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2010/11/18

卒論ゼミと実践記録を読むゼミ

11/18

昨日の夜は、9日ぶりにアルコールを体に入れる。もうThe Premium Malt'sが砂漠に撒かれた水のように身体の中に消えて行った。ま、体調が戻ってきたのはありがたいことだ。

いつもより30分ほど遅く起床。
すると、この景色だ。
金色に輝く琵琶湖。
なかなか凄かった。

写真をクリックして、大きくして見ていただきたい。

Img_6896

今日の授業は、卒論ゼミと実践記録を読むゼミ。卒論提出まで後一ヶ月となった今、学生が書いてくる卒論の一部を読みながらあれこれ指導する。

私の指導が不十分なのだろう。とんでもないものを書いてくるものがいる。論理的に繋がらないものを書いてくるのだ。活字で書かれているので、私の頭の中は「正しい文章」という構えで読み進めている。

ところが、読み進めると猛烈な違和感が襲う。頭に入らないのだ。学生が説明をしているのだが、頭に入らない。なんだなんだ、私が急に馬鹿になったのかと心配になる。もう一度卒論を読むと、論理の飛躍やパラレリズムの無視などがあり、文章になっていないことが判明する。

ああ、良かった。急に馬鹿になっていない。いや、良くない。こんな文章で書かれた卒論を提出されたら、こっちが参ってしまう。一つ一つ時間の限り指摘する。

他にも、残り時間から逆算してできるはずもないことをやると提案してきたり、ワープロの基本的な操作方法が分かっていないなど、びっくりするようなことがあったが、これに対応。

コンピュータの調子が悪いという学生には、
『とにかく再起動せよ』
と伝え、グーグルドキュメントの活用の仕方を教える。

コンピュータは忙しいときに限ってトラブルを発生させてくる。だから、二重、三重にバックアップを取り、それに対応できるようにデュアルの執筆システムを確保しておく必要がある。数多くのトラブルを見てきている私からすると、彼ら彼女らの対策は不十分に見え、どきどきものである。口を酸っぱくして言う。

『言ってしまえば、お金で買えるコンピュータやソフトは、無くなってもお金で解決できる。だが、あなたが書いているデータはいくらお金を出しても、買えません。しっかりバックアップです』

来月の今日は、卒論提出締め切り日の翌日です。

実践記録を読む二回生ゼミは、少し読めるようになってきた感じがする。実践記録の事実を丁寧に追いかけ、そこに問いを立てられるようになってきた。

問いが立つということは、その問いに対して仮説を立てられるということだ。事実の観察、問いの設定、仮説の提出。これができるようになることが実践では重要。まだ、実践の現場のない彼らには、実践記録を読み解くことを通してこのレッスンをすることになる。ここで力を育てる。

また一方で、彼らのフィールドワークの記録を読む時間も設定しているそれは、来週の授業で。自分の実践に問いが見つけられるようならば、自分の実践をメタで認識できるようになっているということで、一歩成長なのだ。

というか、自分の実践の意味を自分の言葉で語れる実践家はとても少ないと、千葉大学の藤川先生が昔言われていた。だから少ないのだろう。でも、自分の実践の意味を言語化できるというのは、教育実践を科学として考えるときには、きわめて重要なこと。なんとか身につけさせたい。

急に寒くなった研究室。足下ヒーターに電気を入れて、その後あれこれ仕事を進める。なんか目の疲れがあるな。

今日は早く帰って疲れを取ろう。

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