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2010/01/09

だが、これが良かった

1/9

大学に行って仕事をしようと思う気持ちが半分。もう半分が、家でゴロゴロしていたいという気持ち。後者の勝ち。娘と遊ぶことにした。

朝ご飯を食べて、風呂に入り、昼ご飯を食べる。ああ、休日。しなければいけない仕事はあるのだが、急に行かなければならなくなった東京の仕事をしたのだからいいんじゃないのと、自分に甘い私は家で仕事。

だが、これが良かった。

夕方、奥さんの携帯電話が鳴った。なんだろうと思いながら娘を寝かせていた奥さんのところに持っていく。奥さんは

「077? なんだろう」

と思い出すのだが分からない様子。だが、突然思い出した。

「あれ〜〜〜〜。ひょっとしたらインフルエンザの予約の日かも」

慌ててかかってきたところに電話をする。するとやっぱりそうであった。受付終了まで15分しか無い。道路が混んでいなければその時間で到着。しかし、娘は熟睡。

『いいから電話しよう。それで「向かう」と連絡しよう』

と話して連絡する。大津市民病院は待ってくれると言う。ありがたい。325iにまだ寝ぼけたままの娘を乗っけて走り出す。

帰省の荷物を全部空にした325iは軽い。荷物が入っているつもりで踏み込むとあっという間に制限速度の所まで来てしまう。慌ててアクセルを戻す。

新型インフルエンザの集団予防接種の予約が取れたのは奥さんから聞いていた。だが、帰省があったことや、予約が取れたことだけで安心してしまって、さすがの奥さんも忘れてしまったのだろう。気持ちはとても分かる。私はそんなのばかりだから。

病院には、受付終了の時間を10分遅れて到着。有難いことに、何も問題なく対応してくれた。私はこのドライバーのために、家にいたんだなあと思う。

接種を終えてから30分は病院から出られない。接種後の急変に備えて30分はその場で待つようにとの指示であった。なるほど。これはありがたい。

病院は土曜日の夕方ということもあり、本当に誰もいない。待合室の電気もかなり消されている。それでいい。使わない電気は消すのである。

娘は、最初は大泣きしていたが、次第に遊び心が首をもたげてきたようで、あれこれ興味を示す。大きな窓の枠の下にはちょっと腰掛けることのできるような場所があった。そこには、

「ここに座らないでね」

と書いてある。娘はそこに向かって

「お父さん座って」

と言う。うーん、ちょっと悩んだが、

『あのね、ここにはね、ここに座らないでねっ、て書いてあるんだよ。だからお父さんは座れないんだ。あっちの椅子なら座れるよ』

と言うと、娘は不満顔。だけど、小さいことで「ダメなことがある」ということを教えていかなければ、大きなことでいきなり「ダメ」と教えても子どもは受け入れないだろう。小さな戦いだけど、大事な戦いをする。

すると、娘はしばらくしてから

「うん!」

と言って、椅子の方に向かう。ああ、嬉しい。そうなるとお父さんは、さらに遊んであげたくなる。そうだ、かくれんぼがいい。

ということで、お父さんが隠れる。誰もいない広い待合室なのでできることである。隠れて

『お父さんは、ど〜こだ?』

とやると探しに来る。

「み〜つけた!」

と。何回かやった後に、娘に隠れてと言うと、隠れる。びっくりだ。もうかくれんぼができるんだ。体を縮めているだけで、隠れていないのだが、意味は分かっているようだ。

『み〜つけた!!』

とすると、とても嬉しそう。

嘗て、恩師竹内常一先生は、

「伝承されている子どもの遊びには、人間の真実の多くのものごとが含まれているな。たとえば、かくれんぼは、【死と再生】だな」

と仰っていたが、娘を見ていてそんな気がする。twitterなど当然なかった頃だが、恩師の呟きをなんとなく心に書き留めていたんだなと改めて思う。

で、無事に新型インフルエンザの予防接種を終えて、帰途につく。直接帰るのもなんなんで本屋に寄る。娘と奥さんは、浜大津の公園へ。この公園は我が家の対岸にあり、ベランダからも見えるので、わざわざ出かけることはないのだが、いってみてなかなか良かった。

まあ、東京で言えばお台場に噴水があるような感じかな。だけど、冬とはいえ、本当に誰もいない。いいのか、こんなにロマンティックな場所なのに。京滋の恋人同士は何をしているのだ。

あまりにも美しかったので写真を二枚。
ISOを800にした上で、シャッター速度を2秒に設定して撮影。昼でも夜でもないような絵になったかな。良かったらクリックして拡大してみてみてください。

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明日こそは、仕事をするぞf(^^;。

『NHK伝える極意〈2〉話す極意―達人に学ぶコミュニケーション』

4811386140 新刊が出ました。『NHK伝える極意〈2〉話す極意―達人に学ぶコミュニケーション』です。

一昨年出演したNHK教育テレビ『伝える極意』の、私が出演した四回分が、第二巻にまとまっております。シリーズとしては全部で四巻セットになりますが、第二巻だけは出演回数の多かった私だけで校正されています。うーむ、いいのだろうか。良いことにしよう。

今回は、

引用開始 ーーーーーーーーーー

『NHK伝える極意〈2〉話す極意—達人に学ぶコミュニケーション』
NHK「伝える極意」制作班【編】汐文社 (2009/11/30 出版)
46p / 26cm / B5判
ISBN: 9784811386140
NDC分類: K361
価格: ¥2,100 (税込)

引用終了 ーーーーーーーーーー

ということで、スピーチ関連です。

1)スピーチの極意(1)     一分間で思いを伝える
2)スピーチの極意(2)     おどろきのハンドパワー
3)自己紹介の極意       わたしのことを知ってください
4)話し合いの極意        話して聞いて幸せになろう

の四回の番組を、番組の映像等を使って本にしてあります。良かったらご活用ください。

言葉を使い分けている

「お父さん」
「ぱぱ」
「おさむ」
「お父さま」

娘は最近この言葉を使い分けている。
それも、自分の目的と状況に応じて使い分けている。
うーむ。
なかなかやるなあ。

下に来るに従って、おねだり具合が多くなる。
もちろん、私はそれに従ってめろめろになる。
いかん。

収穫ありである

1/8

朝起きると、昨日の夜景の美しさの向こう側に隠れていた神々しい姿が、眼前に広がった。富士山である。品川からでも見えるのだなあと素直に感動。

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品川と言えば、品川心中。古今亭志ん朝の名演がある。海のすぐ近くであり、東海道のスタート地点でもある。いまは、電車ばかり集まっていて海という感覚はないが、富士山が見えるなんて感覚はもっとない。

しかし、22階ぐらいに宿を取れば、いまでもしっかりと見える。江戸時代だったらこんなに上に上ることはできないが、逆に言えば、地上からでも富士山は見えたのかもしれないなあと思う。

関東にいる時は、富士山なんて特に珍しいものではなかった。極めて日常。私は物心ついてから住んだ家からはずっと富士山を眺めることができた。だから、日常。ではあるが、ちょっと考えれば、富士山を毎日眺めて暮らすことのできる日本人なんて日本全体から見れば少ないはずだ。

滋賀県に住んでいれば琵琶湖を見て生活することができると思いがちだが、琵琶湖の側で生活している滋賀県人の少ないことと同じであろう。

自分の普通は、普通は特殊である。

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今回の出張は、【平成21年度大学教育改革プログラム合同フォーラム】というものである。いわゆるGPである。先きにこのGPを通っている大学の実践発表があり、これを聞きにいくと言う出張であった。

会場は、国際展示場、ビックサイトである。ビックサイト。なんて懐かしいんだろう。ちょっと鼻の奥がキュンとする。

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ディベート甲子園を立ち上げたのは今から15年ぐらい前のことである。第一回大会から第七回大会までは、このビックサイトが決勝戦の舞台であった。私は、生徒たちと一緒に第七回大会の決勝戦で、この舞台で戦っている。

会場に入ってみて、ちょっと思ったのは
(あれ、狭いんじゃないの)
ということである。前の方に座ったからかなとも思って見回すのだが、やはり狭い。ちょうど卒業した学校を久しぶりに訪れたときに感じる、あの狭さと同じようなものである。

「池田君、それは君が成長したということだよ」

と卒業後先生に言われたことがある。お世辞だと分かっても嬉しかった。そして、それが本当だったら嬉しいなあと改めて思う。ビックサイトが小さく見えるのが、私の成長であれば嬉しいなあと。

発表と、パネルディスカッションで学ぶ。数年後は、私たちの大学もここで発表となる。発表を見ながら、どうやってやろうかと考えて、いくつかのアイディアを手にする。収穫ありである。

昼休みに食事に向かう。
会場の外にいる人たちは、みんな大学の先生。たっくさんである。

ああ、衝動が私を襲った。
『先生!』
と大声で叫んだら、ここにいる何人が振り返るかなあと思ってしまう。
必死のことで自分を抑えた。

疲れたので、自腹でもう一泊しようかとも思ったのだが、ま、十分に帰れる時間でもあったので京都に向かうことにする。折角なので、東京駅から帰ることにする。

東京駅に向かう車窓から東京の街並を見る。いやあ、東京だ。どこまで行ってもビル。そして、まだ、これでもかっ!というぐらいに新しいビルが建設されている。凄いねえ、まだここに入ろうとする企業や人がいるわけだ。そして、さらに凄いのは、このビルのすべてに持ち主がいるということである。

いっこぐらい、私にくれないかなあと、下世話なことを思う。

東京駅について、
(ま、このまま帰るのもねえ)
と思う。
東京駅と言えば、八重洲ブックスセンターである。が、鞄の中は資料で一杯。さらに、読んでない本が家に溢れている。恐らく新幹線は疲れてしまって寝てしまうであろう。

ん、寝る?
気持ちよく寝たいものである。そうだ、新丸ビルに行こう。
数年前に、ここに私の友人の神田外語大学の臼井さんと来たことがある。たしか、ここに美味しいビールを飲ませてくれる店があったなあと思って、向かうことにした。

新丸ビルは、さすが東京のオフィスビルという感じでセキュリティもしっかりしていて、なかなか入りにくい感じである。ま、相当東京に慣れている大学生でも、二の足を踏むぐらいのいわゆる、関西でいうところの「シュットした」センスのいいビルである。

目の保養ではないが、エスカレーターで一つずつ上りながら、今の流行を眺めながら上っていく。すると、

「・・・のみなさんは、・・・」

というアナウンスが聞こえるではないか。はあ?

「良い子のみなさんは、手すりにつかまって・・・」

という例のアナウンスである。ちょっと待て。ここは仮にも東京駅の新丸ビルだぞ。良いこのみなさんって誰だ?あまりにも杓子定規すぎないか? アナウンスを切るか、変えるぐらいしてもいいだろう。

で、無事に目的のビールにたどり着く。新丸ビルの5階にある、「FRANZ」である。ここのバイツェンはかなり美味しい。一杯をじっくりと味わっていただく。このぐらいのご褒美はあっても良いだろう。

あは、うまひ。

ところが、京都に向かう新幹線の中に乗り込んだときに最後にショック連発。

(N700系じゃない!)
のである。みどりの窓口で、しっかりとN700系と伝えたのに、間違えられていた。ああ、折角無線LANが使えるようにしてあるのに、使えないではないか。悲しい。

さらに、接続のために取り出していたiPod touchを見ると、さっきまで書いていたブログの文章が消えている。ひえー!ショックショック。

新幹線が動き出してから、30分ぐらい落ち込む。

ただ、一つの救いは、夕焼けを追いかけて走る新幹線であったということだ。時速280キロでは地球の自転速度に追いつけるはずも無いが、ほんの少しだけその日没の瞬間を引き延ばしてくれた。

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急な一泊二日の出張。
ま、こういうこともあるか。

さ、家に帰ったら娘に遊んでもらおう。

本日は授業の日

1/7

昨日は帰ろうと思ったら、四回生が研究室にやってきた。
私の研究室は、灯りがついているのが結構大学のあちこちから見えるので、いるかいないかがバレバレなのである。学生にとっては分かりやすいのである。

『ん、どうした?』

と話しを始める。新年の挨拶に来たという学生と、今後の進路についてあれこれ話す。情報や資料も渡す。そして、

『大事なことは、いろいろな情報を参考にして、一人で静かなところで決定することだ』

と伝える。しっかり。

美しい朝を迎える。Rimg1187

で、本日は授業の日。三つ。

国語科教育法。

この時期、中学三年担当の教員は何をしているのかを話す。学生、生徒の時代には殆どわからないのが、この進路事務である。個人情報が多く含まれるので、なるべく生徒たちから離れたところで行う。だから、分からないままである。そのあたりをあれこれと。

授業のメインは、試験問題を解くである。私の作った問題を解くのではなく、学生たちが冬休みに作って来た問題を解き合うのである。

前期に試験問題の作り方を教えてある。今回は、二回目である。題材は、自分達が行った模擬授業のテキストである。このテキストを元にした試験問題を作成し、解き合う。作るのは二回目であるから慣れてきている。解答では、学生たちは真剣に満点をとろうとやり始める。

ここでストップ。指示を与える。
『君達、満点を取ろうと思ってやってはいけないよ。18人のテスト問題を解いた結果、正規分布になるように解くのだよ』
と。

次週は、このお互いに解き合った問題を採点し、成績処理ソフトに素点を打ち込んで評定を出してみると言う作業をする。だから、全部満点では意味が無いのである。正規分布になるように答えてくれないと困るのだ。

いよいよ、この授業も最後になるなあ。

児童総合演習

自分たちで実践記録を読み続けることを続けている。今日のテキストは、なかなか手強くて読み切れないものがあった。私自身、スッキリしないところがあり、それを正直に学生に話す。分からないものについては、仮説を挙げて、そのままにしておくことも大事である。

無理矢理結論を出して、先に進むと失敗することがある。棚上げできる問題は、棚上げしたままにするというのも大事だ。結論を出してすっきりしたいのが人間ではあるが、すっきりしたい欲求をぐっと堪えて考え続けるってのも大事なのである。

教職総合演習

早期教育についてであった。テーマは面白いのだが、今回のグループは事前指導の予約を入れることができず、メールでの指導も一回しか求めてこなかったので、ほぼ事前指導なしでの発表となる。となれば、あちこちにアラがある発表となってしまった。卒論であればアウト、というよりもこの授業でもアウトである。

・レイアウトがバラバラ
・引用した文献の出典の表記が曖昧
・主張と資料の混濁

になっているのである。これらを厳しく指導。
特に、ハンドアウトの訂正箇所の修正を求めるときに、ニヤニヤしながら説明をしているのを見て、私は久しぶりに授業の最初で叱った。

『発表を聞く者に負担をかけてしまうような準備不足をしておいて、なんでニヤニヤ笑いながら説明をするのだ。私は非常に違和感がある。申し訳ないという姿勢が全く感じられない。ニヤニヤするではない』

と。授業の最初に叱ると、その後の展開は、マイナスの雰囲気から始まる。学生たちが発表する授業においてはこれは大変になるので、一般の授業ではしないように配慮している。もちろん、ゼミや自分がやる授業においては配慮しない。ゼミはそういう場ではないし、私の授業であればマイナスの雰囲気から始めようが何だろうが関係ないからである。

だが、今回は一喝した。ニヤニヤして自分の失敗を許してね、というようなメッセージを送るのを私はよしとしない。謝る時は謝るべきである。そして、笑顔は相手から許しのメッセージとして与えられるものだと考えている。今後に生かされることを期待する。

その後、研究室で年末年始の片付けや、事務仕事をしようと予定していたのだが、急な出張が入り慌てて家に帰ることにする。

いったん、車を家に置いてそのまま京都駅から品川駅に向かう。前泊である。
京都駅のホームでふと思いつく。今作っている本の編集者さんから、
「東京にいらっしゃる際はご連絡を下さい」
と年賀状にあったのを思い出す。

『あ、あけましておめでとうございます。一巻目はなんとかなりましたか』
「あ、先生。おめでとうございます。御陰さまでほぼ完了です」
『それは良かった。で、いま東京に向かう新幹線に乗るので京都駅のホームにいるのですが』
「え〜〜!! そうなんですか。先生、一緒にお食事でもどうですか」
『え〜〜!! 大丈夫ですか。じゃあ、えっと、私が乗る新幹線は、あ、来た。のぞみの○○号で〜』
「分かりました」

ということで、品川でみなさんと久しぶりにあって、一巻の完成を祝い、二巻三巻のこともあれこれ話す。

奥さんに言わせると、あなたは用事をあれこれ詰め込みすぎると言われてしまうのであるが、まあ、そうかもしれない。だが、折角なのでねと思ってしまうんだなあ。

Rimg1199 明日に備えて余裕を持ってホテルに戻る。なんだ、オレ大人じゃん(^^)。

2010/01/06

「正解にする」のである

1/6-2

冬休みの部分のブログが抜けている。
ぼちぼち書いているが、ま、取り敢えず、通常ブログとして、今日のことを書こう。

学級担任論から今年の授業が始まる。今日のテーマは、「いじめ」。実際に小さないじめの場面を設定して、そこを発見した学級担任としてどう指導するのかと言うワークショップを行う。

教師の振る舞い、つまりノンバーバルコミュニケーションが全くできていないことを指摘。さらに、いじめの構造がどのようになっているのかを理解できていないので、指導のポイントがずれていることを指摘する。

今日はここで時間切れ。いえなに、タイマーの設定を間違えてしまったのである。タイマーの10分の桁が消えているので、
(あれ、もう残り時間が5分か。おかしいな)
と思ってやっていたのだが、実際はタイマーの液晶画面が壊れて写っていなかっただけ。でも、まあ区切りの良いところで終わることにする。

もう一つ授業が終わらなかった理由がある。それは、新年ということで導入に時間をかけていたのである。二回生の彼ら彼女らは今年成人式を迎える。そして、今年度の最後には、ゼミを決め、教職に進むのか一般企業に進むのかの判断もしなければならない。

こうなると、なんとなくではあるがガイダンスをしてあげたいと思うのが教員の性である。

私がこのごろ良く考えるのは、こういう人生の選択に正解は無いということである。どこの大学に入ろうが、教師になろうがなるまいが、結婚しようがしまいが、これが正解というものはないということである。

だれかがあらすじを書いてくれてその通りに過ごす人生が楽しいというのであれば別である。しかし、このあらすじをきちんと書ける人はいるのかと思うし、そのあらすじが気に入るかどうかというのは別の問題でもある。つまり、「予め用意されている正解というものは、ない」のである。それが生きていくということである。

私たちに許されているのは、選んだ人生を「正解にする」というオプションだけである。自分と仲間で正解にするしか無いのである。分からなければ勉強し、学び、教えを乞い、そして行動に移していきながら「正解にする」のである。

ところが、多くの学生は正解はどこかその辺りに転がっていて、勉強をすれば手に入ると考えているきらいがある。または、勉強してこなかったので正解は手に入らないと思い込んでいるきらいもある。

違う。人生は過程であり、過程は作り続けるものである。だから、正解にすることが可能なのである。

てなことを、話していたら時間が無くなってしまったのである。
明日も他の授業で話す予定であるが、時間管理はしっかりしようと思うf(^^;。


さて、今日から新学期

1/6

さて、今日から新学期。年末年始のあれこれは時間を見つけてアップするとして、とにかく今年度後一ヶ月の授業を始めよう。

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