「さて、私の草履はどこにいったかね?」
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なぜだか知らないが、頭の中に昔読んだ笑い話がずっと浮かんでいた。今日の午前中だった。
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明治の文明開化のときに、陸蒸気(蒸気機関車)に乗ったオバアさんの話だ。そのオバアさんは、陸蒸気に乗るときに、草履を脱いで乗りこむのである。そして、下りるときに、
「さて、私の草履はどこにいったかね?」
と聞くという話である。たぶん、小学校のときに読んだ話だ。
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小学生の私は、(馬鹿だなあ)と思った。(そんな、当たり前じゃないか。乗ったところと、下りるところは違うんだから。落語の話にもそんなのあったけど、馬鹿な人はいるんだなあ)のようにも思っていたと思う。
だが、馬鹿だなあと言い捨てきれるものでもない、何かが残っている違和感もあった。小学生の私には言語化できないなにかだ。
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正月のあれこれの買い出しに、東京の私の街である聖蹟桜ヶ丘近辺をうろうろする。とても利便性の高い街で、どこになにがあるのかさっと分かるし、大概のものは手に入るので動きやすい。
それが終わってから、ちょっとだけ家を見に行った。というのは大規模修繕が終わって奇麗になったからそれを見ようと思ったのだ。
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ショックを受けてしまった。
我が家からは夏の花火大会の打ち上げ場所がよく見えていて、仲間たちと花火を見ながら宴会をするのが何よりの楽しみであった。
ところが、隣のアパートが立て替えをして、平らだった屋根が三角屋根になったせいで、その打ち上げの場所が見えなくなってしまったのだ。たった1mぐらいの高さなのだが、それで見えなくなってしまった。勿論、花火は上に上がるので見えるし、非常階段に出れば大丈夫なのだが、家からは打ち上げ場所は見えなくなってしまった。
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さらに、リビングの出窓のところから見える、公園の桜の木が、なぜか知らないが根元からバッサリと切られてしまっていた。
山桜で少し時機を送らせて満開になってくれるこの桜を、私は自主的にライトアップしてマンションのみなさんに楽しんでもらっていたのだったが、これもバッサリであった。
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かなりショックである。
勿論、この二つがなくなっても、このマンションの良さには何も影響はない。いま借り手が入れ替わっていて、開いているがすぐにまた借り手もつくはずだ。
が、小さな変化でこんなにも心が違うのかと思った。
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(ああ、そうか。そういうことか)
私は、陸蒸気に乗るときに草履を忘れたオバアさんのことを思い出した。
私は五年前に京都に職を得て、滋賀の琵琶湖の畔に家を求めた。そうなのだ。私の「陸蒸気」は、動き出したのだ。
確かに、聖蹟桜ヶ丘の家は、そこにある。しかし、五年前に見た光景を求めても、それは無理なのだ。「草履」は求めても、手に入れることは出来ないのだ。
あのオバアさんを笑うことは簡単。しかし、小学生のときに笑いきれなかったのは、そこに、実は人間の業を見ていたのかもしれない。ただ、それは幼すぎて言語化できなかったのだろう。
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「さて、私の草履はどこにいったかね?」
もちろん、今は私の「草履」がどこにあるのか、分かる。
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コメント
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お久しぶりです。
「草履」の話を読みながら、「手放せば手に入る」という誰かの言葉を思い出しました。
固執してずっと捨てられないものをとりあえず手放してみる、そうすれば手が空くので別のものを手にしてみることができる、そんな意味でした。
私も今年はそういう経験を私もしました。
草履を脱いで列車にのることは、成長するために必要なんですね。
いい話をありがとうございました。
2010年の最後に、良いプレゼントをもらった気分です。
よいお年を!
投稿: コディ | 2010/12/31 14:51
おめでとうございます。年末のコメントに今頃返事とは、実に申し訳なく、私らしいf(^^;。
草履は脱がなければ列車に乗れない。
そして、脱いだ草履は列車を降りるときの求めても、同じものはない。
当たり前のことなのですが、分かっているのですが、これが実際自分の身に降り掛かるとなかなかねえf(^^;。
ですが、そこを考えながらの一年になりそうです。
よろしくお願いいたします。
投稿: 池田修 | 2011/01/06 15:56