小学校一年生に授業をすることが出来た。人生で初めてである
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夢のような二日間であった。
こんな書き出しだと、嘘っぽくて夢ではないようだが本当にそうだった。
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小学校一年生に漢字の授業をすることが出来た。人生で初めてである。当たり前である。中学校にいた私が小学生に授業をするなんてことは、ありえない。いま大学に来たのでその経験をさせてもらえるのだ。頭の中では、分かっていてもするとしないでは全く違う。
イギリスの宰相チャーチルの名言を思い出す。
「この絵画展には、絵も描いたことのないのに名士というだけで審査委員になっている人がいますがどう思います」
と言われた絵を描いたことのないチャーチルは、
「出来ますよ」
と答える。続けて
「私は卵を産んだことはないが、卵が腐っているかは分かります」
と答える。
その通りだと思う。私も良い授業とそうではない授業の違いは分かる。ではあるが、やれる経験があるのであればやってみたいと思ってはいた。
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今回は、校内研修会で依頼されて行うことになったのだ。明日の教室大阪分校を主催されている川本先生の依頼だ。そういう依頼の返事は、ハイとイエスしかない。そして、何でも依頼されたことは引き受ける。そういうものなのでそう答えた。そしたら、小学校一年生に漢字の授業をすることになったのだ。さあ、困った。分からない事だらけだ。一回も一年生の授業はしたことがないのだ。
改めてあちこちの本を読み、学習指導要領を確認し、いろいろと聞いて歩いた。例えば、
・小学校1年生のクラス30人の場合、一枚のプリントを配るのに何分ぐらい時間が掛かるのだろうか?
体が90分の授業に慣れてしまっている私にとって、45分の小学校の授業はあっという間。その中で3枚のプリントを配ろうとすると、一回につき3分かかるとこれだけで10分。となると、実質35分で授業を展開しなければならない。この条件で授業を組み立てる。
また、その教室内のデジタル機器の使い勝手も分からない。これはもう準備をするしかない。1)デジタル機器がちゃんと使える場合、2)一部使える場合、3)使えなかった場合。この三つの条件に応じて教材を使えるようにしておいた。
それから当然だが、小学生の持っている語彙のレベルが分からない。
『漢字は、約3200年前に中国で発明され、約1500年前に日本に伝えられました』
という説明をどうする。3200年はずっとずっと昔。中国は日本の隣にある海の向こうの国。1500年は、ずっと昔。そんな風にひとつひとつ日本語を翻訳しなければならない。
一つ一つ確認しながら授業案を作って行った。
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さらに、今回はその、人生初の小学校一年生への授業を野口芳宏先生がご覧になる。この校内研修会では、私が1年生を5時間目にして、野口芳宏先生が6年生を6時間目にされる。
んなもの、光栄であるのを通り越して、恐縮である。
ただ、
(間違えたらどうしよう)
という思いはあまりなかった。
(間違えたら、野口先生が検討会かどこかで指摘してくださるだろう)
と寧ろそこは安心感を持っていた。なんと能天気な私であることよ。
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私の授業は、なんとか無事に終えることが出来た。一年生を二月まできちんと育ててくださった担任の先生のご指導があってこのことである。とても楽しく子どもたちと漢字の授業をすることが出来た。
この授業で挑戦したことが実は、三つあった。
1)導入を仕込みに仕込む。
野中信行先生の一年生とのやりとりに、自分の名前を使って遊ぶというものがある。ここにヒントを得て私も作り込んでみた。これが、大受け。
実は、ここだけで授業を終えてもいいと思ったくらいだったf(^^;。
子どもたちを最初に掴めれば、あとは教材の力で行けると考えていたので、一安心。もし、ここで滑ったらということも考えて、もう一つ考えていたが、これは使わなくて済んだ。
授業のどこかにねじ込もうかとも思ったが、そうすると授業が濁るのでやめた。準備して使わない。これも授業ではとても大事なこと。
2)実物投影機を使う
ICTを授業で使うのは、私はあまりしてこなかった。準備の大変さや壊されたときの面倒臭さ、壊れたときの授業の進度への影響などあれこれ考えると使わないでいた。
だが、新しいことに挑戦である。漢字の成り立ちの説明で小篆の漢字を使う時、実物投影機の下で実際に書いてみた。これは子どもたちに結構興味を持たせることが出来たようだ。ICT活用の重要な観点は、実際のものをその場で大きく見せることが出来ることにあると、私は考えている。
特に今回の小篆の字体は、蔵鋒の筆の動かし方をして書くので、ここを見せるのも大事かと思って、行った。勿論、蔵鋒のことは子どもたちには説明しなかったけど。
3)薔薇
今までに小学校二年生まではやったことがある。一年生は初めてなのだ。薔薇を書かせるのである。それも漢字練習をさせないで。つまり、例の津川式でやってみようというのである。これは時間があったらするということで考えていたが、5分あったのでやることにした。
結果、びっくりする。
多くの子どもたちが書けたのである。さすがに、津川式の方式でそのまま一回も練習しないで書けたという子どもはクラスの中に5人ぐらい(30人で)だった。が、子どもたちはだいたい書けていたので、悔しがって勝手に練習を始めて、帰りの学活のときには全員が書けていた。SSの子どもも書けていた。
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その後、野口先生の六年生への授業を堪能する。
至福の時間。
さらに、検討会では糸井先生が司会をされ、ワールドカフェを展開されていたので、私は野口先生と前の席で1時間ほどお話しさせていただく。
学級事務職の話や学級担任論の話など。
先生からは先ほどの授業で私が使った教材の出典などを聞かれ、必死に説明していたのであった。
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そして、夜は大懇親会。
をい、いいのかというぐらいの懇親会。
大阪は、粉もんで大阪の食の凄さを前面に出しているが、これは間違いだ。いや、粉は粉で良いのかもしれないが、魚でしょ。魚。美味しかった。中央市場から直送の魚。大阪湾は良い漁場。
私はあの魚を食べに行くのに大阪に行っても良いなと思いました。
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二次会まで野口先生はおつき合いくださった。75歳ですよね、先生。
まだまだあらゆる面で修行が足りないと思う私であった。
(翌日に続くか?)