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2011/01/31

授業づくりネットワーク 第3回 関西青年塾 2/19

私が顧問をしている、関西青年塾のご案内です。講師は、いまのりに乗っている中村健一先生です。
お待ちしております。

授業づくりネットワーク 第3回 関西青年塾

中村健一&中條佳記 学級づくりセミナーin奈良

学級づくりに役立つネタ&基礎基本を一挙公開!現場へ出ていく直前、先輩からのメッセージ講座

約1年ぶりに奈良へ、中村健一氏をお招きします。『子どもも先生も思いっきり笑える 73のネタ大放出!』(黎明書房)ほか多数の著書がある中村氏が、このセミナーにて、子どもたちが安心して自分の力を発揮できる学級づくりの方法を紹介します。4月からはもちろん!明日の教室で使えるネタ満載です。【子どもたちとの初めての出会いで使えるアイディアって?】【「くだらない」で間違いを恐れなくなるネタって?】【授業中、子どもたちの「飽き」をフォローするにはっ!】など・・乞う、ご期待!!
また、2010年夏 授業づくりネットワーク京都大会Mini−1優勝者の中條佳記氏が、現在「授業づくりネットワーク」誌(学事出版)にて連載中の『学級づくりのポイントとなるネタ&コツ』をドバーっと紹介します。【歴史人物版 神経衰弱って?】【脳を鍛える!!裏向き漢字さがし】など・・ぜひ、この機会をお見逃しなく!!※Mini-1大会とは、教師や学生が一人7分間で模擬授業を行い、内容やパフォーマンスなどを審査され、競い合う大会である。現在は、一人10 分間となり、JUT大会が全国各地で行われている。

【日 時】 2011年2月19日(土) 

【会 場】 奈良県産業会館  経営研修室D

【住所/電話】 奈良県大和高田市幸町2番33号  0745−22−2727 

【アクセス】 近鉄大阪線大和高田駅 南出口からオークタウン方向
 南へ徒歩約5分
      近鉄南大阪線高田市駅 北方向へ徒歩約20分
      JR高田駅 東出口すぐ 
               
【時程】                             
受付開始13:30〜  開会13:45〜

13:50〜14:30 『スタートダッシュが肝心 学級作りの基礎・基本』
中村 健一(山口県岩国市立平田小学校)

14:40〜15:20 『学級づくりのネタ&コツ&ポイント』
中條 佳記(奈良県広陵町立真美ヶ丘第二小学校)

15:30〜16:10 『子どもを惹きつけるお笑いのネタ大放出!』
           中村 健一(山口県岩国市立平田小学校)

16:10〜16:40 Q&Aタイム
現場に出る直前、今抱える不安や悩みなどを、参加された皆さんで、意見交流していきましょう。もちろん、中村氏にもお聞きします。

閉会16:40〜  懇親会17:00〜  懇親会は、最寄りの居酒屋で
行います。懇親会費は、予算3000円程です。

【定 員】30名 【セミナー参加費】 一般 3000円 学生 2000円
【申込先】  中條までメールで連絡してください。「第3回 関西青年塾参加 希望」と「懇親会
の参加・不参加」  rxmkq271@ybb.ne.jp(中條)

2011/01/28

彼ら彼女らの旅立ちに、大声で歌いまくった夜

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ということで、昨日で本学の一般入試が終わった。お陰さまで前年度の受験者数を上回っている。ありがたいことである。教員、職員で学生達を鍛え、サポートしている姿を、あちらこちらで評価してくれているのだと思う。

昨日は入試が終わってから、いったん家に帰りまた山科に向かった。今年卒業する、去年の国語科教育法の受講生たちと打ち上げである。教育実習が終わるのがなかなかのびたのと、就職活動、卒論、卒業制作とあれこれあったので、延び延びになってしまっていた。

美味しいものを食べながら、彼ら彼女らの実習の話を聞き、来年度から何をするのかを聞いた。この不況の時代にきちんと職を得ているものが殆どであった。職を得ていないものは大学院に進学するか、教職を得るために浪人するということなのだから、100%進路は決まったということになるだろう。

彼ら彼女らに最初に会ったのは二回生の特別活動論。ま、これは
120人の中の一人だからよくは分からない。そして、三回生の国語科教育法である。15人弱の参加者の中で徹底的に指導した。それを乗り越えての教育実習であり、卒業である。

ま、彼ら彼女らは、二回生のときにまさか私とこんな風に食事をする関係になるとは夢にも思っていなかったと話していたが、そういうものである。

学ぶとは変わることである。

私は私の学びで変わって行く。彼らは彼らの学びで変わって行く。だから、私と学生との関係も変わって行く。見えなかったものが見えるようになり、分からなかったものが分かるようになり、分かっていたはずのものが分からなくなってしまう。

だから、また学ぶ。そうして、結果的に成長というものに繋がるのだと思っている。

二次会はカラオケ。なんかとても久し振りだった。
花粉が飛び始めているのかのどの調子が今ひとつだったので、高音が出なかったのが悔やまれるが、ま、こんなもんだろう。彼ら彼女らの旅立ちに、大声で歌いまくった夜でもあった。

次に彼ら彼女らに会うのは、書道コースの諸君は卒業制作展。それ以外の諸君は卒業式となる。
だから、
『ご卒業おめでとうございます』
と挨拶した。
「先生、まだ早いですよ」
と言われたが、人生はあっという間なのである。

卒業おめでとう。
いい人生を作るんだぞ。

去年の国語科教育法の受講生たちと打ち上げ

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ということで、昨日で本学の一般入試が終わった。お陰さまで前年度の受験者数を上回っている。ありがたいことである。教員、職員で学生達を鍛え、サポートしている姿を、あちらこちらで評価してくれているのだと思う。

昨日は入試が終わってから、いったん家に帰りまた山科に向かった。今年卒業する、去年の国語科教育法の受講生たちと打ち上げである。教育実習が終わるのがなかなかのびたのと、就職活動、卒論、卒業制作とあれこれあったので、延び延びになってしまっていた。

美味しいものを食べながら、彼ら彼女らの実習の話を聞き、来年度から何をするのかを聞いた。この不況の時代にきちんと職を得ているものが殆どであった。職を得ていないものは大学院に進学するか、教職を得るために浪人するということなのだから、100%進路は決まったということになるだろう。

彼ら彼女らに最初に会ったのは二回生の特別活動論。ま、これは120人の中の一人だからよくは分からない。そして、三回生の国語科教育法である。15人弱の参加者の中で徹底的に指導した。それを乗り越えての教育実習であり、卒業である。

彼ら彼女らは、二回生のときにまさか私とこんな風に食事をする関係になるとは夢にも思っていなかったと話していたが、そういうものである。

学んだことの唯一の証左は変わることである。内田樹先生はそうおっしゃる。

私は私の学びで変わって行く。彼らは彼らの学びで変わって行く。だから、私と学生との関係も変わって行く。見えなかったものが見えるようになり、分からなかったものが分かるようになり、分かっていたはずのものが分からなくなってしまう。

だから、また学ぶ。そうして、結果的に成長というものに繋がるのだと思っている。

二次会はカラオケ。なんかとても久し振りだった。
花粉が飛び始めているのかのどの調子が今ひとつだったので、高音が出なかったのが悔やまれるが、ま、こんなもんだろう。彼ら彼女らの旅立ちに、大声で歌いまくった夜でもあった。

次に彼ら彼女らに会うのは、書道コースの諸君は卒業制作展。それ以外の諸君は卒業式となる。
だから、
『ご卒業おめでとうございます』
と挨拶した。
「先生、まだ早いですよ」
と言われたが、人生はあっという間なのである。

卒業おめでとう。
いい人生を作るんだぞ。

ポスター作成とポスターセッションで心がけたことは3つである

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月曜日火曜日と東京は秋葉原で「平成22年度 大学教育改革 合同フォーラム」のポスターセッションに参加して来た。いわゆる文科省のGPである。うちの大学は「オリターが養成する学習コミュニティの形成」ということで発表。上にあるポスターを二枚横にパネルに並べて発表。

このポスターセッションというのは、聞きにくる人がいないと暇そうに見えて疲れる。また、聞きにくる人が多いとそれはそれで疲れるというなかなかの代物。10:00から17:30まで行ったのだが、結構疲れた。

このポスターセッションでのポスター作成は私が行った。どうせやるならいいものを作ろうと思うのが私。ま、うまく行ったかどうかは当日に分かるので、少し緊張しながらではあったが、基本的に人が途切れることがなかったので、うまく行ったであろう。

ポスター作成とポスターセッションで心がけたことは3つである。

1)ポスターに(おや?)と思わせるものを入れておく。

会場にはたくさんの人が来る。その際、見たいものが決まっていない人は、ぐるっと会場を見て歩く。その際、(あれ、これなんだろう?)というもの があると、足を止める。

私の場合は、「オリターが育てる学習コミュニティの形成」という発表テーマであった。オリターという言葉は聞き慣れない言葉なので、その言葉 で足を止める人が殆どであった。そして、その言葉を質問してきた。

さらに、ポスターの上に活動の様子を示す大きな写真を入れておき、歩いている人の足を止めさせた。

2)30秒で全体を説明できるように準備しておく。

足を止めさせることに成功したら、説明を始める。ただし、だらだらと説明をしてはダメだと考えている。

私は『良かったら30秒だけご説明いたしましょうか?』と話を始めた。見に来ている人は、たくさんを見てみたい。良い発表なのかどうか分からないのに、一つの所に長く捕まりたくはない。本当に聞きたいものだったら、 自分から長く質問するはずである。だから、30秒で全体を説明できるようにしておく。また、興味があれば、さらに質問してくるはずである。

3)質問に答える。

質問を聞いて、興味があれば質問をされるはずである。ここに端的に答える。また、質問がないようであれば、「質問を頂ければ」と振れば良い。

だいたい30秒で全てを説明できるわけがない。不十分になる。それでいいのだ。不十分だから、相手が質問を思いつく。その質問に答えれば良い。も し、ここで質問がなければ、発表に興味がないわけであって、30秒だけ聞いてくれたことに感謝して、次に移動するのを見送るのである。

興味を持って聞いてくれた人には、
「○○さんが、似たテーマでやっていますので、次はそこに行くと良いと思いますよ」
のように知らせる。聞いてくれた人に感謝のプレゼントをするのだ。

とまあ、そういうことで説明を続けたのでありました。
話を聞いてくださった方からは次のような感想を頂きました。

1)他の大学の発表を見ると、教員と職員が頑張る発表ばかりだが、学生達が頑張るシステムを作っているのが良い。
2)直接学生同士の交流を組織して切るのがすばらしい。ITなどに頼るのではなく。
3)学生を大人に育てるシステムがあるのはすばらしい。

ああ、伝わったんだなと嬉しく思った。
そう、話す機会がなければ伝えられない。
話すにつなげるためのあれこれ、結構大事だと思う。

2011/01/23

弱吟 内田樹先生の最終講義で学んだこと

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(ああ、弱吟なんだ)

そう思った。

昨日は、神戸女学院大学の内田樹先生の最終講義を受けるという、なんともすばらしい機会を得た。

だいたいからして、東京の中学校の教員をしていた私が、なんで神戸女学院大学のキャンパスに向かっているのだ。実に不思議な気持ちだ。私淑することが当たり前なのに、なんでこんな機会を得られたのかと思いながら、向かっていた。

あの時、あの小さな決断をしたことが、私を大学院に向かわせて、大学教員の職に導き、滋賀に住まいを得、娘を授かり、学生達と出会い、明日の教室の仲間達と楽しみ、そして、さらにこうして内田樹先生の最終講義を受けることのできる私になっている。

人生の不思議さとありがたさを感じつつ、岡田山の坂道を上った。

二時間前に到着。会場入り口で深呼吸。ゆっくりと見渡す。すると、そこには先生のお姿が。うううう、内田樹先生だ。

受付をすませ、会場で席(中央前から2列め)を確保し、早速ご挨拶に向かう。勿論私のことなんぞ知らない先生だが、私は一度お会いしてお話ししたことがある。乾杯のグラスをかわしてもいる(^^)v。名刺を交換していただき、先生のご著書で学生達と一緒に学んでいることなどを話す。

最終講義の前の先生の大事な時間なので、『「明日の教室」に来てください』という話をしたい所をぐっと堪えて、『ツイートしてもよろしいでしょうか?』と聞いたら、なんとオッケー。え、iPhoneは持参していたが、ブルートゥースキーボードは持って来ていない。MacBookAirは持参して来ているがwi-fiはない。うーん。フリック入力か?

どうしようかと考えながら、外でメールを書いていたら、そこに準備に向かう先生の姿を発見。もうこれは行くしかない『先生、一緒に写真を撮って頂けませんか?』というと、明るく了解を頂き、ゼミ生に頼んでツーショットで写真を撮っていただけた。いやあ、2時間前に行って良かった。

なんというか、小沢征爾さんに嘗て下北沢のホームで遭遇した時にサインをお願いした時に明るく了解してくださった、あの雰囲気と同じだったなあ。私もかくあらねばと思う。(ま、私に一緒に写真をとか、サインをとかいう方はないだろうがf(^^;。)

閃いた。

明日の教室でお世話になっている平井さんが、ポケットwi-fiを持ってくるはずだ。そこに乗っけてもらえれば、MacBookAirでツイートできると。

早速メールでお願いすると、気持ちよく了解してもらえた。そして、iPhoneから『どなたかハッシュタグを決めてくれませんか?』と依頼すると、早速これもやってくださる方がいた。#tatsuru_lect を確定する。そして、開始一時間前にツイートすることを予告する。

最終講義は、静謐な時間だった。
私はキーボードを叩く音がこの静謐さを打ち壊すことのないように、指を運び続けた。MacBookAirのキーボードで良かった。

講義の内容は、サマリーがhttp://togetter.com/li/92210にまとめらている。私のツイートが使われているのは、http://togetter.com/li/91886。その内、本となって世に出ると思うので、そちらを読んでいただければいいとは思うが、早く知りたい方は、追いかけてください。

私は内容そのものにもあれこれ深く学ぶことがあったのだが、それよりもその語り口に持ってかれたのであった。内田樹先生がおっしゃるように、ヴォーリーズ建築はとても心地よい音の響きを生み出してくれる建物であった。

その構造を熟知している、というか建物をご自身の体の一部にした上での話し方であった。それは私には、

(ああ、弱吟なんだ)

と思えたのだ。

弱吟(よわぎん)は、能の謡い方の一つの方法である。恥ずかしながら私も少しは謡えるので分かる。弱吟は通常女性が主人公のお能の演目で使われる謡い方なのである。

内田樹先生はご案内の通り、謡の稽古を続けられている。バリバリに謡えるのである。その先生が、最終講義の語り口に弱吟を選ばれたのだなあと思いながら聞いていた。

800人入る、立ち見の出たヴォーリーズの建てた講堂での最終講義。そこで21年間の女子大学での教員生活を終えようとする内田樹先生が最終講義で選ばれた発声は、弱吟だったと私は思った。

なんだろう。
本ではなく、ネットのyoutubeでもなく、あの静謐な空気、内田樹先生ありがとうございますという空気の中で響いている先生の声、言葉。

私が敬愛する元校長の蛭田容之先生は「池田さん、退職というのは一つの死なんだよ。職業人としての死なんだね」と語って下さったことがある。内田樹先生は退職され、一つの死を迎えられるのだ。

その悲しみを受け入れつつ、それでもありがとうございますという言葉では表しきれない、ありがとうございますの空気の中に響いて行く、内田樹先生の弱吟の言葉。

さようなら
ありがとう
さようなら
ありがとう
さようなら

という音律の中に展開する、頭と体と心を揺さぶる言葉の、論理展開の、響きの洪水。さよならだからといって悲しいのではなく笑いもあり、ありがとうだからといって嬉しいのではなく切なさもあり。

ヴォーリーズの建物までもが、その別れを惜しんでいるようなあたたかな響きであった。

満員の茶話会で先生に
『明日の教室にご登壇ください』
とお願いした所、
「連絡を下さい」
と言って下さった!!!!

その後、先生はパーティに向かわれた。
私たちは、この興奮をどこかに落ち着かせようと、いや、さらに味わおうと帰り道に店に入った。

私は僭越ながら、先生のこの先の新たな誕生、そして益々のご活躍を祈念して「開運 純米吟醸」を飲み続けた。

内田樹先生、長い間ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。


2011/01/22

第二希望のメリット

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(池田ゼミ 和綴じ本の卒業論文)


大学の管理棟の前でうろうろしていたら四回生に会った。今日は授業がないのに何をしているのだと聞いたら、来年度同じ都道府県を受験する後輩のためにあれこれ話す会があって、そのために来ているのだという。

 

そこにいた彼らは全員同じ都道府県に赴任するのだが、これまた全員第二希望の都道府県に赴任するのである。つまり、第一希望は落ちたのである。それでも合格したのだからいいじゃないか、という話ではない。

 

私も進路決定では、ほとんど第二希望、または第三希望で駒を進めている。思ったようにならない。しかし、それで不幸かと言えば、そんなこともない。私にしては結構上出来のここまでだと思っている。なぜなのだろうかと学生達に話しながら以前思ったことがある。

 

 

第二希望に行くと、一時的に自分の人生の正解から外れたような気持ちになる。これはそうだ。自分が希望している大学が、自分を必要としないという答えを出す。浪人してもさらにダメだったらその衝撃は大きい。それで第二希望の大学に進むことになる。だが、正解はあるのではなくて、作るものなのである。

 

第二希望の大学に進む者が、そこに正解がないと思うとすれば、第一希望の大学に進む者は、そこに正解があると思い込む者が多いのではないだろうか。第一希望の大学に行って、不満だらけの学生生活を送るなんてことも別に珍しくはない。逆に第二希望であっても充実した時間を過ごす者も少なくない。なぜならば、正解は作るもの、育てるものだからである。

 

さらに、もう一つ決定的なことがある。第二希望の進路を選ぶということは、その人の構えの幅が広くなるということだ。第一希望に入るということは、その人の想定した中の人生を進むことになる。通常これは計画性があるとか、見通しを持った人生という言い方で良い評価を得る。

 

所が、どうもそうとばかりは言っていられないのではないかと思うのである。思っても見なかった土地で仕事をすることになる。誰も知り合いはいない、土地勘もない。そんな中に投げ出される経験は、第一希望ではなかなかあり得ない。無理矢理厳しい環境に送り込まれる。それが第二希望だ。

 

この無理矢理厳しい環境に送り込まれること、そしてそこで生きて行くことが、その人の人生を鍛える。または、魅力的なものにすることが多いのではないかと思っている。これは第二希望のメリットではないかと思うだ。

 

社会人として一歩めを踏み出そうとしている彼ら彼女らには、第二希望の勤務先で、(ああ、第一希望のところに合格しなくて良かったなあ)と思えるようになってほしい。第二希望でなければ出会えなかった子どもたちとの出会いと、その子どもたちの成長を導く豊かな実践を通して、人間の幅の広くて深い教師になってほしいなあと思うのであった。

2011/01/12

記念日

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今日は、娘の人生の記念日の一つになりました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。

記録として書いておきます。

因に、私も今年、来年に向けて大きな仕事が動き出しそうな記念日になりました。
うしゃあ。

みなさんには何がなんだか、分からないでしょうが、お会いしたらということでf(^^;。
娘よ、やったな。

そんなわけで、今宵は「限定品 九嶺(くれ) 純米吟醸仕込み10号 斗瓶取り生」を開けました。うまうま。

2011/01/11

"シーズン"という考え方

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(雪のチラつく日の出。今朝の琵琶湖)


バージョンアップという考え方が日本の文化に果たす役割については、以前に書いた

もう一つ"シーズン"という考え方についても少し考えてみる。

シーズンという考え方は、海外ドラマTVシリーズ「24-TWENTY FOUR-」で使われているものである。連続ものの一つのまとまりと考えて良い。この考え方は、とてもいいなあと思ったものである。

一つのドラマが当った場合、視聴者は次を見たいと考える。だから、制作者も次を作る。ところが、毎週一定のクオリティを保って番組を作り続けることは、実は至難のことなのである。

そこで、ある一定の期間にひとまとまりを作って、一旦終わる。バトンタッチすると言う考えは良い。

日本の作品で言うと「課長 島耕作」が実はこの"シーズン"という考え方に合っているのかもしれない。「ヤング 島耕作」が出たときには、まさにこの考え方だなあとびっくりしたものだ。

バージョンアップも、シーズンも、西暦という暦を持っている西欧の考え方なのだと思う。今日は西暦2011年の1月11日。ま、2011年位なら2011年というのもそんなに大変ではないが、278935672011年1月11日となったら大変だと思うのだ。

この西暦というのは、こういう278935672011年1月11日を想定していないのじゃないかなと思う。いや、こういうのを想定しているからこそなのかもしれない。こんなに長くなってしまうと、人間の思考の枠を超えてしまうのではないだろうか。

だから、バージョンアップも、シーズンも、一つの枠として区切ってパッケージにしているのかなあと思うのである。

因に、日本は元号があるので考え方によっては、シーズンという考え方は元々根付いているとも言えるかもしれない。

どうでも良いことかもしれないが、こんなことに気がついた。
メモ程度に書いておく。

論文の書き方小論 「ん? → 本当? → なぜ?」 

「論文を書くには、問いが最重要である」ということは言うまでもない。しかし、この問いが難しい。

この問いの問題については、「論文の胆である、問いとは 〜論文の書き方小論〜」

といういことで簡単に論じたことがある。

勉強は素直にすることが大事である。だいたいからして先生と言う仕事をしている人は、教えることが好きである。そして、基本的に子どもを育てようとしている。伸ばそうとしている。自分が良いと思ったことを子どもたちに伝えようとしている。

勿論、全ての先生ではないし、その先生が良いと思っていることが、本当に良いことかどうかと言うのは吟味されなければならないが、傾向としてはそうである。もっと言えば、わざわざ悪い方向に育てようとしている先生はいない。

だから、素直に勉強することが大事である。素直に勉強すれば、効率よく勉強することができる。

しかし、学問は違う素直に先達の業績を勉強することも必要だが、これでは学問にはならない。
(そうは言っても、違うんじゃないの?)
という姿勢が必要なのである。

これは非難ではない。
批判である。
いや、私はこれをもう一つの「素直」と言うのではないかと思っている。

分かったことは分かった。
分からないものは分からない。だから、「素直」なのだ。

ところが、素直に勉強することになれてしまっている若者は、問いを提出することが本当に難しい。先生の言うことは、素直に受け入れることが体に刷り込まれているので、出来ないのである。

これでは学問はしにくい。

おそらく、

違和感 → 疑問 → 問い

という流れで、問いは作られて行くのであろう。口語にすれば、

ん? → 本当? → なぜ?

ということである。

指導としては、この「ん?」をどう発見させるかが鍵になる。来年度今まで以上に力を注ぎたいのは、ここだ。

昨日の夜のちょっと大きい気づき

1/11

高校生の時代ぐらいからいつも思っていた。

問題を抱えていると、多くの場合その問題に関わるヒントの本に出逢えるのである。
(いやあ、俺って凄いラッキーなんだ)
と思っていたが、違うかもしれないと今頃気がつく。

1.いつも本を読んでいる。
2.問題意識を持って読んでいる。
3.だから、見つける。

と言う事なのだろう。

いつも運転している人が、興味のある車種をよく見つけるのと同じだな。もっと言うと、車を乗り換えると、自分が運転している車ばかりが目について
(こんなに走っていたか?)
と思うようになるということだ。

読書が自分の人生の伴走者である。または、鏡であり、友人であり師であるってのはこういうことなのかもしれないな。

昨日の夜のちょっと大きい気づきであった。

公園では、パンダが雪遊びをしていた

1/10

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目覚めると雪。予報では火曜日が雪とのことだったが。

娘と昼前に公園に出かける。
雪だるまを作って、斜面で雪車遊びをしたいとのこと。
外を見ると、積もった雪はなくなって来ていたがでかける。

公園では、パンダが雪遊びをしていた。
なかなか可愛いパンダだった。

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昼を外で食べて、琵琶湖の畔のカフェでお茶。
休日ならこういうのもいいだろう。

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だが、頭に来たことがあれこれあって、被害を大きくしないために早く寝る。
明日はすっきりしていたい。

2011/01/07

『新採教師はなぜ追いつめられたのか 苦悩と挫折から希望と再生を求めて』(高文研)を読みながら頭に来ていた。

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昨日の午後『新採教師はなぜ追いつめられたのか 苦悩と挫折から希望と再生を求めて』(高文研)を読みながら頭に来ていた。2006年に新採の先生が自殺をした。その記憶は消えない。その時、私のブログでも取り上げた。このことを含めたこの問題について、一冊の本にまとめられたのだ。それを読んでいた。

例えば、「子どももいない新卒の女の先生に仕事が勤まるの?」と保護者に攻められる(責められるではないよなあ)一年目の女のA先生。これは極めて理不尽な物言いである。彼女は採用二ヶ月後に自殺した。彼女をを守るために、職員室ではどうするのだろうか。みなさんなら、なんて声をかけるのだろうか。

因に本書によると、彼女の仕事の状況は、それは壮絶です。新人で小2年生を引き継ぎなしで受け持ち、指導教諭からは指導なし。管理職からの暴言。保護者からの攻め。そして、単学級にも関わらず教科担任制。校務分掌は5つほど受け持ちです。彼女は一年目です。

私なりにあれこれ考えてみた。観点は三つありそうだ。a.新採の先生自身 b.学校のサポートシステム c.保護者である。

a.『新人であろうがなんだろうが、先生は先生』
これは私が学生たちに良く言っている言葉だ。教育実習生でも同じである。しかし、限度というものがある。現状の新人の先生は限度を超えたことを求められている。その上、教員の仕事を教えるシステムが圧倒的に弱いと考えている。

新卒に求めて良いものなんて、熱意ぐらいではないだろうか。それで十分ではないか。教育と言う高度な営みに対して、22歳がいきなり30~40人相手にするのだ。冷静に考えれば不可能に近いことを求めていることが分かるはずだ。
熱意があれば、それを汲み取ってあれこれ指導して行けば良い。

だが、学校教育現場が忙しいのも分かる。だから、せめて指導の目次項目だけでもと、私は私の出来る範囲で大学で「学級担任論」という学級担任の仕事を教える授業をしている。教員養成大学に必須の授業だと思うが、やっているのはほぼ本学だけ。学生たちは「この授業のない他の大学はどうするの?」と言う。

また、新採の先生の一年目は一年間の仮採用なので、欠勤が多いのはまずい。その恐怖からなかなか休めない。しかしさらに、大変なのは新採(?)でありつつ、非常勤講師や常勤講師の先生。来年の採用採用試験のことを考えると休めない。本書のB先生は月に100時間オーバーの残業とのこと。もちろん、サービス残業。

因に非常勤の先生は、研修も受けられず健康診断も自腹。さらに、採用試験があっても業務が軽減されることはない。中学校だとクラブの試合の日と採用試験の日が重なって、受験すら出来ない先生もいる。

しかし、新採の先生もここはしっかりせねばと思うところがある。それは、「腹のくくり方」または「ケツのまくり方」である。どのポジションに立って仕事を進めて行くのかということは、自分で決めなければならない i.流す ii受け入れる iii戦う iiii煙に巻く ぐらいだろうか。

私はii戦うでやってきたので、いまでも相当体に矢が刺さっているf(^^;。でも、私はこれで良かったと思っている。しかし、これを全ての先生に求めることはしない、できない。大事なのは自分がどのポジションに立って仕事を進めるか腹をくくることだ。

「子どもがいない新採の女教師はダメ」というのは理不尽である。理不尽には私は戦う。私なら、i.「はあ」 ii「承りました。勉強します」とする方法は採らないなあ。いや、採るのが自分にとって、さらに職場にとっていいのならいいのだが、私は×。

iii戦う シラク大統領が「愛人が大統領官邸に住んでいるようですが」と記者に質問されて「はい。それがなにか?」と言い返したように「それが、なにか(^^)。」と言い返す。

または、チャーチルが美術展の審査員をしたときに「絵を描いたことがないのに、名士というだけで審査員が務まるのか?」と言われて「私は卵を産んだことはないが、腐った卵はどれだか分かる」と言い返した(外山滋比古『ユーモアのレッスン』)ようにバサッと切り返すだろう。

iiii煙に巻く 「えー、じゃあ、あのときに生んでしまえば良かったかなあf(^^;」のようにするかな。だが、これは男の私が考えていることだが。

b. 職員室の先生が新採の先生をどうサポートするか。これは二つの方法がある。一つは、新採の先生を鍛えるもの。授業のどこが悪くて、保護者対応はどうすればいいのかというように指導していくもの。野中信行先生がされているものだ。http://bit.ly/hd5Y0Y

しかし、野中先生がご指導されている新採の先生は、たしか3人。勿体ない。しかし、野中先生レベルであっても3人というのが、妥当な人数なのかもしれない。その位現場での指導というのは大変なものなのである。

で、指導を担当する先生が、みんなが野中先生のようであればいいが、これはなかなか厳しい。また、本来は教員養成が受け持つ部分でもある。OJTで身につけるのは、一年目は厳しいのではないだろうか。

もう一つは、守るものだ。保護者からの攻撃を受けてたって守るということもあるだろう。これはなんと言っても第一に管理職の仕事だと私は思う。私の敬愛している蛭田容之元校長は、「池田さん、池田さんの仕事は子どもの担任。親の担任は私。親で何かあったら私のところに連れて来なさい」と言って下さった。嬉しかった。だが勿論、意地でも連れて行かなかったがf(^^;。

しかし、日常的には職員室の同じ学年の仲間、教科の仲間が受け入れることだ。「どんまい」「私もやったさ」「俺の方がまだ凄かったぜ」「食事にいく? お茶する?」「校長の悪口いう? 聞くよ」など。これは校長にはなかなかできない。教頭にも難しい。職員室の同僚だ。

しかし、私も経験がある。職員室の同僚性が上手く機能していないと、苦しんでいる先生に手を貸した瞬間、自分までもがその苦しみの泥沼に引きづりこまれそうになることがあるのだ。ここは本当にキツい。子どもは子どもだから荒れても仕方がない。しかし、大人、職員だとキツい。

c. 教員に「文句」を言ってくる場合、i.不安から ii.情報不足から iii.正統な申し出 iiii.いちゃもんでとあると考えている。(さらに詳しくは『学校崩壊と理不尽クレーム』(嶋崎 政男)参照のこと)このうち、教師が対応すべきは、i~iiiである。これは対応すべきである。

しかし、問題は理不尽な要求をするiiiiである。ここは、もう管理職に任せるべきである。そのための管理職である。腰を引く管理職もいるのは事実。しかし、ここが管理職の仕事だ。ただ、現状では腰を引く管理職に仕事をさせる、指示を出すシステムがない。ん? ないは言い過ぎか。ないと思うにしておこうか。

ただ、管理職の辛さも、最近良く分かるようになったと思う。校内研修会等に呼ばれて校長先生とあれこれ話をすると、(いやあ、大変だ)と思う。だから、校長もきちんとサポートされるシステムが必要だと言っているのである。だがこれは、管理職の仕事である。(しつこいか?)

もう一つ大事なこと。a.に関して。「子どもがいないからダメでしょ」というのは、いれば良いということとは違う。いないから出来るということがあるという考えを持つことだ。子どもがいてはできないことは、たくさんある。そして、それを教育に活かせることも。ここは大切にしたい。

三つの観点を立てて長々と書いてきました。多くの方に反応を頂けたことでかなり考えが纏まりました。ありがとうございます。書きながら具体的なiii 戦い方f(^^;やiiii 煙に巻き方のアイディアも出てきました。これを踏まえて学生たちに指導をしたいと思います。ありがとうございました。

本書に書かれている、A先生、B先生、木村先生が命を掛けて訴えたことを、次の世代に活かすために、あれこれ考えて行動に移して行きたい。


雪の琵琶湖湖畔のオフであった

1/7

東京から帰り、卒論を全て読み終え、やっと一山超えた感じだ。
今日はオフ。

寒い朝、娘を幼稚園に送り届けるために車に向かう。
『うー、寒いね』
と言う。すると娘は
「お父さん、手を繋いであげようか。マフラー貸してあげようか?」
と言いながら、自分のマフラーを解こうとする。

慌てて、
『大丈夫だよ。優しいなあ。いつまでも優しい◎◎ちゃんでいてね』
と言うと
「うん。でも、ワガママ」
と答える。
『ワガママは、治るよ』
と言うと満面の笑顔で
「治らない」
とのこと。私の娘だ(^^)。

送り届けた後、そのまま近くの公園を散歩する。昨晩から雪が降り、今朝積もっていたのだ。

誰もいない公園をiPhone4を片手に歩く。
途中から晴れて来て、青空とのコントラストに吸い込まれて行くようだった。

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比叡山にも奇麗に雪がかかっている。美しい。
さすがに古人が、都を置こうと思った場所だけのことはある。

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途中面白い木を見つける。
この二枚の写真を見て、私が小学校の先生だったら授業をつくるなあと思った。

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午後、買い物に出かける。
買い物の後、娘がどうしても雪だるまを作りたいというので、琵琶湖の湖畔の公園に行く。

湖の上か、雲の中か分からないところを行くミシガンが見える。

Img_2219

湖畔にはもうほとんど雪がなかった。
午前中に誰かが遊んで集めてあった雪が残っているぐらい。
だが、それを集めてなんとか人生初の雪だるまを作った。

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一体で満足せずに、もう一体。

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本日、暦では小寒。七草がゆだ。
ここからが一番寒い。

だが、気がつくと、琵琶湖の空は晴れていた。

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雪の琵琶湖湖畔のオフであった。

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2011/01/06

問いがあって、論証があって、答えがあるか

1/6

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(中央高速道路 双葉SAから望む)

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

本日から大学の授業が始まった。

この年末年始は、東京に帰っていた。二つの実家を巡り娘のいとこたちの成長を見、親の元気な姿を見、駅伝で母校がシード権を獲得するのを見、卒業生が成長しているのを見、恩師にご挨拶をし、富士山を見て終わった感じだ。

車での移動は一日がかり。往復で二日間、1000キロの道のりは、ま、それなりに大変である。が、こうして過ごせるのは幸せなことだと思うのであった。

東京には
(これ、絶対に読めないだろうなあ)
と思うぐらいの本を持って行った。その通りになった。

学生たちの卒論も持って行ったのだが、これもまったく読めなかった。たぶん、読めなかった本と卒論の重さを合計すると20キロぐらいにはなったんじゃないかなあf(^^;。

20キロ減らせば、燃費も良くなったのになあと思いながら、でも、持って行くのが大事だと言い聞かせていた。

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(天使の階段のある琵琶湖の朝 1/6の撮影)

久し振りの学生諸君の顔色は、まあまあであった。
今日を含めてあと三回のゼミかと思うと、まだまだ指導してあげたいことがあることに気づくが、時間は過ぎて行く。

今日のゼミでは、学生たちに宿題にしていた「卒論の書き方」を回収し、卒論発表会のポスターセッションのポスターの書き方を指導し、私が添削した卒論を返却した。

来週のゼミで、デジタル卒論集を作る。そのために、誤字脱字の修正をこの一週間でさせる。だから、冬休み中に読み切らねばならなかったのだが、なんとか間に合った。

結論からすると、勉強した跡の見られる卒論、文章の書き方に気を配っている卒論が多くあり、良かったと思っている。採用試験が終わって9月から12月の間に集中して書いた卒論である。これを考えれば、まあまあかもしれない。しかし、読み手はそんなことはどうでもいい。

問いがあって、論証があって、答えがあるか。

これが論文である。
今少し、指導をすることが出来たのではないかと、私自身は反省する。

いや、彼らはまだ卒業していない。
まだ指導する機会はある。
反省しておしまいにはしないぞ。

とまれ、大きな山を越えたことは事実。
今週末は、少し体を休められそうだ。
娘と遊べるかな。

あ、年賀状もやっと読めますf(^^;。
卒論を読み終わるまでは、読まないと決めていたもので。
はい、お返事を書いて、それからあれこれ書きます。
年賀状は、旧暦で動いておりますので、よろしくお願いいたしますf(^^;。

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