問いがあって、論証があって、答えがあるか
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あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
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本日から大学の授業が始まった。
この年末年始は、東京に帰っていた。二つの実家を巡り娘のいとこたちの成長を見、親の元気な姿を見、駅伝で母校がシード権を獲得するのを見、卒業生が成長しているのを見、恩師にご挨拶をし、富士山を見て終わった感じだ。
車での移動は一日がかり。往復で二日間、1000キロの道のりは、ま、それなりに大変である。が、こうして過ごせるのは幸せなことだと思うのであった。
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東京には
(これ、絶対に読めないだろうなあ)
と思うぐらいの本を持って行った。その通りになった。
学生たちの卒論も持って行ったのだが、これもまったく読めなかった。たぶん、読めなかった本と卒論の重さを合計すると20キロぐらいにはなったんじゃないかなあf(^^;。
20キロ減らせば、燃費も良くなったのになあと思いながら、でも、持って行くのが大事だと言い聞かせていた。
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久し振りの学生諸君の顔色は、まあまあであった。
今日を含めてあと三回のゼミかと思うと、まだまだ指導してあげたいことがあることに気づくが、時間は過ぎて行く。
今日のゼミでは、学生たちに宿題にしていた「卒論の書き方」を回収し、卒論発表会のポスターセッションのポスターの書き方を指導し、私が添削した卒論を返却した。
来週のゼミで、デジタル卒論集を作る。そのために、誤字脱字の修正をこの一週間でさせる。だから、冬休み中に読み切らねばならなかったのだが、なんとか間に合った。
結論からすると、勉強した跡の見られる卒論、文章の書き方に気を配っている卒論が多くあり、良かったと思っている。採用試験が終わって9月から12月の間に集中して書いた卒論である。これを考えれば、まあまあかもしれない。しかし、読み手はそんなことはどうでもいい。
問いがあって、論証があって、答えがあるか。
これが論文である。
今少し、指導をすることが出来たのではないかと、私自身は反省する。
いや、彼らはまだ卒業していない。
まだ指導する機会はある。
反省しておしまいにはしないぞ。
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とまれ、大きな山を越えたことは事実。
今週末は、少し体を休められそうだ。
娘と遊べるかな。
あ、年賀状もやっと読めますf(^^;。
卒論を読み終わるまでは、読まないと決めていたもので。
はい、お返事を書いて、それからあれこれ書きます。
年賀状は、旧暦で動いておりますので、よろしくお願いいたしますf(^^;。
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