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2011/04/07

新ジャガイモを買って来た

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新ジャガイモを買って来た。
これを蒸して食べるのが好きだ。
塩さえも付けずに、ただ蒸して皮を剥いて食べるのが好きだ。
台所で皮に付いた土を洗い落として蒸す準備をしていた。

(そうか、そうか)

自分の未熟さが手の先から伝わって来た。

他人の痛みが分かる。
これが教育だ。
他人の痛みが分かると言うのは想像力の力、知性の力だ。

私たちは広島の、長崎の、チェルノブイリの、スリーマイル島の悲しみを痛みを知っていた筈だ。

それにも関わらず、その痛みを我がごととして引き受けようとはしてこなかったのだ。

彼の地では、このジャガイモの泥を洗う時、放射能のことを考えながら洗っていたことであろう。いや、洗うことすら出来なかったかもしれない。

私たちは、これからひょっとすると100年のオーダーで、ジャガイモを洗う度に、大丈夫だろうかと言う思いを胸に抱くことになる。その痛みをきちんと伝えて、教えて行くことの教育をしなければならない。

いや、今までだってして来た筈だ。
広島、長崎。
世界でも通用する言葉だ。
それを私たちは、
(ま、そうね)
と流して来たのだ。

自分のことにならないと分からないなんて、なんという未熟だ。
でも、ここからしか始まらない。

新ジャガイモを食べる為に、
そこについた土を何の気もなく洗い落とせる幸せ。
大地の恵みを感じられる幸せ。
失って分かるなんて、なんて未熟だ。

だけど、ここからしか始まらない。
取り戻すのだ。

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コメント

全く同じ考えです。同意します。
http://sogogakushu.gr.jp/tkf/producer_dosk_k3.htm

ありがとうございます。

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