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昨日の午後『新採教師はなぜ追いつめられたのか 苦悩と挫折から希望と再生を求めて』(高文研)を読みながら頭に来ていた。2006年に新採の先生が自殺をした。その記憶は消えない。その時、私のブログでも取り上げた。このことを含めたこの問題について、一冊の本にまとめられたのだ。それを読んでいた。
例えば、「子どももいない新卒の女の先生に仕事が勤まるの?」と保護者に攻められる(責められるではないよなあ)一年目の女のA先生。これは極めて理不尽な物言いである。彼女は採用二ヶ月後に自殺した。彼女をを守るために、職員室ではどうするのだろうか。みなさんなら、なんて声をかけるのだろうか。
因に本書によると、彼女の仕事の状況は、それは壮絶です。新人で小2年生を引き継ぎなしで受け持ち、指導教諭からは指導なし。管理職からの暴言。保護者からの攻め。そして、単学級にも関わらず教科担任制。校務分掌は5つほど受け持ちです。彼女は一年目です。
私なりにあれこれ考えてみた。観点は三つありそうだ。a.新採の先生自身 b.学校のサポートシステム c.保護者である。
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a.『新人であろうがなんだろうが、先生は先生』
これは私が学生たちに良く言っている言葉だ。教育実習生でも同じである。しかし、限度というものがある。現状の新人の先生は限度を超えたことを求められている。その上、教員の仕事を教えるシステムが圧倒的に弱いと考えている。
新卒に求めて良いものなんて、熱意ぐらいではないだろうか。それで十分ではないか。教育と言う高度な営みに対して、22歳がいきなり30~40人相手にするのだ。冷静に考えれば不可能に近いことを求めていることが分かるはずだ。
熱意があれば、それを汲み取ってあれこれ指導して行けば良い。
だが、学校教育現場が忙しいのも分かる。だから、せめて指導の目次項目だけでもと、私は私の出来る範囲で大学で「学級担任論」という学級担任の仕事を教える授業をしている。教員養成大学に必須の授業だと思うが、やっているのはほぼ本学だけ。学生たちは「この授業のない他の大学はどうするの?」と言う。
また、新採の先生の一年目は一年間の仮採用なので、欠勤が多いのはまずい。その恐怖からなかなか休めない。しかしさらに、大変なのは新採(?)でありつつ、非常勤講師や常勤講師の先生。来年の採用採用試験のことを考えると休めない。本書のB先生は月に100時間オーバーの残業とのこと。もちろん、サービス残業。
因に非常勤の先生は、研修も受けられず健康診断も自腹。さらに、採用試験があっても業務が軽減されることはない。中学校だとクラブの試合の日と採用試験の日が重なって、受験すら出来ない先生もいる。
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しかし、新採の先生もここはしっかりせねばと思うところがある。それは、「腹のくくり方」または「ケツのまくり方」である。どのポジションに立って仕事を進めて行くのかということは、自分で決めなければならない i.流す ii受け入れる iii戦う iiii煙に巻く ぐらいだろうか。
私はii戦うでやってきたので、いまでも相当体に矢が刺さっているf(^^;。でも、私はこれで良かったと思っている。しかし、これを全ての先生に求めることはしない、できない。大事なのは自分がどのポジションに立って仕事を進めるか腹をくくることだ。
「子どもがいない新採の女教師はダメ」というのは理不尽である。理不尽には私は戦う。私なら、i.「はあ」 ii「承りました。勉強します」とする方法は採らないなあ。いや、採るのが自分にとって、さらに職場にとっていいのならいいのだが、私は×。
iii戦う シラク大統領が「愛人が大統領官邸に住んでいるようですが」と記者に質問されて「はい。それがなにか?」と言い返したように「それが、なにか(^^)。」と言い返す。
または、チャーチルが美術展の審査員をしたときに「絵を描いたことがないのに、名士というだけで審査員が務まるのか?」と言われて「私は卵を産んだことはないが、腐った卵はどれだか分かる」と言い返した(外山滋比古『ユーモアのレッスン』)ようにバサッと切り返すだろう。
iiii煙に巻く 「えー、じゃあ、あのときに生んでしまえば良かったかなあf(^^;」のようにするかな。だが、これは男の私が考えていることだが。
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b. 職員室の先生が新採の先生をどうサポートするか。これは二つの方法がある。一つは、新採の先生を鍛えるもの。授業のどこが悪くて、保護者対応はどうすればいいのかというように指導していくもの。野中信行先生がされているものだ。http://bit.ly/hd5Y0Y
しかし、野中先生がご指導されている新採の先生は、たしか3人。勿体ない。しかし、野中先生レベルであっても3人というのが、妥当な人数なのかもしれない。その位現場での指導というのは大変なものなのである。
で、指導を担当する先生が、みんなが野中先生のようであればいいが、これはなかなか厳しい。また、本来は教員養成が受け持つ部分でもある。OJTで身につけるのは、一年目は厳しいのではないだろうか。
もう一つは、守るものだ。保護者からの攻撃を受けてたって守るということもあるだろう。これはなんと言っても第一に管理職の仕事だと私は思う。私の敬愛している蛭田容之元校長は、「池田さん、池田さんの仕事は子どもの担任。親の担任は私。親で何かあったら私のところに連れて来なさい」と言って下さった。嬉しかった。だが勿論、意地でも連れて行かなかったがf(^^;。
しかし、日常的には職員室の同じ学年の仲間、教科の仲間が受け入れることだ。「どんまい」「私もやったさ」「俺の方がまだ凄かったぜ」「食事にいく? お茶する?」「校長の悪口いう? 聞くよ」など。これは校長にはなかなかできない。教頭にも難しい。職員室の同僚だ。
しかし、私も経験がある。職員室の同僚性が上手く機能していないと、苦しんでいる先生に手を貸した瞬間、自分までもがその苦しみの泥沼に引きづりこまれそうになることがあるのだ。ここは本当にキツい。子どもは子どもだから荒れても仕方がない。しかし、大人、職員だとキツい。
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c. 教員に「文句」を言ってくる場合、i.不安から ii.情報不足から iii.正統な申し出 iiii.いちゃもんでとあると考えている。(さらに詳しくは『学校崩壊と理不尽クレーム』(嶋崎 政男)参照のこと)このうち、教師が対応すべきは、i~iiiである。これは対応すべきである。
しかし、問題は理不尽な要求をするiiiiである。ここは、もう管理職に任せるべきである。そのための管理職である。腰を引く管理職もいるのは事実。しかし、ここが管理職の仕事だ。ただ、現状では腰を引く管理職に仕事をさせる、指示を出すシステムがない。ん? ないは言い過ぎか。ないと思うにしておこうか。
ただ、管理職の辛さも、最近良く分かるようになったと思う。校内研修会等に呼ばれて校長先生とあれこれ話をすると、(いやあ、大変だ)と思う。だから、校長もきちんとサポートされるシステムが必要だと言っているのである。だがこれは、管理職の仕事である。(しつこいか?)
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もう一つ大事なこと。a.に関して。「子どもがいないからダメでしょ」というのは、いれば良いということとは違う。いないから出来るということがあるという考えを持つことだ。子どもがいてはできないことは、たくさんある。そして、それを教育に活かせることも。ここは大切にしたい。
三つの観点を立てて長々と書いてきました。多くの方に反応を頂けたことでかなり考えが纏まりました。ありがとうございます。書きながら具体的なiii 戦い方f(^^;やiiii 煙に巻き方のアイディアも出てきました。これを踏まえて学生たちに指導をしたいと思います。ありがとうございました。
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本書に書かれている、A先生、B先生、木村先生が命を掛けて訴えたことを、次の世代に活かすために、あれこれ考えて行動に移して行きたい。