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2010/12/17

論文の胆である、問いとは 〜論文の書き方小論〜

12/17

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初めて卒業させる一期生。彼らの卒業論文提出締め切り3時間前となって、私が何かをするわけでもないのだが何かせねばという気持ちになり、書き表した文章である。論文の胆である問いとは何かについて書いてみた。

本当は事務仕事を進めれば良いのだろうが、そんな気持ちにもなれず、何か卒論に関わりのある文章をと思って書いていた。

論文を書いてみたい、書かねばならない。けどどこから始めて良いのかが分からない人へ、クリスマスプレゼントかな。

学生諸君にとって卒業論文は、初めての論文である。勿論、学術論文としては修士論文以上が論文であるが、折角論文を書くのだからそれなりの指導はしたい。

聞く所によると、東大、早稲田の法学部には卒業論文がないとか。たしか、EUでは卒業論文のない大学は、大学卒業の資格認定をしないという決まりがあったと思う。大丈夫か東大、早稲田?。うち、京都橘大学は大丈夫だ(^^)。

で、学生に論文とは何かを聞くと、よく答えられない。それでも聞いてみると、感想文と報告文であることが多い。簡単に言うと、思いを書くのが感想文。事実を書くのが報告文。考えを書くのが論文であるということが理解されていない。

では、考えを書く論文の柱は何か。簡単に言うと、問いがあって答えがある文章のことを言う。さらにもう一つ加えると、問いがあって論証があって答えがある文章である。この二つ、ないし三つのうちで何が一番大事かと言えば、問いである。

ところが、この問いというものが、さらに理解されていない。クリアな問いが立てられるかどうかが論文の殆どすべてなのだが、ここが理解されていない。だから、立たない。そこで、ここを説明することになる。

論文は問いである。クリアな問いをどう立てるかである。クリアな問いの条件は二つ。a.まだ誰も解明していない問いであること。b.自分に解明できる問いであること。この二つである。

a.世の中の森羅万象に疑問を持つことは可能である。しかし、問いに高めるのは割と難しい。いや、指導を受けていない学生たちを見ていると疑問を抱くことも難しいように見える。例えば、『乳児は大人があやしているときに舌を出すと、乳児も舌を出すね』「はい」『ここに疑問を持てる人?』

殆どの学生が変な顔をしている。何がおかしいのだという顔だ。『あのね、君たち舌を出せる?』当然学生たちは出せる。『じゃあなんで出せるの?』と聞いてみる。すると先ほどの私の質問について、変だということに気がつく学生が出てくる。

『そう。乳児は言語を持っていない。君たちには「舌を出せ」というとその言葉を聞いて理解して、舌を出すように命令が下る。じゃあ、言語を持っていない乳児はどうやってこの情報を手に入れて舌を出す行為につなげているんだ? 分かる人?』というと手は挙がらない。

『誰も分からないか? そう、このように誰も分からないことを問いにするのだ』学生たちは、なるほどという顔をしている。『だが、これは嘘。なにが嘘かというと、この問いはもう既に解明されているのだよ。知らないのは君たちの勉強不足ということなんだな』

となると、この疑問は解明されているのか? またはどこまで解明されていてどこから解明されていないのかを確認する作業が必要になる。これを先行研究という。ちなみに、私のゼミでは先行研究の結果、自分が立てた問いが既に解明されていると判明した場合、「振り出しに戻る」と言っている。

先行研究の結果解明されていない部分が見つかると、これを「盲点」と呼び、そこに隠れている問題を明らかにして問いを立てる。然し、これではb.が満たされていない事がある。先ほどの乳児の件で言えば、もしこの疑問が問いとして成立したとして、果たして私に解明できるのかということだ。

この問いは、脳科学の知見を学び、ニューロンの構造などを十分に理解したものが、やっとたどり着くことのできる答えに繋がっている。『a.宇宙に果てはあるのか? 誰も解明していない。b.ではあなたに解明できますか? 卒論じゃあ無理だね』このように自問自答を繰り返す。

そうして、自分が取り上げたいテーマについて、クリアな問いを一つ見つけ出す。これが手に入ったら、後は仮説を立て、論証のためにすべきことを考え、結論までの論の道筋を立てる。その道筋を目次案にロードマップとして示し、結論を論文のタイトルとする。

ここまでできたら、半分は出来たことになるだろう。定められた書式に則って、パラグラフライティングを活用して、一直線に論を通すように書き進める。完成となる。だから、論文はクリアな問いが必要不可欠なのである。

なお、どうしても疑問が思い浮かばないという学生には、以下のサイトが有効です。全国子ども電話相談室。過去の優れた質問と回答を見ることが出来ます。http://bit.ly/aO4zaT 私はこのサイトを使って、子どもの質問に答えるという課題を学生たちに与えています。

以上、論文の胆の問いについてでした。











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コメント

おもしろい。目からうろこがごそっと落ちました。こんなこと大学で教わらなかったなあ。感動。
う~ん、自分の卒論なんて報告文に近かったなあ。丹念に事実を拾い上げたことはほめられたけど。
小学校の授業だと総合学習なんかで問題解決学習とは言いながらもaでもない、とっくに解明されていることをなぞるだけだったり、時々bを出してきて、どつぼにはまる例が多くあります。まあ、そうなるのは教師の指導の問題だけど。
なるほどねえ。こうやってシンプルに整理されると至極納得ですわ。

ありがとうございます。
私も大学時代にこんなの習いませんでした。ま、あの時代の論文は、資料を集めるだけでも十分論文としての価値があったりしましたからねえ。翻訳されていない本を翻訳するだけで、論文という時代もありましたから。

私が論文(学術論文)とは何かをきちんと勉強したのは、大学院に行っているときです。修士論文を書かなければならないわけですから。そこであれこれ本を読み、パラグラフライティングを学びとやってきました。

自分が苦労したことで、後輩(学生)を救えるってのは結構嬉しいものです。ですが、私はこの苦労の部分が好きなようで、教わるよりは自分であれこれ出来たことが良かったなあと思っています。

問題解決学習は、恐らく調べた部分がきちんと整理されることが大事で、その先に自分の考えが少しでも乗っていれば、かなり良いのではないかと思います。ただ、論文の構造はこうなっているということを小学校時代に知れるとすれば、それはすげーなと思います。

では。

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