神のまにく
2/22
(合宿場所の学生会館から見た夕景)
四回生達との最後のゼミ合宿が終わった。
今回は、まあ、そんなに気合いを入れたものではなく、学生会館で泊まれるものは泊まり、帰るものは帰る。私も今回は体調が優れないのやらなんやらで泊まらずに帰った。だから、宴会にも関わらずお酒も飲まない。私にしてはとても珍しい。
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何をしたかと言えば、百人一首。源平合戦である。
教科教育法(国語)の授業で本当は扱いたいところである。しかし、15回の授業では本当に厳しい。だから、行事かなにかでやるのがいいのだが、そのゆとりもなかった。
せめてということで、ゼミ生だけで申し訳ないが源平の百人一首をしてやりたかったのだ。
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たとえば、逢坂山、逢坂の関。
これは大学から5キロぐらいのところにある。百人一首には三首も出てくる名所、歌枕である。しかし、実際に行ったことのある学生はほとんどいない。さらに、通っていてもそこだと理解している学生も。
確かに、地元というのはそういうものであろう。
しかし、「蝉丸」があれだけ有名なら、逢坂の関の蝉丸神社に四年間の間に一回ぐらいは足を運ぶべきだろう。大江山まで行けとは言わないから。
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で、源平合戦をしながらあれこれ講じる。例えば、菅家。言わずと知れた学問の神様、菅原道真である。「このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」が収録されている。
私はこの歌を詠む前には、『この次の札を取れると、勉強ができるようになるぞ』と前書きならぬ前読みなどをしてガイドしていた。
この短歌は、奈良公園に石碑が建っている。私が修学旅行で生徒を引率した時、奈良公園内を探索した生徒が納得しないような顔をして私に言って来たことがあった。
「先生、【このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに】の歌のようなのがありました」
『ようなのは?というのは?』
「神のまにまに、ではなくて、まにく、って書いてあるんです」
『まにく? ああ、まにくね(^^)』
ご案内の通りである。畳語の繰り返し記号で二音を繰り返す記号が、く、に見えたのである。
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このエピソードを話して、ピンと来て笑える大学生を育てなければいけない。このエピソードで笑えるには、百人一首、菅家、奈良公園、神のまにまに、畳語などの知識がないと笑えない。
ぽかーんとしている彼らを見て、私の指導力の足りなさを感じる。
とともに、ほんの少しではあったが、源平合戦をやらせることができて、良かったと思うのだ。
彼ら彼女らは、1000年も続いて来た文化を継承する。
遊ぶ側から、遊ばせる側に回る。
その遊ばせ方のシステムを理解していないまま教員になる。
1000年の歴史はここで途絶える。
そんなことは、許されない。
なんとかせねば、である。
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家に帰って来たら、寝待ちの月が昇っていた。
春を感じる夜の月であった。
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