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2011/04/19

その事象はもう一つの顔を見せる

4/19

Sakura

桜吹雪。

美しい日本語をあげよと言われれば、この言葉を挙げるだろう。桜と吹雪は季節の違う言葉である。この二つの言葉が複合語となって一つの言葉になっている。本来出合うことのない言葉が出合っている。別の言い方をすれば、単語そのものが俳句で言う所の「二物衝突」をしているのだ。つまり、単語そのものが俳句ということがいえるかもしれない。

この強い風を伴った雨で、京都のソメイヨシノはどんどん散ってしまった。

「サヨナラ」ダケガ人生ダ

井伏鱒二は「勧酒」の一節を訳したが、桜の散り際、桜吹雪の中に立っているとあれこれ思うのである。

嘗て、東京にいた時に伊豆半島に出かけたときのことである。
干物のお土産を物色していたときに、見かけない干物を見つけたビーフジャーキーの大きな感じの干物である。

ビーフジャーキーが海産物のお土産コーナーにあるというのは変である。なんであろうかと尋ねてみた。すると、それはイルカの肉の干物だと言うのだ。勿論味見をする。美味しい。

「そうなんだよねえ。可愛いんだけど、美味しいんだよね」

と店の人は言うのである。

今年の桜は、美しく見える。
それは、開花の直前にぐっと寒かったからと言われている。そうかもしれない。この、寒さとの対比が美しさを生み出しているのかもしれない。

だが、やはり震災であろう。

震災の悲しみが、この桜そのものの切なさを揺さぶっている。そして、桜の美しさを「支えて」いるように思えてならない。

一つの事象の中に、二つの相反する価値が含まれている時、そしてその表側の面の中にちらりと裏側の面が見える時、その事象はもう一つの顔を見せる。


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