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2010/12/06

【提案】 学級事務職を導入するべきである。

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一昨日、「学校事務職は、公金を扱う事が仕事である。学級の事務にはタッチしない。ここが世の中に理解されていない。学級事務職を導入するべきである。先ずは一校に一人で良い。大学生のアルバイトでも良い。学校教育現場は、劇的に良くなるだろう。」と呟いた。これに物凄く大きな反響を頂いた。

このことは、中学校の現場にいたときに、ずっと思っていたことである。というか、教師になった瞬間に思ったことである。先生の数を増やすことではなく、学級事務の仕事を担当する人を雇うべきだと。

私は、教師の仕事は、学校教育を通して子どもを大人に育てることだ、と考えている。そのためには、子どもと触れ合う、子どもを見守る、子どもとかかわり合う等、具体的に子どもと伴走する位置にいられることが、教師には必須のことだと考えている。

ところが、これが厳しいことになっている。それらの状況分析については稿を改めるが、実際問題子どもたちと直接関わる時間が、学級の事務の仕事で厳しくなっていることは、学校教育現場にいる教員から異論の出るものではないだろう。

昨今、教師の仕事術の本が次から次へと出版されている。白眉は大前暁政氏の『若い教師の成功術―「ちょっと先輩」からアドバイス』であろう。私が10年掛けて身につけたことを3年で身に付けている。凄まじい本だ。

これは、学級担任の仕事を知らなかった、または甘く見ていた若い教師にとっては喉から手が出るほど欲しかった本であろう。しかし、しかしである。本当にこれで良いのかと言う思いがずっと私にはある。それは、これらの仕事術の本の殆どが、学級事務に関わるものだということにある。

例えば、医者で考えてみよう。医者は臨床検査技師に患者の検査を依頼し、疑わしき部分について検査結果を得る。そして、そのデータを元に治療の方針を立てて治療して行く。教師はどうだろうか? 健康診断は結果が必要なのであって、教師健康診断をやる必要があるのであろうか。でもまあ、これはまだいい。

百歩譲って、健康診断を通しての子どもたちとのコミュニケーションに必要だということにしよう。直接子どもたちと接することができるからだ。顔色を見て、肌の色つやを見て、健康状態をあれこれ思うことは良いし、保健委員が仲間のために働くのは良い。

だが、やっぱり思うのはその学級事務の仕事の内容についてである。学校教育現場にいる教員は、子どもと関わりたいのである。そのために教師になったのである。関わることによって子どもたちを育てる伴走者になれるのである。これを阻害する現状の環境、システム、業務内容は問題があると言えるのではないだろうか。

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私の提案は、学級事務職を導入すべきであるというものである。これが学校に一人、できれば学年に一人入ると学校教育現場は激変するだろうと考えている。誰がやるか。理想は退職した教員である。さらに理想で言えば、これから教師を目指す大学生がペアになると良い。勿論新規に採用しても良い。

仕事術を覚えることも、それはかなり大事なことではある。しかし、私は学校教育現場の現状は、特に新人教師にとっては、それはほとんど無理なことだと考えている。教師の一年目は「目隠しをされて100m走を走らされる毎日」だと学生には言っている。教育は見通しを持って行わなければならない。担任は一ヶ月後、三ヶ月後、半年後、一年後の姿を思い浮かべながら行うのである。

しかし、一年目の教員は学級づくり、授業づくりでひーひー言う。特に小学校の先生は、例えば明日の6時間の授業の準備をしようとすると、一教科につき30分ずつやって3時間。子どものいる時間は子どもと遊んだりして関わっているので、やるのは放課後となる。

そして、その授業の準備は、一回やれば次にやるのは、早くて一年後。また同じ学年を担当するときだ。だが、実際はずーっと先になる。だから、毎日毎日授業の準備をする。そして、その他に学級の事務、学年の事務、校務分掌などが降ってくる。そして、それはやり遂げなければならない。やり方なんて習っていなくても。なんとなれば、「あなたは先生だから」なのだ。

教師は、採用試験に受かったら一年目から、最初から先生なのである。どーんとクラスを任せられベテランと同じ仕事を任されるのだ。担任だけで、授業だけでとても大変なのにだ。一般企業では考えられないだろう。新人が一人でいきなり車を売る自動車販売会社が、この世の中にあるだろうか? あるわけがない。だけど、教師の世界はそうなのだ。

確かに教員免許を持って採用試験にも合格している。だが、ちょっと待て。本当に良いのか? 良く言われる一般企業人としてきちんと働くのだというこの言葉。教師を一般企業の新人と同じにするなら、一人で仕事をさせるのはおかしい。

私の大学の教え子で、車を売る会社に就職した者がいるが、一人で販売を任されるまで、最低一年かかっている。それまで先輩の補助と言う形で仕事を覚えていく。それに、一人で一つの仕事をしない。必ずペアである。一人が倒れても良いように、ペアでやる。

ところが教員はどうだ? 新人でも四月からいきなり一人で最前線に立たされる。私が新人だった20数年前ならまあ、新人教師は熱意だけあれば保護者も分かってくれたし、3年ぐらいは待ってもらえた。それが今は、いきなり「年間学習指導計画案を見せて下さい」だ。結果を出せだ。さらに新人の教員に課せられている研修の量は、20年前に比べると5〜10倍になっているという話を聞いたことがある。これは無理だ。

東京大学の企業での教育に詳しい中原淳氏は、12/4に学芸大学で行われた第11回東京学芸大学教員養成カリキュラム開発研究センター主催シンポジウム「教師の学びを科学する」で、『研修などの教師「教育」の機会が企業と比べると圧倒的に多い。こんなに研修こなして、忙しくないのか。』とつぶやかれている。研修も企業と比べて多いのだ。

教育の世界に、企業のやり方を安易に持ち込んで、うまく行くはずがないと、なんで導入する前に分からないのかが、私には分からない。

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私は現在、京都橘大学で学級担任論という授業を持っている。この授業は、恐らく日本の教員養成大学でほとんど開設されていない授業である。http://bit.ly/hyxhJJに学級担任論と入力をしていただけるとお分かりいただけるかと思う。

嘗て大学院で学んでいるとき、「学校経営論」という授業があった。私はそれよりも学部での「学級担任論」に興味があった。しかし、学芸大学にはなかった。とても不思議だった。教員は全て校長にはならない。しかし、担任にならない専任教員はいない。のに、担任の仕事を教える授業がない。

なんでないのかとあちこちの大学関係者に聞いてみた。主な理由は二つ。その1。学級担任の仕事は学問ではない。なるほど、大学は学問の場である。だから学問ではない学級担任の仕事を教える授業はないというのである。その2。教えられる人がいない。大学の教員養成過程で授業を担当する教員に現場上がりの教員が圧倒的に少ないのである。確かにこの授業は現場を知らないとできないだろうなあと思った。

だが、仮に学問でなかろうが、お知られる人がいなかろうが、学級担任の仕事を教えることは大事である。必要である。大学では生活指導、道徳教育などは専門でバラバラに教えるが、現場に入ったら担任の目を通して指導は行われる。担任の視点から見る見方を理解する必要がある。

さらに、掃除、給食の配膳片付け、通知表の書き方などなど具体的なあれこれについて教えることのないまま、教育現場に立たせるってのは、この時代にどうなんだ?と思っていた。

その後、縁あって大学で教えることになる。そりゃあまあ、有言実行しないとなあと思って「学級担任論」を開講する。学生はこの授業を受けて、かなりがっかりする。担任の実態を知るからだ。しかし、15回のうち5回ぐらい過ぎると開き直り、残り5回で感謝を始める。

自分が目指そうとしている仕事の実態を学生時代に知ることができて良かったというのだ。実態が分かればそれなりに対応や準備ができる。ところが、この授業をしている教員養成大学が、ない。いいのか? 私は現場上がりなので、「後輩」を見殺しにはしたくない。

この学級担任論を見て頂ければ分かるのだが、この授業は「守り」の部分が多い。担任として足下をすくわれないようにするためのあれこれを講じている。学生たちは、この授業は面倒くさいと思っていると思うが、このぐらいで面倒くさいのなら、進路を考え直さなければならないかもしれない。

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で、そうであっても担任の仕事は多すぎる。特に事務が多すぎる。私は仕事を別にすべきだと考えている。a~eの5つをまずは、学級事務職の業務として提案したい。

a.印刷業務。私は多い時で年間180号ぐらい学級通信を出していた。他にも教科通信、進路通信、研修通信。職員会議資料...。書くのは良いのだが、印刷の時間がない。下手をすると、一日に1時間ぐらい印刷機の前にいる。だからこれをしてほしい。凄く助かる。

b.出席簿管理:/出欠席管理/遅刻早退管理。落ち着いている学校の先生は、「へ?」ということかもしれないが、そうでないところは大変。授業ごとに教科担任(中学)が記入したものを確認する。これが大変。因に、遅刻早退を繰り返す生徒ほど、自分の出欠席の記録を細かくチェックするので実に大変。「だったら遅刻するなよ」と言いたい所である。

c.提出物チェック  保護者会の出欠席、宿題、小テストなどなど。ここに給食費、教材費が入ると本当に大変。これを冷静に仕事、本務として行う学級事務職がいてくれたらと何回思ったか。ちなみにチェックするための名表も教員が自分たちで作る。

d.所見以外の通知表作成、指導要録、抄本作成、進学に必要な成三者面談資料作成、成績一覧表作成など。 子どもと遊びたい、子どもを大人のジョークでからかいたい、深刻な悩みには付き合いたい。でも、これらを作っていると厳しい。資料は必要だ。だが、教師が作らなければならないのか? 医者は検査結果が必要なのであって、医者が検査をする必要はあるのか? 教師も資料は必要だ。だが、教師が作る必要はあるのか?

e.給食未払い催促  なんだかなあと思う。子どもの家庭の実態を知ることは大事だ。が、督促をなんで教師がするのだろうか? 教師の仕事は、子どもと子どもの家庭の事実を把握し、食べるってなに? お金を払うってなに?と考えさせることではないのだろうか? 時には教師が自腹を切って支払っている例もある。おかしい。

補遺:私が現状の学校に奉職しようとしている学生たちにお勧めしていることは、二つ。 一つ目。個人の電話番号は連絡網等に載せない。どこの市役所の職員で自宅の電話番号を知らせている人がいるだろうか? 私は中学校教員生活の最後の方は知らせなかった。知っているのはクラブで指導している生徒だけだ。遠征があるので知らせていた。

クラスの9割は、何も問題はない。ところが1割に問題があると、大変なことになる。夜中の11時過ぎの電話やあれこれ。子どもの命に関わる電話は、教頭(副校長)からかかってくるので知らせなくても大丈夫と言っている。

補遺2:二つ目。私が提案し続けて出来なかったこと。勤務時間を過ぎたら、学校の電話は「留守番電話」にすること。勤務時間とは、勤務をする時間です。市役所はそこで業務を終えます。学校も終えましょうよ。子どもの命に関わる内容は、指定の電話番号に電話で連絡が取れるようにしておく。この留守番電話方式は、私立の学校では導入されているところもあると聞いています。

因に私は、学級通信で時間割を公開し『この時間は職員室にいる可能性が高いです』と空き時間ならぬ「事務時間」を示していました。相談はこの時間に予約を取って電話をと。空き時間というとお茶を飲んで寛いでいるイメージがありますが、ね、実際は全然違うじゃないですか>先生方。これからは、事務時間という言い方を広げようではありませんか。

そりゃあ勿論、もっと学級事務職の仕事内容として考えたいところはありますが、先ずはこの辺りを「主義主張を超えた」現場教員からの訴えとして、提出すべきではないかと考えています。

長文をお読みくださいまして、ありがとうございました。

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コメント

twiter上で先生の書き込みを読ませていただいてます学校事務職員です。
要するに、教員の補助員が必要だということですよね。
先生の学級事務職員という表現になんだか違和感を感じます。
なぜだろうか??と考えました。昨日ツイトーしたんですが、明治以来の教員がすべてをするのが良いことだという文化が学校にはあります。
私たち学校事務職員は学校組織で教職員と協働して教育課程づくりへの参画により、子どもたちの未来を切り拓くことを目的として日々仕事をしてきていす。
しかし、先生の論を読むかぎりノンティーチングスタッフの協働は想定にないように思います。教員だけが一生懸命教育を行っている、その他の職員は助手としてしか認識されていないように思います。名簿も指導要録の学籍も給食費の督促も学校事務職員が行っています。先生の論からはこれらの仕事はどうでも良い助手が処理すればよいといっておられるように聞こえ差別感を感じます。もっと学校全教職員で学校を良くするシステムとしての提案をしていただきたいと思いますがいかがでしょうか。

コメントありがとうございます。

差別意識を持って書いているつもりはありませんが、そう受け取ることになってしまうのであれば、すみません。私は区別を考えています。

また、学校全体で子どもの教育に当っている学校で勤務したこともありますし、私は学級通信は事務室、用務員室、給食調理室、配膳室、警備員さんなどにも配って、子どものことをあれこれ相談してきました。また、学級担任論などでもこのノンティーチングスタッフの凄さや大切さを語っています。

その上で、やはり学級事務職というのが必要だと考えています。大学に移ってみて思うのは、本学の事務スタッフの優秀なことです。私には出来ないなあと思う事務仕事をばりばりしています。私はこれに感謝しながら学生の指導に力を注ぐわけです。

主に授業や学級経営に力量を発揮するのが教員の仕事だと考えています。その上で、学級事務はどうでも良い仕事だとは思っていません。むしろここがきちんと安定していなければ、回らないでしょう。会社の総務や庶務がしっかりしていなければダメなはずです。

現状では、総務、庶務、お客様苦情係をしながら営業や研究開発をしているというのが教員、学級担任だというのが私の認識で、ここをきちんと分けよう、区別して独立した仕事にすべきであると考えているということです。

医者は臨床検査技師の仕事を感謝していると思います。が、もし臨床検査技師を差別しているのであるとすれば、それはその医者の問題であって、システムの問題ではないと思います。

いかがでしょうか?

早速お返事ありがとうございました。

先生の書き込みを読んで安心しました。

>区別して独立した仕事にすべきであると考えているということです。

仕事を分担していくシステム化が必要だと思います。

外国はノンティーチングスタッフのしめる割合がとても高いと思います。それに比べ日本では600人を超える学校でも事務職員が一人です。これではなにもできません。
もっとノンティーチングスタッフを増やして、事務運営部門の充実をしていく事が質の高い教育につながると思います。
教員だけを増やすのだけでなく、事務職員の増員が必要だと思います。
先生の論には賛成なのですが、ただ、私のイメージしている学級事務職員からくる言葉のイメージが悪いのかもしれません。私が勝手に思っているだけかもしれません。大学の学部つきの事務職員のイメージなんでしょうが。

>>もっとノンティーチングスタッフを増やして、事務運営部門の充実をしていく事が質の高い教育につながると思います。

そういう文脈で考えております。何でもかんでも、学生ボランティアとインターンシップでやるというのは、あまりにも酷いと思います。

>>先生の論には賛成なのですが、ただ、私のイメージしている学級事務職員からくる言葉のイメージが悪いのかもしれません。私が勝手に思っているだけかもしれません。大学の学部つきの事務職員のイメージなんでしょうが。

教育事務職や学校事務職という呼び方をすると、現状の事務職と変わりがなく感じられるので、私は学級事務職というネーミングを使っています。

イメージとしては学部つきの事務職員というよりは、学科助手のイメージです。ま、うちの大学にはいないのですがf(^^;。いてほしいなあ。って話題がズレました。

早速、名前の変更ありがとうございました。

教員の三段階免許状の検討とか、読書教育の効果とか日々教育界は変化していますね。

今後とも先生のブログで勉強させていただきます。

庭のもくれんの木は葉っぱをすべて落とし、厳しい冬がくるというのに、花芽をつけ春の準備を始めています。

未来を見据えた仕事をしていきたいものだと思っています。よろしくお願いします。

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