私もその歴史の流れに、ちょこっと乗ることができた
3/3
ひな祭りである。
娘は数日前からとても楽しみにしている。
私の家からは比叡山を越えて30分ぐらいで下鴨神社に行くことが出来る。そんなこともあって毎年娘と下鴨神社の流し雛に行くことにしている。
◆
今朝、いつも通りにおひな様に朝の挨拶をする娘。雛あられを夜、お供えしてから寝る娘は、朝それが食べられているかを確認する。少し減っているのを見ると、安心して微笑む。
昨夜からの雪が少し残る比叡山。
そこにさらに新しい雪が降り積もる中、下鴨神社に向かった。
◆
雛祭の日に
谷川俊太郎
娘よ
いつかおまえの
たったひとつの
ほほえみが
ひとりの男を
生かすことも
あるだろう
そのほほえみの
やさしさに
父と母は
信ずるすべてを
のこすのだ
おのがいのちを
のこすのだ
◆
谷川俊太郎さんは、こうして娘を持つ親の気持ちを表してくれている。そうだよなあと、首肯する。ひな祭りになると私はこの詩を読み直す。
◆
下鴨神社に着いたときには神事は終わっていて、観光客も帰り始めていた。実はこのぐらいの時間がちょうどいい。人が少なくなり、川面にはいくつもの流し雛が浮かんでいてというのがいい。
娘は、自分のおひな様を川面にそっと流すことが出来た。毎年来ているが、こんなふうに綺麗に流すことが出来るようになったんだなと思う。
ま、通常は自分のを流せばそれでオシマイだが、子どもはそんなわけにはいかない。これが混んでいたらそんなことはさせないのだが、人が随分と減ったので、流れて来た流し雛をもう一度拾って投げることをさせる。
まだまだ流れに落ちないように手を捕まえていなければ危険だが、それとて去年には考えられなかったことだ。
娘が何回も拾っては流すので、カメラマンたちは嬉しそうにシャッターを切る。ま、そのぐらいは父として許す(^^)。
一年間の災いを流して、無病息災で新しい一年間を過ごせるように。娘が健やかに育ちますように。
古から親は娘をそんな風にして育ててきたのだと思う。
私もその歴史の流れに、ちょこっと乗ることができたのだなあと嬉しく思う。
◆
下鴨神社は、みたらし団子の発祥の地とも言われている。(一方で滋賀の唐崎という説もあるが)ここのみたらし団子をくる度に買いたいと思っていたのだが、休みだったり娘がぐずったりして買えなかった。が、今年は買えた。
いや、寧ろ食べたい食べたいとリクエストがでる。ラーメンを一人前食べた上で、さらにみたらし団子を二串。食べ過ぎだろう。でもまあ、良い。食べて、笑って、泣いて、我侭も言って、遊んで、寝る。それが一番大事なことだ。
◆
来年は、幼稚園だから一緒に行くことは出来ないかなあと思いながら、
(いや、来年も休ませて連れて行くぞ)
とも思う父であった。
« 4/23(土) 明日の教室 立命館大学 隂山英男先生 | トップページ | 「覚悟を決めることです」 »
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
お久しぶりです。吹中出身真由美です。
たま~に先生のブログを見にきてます。
お嬢さんの成長ぶりを親バカに書いてる記事が好きです。
先生!!福島に来てるんですね~。私住んでますよー!
中央市場楽しいですよ。美味しいですよ。
大阪はほんまに食道楽♪
いつか一緒に呑みに行けたら良いですね~。
投稿: 大阪から真由美 | 2011/03/09 14:34
久し振り。子育ては順調か?
福島の魚は美味しかったなあ。日本酒もいいものが揃っていた。粉ものよりも圧倒的に良いと思ったぞ。
またな(^^)。
投稿: 池田修 | 2011/03/19 08:51