教育の仕事は、種をまく仕事だと言われることがある
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大学に向かう途中、滋賀と京都の山々は美しい紅葉に溢れ、生きて行くエネルギーをくれる。
(なんでこんなに美しいのか)
と私は考えるが、こんなことを考えないのが、若さかもしれない。
山には種々の落葉樹があるからこんなに紅葉があるのであるが、この落葉樹は自然に育ったものではなく、植えられたものであるという当たり前のことに、加齢とともに気づくのである。
この山の美しさは、自然のように見えて、実は人工なのである。実は、管理された美しさなのである。
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いや、管理された美しさが悪いということを言いたいのではない。私たちが出合っている自然というものは、殆どの場合、管理された自然である。それに気がつかないことを私は恐れているのである。
そして、自分が見ることにはならないであろう、この山の美しさを後世のために残してくれた先達の思いに心を馳せないことを恐れるのである。
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教育の仕事は、種をまく仕事だと言われることがある。子どもたちの心の中にいろいろな種をまく。最大の種は、豊かな人生観の種だろうか。その種はやがて発芽し、花を咲かせ、実を結ぶだろう。
しかし、教師は殆どの場合、発芽までは一緒に時間を過ごすことはできるが、その後の場面に立会うことはほとんどできない。それでも、子どもが花を咲かせ実を結ぶ日を迎えることを信じて、楽しみにして、教育という営みをするのだと思う。
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滋賀、京都の山に先達が残してくれたこの美しさを見ながら、
(さて、私は次の世代に何を残して行けるだろうとか)
と改めて思うのだ。
んなことを考えて、二限の学級担任論の授業に向かうのでありました。
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