ウメサワタダオ展
5/21
行かねばならぬと思いつつ、なかなか時間が作れず行けなかった「ウメサオタダオ展」にやっと行って来た。国立民族学博物館(吹田)である。http://www.minpaku.ac.jp/special/umesao/catalogue.html
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この場所は1970年の日本万博が行われた場所である。
その跡地に作られたのが、国立民族学博物館であり、その初代館長が梅棹忠夫氏である。
ご案内の通り、梅棹先生は『知的生産の技術』の著者である。1969年の出版以来、累計140万部を売っているとのことだ。今年も新たに刷を重ねている。私は知的生産技術の研究会のパソコン通信の会員であったこともある。近くにあるのだから行かなければなあと思いつつ、先生は他界されそのきっかけもなかなか掴めないでいた。
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そんなところに、今回先生の特別展があるというので、スケジュールを調整して行くことにしていた。ま、風邪を引いてしまって動けなかったので、随分伸びたのだが。
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結論から言う。
凄いの一言。関西にいる大学生は全員。日本にいる研究者は全員見に行くべきである。3時間あればビデオも見れる。2時間でも大丈夫。常設展は2時間かかるけどこれも見よう。
60歳を過ぎて、朝起きたら突然失明していたこと。そして、失明後の方が執筆した本の数は増えたこと。90歳まで生きられたこと。
こざねなど知的生産の実物とそれから作り出された論文の実物を実際に見て、レプリカを触れること。すごい。
以上。
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で、終わっても何だと思うので疑問に思ったことを少し書く。
梅棹忠夫先生は、整理魔であろう。ダビンチのノートのに刺激を受けて、自分も書くと決めたというが、それ以前に記録魔であり、整理魔であったと実感した。つまり先生の整理力は先天的なものである
私の疑問は、
1)私のような片付けの出来ないものに、整理整頓の力は後天的に育つのか?
2)育たなかった場合、いかなる方法で知的生産は可能なのか?
ということである。
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教育に関する一研究者として、刺激を沢山もらってうりゃりゃりゃああと帰って来た。
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