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2010/11/26

紅葉葉楓(もみじばかえで)から溢れてくる柔らかい日差し

11/26

今年の紅葉は凄い。
例年になく色鮮やかだ。
ということで、忙しい。

私の大学時代の友人が長野県の高校の教員になったが、秋になった時忙しい忙しいというので、何がそんなに忙しいのかと聞いたら、キノコを取ったり木の実を拾ったりに忙しいというのを聞いて、ふざけるなと思ったが、今は分かる。

あそこも行きたい、ここも行きたいと思うのだ。
今日は、オフの日。
娘がプレ幼稚園に行っている間に、石山寺に行こうと思ったのだが、その途中の公園がとんでもなく奇麗なので、つい立ち寄ってしまった。

それが全て。

ハンモックを広げて、紅葉葉楓(もみじばかえで)*1から溢れてくる柔らかい日差しを受けながら、ゴロンとしていた。

本当は本も紅茶も持って行ったのだが、本は2ページ。紅茶は一杯でおしまい。あとはただ、その光の波が奏でるリズムを体で受けとめていた。

エエテルってのを嘗ての科学者は信じていたらしいが、なんかそれも分かる気がする。波が伝わってくるのは、エエテルを伝わっているのじゃないかと思ってしまう。そんな感じの光の波だ。

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寝転がれば、首が痛くならずにこの景色を抱きしめることができる。
ハンモック万歳なのである。

まだまだあるが、ココログの画像アップの限界になるので、このぐらいにしておきますf(^^;。

滋賀は美しい。
そして、なんといっても人がいない。

いや、いなくはない。むしろ増えている。日本で人口が増えている県というのは、そんなにはない。その中の一つだ。だが、湖西はまだ少ない。増えたと言っても東京のことを考えたら、話にならない程度のことだ。

美しくて住みやすい。
体が朱色に染まるぐらい、包まれていた一日だった。

*1 『葉っぱのフレディ』の葉っぱです。

2010/11/25

一時一事の原則と空白禁止の原則は、指示のベクトルが違うのではないだろうか?

11/25

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三限の二回生ゼミでは、フィールドワーク報告会を行った。学生たちが現場に入って子どもたちの様子を観察する時間を定期的に作って指導しているが、そこで学んだことをハンドアウトにまとめて、報告し合う時間とした。

方法は、書き込み回覧作文方式で全員のハンドアウトを読んで、その後に気になったまとめを選び、質問をするというものである。

この中で特に学生たちが気になったのは、小学校一年生のクラスで、運動会のときの新人の先生とベテランの先生の違いについての発表であった。新人の先生は丁寧に説明している。ベテランの先生はポイントだけ説明してる感じがする。それでいて、結果的にベテランの先生の方がうまくできている。これは何なのかという発表であった。

これについてさらに詳しく聞いてみる。そこで分かったのは、

・ 最終的なゴールは何かを理解して指示を出しているベテランの先生。
・ 一時一事の原則で指示を出している新人の先生。
・ 空白禁止の原則を重視して指示を出しているベテランの先生。
・ 個人の指導をする新人の先生と、グループの指導をするベテランの先生。

これらの違いが分かった。
学生の目からは、うまく言ったのはベテランの先生で、それはなぜなのか。端的な説明ができたからではないかという答えになっていた。ま、それはそうなのだろうが、私は違うことを考えていた。

最終的なゴールは何かを示して、その後指示を出すというのは、「古畑型」の指示の出し方である。目的を示し、ここにたどり着くためにはどうしたら良いのかを考えさせる。そして、足りない部分はお互いに補い合いながら進むことを求めているのが、ベテランの先生ということであった。

もちろん、一時一事の原則は重要である。ここができていない若手は、クラスが崩壊する。ではあるが、これは言ってみれば「コナン型」の指示の出し方なのかもしれない。ゴールが見えにくいため、どこにたどり着くのかが分からない。だから子どもたちが不安になるのである。

クラスには子どもの差がある。この差をうまく活用することができれば、古畑型で個人ではなく、グループや集団を動かしながらゴールに達成することができるのではないかというのが、今回の結論となった。

新人の先生の一時一事の原則に従った指示の出し方が悪いということではない。しかし、今回のベテランの先生の空白禁止の原則の指示がうまく機能していたと言えるのではないかということである。

一時一事の原則、空白禁止の原則は、『授業の腕をあげる法則』(向山洋一 明治図書)にある有名な法則である。この本は何回も読んだのだが、読むたびにやっぱりこの部分がよく分からなかったのである。

一時一事の原則、空白禁止の原則はそれぞれは分かる。しかし、一時一事の原則を行うと、できる子とできない子の差が出てしまい、空白が生まれるのである。そうすると、空白禁止の原則に抵触するのである。

空白禁止の法則には、「まず全体に、大きな課題を与えよ。然る後に個別に指導せよ。」とある。つまり、目的を与えよということである。

何が言いたいか。つまり、一時一事の原則と空白禁止の原則jは、指示のベクトルが違うのではないだろうか? もっと言えば、私が言う所の「コナン型」と「古畑型」の違いではないだろうかと、今日学生たちに説明しながら思っていたのだ。

だから、一時一事の原則、空白禁止の原則を原則の10の中に並列で書くのは、混乱を生むのではないかなあと思うのだ。というか、私は20年近くすっきりしていなかったのだが、今日の授業で一つ解決の糸口が見えたような気がした。

一つの説明をしながら、もう一つ自分の頭の中にひらめいてしまったアイディアを考えながら進める授業は、そんなにあるわけではないが、そうなったときは大概私は面白いことになっている。

今日は二限の四回生の卒論ゼミも面白かったのだが、私自身のインパクトは二回生ゼミだったなあ。ああ、面白かった。

2010/11/24

我慢しきれずに、その椛に包まれにいく

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実に見事な紅葉の一日だった。
私の研究室からは大学の中庭が見える。

その中庭に一本の見事な紅葉がある。
それがいままさに見頃なのである。

午後になると、その紅葉に西日が正面から当たり始める。紅葉は、逆光で見るのが美しい。研究室からは順光で見える。だから、なんというか逆光の椛が気になって仕方がない。

我慢しきれずに、その椛に包まれにいく。

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カメラはiPhone4。
その性能もいいのだが、なんといってもアプリケーションが良い。降り注いでくる椛を受けとめる画像はなかなか撮れない。28mmのレンズのカメラでも厳しい。

そんなとき、オートステッチなどのソフトを使うと、奇麗に簡単にパノラマ写真が撮れる。人間の視野に近い絵を手に入れることができる。

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さらに、錦織の帯にある柄というのは、実は写実画ではないかと思ったのも今日であった。その椛の一部を頭の中で切り取って、帯にする。それを意匠として帯に忠実に再現していたのではないかと思った。

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私が気に入った一枚を撮影するために、光の推移を見守っていたら、学生たちがやってきた。で、iPhone4でいくつかの作品を見せた。学生たちは衝撃を受けるのであった(^^)v。

その後、21:00過ぎまで会議。
疲れたなあ。
でも、美しい椛を堪能できたので、良い一日と日記には書いておこう。(って、これを分かる人は少なくとも40歳を超えているなあ)

ランチの後に一枚

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椛の後ろの建物が、明日の教室の会場でよく使う児優館です。

教育の仕事は、種をまく仕事だと言われることがある

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11/24

大学に向かう途中、滋賀と京都の山々は美しい紅葉に溢れ、生きて行くエネルギーをくれる。

(なんでこんなに美しいのか)

と私は考えるが、こんなことを考えないのが、若さかもしれない。

山には種々の落葉樹があるからこんなに紅葉があるのであるが、この落葉樹は自然に育ったものではなく、植えられたものであるという当たり前のことに、加齢とともに気づくのである。

この山の美しさは、自然のように見えて、実は人工なのである。実は、管理された美しさなのである。

いや、管理された美しさが悪いということを言いたいのではない。私たちが出合っている自然というものは、殆どの場合、管理された自然である。それに気がつかないことを私は恐れているのである。

そして、自分が見ることにはならないであろう、この山の美しさを後世のために残してくれた先達の思いに心を馳せないことを恐れるのである。

教育の仕事は、種をまく仕事だと言われることがある。子どもたちの心の中にいろいろな種をまく。最大の種は、豊かな人生観の種だろうか。その種はやがて発芽し、花を咲かせ、実を結ぶだろう。

しかし、教師は殆どの場合、発芽までは一緒に時間を過ごすことはできるが、その後の場面に立会うことはほとんどできない。それでも、子どもが花を咲かせ実を結ぶ日を迎えることを信じて、楽しみにして、教育という営みをするのだと思う。

滋賀、京都の山に先達が残してくれたこの美しさを見ながら、

(さて、私は次の世代に何を残して行けるだろうとか)

と改めて思うのだ。

んなことを考えて、二限の学級担任論の授業に向かうのでありました。

ため息しか出ない 東福寺の紅葉

11/23

なかなか珍しい日の出でから始まる一日であった。

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午前中は思い立って東福寺に向かう。
東福寺の紅葉は京都の紅葉でも3本指に入るだろう。
京都駅からJR奈良線で一駅。そこにある。

私は車で駆けつける30分で到着。
近隣のコインパーキングに停める。観光特価ということで一時間500円になっている。それでもあと数台で満車になるところ。

写真をお楽しみいただきたい。お庭を回った順になる。カメラはすべてiPhone4。クリックで大きくなります。

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ため息しか出ない。
朝の東福寺は通天橋から見下ろすと順光で、見上げると逆光になる。この日は、曇りがちだったのであまり光の向きは気にしなくても良い日。初心者には絶好の光である。

私は、8時から3時間ここにいた。
寺を出る頃には、とにかくひとひと人であった。

それにしては、写真に人が写っていないではないかと思われるかもしれない。それはこの庭を造った庭師の匠の技なのだと思う。庭を巡回する通路の所は、木々で人が隠れるように作られている。

写真を撮る時は、ちょっと待ったり、ちょっと手を伸ばせば人が写らないように撮影できるのだ。当時の庭師が素人のカメラマンのことまで考えてくれているとは思えないが、今にも通じる気の配り方である。

軽い昼寝をしたあと、午後は、神戸までバビューンと行く。
イケアで買い物。
大きな家具を買う予定なので、相談に行く。
そして、雑貨を買う。
買いまくる。
満足である。

ただ、残念だったのは、お気に入りのペン立てが製造中止になってしまっていたことだ。再生産をリクエストして来たが、まあ、どうなるかなあ。

10時過ぎに帰宅。
たっぷりの一日であった。

2010/11/22

すると、ある時森は突然、出口を用意してくれる

11/20

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明日の教室は、立命館小学校の英語スタッフ四人による講座であった。実に良かった。本当に。手前味噌になるが、明日の教室に来ていただく講師の先生方はとても良い。

今回の講座で何が一番良かったのかというと、私は講師が藻がいている姿を見せてくださったことだと思う。

講師をすると分かると思うのだが、講座というのは基本的には完成した理論や実践を元に、そこの部分を伝えることが多い。そもそも中途半端なものは出せないし、開発の途中に何があったのかなんてことはあまり語らないことが多い。

ではあるが、私はそこが大事だと思っている。実践は、「子どもと教師」の関係で行われる。どんな子どもがいて、どういう教師のどんな指導があったのかで決まる。だから言ってしまえば、結論だけ聞いてもダメなこともある。

私はかつて『月刊国語教育』(東京法令 2001年9,10,11月号連載「対義語でポン!」)という原稿で、このことを論じたことがある。出来上がった教材ではなく、その教材が出来上がるまでの教師と子どもとの関わりはどうだったのか。何が問題でそれをどう解決しようとしたのかということが大事だと考え、その過程を書いた。

この日の立命館小学校の英語スタッフのみなさんは、「森の中を彷徨っていた」と話されていた。「出口はどこかと失敗を重ねながら彷徨っていました」と話されていた。

もちろん、この講座ではそこから得られた基本的な考え方を元に、具体的な授業の場面で説明がされていた。例えば、

・チームティーティングでネイティブと日本語の教師の関係は次の三つのうちのどれが正しいか。
・子どもたちが思わず使いたくなってしまう英語のスキットの開発はどうしたらいいのか。
・たくましい耳を鍛えるためにはどうしたらいいのか。

などである。具体的な内容については、発売されるDVDをみていただきたい。とにかく、どうしたらできるようになるのかという格闘の形跡と成果を3時間半で余す所なく語って頂いたのであった。

今回はうちの二回生の学生たちも多く参加していた。私は、学生たちに、英語をどう指導するのかということよりも、どう課題に向き合って行ったのかということを学べるすばらしい機会になったのではないかと思っている。

straggleというかscuffleというか、大の大人が藻がき苦しみながら前に進んだ姿を、間近に見られたことが大きいと思っている。

学生たちは、大学受験や採用試験までは

1)試験範囲のある中で
2)習ったことを前提に
3)できる部分を優先的に解く

という試験の受け方を指導されてきている。私も受験指導を行う際は、そのようにしてきた。

高校入試や大学入試で必要なのは合格点であって、満点ではない。だから、問題の傾向を考えて出る部分を勉強し、試験ではできる部分から問題を解き、合格に必要な点数をかき集める。解けそうな問題から取りかかるのである。

ところが、仕事に就くとこれがまったく逆になる。

a)試験範囲のない所で
b)やり方なんて教わることなく
c)誰もやっていない部分について解く

ようになるのだ。

私は教員の中にも
「そんなものは大学で習っていないからできない」
とパソコンの扱い方やディベート指導でこのように文句を言うのを聞いたことがある。だから、学生が「習っていないからできない」という言い方をするのも分からないではない。

だが、それが正しいことではないことも分かっている。

『習っていない? そうじゃあ、勉強してやりなさい』
『分からない? そうじゃあ、分かりなさい』
『できない? そうじゃあ、できるようになりなさい』

なのである。この指導を通して、自分と自分の仲間でなんとかするということ学生時代に体験しておかないと、愚痴ばかり言って何の仕事もできない人間になってしまうのではないかと思うのだ。

習ったことを元に、未知の世界にある、何やらの正解をパッケージとして取り出す。勉強が足りないなら、自分でする。この考え方を身につけたものは、自分の人生がうまく行かないことを人のせいにすることはない。むしろ、うまく行かないことを自分の人生のチャンスと思うようになって行くことすらあると思う。

人類は、
「そんなもん、お前無理だって」
と言われることに挑戦し続けた人たちの、失敗の積み重ねの向こう側に、やっとたどり着いた結果の上に立っている。

空を飛ぼうとして、どれだけの人が馬鹿にされ、命を失ってきたことか。誰もやったことがないからできない? 違う。
誰もやったことがないことが、イコールできないではない。

誰もやったことがないから、成功するためのフィールドが用意されているということも言えるのだ。日本の小学校英語をどうするのか。立命館小学校の英語スタッフだって、最初から答えがあったわけではない。必要だから、走りながら、そう森を彷徨いながら答えを出してきたのである。

その森の中にいるときは、不安である。
出口が見えない。
見えないまま出口を求めなければならない。
時には、恐怖ですらある。
だが、森を抜け出すにはそこで藻がくしかないはずだ。
すると、ある時森は突然、出口を用意してくれる。

その格闘する姿を間近で見ることができた、実感することのできた今回の明日の教室であった。大きな学びだった。ありがとうございます。

2010/11/21

12/18 明日の教室のご案内 立命館小学校 岩下修先生

昨日の興奮もさめやらぬうちに、来月のご案内です。
立命館小学校の国語科の重鎮、岩下修先生です。
12/18(土)です。13:30から17:00です。

お待ちしております。
お申し込みは、こちらです。

http://kokucheese.com/event/index/6006/

なお、懇親会を大切にしている明日の教室です。
会場は、同じく京都橘大学で行います。
仕込みの関係で、懇親会の締め切りは少しはやくなっております。
12/13です。

忘年会となりますね。こちらの参加もぜひどうぞ。

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