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2010/05/01

マッチ売りの少女のように本が訴えてくる

5/1-2

休みだというのに、娘のキックが激しくて早起きしてしまう。六時前だ。折角なのであれこれ考え事をする。文章を書く。本を読む。

ま、昔からGWは仕事をする時間だったので、どこか遠くに行かなきゃという気持ちは無い。四月からの仕事で崩れてしまった体調を元に戻し、授業の進度を確認し、本を読んで研究会に参加してだいたいGWは終わっていた。

ではあるが、久しぶりに買い物に出かける。草津のAEON MALLである。結構大きいので歩いているだけでも良い運動になる。私は本と文房具を購入して取り敢えず満足。学生の卒業論文関連の本を数冊購入できた。

問題意識を持って眺めていると、向こうから
「買って下さい」
とマッチ売りの少女のように本が訴えてくる。面白いもんだ。

あ、結構面白いお酒も手に入れられたので、これも満足。
なかなかやるなあAEON MALLと思った次第である。

帰宅してから娘とガーデンに行く予定が、娘はお母さんの腕を抱えたまま熟睡。折角なので久しぶりに1人で出かけることにする。

ベルギービールを一本もって、さっき買った本を二冊抱えて琵琶湖の湖畔に向かう。持参したガラスの器に少しずつ注いで一時間かけて飲みながら、読書。なかなか良い時間であった。

さ、明日もいい天気になりそうだ。

じゃあ、どうやったら違和感が得られるのであろうか

5/1

じゃあ、どうやったら違和感が得られるのであろうか。
この辺りで昼寝に入ってしまった。
続きは夢の中で考える私であった(^^)。

で、考えた。まじめに素直に勉強する私と、本当にそうなの?と疑う自分の両方が自分の中にいることが大事。

勉強というのは、素直に指導者の指示に従いまじめにやることで伸びる部分が多い。一回一回算数の問題にケチを付けてもダメである。

「リンゴ三つとみかん二つは足すと何個になるでしょう」
という問題に
『そんなものは、足せない』
と言い張る小学校一年生の時の私のような子どもは、アウトである。勉強による成績はなかなか伸びない。先生からも嫌われるf(^^;。

ところが、指導者の指示を疑いも無く受け入れ続ける体を作ってしまうと、今度は先生の説明に、文章の中に疑いを持つことができなくなってしまう。なんでも納得してしまうのだ。だから問いが立たないのである。

ざっくり言うと、高校まではまじめに素直に勉強することを求めているのが日本の学校である。しかし、大学は専門課程に入る頃から、論文を書かせる頃から疑う自分が重要になる。

嘗ての池田少年は、大学生になってやっと日の目を見ることになったのであるf(^^;。ま、同じ世代の仲間からは相変わらず変なやつと思われていたが、上の世代の仲間からはおもろいやつと思われるようにもなって行ったのが、この頃だったなあ。

素直にまじめに勉強しないと、基礎的なものは身に付かない。だからこれは大事。だが、鵜呑みにしないことを意識しないとダメと言うありきたりの答えにたどり着く。

もう少し考えると、勉強においてはなんとか理解のところまでは到達すべきであろう。しかし、納得いかなかったものは、そこに違和感の芽があるはずである。無理矢理納得する必要は無い。そこが大事な部分なはずである。

嘗て、ファイルメーカープロに修士論文のデータを入力しているときに強く感じたことがある。

(を、これは修論の良いデータになるな)

と文献を引用のために入力していると、そのデータは自分の主張を支えるためのデータであるにもかかわらず、そのデータに反論したくなるという経験を多くしたのである。

私は「本当にそうなの?」という部分が強いのだなあと改めて思ったものだ。研究をするためにはこういう私の部分は強みになると思う。が、日常生活を送るには相手から見ると迷惑な存在だろうなあとも思う。

頭のどこかにこの二つを切り替えるスイッチがあって、そこを押すと切り替わる面白いなあとは思う。だが、これは無理。しかし、そういう意識をするだけでもかなり違うんじゃないかなと思う。

少なくとも私は、日常生活をなるべく人様に迷惑を掛けないように生きるために、切り替えて「まじめに素直に」ということを考えて生きている(つもりだ)f(^^;。

私は、違和感だと思っている

4/30

金曜日は体を休める日にしたいなあと思っている。出来ればゆっくりと寝て、だらだらと本を読んでという感じにしたい。

今日は、午前中食事のあとベランダでお茶を飲みながら、本を読む。読んでいたら、睡魔が襲ってきて、さらに娘が襲ってきた。

「お父さん、起きて!」

との攻撃である。しばらく、私の体の上に寝転がって一緒に寝る振りをするが、結局起こされる。私の読みかけの本には何やら怪しい書き込みもたくさんしてある。私が読みながらあれこれ書いているのを真似しているのだろう。

昼前に、娘に連れられて出かける。自転車を押しながら近くの公園に向かう。滑り台とブランコだけの公園だがお気に入りである。

「お父さんも!」

と言われて一緒に滑り台やブランコをする。まあ、公園でひとりおっさんが、ブランコに乗っているのは怪しいので、何となく乗りたい時も我慢していたが、いまは娘のお陰で堂々と乗れるf(^^;。ありがたいことだ。

昼ご飯を外食して、帰ってきたらお昼寝。私も付き合う。付き合いながら、あれこれ考える。卒論指導に関わってのことである。

「全ての意見は反論である」

宇都宮大学教授の香西秀信氏は、このように述べていたはずだ。納得するならわざわざ言わなくても良いわけである。意見は反論だ。

その反論を、主張と根拠を元にして論理的に意見を構築し、反論して行くと科学になる。科学とは反証可能性のことであると、カール・ホパーが言う通りである。

その通りなのであるが、そんなに簡単に反論は見つからないのだ。数学者の藤原正彦氏は、

「論理とは、1足す2足す3足すと繋げて行くものである」

のようなことを述べた後に、

「では、最初の1はどうやって手に入れるかと言うと、論理では手に入れることができない」

と言っている。たしか、『国家の品格』(新潮新書)だったような気がする。じゃあ、どうやって手に入れるかと言うと、藤原氏は直感だと言っていた気がする。

さあ、こうなるとあれこれ考えるのである。
問いがあって、論証があって、答えがある「論文」を書くのに大事なのは、論理性だけではなく、問いを得ることである。そして、その問いを得るには、論理性では得られないということになる。

であるとすれば、その問いはどこから手に入れるのであろうか?
私は、違和感だと思っている。

1)違和感を得る
2)疑問を持つ
3)問いを立てる
4)仮説を立てる
5)論証する
6)答えを出す

という流れである。論理性が必要になるのは、3)から先ではないだろうか。

じゃあ、どうやったら違和感が得られるのであろうか。
この辺りで昼寝に入ってしまった。
続きは夢の中で考える私であった(^^)。

2010/04/30

問いがあって、論証があって、答えがある「論文」

4/29

四回生ゼミは、卒論指導が続く。
春休みに卒論関連で各自が進めた部分について発表し、質問を交わし、コメントをするという形で行っている。

なんといっても、問いが難しい。問いがなかなか立たないのである。やっと立ったと思ったら、

1)あまりにも大きすぎて学生には答えきれない問いになっている。
2)実はその問いは、もう答えが出ている。

この二つのうちのどちらかになっていることがほとんどである。

この世界の中の何について問いを立てても基本的には構わない。教育の国語と学級についてを主にするのが私のゼミではあるが、何でもまあ、構わない。何でも良いにも関わらず、問いが立たない。この経験は彼ら学生諸君にとっては驚くべきものであろう。

学生が問いを立てようとする時に、もう一つ私が大事に聞いていることがある。なぜ、あなたはその問いを立てようとしているのかである。この世界の中の何について問いを立てても基本的には構わないにも関わらず、なんでこの問いを立てようとしているのかである。

あなたが問いを立てた理由である。ここが曖昧だと、その後の論述が深まらないことが多いと感じている。きっかけではなく、理由である。

卒業論文なのだから、膨大なレポートでもいいかなと思うこともある。が、それは折角四年間の集大成として論文を書くチャンスを与えているにも関わらず、膨大なレポートでは、なんだかなあと思う。

やっぱり、問いがあって、論証があって、答えがある「論文」を書かせてやりたい。

授業の後も、あれこれ個人的に相談に乗る。それで少し方向性が見えた学生もいる。良かった良かった。

その後、ヨドバシカメラまで車を走らせる。CX2の調子がちょっとおかしかったので、修理に出す。ついでに壊れていたR7も修理に出す。R7はヨドバシカメラの修理ポイントを活用する。

しばらくはオリンパスとPENTAXでカメラライフを楽しむことにする。

ああ、早く京都駅前のヨドバシカメラがオープンしないかねえ。大阪まで持って行くの、結構時間がかかるからなあ。

夜は、新しく学科にお迎えした先生の歓迎会。学科の先生方と美味しいものを食べながら、あれこれ話す。忙しくはあるが、こういう時間も大事だ。

2010/04/29

あれこれの「種と仕掛け」を解説

4/28

娘がプレ幼稚園に行く日。行ってしまえば楽しんでくるのだが、行く前にはあれこれ理由を付けて行かない振りをする。今日も自転車に乗って滑り台に乗りに行くことを主張。結局、これをやってしまえば、

「今日は泣かない」

と言って元気に参加。健気である。

なんか今日は編み込みの三つ編みをしてもらったとか、折り紙で熊さんを作ってもらったとかで、ご機嫌であった。

授業は研究入門ゼミ。ナンバリングとラベリングを学んだ後の今日の課題は、発表と質疑である。「ふるさと自慢」というテーマでスピーチを考えさせてある。これを発表させながらあれこれ指導する。

・質問にはオープンエンドとクローズエンドの二種類があること。
・質問は、早いものがちであること。
・子どもの活動には、小さくても良いから予行演習を入れると良いこと。
・全員参加の授業を作るために、工夫すべき点。
・子どもの呟きを拾う重要性。

新入生はびっくりしながら話を聞き、メモを取っている。そりゃあまあ驚くだろうなあ。今目の前で学生自身が私の指示に基づいてやったあれこれの「種と仕掛け」を解説されるわけだから。

先生ってそんなにあれこれ考えて授業を作っているとは思ってもいないだろうから。
(なんか、授業が盛り上がるな)
と思っているのだが、実は盛り上がるように、意見が出やすいように「種と仕掛け」が学習者には分からないように設定されているってことにここで気がついたのだから。

どんな「種と仕掛け」があるのかは、分かったと思うが、ま、実際にその凄さを実感するのは模擬授業や教育実習に行ってからだろう。「分かると出来る」の違いも、また後から分かるのである。

夜は、
「お父さんと一緒にいるの。今日は寝ないの」
とべたべたしてくる娘。それはそれで嬉しいが、寝るに決まっているので、
『寝なくていいから、歯を磨こうね』
と言うと
「寝ないの」
と。

大学が始まれば、一緒にいる時間は当たり前であるが少なくなる。帰ってくるのも遅い。遊んであげる時間は少なくなる。そんなこともあって、べたべたしたいのかなあと可愛く思う。

なるべく早く帰ってこようと思う。

2010/04/27

つながるって大事だよね

4/27

やっと授業のリズムが体に戻ってきた感じだ。授業を開始して三週目である。

児童教育学科の学生は去年、一昨年と教えているので私の授業がどんな風に進むか分かっている。だから、ここは最初からあれこれやってもオッケー。ただ、久しぶりに私の授業を受ける学生の多い授業などでは、少し丁寧にやらなければならない。これも三週やればまあ、大丈夫だろう。

生活のリズムも授業にあわせたものになってきている。ま、大学と家が近いから、朝もそんなに早く起きなくていいので助かっている。ご飯を食べてお茶を飲んで、娘と少し遊んででも間に合うのは助かる。

国語の授業では、声の重要性についてあれこれ論じている。発声もそうではあるが、声である。声は多弁である。声をコントロールできるようになることは、授業を作る上で重要だと考えている。

にも関わらず、授業を作る上で声についてあれこれ話をしてくれる授業というのもほとんど教職課程にはないだろう。本当なら、これだけで十分に半年間のレッスンができる内容だと思う。学生のうちは、この声の重要性に気がつく者は、少ないと思う。ただ、教育実習から帰ってきたら、これは感じるであろう。

本学でも、実習後の四回生の前期などにこういう授業を設定するといいんだけどなあと思う。

久しぶりに午後に時間が取れたので、研究費の処理やら授業の準備やらをする。こういうのをてきぱきとやっておかないと、後から襲ってくる仕事の波に飲まれてしまうことになる。

よくわからないが、サーフィンのパドルと似ているかもしれないなと思う。波に乗るために沖に向かってボードの上に乗って漕いで行くのをパドリングというが、沖からやってくる波に向かって漕いで行く訳だから大変である。しかし、頑張って沖に出てしまえば、いい波を安定して待つことができる。浜に近いところでは、ダメだ。たぶん、こういう日常のあれこれの仕事は、パドリングなのだと思う。

で、手元に届いた本を読んだりしながら、iMac27インチの設定を行った。タイムマシーンである。ご案内の通り、マックはコンピュータの中にあるハードディスクの内容を、そのままバックアップしてくれる。これがOSで標準で用意されている。だから、外付けHDがあれば、全く問題なくバックアップが自動的に行われる。

iMac27は、ハードディスクが驚きの2TBなので、外付けHDも同じものを用意した。この設定がまだだったので、行ったのだ。

ところが、ああ、ところが。
設定をしながら、AirMacの設定でパスワード設定していなかったことに気がついた。これはいかんと思って、設定をしようとちょこっといじくったのが悪かった。AirMacの設定がおかしくなってしまい、ネットにつながらなくなってしまったのである。

あれこれやるとますますおかしくなるのが、ネット関係である。分かっている。しかし、あれこれしたくなるのだ。
1時間弱あれこれやって、結局ダメで専門家の情報メディアセンターの方に来ていただいた。

で、私が先ほどまでやったのと同じこともう一度私がやっていたら、あら不思議。直ってしまったのである。ま、直っていいのだが、なんかちょっとよくわからない。

でも、つながってよかった。

つながるって大事だよね(^^)。
さ、帰ろう。

2010/04/26

「振り出しに戻る、です」

4/26

予定していた時間よりも早く目が覚めてしまった。ジュースを飲みながら、一日のことをあれこれ考える。これはこれで大事な時間。

三回生ゼミ。昨年に引き続いて『街場の教育論』を講読する。最初は、私がハンドアウトの作り方を具体的に示し、第一講は私がレポーターをする。

だが、なかなか中身に入れない。「明日の教室」の裏話をしたり、感想掲示板に書かれていた内容で重要なものに答えたりとしていると、あっという間に時間が過ぎる。

来週も私がやることになる。ま、最初はゆっくりだ。何せゼミ性の人数も少ない。ゆっくりでも大丈夫だ。

四回生ゼミの学生が、卒業論文について個人指導を申し込んできた。もちろん、指導をする。結論として、学生がたてた問いは、もう既に解明されているということが分かった。それも30分で分かってしまった。研究室にある本と、ネットですぐに分かってしまった。

学生曰く、
「振り出しに戻る、です」
ま、そんな気分かもしれない。だが、良質の問いをたてることができれば、もはや卒論は半分完成したようなものなのである。じっくりと問いを考えよ。

国語科教育法では、引き続き教師の声と話し方について。ここも時間をかけているが、あれこれエピソードを話しているとゆったりになってしまう。話すスピードは結構テンポよくしているのだが、内容がたくさんあるので、進まない。

来週は、やっとチョークについてのあれこれと、板書についてのあれこれとなる。その次に、メモの指導、漢字の指導となる。この辺りから、やっと本格的に始まるって感じかな。

このところネット関係のトラブルが多いのだが、今日は本学のメディアセンターの人たちのおかげで一つ解決できた。

それは、私が自分のアドレスで自分宛に出したメールが、自分に届かないという現象である。私は、すべてのネットのメールをニフティのアドレスに届くように転送設定してあるので、自分が差出人の自分宛のメールが届かないと、結構大変なのであった。

しかし、解決した。さすが、メディアセンターのみなさんだ。原因は、私がニフティのウェブメールの設定で、どうやら自分のアドレスを迷惑メールに設定していたことらしい。そんな記憶はないのだが、実際確認してみるとそうなっていた。

これを解除したら、自分の出した自分宛のメールが自分に届いた。ああ、すっきり。これでiPod touchが出てきたら、万々歳なのだがなあ。これは流石にメディアセンターのみなさんでも、解決できないのであった。

今日は、眠いなあ。
早く寝てしまうかもしれない。

さ、帰ろう。

2010/04/25

シルキー6は心地よい静かな雄叫びを上げる

4/25

琵琶湖は快晴。空も湖も青。ブラックバスを釣る人たちで朝から大にぎわい。晩春だ。

Blue_lake

朝ご飯を食べて、寛いでいると次から次へとメールが。昨日の明日の教室に参加された方から、お礼のメールである。実にありがたいなあと思う。会場を用意し、講師の先生と連絡をし、日本酒を用意しf(^^;、ぐらいのことしかしていないが、こうしてみなさんの何かの役に立っているとすれば、嬉しいものだ。

昼前に、おニューの自転車に乗りたくて仕方のない娘を連れて、ガーデンに行く。自転車は結構早いので、私は早歩き以上のスピードで歩いて行かないとダメ。これは良い運動になる。

ガーデンは、八重桜、チューリップ、姫リンゴ、シャクヤクなどが咲いている。もうすぐで一面のバラになる。娘はすぐに裸足になり、走り回る。私は芝生に転がって芝生から漂うバナナの香りに包まれながら、晩春の日差しを体に浴びる。

「咲いた、咲いた、チューリップの花が」

と娘が歌い、私はその歌を聴きながら微睡む。
突然体に乗ってくる娘。そして、膝枕をしてくれる娘。
春の心地よい日曜日だというのに、園内は貸し切り状態。ゆったり寛いで、明日からに備えようと思う。

娘と一緒にお昼寝をする。
夢の中では、iPod touchが見つかり、整備していた325iが奇麗になって登場。

正夢になるか!と思ってあれこれ捜すが、iPod touchは見つからず。もう、諦めるかなあ。

ではあるが、325iは正夢になった。ブレーキセンサーのトラブルの修理と外装の化粧直し、さらに細かいセッティングを終えて私を待っていた。

代車からチャイルドシートを外して、取り付ける。
運転席に滑り込む。皮シートは本当に滑り込むことができる。
イグニッションボタンを押す。
ああ、シルキー6は心地よい静かな雄叫びを上げる。

『325i、お帰り』
である。
遠出をしたくなるなあ。
また、明日からよろしくである。

良い週末であった。

32 回 明日の教室 野中信行先生 その2

4/24−2

野中先生の講座が終わった。
知的興奮の固まりである。
もっと簡単に言うと、
(ああ、授業がしたい)
(ああ、研究がしたい)
と思った人たちで一杯になった会場であった。

(もう、早く帰ってのんびりしたい)
(なんで、ここにいるんだろう)
なんて研究会もあるけれど、そんなのは本当に無駄で勿体ないと思う。

明日の教室は、
(ああ、授業がしたい)
(ああ、研究がしたい)
と思いたくなるような研究会でありたい。それを考えてあれこれ企画している。

そして、その思いを胸に移動し、パーティであれこれ語りあうのである。

パーティは圧巻だった。90人を超える参加者のうち、70人以上が参加した。今回は、本学の第二食堂、クリスタルカフェで行った。

思い起こせば、去年野中先生に来ていただいた時、開催日の前々日に新型インフルエンザの発生で、大学は一週間の臨時休校。学内で行うはずの「明日の教室」も市内の別会場に急遽変更し、クリスタルカフェで行うこともキャンセルになってしまった。

(今度の野中先生のときに、かならずここでやってやる)

と思ったのであった。

で、大正解のパーティであった。立食ではあるものの椅子もちゃんとあるし、2000円であの料理。さらに飲み物も入っているってのは、凄い。いつもの懇親会の半値でできている。

持ち込みもオッケー。私は、「獺祭」の50%、48%、45%の三種類の精米による違うものを持って行った。これも、みなさんにとても喜んでいただいた。日本酒ソムリエとしては、かなり嬉しい。「味噌汁・ご飯」授業であるが、こういうときはやはり「ごちそう」のお酒を用意したいf(^^;。

学生たちは、積極的に全国の実践家の先生たちに話をしていた。下回生の学生は、もじもじしているところがあったので、私が連れて歩く。なんのための懇親会だ。なんのための名刺だ。

私も、新しい出会いがいくつか会った。千葉大の藤川先生のところにいた方が参加されていて、あれこれ話す。ひょっとしたらとても大きなプロジェクトが始まるかもしれない。これも楽しみだ。

これなら、毎月あそこでも良いなあと思う。
ただ、当日に急に懇親会に参加したいという人が、参加しにくい部分はある。でも、2000円であれなら、いいよねえ。

参加費2000〜3000円。懇親会2000円。一ヶ月に一回、5000円でこれだけ学んで楽しめるのであれば、参加者のみなさんも十分納得していただけるであろう。

その後、二次会、三次会と楽しい語らいの時間は過ぎて行った。帰る帰ると言っていた一般参加の中村健一さんも、最後まで残ってくれた。

私は、終電で帰宅。
今年度も「明日の教室」で良い時間を過ごせるのを嬉しく思う。

32回 明日の教室 野中信行先生 その1

4/24-1

いよいよ「味噌汁・ご飯」授業の提案のある、明日の教室である。まずは朝風呂に入り、寛ぐ。この時間が大事。

出かける前に、娘の自転車の補助輪を調整。左右ともに少し高い位置にあるので、漕いでいて車体が揺れる。それが怖いとのことなので、直す。スパナを持つなんて、久しぶり。オフロードバイクに凝っていた頃は、毎週握っていたがf(^^;。

「おとうさん、ありがとう」

と言われると、まあ、嬉しいよね。

10時半過ぎに大学に到着。
池田ゼミの四回生、三回生を中心にあれこれ準備をしている。もてなす側なのだ。丁寧に確実に作業が出来るようになってほしい。

講座の最初は、参加者全員で野中先生が提示される教材について考えるというパート。3人1組になり、30分で考える。

3人1組になるとき、同じ年齢で集まってしまっては面白くないと判断。同じ目的を持ちながら、価値観、方法、経験が違う人たちが集まった方が、話し合いは豊かになる。事務局で名簿を見ながら3人組を考えさせてもらった。そのやり方を学生に指示して、あとは任せておいた。結果は、良かったようだ(^^)。

詳しい様子は、

玉置先生のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr9/98434/diary.html

川本先生のブログ
http://ameblo.jp/motti57/entry-10517258316.html

糸井先生のブログ
http://susumu.exblog.jp/10487740/

をご覧頂ければと思う。

「味噌汁・ご飯」授業は、料理をしている人にはとってもすとんと落ちるメタファである。私も「作文は料理に似ている」というメタファでNHK教育テレビ「わくわく授業」で出演したことがある。私にとっては非常に分かりやすいメタファである。(ちなみに、私も野中先生も糸井先生も、日常から料理をし、三人とも1人娘の父親である(^^))

いろいろなことが考えられる。
味噌汁とご飯だけで、朝ご飯を食べる。私は野中先生がこのことを提案されたときにすぐに、

1)日常的であること
2)飽きないこと
3)栄養価が安定していること

がその条件ではないかと申し上げた。この条件をもとにさらにあれこれ考えると、

(1)常備菜
(2)下ごしらえした食材、調味料
(3)ふりかけ的要素

がさらに大事になってくるのではないかと思うようになってきている。

(1)常備菜

つまり、佃煮や煮物や漬物である。「味噌汁・ご飯」にそっと一品を添えるのである。そのような常備菜が冷蔵庫にあると、箸が進む。いつも冷蔵庫にあるような、常備菜的な教材があることがポイントとなるはずである。

(2)下ごしらえした食材、調味料

一回茹でて冷凍保存した小松菜。一回分に切り分けてラップでくるんで冷凍保存してある鮭の切り身。ネギを刻み込んであるお味噌。乾燥わかめに乾燥キクラゲ。こういうのがあると、あとは少し手を加えるだけで、すぐに一品が増える。

つまり、少し手を加えれば使えるように下ごしらえした教材を用意しておくかどうかということである。何かに使えるかもなあと思って、下ごしらえしてしまっておくことがポイントである。

(3)ふりかけ的要素

白米に鰹のふりかけ、明太子のふりかけ、海苔卵のふりかけ・・・。ちょこっと振りかけるだけでご飯にアクセントがついて、食べやすくなる。こういう要素があると、同じものであっても簡単に変化を付けることができる。

たとえば、同じ音読でも立って読む、座って読む、ペアで読む、群読で読む、早口で読む、アニメのキャラクターになって読む・・・。さまざまな読み方を指示することができる。ちょっとした工夫。ふりかけ的要素である。

これらが意識されると、かなり豊かな「味噌汁・ご飯」授業になるのではないか。

そして、今回改めて思ったのが、お出汁である。
「味噌汁・ご飯」授業であっても、その対極の「ごちそう」授業であっても、お出汁は共通している。出しのキチンとしていない食事は、どちらにしても美味しくはない。

授業づくりにおける「お出汁」は何なのか。

ここについては、私もいくつか仮説がある。
そこについては、まだブログには書かない。
あれこれ考えるのが、楽しいからだ。

ある一定の結論を出せたら、お報せしたいと思う。

知的興奮に包まれながら、そんなことを考えていた。

木屋町は八重桜が奇麗に咲いている

4/23

iPod touch紛失中。もう三日になるなあ。どう考えても家の中にあると思うのであるが、見つからない。MobileMeで場所を特定しようと思たら、スリープ状態ではダメだということが分かり、原始的な方法で捜す。見つからず。

娘に聞いてみても分からない。娘はもの凄い記憶力を持っているので、知っていれば教えてくれる。だけど、一緒に捜しているので本当に分からないのだろう。

となると、え〜〜〜〜〜〜、ここに!という所にあるのであろうが、これが分からない。かつて読みかけの本を冷蔵庫の中に発見したことのある私は、冷蔵庫の中も確認したが見つからない。

ま、データは全てMacBook Proにあるので、良いと言えば良いのだが、悔しい。どこで眠っているのだろうか。

MacBook ProのHDの残りの容量がかなり少なくなってきたので、写真を整理する。データを外付けHDに移して、お気に入りの写真だけ、新しいフォトアルバムに読み込む。20GBを切っていた残りの容量が90GBまで戻る。相当読み込んでいたのだなあ。

娘の一年前の写真等を改めて見てみると、確かに小さい。去年は膝丈だったのが、今はミニスカートになっていたりするんだから感動である。足が伸びたんだな。

娘は、今日はPre幼稚園の日。お母さんとさよならするまでが嫌で、
「幼稚園、行かないの」
と言うのだが、行ってしまえば楽しい。
今日も帰りに
「幼稚園楽しかった?」
と聞かれたら
「うん!」
と答えたのだが、その後に
「あ、でも行かないの」
と答えたとか。可愛い。

ただ、幼稚園の先生に私がiPod touchを紛失していることを話したりするのは、困ったものだf(^^;。これから全部筒抜けになるんだろうなあ。

家では、家のiMacとMacBook Proと研究室のiMacの同期の作業を進める。MobileMeを使ってアカウントとパスワードを打ち込んだら、あっという間におしまい。

家のiMacには私のアカウントを新たに設定したのだが、これでMacで仕事ができる環境が三つ揃ったことになる。安心だ。嘗て、一つのMacだけを使っていたころに比べると、その安心感は全く違うし、設定の簡単さも全く違う。便利だなあ。

これで仕事も勝手にやってくれれば言うこと無いのだが(^^)。

新しく設定した家のiMacで、事業仕分けのパート2の実況中継を見る。ネットでこんな風に配信されてしまうのね。数日前の民主党の教育に関するネット配信テレビを見たときにも思ったが、マスメディアというのは、これは大変なことになっていくなと思った。

分かり切っていたことだが、マスメディは情報を編集し、加工して提供している。それが情報の受取手には分かりやすく機能することも多々ある。しかし、一次情報の醍醐味を知ってしまうと、不満に思う人たちが増えてくるだろう。

いま、スポーツだけは実況中継ということで一次情報が流れているが、あとは生放送はニュースぐらい。そのニュースも原稿は編集されている。そんな中で事業仕分けのようなものが、ネットでリアルタイムで配信される時代である。こりゃあ、凄い時代になったと思う。

マスコミは、根本的に存在意義を問われる時代になってきているのだなと、私でも思う。

大学に行って翌日の「明日の教室」の準備を少しして、京都市内、高瀬川沿いのお店に出かける。木屋町は八重桜が奇麗に咲いている。

Takase

明日の教室の事前打ち合わせで、野中先生と糸井先生と会うことにしていたのだ。翌日の「味噌汁・ご飯」授業についてのあれこれを話し続けた。途中から前泊している、ながたくさんも参加。

桂小五郎が隠れていたあたりのお店で、あれこれ。別に謀議でもなんでもないが、ちょっと怪しい感じf(^^;。

翌日のことを思いわくわくしながら、晩春の高瀬川を後にした。

一週間の授業が終わった。

4/22

一週間の授業が終わった。一息つく。
四回生ゼミは、卒論指導のゼミである。春休みに卒論に向けて取り組んできた内容を一人五分程度で発表させる。ところが、この解説に時間をかけすぎてしまって、12人のうち3人しか行えなかった。

学生の作ってきたハンドアウトを見ると、かなりテーマを絞り込んできている学生と、おい、それは博士論文のテーマだろというようなテーマのままの学生とに分かれている。四月の段階で結構な差がつくものだなあと感じている。

でも、まあ、それなりに進んでいるという感じであろうか。

授業は終わったが、課題の確認はまだまだ続く。課題を出さなければ、これでおしまいなのだが、課題をやらせないで学生たちに力をつけることは、私にはできない。

だから、課題を出す。私も、その課題を見ながら、次の指導の方向性や内容を考える。中学校も、大学もここは殆ど変わらない。そして、教科通信を書いて、学生の掲示板の感想にコメントをしてと、iMac27の前にずっと居続けるのである。

講演会の依頼が立て続けにある。
教育委員会のものは基本的に同じような時期に行われることが多いので、もう埋まっているものが殆どである。申し訳ないがお断りの連絡をすることになる。

授業をしている期間は、一か月に二回程度に押さえないと、本務に支障を来す。また、授業期間外であっても、一週間に一日は休みを入れないとと思う。

娘と遊ぶ時間もほしいしf(^^;。

デジカメが無くなった!と思ったら、車から出てきた。ほっとする。325iの方はもうすぐ調整から戻ってくることも分かる。いいこともあるが、iPod touchはまだ行方不明。うーむ。

さ、週末の明日の教室に向けての準備だ。

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