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2010/09/14

Googleの戦略

9/14

Googleの戦略

今日のGoogleの画面がバカボンということで、なぜなんだ?というtweetが飛び交っている。

あまりにも飛び交っているので、興味本位で画面を見てみた。実際はバカボンだけではなくて、うなぎ犬やケムンパスやシェーやニャロメにべしもいた。これをみたら、(なんだなんだ?)と思うのは当然だろう。そしたら、tweetするなあと思う。

そこで、ふと思った。というか、この構造が見えた気がした。なんでGoogleが赤塚不二夫のキャラクターを並べたのかである。Googleと赤塚不二夫は一見何も関係がない。関係がないのになんで赤塚不二夫なのだ? そう、そう思わせることがGoogleの戦略なのだ。

疑問を持った人たちは、当然その疑問を解決したいと思う。その結果、tweetするという行動をする人もいるだろう。しかし、その一方でGoogleで「バカボン」と打ち込むだろう。

その結果、「バカボン」 では何だかわからないことになる 。で、よく見てみるとべしやケムンパスまでいることに気がつくのである。そこで検索ワードはバカボンではなくて「赤塚不二夫」ということに気がつく。で、これで検索する。すると本日は赤塚不二夫さんの誕生日だと分かる。

Googleは、検索の窓のレイアウトで、検索を促すという戦略を取っているのではないだろうか? Googleにとっては、検索してもらうことがすべての始まりになるのであるから。

以上、今朝のTLにあるtweetから気がついたGoogleの戦略に関する連続ツイートでした。これでいいのだ(笑)。

2010/09/13

I am off in 沖縄 その1

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5時に起きて旅行の最終準備。ま、ほとんど奥さんがやってくれているので、私の持ち物の確認とベランダの植木の移動ぐらいが私の仕事。

2月に行った沖縄がとても良かったので、今年2回目の沖縄旅行である。それも同じホテルに向かう。

同じホテルなのだが、今回は旅行の2日前にちょっとしたトラブルが伝えられた。台風の被害で予定していたホテルが使えなくなり、近くのホテルに一日だけ移動してほしいとのことなのである。

そして、その移動するホテルはとっても良いホテルなのである。「ザ ブセナテラス」である。被害に遭われた方には申し訳ないが、いやあ、台風さんありがとう(^^)。

ありがとうなのではあるが、やはり台風は大変であった。伊丹空港に向かう名神高速道路。実に前が見えず。横風、道路の水たまり、さらにはトラックの跳ね上げた水しぶきという三重苦の中を進むことになる。ハンドルを持つ手に力が入り、肩から背中も固まっているのを感じる。時々、力を抜いて突き進む。

家を出る時間が予定よりも少し遅れた。ま、でも高速の流れに乗って行けば通常の予定している時間よりも早く着くので大丈夫と安心していたが、逆に時速80キロ以下で流れていて、時間を稼げないのであった。

吹田インターチェンジで降りて下道を走る。ところどころで渋滞。伊丹空港に行く前に、近くの駐車場に停めなければならないのだが、ここがなかなか見つからない。

下りたはずの高速に乗りそうになり、曲がるべき交差点を通り過ごしてしまったりして、本当に時間内にたどり着くのかと心配になる。

予約していた駐車場に電話で連絡。すると
「大丈夫ですよ〜。は〜い」
と緩い返事。こういう時は、こういう緩い返事がいいなあと思う。「急いで下さい!」
なんて言われたら事故を引き起こしやすくなるものだ。

駐車場から飛行場に送ってもらい、搭乗手続をして機内持ち込みの手続をしたのが、締め切りの一分前であった。ひやあ。
「沖縄行き、締め切り一分前です」
と係の女性が言っていたのが今でも耳に残っている。

身体検査をして、トイレに行って、ふう。ぎりぎり間にあった。

離陸から高知上空までは、結構揺れた。ここにも台風の影響だ。ま、だがここを通過したらあとは奇麗な青空だ。ベルト着用のサインが消えた。

慌ててMacを取り出す。「授業づくりネットワーク」の連載原稿を書いていないことに、昨日、寝る前に気づいたのだ。バカンス先のホテルで原稿を書くほど虚しいものはない。

必死になって書き進めた。沖縄に到着する前に書き終えることができた。みなさん、11月号は高度1万メートル上空で書き終えましたf(^^;。

レンタカーの手続をして昼食に繰り出す。ソーキそばとタコライスのセット。600円也。子どもを遊ばせるスペースもあって地元の人も結構来ていた。

その後、高速道路を一路北に向かう。1時間弱で到着。沖縄の高速道路は無料になっていた。社会実験のあれだ。快適である。

そして、「ザ・ブセナテラス」である。
到着して先ず感じたのは、マレーシアのGHMグループの「ザ・ダタイ」ホテルである。オープンエアを主体にした作り。良い風が吹いている。

受付をしようと思ったら、荷物ごと奥の方に運ばれる。驚いた。クラブフロアに案内された。いきなりVIP対応である。

チェックインを済ませて、クラブラウンジでお茶とケーキを楽しむ。うーむ、寛ぐ。
そして、部屋に通される。
部屋からはこの景色である。

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息をのむとはこのことである。
息を飲み過ぎて過呼吸になりそうであった。

その後、プールでゆらゆらする。ま、連泊するのであればそんなに慌てる必要もないのだが、なにせ突然振って湧いたザ・ブセナテラスの一日である。のんびりしつつもあれこれ味わいたい。

プール、お風呂と楽しんだ後は、クラブラウンジでアペリティフを楽しむ。最初は満席だったので困ったが、ちょこっとコーナーを作ってもらい楽しむ。

まあ、夕日が奇麗だった。
音楽が静かに聞こえてくるようであった。

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さらに、見とれ続けていると沈んだ太陽の向こう側から、青い線が二本。バトラーの方に伺ったが、見たことがないとのことだった。娘もこの景色を見て不思議そうにしていた。

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その後、ルームサービスで夕ご飯を食べる。子どもがいるとやはりルームサービスがいいなあと思う。安心して食べられる。

で、さらに出かける。
泡盛のバーに出かける。

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ほんの1時間ほどのゆらゆら時間。
オープンエアのバーで、星空をときどき見ながら読書。

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ああ、旅はかなり贅沢に始まった。

野中先生のブログが、やはり面白い

9/13

野中先生のブログが、やはり面白い。

野中先生が定年でご退職される年に、私は先生の最後のクラスを見せて頂いた。本当に貴重な時間であった。

先生の実践のあれこれが詰まっている教室を、見せて頂けたわけである。

その野中先生がご退職された。私はてっきりどこかの大学の先生になるのだとばかり思っていた。ところが、先生は横浜に残り新採の先生の指導をする仕事に就かれた。

その時思ったことは、勿体ない、贅沢だといことである。

日本中が必要とされる先生が、一つの自治体の新採指導教員で過ごされることの勿体なさと、それを受けられる新採の先生が贅沢だと思ったということである。

先生は、新採の先生の指導をされながら、授業をする立場であったら見えなかったものがあれこれ見えるようになって行くことの面白さを、ブログで発信され続けている。

そして、見えて来たものは何なのかを整理されて、理論化されている。現場に拘りながらまとめて行く真摯な姿に、ただ頭を下げたくなる。

新採教員を指導されながら、野中先生は自分の実践を対象化し、一般化されているのだと思う。自分の実践が何を意味しているのか、意味して来たのか。これを自分の言葉で語れる実践家は、実は少ない。

これが可能になるには、

1)豊かな実践がある
2)記録がある
3)自分を客観視できる条件がある
4)文章化できる力がある
5)批判を受け入れることができる力がある

という実践家であることが条件ではないだろうか。
実にハードルの高い条件だ。しかし、野中先生はこれを軽々とクリアされている。すごいことだ。

そして、新採教員を指導される道を進まれて、良かったなあと私は勝手に思うのである。

その野中信行先生が、新しい本を出すことになると言う。
とても楽しみである。

やっとこれを言えるようになった

9/13

バカンスから戻り、振り返りながら片付けをしている。バカンスについては後ほど載せようと思うが、今回のバカンスはちょっと凄すぎた。

ラッキーに恵まれた。いや、恵まれすぎた。
同じバカンスを希望しても、まあ、無理だろうと言うようなものとなった。

この夏の前半、懸命にやったのでこういう贅沢も許されていいだろうと思えるような旅だった。

「この夏の前半、懸命にやったのでこういう贅沢も許されていいだろうと思えるような」と書いていることが、しみじみ日本人だなあと思う。

別に誰に許可を得ることもないのである。法的に問題のあることは、なんらしていないのである。だが、遊ぶことに、ゆったりすることにある種の罪悪感を感じてしまい、その罪悪感を消すための言い訳を考えるのが、日本人にはあるような気がする。少なくとも私の世代にはあるのではないかと思う。

大学に移って5年目である。

1年目は、中学校教員の生活のリズムが体から抜けずに、4時頃に目が覚めて、また寝てといういことを繰り返していた。大学の授業は9時から始まり、8:30に家を出れば授業開始には十分に間に合うのだから、ゆったりすればいいのだがこれが出来ない体のリズムになっていた。

また、土日に講演や講座、研究会が入っていて休むことができないという一年目の生活のとき、平日に授業がなくて体を休めることができる日があるにも関わらず、なんとなく東の方向を見ると
(みんな、いまごろやっているんだよなあ)
と言う思いになり、休むことができなかった。

そんなことから、体のリズムがおかしくなりつつ、休むにも休みにくいということの中での大学教員一年目を過ごした。

今年で大学に異動して五年目になる。

ここにきてやっと、自分に言い訳をするのができるようになった。というか、職種が違うのだから勤務形態や休日形態が違うのは当然なのだということを受け入れるのにやぶさかではないという私になれた。

九月にオフを取っていいのである。
やっとこれを言えるようになったということだ。

ま、実際に沖縄に行ってみれば、オフを取ってのんびりしている人の多いこと、多いこと。学生たちだけではなくカップルや家族連れも多いのである。

人生の時間について、違う角度からも考えて行こうかなあと思うのであった。

Bsn

2010/09/12

四回生ゼミ合宿

四回生ゼミ合宿で湖西の白浜荘に来た。新入生キャンプ、立志式と御世話になっている宿舎だ。
目の前は綺麗な砂浜。松林も見事だ。

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今回の合宿は、卒業論文の目次案指導である。12人のゼミ生のうち、参加できた11人の 卒業論文について全体の論旨の確認、もっと言えば本当にこの論文は成立するのかの確認を行ったということである。

目次が決まれば、卒論や修論は半分ぐらい書けたことになるのではないかと思う。私は修士論文のときには10回以上、目次案を修正した。目次だけで論旨が通っているかどうかをチェックすることができる。ここで論旨が通っていなければ、いくら執筆を進めてもダメである。

だから、目次案指導なのである。

結果として、一回目にしてはまあまあのものになったのではないかと思う。卒論提出は、12月の半ば。ここに向けて学生達が書き続ける。それを指導し続ける日々が本格的に始まったということであろうか。

ゼミ合宿は、半分勉強、半分遊びなのである。遊びでは宿舎にある体育館で運動会などをやった。結構スポーツの能力の高い学生達が集まっていると改めて感じた。バスケットも様になっている。

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夜は、BBQをしながら宴会。
今回は、恵比寿ビールをフルセット揃えて見た。
もちろん、飛鳥Ⅱ船内限定の青い缶のものもある。

BBQというと、肉と野菜。さらには焼きそばということなのだが、私は魚も捨てがたいと思っている。
学生達が準備をしている間に、近くのスーパーに車を走らせ、秋刀魚、ハタハタ、ブラックタイガー、酢橘などを購入してプレゼントする。

これがうまいんだな。

四回生昼過ぎに宿を後にした。
私は、引き続き児童教育学科の三回生の自主合宿、
立志式に参加する為に同じ宿に残る。
たまたま同じ宿にになったわけだ。

ゼミの学生達を見送る。

(そうだな。あと半年後には、本当に大学から彼らの巣立ちを見送るのだな)

と思いながら、見送る。

帰ってきました

この夏は、前半は倒れないように倒れないようにと、一つ一つの仕事を終えて行きました。
(来年は、絶対にこんなに仕事を入れないぞ)と誓ったはずなのに、去年よりも多くの仕事をしていました。

であるので、倒れないようにとと心がけてやっていました。それが終わったのが8・24日。一ヶ月間、倒れないようにやって来ました。この間、ざっと数えても1000人以上の人たちの前で講座をしたりなんやらをしていました。

で、九月に入ってなんとか必死に夏を取り戻そうとして遊んでいました。その頂点がこの四泊五日の沖縄バカンスでした。

詳しく書くことができるかどうかわかりませんが、とにかくものすごく贅沢な非日常を楽しむバカンスでした。

あまりにも極楽過ぎたので、帰りの運転は本当に慎重に慎重にやって伊丹空港から帰ってきました。いやあ、すごかった。

写真は、那覇空港から伊丹空港に戻ると気に見たバカンス最後の夕景です。

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