自分の積極的な関与がないと発動しないのだ
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週末は全国大学国語教育学会が京都教育大学で行われた。私が入っている学会の一つであり、地元開催ということで風邪が治らないままではあったが、出かけた。
平成15年度に私は大学院に通っていた。そのときのメンバーが多く集まっていた。久し振りに、そう8年ぶりにほぼ揃ったと言う感じであった。
大熊徹先生にご指導を頂いた、この研究室。そこに在籍しているときはまさか自分が大学の教員になるとは夢にも思わず、ゼミ生を指導する立場になるとも思っていなかった。だが、振り返ると自分がいま学生達を指導している時、大熊先生のお姿を追いかけようとしている自分に気がつく。
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大熊先生は、驚異の記憶力と優しさでご指導下さった。この両方とも私にはない。ではなにを追いかけているのか。それは、研究室運営とその存在である。
先生は、院生達の交流を促す為のあれこれを、あのお忙しい中で設定してくださった。現職教員として大学院に通っていた私は、学部学生達との交流にはなるべく関わるようにしていたし、院生同士の懇親会も全て出たと思う。まあ、院生であるから。ところが、大熊先生も全て参加されているのである。
先生は当時二つの自主ゼミを担当されていたから、ゼミ合宿も二つでるし、院生の修論指導の為のゼミ合宿も開いてくださっていた。今の自分を考えるとちょっと信じられない忙しさだ。
また、先生のあり方と言うのを学ばせていただいた。先生と言うのは、何が出来るかというよりも、どんな人であるかと言うことが大事なのだなあと思ったのだ。勿論、先生の学識の深さはあってのことだが、それよりもその先生の傍にいることの幸せを感じられるかどうかの方が大事なのだと思った。
私が出来ているかどうかは別にして、そうなんだなあと、久し振りにお会いした懇親会の席でも改めて思ったのだ。
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懇親会は二次会まで続いた。
二次会からは、私のゼミ生も数人参加した。国語教育界のトップ集団の中にいることは大事だと思って声をかけたのであった。そこで語られる言葉が「日本語の筈なのに、意味が分からない」という環境の中に身を投じる体験は、学生時代に是非経験すべきことなのだ。
ゼミでもその世界を作りたいと思うが、ゼミはどうしても甘えが出る。こういう外部の環境の中で鍛えられるのは大事なのだ。
学生の一人が、
「池田先生が、大熊研究室に行ってくださって、橘大学に来てくださらなければこんなに凄い経験はできませんでした。ありがとうございました」
と言っていた。
半分だけ正しい。
私はゼミ生全員に声をかけた。その中で、参加できないと連絡をしてきた学生と全く連絡のない学生がいたわけだ。そこで、違う。さらに、欠席の学生に二次会なら来れるか?と聞いたときに、来れる学生と来れない学生がいた。
つまり、自分から連絡をして来た学生にチャンスはあり、さらに時間があった学生達に扉が開かれた訳である。
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こういうのをご縁と言うのだろうなあと思うのだ。
ご縁と言うのは、与えられている条件だけでは成り立たないのだ。そこに自分の積極的な関与がないと発動しないのだ。積極的な関与があった所で、それが実るか実らないかと言う部分にも、もうワンステップがあるのだが、まずは積極的な関与なのだ。ここがなければ、まず、発動しない。
おそらく、人事の本質の部分にも関わっているんじゃないかなあとも思う私であった。
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大熊先生、大熊研究室のみなさん、ありがとうございました。
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コメント
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「求めなさい。そうすれば、与えられる」という聖書の言葉に通じますね
主体的に求める人の方がチャンスを掴みやすいのは、その通りだと思います!
投稿: NAKO-P | 2011/05/30 13:45