« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »

2010/12/30

「さて、私の草履はどこにいったかね?」

12/30

Img_1265

なぜだか知らないが、頭の中に昔読んだ笑い話がずっと浮かんでいた。今日の午前中だった。

明治の文明開化のときに、陸蒸気(蒸気機関車)に乗ったオバアさんの話だ。そのオバアさんは、陸蒸気に乗るときに、草履を脱いで乗りこむのである。そして、下りるときに、

「さて、私の草履はどこにいったかね?」

と聞くという話である。たぶん、小学校のときに読んだ話だ。

小学生の私は、(馬鹿だなあ)と思った。(そんな、当たり前じゃないか。乗ったところと、下りるところは違うんだから。落語の話にもそんなのあったけど、馬鹿な人はいるんだなあ)のようにも思っていたと思う。

だが、馬鹿だなあと言い捨てきれるものでもない、何かが残っている違和感もあった。小学生の私には言語化できないなにかだ。

正月のあれこれの買い出しに、東京の私の街である聖蹟桜ヶ丘近辺をうろうろする。とても利便性の高い街で、どこになにがあるのかさっと分かるし、大概のものは手に入るので動きやすい。

それが終わってから、ちょっとだけ家を見に行った。というのは大規模修繕が終わって奇麗になったからそれを見ようと思ったのだ。

ショックを受けてしまった。
我が家からは夏の花火大会の打ち上げ場所がよく見えていて、仲間たちと花火を見ながら宴会をするのが何よりの楽しみであった。

ところが、隣のアパートが立て替えをして、平らだった屋根が三角屋根になったせいで、その打ち上げの場所が見えなくなってしまったのだ。たった1mぐらいの高さなのだが、それで見えなくなってしまった。勿論、花火は上に上がるので見えるし、非常階段に出れば大丈夫なのだが、家からは打ち上げ場所は見えなくなってしまった。

さらに、リビングの出窓のところから見える、公園の桜の木が、なぜか知らないが根元からバッサリと切られてしまっていた。

山桜で少し時機を送らせて満開になってくれるこの桜を、私は自主的にライトアップしてマンションのみなさんに楽しんでもらっていたのだったが、これもバッサリであった。

かなりショックである。
勿論、この二つがなくなっても、このマンションの良さには何も影響はない。いま借り手が入れ替わっていて、開いているがすぐにまた借り手もつくはずだ。

が、小さな変化でこんなにも心が違うのかと思った。

(ああ、そうか。そういうことか)

私は、陸蒸気に乗るときに草履を忘れたオバアさんのことを思い出した。

私は五年前に京都に職を得て、滋賀の琵琶湖の畔に家を求めた。そうなのだ。私の「陸蒸気」は、動き出したのだ。

確かに、聖蹟桜ヶ丘の家は、そこにある。しかし、五年前に見た光景を求めても、それは無理なのだ。「草履」は求めても、手に入れることは出来ないのだ。

あのオバアさんを笑うことは簡単。しかし、小学生のときに笑いきれなかったのは、そこに、実は人間の業を見ていたのかもしれない。ただ、それは幼すぎて言語化できなかったのだろう。

「さて、私の草履はどこにいったかね?」

もちろん、今は私の「草履」がどこにあるのか、分かる。

印象 日の出

で、東京に向かう日の朝、いつものように朝を撮影した。その写真をネットに公開したら、コメントを頂いた。

「モネの、『印象 日の出』です!」

と。

ああ、そうか。
どこかで見た構図、色遣いだなあと思っていたら、モネだったか。

いかがであろうか。
確かに似ているかもしれない。

Img_1071

Img_1248

琵琶湖、なかなかやるわい(^^)。

赤富士

12/29

486キロを駆け抜けて東京に戻って来た。高速道路は、西に行く道は渋滞。東に行くのは、ほとんど渋滞なし。

ではあるが、いろいろとトラブルがありながらの帰省。本当は明るいうちに到着の予定だったが、暗くなってしまった。

ところが、その暗くなることが次のプレゼントを用意してくれていたとは。

途中、東名高速道路の富士川SAで美しいものを写真に納めることができた。「赤富士」である。静岡県内に入って富士山が見えるようになって、

(うわあ、間に合うか?)

と思いながら運転をしていた。赤富士のタイミングは非常に限られている。ほんの数分で消えてしまうはずだからだ。

だが、なんとか間に合った。iPhoneと一眼レフで撮りまくる。たくさんの荷物を積んだ325iなので、一眼レフを取り出すのに一苦労したのだが、なんとか間に合った。

時間にして10分あるかないかだったと思う。富士山の雪の部分を夕日が染めていて、夕日がだんだん沈むことによって富士山の赤の部分が空に逃げて行く時間は。

逃げる直前にカメラを構え始めて、撮り続けた。

6

トラブルに巻き込まれなかったら、あと数分遅れていたら、この光景を目に納めることは出来なかった。

偶然なのは分かっている。
だけど、ありがたいことだ。
一年の終わりにこんなプレゼントをもらえるなんて、感謝だ。

みなさま、良いお年をお迎えください。

7

2010/12/28

この幸せってやつを説明するのは、なかなか難しい。

12/27

Img_0972_2
(写真左から、比叡山、比良山、琵琶湖)

ここに来て娘(3)がグンと成長している。語彙が増えたこともある。「お父さん、寅年だよね」なんて突然言い出す。が、なんといっても「嘘」を付けるようになって来ている。

嘘は、現実をきちんと認識していないと出来ない。現実は何か。そして、それはどのような文脈の上に成り立っているのかを理解できていないと、嘘はつけない。

勿論、まだその嘘はすぐにばれる嘘である。ひょっとしたら嘘をつくというよりは、単に失敗や恥ずかしいことを隠しているだけかもしれない。だが、それは凄いなあと思う。まだこの世に生まれて3年なのだから。

昨日娘はジャスコの玩具売り場で、自分が遊ぼうとして準備をしていた遊具を、横から入り込んで来た子に取られそうになり、不愉快な思いをしたらしい。その事を聞いた私は、お風呂でどんなことがあったのか、聞こうとした。

すると、
「◎◎ちゃん、知らない」
と答えるではないか。勿論、知っている。
『本当? 教えてくれる?』
と聞いたところ。しばらく経って
「お父さんには言われたくない」
と言うではないか。

おい、君は本当に3歳だよな。
13歳ではないよなf(^^;。

奥さんと「坂の上の雲」の話をしていた。
私は本で読んでいて、テレビはまだ見ていないのだが、ストーリーがだいたいいまどの辺りにあるのか分かる。それであれこれ話していた。
すると、

「まったく高級な話をしているねえ」

と娘。
いや、会話に加わりたいのは分かるが、そういう加わり方をするか?

『ぴっけやまのおならくらべ』が大好きな娘。単語の後に「ぷっ」という言葉を付けて話すのが楽しい。
「おとうさんが、ぷっ」
「ビールが、ぷっ」
「机が、ぷっ」
てな感じである。

そこで私も一緒にあれこれ「ぷっ」と付けて話す。
するとあるものに「ぷっ」と付けて話したところ、

「今のは面白くない」

と冷静に反応されてしまった。
ああ、関西の血がもう既にしっかりと流れている。

文字に興味を持っている娘。自分の知っている単語をカードに書いてほしいというお願いは続いている。

「狸」「鞠」辺りはまあ大丈夫。だけど「栗鼠」「蝙蝠」は辞書を見て。さらに「大猩猩」になると、まったくわからない。ちなみに、「大猩猩」は「だいしょうじょう」と読む。ゴリラのこと。

一枚一枚100円ショプで買って来たポストカードに、大きく書いてあげる。じっと見ている娘。すると、

「お父さん、字がうまいね」

との言葉。ま、確かに人様よりも多く字は練習しているけど、なんで上手いって分かるの?

ちなみに、娘は最初に覚えたひらがなは「し」。
「鹿のし!」と言って覚えている。
『そうだよ、でもね、幸せのしでもあるんだよ』
「幸せ?」
『そうだ、幸せ』
この幸せってのを説明するのは、なかなか難しい。

極めつけ。

「お父さん、たくさん食べていますか。お父さんいつも体に気をつけて元気でいてくださいね」

と食事の際に、私を見ながら話す。それでもって、体を擦り寄せてくる。たくさん怒ることもあるお父さんなのに。ううう。

この幸せってやつを説明するのは、なかなか難しい。

2010/12/27

授業を作る時の三つの観点

Img_0917

授業を作る時あれこれ考える。あれこれ考えるが、最近では目標を設定した後、以下の三つの観点で考えると良いのではないかと思い始めている。備忘録として、簡単に纏めてみる。

予め結論を述べれば、その三つの観点とは、

1)原則
2)実態
3)スタイル

である。

(1)子どもたちが授業で蹴躓いている時、その理由を問うとここに三つの理由があることがわかる。すなわち、a.つまらない b.分からない c.できないである。

そうだとすれば、原則は実に簡単である。a.つまらないを面白いに、 b.分からないを分かったに、 c.できないをできたに変える授業を作れば良いのである。これが原則だと考えている。

(2)もちろん、この原則を理解したら授業が出来るかと言えばそんなわけがない。次に押さえるのが、実態である。実態はこれも三つある。a.子ども b. 教師 c.環境 である。

とくに、aについては重要だ。子どもがどんな実態なのかを理解することなく、目標に向かって授業を進めても効果は殆どない。子どもの事実をしっかりと把握することだ。理解の程度、関心事などだ。ここがずれると良い教材が用意できない。これは5W1hを使いながら確認して行くのもいいだろう。

さらに、b.に関しては教師である自分が出来ること、好きなこと、得意なことも理解しておく必要があるし、c.実践の現場がどんな環境にあるのか、学年教員集団、職員室、地域社会なども視野に入れておく必要がある。

(3)そして、授業の方法である。通常授業のスタイルも三つあると考えられる。a.講義 b.問答 c.ワークショップである。一つのテーマを扱う時、この三つのうちのどのスタイルが一番適しているのかを考える。1時間の授業全体をa.で行く。または部分でa.b使い分けるなど考える。

ご案内のように、授業中の指導言には イ.説明 ロ.発問 ハ.指示の三つがあって上記のa.講義 b.問答 c.ワークショップと相性がいい。もちろん、a.b.c.のそれぞれにイ.ロ.ハ.は同時に使うこともあるのだが。

この三つの観点を頭に入れながら授業を作る。作りながら確認し、作った後確認するといんんじゃないかと思っている。いかがであろうか。

2010/12/26

つまらないものですがとバージョンアップの思想

Img_0899

「♪つまらないものですが、受け取ってください」
「つまらないものでは、受け取れません」
「その日小池さんは笑っていたけど、次の日ゴミ置き場を見て泣いていた」

というのは、所ジョージさんの名曲「春二番」の一節である。もちろん、日本人がよく使う「つまらないもの」は、自分では一番いいものをと思って選びましたが、受け取るあなたから見たらつまらないものかもしれません。そうでしたらすみませんという意味である。

この「つまらないものですが」というのは日本人のメンタリティをよく表しているなあと思うのだ。提出する側はとにかく最前のものを作り、完璧なものを提出するという発想だ。そして、その結果において相手にさらに申し訳ないかもと思っている。

私が興味を持つのは、提出するときは100%のものを出すというメンタリティの部分である。つまり完成品を出す。そうでないものは不十分なものであり、相手に失礼であるという部分である。何せ、その上でまだ相手のことを思うぐらいだからね。

日本人が質問が下手なのは、実はこのメンタリティも関連しているんじゃないかなと思う部分もある。相手が完璧なものとして出している意見について、質問してあら探しするなんて「失礼」という思いだ。

そんな日本で、この発想を根底から揺すぶったのが、コンピュータのソフトであろう。OSでもいい、ワープロソフトでも良い。ここにはバージョンアップという思想がある。これは現状のものが100%という考え方とはちょっと違うように思える。

つまり、(これは、ま、現状では完璧だと思うけど、さらにもっと良くなるかんね。いまでは良いってことだからね)ということを示している。もっと言ってしまえば、(間違いはあると思うよ。使ってみて。おかしかったら言って。直すから)というようにも思える。

この発想は、日本人の考え方からすると、大変「失礼」なのではないだろうか。だが、この考え方がコンピュータの普及とともに一般的になってきたとき、日本人のメンタリティも変わってきたかなあと少し感じている。

学校教育に引き寄せて言えば、教材開発も、学級のルールも、完璧でない教材、クラスの指導方針などは出すべきではないという変な暗黙の了解があったように思うが、これが薄れてきたのではないかと感じる。

少なくとも私は、何が何でも100%でなければならないという呪縛からは解放されてきている。ちょっと楽になった。ーま、人様は私のことを(え、呪縛されていたの?)と思われるだろうがf(^^;ー 現状の100%でいいと社会が認識し始めたので。

これから日本は少しずつ、「もしつまらないものでしたら、どこがつまらないか言ってね。お願いします」ぐらいになって行くのだろうか? ちょっと楽しみ。

教師は、頑張らなければダメだが、頑張れないときに守られるシステムがほしい

12/26

Img_0549

ニュースはそもそも明るいもの等ほとんどないのだが、教育に関わっても同じだ。
現状を変えなければならない。

引用開始 ーーーーーーーーーー

公立校教員:精神疾患で休職5458人 17年連続の増加--09年度

 09年度にうつ病などの精神疾患で休職した公立学校の教員が過去最多の5458人に上ることが文部科学省の調査で分かった。17年連続の増加で、00年度(2262人)の2・4倍。病気休職者に占める割合も63・3%で15年連続の増加。文科省は08年、教員の仕事量についての調査、検討を都道府県教育委員会に通知したが、増加に歯止めがかからず、「長時間労働や保護者からの要望の多様化など、複数の原因が絡み合っていると推測される」と分析した。【篠原成行】

 全国の公立小中高や特別支援学校の教員約91万6000人を対象に調査。病気休職は8627人で、うち精神疾患が5458人といずれも過去最多となった。精神疾患の多くはうつ病とみられ、パニック障害や統合失調症も含まれるという。

 精神疾患者の年代別内訳は20代364人(6・7%)、30代1048人(19・2%)、40代1926人(35・3%)、50代以上2120人(38・8%)。全教員の年代の比率は20代9・6%、30代22・4%、40代36%、50代以上32%であることから、50代以上の割合が高かった。

 文科省は「職責が重くなることに加え、体力の低下から自信をなくす例が多かった」と説明した。発症原因は(1)長時間労働(2)多様化する保護者の要望への対応(3)複雑化する児童、生徒指導(4)職場の人間関係--など。

 文科省は増加する精神疾患対策として、08年に教員の事務負担を軽減するための実態調査を行うよう各教委に通知を出したが、今回の調査では市区町村教委の43・2%が調査をしていないことも判明した。文科省は「この結果を教委に戻し、調査をするように呼びかける」としている。

 ◇懲戒処分943人、前年度比116人減
 調査では教員の懲戒処分などについてもまとめた。

 何らかの処分を受けた教員は計7981人(監督責任を除く)で、08年度より3961人増。このうち免職、停職、減給、戒告の懲戒処分は943人で、08年度より116人減った。全体の処分者数が大幅に増えたのは、兵庫県で3624人(学力検査の集計、採点ミス)、神奈川県で130人(PTA会費の引き落としミス)の大量処分があったため。

 主な処分理由は、飲酒運転を含む交通事故378人(08年度比44人減)▽体罰150人(同10人増)▽わいせつ行為等138人(同22人減)など。わいせつ行為などで処分を受けた教員(懲戒処分以外も含む)の年代別内訳は、20代26人(17%)、30代38人(24・8%)、40代51人(33・4%)、50代以上38人(24・8%)で、全教員の構成比率に比べると20代の処分者の割合が高かったが、文部科学省は「なぜ高いのかは分析できていない」とした。]

http://mainichi.jp/life/today/news/20101225ddm012040021000c.html 毎日新聞 2010年12月25日 東京朝刊 より
引用終了 ーーーーーーーーーー

ざっと読んで、さらに読んで驚く。頭に来る。

「文科省は増加する精神疾患対策として、08年に教員の事務負担を軽減するための実態調査を行うよう各教委に通知を出したが、今回の調査では市区町村教委の43・2%が調査をしていないことも判明した。」

忙しすぎて調査も出来ないのか、また別の理由か。

「09年度にうつ病などの精神疾患で休職した公立学校の教員が過去最多の5458人に上ることが文部科学省の調査で分かった。17年連続の増加で、00年度(2262人)の2・4倍。」

ちょっと待て。17年間なにしてるんだ? 見殺しか? これ子どものいじめや不登校だったら大問題だ。教員だと良いのか? 指導の数値目標を上げよと現場は言われているのに、なんでこんなんなの?

文科省の中に担当部署はあるのだろうか? 現場にいるときに「どうせ俺たちはティッシュペーパーだよな。使い捨てだもんな」と自虐的に仲間たちと笑っていたが、笑っている場合ではないなあ。未必の故意とまではいわないけど、これ不作為に該当するんじゃないか。

こういうニュースが出ると、分析がされておしまいということばかり。分析はもういいから効果的な対策をしっかりと立てなければならない。

しかし、効果的な対策ではなく多くの場合、個人の問題にしておしまいとなることばかりだ。教員の資質向上を図るとかである。

だがそもそも「教員の資質向上が大事」という言い方は、私にはよく分からない。資質とは「生まれつきの性質や才能。資性。天性。」(大辞林)である。人として生まれる前の親の教育をするのか? 親がうまくいったとして(?)教師にぴったりの資質ってあるのか?

生まれつきで仕事が規定されるなんて、そもそも教育の否定である。場合によっては差別じゃないか? 例えメタファにしてもおかしいだろう。

問題は個人にあるとばかりに、研修研修と教員は追い立てられる。免許法も改正されて大学院に行くことが必須の方向になっている。確かに研修は必要だし、大学院で学ぶことも意味があることだと思う。(ちなみに、研修は研究と修養だが、修養は無視され続けている)

が、同時にシステムとして教師を守り、育てるという部分がなければまだまだこの混乱は続く。社会の混乱から発生する問題を、一個人が解決する問題として扱うのは、無理である。

教師は、自らの意志で自らの力量を高めようと努力を重ねるべきである。一生勉強を続けるものである。そのために、研修の機会は用意されるべきだし、自腹を切って研究会へも参加すべきだと思う。

しかし、その一方で、問題が起きたときに、その教師個人だけの問題として終わらせてはダメだ。教師を守り、育てるシステムの構築がなければ、学校教育現場の混乱は続く。

教師は、頑張らなければダメだが、頑張れないときに守られるシステムがほしい。

2010/12/23

その側で伴走者でいられる教師という仕事の喜び

12/23

Img_0285

昨日で大学の年内の授業は終わった。昨日の授業は学級担任論であった。遅刻指導と私語指導について。なぜ遅刻がこんなに日本では重視されるのかの歴史的背景を講じる。

私語指導については、私語の原因のほとんどは、教師にあることを講じる。面白くて、分かって、出来る授業なら私語は発生しようがない。

(まったく、何言っているの? 聞こえない)
(読みにくい字だなあ。なに、汚い字)
(え、締め切りはいつ?)

この(    )の中の言葉は授業を受けている子どもの心の中の言葉だ。これが外に出ると「私語」になる。しかし、これは私語なのだろうか?

ここはある意味教師を敵に回すところだが、事実だと思う。これから教師を目指す学生たちには、私語の問題を子どもの問題にすり替えないで、自分の問題として考えてほしいと思っている。

ま、実際教師として教壇に立つと、自分が児童生徒のときにあれだけ教師に対して不満だったことを忘れてしまうものだ。その時、
(あ、いかん。私語は私に原因があるのだ)
となる教師に育ってほしいのだ。

会議を二つ行って、その後合唱コンクールであった。
正確には、「京都橘大学人間発達学部児童教育学科、第一回合唱コンクール」である。

一年半位前に、当時の二回生にちょっと呟いた。
『うちの学科には、演劇、運動会、遠足はあるんだけど、あと歌がないんだよなあ。歌。歌があるといいんだけどなあ。教育には歌が欲しいよな』
と。

これを受けて、彼らは水面下で動き始めてくれていた。学生たちだけで、合唱コンクールを開いたのだ。しかも、教育実習や採用試験、卒業論文もあった、3、4回生まで参加して。

1、2回生はまさにコンクール。3、4回生はフェスティバルのようになっていた。

私たちが学生を育てたと言い切ることは出来ない。恐らく彼らが育ったのだろう。だが、学科の開設の一年前から大学に異動し準備して来た私としては、感慨深いものがあった。

アドヴァイスはちょこっとだけしたぐらいで、あとは彼らだけで全部やってのけた。

(をを、こいつら育ったなあ)

って、思った。
若者が成長する。その側で伴走者でいられる教師という仕事の喜びを感じる瞬間だった。

Img_0386

片付けが終わってから、実行委員長と副委員長が、報告とお礼を述べに研究室に来た。もう21:00を回っていた。私の仕事は自主的なカメラマン。それだけなんだけどね。

『出来ればその日のうちに、来年度の計画を立ててしまうのが良いぞ』

と話す。改善点が思いつくのは終わった直後なのだ。だから、その場であれこれと話す。

「一発目の全体合唱でとにかく震えました。やって良かったと思いました」

と学生。

『実は、合唱コンクールで一番大事なのは、リハーサルなんだな。当日は何が起きるか分からない。だからいい。リハーサルのときにきちんと歌えればいいんだ』

『子どもたちは、合唱コンクールの優勝が目的。それでいい。だけど、教師は違う。合唱コンクールを通して子どもたちの人間的な成長を導くことが目的だ』

『そりゃあ、一緒に歌いたいさ。でもな、当日は先生は一緒に歌えないんだよ。だから、信じて任せるんだな。特に中学校3年生は、任せないとな。結構教師って、孤独だぜ』

『合唱コンクール当日は、学年合唱、全体合唱が一番良かったと言われるような合唱コンクールを作って行くんだな』

と私。

そのまま実行委員たちと打ち上げに突入するの予定であったが、流石は年末。そして、休日前。どこも予約なしでは無理だった。ははは。それもまた良い。

あれこれある毎日ではあるが、充実した幸せな時間を過ごせているなあ。
ありがたや、ありがたや。

2010/12/22

「元の位置に返そう運動」を提唱したい

Img_9897

「元の位置に返そう運動」を提唱したい。学校は、教師はあまりにも多くのことを学校で抱えすぎていないだろうか? 小書『こんな時どう言い返す』(学事出版)に書いた例を出す。

中学校の地域懇談会での話である。「先生、最近の子どもは学校でタバコを吸いますか?」『はい。吸っています』と私は正直に話した。「困りますねえ」と地域の人たちに言われた。『すみません』と若い頃の私であったらこう答えただろう。しかし、その時は違った。みなさんならどう答えるだろうか?

『学校にタバコの自動販売機はありませんが』。その人は、一瞬何を言われているのか分からない顔をされていた。『学校にタバコの自動販売機はありません。学校ではタバコを吸えという指導もしておりません。でも、子どもたちは学校でタバコを吸っています』

『私たちは昼休みもなく、校舎の裏、体育館の裏を巡回してタバコを吸っている子どもがいないか、火事にならないかと心配しながら走り回っています。私たちは困っています』「.....」『時に子どもが持っているタバコは、どこで買っているのでしょうか? 誰がお金を与えているのでしょうか?』

『当たり前ですが、学校の外で、自動販売機で、コンビニで、お店で買っています。そして、そのお金は家庭から出ています』「ほんとうですね」『是非、地域、家庭でのご指導を見直して頂けませんでしょうか。学校は困っています』のような話をした。

「元の場所に返そう運動」は、大事な運動だと思う。

学級事務職を導入すべきである 2

Img_9525_4

教師はまじめでないとダメである。そりゃあ、子どもたちの命や未来に関わっての仕事なのだから、きちんとしていなければダメである。それは、そうである。だが、これが今や限界に来ているのではないだろうか。

バーンアウト。燃え尽き症候群である。これは看護婦、医者、教師などに多い。もっともっとと自分を追い込んで、最終的に燃え尽きてしまうのである。こんな私でも(あ、燃え尽きるかもしれない)と思ったことがある。

教師の仕事はゴールがない。また、子どもを相手にしているので、まじめなので、どうしても(自分が頑張らなければならない)と思ってしまいがちなのだ。そして、頑張った結果燃え尽きてしまうことがある。私は何人かの燃え尽きた先生と仕事をしたこともある。

さらに教師は「流石、先生!」と言われることを求められる仕事でもある。逆に言えば自分から「私はもうダメです」と言えない仕事なのである。先生という仕事は、子どもたちから(この先生の言うことは聞かなければ)と思われないと成り立たない仕事なのである。

嘗て、そう30年位前までの日本は、「先生の言うことを良く聞くんだよ」と親が学校に送り出してくれた。しかし、今は違う。親が、社会が作ってくれていた「先生」というポジションを、先生自身が学校自体が作り出した上で、先生の仕事をしなければならない。これ、新人に出来るのか? 名刺なしでN◎Kの仕事が出来るか? ◎◎物産の仕事ができるのか?

「流石先生!」と言われることを求められる先生は、「私には出来ません」と言えない。これが先生の精神疾患、多くは鬱病の元になっているのではないかと私は考えている。

先生は、スーパーマンではない。それでもスーパーマンを求められる仕事である。それはそうだと思う。だが、限界に来ている先生は多い。

デンマークの教育を視察に行ったとき、学校のあらゆる職種にサポートがいるのに驚いた。校長にまでいる。ところが、日本ではサポートどころか追いつめてくる。「あなたの指導がおかしいのでは?」という文脈で。

ま、たしかに100万人もいれば、これはいかがなものかという教員もいる。しかし、多くの教員は踏ん張っている。ヨーロッパの教員の友人は、日本の教員のレベルの高さに本当に驚いている。

でも、もう限界を宣言していいのではないかと思う。私は現場にいるときに、二つの運動をしていた。一つは、職員室に小さな笑いを運動である。子どもたちは荒れることもある。そりゃあそうだ。こんな社会だ。荒れても仕方がない。しかし、職員室が温かければ教員は大丈夫。

だから、「職員室に小さな笑い運動」をしていた。例えば、印刷用の紙に「あたり」と書いたものを忍ばせておくとかf(^^;。温かい職員室ならなんとかなる。温かい職員室を作りたいと思ってあれこれやっていた。

もう一つは、「元の場所に返そう運動」である。片付けの出来ない私が言うのもなんだが、これである。

つまり、家庭でやることは、家庭に。社会がやることは社会に。医者がやることは医者に。保健所がやることは保健所に...。ということである。そうやって考えて行くと、教師は教師がやるべき仕事ではない仕事、いや、やっては行けない仕事を多くやっていると言えないだろうか。

例えば、体調の悪い生徒の様子を見る。おでこで熱を測る。そして、声をかける。もちろん、これで治る子どももいる。が、(これ、医師法違反じゃないかなあ)とどっかで思っていた。(なんで、看護婦や医者が学校にいないのかなあ。子どもの命をちゃんと守ろうよ)と思っていた。

多くの日本の先生は、仕事がしたくないではなく、仕事がしたいのだと思っている。そして、本当はやってはいけない仕事や、これは教員の仕事ではないよなあという仕事を、いつのまにか「そういうもんだよ」と思い込まされてやっているのではないか。そして、授業ができなくなっている。

小中学校の先生の勤務は、校門をくぐった瞬間から一日中ダッシュである。多くの学校では休憩時間もない。労働基準法違反も甚だしい。嘗て、こんなことも書いた。http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2009/10/post-9eee.html とんでもないことになっているのである。

私は、この話をご縁のある教育委員会の人たちにも話しています。現場上がりの教育委員会の先生たちの中には、本当にそう思うという声を上げて下さる方もいます。また、政治に関わる人に話したら、全く現状を理解していなくてそれはまずいだろうと言った人もいます。

能天気に考えませんか。多くの人たちは、先生は凄いからなんでもできる。出来てほしい、出来て当たり前と思っている。それはありがたいこと。しかし、一方で学校教育現場のことは分かっていないのです。生徒として長く学校にいたから学校のことは分かっていると思っているのでしょう。

しかし、どんなにテレビを見続けたところでテレビが作れないように、生徒で居続けたからと言って先生の仕事は分からないものです。もしそうだとしたら、分からない、分かっていないところに、そっと呟きながら分かってもらうと言うのはどうでしょうか。

教師は、伝えることが仕事なのではないかと思います。まず、現状を呟きつつ、あちこちに理解してもらうことではないかと思います。逃げるのではなく、私たちが良い仕事をするため。そして、それは当たり前ですが子どもたちを大切に育てるためであると思うのです。

その切り口の一つとして、学級事務職を導入すべきであると私は考えています。

2010/12/21

これを日本語では幸せというのであろう

12/21

週末は、明日の教室と、東京でNHKの会議であった。

学ぶ、酒、食事、出会い、語らい、仲間。
仕事、酒、食事、出会い、語らい、仲間。

ということであった。
これを日本語では幸せというのであろう。

明日の教室は、今回で目出度くも40回を迎えた。

1)その時に日本一と思える方に来て頂く。
2)教師を目指す若者に、なって3年位の先生を中心に
3)伝えたいことを伝えて頂く。

これが基本コンセプト。
そして、

4)極力参加費を抑えて行う。
5)懇親会で日本一の講師と膝を交えて話せる。

ということでやってきた。あっという間に40回と言う感じだ。大変と言えば大変なこともあるが、こういうのは楽しい。そして、楽しくないと続かない。いまでは、京都の他に東京や大阪に分校も出来た。凄いことだ。

Img_0201

岩下先生の模擬授業は、それは凄い。そのなんというか、今回は外側から見たところ活発な活動ではない。だが、学習者のうちなる活動はもの凄いものであった。

で、私が特に感銘を受けたのが、岩下先生のライフヒストリーだ。
岩下先生は、大学時代は社会科を学んでいたのに、国語の専門になられた。それはどういうことがあってのことなのか。また、名著『AさせたいならBと言え』誕生秘話なども教えて頂いた。

仕事は、誰もがやりたがらないところや、誰もがやらざるを得ないにも関わらず手を抜くところやなどにしか成長の可能性はないということなのかもしれない。それは岩下先生でも同じであったんだと、体を震わせながら伺ったのであった。

翌日の日曜日は、渋谷NHKでの会議。今年関わっている番組が好評で、なんと来年度も継続するということになった。そのための会議。一年間の方針を立てる。朝の9時30から、夜の8時近くまで会議。子どもの会議は、時間が来れば終わるが、大人の会議はミッションがコンプリートしないと終わらない。

今回、新しい仲間をお招きした。
たまたまその番組を見ていたというS先生にお越し願った。
「あの番組、池田先生が関わっていません?」
と言われるぐらい、どうも私のカラーが出ているようなのである。ちなみに、今年は3、4人に同じことを言われた。うーむ(^^)。

で、もし良かったらとお願いして番組制作委員に加わって頂いた。もの凄いプラスのエネルギーを放射されている先生であり、大学の教育を専門とする先生ではないなかで、学生への指導にはもの凄い力量をお持ちの先生であるのでだ。会議は、延々と続くのだが、実に面白く学べるのであった。

Img_0224

終わってから、AppleストアでMac談義をし、私が渋谷に来たときには顔を出す店に行って忘年会のような食事会。日付が変わる前にはホテルに戻ったが、実に良い時間であった。

翌日の月曜日の午前中に新幹線で京都に戻る。

Img_0240

その後、4限は模擬授業の指導。5限は三回生ゼミ。
三回生が選び始めた卒論のテーマについての発表が取り敢えず全員一回目が終わる。来年度の卒論のテーマも面白くなりそうだ。

夕方二泊三日ぶりに、帰宅。
私の顔を見て、大喜びの娘。
それこそ飛びついてくる。

これもまた、幸せということである。

2010/12/17

論文の胆である、問いとは 〜論文の書き方小論〜

12/17

2_3

初めて卒業させる一期生。彼らの卒業論文提出締め切り3時間前となって、私が何かをするわけでもないのだが何かせねばという気持ちになり、書き表した文章である。論文の胆である問いとは何かについて書いてみた。

本当は事務仕事を進めれば良いのだろうが、そんな気持ちにもなれず、何か卒論に関わりのある文章をと思って書いていた。

論文を書いてみたい、書かねばならない。けどどこから始めて良いのかが分からない人へ、クリスマスプレゼントかな。

学生諸君にとって卒業論文は、初めての論文である。勿論、学術論文としては修士論文以上が論文であるが、折角論文を書くのだからそれなりの指導はしたい。

聞く所によると、東大、早稲田の法学部には卒業論文がないとか。たしか、EUでは卒業論文のない大学は、大学卒業の資格認定をしないという決まりがあったと思う。大丈夫か東大、早稲田?。うち、京都橘大学は大丈夫だ(^^)。

で、学生に論文とは何かを聞くと、よく答えられない。それでも聞いてみると、感想文と報告文であることが多い。簡単に言うと、思いを書くのが感想文。事実を書くのが報告文。考えを書くのが論文であるということが理解されていない。

では、考えを書く論文の柱は何か。簡単に言うと、問いがあって答えがある文章のことを言う。さらにもう一つ加えると、問いがあって論証があって答えがある文章である。この二つ、ないし三つのうちで何が一番大事かと言えば、問いである。

ところが、この問いというものが、さらに理解されていない。クリアな問いが立てられるかどうかが論文の殆どすべてなのだが、ここが理解されていない。だから、立たない。そこで、ここを説明することになる。

論文は問いである。クリアな問いをどう立てるかである。クリアな問いの条件は二つ。a.まだ誰も解明していない問いであること。b.自分に解明できる問いであること。この二つである。

a.世の中の森羅万象に疑問を持つことは可能である。しかし、問いに高めるのは割と難しい。いや、指導を受けていない学生たちを見ていると疑問を抱くことも難しいように見える。例えば、『乳児は大人があやしているときに舌を出すと、乳児も舌を出すね』「はい」『ここに疑問を持てる人?』

殆どの学生が変な顔をしている。何がおかしいのだという顔だ。『あのね、君たち舌を出せる?』当然学生たちは出せる。『じゃあなんで出せるの?』と聞いてみる。すると先ほどの私の質問について、変だということに気がつく学生が出てくる。

『そう。乳児は言語を持っていない。君たちには「舌を出せ」というとその言葉を聞いて理解して、舌を出すように命令が下る。じゃあ、言語を持っていない乳児はどうやってこの情報を手に入れて舌を出す行為につなげているんだ? 分かる人?』というと手は挙がらない。

『誰も分からないか? そう、このように誰も分からないことを問いにするのだ』学生たちは、なるほどという顔をしている。『だが、これは嘘。なにが嘘かというと、この問いはもう既に解明されているのだよ。知らないのは君たちの勉強不足ということなんだな』

となると、この疑問は解明されているのか? またはどこまで解明されていてどこから解明されていないのかを確認する作業が必要になる。これを先行研究という。ちなみに、私のゼミでは先行研究の結果、自分が立てた問いが既に解明されていると判明した場合、「振り出しに戻る」と言っている。

先行研究の結果解明されていない部分が見つかると、これを「盲点」と呼び、そこに隠れている問題を明らかにして問いを立てる。然し、これではb.が満たされていない事がある。先ほどの乳児の件で言えば、もしこの疑問が問いとして成立したとして、果たして私に解明できるのかということだ。

この問いは、脳科学の知見を学び、ニューロンの構造などを十分に理解したものが、やっとたどり着くことのできる答えに繋がっている。『a.宇宙に果てはあるのか? 誰も解明していない。b.ではあなたに解明できますか? 卒論じゃあ無理だね』このように自問自答を繰り返す。

そうして、自分が取り上げたいテーマについて、クリアな問いを一つ見つけ出す。これが手に入ったら、後は仮説を立て、論証のためにすべきことを考え、結論までの論の道筋を立てる。その道筋を目次案にロードマップとして示し、結論を論文のタイトルとする。

ここまでできたら、半分は出来たことになるだろう。定められた書式に則って、パラグラフライティングを活用して、一直線に論を通すように書き進める。完成となる。だから、論文はクリアな問いが必要不可欠なのである。

なお、どうしても疑問が思い浮かばないという学生には、以下のサイトが有効です。全国子ども電話相談室。過去の優れた質問と回答を見ることが出来ます。http://bit.ly/aO4zaT 私はこのサイトを使って、子どもの質問に答えるという課題を学生たちに与えています。

以上、論文の胆の問いについてでした。











小沢征爾さん

小沢征爾さんが退院されて、音楽の現場に戻られたというニュースが昨日流れた。本当に嬉しい。私は3回、本物の小澤さんにお会いしたことがある。そのうち2回は直接で、さらに一回は話もしたことがある。

最初は、日比谷公会堂のコンサートである。小学校の時の音楽専科の先生であった増田先生に友人と二人で、連れて行って頂いた。小澤さんがボストンフィルの音楽監督を勤め始めたころのことだ。始めてのクラッシック音楽のコンサートが、小澤さんであった。魂を鷲掴みにされたのを覚えている

コンサートの後、銀座のレストランに連れて行って頂いた。感動と緊張のあまり声が出ない。喉が張り付いていた。そんなところに増田先生は、当たり前のようにワインを注文して飲ませて下さった。「最高の音楽にワインがないのは変でしょ」と。代金も「良いの、出世払いで」と言われたままだな。

『ボクの音楽武者修行』(新潮文庫、新潮社、 1980年)との出会いだ。青春ものの本を読むことにハマっていた頃に、出会った。衝撃だった。こんなにダイナミックに生きる青春ってのがあるんだ。上手くいえないが、今の若者が昔に人類は月に行ったことがあったと知ったのと同じか。

そして、3回目である。それは、私が大学生時。渋谷から井の頭線に乗った時のことだ。井の頭線の最後尾の車両に乗って明大前で乗り換えるのに備えていた時のことだ。何気なく車内を見回したら、最後尾の辺りが輝いて見えた。いや、本当にそうなんだ。で、何だろうと思ったらあの髪型。

ほぼ満員の車内で、あの髪型は日比谷公会堂で見た時と同じように動いていた。(え、まさか小沢征爾さん?)。誰も気がついていない。小澤さんらしき人は供の人と一緒に何か話している。(え〜、聞きたい。そばに行きたい。つーか、なんで誰も気がつかないんだ。人違いか?)

そんなはずはない。あの髪型である。急行渋谷行きは下北沢に停車した。見ていると小澤さんは下りる気配。私も慌てて下りた。確かに小澤さんだ。そこで思い出した。(あ、齋藤秀雄メモリアルコンサートだ! ということは、やっぱり本物だ!)。ホームで体が震え出した。

あの髪型で白のTシャツ一枚という小澤さんであった。もう何がなんだか分からないまま、近寄って行った。そして、『小沢征爾さんですよね』と前後を考えずに話しかけていた。何か話しかけないで入られない自分になっていた。すると「はい(^^)」とあの満面の笑顔で見ず知らずの大学生に。

『む、昔、日比谷公会堂で演奏を見ました。本も読みました』そんなことを話すのが精一杯だった。「そう。ありがとう」『久しぶりの日本での公演ですよね。頑張って下さい』「ありがとう」と言いながら書いて下さった。『頑張って下さい』なんて、今思うと赤面であるが、気持ちよく受けて下さった。

(ああ、世界を相手に仕事をしている人の懐の深さってこう言うことか。なんて心が開かれているんだろう)と思った。しばらくホームに立ち尽くしていた。

その小沢征爾さんが、復活された。嬉しい。それだけでも嬉しいのに、昨日の深夜にNHK BShi 00:00 BSベスト・オブ・ベスト ハイビジョンスペシャル「小澤征爾 終わりなき道」が放映されていた。届いたばかりの46インチTVにタイムドメインスピーカーで打ちのめされた。

「四谷のイグナチオ協会で初めてパイプオルガンを聞いたんだよね。音は俺たちの想像もつかない上と繋がっているんじゃないかと思ったんだよ」。(あ、私も浪人時代に良く行ったところだ。昔の方ね。ま、私は涼みにだったけど。へー、ここでも繋がっていたんだ)

「一つの音が鳴る前に、その音の予感をどれだけ感じられるかが大事なんだ」(一つのことが始まる前に、その予感をどれだけ感じられるかということだよな。繋がっていないものも、実は繋がっているんだよな。それをどう感じて、次に繋げるかだよな)

小澤さんに対して友人や聴衆から「彼は、理想の音楽に突き進む。ダメでも突き進む。それを諦めずにやり続けた。それが凄いのだよ」「作曲家の僕、音楽の僕になってほしいし、なっている」という声があった。俺は何をしているのだと背筋が伸びた。

 

30年。こうして魂を鷲掴みにする音楽を生み出し続け、生きる姿で脳みそを揺さぶり続けてくれる小沢征爾さん。復活、本当に、嬉しいです。

2010/12/15

本日の学級担任論は、忘れ物指導について

12/15
Img_9769

土曜日に香川に行ってきた。いやあ、香川は凄かった。香川大学での講演を依頼されて出かけて行ったのだが、なんというか、楽しみに行ったかのようであった。

饂飩の美味しさと、香川大学のスタッフの皆さんの温かさに包まれて、本当に気持ち良く講演をさせていただいた。本当に感謝しています。

Img_9835

家から2時間30分ということで、時間的には東京に行くのと変わらないのだが、新幹線で岡山まで行き、岡山から瀬戸大橋を渡ってということで、非常にスケールの大きな景色を楽しみながらなので、あっという間に到着と言う感じであった。たまには電車での移動もいいなあと思う私でした。

今回は「伝えるということ」というテーマを頂いた。講義の時間は2時間30分。ちょうど移動している時間と同じだ。この時間で、この大きなテーマに一定の答えを出さなければならない。

伝えることがテーマの講座で、私の伝え方がまずかったらブラックジョークにしかならない。うんうんうなって講座を作った。このテーマでの講座は初めてだったので。

本当にスタッフのみなさん、参加者のみなさんのお陰で、良い講座が出来たのではないかと思う。今後、このテーマの講座もお引き受けしますf(^^;。

大学は卒論提出の期間に入っている。明日が最終締め切りだ。
大学ではサービスで卒論の最終指導もしている。私は書式、目次での論理の流れ、タイトル、サブタイトル、サマリー、はじめにを注意深く読んで、論理の流れがおかしくないかを指導している。

私が読む前に、ゼミ生は仲間の卒論をお互いに読み合って、細かい誤字脱字や書式の不統一などを確認している。しかし、それでもおかしい所を私がドンドン指摘する。

また、ここはおかしいのではないかということも指摘する。代案を出す場合もあれば、出さない場合もある。そして、私の指摘を受け入れるか受け入れないかは、学生の判断に任せる。なんと言っても自分の論文だ。最終的な責任は自分でということだ。

んなことをしていたら、月曜日の夜に急に発熱。本当に急であった。家人と娘がおなか風邪にやられていたのだが、私もとうとう移ってしまったのだ。体が急に冷えて腹痛。しかし、ここで延々と寝込むわけにはいかない。20時前にアンカを足下において寝る。
汗をだーっと出させて寝る。

すると翌朝には、随分良くなる。
まあ、びっくりの回復力である。無理は出来ないが。

Img_9906 で、無理が出来ないのだがあれこれあって、翌日の火曜日は午後から神戸へ。帰りにルミナリエをちらっと見てこようと思ったら、前日で終了とのこと。ま、そういうこともあるさ。

Img_9944

本日は、学級担任論。今年の受講生は例年以上に聞くことのスキルが育っているので、こちらも気持ちよく話してしまい、丁寧に説明しているのでシラバスよりも進行が遅れ気味。ま、そういうこともあるだろう。

本日の学級担任論は、忘れ物指導について。忘れ物の指導は、「忘れ物をするな!」という「指導」だが、これでいいのか?これは指導ではなくて、命令、脅しではないか? 忘れ物をしたいと思ってする子どもはいないはず。では、どうやって少なくするのか。これがテーマ。

私がこの講義で学生たちに伝えたい根っこの部分は、「子どもは、忘れ物をしたくてしているわけではない」ということ。誰も、忘れ物なんてしたくない。にもかかわらず、多くの先生は「忘れ物をするな」という指導。そして忘れたら罰がある。

風邪を引きやすい子どもに、「風邪を引くな」という「指導」をして風邪を引きにくい子どもになるか? そもそもそんな指導をするか? しかし、忘れ物をする子どもに、「忘れ物をするな」という指導を受けた学生が今日の授業でも殆どであった。

忘れ物をし続けて困っている子ども。この子どもに、指導をしたら、忘れ物がしたくても出来ない体になっていた。ま、そこまで言うのは極論だが、そういう方向の指導をするのが担任の仕事だと考えている。計算の出来ない子どもに「計算できれ!」と言う指導がおかしいのに、忘れ物にはこれをする。

忘れ物の定義。忘れ物の実態把握。忘れ物発生のプロセス確認。忘れ物防止のための「個に応じた」取り組み。学級の取り組み。これでどうだ? これならどうだ?とあれこれ学級で取り組むことは多い。そのプロセスが豊かな学級を作る。子どもを成長させる。そんなことを考えて学級担任論をしている。

来週は、遅刻の指導についてだ。

ああ、どんどん月日が流れていく。

体調も戻っていない。
今日は忘年会をキャンセルした。
早く帰って、娘に癒されようf(^^;。

2010/12/09

まさに、有難いだ  竹内常一先生講演

12/8

Img_9372

今日は恩師が東京から来て下さった。竹内常一國學院大學名誉教授。本学の学生のために。京都橘大学児童教育学科学会での講演である。ありがたいことだ。

ありがたいは、有難いだが、本当にそう思う。
私が先生にご指導を頂いてもう30年になるが、まさか私が大学の教員になるとは思わなかったし、私の指導している学生たちに先生が講演をしてくださるなんて夢の夢にも思わなかったことである。

まさに、有難いだ。

「教師・保育士しは子どもとどのような関係(物語)を取り結んだらよいか」が今回の講演のテーマである。

教室いっぱいになった学生たちは、必死に聞いている。だが、恐らく何のことだがほとんど分からなかったであろう。恐らく今のシステムで言えば、今日の講義は学生アンケートでは5点満点で3点以下になるのではないかと思う。

学生たちにとっては、確かに日本語で話しているのに、なんで分からないのだということにあると思う。だから、点数は低くなるだろう。

だが、ストロークのを長い言葉を学生に与えなければならないのだ。学生時代にわかるような説明、言葉ではだめなのだ。何だかわからないが、この話は聞いておかなければならない。そう思わせてしまう話を確かに私は30年前に大学の授業で聞いた。私もそうであることが、今の私の責任だと改めて思った。

5年、10年、15年と実践を重ねて来て、やっとその言葉の意味が分かる。いや、体の中に残っていた先生の言葉が、突然「こんにちは」というような感じで姿を見せるのだ。そんな言葉を体に埋め込んでもらった私は幸せである。

以下に、先生の言葉を載せる。講演記録とハンドアウトから。
少し分かりやすいものを選んでみたf(^^;。

引用開始 ーーーーーーーーーー

出来事を事実として確かめ、事件化し、 事件をエピソード化、ストーリ化、ヒスト リー化していくことができる人は、 幸せである。が、このようにいくのは難しい。

自分の物語を作り出せずに放りだされた非正規雇用者が起こしたのが、秋葉原の事件なのかもしれない。人生を一貫として作るのが難しい時代にあり、子供達はもっと凄い時代になるだろう。日本に労働市場がなく、海外に求めるような時代になるだろう。

「子ども自身が人生(歴史)との生活世界の主人公、言い換えれば、「著者」 になるということである。ということは、教師・保育士はその「共著者」になるということである。

嘗て貧乏は、経済的に貧しいだけで社会には居場所があったが、現在、経済的に排除されるということは、社会からは維持されるということになってしまっている。

生活指導(教育と福祉)は、一人一人が自らの幸福追求権(他者ともに幸福になる権利であって、他者を排除してのそれではない)と生存権と平和的生存権を自らのものにしていくことを指導し、援助し、共同で追及する仕事である。

誰か、何かを奪っての、排除しての幸福追求権というのは、成立するのであろうか。 しないであろう。

日本の義務教育は、教育と福祉の両方に関わっていると私は考えているが、日本の教師にその自覚があるのだろうか。

貧困のなかにいる子供達のなかにいる子供達に、教師の視線はあるだろうか。高等学校を義務化するということは、実は社会の中に居場所を作るといことなのである。

ケアとは、この世界にいて安全・安心であるという感覚を保証することである。ケアは他者の呼びかけを開き直り、それに応答することである。人間は、自分をケアしてくれる人が所属する世界の方に注意を向け、その人とともに世界に応答するようになる。

投げ込みとしての同情でなく、受け入れとしての共感を。子どもを外から知るのではなく、子どもを内側から知ること。自分をケアすることができないものは他者をケアできない。

物が人を見るのであれば、子どもは主体として教師を見ているのである。問い、関わる存在である。ここが分かると教育という仕事は楽しくなるんじゃないですか。ただ、拒否も自己表現であってそれを聞き取りながら指導するのも教育である。

子どもは、拒否する力を持つことが大事である。が、人生には反抗期が点々としてあって、反抗しつつ世界を受け入れることを繰り返していくのではないか。だから、反抗することを受け入れる。 そして、その後に何に従うことが大事なのかをきちんと教える。正しいことには従う。誤ったことには抵抗する。これを教える。

ただしことに従い、怪しいことには疑い、 間違ったことには抵抗する。それが思春期である。正しい事に従うことができる子供達を育てられれば、指導・支援ができたということである。

引用終了 ーーーーーーーーーー

私の学生たちにも、宝物の言葉が埋め込まれたことを嬉しく思う。

比叡山の空のように爽やかな気持ちであった。

Img_9404

2010/12/08

学級事務職を導入すべきであると再び主張したい

12/7

1

学級事務職を導入すべきであるという考えを表明している。この考えは、誤解を生む可能性があることを理解している。それは学級担任の下働きで働く人を作る、差別的な構造を生み出すという考え方である。ありがたいことに、これをコメント欄で指摘して下さった方もいる。

確かに担任の仕事は、現状でも教員養成大学で教えられていないことからも分かるように、正統的周辺参加、つまりは見て学べ、盗み取れというような部分が多い。だから、誰か師匠を見つけて学ぶというような階層的な構造ができやすい。

これは、落語の弟子入りほどではないが、師匠の身の回りのあれこれを世話することを通して身につけて行くことのイメージである。

だから、授業の準備などのあれこれは、授業よりも低い立場にあり、それをやる仕事の人は、授業をする人よりも低い位置にいるという考え方である。

実際、大学生のボランティアやインターンシップ、教育実習等の場合はそういうこともあるであろう。事務と授業の出来る教員が、あれこれ教えて、全くの素人に事務が出来るように指導するのであるから。

だから、授業の方が上位で学級事務が下位であるという考え方が出るのも分からなくもない。また、一般的に日本の社会では一見、事務方が下位に置かれているように見えることが多い。しかし、これは本当であろうか。

学級事務の複雑さ、困難さ、面倒臭さというものを理解していない教員はいないはずだ。ここを丁寧にやらないと、子どもたちの教育活動に支障を来す。授業どころではなくなってしまうから、多くの教員はここを優先してこの仕事を遂行し、生活指導をし、残った時間で授業の準備をする。

教員の本務は授業である。これはそうであるはずだ。
しかし、この本務に辿り着くまでにやらなければならないことが多すぎる。これが本務を圧迫しすぎている。授業をする人でなければ出来ない仕事ではなく、他の人でもできる仕事。もっと言えば授業をする人よりも上手くできる人がいる仕事が、授業を圧迫しているのだ。

勿論、この学級事務を軽々とこなして、授業も、生活指導もきちんとやってしまう力量を持っている教員がいることも私は知っている。だがそれはその教員がかなり優秀なのであって、全体をそのレベルに求めるのは、現実的ではない。

更に言えば、実は授業は苦手だが、学級の事務をやるのは好きという教員、または教員免許取得者、取得予定者というのは実は多いと考えている。

私は、授業で使うプリントが38枚必要だったら40枚印刷して行くタイプである。
(ま、だいたいこんな感じかな。足りないよりは良いだろうし)
と。
ところが、これをぴたっと38枚印刷して揃えることに心地よさを覚える人もいるのである。リソグラフでは印刷テストで一枚余分にプリントアウトされるので、37枚印刷してその一枚を加えて38枚にして
(よしよし)
と喜ぶ人がいるのである。私には信じられないが、いるのである。

ところがこう言う先生の授業がうまくいくかと言うと、そうである場合もあれば、そうでない場合もあるのだ。授業は人間相手なので、その場での臨機応変や今までの指導の経過などが重要になってくることがある。もっと言えば、予定通りに進まないことがたくさんあるのだ。

突然のことに対して、臨機応変で対応するのが難しい先生はいる。それが子どもにからかわれているということも理解できずに、ムキになって対応している先生もいる。しかし、その先生は職員室での出席簿管理で間違いを見たことがない。授業のプリントが足りなくなったのを見たことがないのだ。

もちろん、逆の先生もいる。私だ。
会計が1円合わなくたって
(んなもん、1円ぐらい良いじゃん)
というタイプだ。こう言う奴は学級事務をするのは非常にまずいタイプである。書式、様式なんて別に良いんじゃないの。だいたい合っていればいいじゃん、というタイプだ。だから私が進路指導主任をしていた時も、数字や書式に関しては非常にみなさまに多大な迷惑を掛けている。

ただ、自分で言うのもの何だが、授業の方はまあいい方であろう。つまり、授業や生活指導、新しいものの企画立案、運営などには必要だが、私が職員室であれこれすると、職員室が混乱するタイプだ。

だが、職員室には必要不可欠だが、授業はちょっとねえ、という先生がいるのも事実なのだ。

さらに、もう授業はいいなあという先生もいる。
子どもとの深い関わりにはもう体力的にも、精神的にも厳しい。子ども相手ではなく、親相手、教員相手といういことで管理職もあるが、それはしたくないなあ。
でも、子どものために役に立ちたい。学校のために役に立ちたいという先生がいるのも事実だ。

学校のこと、子どものこと、授業のこと、指導のこと。これらが一通り分かっていて学級事務職をする人がいてくれたら、それはそれはとても助かる。そういう人が行う学級事務は二枚腰、三枚腰での対応がされていることが多い。

私が30代の前半のころ、一回退職された先生が嘱託として再雇用され、同じ学年に所属されていたが、実に痒いところに手の届く事務をして下さった。だから、私は安心して突っ走ることができた。
私も
(ははあ、こういうときはこういうことをすると良いのだな)
と勉強しながら、とてもありがたく、とても幸せな実践を重ねていたと思う。また、当たり前だがこれは子どもたちの安定した成長に繋がることであり、大事なことなのである。

学校は、いろいろな立場から、それぞれの長所を生かす形で子どもたちに関わることが出来るはずである。にも関わらず、現状では、エイヤッと子どもに直接関わる仕事以外の仕事を、いきなり大量に学級担任に任せたまま、毎日が動いている。

そして、精神的に追いつめられて職を休んだり、辞したり、死に至らされてしまう先生までもいる。

違う。これではダメだ。
先生の数を増やせば良いという問題でもない。

専門の仕事として授業。
専門の仕事として学級事務。

ここをきちんと分ける。日本の教育は、事務、事務職を蔑ろにしすぎている。そしてそれは、教員の授業の専門性も蔑ろにしていることになる。

それぞれの専門的力量を発揮して、学校教育で子どもを大人に育てる仕事を作り出すべきだである。学級事務職を導入すべきであると再び主張したい。

2010/12/07

ワイシャツのお店が、潰れるの

12/7

Zss0

四月から娘は幼稚園に本格的に通うようになる。その準備を始める。フォーマルな写真を撮影する。勿論、カメラマンは親である。

フォーマルな洋服に着替えさせて、椅子に座らせる。予想では嫌々をすると思ったのだが、豈図らんや。何事もなかったようにポーズを決める。一瞬嫌々があったが、かなり良い写真が撮れる。

満足。
ちょっと見には小学校一年生ぐらいに見えてしまう写真もある。だが、そこは流石に三歳である。

朝、東京都の規制について話していた。
『都市ってのは猥雑な部分がなとなあ。東京はダメになるかな』
と。すると、娘が、
「ワイシャツのお店が、潰れるの。困るね」
と会話に加わる。大筋では間違っていないような気もするのが面白い。

さらに昼食後
「グーチョキパーで♪ 」
と歌い始める娘。
「右手はパーで、左手もパーで」
(ん、チョウチョか?)
と思ったら、
「ご馳走さま、ご馳走さま」
と手を合わせる。

や、やるなあ。

まだ三年しかこの世に生きていないのに、いっちょまえで面白いなあ。

2010/12/06

【提案】 学級事務職を導入するべきである。

12/6

Img_8150

一昨日、「学校事務職は、公金を扱う事が仕事である。学級の事務にはタッチしない。ここが世の中に理解されていない。学級事務職を導入するべきである。先ずは一校に一人で良い。大学生のアルバイトでも良い。学校教育現場は、劇的に良くなるだろう。」と呟いた。これに物凄く大きな反響を頂いた。

このことは、中学校の現場にいたときに、ずっと思っていたことである。というか、教師になった瞬間に思ったことである。先生の数を増やすことではなく、学級事務の仕事を担当する人を雇うべきだと。

私は、教師の仕事は、学校教育を通して子どもを大人に育てることだ、と考えている。そのためには、子どもと触れ合う、子どもを見守る、子どもとかかわり合う等、具体的に子どもと伴走する位置にいられることが、教師には必須のことだと考えている。

ところが、これが厳しいことになっている。それらの状況分析については稿を改めるが、実際問題子どもたちと直接関わる時間が、学級の事務の仕事で厳しくなっていることは、学校教育現場にいる教員から異論の出るものではないだろう。

昨今、教師の仕事術の本が次から次へと出版されている。白眉は大前暁政氏の『若い教師の成功術―「ちょっと先輩」からアドバイス』であろう。私が10年掛けて身につけたことを3年で身に付けている。凄まじい本だ。

これは、学級担任の仕事を知らなかった、または甘く見ていた若い教師にとっては喉から手が出るほど欲しかった本であろう。しかし、しかしである。本当にこれで良いのかと言う思いがずっと私にはある。それは、これらの仕事術の本の殆どが、学級事務に関わるものだということにある。

例えば、医者で考えてみよう。医者は臨床検査技師に患者の検査を依頼し、疑わしき部分について検査結果を得る。そして、そのデータを元に治療の方針を立てて治療して行く。教師はどうだろうか? 健康診断は結果が必要なのであって、教師健康診断をやる必要があるのであろうか。でもまあ、これはまだいい。

百歩譲って、健康診断を通しての子どもたちとのコミュニケーションに必要だということにしよう。直接子どもたちと接することができるからだ。顔色を見て、肌の色つやを見て、健康状態をあれこれ思うことは良いし、保健委員が仲間のために働くのは良い。

だが、やっぱり思うのはその学級事務の仕事の内容についてである。学校教育現場にいる教員は、子どもと関わりたいのである。そのために教師になったのである。関わることによって子どもたちを育てる伴走者になれるのである。これを阻害する現状の環境、システム、業務内容は問題があると言えるのではないだろうか。

Img_7843

私の提案は、学級事務職を導入すべきであるというものである。これが学校に一人、できれば学年に一人入ると学校教育現場は激変するだろうと考えている。誰がやるか。理想は退職した教員である。さらに理想で言えば、これから教師を目指す大学生がペアになると良い。勿論新規に採用しても良い。

仕事術を覚えることも、それはかなり大事なことではある。しかし、私は学校教育現場の現状は、特に新人教師にとっては、それはほとんど無理なことだと考えている。教師の一年目は「目隠しをされて100m走を走らされる毎日」だと学生には言っている。教育は見通しを持って行わなければならない。担任は一ヶ月後、三ヶ月後、半年後、一年後の姿を思い浮かべながら行うのである。

しかし、一年目の教員は学級づくり、授業づくりでひーひー言う。特に小学校の先生は、例えば明日の6時間の授業の準備をしようとすると、一教科につき30分ずつやって3時間。子どものいる時間は子どもと遊んだりして関わっているので、やるのは放課後となる。

そして、その授業の準備は、一回やれば次にやるのは、早くて一年後。また同じ学年を担当するときだ。だが、実際はずーっと先になる。だから、毎日毎日授業の準備をする。そして、その他に学級の事務、学年の事務、校務分掌などが降ってくる。そして、それはやり遂げなければならない。やり方なんて習っていなくても。なんとなれば、「あなたは先生だから」なのだ。

教師は、採用試験に受かったら一年目から、最初から先生なのである。どーんとクラスを任せられベテランと同じ仕事を任されるのだ。担任だけで、授業だけでとても大変なのにだ。一般企業では考えられないだろう。新人が一人でいきなり車を売る自動車販売会社が、この世の中にあるだろうか? あるわけがない。だけど、教師の世界はそうなのだ。

確かに教員免許を持って採用試験にも合格している。だが、ちょっと待て。本当に良いのか? 良く言われる一般企業人としてきちんと働くのだというこの言葉。教師を一般企業の新人と同じにするなら、一人で仕事をさせるのはおかしい。

私の大学の教え子で、車を売る会社に就職した者がいるが、一人で販売を任されるまで、最低一年かかっている。それまで先輩の補助と言う形で仕事を覚えていく。それに、一人で一つの仕事をしない。必ずペアである。一人が倒れても良いように、ペアでやる。

ところが教員はどうだ? 新人でも四月からいきなり一人で最前線に立たされる。私が新人だった20数年前ならまあ、新人教師は熱意だけあれば保護者も分かってくれたし、3年ぐらいは待ってもらえた。それが今は、いきなり「年間学習指導計画案を見せて下さい」だ。結果を出せだ。さらに新人の教員に課せられている研修の量は、20年前に比べると5〜10倍になっているという話を聞いたことがある。これは無理だ。

東京大学の企業での教育に詳しい中原淳氏は、12/4に学芸大学で行われた第11回東京学芸大学教員養成カリキュラム開発研究センター主催シンポジウム「教師の学びを科学する」で、『研修などの教師「教育」の機会が企業と比べると圧倒的に多い。こんなに研修こなして、忙しくないのか。』とつぶやかれている。研修も企業と比べて多いのだ。

教育の世界に、企業のやり方を安易に持ち込んで、うまく行くはずがないと、なんで導入する前に分からないのかが、私には分からない。

Img_6605

私は現在、京都橘大学で学級担任論という授業を持っている。この授業は、恐らく日本の教員養成大学でほとんど開設されていない授業である。http://bit.ly/hyxhJJに学級担任論と入力をしていただけるとお分かりいただけるかと思う。

嘗て大学院で学んでいるとき、「学校経営論」という授業があった。私はそれよりも学部での「学級担任論」に興味があった。しかし、学芸大学にはなかった。とても不思議だった。教員は全て校長にはならない。しかし、担任にならない専任教員はいない。のに、担任の仕事を教える授業がない。

なんでないのかとあちこちの大学関係者に聞いてみた。主な理由は二つ。その1。学級担任の仕事は学問ではない。なるほど、大学は学問の場である。だから学問ではない学級担任の仕事を教える授業はないというのである。その2。教えられる人がいない。大学の教員養成過程で授業を担当する教員に現場上がりの教員が圧倒的に少ないのである。確かにこの授業は現場を知らないとできないだろうなあと思った。

だが、仮に学問でなかろうが、お知られる人がいなかろうが、学級担任の仕事を教えることは大事である。必要である。大学では生活指導、道徳教育などは専門でバラバラに教えるが、現場に入ったら担任の目を通して指導は行われる。担任の視点から見る見方を理解する必要がある。

さらに、掃除、給食の配膳片付け、通知表の書き方などなど具体的なあれこれについて教えることのないまま、教育現場に立たせるってのは、この時代にどうなんだ?と思っていた。

その後、縁あって大学で教えることになる。そりゃあまあ、有言実行しないとなあと思って「学級担任論」を開講する。学生はこの授業を受けて、かなりがっかりする。担任の実態を知るからだ。しかし、15回のうち5回ぐらい過ぎると開き直り、残り5回で感謝を始める。

自分が目指そうとしている仕事の実態を学生時代に知ることができて良かったというのだ。実態が分かればそれなりに対応や準備ができる。ところが、この授業をしている教員養成大学が、ない。いいのか? 私は現場上がりなので、「後輩」を見殺しにはしたくない。

この学級担任論を見て頂ければ分かるのだが、この授業は「守り」の部分が多い。担任として足下をすくわれないようにするためのあれこれを講じている。学生たちは、この授業は面倒くさいと思っていると思うが、このぐらいで面倒くさいのなら、進路を考え直さなければならないかもしれない。

Img_6645

で、そうであっても担任の仕事は多すぎる。特に事務が多すぎる。私は仕事を別にすべきだと考えている。a~eの5つをまずは、学級事務職の業務として提案したい。

a.印刷業務。私は多い時で年間180号ぐらい学級通信を出していた。他にも教科通信、進路通信、研修通信。職員会議資料...。書くのは良いのだが、印刷の時間がない。下手をすると、一日に1時間ぐらい印刷機の前にいる。だからこれをしてほしい。凄く助かる。

b.出席簿管理:/出欠席管理/遅刻早退管理。落ち着いている学校の先生は、「へ?」ということかもしれないが、そうでないところは大変。授業ごとに教科担任(中学)が記入したものを確認する。これが大変。因に、遅刻早退を繰り返す生徒ほど、自分の出欠席の記録を細かくチェックするので実に大変。「だったら遅刻するなよ」と言いたい所である。

c.提出物チェック  保護者会の出欠席、宿題、小テストなどなど。ここに給食費、教材費が入ると本当に大変。これを冷静に仕事、本務として行う学級事務職がいてくれたらと何回思ったか。ちなみにチェックするための名表も教員が自分たちで作る。

d.所見以外の通知表作成、指導要録、抄本作成、進学に必要な成三者面談資料作成、成績一覧表作成など。 子どもと遊びたい、子どもを大人のジョークでからかいたい、深刻な悩みには付き合いたい。でも、これらを作っていると厳しい。資料は必要だ。だが、教師が作らなければならないのか? 医者は検査結果が必要なのであって、医者が検査をする必要はあるのか? 教師も資料は必要だ。だが、教師が作る必要はあるのか?

e.給食未払い催促  なんだかなあと思う。子どもの家庭の実態を知ることは大事だ。が、督促をなんで教師がするのだろうか? 教師の仕事は、子どもと子どもの家庭の事実を把握し、食べるってなに? お金を払うってなに?と考えさせることではないのだろうか? 時には教師が自腹を切って支払っている例もある。おかしい。

補遺:私が現状の学校に奉職しようとしている学生たちにお勧めしていることは、二つ。 一つ目。個人の電話番号は連絡網等に載せない。どこの市役所の職員で自宅の電話番号を知らせている人がいるだろうか? 私は中学校教員生活の最後の方は知らせなかった。知っているのはクラブで指導している生徒だけだ。遠征があるので知らせていた。

クラスの9割は、何も問題はない。ところが1割に問題があると、大変なことになる。夜中の11時過ぎの電話やあれこれ。子どもの命に関わる電話は、教頭(副校長)からかかってくるので知らせなくても大丈夫と言っている。

補遺2:二つ目。私が提案し続けて出来なかったこと。勤務時間を過ぎたら、学校の電話は「留守番電話」にすること。勤務時間とは、勤務をする時間です。市役所はそこで業務を終えます。学校も終えましょうよ。子どもの命に関わる内容は、指定の電話番号に電話で連絡が取れるようにしておく。この留守番電話方式は、私立の学校では導入されているところもあると聞いています。

因に私は、学級通信で時間割を公開し『この時間は職員室にいる可能性が高いです』と空き時間ならぬ「事務時間」を示していました。相談はこの時間に予約を取って電話をと。空き時間というとお茶を飲んで寛いでいるイメージがありますが、ね、実際は全然違うじゃないですか>先生方。これからは、事務時間という言い方を広げようではありませんか。

そりゃあ勿論、もっと学級事務職の仕事内容として考えたいところはありますが、先ずはこの辺りを「主義主張を超えた」現場教員からの訴えとして、提出すべきではないかと考えています。

長文をお読みくださいまして、ありがとうございました。

Rimg0064


そしたらお父さんが

12/5

旧暦で言えば神無月の晦日である今日。娘の七五三を行った。両親のいる東京でもやったのだが、それはそれ。お祝い事は何回やっても良いと思ったので、近江の地でもやることにした。

本当は、金曜日にやる予定だったが、天気が荒れるという予報。流石に嵐の夜に生まれた娘だ。

しかし、日曜日に変更して大正解。金曜日だったら途中で雷雨だった。
この日は、朝から綺麗に晴れた。

Img_9027

今回は地元の近江神宮で行った。ここは天智天皇を奉っている。日本に始めて時計(水時計)を持ち込んだ天皇ということで、それも奉っている。さらに、カルタクイーンの大会も年に一回行われているところだ。

Img_9144

娘は、お化粧をして、着付けをして、写真を撮って、お祓いをしてと、まあここまではとっても順調であった。ところが、一段落して、さあ、家族でスナップ写真を撮ろうかというところにきたら、ものすごいダダ。

「お父さんと写真撮らない」

まで言い出す。
流石の私も頭に来る。

『もう、置いて帰る。勝手にしなさい』

まで言う。

が、まあそんなわけにもいかず、そんなことをするはずもなくである。
おやつを食べさせて、機嫌が良くなるのを待つ。

復活してからは、良い笑顔であった。
娘ともベストショットが撮れた。
家宝にしよう。

夜。
お刺身の好きな娘に、お祝いのお刺身を出す。

食べながら娘が話す。

「さっき泣いていたの」
『どうしたの? 神社で泣いていたんじゃなくて?』
「さっき」
『どうしたの?』
「だってお父さん置いて行くって言ったから、悲しくなってなって泣いていたの」

とのこと。
うう。言い過ぎたかなあと、少し反省。
わがままは許さないという思いと、甘えさせてあげたいという思いと。はあ、この葛藤は続くのだろうなあ。

でも
『痛いの痛いの飛んでいけで、お父さんに飛ばせば良いんだよ。そしたら痛くなくなるよ』
と言うと、
「そしたらお父さんが痛くなっちゃうから、ダメ」
という娘。ううううう(涙)。

大きな事故、怪我、病気もなく、優しく愛らしく、ここまでよく育ってくれた。
感謝感謝だ。

2010/12/03

レンブラント光線の琵琶湖

一つ前のエントリーにある「レンブラント光線」を褒めて頂いたので、
最近の琵琶湖の風景から、美しい「レンブラント光線」が見られた写真を琵琶湖に成り代わってアップします(^^)。

京都駅まで足を伸ばされたら、どうぞ滋賀までお越し下さい。
京都駅からたった二駅で、琵琶湖です。

Img_6896

Img_6899

Img_7285

Img_7952_2

では。

だが、その逆はない

12/3

東京で娘の七五三をしてきた。
が、そりゃあ大事な娘だ。
今住んでいるところでもやりたい。
本当は、今日やる予定だったのだが、天気の様子があまりにもおかしいので、昨日の段階で延期を決定。

中止を決定したら、妙に朝から天気が良い。
風が強いので雲の流れは早い。
それが、琵琶湖に美しい絵を描いてくれていた。

朝、ゆったりと風呂に入り、出てから何気なく琵琶湖を眺める。すると、雲の切れ間から光がスポットライトのように琵琶湖を照らしつつ、さらに細かい天使の階段が出ているではないか。

肉眼では結構奇麗に見えていた。
が、
(ま、iPhoneではちょっときびしいかな)
と思いつつ取り敢えずパシャリと撮影してみた。

それが、この写真である。
iPhoneなかなか凄い。

Img_8696

スポットライトの中にいる時、周りの暗さが分からなくなるように、幸せの中にいる時、周りの不幸は分かりにくくなる。だが、その逆はない。

写真を撮りながらそう思うのであった。
光に包まれていると、周りの闇は見えなくなるのだ。そこが危険なのだろうなあと思う。

光なんてあっという間に他の場所に移動する。しかし、私という存在は光が当たっていようが、外れていようが関係なく私である。そんなことを考えていた。

昼過ぎから市内に出かけて行った。昼ご飯のラーメンを食べに行った。ま、最後の紅葉を楽しもうと言う思いもあったのだが、こちらの方は、突然の雷雨で車の中からチラッと見ていくぐらいにした。

そういう鑑賞の仕方もあっての、京都の初冬である。

2010/12/02

男女別の班は可能かどうかというテーマ

12/2

今朝も、美しいかぎろひを見せてくれた琵琶湖。
ボーッと見ていたいのだが、実は刻一刻変わる色の変化を追いかけてシャッターを切っているので、結構忙しかったりするf(^^;。

だが、毎日見ても見飽きない。
深呼吸と感謝だ。

Img_8631

午前中は、四回生ゼミ。

卒論提出の日程を考えると、正式には最後の指導となる。論文らしくなってきた者と、ここにきて目次項目を修正する者とあれこれ。

おそらく、自分の人生においてこんなにも文章と格闘する期間というのは、ここが最初で最後になるのではないかと思いながら彼ら彼女らは2万字に向けて書いているだろう。

確かに、この正確さで書き進める2万字というのは、そうそうないであろう。私も大学五年で卒論を書き上げた時
(ああ、もうこれで長い文章を書くことは、私の人生でないんだな)
と感慨深いものがあったが、すぐにそれは私の文章修行の一部であったことに気がついたのだ。

まさか、卒論提出のときに20万字の修士論文をその後に書くことになるとは、夢にも思わなかったもんな。

文は人なり

当たり前の言葉が、出てくる。
文章に立ち向かうということは、自分に立ち向かうということだ。卒業論文を書かないで大学を卒業させるというのは、その貴重な機会を学生に与えないということになる。

間違いはあっても、ただ一つの正解があるというわけではない卒業論文。少しでも論証の精度を上げるための努力をしなければならない。また、2万字の中に誤字を発生させないための集中と確認をしなければならない。これを通して学生たちが人間的な成長を、今よりは少し、遂げることを期待して、もう少し指導を続けよう。

午後は、二回生ゼミ。
教育実践記録を読み続ける。
今日のグループは、一つのテーマについてディベート形式で討論を組み立てる提案をしていた。

これがなかなか面白かった。
班を作る際に、男女一緒の班が普通だが、男女別の班は可能かどうかというテーマであった。これを元に、あれこれ議論を交わす。

分かったことは、

・男は馬鹿である。
・女は、男と一緒かどうかということよりも、どの女の子と一緒かの方が重要である。
・男は甘えん坊である。

もちろん、もっと他の議論もあったのだが、この答えが出たのは、面白かった(^^)。

その後、12/11に伺う、香川大学教育学部附属教育実践総合センター主催の講座の資料をあれこれ考えながら作り続ける。

週末には完成させなければなあと思うが、実はなかなか難産である。頑張ろ。

神戸のルミナリエも今日から始まったな。
一日、一日があっという間に過ぎて行く。


2010/12/01

朝日から始まって、夕日で終わる一日

12/1

ふう、会議が終わって一日が終わった。
今朝は日の出から美しく始まった。

Img_8529

その一日が終わった。

学級担任論では、教室環境の美化という話を進める。実際の例を出しながら、問題解決学習として講じる。

教室にある問題を課題として捉え、どうやって解決して行くのかを担任が考える。さらに、子どもと一緒に考える。そして、子どもたちに考えさせるという流れを示した。

来週は、ミニミニ担任のお仕事実際編ということで、朝の学活や帰りの学活をグループごとにやらせる予定だ。

その後、学生のあれこれがあって、会議。
開始が30分遅れて、終了はさらに1時間遅れる。
大事な案件だ。
あれこれ議論する。

四回生をきちんと卒業させる。
そして、それに続く学生を育てる。
一つ一つあれこれやる。
忙しくなった。
師走だなあ。

朝日から始まって、夕日で終わる一日。
考えてみれば、実に贅沢だな。

さ、帰ろう。

Img_8584

« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »

2022年3月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31