学級事務職を導入すべきであると再び主張したい
12/7
学級事務職を導入すべきであるという考えを表明している。この考えは、誤解を生む可能性があることを理解している。それは学級担任の下働きで働く人を作る、差別的な構造を生み出すという考え方である。ありがたいことに、これをコメント欄で指摘して下さった方もいる。
確かに担任の仕事は、現状でも教員養成大学で教えられていないことからも分かるように、正統的周辺参加、つまりは見て学べ、盗み取れというような部分が多い。だから、誰か師匠を見つけて学ぶというような階層的な構造ができやすい。
これは、落語の弟子入りほどではないが、師匠の身の回りのあれこれを世話することを通して身につけて行くことのイメージである。
だから、授業の準備などのあれこれは、授業よりも低い立場にあり、それをやる仕事の人は、授業をする人よりも低い位置にいるという考え方である。
実際、大学生のボランティアやインターンシップ、教育実習等の場合はそういうこともあるであろう。事務と授業の出来る教員が、あれこれ教えて、全くの素人に事務が出来るように指導するのであるから。
だから、授業の方が上位で学級事務が下位であるという考え方が出るのも分からなくもない。また、一般的に日本の社会では一見、事務方が下位に置かれているように見えることが多い。しかし、これは本当であろうか。
◆
学級事務の複雑さ、困難さ、面倒臭さというものを理解していない教員はいないはずだ。ここを丁寧にやらないと、子どもたちの教育活動に支障を来す。授業どころではなくなってしまうから、多くの教員はここを優先してこの仕事を遂行し、生活指導をし、残った時間で授業の準備をする。
教員の本務は授業である。これはそうであるはずだ。
しかし、この本務に辿り着くまでにやらなければならないことが多すぎる。これが本務を圧迫しすぎている。授業をする人でなければ出来ない仕事ではなく、他の人でもできる仕事。もっと言えば授業をする人よりも上手くできる人がいる仕事が、授業を圧迫しているのだ。
勿論、この学級事務を軽々とこなして、授業も、生活指導もきちんとやってしまう力量を持っている教員がいることも私は知っている。だがそれはその教員がかなり優秀なのであって、全体をそのレベルに求めるのは、現実的ではない。
◆
更に言えば、実は授業は苦手だが、学級の事務をやるのは好きという教員、または教員免許取得者、取得予定者というのは実は多いと考えている。
私は、授業で使うプリントが38枚必要だったら40枚印刷して行くタイプである。
(ま、だいたいこんな感じかな。足りないよりは良いだろうし)
と。
ところが、これをぴたっと38枚印刷して揃えることに心地よさを覚える人もいるのである。リソグラフでは印刷テストで一枚余分にプリントアウトされるので、37枚印刷してその一枚を加えて38枚にして
(よしよし)
と喜ぶ人がいるのである。私には信じられないが、いるのである。
ところがこう言う先生の授業がうまくいくかと言うと、そうである場合もあれば、そうでない場合もあるのだ。授業は人間相手なので、その場での臨機応変や今までの指導の経過などが重要になってくることがある。もっと言えば、予定通りに進まないことがたくさんあるのだ。
突然のことに対して、臨機応変で対応するのが難しい先生はいる。それが子どもにからかわれているということも理解できずに、ムキになって対応している先生もいる。しかし、その先生は職員室での出席簿管理で間違いを見たことがない。授業のプリントが足りなくなったのを見たことがないのだ。
◆
もちろん、逆の先生もいる。私だ。
会計が1円合わなくたって
(んなもん、1円ぐらい良いじゃん)
というタイプだ。こう言う奴は学級事務をするのは非常にまずいタイプである。書式、様式なんて別に良いんじゃないの。だいたい合っていればいいじゃん、というタイプだ。だから私が進路指導主任をしていた時も、数字や書式に関しては非常にみなさまに多大な迷惑を掛けている。
ただ、自分で言うのもの何だが、授業の方はまあいい方であろう。つまり、授業や生活指導、新しいものの企画立案、運営などには必要だが、私が職員室であれこれすると、職員室が混乱するタイプだ。
だが、職員室には必要不可欠だが、授業はちょっとねえ、という先生がいるのも事実なのだ。
◆
さらに、もう授業はいいなあという先生もいる。
子どもとの深い関わりにはもう体力的にも、精神的にも厳しい。子ども相手ではなく、親相手、教員相手といういことで管理職もあるが、それはしたくないなあ。
でも、子どものために役に立ちたい。学校のために役に立ちたいという先生がいるのも事実だ。
学校のこと、子どものこと、授業のこと、指導のこと。これらが一通り分かっていて学級事務職をする人がいてくれたら、それはそれはとても助かる。そういう人が行う学級事務は二枚腰、三枚腰での対応がされていることが多い。
私が30代の前半のころ、一回退職された先生が嘱託として再雇用され、同じ学年に所属されていたが、実に痒いところに手の届く事務をして下さった。だから、私は安心して突っ走ることができた。
私も
(ははあ、こういうときはこういうことをすると良いのだな)
と勉強しながら、とてもありがたく、とても幸せな実践を重ねていたと思う。また、当たり前だがこれは子どもたちの安定した成長に繋がることであり、大事なことなのである。
◆
学校は、いろいろな立場から、それぞれの長所を生かす形で子どもたちに関わることが出来るはずである。にも関わらず、現状では、エイヤッと子どもに直接関わる仕事以外の仕事を、いきなり大量に学級担任に任せたまま、毎日が動いている。
そして、精神的に追いつめられて職を休んだり、辞したり、死に至らされてしまう先生までもいる。
違う。これではダメだ。
先生の数を増やせば良いという問題でもない。
専門の仕事として授業。
専門の仕事として学級事務。
ここをきちんと分ける。日本の教育は、事務、事務職を蔑ろにしすぎている。そしてそれは、教員の授業の専門性も蔑ろにしていることになる。
それぞれの専門的力量を発揮して、学校教育で子どもを大人に育てる仕事を作り出すべきだである。学級事務職を導入すべきであると再び主張したい。
« ワイシャツのお店が、潰れるの | トップページ | まさに、有難いだ 竹内常一先生講演 »
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
賛成。企業や自治体だって、「アシスタント」という名前の事務担当者が配置されていますから。ただ、企業でもアシスタントを下働きとして位置づける人間は必ずおり、それが職場のクオリティを下げているのも事実です。
池田先生は、学級事務職にはどのような方を想定されておられるのでしょうか。私は、教師経験はありませんので、想像でしかありませんが、学級事務は学級経営と不離不可分のところがあると想像します。ですから、学級事務は、主幹教諭など、一定レベル以上の経験を持った教師がやるべきではないかと思います。むろん学級担任は離れて。
実は「事務を人に任せる」というのは、結構難しい作業です。ダメな人に限って丸投げします。そして事務が疲弊するのです。これを防止するには、ベテランが事務をするのが一番かと。退職教諭でもいいですが、学校運営への参画スタンスが難しいですね。
要するに、新たな職をつくるためには、それがうまく機能するガバナンスを設計せねばなりません。でないと必ず「上か下か」の議論が出ますから。(その前にその人員を確保する財源をどうするんだという議論がありますが)
長々と失礼しました
投稿: むらちゃん | 2010/12/09 00:54
>>学級事務は、主幹教諭など、一定レベル以上の経験を持った教師がやるべきではないかと思います。むろん学級担任は離れて。
本当にそうだと思います。
事務って、出来ていて当たり前。あっていて当たり前。それでいて、配慮があるかないかが事務をやる人の力量によってはっきりと分かるというものですから。
それが証拠に、教頭のハンドリングで職員室での仕事のしやすさが、全然違いますからねえ。学級担任論では課題作成を通して、学級事務について扱っていますが、きちんと項を立てて講じなければならないなと、今思っています。
投稿: 池田修 | 2010/12/10 06:38
現実的なご提案だと思います。
まあ、でも大切な子供の人格形成を預かる職業なのですから
40人ぐらいのマネジメント全般ぐらいはできていて欲しい(笑)
「新米期間を過ぎたら、自分でやりなさい」
・・・なシステムであって欲しいですね。
また、経営している会社の新人教育をやっていて思うのですが、
人はサポートがあると間違いなく依存心が出てきますね。
これも、うまく突き放す体勢であって欲しいですね。
何と言うか、自分で判断できない、
判断していても、どこか無責任さ(会社頼み)が入り込む
非常にウィークポイントを孕んだ提案だなあとも思いました。
我が社で言えば
「1分後に大津波がやってくるときに、
お前はお客様をどうして差し上げるんだ!
会社の先輩も社長のオレもみんな逃げているんだぞ!
誰も助けないぞ!」
という状況に対応できる人間を育てないといけない。
プロとしても大人としても。
ここが難しい!
これは「教育」という範疇では語れない分野なのでしょうかねえ。
制度設計にはJMAみたいな民間の社員研修を受け入れている人に
関わってもらえば良いと思います。
投稿: FIRE | 2010/12/12 15:22
>>「新米期間を過ぎたら、自分でやりなさい」
・・・なシステムであって欲しいですね。
それはそうなのですが、それは授業に関してというのが私の考えなのです。なんとなれば、例えば営業をやる人は、総務、庶務、お客様苦情係などの会社の組織、スタッフが後ろにいてその活動を守ってくれていると思うのですが、教員にはこれがいません。
いや、言い方を変えれば、総務、庶務、お客様苦情係などをやりつつ営業、つまり生徒の指導(授業、生活指導、クラブ指導など)をしているわけです。
そもそも業務が違うものをやらされている。だから、依存も何もないという考え方です。生徒の指導に関して言えば、指摘はその通りだと思っています。育てるのは難しいですよ。自分でやってしまった方が安定してできて、なおかつ早いもんね。
そこをぐっと堪えて、やらせる。
はあ、育てるのは大変だ(^^)。
投稿: 池田修 | 2010/12/15 17:53