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2011/03/28

行政の指示で、被災現場を混乱させてどうする 人事凍結へ

3/28

3/26の河北報道によると「宮城県教委が異動発表 周知徹底へ方針転換」http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110327t11044.htm

として、人事異動を発表しました。この間の全国からの抗議や批判の意見で、当初予定されていたものよりは少し良いものになったかに思われました。

引用開始 ーーーーーーーーーー

宮城県教委の小林伸一教育長は26日、4月1日付の教職員人事で異動対象となった被災地の教職員について「現任校との兼務を発令し、おおむね夏休み前までは引き続き復旧作業に従事できるようにする」との考えを示した。県庁での記者会見で述べた。
 石巻市や南三陸町など被災した11市町の計176校で、教職員約500人が現任校に当面とどまることになる。兼務期間は一律に定めず、各市町村教委の意向を踏まえて柔軟に対応する方針。

引用終了 ーーーーーーーーーー

この異動を行う前提になったのが、

引用開始 ーーーーーーーーーー

異動対象者全員の安否確認ができ、

引用終了 ーーーーーーーーーー

というもの。
私はびっくりしました。この状況にあって異動対象者の安否を全員確認するなんて凄いなあと。

ところが、これは違っていました。
現地からのメールでは、震災の被害で14日ごろ最初に死亡が確認されたI先生が、異動名簿に掲載されて公表されていました。とんでもないことです

ですが、この震災で、混乱のあることは、当たり前です。
無理に大丈夫なフリをしても、ミスが続出するだけです。宮城県教育委員会もヘルプを求めるべきです。誰も文句を言わないでしょう。

教職員の犠牲者8名、行方不明者36名という状況での異動発表は無理です。
教員の配置数は、児童生徒の数に応じて行われます。しかし、児童生徒も152名が死亡、818名が行方不明という中で教職員配置をすることもできないはずです。

岩手県は、昇任人事と退職人事だけ動かして、あとは凍結したとのこと。ここに新採人事が加えて行うのが現状としては現実的な案ではないでしょうか。

行政の指示で、被災現場を混乱させてどうするのでしょうか。
県教委で被災にあった方も沢山いると思います。無理をして混乱させる必要はありません。最低限の昇任人事や退職人事、新採だけをして、子どもたちへの支援に力を注ぐべきだと思います。

三度目の思いです。
やはり、現状では仙台の教員人事異動は凍結することが望ましいと私は改めて考えています。
もし、同じ思いを持っている方がいらっしゃいましたら、

宮城県教育委員会教育長 小林伸一
       
FAX 022-211-3698
       
Eメール kyosyk@pref.miyagi.jp

仙台市教委  
人事係  ℡022-214-8858
       
総務課  ファクス 022-261-0142
       
総務課  メール  kyo019010@city.sendai.jp

に、「人事異動はちょっと待ってくれませんか?」と伝えていただけませんでしょうか。現地の先生からは、ファックスで届けるのが一番いいとのことでした。
よろしくお願いいたします。


2011/03/26

震災地 3/25の現状

現地の先生から、現状を知らせてほしいとメールがありました。

引用開始 ーーーーーーーーーー

◆教職員の疲労困憊・・・・
 ガソリンが無いために毎日20キロ、30キロも自転車通勤している人もいる。

◆児童生徒との関係
 14日以降、電話連絡のみで、子どもたちと会っていないのに、昨日一日で修了式、簡単な卒業式(親は「入れない」ので「来ないでください」と。体育館が避難所になっているので音楽室などで行う)を行った学校もある。
 被災地では30日、31日に来れる子どもだけを集めて修了式、卒業式を行うところが多い。しかも校舎が壊れた学校は他の学校や公民館を借りて。
 子どもたちと、きちんと締めの授業をし、お別れができない。区切りをつけられないまま今年度が終わる。

◆入試の問題
 8日遅れで23日に発表された高校入試。落ちた子が受ける私立の二次試験は25日前後に行われますが、公立は4月4日までが出願で5日が二次入試。年度をまたぐので、3年生担任が異動すれば、二次入試の手続きや合格証配布等を他の教師によって行うことになる。子どもの旅立ちの時に担任がいないことも起こる。

◆人事異動の問題
 被災地の校長は電話、ファクス等が復旧せず、混乱もあって、「兼務発令」のことが理解できていない。「4月1日は管理職だけの異動でしょ。一般は全員4がる20日に動くんじゃないの」などと思い込んでいる校長もいた。一昨日、私が訪問した被災地の校長。つまり、被災地は校長も教職員も「異動どころではない」のです。
 家も車も流された上、ガソリンが無いのに、またJRも全面ストップしているのに、今日25日や28日に異動先に事務手続きに行くなど、容赦なく異動事務が進められる。
 兼務発令が出ていても4月1日には異動先に行かなければならない。その後も赴任先のことを気にしながら、現在校でのあと始末を続けることになる。

引用終了 ーーーーーーーーーー

なお、河北新報にもこの人事異動はおかしい、凍結せよとう県議会の様子が載っています。

引用開始 ーーーーーーーーーー

「子どものケアどうなる」 県議会が猛抗議 教職員異動

 宮城県教委が18日に内示した教職員の定期人事異動をめぐり、県議会の震災調査特別委員会は25日、被災した児童生徒への影響が大きいとして、小林伸一教育長に「凍結」を申し入れた。議員が被災地の学校の現状を涙声で訴える一幕もあったが、小林教育長は「被災地に配慮したからこそ、教職員を増やす異動が必要だ」と理解を求めた。

 委員長の相沢光哉議員は「両親、兄弟、友達を亡くした児童生徒が大勢いる。新しく赴任した先生に心のケアなどできない。この時期の異動発令は極めて冷たい対応だ」と再考を促した。
 石巻市選出の佐々木喜蔵議員も「人事は4月という従来ルールを超えた考えを持つべきだ。せめて1学期は異動を凍結するなど、決断してほしい」と気色ばんだ。
 これに対し小林教育長は「沿岸と内陸で被害に差がある。県全体の人事を全部凍結するなどできない」と強調。「年度途中に先生が代わるのも子どもに良くない。被災地の異動は状況を見て個別に考える」と語った。
 押し問答は約50分間続き、途中で後藤教至教職員課長が発言。被災地から転出する教職員に一定期間、新任校との兼務を発令し、児童生徒に接する教員の配置を手厚くすると説明した。
 後藤課長は「被災地以外の学校は教職員が一時欠けるが、被災地の学校を再建したい。異動を凍結し、増員なく現有態勢で再建するなど絶対無理だ」と訴えた。
 相沢議員は「凍結は議会の強い希望だ」と念押しし、小林教育長は「十分意をくむ」と答えた。

2011年03月26日土曜日

引用終了 ーーーーーーーーーー

やはり、現状では仙台の教員人事異動は凍結することが望ましいと私は改めて考えています。
もし、同じ思いを持っている方がいらっしゃいましたら、

宮城県教育委員会教育長 小林伸一
       FAX 022−211−3698
       Eメール kyosyk@pref.miyagi.jp

仙台市教委  人事係  ℡022−214−8858
       総務課  ファクス 022−261−0142
       総務課  メール  kyo019010@city.sendai.jp

に、「人事異動はちょっと待ってくれませんか?」と伝えていただけませんでしょうか。現地の先生からは、ファックスで届けるのが一番いいとのことでした。

よろしくお願いいたします。

二つの15年ぶり

3/26

5
(15年ぶりの再会だとか お宝ツーショット)

新三回生のキャンプがあった。学生生活後半のことをあれこれ考えるキャンプだ。新四回生のオリター諸君が企画を立てて運営した。教員は相談を受け、見守るだけ。

新四回生からは、新三回生へこの一年間をどう過ごすのかなどについて、あれこれアドヴァイスがあった。新三回生池田ゼミのメンバー全員と顔合わせも行った。さ、鍛えるぞ。

夜は、新四回生のオリター諸君とあれこれ教育について話し込む。20人以上のオリター諸君全員が参加。ま、こんな時間を過ごす大学もそんなにないだろうな。私は深夜の三時までつき合う。

その日の夜は、大阪の南森で芦田宏直先生、内田樹先生がパネラーとして登壇するフランス語関連の研究会に参加する。

私が知っているフランス語と言えば、烏賊のことを「ア・シ・ジュポン」と言うとか、フランス人が省エネ意識が高く、何か分からないことがある場合は「消す癖」と言い続けることを知っているくらいであるf(^^;。

が、まあ芦田先生と内田先生がツーショットになるところを見るのは、そんなにある機会ではない。スケジュールを調整して、いそいそと出かけて行った。お二人も15年ぶりぐらいに再会したとのことであった。

会場で、芦田先生と内田先生にご挨拶。芦田先生、驚く(^^)。内田先生には、昨日の公式RTのお礼を申し上げ、名刺を渡したら、内田先生の大学の肩書きが入った、最後の一枚の名刺を頂いてしまった。家宝にする。

パネルディスカッションは、非常に良かった。

パネルディスカッションなのだが、私にはコンサートのように思えた。クラッシックのようで、かつ、ジャズのようで。外国語の教育に関するあれこれがテーマであったが、芦田先生と内田先生はそこからドンドンと跳んで行く。しかし、その跳び方はきちんとテーマを基調にした跳び方。

でも、この基調はとても見えにくい形で提出されていたので、分かった人と分からなかった人の差が出ていたんじゃないかなと思う。でも、それがいいんだよな。

授業を作りたくなり、授業をしたくなるパネルディスカッションだった。

芦田先生には、もう15年ぐらい前になるがお世話になったことがある。二三回しか会ったことがなかったが、私のことを覚えていてくださって、メールが突然届いたのがつい数ヶ月前。そして、昨日15年ぶりにお会いして、いやあ、楽しかった。

パネルディスカッション、その後のパーティ、さらに芦田先生の強い要望でプロントでの二次会f(^^;、さらに先生の部屋で3時間ぐらいあれこれ話し込む。

私の授業の可能性を高めてくれる、あれこれの話を、いや本当に「年齢不詳の女性問題」などあれこれでとてもここには書けないこともあってf(^^;、してくださった。

改めて、教育、授業、学校って奥が深くて挑戦しがいがあるなと思い直した夜だった。感謝。

猛烈に授業を作りたくなり、授業をしたくなる夜だった。


2011/03/25

仙台の教員人事異動凍結のために 声の届け先はここです

やはり、現状では仙台の教員人事異動は凍結することが望ましいと私は改めて考えています。
もし、同じ思いを持っている方がいらっしゃいましたら、

宮城県教育委員会教育長 小林伸一
       FAX 022−211−3698
       Eメール kyosyk@pref.miyagi.jp

仙台市教委  人事係  ℡022−214−8858
       総務課  ファクス 022−261−0142
       総務課  メール  kyo019010@city.sendai.jp

に、「人事異動はちょっと待ってくれませんか?」と伝えていただけませんでしょうか。現地の先生からは、ファックスで届けるのが一番いいとのことでした。

よろしくお願いいたします。

仙台の教員の人事異動 その後について やはり凍結が必要

3/25

昨夜、仙台の教員のこの時の人事異動に関して、おかしいのではないかとtwitterで流した。多くの方にRTで賛同していただいた。

その後、その続きのメールが仙台の先生から届いた。そして、違う観点からご指摘を頂くツイートも頂いた。これらを整理して私の所にある情報を整理しておきたい。

仙台の先生から、この夜届いたメールには以下の記述があった。

引用開始 ーーーーーーーーーー

ご主人を亡くされた石巻のSさん(小学校教師)は、異動を命じられましたが、「子どもや教職員の行方不明者がまだまだいる中での非情な人事異動には納得できない」と、市内の別の小学校への異動命令を突っぱねてがんばっています。

Sさんは、異動したくないとか、ご主人の葬儀で大変だということではなく、「行方不明者がいる中での人事異動をしようとする市教委や県教委が許せない」と悲しみをこらえて行政の不当性を問題にしているのです。亡くなったご主人の学校は110名の児童のうち8割が亡くなったか行方不明、教職員も13名中亡くなった方と行方不明者が10名もいるのです。まだ多数の遺体が見つかっていません。

引用終了 ーーーーーーーーーー

そして、そんな中で人事異動を強行しようとする宮城県教育委員会に抗議のメールやファックスを送ってもらえないかという依頼もあった。

勿論、教育委員会の人たちも多く被災されている。そんなことも踏まえた上で、それでも抗議をしてくれないかという依頼である。

で、RTの中に混じって、@で教育委員会の考え方は、こうではないかということを知らせてくれたツイートがあった。

@piccolo_daimaouさんのツイートより引用開始 ーーーーーーーーーー

宮城県教員の人事異動。被災地の教員は発令はするけど移動は延期して児童のケアを最優先にしてそのまま残る。退職は時期を延長して残る。被害が少ない地域から被災地に異動する教員は4/1にそのまま移動する。よって被災地に3倍の手厚さを設定。これが当初からの決定。

引用終了 ーーーーーーーーーー

これを読むと、教育委員会は現地を救う為に人事異動をするように読める。そうなのか? だが、私の所に届くメールにはそれらのことが伝わっているという感じはしない。

そこで、仙台に確認のメールを送ってみた。その返信には以下のものがあった。

引用開始 ーーーーーーーーーー

誰が残るか(兼務発令)については現場を見ていない県教委の判断に疑問が残るし、退職の時期の延長は、退職しても再任用で臨時の支援員を60名雇うという意味です。決して3倍にはなるわけありません。

しかも、校長には「兼務発令」を出さないために、子どもや地域を良く知る最高責任者がいなくなるのです。この事態の時に・・・。

さらに、子どものケアが必要な期間は何カ月もつづくだろうし、復旧に数カ月もかかりそうな学校も少なくないのに、わずか10日から20日程度「兼務」と称して残すというものですから、福島や岩手のような「1カ月凍結」とは全然異なります。

引用終了 ーーーーーーーーーー

ということであった。

以上のことから分かることは、

1)教育委員会は問答無用で人事異動をしようとしているのではない可能性はある。
2)しかし、このプランで行った場合、現場にある問題は解決せず、却って混乱を深める可能性が高い。

ということである。

やはり、現状では人事異動は凍結することが望ましいと私は改めて考えています。

もし、同じ思いを持っている方がいらっしゃいましたら、

宮城県教育委員会教育長 小林伸一
       FAX 022−211−3698
       Eメール kyosyk@pref.miyagi.jp

仙台市教委  人事係  ℡022−214−8858
       総務課  ファクス 022−261−0142
       総務課  メール  kyo019010@city.sendai.jp

に、「人事異動はちょっと待ってくれませんか?」と伝えていただけませんでしょうか。ファックスが一番いいとのことでした。

よろしくお願いいたします。私も行いました。

2011/03/24

パサーである。スピーカーである

3/24

昨晩、仙台の先生から届いた「この状況での人事異動についておかしい。凍結してほしい」ということに関してのメールから、この時期の人事異動に反対するということをtwitterで情報を流し、ブログに書いた。http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2011/03/post-c14e.html

その直後から、twitterの物凄いリツイート(RT)が飛び始めた。今まで私が頂いたことのない勢いであった。

さらに、今朝、内田樹先生が公式RTをしてくださったことがきっかけになったことであろうか、更に猛烈な勢いで公式RTを頂くようになった。

また、野中信行先生のブログでも、このことを紹介していただいた。
今も、iPhoneのAPPのBOXCARからのプッシュ通知が途絶えることはない。

いま私の役割は、パサーである。スピーカーである。
届いた情報を、次に渡す。
そして、大事だけど小さなままになっている呟きを、聞こえやすい大きさにして広げることだ。ピンアクションはピンを動かさなければ生まれない。

何か新しい価値を作り出すことも大事だが、
今ある大事な価値を伝えることも、とても大事なことなのだと
改めて考えている。

応援しています。

仙台 この時に教員の人事異動はおかしい。

3/24

仙台の先生の声が届いています。仙台では、この事態にも関わらず、4/1に人事異動をすることを予定しています。福島や岩手が人事異動を凍結しているにも関わらずです。これは、おかしいです。反対の声を上げます。

1)「津 波にあい、避難場所にもなっている学校です。人事異動凍結して下さい。『子どもを亡くし、クラスの子どもも行方不明。後片付けも 終わらない。諸表簿にも全く手を付けられない。とても異動できる状況ではない』と泣いている同僚もいます。親をまだ探し続けてい る講師もいます。新学期が4月21日という話だが、まだ不明児童が12名いる。これで学級編成ができるの か。新採が2名来るようだが、地域にはアパートも 何もない。県教委は一度見に来てほしい。県教委は何を考えているのか」(石巻市の事務職員)

2)「小 学校教諭である夫が亡くなった。自分も石巻市内での異動を内示されたが、とても異動できるような状況ではない。現在校の子どもた ちのためにも留任させて欲しい」(石巻市の教員)

3)「このような状況なのに予定通り18日内示というのは納得できな い。」(仙台市の教員)

4)「自 分の学校の地域はあまり被害はひどくなかったが、被災地でなくとも子どもたちは今回の体験で不安におびえている。そのケアのため には現担任が引き続き子どもの面倒を見るのがベストだ。4月になって先生が代わると子どもたち はますます動揺する。人事については今回は被災地だけの問題ではない。」(岩沼市の教員)

5)「避 難者への対応や子どもの安否確認などで先のことを考える余裕がまったくないのに、なぜ4月1日付で異動しなければならないのか。 通信表や要録の作業にも手が付かない状態だ。兼務発令ではなく、安心して現在校に勤務できるようにしてほしい」(東松島市の教 員)

6)「自 宅が倒壊、流出した教員にとっては、異動どころではない。」(気仙沼市の教員)

以上、私の所に届いている仙台の教員の声を挙げてみました。みなさん、ご賛同いただければ、あちこちに伝えてください。お願いします。子どものケアには、一年間一緒に過ごして来た先生たちが必要です。

2011/03/22

【買い占めするならカネ送れ】

3/22

【買い占めするならカネ送れ】

Youtube

これ、凄い才能です。
ドイツ語の「ヒットラー最後の12日間」という映画に合わせて、
字幕を日本語で「作って」います。
4分間です。是非ご覧下さい。

何が言いたいかというと、この映画の感情の部分と、日本語に聞こえる「空耳」の部分を使って、今の震災で大変なことになっている「買い占め」をやめろと訴えているのです。

http://www.youtube.com/watch?v=DYKlNyTongk&feature=player_embedded

メディアリテラシー
映画の知識
ドイツ語
日本語
ICT
お笑い
批判精神

様々な才能がないとこれは作れないでしょう。
こんな作品をあっという間に作ってしまう才能の人ってどういう人なんでしょうか。

こういう作品を作ってテレビ制作会社に持ち込んだら、一発で採用だろうなあ。
というか、ACの一部にも使ってほしいなあ。

兎に角、必見です。

広場の役割の時代へ

3/22

Img_7643
(Sandsからの夜景)

堅固な枠のあった時代の若さとは、この枠を一人ででも乗り越え、壊すことに、格好良さや発達課題があった。

しかし、この堅固な枠のなくなった今、自らの力で枠を作ることが若さなのかもしれない。

ということは、大人は壁の役割の時代から、広場の役割の時代へと変わるのかもしれない。

卒論指導についてあれこれ考えている。

3/22

Img_8375
(高度8000mの日の出)

卒論指導についてあれこれ考えている。
新年度は、一週間後に始まる。

卒論の肝は、問いである。
というか、論文の肝は問いである。

良質な問いが手に入れば、論文になる。
入らなければ、論文にならない。

良質な問いとは、

1)誰もが解いたことのない問い。
2)論文を書こうとする者に解ける問い。

と私は考えている。

では、この問いはどのように手に入れることが出来るのであろうか。私からすれば、学生達にどのように手に入れさせることが出来るであろうかということになる。

おそらく、次のような流れになるであろう。

違和感 → 疑問 → 問い 

である。

口語で言えば、

ん? → 本当? → なぜ? 

である。これは直感、勉強、学問に対応すると思われる。ということは、直感を鍛えることが良質の問いを手に入れる最良の方法となるはずだ。

では、直感を鍛える為にはどうしたらいいのだろうか。
一つには、良質な問いの構造を見てみるということだろうか。言い方を変えれば、どうやってこの問いが生まれたのかを見てみる。つまり、

問い → 疑問 → 違和感 

という流れで見てみるというのはあるかもしれない。
こういう研究をしている人はいるのかなあ。おそらく、人物伝、伝記などを丁寧に確認して行けば、エピソードとして出てくるのだろうなと思う。漫画で言えば、

『栄光なき天才たち』
『絶望に効くクスリ』
『寄せ芸人伝』

なんかを読むのが良いんだろうな。というか、私は読んでいてかなりインスピレーションを得ていると思うな。

それから、『雨月物語』の中に出てくるこのフレーズ。

江月照松風吹 永夜清宵何所為

これも示唆に富んでいるなと思う。
理由とは関係なく、存在するということ。これを認めた上で、その存在の中に何を見いだすか。

うーむ、禅の世界になって来た。

さらに、私がやってきたことは何かと言えば、セレンディピティだな。
「発見は、準備された実験室の失敗の中に見いだされる」
のような言葉があったと思う。

私の場合は、教育実践現場なので実験室というのは当てはめにくいが、子どもたちの現実に振り回されながらもそこから逃げ出さずに、勉強を続けて実践を続けていると、ふと、出会うアイディア、ヒントがある。これに導かれてさらに実践を重ねてということの繰り返しであったように思う。

そのアイディア、ヒントを得る為に何かをしていたというものではないのだが、結果的に得ているということだ。私の修士論文のアイディアもこのようにして手に入れた。

四月の三回生、四回生ゼミではこの辺りを丁寧に話すことから始めて見るか。

昨日は、お習字をした

3/22

Img_6559

この三連休は、娘⑶と遊んでいる。今週末からほとんど休み無しで動き回るので、できるだけ娘と一緒に遊ぼうと思っている。

昨日は、お習字をした。
先日小学校一年生に漢字の授業をした。そのときに、明日の教室のDVDを作ってくれている平井さんが、私のそのときの授業も録画してくださった。

初めての小学校一年生の授業なので、私の記念というか振り返りの勉強のためと言うかそのために記録してもらっていた。

このDVDなのであるが、娘の大のお気に入りなのである。私の授業を何回も見て、指導言やくだらないギャグまで覚えている。

授業では、漢字の成り立ちを説明した。その際、実物投影機があるというので、筆で小添の漢字を書いてみせてあげた。この筆で時を書くという所も、娘は代のお気に入り。

「お習字したい」

というのである。そこで、やらせてみることにした。

画仙紙を用意し、リビングの床に新聞紙を敷き詰めて書かせた。

いやあ、書道である。
見事な作品が仕上がった。
三歳六ヶ月で書道家になったかもしれない。

作品は表装することにしよう。
はい、親ばかです。

で、思ったよりも平仮名が読めるので、ビックリ。

もらった動物カルタ、ひらがなカルタが大好きで、勝手に遊んでいる。さらに、いとこからもらったお下がりのミッキーマウスの電子あいうえおの学習ボード。これも勝手に遊んでいる。あ、回線を切った携帯電話のキーボードでもひらがなを打ち込んで楽しんでいる。

三ヶ月検診のときであったろうか、保健婦さんに
「この子は意欲的ですね」
と言われたのだが、本当にそうだなあと思うのだ。何かを教えるということを積極的にしたことはないのだが、勝手にドンドン身に付けて行ってしまう。私は驚きつつ褒めているばかりだ。


だから、たまに間違えると、つい正しいことを教えたくなる。だが、娘は⑶。正誤はどうでもいい。

お父さんに、ひらがなが読めるようになったことを自慢したい、その感情をまるごと受け止めてあげたい。

出来なかったことなんてどうでもいい。
出来たことだけ、すごいなあと私は褒め続けている。

2011/03/20

言葉の力 卒業に寄せて

言葉の力をしみじみと感じた。
こんな言葉は、その人の生き方からしか生まれてこない。
急に書ける文章ではない。
いや、書くのではなく、ほとばしるのであろう。

立教新座高校の校長先生の言葉である。

http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/
より引用開始 ーーーーーーーーーー

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)

2011.03.17
学校からのお知らせ
卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32


 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。


立教新座中学・高等学校

校長 渡辺憲司

引用終了 ーーーーーーーーーー

教育を仕事とするものとして、あれこれ考える。
教育は、命である。
教師は、子どもたちの命を守り、育む。
そして、子どもたちが自らの命を守り、育めるように指導し、
やがて、仲間や弱者の命を守り育めるように、さらに鍛えて行くのだと考えている。

卒業は、私たち教師にとって自分の指導の至らなさを思い知らされる瞬間でもある。
やりきったとは思うが、もっと出来たのではないかといつも思う。
それなのに、生徒達、学生達は
「先生、ありがとうございます」
と言ってくれる。

これは、教職を選んだ者がその度にしっかりと受け止めなければならない、
根本的な苦しみの一つであると私は思っている。

私たちは一期生を卒業させた。
ここから、また新しいスタートを切る。
そして、少しでも高い所を目指し、学生達を成長させるぞと
思う。


2011/03/19

第16回ディベート甲子園・高校論題変更のお知らせ

ディベート甲子園の高校の部の論題が変更になります。
関係各位、よろしくお願いいたします。

引用開始 ーーーーーーーーーー

第16回ディベート甲子園・高校論題変更のお知らせ

 東日本大震災に被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
 全国教室ディベート連盟(NADE)と読売新聞社は2011年2月末、8月上旬に開催を予定している第16回中学・高校ディベート選手権(ディベート甲子園)の高校の部について、原子力発電に関する論題を採用することを発表しました。
 しかしながら、東日本大震災の発生を受け、原子力発電をめぐる状況が大きく変動しています。まず、今回の一連の事故に対する十分な検証が行われていない現段階では、原子力発電の是非について十分な議論を行うことは困難な状況になったと受け止めています。
さらに、参加選手の中には被災地域にお住まいであったり、親戚、ご友人などを持つ方も多くいらっしゃいます。それらの皆様に対して、論題をきっかけに一連の事故に対する不安や、その原因となった震災の光景をいたずらに想起させることは教育事業として望ましくないと考えています。
 これらの状況を念頭に、NADEと読売新聞社では慎重に検討を行い、第16回ディベート甲子園の高校論題の変更を決定しました。一度発表した論題を変更するのは、1996年にディベート甲子園が始まって以来、初めてのことです。選手、引率、ジャッジ、スタッフの皆様には大変ご迷惑をお掛けいたしますが、何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。

 新たな高校論題については、鋭意検討中です。可能な限り早い段階で発表する予定です。

全国教室ディベート連盟
読売新聞社

引用終了 ーーーーーーーーーー

2011/03/18

啓蟄の菜虫化蝶の候 『獺祭 磨き三割九分』の意味 

啓蟄の菜虫化蝶の候となった。
一週間前に卒業式を終え、四月からの旅達のために卒業生はそれぞれの場所に巣立って行った。

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卒業式の翌日に、児童教育学科の一期生たちだけで卒業パーティが開かれた。

そのパーティの最後の最後に、一回生のときに最初にクラスアドヴァイザーをした1−Cクラスの卒業生達が集合をかけ、私の所に集まって来た。

感謝の言葉をもらった。
嬉しかった。

私にとって最初の学生達だ。
四年後のことを考えて、厳しく、つまりは丁寧に育てたつもりだ。

水曜日の2限に行われるその一回生ゼミの課題を終わらせるために、1−Cは火曜日の夜遅くまでメディアセンターで残って作業をしていた彼ら彼女らであった。

「なんで、内のクラスだけ、こんなに課題が多いのよ」

という不満の声が、メディアセンターには満ちていたはずである。だが、私は課題の指示を出し続け、あれこれやらせた。四年後のことを考えると、それはとても重要なことだと私は考えていた。

私はこのクラスを彼ら彼女らにとってのホームに育ててあげたかった。実家を離れて学びを始めた彼ら彼女らに、この授業にくれば仲間がいて、ホームとしての居場所がある、というように。

ホームがしっかりしていれば、その後、専門課程の勉強を始めたときに、それぞれの目的に向かってチームを作ることが出来る。だから、ホームをしっかりと作ってあげたかった。

4回生の前期に、このメンバーの女子グループが我が家に遊びに来た。
『一回生のときには、まさか私の家に遊びにくるとは思っていなかったろ』
と話した所、15人ぐらいの彼女らは、一斉に声を揃えて
「ほんとー」
と言っていた。

ははははは。
そんなもんだ。先生の思いは簡単には分からないのだ。
そして、残りの半年をさらに見守ろうと思ったものだ。

その彼ら彼女からのお祝いの品が『獺祭 磨き三割九分』であった。

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『獺祭』は私が彼ら彼女らに教えた銘酒である。大学生のうちからこんなに良い酒を飲ませてしまっていいのかとも思うのだが、私は良い酒を丁寧に味わった方が良いと思っているので教えた。

で、『磨き三割九分』というのは、なんでだと思って旅を続けていた。最高グレードは『磨き二割り三分』なのである。
(こっちは最高の指導をしたつもりだったけど、そこまで行かなかったかなあ)
とも思って旅をしていたのだ。

が、旅先のビンタン島のバスタブに浸かりながら、閃いたのだ。
(なーんだ、そういうことか!!)
なんで『磨き三割九分』なのか。

Thank you

だったんだ。
そうだ、そうに違いない。
ちくしょう、やるな。

立派に成長した彼ら彼女らだ。
菜虫化蝶の候である。

Img_6528
(この花束は、専門ゼミの学生達から貰いました。花束大好きな私です(^^)。)


2011/03/15

インドネシアにいる

3/15

インドネシアにいる。
アジアンモンスーンの中にいる。
湿度90%の中にいる。

私が日本人と分かると
"It's very bad.So sad."
とあちらこちらで声をかけてくれる。

CNNやNHKではずっと地震の情報が流れている。
ここは、インドネシアである。

世界は相変わらず広い。
あらゆる人種の中にいて、これが非日常ではなく日常である世界と、これが非日常の日本とをあれこれ考える。

辿り着く所は、世界の平和だ。
私の欲望を満たすこと。これも、簡単には捨て去ることは出来ない。だが、私の幸せ、家族の幸せ、私が関わる全ての人たちの幸せを考えると、世界の平和しかない。

実に単純な答えだ。

できれば、体が鈍りきるほど何もしないで時間を過ごしてみたい。食べて、寝て。本能の赴くままに過ごす。我侭なまま過ごす。人間ではなく、動物として過ごす時間が一年間に数回、ある一定の期間欲しいと思う。

そんなことしていて、世界の平和に辿り着くはずがない、とまたそちらの私が声を掛ける。

いつもは聞くことの出来ない鳥の鳴きごえ
いつもは見ることの出来ない花のほころび
いつもは嗅ぐことの出来ない風の吹き抜け

Reset.

大切な人をさらに大切にすること。
大事なことをさらに大事にすること。

たぶん、Resetとはそういうことだと思う。

このタイミングで海外にいるということ。
世界の目で日本を見ることが出来る。
この目をもとにして、見て考えることだ。

こんなに離れていても、肌を突き刺すぐらい
痛みが届く。

Think.
More Think.
For Peace.

2011/03/12

お見舞い申し上げます

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3/11

お陰さまで、京都橘大学文学部児童教育学科の一期生は、無事に卒業することが出来ました。ありがとうございます。彼らの今後の成長を支えたいと思います。また、あちらこちらで卒業生がご指導を受けることが多くあるかと思います。今後とも、よろしくお願いいたします。

式のあと、会議をしていました。そこで、かすかな揺れを感じ、ネットで確認した所この地震でした。
言葉を飲むとはこのことでした。

同じ、卒業式をしているところでも被害があったことが分かりました。
一人でも多くの方の無事が守られますように、祈るしかありません。

池田ですが、明日からネット環境のおそらくない所に行くことになると思います。
19日前後までです。
あれこれご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いいたします。

2011/03/07

新幹線で一日忘れられるコートは約50着

3/6

翌朝、コートを取りに東京駅に向かう。東京駅は広い。忘れ物の受け取り場所に行ったら新幹線は別の所だと言われた。ふう。

で、この新幹線の忘れ物受け取りの係の人が、実に面白かった。忘れ物に関するあれこれを話してくれる。

新幹線で一日忘れられるコートは約50着。忘れ物全ては500個ぐらい。コートの返還率は80%ぐらい。面白い忘れ物は、議員バッチ、弁護士バッチ、赤ちゃんというのだ。忘れ物もしてみるものだ。社会勉強になる。

私はベージュのコートだったので、簡単に見つかった。黒ばかりなので珍しいとのこと。忘れ物をするひとは、ベージュのコートにすると良いことが分かった。さらに、コートの中に一眼レフのレンズの蓋を入れたままにしていたのが、幸い。これで私のものと確定できた。いやあ、だらしのないってのも役に立つなあ。忘れ物をする人は、だらしのないのがよい。

っつうか、だらしがないから忘れ物をするんだけどねf(^^;。


打ち合わせは、たっぷり8時間。総勢30人ぐらいであれこれ話を進める。プロ集団による心地よい知的興奮の時間。

終了後、異動のあったスタッフと私の仲間といつもの店に繰り出す。打ち合わせが何時に終わるかが分からないので、店の予約が取れないのが難点だが、今回は見事に押さえることが出来た。

久し振りのお店で、いつもの料理を頼んで、仲間達と良い時間を過ごす。異動のスタッフは関西に移動なので、今度は関西支部を立ち上げて、取りあえず飲み会でもという話も出た。面白そうだ(^^)。

良い時間はあっという間に過ぎる。
今週の末に卒業式があって、来週の今日は空の上とは思えない。

さ、原稿を書き上げよう。

「覚悟を決めることです」

3/5

野中先生の明日の教室が終わった。明日の教室には五回もお越し頂いている。そして、今回は明日の教室初めての1日講座。10時から17時までである。

新卒の先生が考えなければならない大事な13の項目を、3つのジャンルに分けて講義してくださった。講座の内容は糸井先生のブログや川本先生のブログに詳しい。

今回の講座で私たちは何を手に入れたのかを考えてみる。それは肚の括り方ではないかと思うのだ。野中先生は講座の最後の質疑の所で
「四月までにすることは何でしょうか?」
という新卒予定の四回生の学生さんの質問に対して、
「覚悟を決めることです」
とおっしゃった。これである。

仕事に就くということは、簡単に言えば、逃げ出せないということなのである。勿論、助けてくれる仲間や上司、友人もいるだろう。しかし、仕事そのものから逃げ出すことは出来ないのである。

先生と呼ばれる仕事は、専門職であり、代わりが聞かないということなのである。いや、確かにその先生が辞めたら次の先生がくる。だから代わりは効くという言い方も出来る。しかし、その場そのときにおいて、その人にしかできない子どもとの関わりがある。だから、代わりは効かないのである。

採用試験に合格することをめざし、教師になることを目指して来た彼ら彼女ら四回生は、学校教育現場に立つのに一ヶ月を切った。あれもしたい、これもしたい。あれもせねば、これもせねばと思う。不安にも感じる。そんな中で、大事なのは、覚悟を決めることというのは、まさにその通りだと思うのだ。

人は、退路を断ったときに前に踏み出すことが出来る。そういうことをおっしゃってくださったのだと思う。

私たちは若い先生を応援するつもりで、明日の教室を立ち上げた。
応援である。
だから、若い先生はまず自分で肚を括って前に出なければならない。
一歩前に出る、と覚悟を決めるのだ。

懇親会を一次会で終え、私は東京行きの新幹線に乗った。例の番組の打ち合わせが翌日朝からあるので、前泊なのであった。ところが、特急券指定席の予約日を一日間違えているは、乗車券を買わないまま改札口に言ってしまうは、コートを新幹線内に置き忘れてしまうは、で散々であった。

野中先生の言葉を思い出しながら、気を持ち直す私であった。

2011/03/04

私もその歴史の流れに、ちょこっと乗ることができた

3/3

Img_6332

ひな祭りである。
娘は数日前からとても楽しみにしている。
私の家からは比叡山を越えて30分ぐらいで下鴨神社に行くことが出来る。そんなこともあって毎年娘と下鴨神社の流し雛に行くことにしている。

今朝、いつも通りにおひな様に朝の挨拶をする娘。雛あられを夜、お供えしてから寝る娘は、朝それが食べられているかを確認する。少し減っているのを見ると、安心して微笑む。

昨夜からの雪が少し残る比叡山。
そこにさらに新しい雪が降り積もる中、下鴨神社に向かった。

雛祭の日に
         谷川俊太郎

娘よ
いつかおまえの
たったひとつの
ほほえみが
ひとりの男を
生かすことも
あるだろう
そのほほえみの
やさしさに
父と母は
信ずるすべてを
のこすのだ
おのがいのちを
のこすのだ

谷川俊太郎さんは、こうして娘を持つ親の気持ちを表してくれている。そうだよなあと、首肯する。ひな祭りになると私はこの詩を読み直す。

下鴨神社に着いたときには神事は終わっていて、観光客も帰り始めていた。実はこのぐらいの時間がちょうどいい。人が少なくなり、川面にはいくつもの流し雛が浮かんでいてというのがいい。

娘は、自分のおひな様を川面にそっと流すことが出来た。毎年来ているが、こんなふうに綺麗に流すことが出来るようになったんだなと思う。

ま、通常は自分のを流せばそれでオシマイだが、子どもはそんなわけにはいかない。これが混んでいたらそんなことはさせないのだが、人が随分と減ったので、流れて来た流し雛をもう一度拾って投げることをさせる。

まだまだ流れに落ちないように手を捕まえていなければ危険だが、それとて去年には考えられなかったことだ。

娘が何回も拾っては流すので、カメラマンたちは嬉しそうにシャッターを切る。ま、そのぐらいは父として許す(^^)。

一年間の災いを流して、無病息災で新しい一年間を過ごせるように。娘が健やかに育ちますように。
古から親は娘をそんな風にして育ててきたのだと思う。
私もその歴史の流れに、ちょこっと乗ることができたのだなあと嬉しく思う。

下鴨神社は、みたらし団子の発祥の地とも言われている。(一方で滋賀の唐崎という説もあるが)ここのみたらし団子をくる度に買いたいと思っていたのだが、休みだったり娘がぐずったりして買えなかった。が、今年は買えた。

いや、寧ろ食べたい食べたいとリクエストがでる。ラーメンを一人前食べた上で、さらにみたらし団子を二串。食べ過ぎだろう。でもまあ、良い。食べて、笑って、泣いて、我侭も言って、遊んで、寝る。それが一番大事なことだ。

来年は、幼稚園だから一緒に行くことは出来ないかなあと思いながら、
(いや、来年も休ませて連れて行くぞ)
とも思う父であった。

2011/03/03

4/23(土) 明日の教室 立命館大学 隂山英男先生

2011年度最初の今回は、4/23(土)に、隂山英男先生にお越し頂き、模擬授業を含んだご提案をしていただきます。陰山先生の模擬授業は中々体験することが出来ないかと思います。是非、お越し下さい。

お申し込みは、こちらです。
http://kokucheese.com/event/index/8763/

懇親会も是非、積極的にご参加ください。

若いうちに、同じ志を持ち違う環境にいる仲間に出会うことは、
その後の人生をとっても豊かにすると私は考えています。
そのきっかけの場にしてください。

2011/03/01

AKB48で言えば前田敦子ではないか

2/26

翌日、風呂に入って朝ご飯にカレーを食べて9時前にホテルを出る。スパの入浴券をつけてもらっていたのだが、スパは10時から。それでは間に合わない。娘のお遊戯会が10時からなのだ。

名神高速道路を順調に流していたのだが、京都南で渋滞。ひえー、間に合わないよ。

でも、開始予定の10時前には会場に到着。早速カメラの用意をする。ところが、電池がない。慌ててコンビニに単三電池を買いに行く。私の一眼レフデジカメは単三電池で動くペンタックスの名機なのだ。

私は自分の性格を信用していない。ここ一番で充電がされていない電池を持っていることは十分に分かるので、どこでも手に入る単三電池で動くカメラにしておいたのだ。正解。

娘は英語の歌を歌いながらお遊戯というのに参加。
入場のときに娘を発見できず、
(あれ? どこ?)
と思った。

で、改めて見てみると3列になった子どもたちの最前列で、しかも真ん中。AKB48で言えば前田敦子ではないか(^^)。娘は、私を発見して手を大きく振る。

ああ、幸せの瞬間とはこの瞬間を言うのだろうな。
いろいろな幸せがあると思うが、これに敵うものはそうは、ない。

ま、たいした英語ではないのだが、英語の歌にあわせて踊る。
iPhoneの動画で撮影。

親孝行は三歳、五歳までで終わらせるという話があるが、本当かもしれない。なんと愛くるしいのだ。びっくりするが、他の子どものことが目に入らない。集団を見れないなんて教師としては失格であるが、親としてはあり、あり、ありだ。

撮影場所を移動したら
「なんでそっちに行ったの。元に戻って」
とステージから叫ぶ娘。
実に私の子どもの頃に似ている。

11時に娘の出演が終わった。
私は車を家において、また、9時までいた大阪は福島に野口芳宏先生の講座を受けに、とんぼ返りをするのであった。

お父さんは、幸せを胸に、勉強してきますなのであった。

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