事の原則、空白禁止の原則を原則の10の中に並列で書くのは、混乱を生むのではないかなあと思うのだ。というか、私は20年近くすっきりしていなかったのだが、今日の授業で一つ解決の糸口が見えたような気がした。

一つの説明をしながら、もう一つ自分の頭の中にひらめいてしまったアイディアを考えながら進める授業は、そんなにあるわけではないが、そうなったときは大概私は面白いことになっている。

今日は二限の四回生の卒論ゼミも面白かったのだが、私自身のインパクトは二回生ゼミだったなあ。ああ、面白かった。

2010/11/24

我慢しきれずに、その椛に包まれにいく

11/24−3

実に見事な紅葉の一日だった。
私の研究室からは大学の中庭が見える。

その中庭に一本の見事な紅葉がある。
それがいままさに見頃なのである。

午後になると、その紅葉に西日が正面から当たり始める。紅葉は、逆光で見るのが美しい。研究室からは順光で見える。だから、なんというか逆光の椛が気になって仕方がない。

我慢しきれずに、その椛に包まれにいく。

Img_7632_2_3

カメラはiPhone4。
その性能もいいのだが、なんといってもアプリケーションが良い。降り注いでくる椛を受けとめる画像はなかなか撮れない。28mmのレンズのカメラでも厳しい。

そんなとき、オートステッチなどのソフトを使うと、奇麗に簡単にパノラマ写真が撮れる。人間の視野に近い絵を手に入れることができる。

Img_7660_2

さらに、錦織の帯にある柄というのは、実は写実画ではないかと思ったのも今日であった。その椛の一部を頭の中で切り取って、帯にする。それを意匠として帯に忠実に再現していたのではないかと思った。

Img_7665_2

私が気に入った一枚を撮影するために、光の推移を見守っていたら、学生たちがやってきた。で、iPhone4でいくつかの作品を見せた。学生たちは衝撃を受けるのであった(^^)v。

その後、21:00過ぎまで会議。
疲れたなあ。
でも、美しい椛を堪能できたので、良い一日と日記には書いておこう。(って、これを分かる人は少なくとも40歳を超えているなあ)

ランチの後に一枚

11/24

Img_7632_2_2

椛の後ろの建物が、明日の教室の会場でよく使う児優館です。

教育の仕事は、種をまく仕事だと言われることがある

Img_7627_2

11/24

大学に向かう途中、滋賀と京都の山々は美しい紅葉に溢れ、生きて行くエネルギーをくれる。

(なんでこんなに美しいのか)

と私は考えるが、こんなことを考えないのが、若さかもしれない。

山には種々の落葉樹があるからこんなに紅葉があるのであるが、この落葉樹は自然に育ったものではなく、植えられたものであるという当たり前のことに、加齢とともに気づくのである。

この山の美しさは、自然のように見えて、実は人工なのである。実は、管理された美しさなのである。

いや、管理された美しさが悪いということを言いたいのではない。私たちが出合っている自然というものは、殆どの場合、管理された自然である。それに気がつかないことを私は恐れているのである。

そして、自分が見ることにはならないであろう、この山の美しさを後世のために残してくれた先達の思いに心を馳せないことを恐れるのである。

教育の仕事は、種をまく仕事だと言われることがある。子どもたちの心の中にいろいろな種をまく。最大の種は、豊かな人生観の種だろうか。その種はやがて発芽し、花を咲かせ、実を結ぶだろう。

しかし、教師は殆どの場合、発芽までは一緒に時間を過ごすことはできるが、その後の場面に立会うことはほとんどできない。それでも、子どもが花を咲かせ実を結ぶ日を迎えることを信じて、楽しみにして、教育という営みをするのだと思う。

滋賀、京都の山に先達が残してくれたこの美しさを見ながら、

(さて、私は次の世代に何を残して行けるだろうとか)

と改めて思うのだ。

んなことを考えて、二限の学級担任論の授業に向かうのでありました。

ため息しか出ない 東福寺の紅葉

11/23

なかなか珍しい日の出でから始まる一日であった。

Img_7285

午前中は思い立って東福寺に向かう。
東福寺の紅葉は京都の紅葉でも3本指に入るだろう。
京都駅からJR奈良線で一駅。そこにある。

私は車で駆けつける30分で到着。
近隣のコインパーキングに停める。観光特価ということで一時間500円になっている。それでもあと数台で満車になるところ。

写真をお楽しみいただきたい。お庭を回った順になる。カメラはすべてiPhone4。クリックで大きくなります。

Photo

Img_7325

Img_7415

Img_7512

Img_7554

ため息しか出ない。
朝の東福寺は通天橋から見下ろすと順光で、見上げると逆光になる。この日は、曇りがちだったのであまり光の向きは気にしなくても良い日。初心者には絶好の光である。

私は、8時から3時間ここにいた。
寺を出る頃には、とにかくひとひと人であった。

それにしては、写真に人が写っていないではないかと思われるかもしれない。それはこの庭を造った庭師の匠の技なのだと思う。庭を巡回する通路の所は、木々で人が隠れるように作られている。

写真を撮る時は、ちょっと待ったり、ちょっと手を伸ばせば人が写らないように撮影できるのだ。当時の庭師が素人のカメラマンのことまで考えてくれているとは思えないが、今にも通じる気の配り方である。

軽い昼寝をしたあと、午後は、神戸までバビューンと行く。
イケアで買い物。
大きな家具を買う予定なので、相談に行く。
そして、雑貨を買う。
買いまくる。
満足である。

ただ、残念だったのは、お気に入りのペン立てが製造中止になってしまっていたことだ。再生産をリクエストして来たが、まあ、どうなるかなあ。

10時過ぎに帰宅。
たっぷりの一日であった。

2010/11/22

すると、ある時森は突然、出口を用意してくれる

11/20

Img_6605

明日の教室は、立命館小学校の英語スタッフ四人による講座であった。実に良かった。本当に。手前味噌になるが、明日の教室に来ていただく講師の先生方はとても良い。

今回の講座で何が一番良かったのかというと、私は講師が藻がいている姿を見せてくださったことだと思う。

講師をすると分かると思うのだが、講座というのは基本的には完成した理論や実践を元に、そこの部分を伝えることが多い。そもそも中途半端なものは出せないし、開発の途中に何があったのかなんてことはあまり語らないことが多い。

ではあるが、私はそこが大事だと思っている。実践は、「子どもと教師」の関係で行われる。どんな子どもがいて、どういう教師のどんな指導があったのかで決まる。だから言ってしまえば、結論だけ聞いてもダメなこともある。

私はかつて『月刊国語教育』(東京法令 2001年9,10,11月号連載「対義語でポン!」)という原稿で、このことを論じたことがある。出来上がった教材ではなく、その教材が出来上がるまでの教師と子どもとの関わりはどうだったのか。何が問題でそれをどう解決しようとしたのかということが大事だと考え、その過程を書いた。

この日の立命館小学校の英語スタッフのみなさんは、「森の中を彷徨っていた」と話されていた。「出口はどこかと失敗を重ねながら彷徨っていました」と話されていた。

もちろん、この講座ではそこから得られた基本的な考え方を元に、具体的な授業の場面で説明がされていた。例えば、

・チームティーティングでネイティブと日本語の教師の関係は次の三つのうちのどれが正しいか。
・子どもたちが思わず使いたくなってしまう英語のスキットの開発はどうしたらいいのか。
・たくましい耳を鍛えるためにはどうしたらいいのか。

などである。具体的な内容については、発売されるDVDをみていただきたい。とにかく、どうしたらできるようになるのかという格闘の形跡と成果を3時間半で余す所なく語って頂いたのであった。

今回はうちの二回生の学生たちも多く参加していた。私は、学生たちに、英語をどう指導するのかということよりも、どう課題に向き合って行ったのかということを学べるすばらしい機会になったのではないかと思っている。

straggleというかscuffleというか、大の大人が藻がき苦しみながら前に進んだ姿を、間近に見られたことが大きいと思っている。

学生たちは、大学受験や採用試験までは

1)試験範囲のある中で
2)習ったことを前提に
3)できる部分を優先的に解く

という試験の受け方を指導されてきている。私も受験指導を行う際は、そのようにしてきた。

高校入試や大学入試で必要なのは合格点であって、満点ではない。だから、問題の傾向を考えて出る部分を勉強し、試験ではできる部分から問題を解き、合格に必要な点数をかき集める。解けそうな問題から取りかかるのである。

ところが、仕事に就くとこれがまったく逆になる。

a)試験範囲のない所で
b)やり方なんて教わることなく
c)誰もやっていない部分について解く

ようになるのだ。

私は教員の中にも
「そんなものは大学で習っていないからできない」
とパソコンの扱い方やディベート指導でこのように文句を言うのを聞いたことがある。だから、学生が「習っていないからできない」という言い方をするのも分からないではない。

だが、それが正しいことではないことも分かっている。

『習っていない? そうじゃあ、勉強してやりなさい』
『分からない? そうじゃあ、分かりなさい』
『できない? そうじゃあ、できるようになりなさい』

なのである。この指導を通して、自分と自分の仲間でなんとかするということ学生時代に体験しておかないと、愚痴ばかり言って何の仕事もできない人間になってしまうのではないかと思うのだ。

習ったことを元に、未知の世界にある、何やらの正解をパッケージとして取り出す。勉強が足りないなら、自分でする。この考え方を身につけたものは、自分の人生がうまく行かないことを人のせいにすることはない。むしろ、うまく行かないことを自分の人生のチャンスと思うようになって行くことすらあると思う。

人類は、
「そんなもん、お前無理だって」
と言われることに挑戦し続けた人たちの、失敗の積み重ねの向こう側に、やっとたどり着いた結果の上に立っている。

空を飛ぼうとして、どれだけの人が馬鹿にされ、命を失ってきたことか。誰もやったことがないからできない? 違う。
誰もやったことがないことが、イコールできないではない。

誰もやったことがないから、成功するためのフィールドが用意されているということも言えるのだ。日本の小学校英語をどうするのか。立命館小学校の英語スタッフだって、最初から答えがあったわけではない。必要だから、走りながら、そう森を彷徨いながら答えを出してきたのである。

その森の中にいるときは、不安である。
出口が見えない。
見えないまま出口を求めなければならない。
時には、恐怖ですらある。
だが、森を抜け出すにはそこで藻がくしかないはずだ。
すると、ある時森は突然、出口を用意してくれる。

その格闘する姿を間近で見ることができた、実感することのできた今回の明日の教室であった。大きな学びだった。ありがとうございます。

2010/11/21

12/18 明日の教室のご案内 立命館小学校 岩下修先生

昨日の興奮もさめやらぬうちに、来月のご案内です。
立命館小学校の国語科の重鎮、岩下修先生です。
12/18(土)です。13:30から17:00です。

お待ちしております。
お申し込みは、こちらです。

http://kokucheese.com/event/index/6006/

なお、懇親会を大切にしている明日の教室です。
会場は、同じく京都橘大学で行います。
仕込みの関係で、懇親会の締め切りは少しはやくなっております。
12/13です。

忘年会となりますね。こちらの参加もぜひどうぞ。

2010/11/20

「かぎろひ」三景

11/20

東の野に炎(かぎろい)の立つ見えて かへり見すれば月傾きぬ

言わずと知れた柿本人麻呂の名歌(万葉集 巻第一 雑歌 48)である。中学生のときにこの歌を習った。なんとも壮大な景色が目の前に広がった。

もちろん、「巨人の星」のあの有名なシーン、大リーグボール二号を完成させた多摩川河原での、沈む月と昇る太陽のシーンは、この情景の「本歌取り」だったのかなんてことも思ったのは、今から思い出しても笑えるが。

で、この「かぎろい」である。古来さまざまな解釈がされていて、中には陽炎(かげろう)という解釈もある。しかし、これは柿本人麻呂がどこで、なんのためにこの歌を詠んだのかを考えると、違うだろう。

近畿に来て、とにかく石を投げれば歴史に当たるという環境にいられて、あれこれ現地に行くことができる。そして、この「かぎろい」についても現地があって、去年行くことができた。

その名も「かぎろひの丘公園」である。http://blog.goo.ne.jp/fineblue7966/e/33d9c183013cf40c81fa72ae73f38ce9

で、そのかぎろひである。
実際には何なのか。
今日の新聞の記事によれば、

http://www.asahi.com/national/update/1120/OSK201011190201.html

である。

引用開始 ーーーーーーーーーー

葉の人々の心打った「かぎろい」 広島・三原沖で観測
2010年11月20日7時7分
印刷
ブログに利用する


   

紺とオレンジのグラデーションが美しい「かぎろい」現象=三原市沖、全日写連の藤原敏明さん撮影
 万葉集にも歌われ、冷え込んだ夜明け前に東の空が赤く染まる「かぎろい」と呼ばれる現象が19日早朝、広島県三原市沖の瀬戸内海で見られた。竜王山(標高445メートル)の中腹から撮影した全日写連の藤原敏明さんは、「雲一つないベストコンディション。鮮やかな朱色が青みがかっていくグラデーションが、とてもきれいでした」と感動していた。
 広島地方気象台によると、この日の最低気温は福山市で3.1度、生口島(尾道市瀬戸田町)で6.4度、神石高原町油木で零下3.9度と今季一番の冷え込みだった。(広津興一)

Osk201011190203

引用終了 ーーーーーーーーーー

このかぎろひは、何も日本だけのことではない。
朝の静謐な時間に聞くのを最も好んでいるアルバム、パットメセニーの" A map of the world"のアルバムジャケットにも使われている。

41qcc23099l_sl500_aa300_

そして、その姿はこの季節、琵琶湖でも見ることができる。
明後日月曜日は、満月である。
柿本人麻呂のこの歌は、旧暦の11月であるからしてまだ先のことではある。

ではあるが、ま、気分は柿本人麻呂だな(^^)。

以下が、昨日の朝の琵琶湖の「かぎろひ」である。
クリックで大きくなります。

Img_6935

2010/11/18

卒論ゼミと実践記録を読むゼミ

11/18

昨日の夜は、9日ぶりにアルコールを体に入れる。もうThe Premium Malt'sが砂漠に撒かれた水のように身体の中に消えて行った。ま、体調が戻ってきたのはありがたいことだ。

いつもより30分ほど遅く起床。
すると、この景色だ。
金色に輝く琵琶湖。
なかなか凄かった。

写真をクリックして、大きくして見ていただきたい。

Img_6896

今日の授業は、卒論ゼミと実践記録を読むゼミ。卒論提出まで後一ヶ月となった今、学生が書いてくる卒論の一部を読みながらあれこれ指導する。

私の指導が不十分なのだろう。とんでもないものを書いてくるものがいる。論理的に繋がらないものを書いてくるのだ。活字で書かれているので、私の頭の中は「正しい文章」という構えで読み進めている。

ところが、読み進めると猛烈な違和感が襲う。頭に入らないのだ。学生が説明をしているのだが、頭に入らない。なんだなんだ、私が急に馬鹿になったのかと心配になる。もう一度卒論を読むと、論理の飛躍やパラレリズムの無視などがあり、文章になっていないことが判明する。

ああ、良かった。急に馬鹿になっていない。いや、良くない。こんな文章で書かれた卒論を提出されたら、こっちが参ってしまう。一つ一つ時間の限り指摘する。

他にも、残り時間から逆算してできるはずもないことをやると提案してきたり、ワープロの基本的な操作方法が分かっていないなど、びっくりするようなことがあったが、これに対応。

コンピュータの調子が悪いという学生には、
『とにかく再起動せよ』
と伝え、グーグルドキュメントの活用の仕方を教える。

コンピュータは忙しいときに限ってトラブルを発生させてくる。だから、二重、三重にバックアップを取り、それに対応できるようにデュアルの執筆システムを確保しておく必要がある。数多くのトラブルを見てきている私からすると、彼ら彼女らの対策は不十分に見え、どきどきものである。口を酸っぱくして言う。

『言ってしまえば、お金で買えるコンピュータやソフトは、無くなってもお金で解決できる。だが、あなたが書いているデータはいくらお金を出しても、買えません。しっかりバックアップです』

来月の今日は、卒論提出締め切り日の翌日です。

実践記録を読む二回生ゼミは、少し読めるようになってきた感じがする。実践記録の事実を丁寧に追いかけ、そこに問いを立てられるようになってきた。

問いが立つということは、その問いに対して仮説を立てられるということだ。事実の観察、問いの設定、仮説の提出。これができるようになることが実践では重要。まだ、実践の現場のない彼らには、実践記録を読み解くことを通してこのレッスンをすることになる。ここで力を育てる。

また一方で、彼らのフィールドワークの記録を読む時間も設定しているそれは、来週の授業で。自分の実践に問いが見つけられるようならば、自分の実践をメタで認識できるようになっているということで、一歩成長なのだ。

というか、自分の実践の意味を自分の言葉で語れる実践家はとても少ないと、千葉大学の藤川先生が昔言われていた。だから少ないのだろう。でも、自分の実践の意味を言語化できるというのは、教育実践を科学として考えるときには、きわめて重要なこと。なんとか身につけさせたい。

急に寒くなった研究室。足下ヒーターに電気を入れて、その後あれこれ仕事を進める。なんか目の疲れがあるな。

今日は早く帰って疲れを取ろう。

2010/11/17

大きな判断、大きな行動というものは、実は必要ないんだなあと思う

11/16

娘は朝機嫌良く起きてくるときと、そうでないときの差が激しい。今朝はまあ機嫌の良い方。

そして、「明日お人形作ってね」という寝る前の約束をしっかりと憶えていて起きてきた娘。記憶というか自己の統一性というか、凄いなあと思うよう。で、約束は守らなければならない私は、朝からティッシュボックスでお人形作り。工作なんてすっごい久し振りだ。

こうして、子どもによって親に育てられて行くのだろうなあと思う。

一緒に作っている最中に、自分の間違いを指摘され、それが分かったときに歌を歌って誤魔化そうとする娘。それはそれで可愛い。

大学に行く時間になった。今日は翌日の推薦入試のために前泊するので、娘とはちょっとだけ長いさよならだ。靴を履いて出かけると、エレベーターのところまで見送りに来るようになった娘。嬉しいなあ。

その後、駐車場から車が出てくるまで玄関で待っていてくれる。ゲートから出てくると大きな声で叫ぶ。

「いってらっしゃーい。気をつけてね!」
は良いのであるが、
「お菓子を、もし食べたかったら大学の研究室で食べてね‼」と。参ったf(^^;。マンション中に響く大声で見送られながら、大学に到着。

私が何者かが、マンション中に知れ渡ってしまう日もそんなに遠くはないかもしれない。

研究室のiMac27に接続してあるTimeMachine用の外付けHDの調子が今ひとつ。ユーティリティソフトで診断したら修復せよとのこと。やってみたら修復できないので消去してやりなおせとのこと。昔ならドキドキしながらだったが、今は随分安心してできる。

丸ごとバックアップをさせながら、出張に出かけることにする。

思ったよりも早くホテルについてしまった。MacBook Proは置いてきてしまったので、iPhone4であれこれやる。Bluetoothのキーボードは持ってきているので、入力はそれなりに快適。

昼間読んだ、@yamauchitaiji さんの、土井隆義先生の講演会に関する連続ツイートが面白かった。それについてあれこれ考える。

土井先生は、かの『友だち地獄』の著者である。講演会で、土井先生はかつての若者は価値観が同一の社会から抜け出そうとすることが、かっこ良いことだという時代があったという。

そして、いまは同一の価値観のない自由な中に若者はいるので、自由で不安であるという。だから、友達と群れるのだのようなことを言っていた。勉強が目的ではない日本の子どもの学校に行く理由。 友達と会うが理由の日本の子ども。だから、友達がいないとダメなのだ。

自由になった今、若者は自らが壁を作れることが格好いいこと、力のあることになったのかもしれない。もしそうだとすれば、若者の前に壁になって立つことは今の若者にとってはあまり意味がないのかもしれない。壁を作る乗り越えることが発達課題であった時代ならこれは意味がある。

しかし、壁を作る作ることが発達課題などだとしたら、大人の役割は壁を作るための広場を用意することかもしれない。広場にとりあえず人を集めることかもしれない。そんなことをふと思った岡山の夜。

その後、食事に。

岡山の瀬戸内海の魚と酒が私を読んでいるのは良ーく分かったのだが、風邪の薬を飲みきるまではお酒を飲まないという娘との約束を思い出し、我慢我慢。

もちろん破った所で、娘には全く分からないが、それはなんというかこちらの側のやましさになるような気がしてね。そういうやましさというのは、子どもに移るでしょ。

お父さんは、我慢しました。
ラーメンで凌ぎましたf(^^;。

大きな判断、大きな行動というものは、実は必要ないんだなあと思う。小さな判断と小さな行動からしか始まっていないのだ。ま、このぐらい良いかと許してしまうことが、大きな過ちに繋がるものだし、ここは少しだけやっておこうが、大きな結果につながって行くものである。

実に小さなことで、誰でもできるように思えることだ。だが、それは実に難しいことだ。毎日朝、一錠の薬を一年間欠かさずに飲むことがどんなに難しいか。簡単なことほどやること、やり続けることが難しい。

ここをやり続けることのできる人が、事を成すのだろうなあと思うのだ。ま、私だって10日ぐらいは断酒を続けることができたと、誰もいないホテルの部屋で、えっへんと自慢するのでありました。



2010/11/15

11月の明日の教室の二次案内 夕焼けもお待ちしております

11月の明日の教室の二次案内です。
今回も東京からの参加者がいらっしゃいます。
日本の小学校英語の最先端、最高峰を体験できることになります。

本物のシャワーを若い時期にたっぷりと浴びる。
専門とか、ジャンルとかはあまり関係ありません。
本物のシャワーを浴びることです。

それが、体に残った時次の何かが生まれます。
それは、本物を何らかの形で体を通してでしか生まれないものだと思っています。

お待ちしております。

http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2010/11/11120-staff-814.html

また、この時期、運が良ければこんな夕焼けを目にすることができるかも
しれません。
京都橘大学児優館は、夕焼けの名所でもあります(^^)。

P6160102

時系列で作った授業を、時系列で授業にかけるのは避けたい 古畑型の勧め

11/15−2

Rimg0064

四限は、模擬授業。今日は魯迅の『故郷』である。事前の指導では、故郷の過去と現在を比較し、「変わったもの」「変わらないもの」「変わったように見えて、変わっていないもの」を読み取らせるというものであった。

狙いはなかなか面白いものである。ではあるが、これがうまく行かなかった。なぜか。一言で言えば、時間管理がまずかった。生徒の発言に右往左往してしまう部分があったのだ。主たる発問が出てくるタイミングが遅すぎたので、生徒に余計な思考、もしくは不安を与えてしまったということになる。

私はかねてから言っていることがある。国語の授業を古畑型で作るべきだと。いや、すべてをとは言わない。しかし、コナン型で作られている授業が圧倒的に多い中、古畑型で作ることに挑戦するのは、意味があると考えている。

ちなみに、古畑型/コナン型の説明は、
http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2007/10/post_71d4.html
にある。

今回で言えば、
「故郷で、変わったように見えて、変わっていないものがあります。それはなんですか?」または、「故郷で、変わったように見えて、変わっていないものに○○があります。それはなぜですか???」のようにすれば面白かったと思うのだ。

実際に大学生を相手にした模擬授業でも、教科書に書かれている文言が、現在のことなのか過去のことなのか議論されているグループがあった。

また、生徒からは見えない授業のレールの上に生徒たちが乗りかかった場面があったのにも関わらず、授業のフレームを授業者そのものが理解しきれていないために、授業の表面だけを見ると子どもたちが私語を発しているというように見えるものもあった。

惜しい。

授業を作って行く時、コナン型で教材研究をするのは分かる。指導案を作るのは分かる。これは時系列で作れるので作りやすいのである。

しかし、時系列で作った授業を、時系列で授業にかけるのは避けたい。だらだらとした予定調和のような授業になる。無理矢理先生の言いたいことに導くような授業になる。

そうではなく、作った授業を構成し直すのだ。編集するのだ。そのときの一つの大きなヒントが古畑型なのだと考えている。

『よし、今日も飲まないぞ。お父さん凄いか?』

11/15

薬の利き目は凄いもので、咳は随分楽になった。鼻水もかむ回数はグンと減った。ただ、副作用で眠いのには参る。一日中眠い感じだ。

午後から娘にせかされて近くの公園へ。近くといってもちょっと歩いて行くには遠すぎるので、車で連れて行く。いくつかの遊具があり、紅葉もきれいな公園だ。

娘は私の子どもだなあと思うことはいくつかの場面であるのだが、遊び場に連れて行くとつくづく思う。それは、遊び方を習おうとしないことにある。私が教えてもだめなのだ。

娘は、じっと他の子どもの様子を観察し、その観察を終えると自分で挑戦する。習うのはダメで、自分であれこれやるのが好きなのだ。私は教師をしていて教えることを生業にしている。さらに教え方を教えているにも関わらず、習うのは苦手。自分であれこれやるのが好きなのである。    そこがそっくりである。

ああ、娘も効率が悪くて面倒くさい人生を選ぶのかなあと思うと、ちょっと可哀想。だけど、そっちの方が圧倒的に人生は楽しいと思うぞ。

で、娘は他の子がやっているのを見て、5歳の女の子が躊躇しているターザンロープに挑戦。軽々しくあらよってな感じでクリアしてしまった。怖いもの知らずとは恐ろしい。

だいぶ良くなってきた私は、アルコールに手を出したい。しかし、薬を飲み終えるまでは、飲まないと宣言しているので我慢、我慢。

『よし、今日も飲まないぞ。お父さん凄いか?』
と娘に聞く。
娘、暫く無言のうち突然笑顔で、
「凄過ぎ」
と。
あきらかに娘が凄過ぎである。

夜は日吉大社にライトアップされた紅葉を見に出かける。なぜか途中で電源が切れたり、通路の片側しかライトアップされていなくて残念であった。

ま、まだまだなのでもう一度出かけて楽しむことにしよう。

2010/11/13

チョークの持ち方等に関する連続ツイート

11/13

チョークの持ち方等に関する連続ツイート、まとめ。
初級、中級、上級に分けて説明しています。

■□■

リクエストもあったので、チョークの正しい持ち方等について連続ツイートしたい。なお、ここで言う「正しい」とは、板書をする際にしやすく、学習者から見やすいということを指す。先ずは、初級から。

初級では、自分の人差し指で黒板に文字を書くことをイメージするのが良い。手をグーにして、人差し指だけをのばして、その指で黒板に文字を書くイメージである。この人差し指の下にチョークを一本持つのである。人差し指の第一関節を黒板に押し付ける感じで書くのだ。

実際にやるとすぐに分かが、これで書くと線がどんどん太くなる。二、三行書いたら、書きはじめと書き終わりの文字の太さがバラバラで見にくい。これを防ぐために、二つのことを行う。1)チョークを研いでおく。チョークは円柱形だ。その円柱の角を黒板で削る。つまり研いでおくのである。

2)書きながらチークを回転させる。これが非常に肝要。初級というよりは基礎である。これは初級の者も上級の者もできなければならない技術。ただし、初級の者は、動きを止めて意識して行うがよい。指先で回転させて改めて黒板の上に添える感じだ。

チョークを研いで、回転させると安定した線の太さを保てるようになってくる。保てるようになると初級は及第である。ただし、念のため言うが、縦線、横線、回転の線、さらには表の長い線も安定して書けなければならない。

気をつけておかなければならないのは、チョークの上下である。チョークに上下があるのかと思うかもしれないが、あるのである。家本芳郎先生によれば、チョークは型に液状のチョークの元を入れて、熱して乾燥させて作る。乾燥したらひっくり返して取り出す。だから、出てくる方が幅が広い。

で、細い方が上のように思えるが、そちらにはチョークの粉の不純物が溜まるのである。細い方を下にして書くとその不純物が黒板に引っかかって、黒板が傷つき、さらにあの不愉快な音を発生させてしまうのだ。だから、上の確認は大事。

とまあ、このぐらいが身に付いて初級は及第というところでしょうか。中級、上級はまた時間を見つけてということで。なお、http://bit.ly/dc4tXa にシラバスではありませんがf(^^;ちょっとした授業の記録があります。

チョークの持ち方等に関する連続ツイート。中級です。ちなみに、初級は昨日ツイートしました。中級では、四つのことができることを目指しましょう。を、 NHKラジオ基礎英語講座のようになってきたぞ。

一つ目は、手首の回転です。初級者は、手首を回転して書くことはほとんどしません。というか、回転させて書くと線が安定しないので、書けないでしょう。ですが、ここに挑戦します。イメージとしては、手首から先が筆の毛の部分になった感じです。上下左右の四カ所を意識します。

二つ目は、文字の大きさです。これは初級にいれてもいいかなと思いますが、文字の線を安定させることが先と判断して、中級にいれてあります。板書の文字は大きく三種類と考えましょう。見出し、小見出し、本文。規準にするのは、あなたのチョークを持っている手です。

見出しは、グー4つ。小見出しはグー2つ。本文はグー1つ。この大きさで書くことを心掛けましょう。恐らく見出しをグー4つ分で書くと、子どもたちからは「大きすぎ!」という声が出るでしょうが、構いません。板書の字は、美しい文字を求めていません。

板書の字は、美しい文字ではなく読みやすい文字を必要とします。40人の子どもたちが教師のどこからでも一瞬で分かる文字です。そのために必要なのは、先ずは大きな文字です。クラスには弱視の子どもいます。ですが、弱視の子はそれをあまり知られたくないわけです。大きくて良いのです。

自分のグーを物差しにして、そのグーで隠れてしまう字を書いていないかどうかをときどきチェックしながら、本文を書きます。単純ですが非常に効果があります。

三つ目は、体の向きです。家本芳郎先生は、四分六の構えと言いました。板書は子どもへの説明のために行うものですが、ときに黒板に説明してしまう人がいます。そうではありません。子どもに体を向けます。その時の比率が、黒板に4。子どもに6ということです。

子どもの方に体を開いて書く。右からでも左からでもできる。そして、斜めから黒板に字を書きながら、尚かつ黒板の正面に向かって(つまり、十分0)で書いた時と同じような字が書ける。ここがゴールです。勿論、子どもの実態に合わせて、三分七とか、五分五というように変えていきます。

中級の最後、四つ目です。これはチョークの種類に拘るです。種類と色があります。種類は、通常青色でコーティングされている硬めのチョークと絹ごしの柔らかいタッチのチョークがあります。速記のときには硬めのものを筆の質感や絵を描く時等は絹ごしのものを使います。

さらにこれには太さもあります。通常のチョークの他に、極太もあります。http://bit.ly/9mbc6Z 子どもに受けます。さらにさらに、食べられる「チョーク」もありますが、これは極秘なので捜して下さい(^^)。

最後に、色です。基本は白と黄色の二色で行います。赤は色弱の子どもがいないことを確認してから使います。多くの色を使い、色ごとに意味を持たせて板書することもありますが、色を使うことに意識が行ってしまって内容が頭に入ってこない子どもたちが出ます。これは避けます。

また、多くの色を持ってこない子どももいますし、多くの色を使っているとチョークの持ち替えだけで時間のロスになります。二色でいきましょう。その際、変化を付けたいのであれば、籠字にするとか、アンダーライン、波線、四角囲いなどで付けることができます。

以上、チョークの持ち方等に関する連続ツイート、中級編を終わります。担当は、池田修でした。なお、http://bit.ly/dc4tXa も併せてお読みください。さて、次回は上級編です。これ以上何を?と思われるかもしれませんが、やります(^^)。

さて、チョークの持ち方等に関する連続ツイート。いよいよ最終回です。今日は上級編です。早く書いておかないとみなさん、忘れてしまうでしょうから(^^)。今日は三つのポイントと、練習方法についてツイートしましょう。

上級編の一つ目は、肘と肩の回転です。手首でチョークを回す感覚を掴めたら、それを肘や肩に持って行くようにしましょう。黒板に書かれる文字の線が伸びやかになって行きます。また、書いているときに余分な力が抜けるようになります。最初からこれをやると、文字が乱れてしまいます。

二つ目は、筆で書いたような文字を書くです。特に、ひらがなを筆で書いたような筆跡で書けるようになると、免許皆伝も近いです。これが書けるようになるためには、絹ごしチョークを使うのがいいでしょう。速記用のチョークでも出来ますが、絹ごしチョークでコツを掴むのが良いでしょう。

絹ごしチョークを使いつつ、今書いている線は、チョークのどんな角を作っているのかが分かってくるようになってきます。すると、次にどの角を使って書けば理想とする線が描けるかが分かるようになってきます。自分の持っているチョークで何が出来るのかが、瞬時に分かっていることです。

さらに、指先、手首、肘、肩、下半身の踏ん張り。これらがきちんと出来ていることも大事です。そもそも、板書は通常とはあり得ない角度で文字を書きます。90度腕を上げてかきます。本学の書道コースの学生たちは大学書道展日本一を7年連続ですが、それでも最初は全く書けません。

三つ目は、数種類のフォントを持つということです。三つぐらいはあるといいでしょう。つまり、丁寧に書くためのフォント、早書きのためのフォント、自分のメモのための(自分だけわかる)フォントです。もちろん、縦書きと横書きを変えたり、タイトルだけ隷書体にするとかもありです。

最後に、訓練方法です。二つあります。一つは、鉛筆を常用するということです。鉛筆は芯の部分が太く、そのまま書いていると線が益々太くなります。ですから回転させないと書けません。これがチョークの回転に多少繋がります。手で削った鉛筆だと角が分かりやすいので最初はこちらから。

私の授業では、板書課題を課しています。最初は自己紹介のときに必要な自分の名前。大きく書きます。これを掛かった時間と本人と一緒に写真にとって、学内のネット掲示板にアップします。これをいろいろな課題で最低15週間行います。この指導で初級通過を目指しています。

私がどうやってレッスンしたかと言えば、大学の書道の恩師の板書の文字です。その文字の上からなぞり書き(摸書)をしていました。そうすることで、チョークの動かし方などを"手探りで”理解していました。そして、見て(臨書)書いていました。実はとても効果的な練習方法です。

恩師の名前は木村東洋先生。天皇の祐筆をされていた先生です。『先生は、どうしてそんなに上手いのですか?』今から思えば失礼な質問をした私。先生は微笑んで「それは池田くん。年期が違うからねえ」と一言。そして、私は上記のように摸書を重ねました。

また、漢文の吹野安先生。先生が授業にいらっしゃる前に、私がその日のうちに習う部分の白文を黒板に書いておかないと、「全員、来年も頑張れ」と言い、本当に実行しそうになるので私は月曜の1限の30分前に教室に行って書き続けていました。今から思うと感謝です。

そして、それ以来書き続けて上達を目指して来たといことです。最後に、チョークの管理について。チョーク箱にいてれマイチョークを持ち歩くことが多いと思います。私は桐の箱(恐らく主たる使用方法は、名刺入れ)に入れて管理していました。チョークは乾燥しすぎても湿りすぎてもだめ。

適度な湿度を持ちつつ、ある程度乾いているのが良い。黒板は梅雨の時機の湿り具合が、私にはベストだったのでそれに合うように桐のチョークボックスで管理しつつ使っていました。ま、そんなことをしている人は他に見たことはありませんがf(^^;。

ということで、チョークの持ち方等についての連続ツイート初級中級上級編を終えたいと思います。最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

2010/11/12

卒業論文中間発表会のtwitter実況を終えた

11/12

twitter史上初めてではないかと勝手に思っている、「卒業論文中間発表会のtwitter実況」を終えた。

今年の「授業づくりネットワーク」で、野口先生と西川先生の対談があったときに、会場に参加しているみなさんが、一斉にtwitterをして、iPhoneやPCのタイムラインにあれこれが流れた。あの時の熱を覚えている。

学生の学びの途中の不十分な論文を、公開の場に流すというのはどうなのだろうか?と思うこともあった。何か意味があるのかと考えたこともあった。

しかし、質問を受け、批判され、それでも残るものが正当な評価を受けるということは、学生だろうがなんだろうが、論文である以上は必要なことである。

twitterを活用すれば、それが簡単に可能になる。
これは、現状の小中高校ではできない実践だ。
大学のゼミならではの実践だ。
学生諸君に、やるぞ!と宣言をしてやることにした。

会場には、プロジェクターとネットに繋いだPC。私のアカウントでtwitterに入って、ハッシュタグのページとRTのページを表示し、リアルタイムで反応を見る。

私は、学生のハンドアウトを見て、発表を聞いて、会場の意見を聞いて、twitterに書き込みをするということで、相当ながら族というか、マルチタスクというか、あれこれそれなりに大変であったが、できないこともないなと思った。

このぐらいの労力でできることであれば、年に一回どころかもっとやっても良いなと思った。もちろん、学生たちがツイートすることもさせなければならないと思うが。

事前に下回生にも伝えていたこともあって、3回生ゼミのみならず二回生も一回生も結構な数の学生が顔を出して、四回生の検討の様子をとても興味深く見ていた。

感想を言わせると、本当に良かったと言っていた。四回生も「今日来た後輩たちは賢いです。イメージをつかんで卒論に入った方が絶対良いです」と言っていた。

四回生のおかげで下回生が学べるのだから、四回生は正しい先輩のあり方を示すことができたかもしれないな。

そんなこんなで結果は、非常に良かったと思っている。
@でのコメントやRTのみならず、参考文献を教えてくださる方までいて、学生たちはとても喜んでいた。本当にありがたい。

当たり前のことだが、リスクを取って前に一歩踏み出すもののみが、得られる世界があるということなのだ。

Photo_2

当たり前のことであるが、論文を書くのは学生なので、私は、論文の目的と方向性の確認、テーマ限定の勧め、論証の文章になっているかの確認が指導の内容だ。そうそう、もう一つ。学生間の交流の促進も大事にしている。

これらの指導がうまく行けば、内容に関しては学生たちが頑張れ!だ。
卒論の仕上がりに期待したい。

2010/11/11

明日卒論中間発表会 #10schkでツイートします。

11/11

Img_6692

卒業論文提出まであと一ヶ月ちょっととなりました。(本学は早いのです)。学内の紅葉もきれいに色づいています。

さて明日、私のゼミでは一日中、中間発表会を行います。題目は下記の通りです。
この中間発表会を、twitterで簡単な実況をしようと考えております。

初めての試みなので、どうなるかまったく分からないことだらけなのですが、折角twitterという環境もあることですので、チャッレンジしてみようと思います。発表会場には、プロジェクターを用意しました。コメントをいただければリアルタイムで流したいと思います。

ハッシュタグは、 #10schkです。卒論はまだまだ不十分ですが、もしお時間が空いておりましたら、覗いてみてください。よろしくお願いいたします。

10 池田ゼミ 卒業論文中間発表会 スケジュール

1.9:00~9:30       「ライティングワークショップにおける、自立的学び手の成長について」
2.9:30~10:00    「若者言葉における否定的表現の特徴の研究」


3.10:00~10:30    「小学校現場におけるコミュニケーションティーチング」

~休憩10分~

4.10:40~11:10    「聞き方の指導についての研究」


5.11:10~11:40    「身体を動かすことが学力の向上につながるかどうかの研究」

~昼休み休憩~

6.13:00~13:30    「『学び合い』における最初の語りかけの研究」


7.13:30~14:00    「忘れ物指導の研究」
8.14:00~14:30    「叱らない教育の研究ー平井信義氏の叱らない子育てを中心にー」

~休憩10分~
9.14:40~15:10    「女の子同士のややこしさについての研究」


10.15:10~15:40    「読み書き障害を抱える児童への教育的支援の研究」

~休憩10分~

11.15:50~16:20    「ネットゲームにはまる子どもたちとどう向き合うか」
12.16:30~17:00         「学校におけるトイレ清掃の必要性」

以上

教室掲示の三原則

11/12

強い薬のお陰で、夜は随分と楽になった。ここで一日中寝ていることができればさらに良くなるのであろうが、そこはそれ、社会人。しかも、教育を教える教員。授業は余程のことがない限り休めない。

通勤の途中に近くの公園に立ち寄る。
朝日を浴びた銀杏が奇麗だった。

4_3

深呼吸を一つ。

学級担任論では、先週に続いて席替え。教室掲示。さらに、清掃について講じる。

教室掲示では、教室掲示の三原則を述べる。そのうちの一つの、カテゴライズについては、彼らの今までの学校、さらにはいまフィールドワークで入っている学校の事例を元に考察。

教室の前の壁を三つに分けて考えさせる。

1)黒板の左側
2)黒板の上
3)黒板の右側

それぞれに何があるのかを小グループで考えさせる。すると、

1)生活に関するもの
2)規律や目標や子どもの写真など、大事にしているものに関するもの
3)勉強に関するもの

と大きくカテゴライズされていることに気がつく。ほとんどの学校がこれになっていることに、学生たちは驚く。

その後、課題として「いわせんの部屋」「もぐらのさんぽ」のブログにある「教室改善プロジェクト」を見て、学んだことを書くことを課す。

学生たちは、本当に驚いていた。

自分たちの学んで来た環境は、こんなにも同じなのに、同じ小学校でここまで違うのかということに驚くのである。そして、それは教師と児童と保護者の創意工夫によって達成できるということにも気がつくのである。特に小学校の場合は、これが出来やすいのである。

彼らが将来どんなクラス環境を設計するのか、楽しみである。

その後、会議を二つ。
会議は失礼して帰ってこようかと思ったが、頑張って参加。

九時過ぎには就寝。
風邪、早く抜けきってくれえ。

2010/11/10

子どもの学びのスイッチが起動し、学習に向かうだろう

11/10

美しい朝だ。深呼吸を一つ。地球のエネルギーを体に入れよう。

3

しかし、この一ヶ月の症状の酷さは私が引いた風邪のうちでは一番だろうと思う。学生に「急性蓄膿症ではないですか?」と言われて、慌ててもう一度耳鼻科に行ってレントゲンを撮ってもらったぐらいだ。

結果としては極度の炎症ということで、風邪の症状の酷いのだということが分かったのだが、とても辛いものだ。鼻と喉だけではなく、頭が痛くなる。さらに、腹筋や腰までが痛くなるのだ。咳と痰と鼻水の為に。

今は強い薬で、筋肉痛の症状は治まっている。鼻も開通する時間が多くなり、咳の回数も減った。今週から来週にかけて忙しいので、治したい。

そん中、日曜日は娘が来年度からお世話になるかもしれない幼稚園の一つのバザーに出かけた。未知の世界が広がっていた。

文化祭なのだろう。親が出て来てあれこれ出店を手伝っている。そして、引き出物で貰ったものの使わないもの。さらには卒園したのでいらなくなった幼稚園グッズなどがバザーに出されていた。

私の顔は子どもに警戒心を与えない顔のようで、あちこちで子どもたちが寄って来た。一歳にもならない子どもから始まってあれこれである。確かに、高校の時の進路適性検査では、保母さんと出ていた。その頃には、保父さんという言葉がなかったので、保母さんであった。

一年ぐらいならしてみたいなあと思うこともあるが、まあ、今となってはそこが限界かもしれないな。

大学の授業は、模擬授業月間に入る。国語科教育法だ。事前に指導案指導をして、実際の模擬授業をさせる。30分授業、30分学生同士の検討、30分私の解説ということで行う。全てをビデオに録画して後ほど検討することもできるようにしてある。

トップバッターは、文法の模擬授業。形容詞と形容動詞の部分を行っていた。結果は、流れてはいるがメリハリの少ないものとなった。へーっ、日本語って、言葉って面白いなあ。なんでなんだ。という部分が弱い。機械的に覚えるというものになっている。

ところが、昨日伺った高校の古典の授業もその部分はあった。もちろん、授業のレベルは全然違うが、古典そのものの世界を味わうより、助動詞がどうなているのかということや暗記にポイントがあった。源氏物語の導入の部分であんな感じなのかとちょっと考えてしまった。

(へー、面白い)
(すごい、美しいなあ)
(なんでそうなるの?)

のような呟きを授業の中に生み出したい。特に単元の導入部分ではそこに力を入れるべきではないだろうか。

子どもたちが未知の領域について学び始めるとき、分からないからつまらないということではなく、分からないところに面白さがあるということを実感させるような導入を考えたい。

そこがうまくいけば、子どもの学びのスイッチが起動し、学習に向かうだろう。

今飲んでいる薬は、眠気を催すものとのこと。
今週はいつも以上にボーットするところがあるやもしれん。

気をつけて行こう。

2010/11/07

11/20 明日の教室のご案内 立命館小staffによる小学校英語

2

昨日は、旧暦の10/1でした。神無月になりました。日本中の八百万の神たちは、出雲に集まって来年のあれこれについて、話し合いを始めました。

私たちも来年度のことを考えましょうか。

なお、京都駅から大学構内への直通バス路線が開通しました。どうぞご活用ください。最速24分、300円です。

時刻表です。

ご案内からの引用です。

引用開始 ーーーーーーーーーー

11月の「明日の教室」は、英語教育です。
来年度の4月から、公立小学校でも完全実施となります。

私が立命館小学校に赴任する前の公立小学校でも、英語教育をどうするかが、大きな問題となっていました。たぶん、今も研究しているはずです。

公立小学校では、小学校での英語は、「エンジョイ・イングリッシュ」と称されます。
やたらと、教えちゃ駄目が、強調されます。
そして、コミュニケーション能力を高めますなどと、声高に叫ばれています。

何やら、一昔前の、生活科が導入される頃を彷彿させます。

こんなのでいいのかなあ・・・・。
子ども達の英語力を高めたいなあ・・・・。
そんな風に思っている教師も多いと思います。

そこで、今回は、立命館小学校の英語科担当の先生4名に講師として御登壇いただくことにしました。
立命館小学校では、1年生から英語の授業が始まります。
私は、6年生を担任しているのですが、子ども達は英語が大好きですし、何よりも、その英語力の高さには驚かされます。
高学年では、子ども達が自主的に英検に挑戦し、驚くほどの成果も出しています。

では、どのような授業を続けることで、このような成果を出すことができるのでしょう。

今回は、まず、立命館小学校の英語指導の概要や授業展開で心がけていることを説明していただきます。
次にデジタル教材やカード、自作プリントなど多様な教材・教具を用いながら、学年が上るごとに一つのテーマがどのように肉付けされていくのかを模擬授業形式で紹介してもらいます。
最後にティームティーチングの効果的手法についても、これまでの実践を通して紹介していただきます。

参加費は、一般2000円、学生1000円、苦学生要相談です。
なお、懇親会は、大学内の会場を予定しています。懇親会の申し込みの締め切りだけ速くなっております。11/16です。よろしくお願いいたします。

以下、御登壇いただく講師の先生の紹介です。

松尾由紀
大学院修士課程で英語教育について学ぶ。立命館小学校英語専科教諭3年目。インプット中心の授業展開で、児童の聞く力を伸ばすティームティーチングの方法を研究。現在6年生を担当し、小中連携を視野に入れたカリキュラム開発に取り組む。

岡本織華
2005年の立命館小学校立ち上げ時から英語カリキュラム構築に関わり、同校にて勤務6年目。どの学年でも児童同士の交流活動を重視し、英語で行う教科横断型活動の開発に日々取り組む。

三ツ木由佳
大阪府の公立中学校勤務を経て、2005年の立命館小学校立ち上げ時から英語のカリキュラム開発に携わる。大学院修士課程では、小学校英語における児童の発話分析による英語理解をテーマに研究。聞く力を土台に4技能を伸ばす授業を心がけている。

ジェフリー・エルドレッジ
滋賀県の公立学校でALTとして勤務し、2006年から英語専科教員として立命館小学校に勤務。現在Apple Distinguish Educatorとして、英語の授業における効果的なICT活用法を研究している。

お待ちしております。

引用終了 ーーーーーーーーーー

お申し込みは、
http://kokucheese.com/event/index/5700/
です。

2010/11/06

教育実習生の授業を見ていて共通して弱いと感じるのは

11/5

午前中に教育実習訪問で、宇治西に向かう。高速とバイパスを乗り継いで順調にいったものの、ICを下りたら大渋滞。まずいと思って、裏道に入ろうとする。
(あ、ちょっとハンドル角がやばいかな?)
と思った予感が当たって、ガリリとやってしまう。
悲しい。
おいくらだろうか?

ではあるが、研究授業開始には間に合い、じっくりと見る。その後、1時間ほど校長室で学生の指導。

一つ一つおかしな部分とその改善策について考えさせて、講じる。教育実習生の授業を見ていて共通して弱いと感じるのは、素材研究、教材研究の甘さの他に、

1)授業の構成の平板さ
2)ワークシートの作り込み不足
3)呟きの聞き漏らし

がある。これらの三点に共通しているのは、「これで行けるだろう」という思い込みがあるように思える。実際、授業は進むのである。ほとんどの授業は時間内に、指導案のように進むのである。

しかし、それは教師の描いたシナリオの中に無理矢理流し込んでいる感じが否めない。授業の中で起きた事実を、授業の中に落とし込んで行く、さらには次の授業、他の授業に発展させて行くという営みが出来ない。

確かに、まだ三回生の後期だ。
だが、いま厳しく指摘しておかなければ、この後は伸びにくい。誰が言う? そりゃあ、私の役目だ。ガシガシ言う。

そうしたら、
「いや、京都橘大学の児童教育学科の本気さが、よーく分かりました」
と校長先生と教頭先生に言われてしまった。
「ここに、うちの若い教員も一緒に話を聞かせたかったです」
とまで。

なんか分かって下さったのだなあと思えて嬉しかった。

その後、大学に戻る。やるべき仕事がたくさんある。幸いにして、京都は新しい道がどんどん出来ていて、スムーズに帰ってこれた。京都駅の南側から山科に向けて有料ではあるが、トンネルが出来たので極めて便利なのだ。

このトンネルが出来たお陰で、京都駅から本学まで直通のバス路線が開通したのだ。これは便利になった。明日の教室にいらっしゃるみなさん!どうぞご活用ください。時刻表です。l

で、いろいろやるべきことがある中でも、火急のものを書き出して取り組む。8つあった。が、なんとか完成。

とても嬉しかったのは、私のことをあれこれ叱咤激励して下さる方からシラバスの書き方や、Macの共有設定しながらのコピーの取り方などのアドヴァイスを頂けたことだ。

本当に、幸せ。ありがたいことだ。
こんな風に思いながら仕事ができるなんてねえ。

感謝、感謝だ。これをどう恩送りして行くかだな。

帰宅後、平城京跡まで出かけていた奥さんと娘のあれこれを聞く。なかなか激しい一日だったようだ(^^)。

私も激しい一日だったので、話す方と聞く方と交代交代でなかなか大変であった。

これで風邪が治ればねえ。

2010/11/05

"BIWAKOビエンナーレ2010"

11/1

ディベートでお世話になっている青木さんの娘さんが、近江八幡で作品を展示するというので、出かけて行った。

近江八幡は、京都から新快速で30分ぐらいのところにある、歴史の残る美しい町だ。いまでも江戸時代のドラマの撮影によく使われている。

その近江八幡の古い町並みや家屋を使っての作品展示が行われる。"BIWAKOビエンナーレ2010"である。

http://www.energyfield.org/artist/aoki_mika.php

大学での授業が終わってから名神高速道路を走って到着。展示の時間は終わっていたのだが、少し延長してもらってみせていたくことに。

見事であった。
写真を撮っても良いということであったので、好きに撮らせていただいた。

なんだろうなあ。
光を空間に配置するにはどうしたらいいのかと、造形のアーティストはあれこれ考えるのであろう。そして、その素材として絵、彫刻、陶芸、造形とあれこれするのだと思う。青木さんは、その素材にガラスを選んでいる。

私はその光を収めたガラスの作品から、新たな光を取り出そうとあれこれやってみた。プロの作品とコラボしたなんていうとおこがましいが、それはそれ、好きにしていいということなので好きに撮らせてもらった。

いくつか紹介する。

Imgp5554

Imgp5556

Img_6133

その後、青木ご夫妻と食事。
そこでさらに驚きの事実。
村上龍氏の最新刊『歌うクジラ』の装丁にも娘さんの作品が使われていることを教えていただいた。

いやあ、すごい。
そのうち、写真を撮らせてもらえなくなるなあf(^^;。

命の洗濯をし、エネルギーをいただきました。
ありがとうございました。

なお、"BIWAKOビエンナーレ2010"は、11/7まで開催しています。

2010/11/03

正月はさらに元気になってくれているだろう

11/1

親から電話があった。妙にテンションの高い父親の声であった。
「親孝行の息子のお陰で、楽しい旅行が出来ています」
と言っている。

最初はなんだか分からなかったが、どうやら私の私学共済の家族割引で旅行をしているとのことだった。毎年カタログを送っているのだ。そのぐらいの親孝行なんて安いものだ。

父は、一年前に心臓のバイパス手術をした。そして、目の手術もした。体がだいぶ弱って来たなあという思いもしていた。が、この電話の声は、5年ぐらい前の元気な声であった。

「親の元気な声を聞くと嬉しい」

という言い方があるが、実はあまりこれについて実感することはなかった。だが、今回のこの電話は嬉しかった。

「親孝行のお兄ちゃんのお陰で、良い旅行が出来ています。一年半ぶりです」

久しぶりのアルコールであろう。それもあって本当に声のテンションが高い。

正月はさらに元気になってくれているだろう。

2010/11/02

メール返信遅れます。

すいません、だましだましやって来たのですが、ダウンします。
明日の二限の授業に備えて、今日はもう寝ます。
返信しなければならないメールが多くあるのですが、ちょっと遅れます。
よろしくお願いいたします。

おやすみなさい。

« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »

2022年3月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31