だが、その逆はない
12/3
東京で娘の七五三をしてきた。
が、そりゃあ大事な娘だ。
今住んでいるところでもやりたい。
本当は、今日やる予定だったのだが、天気の様子があまりにもおかしいので、昨日の段階で延期を決定。
中止を決定したら、妙に朝から天気が良い。
風が強いので雲の流れは早い。
それが、琵琶湖に美しい絵を描いてくれていた。
◆
朝、ゆったりと風呂に入り、出てから何気なく琵琶湖を眺める。すると、雲の切れ間から光がスポットライトのように琵琶湖を照らしつつ、さらに細かい天使の階段が出ているではないか。
肉眼では結構奇麗に見えていた。
が、
(ま、iPhoneではちょっときびしいかな)
と思いつつ取り敢えずパシャリと撮影してみた。
それが、この写真である。
iPhoneなかなか凄い。
◆
スポットライトの中にいる時、周りの暗さが分からなくなるように、幸せの中にいる時、周りの不幸は分かりにくくなる。だが、その逆はない。
写真を撮りながらそう思うのであった。
光に包まれていると、周りの闇は見えなくなるのだ。そこが危険なのだろうなあと思う。
光なんてあっという間に他の場所に移動する。しかし、私という存在は光が当たっていようが、外れていようが関係なく私である。そんなことを考えていた。
◆
昼過ぎから市内に出かけて行った。昼ご飯のラーメンを食べに行った。ま、最後の紅葉を楽しもうと言う思いもあったのだが、こちらの方は、突然の雷雨で車の中からチラッと見ていくぐらいにした。
そういう鑑賞の仕方もあっての、京都の初冬である。
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