まさに、有難いだ 竹内常一先生講演
12/8
今日は恩師が東京から来て下さった。竹内常一國學院大學名誉教授。本学の学生のために。京都橘大学児童教育学科学会での講演である。ありがたいことだ。
ありがたいは、有難いだが、本当にそう思う。
私が先生にご指導を頂いてもう30年になるが、まさか私が大学の教員になるとは思わなかったし、私の指導している学生たちに先生が講演をしてくださるなんて夢の夢にも思わなかったことである。
まさに、有難いだ。
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「教師・保育士しは子どもとどのような関係(物語)を取り結んだらよいか」が今回の講演のテーマである。
教室いっぱいになった学生たちは、必死に聞いている。だが、恐らく何のことだがほとんど分からなかったであろう。恐らく今のシステムで言えば、今日の講義は学生アンケートでは5点満点で3点以下になるのではないかと思う。
学生たちにとっては、確かに日本語で話しているのに、なんで分からないのだということにあると思う。だから、点数は低くなるだろう。
だが、ストロークのを長い言葉を学生に与えなければならないのだ。学生時代にわかるような説明、言葉ではだめなのだ。何だかわからないが、この話は聞いておかなければならない。そう思わせてしまう話を確かに私は30年前に大学の授業で聞いた。私もそうであることが、今の私の責任だと改めて思った。
5年、10年、15年と実践を重ねて来て、やっとその言葉の意味が分かる。いや、体の中に残っていた先生の言葉が、突然「こんにちは」というような感じで姿を見せるのだ。そんな言葉を体に埋め込んでもらった私は幸せである。
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以下に、先生の言葉を載せる。講演記録とハンドアウトから。
少し分かりやすいものを選んでみたf(^^;。
引用開始 ーーーーーーーーーー
出来事を事実として確かめ、事件化し、 事件をエピソード化、ストーリ化、ヒスト リー化していくことができる人は、 幸せである。が、このようにいくのは難しい。
自分の物語を作り出せずに放りだされた非正規雇用者が起こしたのが、秋葉原の事件なのかもしれない。人生を一貫として作るのが難しい時代にあり、子供達はもっと凄い時代になるだろう。日本に労働市場がなく、海外に求めるような時代になるだろう。
「子ども自身が人生(歴史)との生活世界の主人公、言い換えれば、「著者」 になるということである。ということは、教師・保育士はその「共著者」になるということである。
嘗て貧乏は、経済的に貧しいだけで社会には居場所があったが、現在、経済的に排除されるということは、社会からは維持されるということになってしまっている。
生活指導(教育と福祉)は、一人一人が自らの幸福追求権(他者ともに幸福になる権利であって、他者を排除してのそれではない)と生存権と平和的生存権を自らのものにしていくことを指導し、援助し、共同で追及する仕事である。
誰か、何かを奪っての、排除しての幸福追求権というのは、成立するのであろうか。 しないであろう。
日本の義務教育は、教育と福祉の両方に関わっていると私は考えているが、日本の教師にその自覚があるのだろうか。
貧困のなかにいる子供達のなかにいる子供達に、教師の視線はあるだろうか。高等学校を義務化するということは、実は社会の中に居場所を作るといことなのである。
ケアとは、この世界にいて安全・安心であるという感覚を保証することである。ケアは他者の呼びかけを開き直り、それに応答することである。人間は、自分をケアしてくれる人が所属する世界の方に注意を向け、その人とともに世界に応答するようになる。
投げ込みとしての同情でなく、受け入れとしての共感を。子どもを外から知るのではなく、子どもを内側から知ること。自分をケアすることができないものは他者をケアできない。
物が人を見るのであれば、子どもは主体として教師を見ているのである。問い、関わる存在である。ここが分かると教育という仕事は楽しくなるんじゃないですか。ただ、拒否も自己表現であってそれを聞き取りながら指導するのも教育である。
子どもは、拒否する力を持つことが大事である。が、人生には反抗期が点々としてあって、反抗しつつ世界を受け入れることを繰り返していくのではないか。だから、反抗することを受け入れる。 そして、その後に何に従うことが大事なのかをきちんと教える。正しいことには従う。誤ったことには抵抗する。これを教える。
ただしことに従い、怪しいことには疑い、 間違ったことには抵抗する。それが思春期である。正しい事に従うことができる子供達を育てられれば、指導・支援ができたということである。
引用終了 ーーーーーーーーーー
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私の学生たちにも、宝物の言葉が埋め込まれたことを嬉しく思う。
比叡山の空のように爽やかな気持ちであった。
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