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2010/11/22

すると、ある時森は突然、出口を用意してくれる

11/20

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明日の教室は、立命館小学校の英語スタッフ四人による講座であった。実に良かった。本当に。手前味噌になるが、明日の教室に来ていただく講師の先生方はとても良い。

今回の講座で何が一番良かったのかというと、私は講師が藻がいている姿を見せてくださったことだと思う。

講師をすると分かると思うのだが、講座というのは基本的には完成した理論や実践を元に、そこの部分を伝えることが多い。そもそも中途半端なものは出せないし、開発の途中に何があったのかなんてことはあまり語らないことが多い。

ではあるが、私はそこが大事だと思っている。実践は、「子どもと教師」の関係で行われる。どんな子どもがいて、どういう教師のどんな指導があったのかで決まる。だから言ってしまえば、結論だけ聞いてもダメなこともある。

私はかつて『月刊国語教育』(東京法令 2001年9,10,11月号連載「対義語でポン!」)という原稿で、このことを論じたことがある。出来上がった教材ではなく、その教材が出来上がるまでの教師と子どもとの関わりはどうだったのか。何が問題でそれをどう解決しようとしたのかということが大事だと考え、その過程を書いた。

この日の立命館小学校の英語スタッフのみなさんは、「森の中を彷徨っていた」と話されていた。「出口はどこかと失敗を重ねながら彷徨っていました」と話されていた。

もちろん、この講座ではそこから得られた基本的な考え方を元に、具体的な授業の場面で説明がされていた。例えば、

・チームティーティングでネイティブと日本語の教師の関係は次の三つのうちのどれが正しいか。
・子どもたちが思わず使いたくなってしまう英語のスキットの開発はどうしたらいいのか。
・たくましい耳を鍛えるためにはどうしたらいいのか。

などである。具体的な内容については、発売されるDVDをみていただきたい。とにかく、どうしたらできるようになるのかという格闘の形跡と成果を3時間半で余す所なく語って頂いたのであった。

今回はうちの二回生の学生たちも多く参加していた。私は、学生たちに、英語をどう指導するのかということよりも、どう課題に向き合って行ったのかということを学べるすばらしい機会になったのではないかと思っている。

straggleというかscuffleというか、大の大人が藻がき苦しみながら前に進んだ姿を、間近に見られたことが大きいと思っている。

学生たちは、大学受験や採用試験までは

1)試験範囲のある中で
2)習ったことを前提に
3)できる部分を優先的に解く

という試験の受け方を指導されてきている。私も受験指導を行う際は、そのようにしてきた。

高校入試や大学入試で必要なのは合格点であって、満点ではない。だから、問題の傾向を考えて出る部分を勉強し、試験ではできる部分から問題を解き、合格に必要な点数をかき集める。解けそうな問題から取りかかるのである。

ところが、仕事に就くとこれがまったく逆になる。

a)試験範囲のない所で
b)やり方なんて教わることなく
c)誰もやっていない部分について解く

ようになるのだ。

私は教員の中にも
「そんなものは大学で習っていないからできない」
とパソコンの扱い方やディベート指導でこのように文句を言うのを聞いたことがある。だから、学生が「習っていないからできない」という言い方をするのも分からないではない。

だが、それが正しいことではないことも分かっている。

『習っていない? そうじゃあ、勉強してやりなさい』
『分からない? そうじゃあ、分かりなさい』
『できない? そうじゃあ、できるようになりなさい』

なのである。この指導を通して、自分と自分の仲間でなんとかするということ学生時代に体験しておかないと、愚痴ばかり言って何の仕事もできない人間になってしまうのではないかと思うのだ。

習ったことを元に、未知の世界にある、何やらの正解をパッケージとして取り出す。勉強が足りないなら、自分でする。この考え方を身につけたものは、自分の人生がうまく行かないことを人のせいにすることはない。むしろ、うまく行かないことを自分の人生のチャンスと思うようになって行くことすらあると思う。

人類は、
「そんなもん、お前無理だって」
と言われることに挑戦し続けた人たちの、失敗の積み重ねの向こう側に、やっとたどり着いた結果の上に立っている。

空を飛ぼうとして、どれだけの人が馬鹿にされ、命を失ってきたことか。誰もやったことがないからできない? 違う。
誰もやったことがないことが、イコールできないではない。

誰もやったことがないから、成功するためのフィールドが用意されているということも言えるのだ。日本の小学校英語をどうするのか。立命館小学校の英語スタッフだって、最初から答えがあったわけではない。必要だから、走りながら、そう森を彷徨いながら答えを出してきたのである。

その森の中にいるときは、不安である。
出口が見えない。
見えないまま出口を求めなければならない。
時には、恐怖ですらある。
だが、森を抜け出すにはそこで藻がくしかないはずだ。
すると、ある時森は突然、出口を用意してくれる。

その格闘する姿を間近で見ることができた、実感することのできた今回の明日の教室であった。大きな学びだった。ありがとうございます。

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コメント

教材ができあがるまでのプロセスは重要だし、実に面白い部分でもありますよね。以前、国語教科書を編集していましたので、それを痛感します。
ひとつの教材が生まれる経緯はもちろん、外される経緯も、きっと先生方には興味のある部分だろうと思われますが、教科書編集者と先生方って、驚くほど接点が少ないですよね。

ぼくなんか、以下のことを語り出したら1時間は話せますよ。
○宮澤賢治の「やまなし」で、「黄金」という漢字に「きん」というルビが振ってあることについて
○「しっぽのやくめ」が無くなった理由
○「ずうっと、ずっと大すきだよ」が採用された理由
○5年生の教材だった「田中正造」を巡る四方山話

これは、例の企画で出版化しませんか?
それはそれでとても面白いと思うのです。
私は読みたい(^^)。
よろしくお願いいたします。

池田先生、コメントありがとうございます。
しかしながら、オフィシャルには伝えてよいものかどうか、不安な部分が多数ございます。上記の話題は、今度飲み会の席でご披露させていただきます(笑)。

それにしても、この記事のタイトルは美しい言葉ですねえ。「すると、ある時森は突然、出口を用意してくれる」
本当に、そう思います。今、森にいるだけに。

>>しかしながら、オフィシャルには伝えてよいものかどうか、不安な部分が多数ございます。

歴史の証人として必要ではないかなあとは思うのですが。

>>上記の話題は、今度飲み会の席でご披露させていただきます(笑)。

では、事前に伺う栄誉を(^^)。

>>それにしても、この記事のタイトルは美しい言葉ですねえ。「すると、ある時森は突然、出口を用意してくれる」

ありがとうございます。
私も何度も森の中で彷徨っていましたので、実感のあることなんですf(^^;。

森から出られますよう、お祈りしています。

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