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2010/12/23

その側で伴走者でいられる教師という仕事の喜び

12/23

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昨日で大学の年内の授業は終わった。昨日の授業は学級担任論であった。遅刻指導と私語指導について。なぜ遅刻がこんなに日本では重視されるのかの歴史的背景を講じる。

私語指導については、私語の原因のほとんどは、教師にあることを講じる。面白くて、分かって、出来る授業なら私語は発生しようがない。

(まったく、何言っているの? 聞こえない)
(読みにくい字だなあ。なに、汚い字)
(え、締め切りはいつ?)

この(    )の中の言葉は授業を受けている子どもの心の中の言葉だ。これが外に出ると「私語」になる。しかし、これは私語なのだろうか?

ここはある意味教師を敵に回すところだが、事実だと思う。これから教師を目指す学生たちには、私語の問題を子どもの問題にすり替えないで、自分の問題として考えてほしいと思っている。

ま、実際教師として教壇に立つと、自分が児童生徒のときにあれだけ教師に対して不満だったことを忘れてしまうものだ。その時、
(あ、いかん。私語は私に原因があるのだ)
となる教師に育ってほしいのだ。

会議を二つ行って、その後合唱コンクールであった。
正確には、「京都橘大学人間発達学部児童教育学科、第一回合唱コンクール」である。

一年半位前に、当時の二回生にちょっと呟いた。
『うちの学科には、演劇、運動会、遠足はあるんだけど、あと歌がないんだよなあ。歌。歌があるといいんだけどなあ。教育には歌が欲しいよな』
と。

これを受けて、彼らは水面下で動き始めてくれていた。学生たちだけで、合唱コンクールを開いたのだ。しかも、教育実習や採用試験、卒業論文もあった、3、4回生まで参加して。

1、2回生はまさにコンクール。3、4回生はフェスティバルのようになっていた。

私たちが学生を育てたと言い切ることは出来ない。恐らく彼らが育ったのだろう。だが、学科の開設の一年前から大学に異動し準備して来た私としては、感慨深いものがあった。

アドヴァイスはちょこっとだけしたぐらいで、あとは彼らだけで全部やってのけた。

(をを、こいつら育ったなあ)

って、思った。
若者が成長する。その側で伴走者でいられる教師という仕事の喜びを感じる瞬間だった。

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片付けが終わってから、実行委員長と副委員長が、報告とお礼を述べに研究室に来た。もう21:00を回っていた。私の仕事は自主的なカメラマン。それだけなんだけどね。

『出来ればその日のうちに、来年度の計画を立ててしまうのが良いぞ』

と話す。改善点が思いつくのは終わった直後なのだ。だから、その場であれこれと話す。

「一発目の全体合唱でとにかく震えました。やって良かったと思いました」

と学生。

『実は、合唱コンクールで一番大事なのは、リハーサルなんだな。当日は何が起きるか分からない。だからいい。リハーサルのときにきちんと歌えればいいんだ』

『子どもたちは、合唱コンクールの優勝が目的。それでいい。だけど、教師は違う。合唱コンクールを通して子どもたちの人間的な成長を導くことが目的だ』

『そりゃあ、一緒に歌いたいさ。でもな、当日は先生は一緒に歌えないんだよ。だから、信じて任せるんだな。特に中学校3年生は、任せないとな。結構教師って、孤独だぜ』

『合唱コンクール当日は、学年合唱、全体合唱が一番良かったと言われるような合唱コンクールを作って行くんだな』

と私。

そのまま実行委員たちと打ち上げに突入するの予定であったが、流石は年末。そして、休日前。どこも予約なしでは無理だった。ははは。それもまた良い。

あれこれある毎日ではあるが、充実した幸せな時間を過ごせているなあ。
ありがたや、ありがたや。

2010/12/22

「元の位置に返そう運動」を提唱したい

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「元の位置に返そう運動」を提唱したい。学校は、教師はあまりにも多くのことを学校で抱えすぎていないだろうか? 小書『こんな時どう言い返す』(学事出版)に書いた例を出す。

中学校の地域懇談会での話である。「先生、最近の子どもは学校でタバコを吸いますか?」『はい。吸っています』と私は正直に話した。「困りますねえ」と地域の人たちに言われた。『すみません』と若い頃の私であったらこう答えただろう。しかし、その時は違った。みなさんならどう答えるだろうか?

『学校にタバコの自動販売機はありませんが』。その人は、一瞬何を言われているのか分からない顔をされていた。『学校にタバコの自動販売機はありません。学校ではタバコを吸えという指導もしておりません。でも、子どもたちは学校でタバコを吸っています』

『私たちは昼休みもなく、校舎の裏、体育館の裏を巡回してタバコを吸っている子どもがいないか、火事にならないかと心配しながら走り回っています。私たちは困っています』「.....」『時に子どもが持っているタバコは、どこで買っているのでしょうか? 誰がお金を与えているのでしょうか?』

『当たり前ですが、学校の外で、自動販売機で、コンビニで、お店で買っています。そして、そのお金は家庭から出ています』「ほんとうですね」『是非、地域、家庭でのご指導を見直して頂けませんでしょうか。学校は困っています』のような話をした。

「元の場所に返そう運動」は、大事な運動だと思う。

学級事務職を導入すべきである 2

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教師はまじめでないとダメである。そりゃあ、子どもたちの命や未来に関わっての仕事なのだから、きちんとしていなければダメである。それは、そうである。だが、これが今や限界に来ているのではないだろうか。

バーンアウト。燃え尽き症候群である。これは看護婦、医者、教師などに多い。もっともっとと自分を追い込んで、最終的に燃え尽きてしまうのである。こんな私でも(あ、燃え尽きるかもしれない)と思ったことがある。

教師の仕事はゴールがない。また、子どもを相手にしているので、まじめなので、どうしても(自分が頑張らなければならない)と思ってしまいがちなのだ。そして、頑張った結果燃え尽きてしまうことがある。私は何人かの燃え尽きた先生と仕事をしたこともある。

さらに教師は「流石、先生!」と言われることを求められる仕事でもある。逆に言えば自分から「私はもうダメです」と言えない仕事なのである。先生という仕事は、子どもたちから(この先生の言うことは聞かなければ)と思われないと成り立たない仕事なのである。

嘗て、そう30年位前までの日本は、「先生の言うことを良く聞くんだよ」と親が学校に送り出してくれた。しかし、今は違う。親が、社会が作ってくれていた「先生」というポジションを、先生自身が学校自体が作り出した上で、先生の仕事をしなければならない。これ、新人に出来るのか? 名刺なしでN◎Kの仕事が出来るか? ◎◎物産の仕事ができるのか?

「流石先生!」と言われることを求められる先生は、「私には出来ません」と言えない。これが先生の精神疾患、多くは鬱病の元になっているのではないかと私は考えている。

先生は、スーパーマンではない。それでもスーパーマンを求められる仕事である。それはそうだと思う。だが、限界に来ている先生は多い。

デンマークの教育を視察に行ったとき、学校のあらゆる職種にサポートがいるのに驚いた。校長にまでいる。ところが、日本ではサポートどころか追いつめてくる。「あなたの指導がおかしいのでは?」という文脈で。

ま、たしかに100万人もいれば、これはいかがなものかという教員もいる。しかし、多くの教員は踏ん張っている。ヨーロッパの教員の友人は、日本の教員のレベルの高さに本当に驚いている。

でも、もう限界を宣言していいのではないかと思う。私は現場にいるときに、二つの運動をしていた。一つは、職員室に小さな笑いを運動である。子どもたちは荒れることもある。そりゃあそうだ。こんな社会だ。荒れても仕方がない。しかし、職員室が温かければ教員は大丈夫。

だから、「職員室に小さな笑い運動」をしていた。例えば、印刷用の紙に「あたり」と書いたものを忍ばせておくとかf(^^;。温かい職員室ならなんとかなる。温かい職員室を作りたいと思ってあれこれやっていた。

もう一つは、「元の場所に返そう運動」である。片付けの出来ない私が言うのもなんだが、これである。

つまり、家庭でやることは、家庭に。社会がやることは社会に。医者がやることは医者に。保健所がやることは保健所に...。ということである。そうやって考えて行くと、教師は教師がやるべき仕事ではない仕事、いや、やっては行けない仕事を多くやっていると言えないだろうか。

例えば、体調の悪い生徒の様子を見る。おでこで熱を測る。そして、声をかける。もちろん、これで治る子どももいる。が、(これ、医師法違反じゃないかなあ)とどっかで思っていた。(なんで、看護婦や医者が学校にいないのかなあ。子どもの命をちゃんと守ろうよ)と思っていた。

多くの日本の先生は、仕事がしたくないではなく、仕事がしたいのだと思っている。そして、本当はやってはいけない仕事や、これは教員の仕事ではないよなあという仕事を、いつのまにか「そういうもんだよ」と思い込まされてやっているのではないか。そして、授業ができなくなっている。

小中学校の先生の勤務は、校門をくぐった瞬間から一日中ダッシュである。多くの学校では休憩時間もない。労働基準法違反も甚だしい。嘗て、こんなことも書いた。http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2009/10/post-9eee.html とんでもないことになっているのである。

私は、この話をご縁のある教育委員会の人たちにも話しています。現場上がりの教育委員会の先生たちの中には、本当にそう思うという声を上げて下さる方もいます。また、政治に関わる人に話したら、全く現状を理解していなくてそれはまずいだろうと言った人もいます。

能天気に考えませんか。多くの人たちは、先生は凄いからなんでもできる。出来てほしい、出来て当たり前と思っている。それはありがたいこと。しかし、一方で学校教育現場のことは分かっていないのです。生徒として長く学校にいたから学校のことは分かっていると思っているのでしょう。

しかし、どんなにテレビを見続けたところでテレビが作れないように、生徒で居続けたからと言って先生の仕事は分からないものです。もしそうだとしたら、分からない、分かっていないところに、そっと呟きながら分かってもらうと言うのはどうでしょうか。

教師は、伝えることが仕事なのではないかと思います。まず、現状を呟きつつ、あちこちに理解してもらうことではないかと思います。逃げるのではなく、私たちが良い仕事をするため。そして、それは当たり前ですが子どもたちを大切に育てるためであると思うのです。

その切り口の一つとして、学級事務職を導入すべきであると私は考えています。

2010/12/21

これを日本語では幸せというのであろう

12/21

週末は、明日の教室と、東京でNHKの会議であった。

学ぶ、酒、食事、出会い、語らい、仲間。
仕事、酒、食事、出会い、語らい、仲間。

ということであった。
これを日本語では幸せというのであろう。

明日の教室は、今回で目出度くも40回を迎えた。

1)その時に日本一と思える方に来て頂く。
2)教師を目指す若者に、なって3年位の先生を中心に
3)伝えたいことを伝えて頂く。

これが基本コンセプト。
そして、

4)極力参加費を抑えて行う。
5)懇親会で日本一の講師と膝を交えて話せる。

ということでやってきた。あっという間に40回と言う感じだ。大変と言えば大変なこともあるが、こういうのは楽しい。そして、楽しくないと続かない。いまでは、京都の他に東京や大阪に分校も出来た。凄いことだ。

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岩下先生の模擬授業は、それは凄い。そのなんというか、今回は外側から見たところ活発な活動ではない。だが、学習者のうちなる活動はもの凄いものであった。

で、私が特に感銘を受けたのが、岩下先生のライフヒストリーだ。
岩下先生は、大学時代は社会科を学んでいたのに、国語の専門になられた。それはどういうことがあってのことなのか。また、名著『AさせたいならBと言え』誕生秘話なども教えて頂いた。

仕事は、誰もがやりたがらないところや、誰もがやらざるを得ないにも関わらず手を抜くところやなどにしか成長の可能性はないということなのかもしれない。それは岩下先生でも同じであったんだと、体を震わせながら伺ったのであった。

翌日の日曜日は、渋谷NHKでの会議。今年関わっている番組が好評で、なんと来年度も継続するということになった。そのための会議。一年間の方針を立てる。朝の9時30から、夜の8時近くまで会議。子どもの会議は、時間が来れば終わるが、大人の会議はミッションがコンプリートしないと終わらない。

今回、新しい仲間をお招きした。
たまたまその番組を見ていたというS先生にお越し願った。
「あの番組、池田先生が関わっていません?」
と言われるぐらい、どうも私のカラーが出ているようなのである。ちなみに、今年は3、4人に同じことを言われた。うーむ(^^)。

で、もし良かったらとお願いして番組制作委員に加わって頂いた。もの凄いプラスのエネルギーを放射されている先生であり、大学の教育を専門とする先生ではないなかで、学生への指導にはもの凄い力量をお持ちの先生であるのでだ。会議は、延々と続くのだが、実に面白く学べるのであった。

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終わってから、AppleストアでMac談義をし、私が渋谷に来たときには顔を出す店に行って忘年会のような食事会。日付が変わる前にはホテルに戻ったが、実に良い時間であった。

翌日の月曜日の午前中に新幹線で京都に戻る。

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その後、4限は模擬授業の指導。5限は三回生ゼミ。
三回生が選び始めた卒論のテーマについての発表が取り敢えず全員一回目が終わる。来年度の卒論のテーマも面白くなりそうだ。

夕方二泊三日ぶりに、帰宅。
私の顔を見て、大喜びの娘。
それこそ飛びついてくる。

これもまた、幸せということである。

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