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2010/11/20

「かぎろひ」三景

11/20

東の野に炎(かぎろい)の立つ見えて かへり見すれば月傾きぬ

言わずと知れた柿本人麻呂の名歌(万葉集 巻第一 雑歌 48)である。中学生のときにこの歌を習った。なんとも壮大な景色が目の前に広がった。

もちろん、「巨人の星」のあの有名なシーン、大リーグボール二号を完成させた多摩川河原での、沈む月と昇る太陽のシーンは、この情景の「本歌取り」だったのかなんてことも思ったのは、今から思い出しても笑えるが。

で、この「かぎろい」である。古来さまざまな解釈がされていて、中には陽炎(かげろう)という解釈もある。しかし、これは柿本人麻呂がどこで、なんのためにこの歌を詠んだのかを考えると、違うだろう。

近畿に来て、とにかく石を投げれば歴史に当たるという環境にいられて、あれこれ現地に行くことができる。そして、この「かぎろい」についても現地があって、去年行くことができた。

その名も「かぎろひの丘公園」である。http://blog.goo.ne.jp/fineblue7966/e/33d9c183013cf40c81fa72ae73f38ce9

で、そのかぎろひである。
実際には何なのか。
今日の新聞の記事によれば、

http://www.asahi.com/national/update/1120/OSK201011190201.html

である。

引用開始 ーーーーーーーーーー

葉の人々の心打った「かぎろい」 広島・三原沖で観測
2010年11月20日7時7分
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紺とオレンジのグラデーションが美しい「かぎろい」現象=三原市沖、全日写連の藤原敏明さん撮影
 万葉集にも歌われ、冷え込んだ夜明け前に東の空が赤く染まる「かぎろい」と呼ばれる現象が19日早朝、広島県三原市沖の瀬戸内海で見られた。竜王山(標高445メートル)の中腹から撮影した全日写連の藤原敏明さんは、「雲一つないベストコンディション。鮮やかな朱色が青みがかっていくグラデーションが、とてもきれいでした」と感動していた。
 広島地方気象台によると、この日の最低気温は福山市で3.1度、生口島(尾道市瀬戸田町)で6.4度、神石高原町油木で零下3.9度と今季一番の冷え込みだった。(広津興一)

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引用終了 ーーーーーーーーーー

このかぎろひは、何も日本だけのことではない。
朝の静謐な時間に聞くのを最も好んでいるアルバム、パットメセニーの" A map of the world"のアルバムジャケットにも使われている。

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そして、その姿はこの季節、琵琶湖でも見ることができる。
明後日月曜日は、満月である。
柿本人麻呂のこの歌は、旧暦の11月であるからしてまだ先のことではある。

ではあるが、ま、気分は柿本人麻呂だな(^^)。

以下が、昨日の朝の琵琶湖の「かぎろひ」である。
クリックで大きくなります。

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2010/11/18

卒論ゼミと実践記録を読むゼミ

11/18

昨日の夜は、9日ぶりにアルコールを体に入れる。もうThe Premium Malt'sが砂漠に撒かれた水のように身体の中に消えて行った。ま、体調が戻ってきたのはありがたいことだ。

いつもより30分ほど遅く起床。
すると、この景色だ。
金色に輝く琵琶湖。
なかなか凄かった。

写真をクリックして、大きくして見ていただきたい。

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今日の授業は、卒論ゼミと実践記録を読むゼミ。卒論提出まで後一ヶ月となった今、学生が書いてくる卒論の一部を読みながらあれこれ指導する。

私の指導が不十分なのだろう。とんでもないものを書いてくるものがいる。論理的に繋がらないものを書いてくるのだ。活字で書かれているので、私の頭の中は「正しい文章」という構えで読み進めている。

ところが、読み進めると猛烈な違和感が襲う。頭に入らないのだ。学生が説明をしているのだが、頭に入らない。なんだなんだ、私が急に馬鹿になったのかと心配になる。もう一度卒論を読むと、論理の飛躍やパラレリズムの無視などがあり、文章になっていないことが判明する。

ああ、良かった。急に馬鹿になっていない。いや、良くない。こんな文章で書かれた卒論を提出されたら、こっちが参ってしまう。一つ一つ時間の限り指摘する。

他にも、残り時間から逆算してできるはずもないことをやると提案してきたり、ワープロの基本的な操作方法が分かっていないなど、びっくりするようなことがあったが、これに対応。

コンピュータの調子が悪いという学生には、
『とにかく再起動せよ』
と伝え、グーグルドキュメントの活用の仕方を教える。

コンピュータは忙しいときに限ってトラブルを発生させてくる。だから、二重、三重にバックアップを取り、それに対応できるようにデュアルの執筆システムを確保しておく必要がある。数多くのトラブルを見てきている私からすると、彼ら彼女らの対策は不十分に見え、どきどきものである。口を酸っぱくして言う。

『言ってしまえば、お金で買えるコンピュータやソフトは、無くなってもお金で解決できる。だが、あなたが書いているデータはいくらお金を出しても、買えません。しっかりバックアップです』

来月の今日は、卒論提出締め切り日の翌日です。

実践記録を読む二回生ゼミは、少し読めるようになってきた感じがする。実践記録の事実を丁寧に追いかけ、そこに問いを立てられるようになってきた。

問いが立つということは、その問いに対して仮説を立てられるということだ。事実の観察、問いの設定、仮説の提出。これができるようになることが実践では重要。まだ、実践の現場のない彼らには、実践記録を読み解くことを通してこのレッスンをすることになる。ここで力を育てる。

また一方で、彼らのフィールドワークの記録を読む時間も設定しているそれは、来週の授業で。自分の実践に問いが見つけられるようならば、自分の実践をメタで認識できるようになっているということで、一歩成長なのだ。

というか、自分の実践の意味を自分の言葉で語れる実践家はとても少ないと、千葉大学の藤川先生が昔言われていた。だから少ないのだろう。でも、自分の実践の意味を言語化できるというのは、教育実践を科学として考えるときには、きわめて重要なこと。なんとか身につけさせたい。

急に寒くなった研究室。足下ヒーターに電気を入れて、その後あれこれ仕事を進める。なんか目の疲れがあるな。

今日は早く帰って疲れを取ろう。

2010/11/17

大きな判断、大きな行動というものは、実は必要ないんだなあと思う

11/16

娘は朝機嫌良く起きてくるときと、そうでないときの差が激しい。今朝はまあ機嫌の良い方。

そして、「明日お人形作ってね」という寝る前の約束をしっかりと憶えていて起きてきた娘。記憶というか自己の統一性というか、凄いなあと思うよう。で、約束は守らなければならない私は、朝からティッシュボックスでお人形作り。工作なんてすっごい久し振りだ。

こうして、子どもによって親に育てられて行くのだろうなあと思う。

一緒に作っている最中に、自分の間違いを指摘され、それが分かったときに歌を歌って誤魔化そうとする娘。それはそれで可愛い。

大学に行く時間になった。今日は翌日の推薦入試のために前泊するので、娘とはちょっとだけ長いさよならだ。靴を履いて出かけると、エレベーターのところまで見送りに来るようになった娘。嬉しいなあ。

その後、駐車場から車が出てくるまで玄関で待っていてくれる。ゲートから出てくると大きな声で叫ぶ。

「いってらっしゃーい。気をつけてね!」
は良いのであるが、
「お菓子を、もし食べたかったら大学の研究室で食べてね‼」と。参ったf(^^;。マンション中に響く大声で見送られながら、大学に到着。

私が何者かが、マンション中に知れ渡ってしまう日もそんなに遠くはないかもしれない。

研究室のiMac27に接続してあるTimeMachine用の外付けHDの調子が今ひとつ。ユーティリティソフトで診断したら修復せよとのこと。やってみたら修復できないので消去してやりなおせとのこと。昔ならドキドキしながらだったが、今は随分安心してできる。

丸ごとバックアップをさせながら、出張に出かけることにする。

思ったよりも早くホテルについてしまった。MacBook Proは置いてきてしまったので、iPhone4であれこれやる。Bluetoothのキーボードは持ってきているので、入力はそれなりに快適。

昼間読んだ、@yamauchitaiji さんの、土井隆義先生の講演会に関する連続ツイートが面白かった。それについてあれこれ考える。

土井先生は、かの『友だち地獄』の著者である。講演会で、土井先生はかつての若者は価値観が同一の社会から抜け出そうとすることが、かっこ良いことだという時代があったという。

そして、いまは同一の価値観のない自由な中に若者はいるので、自由で不安であるという。だから、友達と群れるのだのようなことを言っていた。勉強が目的ではない日本の子どもの学校に行く理由。 友達と会うが理由の日本の子ども。だから、友達がいないとダメなのだ。

自由になった今、若者は自らが壁を作れることが格好いいこと、力のあることになったのかもしれない。もしそうだとすれば、若者の前に壁になって立つことは今の若者にとってはあまり意味がないのかもしれない。壁を作る乗り越えることが発達課題であった時代ならこれは意味がある。

しかし、壁を作る作ることが発達課題などだとしたら、大人の役割は壁を作るための広場を用意することかもしれない。広場にとりあえず人を集めることかもしれない。そんなことをふと思った岡山の夜。

その後、食事に。

岡山の瀬戸内海の魚と酒が私を読んでいるのは良ーく分かったのだが、風邪の薬を飲みきるまではお酒を飲まないという娘との約束を思い出し、我慢我慢。

もちろん破った所で、娘には全く分からないが、それはなんというかこちらの側のやましさになるような気がしてね。そういうやましさというのは、子どもに移るでしょ。

お父さんは、我慢しました。
ラーメンで凌ぎましたf(^^;。

大きな判断、大きな行動というものは、実は必要ないんだなあと思う。小さな判断と小さな行動からしか始まっていないのだ。ま、このぐらい良いかと許してしまうことが、大きな過ちに繋がるものだし、ここは少しだけやっておこうが、大きな結果につながって行くものである。

実に小さなことで、誰でもできるように思えることだ。だが、それは実に難しいことだ。毎日朝、一錠の薬を一年間欠かさずに飲むことがどんなに難しいか。簡単なことほどやること、やり続けることが難しい。

ここをやり続けることのできる人が、事を成すのだろうなあと思うのだ。ま、私だって10日ぐらいは断酒を続けることができたと、誰もいないホテルの部屋で、えっへんと自慢するのでありました。



2010/11/15

11月の明日の教室の二次案内 夕焼けもお待ちしております

11月の明日の教室の二次案内です。
今回も東京からの参加者がいらっしゃいます。
日本の小学校英語の最先端、最高峰を体験できることになります。

本物のシャワーを若い時期にたっぷりと浴びる。
専門とか、ジャンルとかはあまり関係ありません。
本物のシャワーを浴びることです。

それが、体に残った時次の何かが生まれます。
それは、本物を何らかの形で体を通してでしか生まれないものだと思っています。

お待ちしております。

http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2010/11/11120-staff-814.html

また、この時期、運が良ければこんな夕焼けを目にすることができるかも
しれません。
京都橘大学児優館は、夕焼けの名所でもあります(^^)。

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時系列で作った授業を、時系列で授業にかけるのは避けたい 古畑型の勧め

11/15−2

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四限は、模擬授業。今日は魯迅の『故郷』である。事前の指導では、故郷の過去と現在を比較し、「変わったもの」「変わらないもの」「変わったように見えて、変わっていないもの」を読み取らせるというものであった。

狙いはなかなか面白いものである。ではあるが、これがうまく行かなかった。なぜか。一言で言えば、時間管理がまずかった。生徒の発言に右往左往してしまう部分があったのだ。主たる発問が出てくるタイミングが遅すぎたので、生徒に余計な思考、もしくは不安を与えてしまったということになる。

私はかねてから言っていることがある。国語の授業を古畑型で作るべきだと。いや、すべてをとは言わない。しかし、コナン型で作られている授業が圧倒的に多い中、古畑型で作ることに挑戦するのは、意味があると考えている。

ちなみに、古畑型/コナン型の説明は、
http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2007/10/post_71d4.html
にある。

今回で言えば、
「故郷で、変わったように見えて、変わっていないものがあります。それはなんですか?」または、「故郷で、変わったように見えて、変わっていないものに○○があります。それはなぜですか???」のようにすれば面白かったと思うのだ。

実際に大学生を相手にした模擬授業でも、教科書に書かれている文言が、現在のことなのか過去のことなのか議論されているグループがあった。

また、生徒からは見えない授業のレールの上に生徒たちが乗りかかった場面があったのにも関わらず、授業のフレームを授業者そのものが理解しきれていないために、授業の表面だけを見ると子どもたちが私語を発しているというように見えるものもあった。

惜しい。

授業を作って行く時、コナン型で教材研究をするのは分かる。指導案を作るのは分かる。これは時系列で作れるので作りやすいのである。

しかし、時系列で作った授業を、時系列で授業にかけるのは避けたい。だらだらとした予定調和のような授業になる。無理矢理先生の言いたいことに導くような授業になる。

そうではなく、作った授業を構成し直すのだ。編集するのだ。そのときの一つの大きなヒントが古畑型なのだと考えている。

『よし、今日も飲まないぞ。お父さん凄いか?』

11/15

薬の利き目は凄いもので、咳は随分楽になった。鼻水もかむ回数はグンと減った。ただ、副作用で眠いのには参る。一日中眠い感じだ。

午後から娘にせかされて近くの公園へ。近くといってもちょっと歩いて行くには遠すぎるので、車で連れて行く。いくつかの遊具があり、紅葉もきれいな公園だ。

娘は私の子どもだなあと思うことはいくつかの場面であるのだが、遊び場に連れて行くとつくづく思う。それは、遊び方を習おうとしないことにある。私が教えてもだめなのだ。

娘は、じっと他の子どもの様子を観察し、その観察を終えると自分で挑戦する。習うのはダメで、自分であれこれやるのが好きなのだ。私は教師をしていて教えることを生業にしている。さらに教え方を教えているにも関わらず、習うのは苦手。自分であれこれやるのが好きなのである。    そこがそっくりである。

ああ、娘も効率が悪くて面倒くさい人生を選ぶのかなあと思うと、ちょっと可哀想。だけど、そっちの方が圧倒的に人生は楽しいと思うぞ。

で、娘は他の子がやっているのを見て、5歳の女の子が躊躇しているターザンロープに挑戦。軽々しくあらよってな感じでクリアしてしまった。怖いもの知らずとは恐ろしい。

だいぶ良くなってきた私は、アルコールに手を出したい。しかし、薬を飲み終えるまでは、飲まないと宣言しているので我慢、我慢。

『よし、今日も飲まないぞ。お父さん凄いか?』
と娘に聞く。
娘、暫く無言のうち突然笑顔で、
「凄過ぎ」
と。
あきらかに娘が凄過ぎである。

夜は日吉大社にライトアップされた紅葉を見に出かける。なぜか途中で電源が切れたり、通路の片側しかライトアップされていなくて残念であった。

ま、まだまだなのでもう一度出かけて楽しむことにしよう。

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