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2010/09/24

命の軽重ではなく

9/24

Img_4887 うちの家は琵琶湖に面していることもあり、虫が多い。季節ごとにいろいろな虫がベランダにやってくる。夏はなんといってもトンボだ。特にイトトンボが多くやってくる。

細長い体。
なんでこんな体が浮かんでいるのだ。何がトンボをここまで繊細にしたのだと思う姿を、ハンモックに揺られながら見るのは何とも言えない。

しかし、一方で毛嫌いされる虫もいる。蜘蛛だ。一応蜘蛛が寄り付かないように対策はしているのだが、効果のない時もある。ま、夜の蜘蛛は追い払わないというような言い方もあるぐらいで、一概に害虫とは言えないのだが、どうも嫌われ者の代表の蜘蛛である。

この蜘蛛の巣に、イトトンボが引っかかったのが昨日である。
娘は、イトトンボを友だちのように思っていて、その姿を見かけると
「トンボさん、こんにちは」
と呼びかけている。そのトンボさんが、蜘蛛の巣に引っかかっているのである。

「あのね、トンボさんね。蜘蛛の巣にかかって死んでしまったの。かわいそうね」

と私に報告に来る。そう、かわいそうなんだが、仕方のないことでもある。

『そうだね。トンボさんは蜘蛛さんの巣に掛かってしまったね。あのね、生きて行くには食べ物を食べなければならないでしょ。蜘蛛さんにとっては、トンボさんは大事な食べ物の一つなんだよ
。だから、それは仕方のないことなんだね』
「ふーん。そうなの?」
『そうなんだよ』
「トンボさん、またやってくるの?」
『そうだね。同じトンボさんはやってこないけど、違うトンボさんはまた会いに来てくれるんじゃないかな?』
「また、こんにちはって言うね」
『ああ、そうだね。良い子だね』
と言って娘の頭を撫でた今朝であった。

命の軽重ではなく、命というものそのものを少しずつ伝えて行きたいなと思うのである。

2010/09/23

今年の後期の授業は「学級担任論」から

9/22

今日は中秋の名月。そして、二限から後期の授業が始まる。
恩師の一人、吹野安先生は

「授業の始まる一時間前に大学にいなければ、良い授業なんて出来ないだろう」

と仰っていた。
なかなか恩師の言葉は守れないが、せめて授業開始の初日ぐらいは守りたい。

大学のキャンパスを歩く。
いつもと少し違う景色だ。

四回生は授業を少なく、卒論のために図書館に篭っている。
三回生は、教育実習に行き始めていて、いない。
だから、見かける顔は二回生と一回生のみ。

こうして季節は移ろう。

今年の後期の授業は「学級担任論」からだ。

学級担任論の仕事を教えるこの授業。とっても不思議なことに全国の教員養成大学で、この授業をしているとろろはほとんど、ない。校長にならない先生はたくさんいる。しかし、担任にならない先生はいない。だが、学校経営論という授業を大学院に設定するところはあっても、学部に学級担任論を設定する大学はほとんど、ない。

私が担当するのこの授業は、今年で三回目。だが、全国で開講されたという話はほとんど聞かない。やはり、おかしいと思う。

もちろん、たかだか15回で学級担任の何たるかを伝え切ることは出来ない。しかし、学生たちが抱いている先生という仕事のイメージ、それも良いところばかりを集めたイメージを壊し、現実に即した教師の仕事、就中担任の仕事について、理解の入り口に立たせることは意味があることだと考えている。

ちなみに、今日の項目は、

  • 【学級とは何か・授業ガイダンス 】 学級開きを通して、学級を考えてみる。先生と児童との距離感、黄金の三日間、3・7・30の法則。

であった。ま、全部終えていないので、来週に引き続くところもあるのだが。

学生たちが唸ったのが、教師の仕事量の多さである。

  • Q  子どもたちと出会う前に、担任がしておく仕事にはどのようなものがあるでしょうか? 三月まで小学校の六年生を担任して、四月から三年生の担任になるとします。

という問いを与えて考えさせてみた。多く出した学生で10個程度であった。その後、答えのプリントを配布するのだが、そこで唸るのである。

だいたいこの授業の15回のうち、最初の5回ぐらいはどーんと暗くなる。
(なんで、教師なんて仕事を選ぼうとしているのだろう、私?)
となる。

だが例年、後半の5回ぐらいで開き直ってもっと学ぼう、さらにこの授業があって良かったと思うようになるようである。

がんばれ(^^)。

その後、予約してやって来た教育実習を終えた学生の報告を受け、会議の三連発。

自宅に戻ったのは10時近く。
娘は、お父さんと一緒に十五夜お月さまをお祝いしたいということで起きていた。ごめんね、遅くなって。お仕事が始まったんだよ。

でも、なんとか早く帰るのを心掛けようと思う父でありました。

2010/09/22

けふは仲秋名月 初恋を偲ぶ夜

今日は仲秋名月。
となれば、この詩でしょう。

引用開始 ーーーーーーーーーー

逸題  井伏鱒二 

けふは仲秋名月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ

春さん 蛸のぶつ切れをくれえ
それも塩でくれえ
酒はあついのがよい
それから枝豆を一皿

ああ 蛸のぶつ切れは臍みたいだ
われら先ず腰かけに座りなおし
静かに酒をつぐ
枝豆から湯気が立つ

けふは仲秋名月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ

引用終了 ーーーーーーーーーー

いやあ、やっぱりいい詩だ。
そろそろぬる燗の日本酒がいいかもしれない。

2010/09/21

1/3に新年会をします。

1/3の午後に聖蹟桜ヶ丘か立川辺りで新年会をします。懐かしい方、興味のある方メールを下さい。国立学院の塾の時の卒業生や、瑞雲中学校の時の卒業生が来ます。勿論、吹上や楢原の、皆さんもよかったらどうぞ。お待ちしております。

2010/09/19

一つ違和感

先日の四回生ゼミの合宿で、一つ違和感を持ったことを記しておく。

予め断っておくが、私の四回生ゼミの特に女子諸君は極めて良い学生達である。常識もきちんと兼ね備えていて、指導教官のダメなところを支えてくれる諸君である。

であるからして、安心して任せられるのであるが、逆にそれだからこそ違和感があったことがあったのである。

それは、歯磨きである。

私は、歯が弱い。
我が人生において、実に長い時間を歯医者の椅子の上で過ごしていると言える。現在も口の中はほとんどサイボーグと化している。

それなりに歯は磨いて来ているし、我が母は自分が歯が弱いので私がお腹にいる時には、懸命に煮干を食べてカルシュウムを摂取してくれていたと話していた。だが、歯が弱いのであった。

で、食後、合宿で使った一軒家のリビングの場所で女子学生たちが輪になって歯を磨いているのである。私は、ここにとても違和感を感じたのである。

私の感覚からすると、人前で歯を磨く姿を見せるというのは、非常にこっぱずかしい。おそらく、人前で入れ歯を外してその入れ歯を洗っているのと同じ程度にこっぱずかしいはずだ。こっぱずかしいというよりは、人様に見せてはならぬ姿であると思っている。

ところが、何事もないかのように娘たちは歯を磨いているのである。私の目の前で磨いているのである。こっちがこっぱずかしくなってしまうのであった。

しかし、むべなるかななのである。
彼女らは、小学生の時から学校で給食後には歯を磨くということをしてきているのであった。

だから、人前で歯を磨くということに関してなんの抵抗もないのである。教育の賜物である。


『あの〜ねえ〜・・・』

と念のために確認をしたのだが、何事か?のような顔をされてしまったのである。

歯の弱い私からすれば、そりゃあ丁寧にはを磨くのはいいことであると分かる。しかし、やはり私は

(それは、見えないところでやってくれよ。
ここは自分がの家ではないんだし)

という思いは譲れない。
ああ、おっさんなんだろうなあと思いながら、
でも譲れないのである。

娘の七五三であった。

10/16

娘の七五三であった。

お宮参りをした府中の大國魂神社で行った。あれからもう三年も経ち、娘はお宮参りに来ている赤ちゃんに興味を示し、話しかけていた。成長しているのだ。

想像していたイメージにある三才の七五三は、着慣れない着物と履き慣れない草履の娘が、お父さんの手を掴んで、ヨロヨロ歩くのを親族が微笑ましく見るというものであった。

ところが豈図らんや、である。
着物も草履もセットアップした髪も関係なしに、動き回るのである。走り回るのである。

お祓いを待つ間、ウロウロと歩き回りあちこちに笑顔を振りまいている娘であった。

神社の境内では、前から写真を撮ろうとしてダッシュして距離をとろうとする父親に、さらにダッシュして追いかけて来て飛び込んでくる娘であった。

お宮参りにしても、七五三にしても同じ年齢の子供達が集まる。つい、自分の子どもと他の子どもを比べたくなる自分に気づく。ま、実際のところ多少は比べていたりする。

だが、そんなことはまあどうでもいい。健やかに、ひょうきんに、愛らしく、ワガママに育ち、弱いものに優しく、お転婆で、おしゃまで、賢く、お間抜けな娘。

これ以上、いま何を望むというのだ。

想像していた七五三とは、全く違うものになったが、それはそれで良い。

娘よ、七五三、おめでとう。

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