« 第二希望のメリット | トップページ | ポスター作成とポスターセッションで心がけたことは3つである »

2011/01/23

弱吟 内田樹先生の最終講義で学んだこと

1/23

Photo_2


(ああ、弱吟なんだ)

そう思った。

昨日は、神戸女学院大学の内田樹先生の最終講義を受けるという、なんともすばらしい機会を得た。

だいたいからして、東京の中学校の教員をしていた私が、なんで神戸女学院大学のキャンパスに向かっているのだ。実に不思議な気持ちだ。私淑することが当たり前なのに、なんでこんな機会を得られたのかと思いながら、向かっていた。

あの時、あの小さな決断をしたことが、私を大学院に向かわせて、大学教員の職に導き、滋賀に住まいを得、娘を授かり、学生達と出会い、明日の教室の仲間達と楽しみ、そして、さらにこうして内田樹先生の最終講義を受けることのできる私になっている。

人生の不思議さとありがたさを感じつつ、岡田山の坂道を上った。

二時間前に到着。会場入り口で深呼吸。ゆっくりと見渡す。すると、そこには先生のお姿が。うううう、内田樹先生だ。

受付をすませ、会場で席(中央前から2列め)を確保し、早速ご挨拶に向かう。勿論私のことなんぞ知らない先生だが、私は一度お会いしてお話ししたことがある。乾杯のグラスをかわしてもいる(^^)v。名刺を交換していただき、先生のご著書で学生達と一緒に学んでいることなどを話す。

最終講義の前の先生の大事な時間なので、『「明日の教室」に来てください』という話をしたい所をぐっと堪えて、『ツイートしてもよろしいでしょうか?』と聞いたら、なんとオッケー。え、iPhoneは持参していたが、ブルートゥースキーボードは持って来ていない。MacBookAirは持参して来ているがwi-fiはない。うーん。フリック入力か?

どうしようかと考えながら、外でメールを書いていたら、そこに準備に向かう先生の姿を発見。もうこれは行くしかない『先生、一緒に写真を撮って頂けませんか?』というと、明るく了解を頂き、ゼミ生に頼んでツーショットで写真を撮っていただけた。いやあ、2時間前に行って良かった。

なんというか、小沢征爾さんに嘗て下北沢のホームで遭遇した時にサインをお願いした時に明るく了解してくださった、あの雰囲気と同じだったなあ。私もかくあらねばと思う。(ま、私に一緒に写真をとか、サインをとかいう方はないだろうがf(^^;。)

閃いた。

明日の教室でお世話になっている平井さんが、ポケットwi-fiを持ってくるはずだ。そこに乗っけてもらえれば、MacBookAirでツイートできると。

早速メールでお願いすると、気持ちよく了解してもらえた。そして、iPhoneから『どなたかハッシュタグを決めてくれませんか?』と依頼すると、早速これもやってくださる方がいた。#tatsuru_lect を確定する。そして、開始一時間前にツイートすることを予告する。

最終講義は、静謐な時間だった。
私はキーボードを叩く音がこの静謐さを打ち壊すことのないように、指を運び続けた。MacBookAirのキーボードで良かった。

講義の内容は、サマリーがhttp://togetter.com/li/92210にまとめらている。私のツイートが使われているのは、http://togetter.com/li/91886。その内、本となって世に出ると思うので、そちらを読んでいただければいいとは思うが、早く知りたい方は、追いかけてください。

私は内容そのものにもあれこれ深く学ぶことがあったのだが、それよりもその語り口に持ってかれたのであった。内田樹先生がおっしゃるように、ヴォーリーズ建築はとても心地よい音の響きを生み出してくれる建物であった。

その構造を熟知している、というか建物をご自身の体の一部にした上での話し方であった。それは私には、

(ああ、弱吟なんだ)

と思えたのだ。

弱吟(よわぎん)は、能の謡い方の一つの方法である。恥ずかしながら私も少しは謡えるので分かる。弱吟は通常女性が主人公のお能の演目で使われる謡い方なのである。

内田樹先生はご案内の通り、謡の稽古を続けられている。バリバリに謡えるのである。その先生が、最終講義の語り口に弱吟を選ばれたのだなあと思いながら聞いていた。

800人入る、立ち見の出たヴォーリーズの建てた講堂での最終講義。そこで21年間の女子大学での教員生活を終えようとする内田樹先生が最終講義で選ばれた発声は、弱吟だったと私は思った。

なんだろう。
本ではなく、ネットのyoutubeでもなく、あの静謐な空気、内田樹先生ありがとうございますという空気の中で響いている先生の声、言葉。

私が敬愛する元校長の蛭田容之先生は「池田さん、退職というのは一つの死なんだよ。職業人としての死なんだね」と語って下さったことがある。内田樹先生は退職され、一つの死を迎えられるのだ。

その悲しみを受け入れつつ、それでもありがとうございますという言葉では表しきれない、ありがとうございますの空気の中に響いて行く、内田樹先生の弱吟の言葉。

さようなら
ありがとう
さようなら
ありがとう
さようなら

という音律の中に展開する、頭と体と心を揺さぶる言葉の、論理展開の、響きの洪水。さよならだからといって悲しいのではなく笑いもあり、ありがとうだからといって嬉しいのではなく切なさもあり。

ヴォーリーズの建物までもが、その別れを惜しんでいるようなあたたかな響きであった。

満員の茶話会で先生に
『明日の教室にご登壇ください』
とお願いした所、
「連絡を下さい」
と言って下さった!!!!

その後、先生はパーティに向かわれた。
私たちは、この興奮をどこかに落ち着かせようと、いや、さらに味わおうと帰り道に店に入った。

私は僭越ながら、先生のこの先の新たな誕生、そして益々のご活躍を祈念して「開運 純米吟醸」を飲み続けた。

内田樹先生、長い間ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。


« 第二希望のメリット | トップページ | ポスター作成とポスターセッションで心がけたことは3つである »

コメント

今日のブログは、読ませましたね。
 弱吟ですか。いいですね。
 内田先生が、明日の教室に登壇されるようでしたら、真っ先に駆けつけます。

内田先生のナマ声を拝聴できるとはうらやましい限りです。『街場の中国論』を読んで以来この方のお言葉には食いつきます。

池田先生の『教師になること』をアマゾンで頼んだのですが、「かなり先まで出荷できない」というけしからん状況のため、『こんな時どう言い返す』を拝読中です。

これ、対中国交渉にそのまま使えます。P32の「子どもは定義をずらしてくる」は、そのまま適用です。契約書に「支払いは商品受け渡し後1週間以内」なんて書くと、納期寸前になって「前払いにしないと渡さない」と平気でルール無用宣言してきますから。

後半を読むのが楽しみです。

野中先生、ありがとうございます。
弱吟と言って伝わらないかもなあと思っていたのですが、とても嬉しいです。

実はまだ、あの最終講義の余韻の中にいます。教育、授業、講義。ありがたく、大変な仕事のど真ん中にいられる幸せを、改めて思っています。

まだまだ勉強が足りないなあと思っています。

漢文商人さん。そうですか、いけますかf(^^;。そんな評価を頂けるとは思いもよりませんでした。

私はあの大らかな大人(たいじん)の中国人が大好きです。いまは残念ながらそうではない事が多いかもしれませんが、大人の彼らと李白の話をしながら飲む紹興酒はとてもうまい。王羲之の話をしながらの食事もおいしい。そんな時をまた作り出したいものです。

『教師になるということ』、アマゾンに出たようです。
良かったらどうぞ。2時間で読めますf(^^;。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 第二希望のメリット | トップページ | ポスター作成とポスターセッションで心がけたことは3つである »