仁和寺 御室桜
4/22
今年も京都の桜を愛でて回った。四月は新年度なのでそれはどこでも忙しい。大学でも兎に角忙しい。しかし、今年の桜は今年しか咲かない。だから、愛でたい。
桜は、見てあげなければ美しくならない。これは子どもと同じだろう。子どもも見つめ続けなければ、しっかりと育たない。だから、(何がだからなのか、今ひとつ繋がっていないが)桜を愛でて飛び回った。
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この春、最後の桜は、仁和寺の御室桜だ。
仁和寺と言えば、国語関係者は兼好法師の『徒然草』をすぐに思い浮かべるだろう。52段である。
引用開始 ーーーーーーーーーー
仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。
引用終了 ーーーーーーーーーー
(仁和寺ってそうとうアホなお坊さんがいるんだなあ)
と思っていた子どもの時代の私。しかし、これは寧ろ逆なんだろうなあと思う。今風に言えば、京都大学の先生にも関わらずおかしな奴がいるなあって感じだろう。
その当時の学問の最高峰であった仁和寺のお坊さんなのに、こんな間違いまでしてしまうんだなあという感じだろうか。
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嘗て、私は仁和寺よりも、仁和寺から石清水八幡宮までいくにはどのぐらい掛かるのかが知りたかった。そして、極楽寺と高良(神社)を確認したいと思って、仁和寺をスタートにして、石清水八幡宮まで車で移動したことがある。
車でも結構な距離なのに、歩いたら凄いんだろうなあと思ったものだ。「年寄るまで」ってことは老人だろうしなあと。(今Googleで調べたら、歩けば4時間ですね。便利だ)
で、私は仁和寺に入ることなく、ただ石清水八幡宮に移動して、極楽寺と高良(神社)を確認して、「山」を上ったので、仁和寺は今回が初めての体験。
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これが凄かった。
江戸時代から続くと言う御室桜。200本を越えるこの桜の林。サトザクラの一種で、八重のぼってりとした薄紫色の桜であった。
桜はバラ科でありながら、香ることがない。
と思っていたのだが、この御室桜はかすかに香るのである。その香りに導かれて桜の林の中を歩く。観音堂や五重塔と一緒に収まるその桜の姿は、本当に見事一言。
京都の桜は、この仁和寺の御室桜でフィナーレを飾ると言われるが、わかるわかる。
閉園の17:30までじっくりと、この春の桜のフィナーレを楽しませてもらった。
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とは言うものの、あと、大学のサトザクラと比叡山の桜も楽しもうとする私であったf(^^;。
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