一年目でも、先生だ。 一生で一回しかない一年目だ。
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この間、卒業生たちと話す機会が数回あった。
この春から教壇に立っている卒業生たちである。
気になることがあった。
彼らが子どもを見て授業を、生活指導をしていないことである。
いや、もう少し言うと見る暇を与えられていない、または、与えられた方針に従ってやらされているという感覚である。
一年目は、右も左も分からない。だから、先輩先生や指導教員について指導を受けながら授業をクラスを作っていく。私なんかの時代にはなかったものである。全く何も分からない新人の先生には安心感を与えるものであろう。
◆
しかし、どうも感じが違うのである。
子どもの実態を分析し、その上で
「先生のクラスはこういう風に指導して行くといいのではないか」
という感じで指導している感じがしないのだ。
「こういう決まりになっていますから、これで」
「足並みを揃えてください」
「もっと怒らなければダメ」
のように指導されるというのだ。当たり前だが指導教員が全員野中信行先生ではないのだ。
卒業生の見たクラスの子どもの実像とずれているらしい。ずれていても指導教員の指示に従わなければならない。自分の実感とずれている指導は、する方もされる方も虚しくなるだけである。
虚しいだけでなく、空回りし、子どもとの信頼関係も壊れて行く。
だが、自分の考えでやろうとしても、実務の出来ない彼ら彼女らは指導教員の指示に従いながらやらないと、他の所で教えてもらいにくくなるので従うというのだ。
指示に従って、クラスの子どもたちとの間で辛くなるか、指示に従わず自分の得た感覚を元に指導をして、指導教員との間で辛くなるか。この二つの中で苦しんでいるのが手に取るように分かった。これは何も教員に限ったことではないかもしれない。しかし、教員は目の前の子どもに責任がある。
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私も若い時には、この狭間にいた。いや、正確に言うと一瞬だけいたf(^^;。というのは、私はすぐに自分の感覚、自分が見たクラスの様子を前提にして学級づくりと授業づくりをして行ったのだ。だから、若い先生にあれこれ言って上げたい年配の先生たちからは煙たがられた。
同じ生徒を見ていても、私が見る生徒観と年配の先生が見る生徒観が違うのだから、指導の方針も違ってくる。そして、私の指導でやった方がうまく行くのだからさらに年配の先生は頭に来るという「悪循環」になっていったのだf(^^;。共済組合の安売り情報とかは私の所に来なくなったもんだった。
◆
(でも、それがどうした)
と思ってやっていた。自分の見た子どもたち、それを元にした分析、そして、考えた指導方法。これでやるのが教師だろうと思っていた。当然、あちこちから矢は降って来た。でも、私はやに刺さる痛みの方を選んだ。自分の考えを殺す痛みよりも、数倍良いと思ってやっていた。
そうやってやっていると、いつの間にか自分の実践のスタイルが出来てくるようになったし、私のやり方に理解を示して、応援してくれる先生も出て来てくれたりするようになった。3、4年掛かったかなあと思う。
◆
何も私のやり方でやれと若い先生に言うつもりはない。その人に応じたやり方があるはずだ。自分と自分の子どもたちに一番適した方法があるはずだ。それをやれば良い。ただ、一つ言えそうなことは周りに合わせてばかりいると、自分の実践にはならなくなるということだ。
一年目でも、先生だ。
一生で一回しかない一年目だ。
いま担任している子どもたちは、あなたの一生の宝になる子どもたちだ。自分の目で見て、自分の頭で考えて、自分で実践することをしないで、何が先生だと私は思う。
体の疲れは、若いから大丈夫。
心の疲れは、若くてもしんどい。
失敗したら謝り、反省し、また挑戦すればいいことじゃないか。
溜め込んでいてどうする。
行動しなくてどうする。
困ったら勉強すれば良い。
猫を被っていたら、猫になってしまうぞ。
一年目の先生、一歩、いや半歩でも前に踏み出してみてはどうですか。
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コメント
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同感です。
しかし、若い先生方を見ていると、自分で考えて動く(指導する)訓練がされていない気がします。
好きなように指導してごらんというと、かえって困ってしまうのではないかと。
3年ぶりに担任をしていて感じるのは、恥をかくことを必要以上に忌避する生徒の様子。タイムが良いのに1500m走の選手になることを頑なに拒否する男子。恥をかきながら成長する、クラスのために一肌脱ぐ。という哲学がない、あるいは未熟なのです。
若い先生方にも同様のバイアスがあるように感じます。次回東京分校は野中先生。そのあたりを若手と話してみたいと思います。
投稿: J.SASE | 2011/05/14 05:44
一年目の教員は、はいとyesだけで生きて行く訳ですが、理不尽なことや自分が思い描いていた夢に関わることは、簡単にまげてはならないと思う訳です。
そのことであれこれあっても、あれこれをくぐり抜けるのも社会人に必要なこと。ここを一年目の先生はやっていかねばならないですよね。
投稿: 池田修 | 2011/05/20 09:49