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2011/06/29

なんと、そこにメール

6/29

久し振りに自分が出演していたNHK教育TV「わくわく授業」のDVDを見た。作文の指導方法についてである。結果的に私が最後に担任をしたクラスだ。学生達と一緒に見た。年に一度このDVDは見るのだが、なんとも懐かしい。あれこれ思い出す。


実践の中にいるときは、それこそ嵐の中にいるようなものだった。毎日仕事に吹き飛ばされないように足を踏ん張って、自分の進むべき方向に顔を向けるということに挑んでいたんだなあと映像を見て思い出す。通常業務の山場と体育大会と収録で、確か2週間で5キロ以上やせたのだった。

中学生を指導すると言うのは、実にしんどくて面白い仕事だったなあと映像を見ながらやっぱり思う。豊かな感受性と第二次反抗期。この二つを兼ね備えたのが中学生だ。言葉、映像、音楽。彼らの豊かな感受性はそれを見事に受け止める。本物のシャワーを降り注ぐことが、彼らを大きく成長させる。

ところが、ここに第二次反抗期、思春期が襲いかかる。親や先生が「右がi正しいぞ。右に進め」と指示を出す。中学生は確かに右に進むのが正しいと分かっている。しかし、親と先生がそれを言ったが為に正しいと分かっていて意地で「左に」進むのである。

この感受性のきらめきと思春期の反抗の衝突が制服を着て生活しているのが、中学生である。もっと中学校教育の専門性が大事にされて良い。この二つをきちんと理解しながら指導できると言うのは相当の力量が求められるのだから。


そんなことを思ってDVDを見終わったら、なんと、そこにメール。番組の中で取り上げられていた女子生徒からメール。「メールアドレスが変わりましたのでお知らせいたします」とのこと。いやあ、びっくり。そういうことってあるんだなあ。縁のある生徒っているんだねえ(^^)。

さらに、そのメールには今年教員採用試験を受けると書かれてあった。
そうか、そうか。いよいよか。


ありがたいこっちゃ。うれしいこっちゃ。


2011/06/27

この週末は実に充実していた その2

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で、日曜日。
昼過ぎまではだらだらとして過ごす。本を読むぐらい。
今シーズン4回目の風邪が体を痛めている。だからゆっくり。

鼻が詰まって声が嗄れる。これが今年の私の風邪のパターンである。鼻が詰まるのは辛い。匂いを感じられなくなる。味も分かりにくくなる。

そこで鼻うがいをすることにした。
生体食塩水は塩分濃度が0.9%である。この濃度の食塩水であれば、鼻うがいをしても、ツーンとはならない。

もう少し言うと、ツーンとしたら0.9%ではないのである。だから、実感を持って食塩水問題を考えられるなあと思うのである。体で覚える食塩水問題。これは、ハンズオンマスと対抗できるかもしれない(できないだろうが)。

余談はさておき、鼻うがいは効果的だ。
ただ、調べてみると鼻うがいは下を向いたままでしなければならないらしい。そこで、あれこれ工夫して行った。

鼻に接する部分は、娘が小さかった時に鼻水を吸い取る器具を使い、それを花に水をやる大きなスポイトの水をさす部分に装着。これでスポイトを握ると、0.9%食塩水は鼻の中に入ってくる。完璧であった。寝る前と朝にやるとかなり気持ちがよい。

夕方から再び京都市内に。今日も人と会うことに。今日は、12年前の教え子。なんと京大で学会があるのでということで連絡をくれた。いま大学院博士課程で中世スイスの外交史についての研究をしているという。なんだかよくわからないが、凄い。

立派なお嬢さんになった教え子と再会。
京都の街を少し散策して食事。

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それにしても実に良くあれこれ覚えている。彼女の書いた原稿にも私が登場していて、
(ああ、そういう授業をしたなあ)
とうれしく思いだす。
彼女にしてみれば、私が良く覚えていることにも感動してるようだが、まあ、それが先生と言うものだ。

あの時代のあの中学校の裏話や、研究のこと、これからのことなどを話していたらあっという間に帰りの新幹線の時間、30分前になってしまった。慌ててタクシーを拾い京都駅に向かう。楽しい時間はあっという間に過ぎるのであった。

沢山の人といい時間を過ごすことの出来た週末でした。
ありがとうございます。


この週末は実に充実していた

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この週末は実に充実していた。

金曜日に福井県の小学校で5年生に授業をした。その後、校内研修会で講座。伝え合うと言うことを中心にした授業と講座であった。

福井県はこの日も35度ぐらいの気温。実に暑い。だが、この小学校はクーラーが効いていた。授業はしやすかった。

夜は、福井の知り合いの先生方と小浜で食事。いつもの店だ。

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そこに卒業生を呼ぶ。福井で仕事をしている卒業生だ。急に思い出して、慌てて呼ぶ。
自己紹介をし合うと、一緒に食事をしていた先生が若い頃にお世話になったのが、卒業生の親だということが次々と分かる。世間は狭い。

そこに、ディベート関係で昔からの知り合いの先生から携帯に連絡が入る。見てみると、今日の授業の内容が詳しく書かれている。なんで?と思ったら、その先生の娘さんが、私が授業をしたクラスにいて、帰宅するなり今日の授業は面白かったと次から次へと内容を話したのだそうだ。

それで(あれ、もしや?)と思って連絡をくれたということである。実に世間は狭い。

翌朝の土曜日。かねてから準備していた小浜での釣りを楽しもうと、朝風呂の後ホテルを出る。ところが、車の鍵がない。慌てて部屋に戻り探すが、ない。

最後の鍵の記憶は昨日の店である。あれこれ手を尽くして店のご主人と連絡を取ってもらって、確認ができたのが10時。でも、出来たからいいやともったら、ご主人の都合で見せにくることができるのが午後3時とのこと。

がーん。5時間も時間がある。しかし、釣り道具は車の中で空けられない。さて、どうやって時間をつぶそう。まさにつぶす時間である。

幸いにしてMacはあったので、ロビーでメールの返事を書くことはできた。その後、昼ご飯を食べにでかけようと準備をしたら雷、大雨。まったくついていない。若狭だけ大雨なんだから。

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しかし、出かけていたら降られていた訳で、それを考えれば良かったと言うことにしようと、前向きに考える。

850円の豪華な刺身定食(並)と岩ガキを楽しむ。岩ガキ、350円なんだな。市場では250円で売っていた。東京だと1000円近い値段だもんな。ありがたく頂く。

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食事後、散歩して小浜の港に向かう。
いつもならここは車でビユーンのところだが、歩く。すると、名水の場所を発見したりしてなかなか面白い。

小浜。私にとっては「ちりとてちん」の舞台としてとてもなじみのある場所になった。鯖街道の起点の市場も見たし、北朝鮮による拉致問題の現場であることを強く印象づけるポスターも見た。京都に来なければ見ることのない景色だったなあと思いながらあるいた。

その後、汗をかいたので本日二回目の風呂。
小浜港を見下ろす風呂に入って、のんびり。
のんびりしていたら、3時を少し過ぎてしまった。
なんだ、5時間なんてあっというまであったか。

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京都に戻る運転は、まあ、眠くなる。そりゃあそうだ。あれだけ歩いて、二回も風呂に入ればね。途中車を止めて10分寝る。この10分が効くんだよなあ。安全運転で帰宅。

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すぐに、京都市内に出かける。人と会う約束があったので。
じっくりとあれこれ話を聞く。終電で帰宅。


2011/06/26

ディベーターの一人一人が坂本龍馬になれる

6/26

6/19。もう一週間前になる。ディベート甲子園の近畿大会があった。今年は、高校8校、中学校7校と近畿の参加校が過去最大になっている。非常に嬉しいことだ。で、嬉しい悲鳴。ジャッジやスタッフの数がギリギリになっている。今後、さらなるスタッフの拡充が必要になる。ディベート甲子園OBOGのみなさん、是非運営スタッフになってください。よろしくお願いいたします。

で、今年の大会の結果は、

http://nade-kinki.main.jp/2011/06/19/1260

となった。

勝ち負けの結果は、競技である以上ついて回る。全国大会で見事な結果を出した学校であっても、毎年ということは実はなかなか難しい。言ってしまえば、全国でただ一校しか勝ち続けることが出来ないのだ。そんなことは分かりきった上で、これを教育活動して私たちは運営している。

何を大事にして私たちは運営しているのか。
少なくとも私はこんなことを考えている。

ディベート甲子園の論題は「日本は〜すべきである。是か非か」で示されている。これは何を示しているかと言えば、ディベーターの一人一人が坂本龍馬になれるということなのである。この国の未来をどうするのがいいのかを、10代の若者が真剣考え、議論できる場所。これがディベート甲子園なのである。

全国大会は、8/6、7、8に東洋大学で行われる。
全国の若き龍馬達の議論を見に来ていただきたい。

2011/06/23

大学も、あと一ヶ月で前期が終わる

自分の進路を選択する。なんの仕事を自分の仕事にするのか。20歳そこそこで決めるのはなかなか難しい。一説によると現在5400種類ぐらいの仕事が日本にはあるということだ。私だって20歳の頃にまさか将来大学の教員になっているなんて事は、これっぽっちも思っていなかった。高3のときの進路適性検査では、「医者、弁護士、保母さん」と出てたし。

私が中学校で進路指導主任をしていた頃、進路指導の主流は自分の適性を知り、自分の好きなことを仕事にするのが良いという流れであった。まあ、これはこれで一つの考え方なのだろうが、私は寧ろ逆と思っていた。自分の嫌なことは仕事にしないである。

好きなことを仕事にするというスタンスで進路を考えて行くと、ストライクゾーンが狭くなる。そのことしか仕事にしたくないと言うことになると、そこに就けなかった場合あとが大変になると思う。そうではない。嫌なことを外す。そうすれば、ストライクゾーンは広く取れる。

広く取った上で、才能、好み、出会い、努力などで自分の周りにやってきた職種挑んでみるというのがいいのではないかと思うのだ。20歳そこそこでは、仕事の表面的なことしか見えない。丸ごと理解することは無理なのだから、仕事をしつつ理解して行くしかない。

私は親にアルバイトであっても、最低1年間は続けろと言われた。四季を通して仕事をしてその中で色々と見えるものが出てくる。そうやって仕事を見るものだと言われたのであった。いま、なるほどと思う。

仕事には三つの観点があるとも言っている。a 収入を得る手だて b 自己実現 c 社会貢献 この三つである。この三つがバランス良いことが大事なのではないかと思うのだ。いくら自分のやりたいことbであっても、これだけでは仕事として成り立たない。バランスである。

いまうちの児童教育学科では、一回生後期からのコース分けに向けて希望調査と面接を行っている。うちの児童教育学科の特徴の一つは、入学後にコースの選択が可能だと言うことである。大学の学びを実感した上で、選択をさせたいという思いがある。一回生のゼミであれこれやっている。

学生達に言う。『人生にはこれが正解という答えはないんだよね。強いて言えば、選んだものを正解にするということなんですな』『進路選択は真剣に考える必要があると思います。でも、深刻に考える必要はないですよ』『力をつけようと努力をしてください。見ている人見てくれています』

大学も、あと一ヶ月で前期が終わる。


2011/06/20

その光はどこにあるのだろうか

6/20

土曜日は、明日の教室であった。東京から山口裕也さんをお招きしての「測定学、統計学」の話をたっぷりとしていただく。山口さんは才能の固まりの人である。まだ30代前半にも関わらず彼のキャリアは凄い。教育行政に政策を提言するポジションにいる。その提言の前提となるのが、データの解析である。この手法を学ぶべきであると考えて、講座の講師にお願いしたのであった。

当日は、それこそたっぷりと話してもらった。文科系の私は普段使うことのない頭の部分をフル回転したのであった。

大学院に行ったの、今絡もう10年近く前になるが、そのとき感じたことがある。

1)本の検索の仕方
2)統計方法
3)論文の書き方

この三つはきちんと勉強し直した方が良いなと思ったものである。私立文科系出身の、国語が専門の私には統計なんてのはまったく関係のない話であった。事実学生時代にはまったくやらなかった。だが、研究を進める上でも、学級を分析するためにも、授業を改善するためにも、この統計という手法は知っておく必要があると、強く感じた。

大学院で統計の授業を受け、その後独学で何回か全体を理解しようとして、個人的には5回目ぐらいの復習として統計の入り口を学んだことになる。そのぐらいやって、統計のあれこれの用語や考え方が分かるようになってきたかなというところだ。

私は、分からない所は平気で質問できるタイプである。
ま、それでも授業の流れを切ってまでする質問であるか、流れにそってする質問であるかぐらいは判断しているが、はずかしげもなく質問できるのである。

それは分からない私だからである。
分からない私が分かろうとするときに、分からなくなる部分を知っているのでそこを質問している。これは先生の役割として、大事なことではないかと思う。

教える時の先生は、なんでも知っているという前提に立って教えることが大事だろう。しかし、研究会等で学ぶ時の先生は、分からないを連発することが大事だと思うのだ。
(え? 先生でも分からないの?)
ということが、一緒に学ぶ若い人たちに安心感を与えると思うのだ。少なくとも私の恩師達は、平気で「これ、分からないんだよな」と研究会の席で質問をしてくれていた。それは私には非常にありがたかった。今は順番で私がするのだなあとも思っている。

で、講座だ。
面白かったなあ。

数学を使う所もあったが、数学は言葉なんだと思えたのが凄い。
さらに、なんで測定学が必要で、統計学が必要なのかを考えられたのが良かった。そして、その限界はどこにあるのかも考えられたことが良かった。

私たち人類は、測れないものを測るためにはどうしたらいいのかを考え、それに応じた物差しを発明してきた。その物差しで測った結果が何を示しているのかを考えるために、その考え方を作り出してきた。これが測定学であり統計学であるということを、私は今回学んだ。

さらに、統計学の最先端のアプリケーションを使っての統計処理の実演。
エクセルにちょっとアドオンするだけで、とんでもない世界が待っているのであった。おそらく、講座に参加した方はこの最先端の世界を授業づくりや研究で使うことはないかもしれない。しかし、そんなことはいい。必要になれば使えば良いだけの話である。

大事なことは、自分だけではまったく知り得なかった世界が、世の中には存在していて、それを日常の業務で使っている人がいて、それが自分の教育の世界に深く関わっているのだという一面に触れてもらうことだと思っている。

(ちょっと待て。俺がやっていることは、他の世界から光を当てるとどう見えるのだろう。その光はどこにあるのだろうか)

と立ち止まることができる。これは実に大事なことなのだと考えている。

この講座もDVDになります。
じっくりと学べます。
お楽しみにどうぞ。

2011/06/18

事象と言葉にどれぐらいsensitiveになれるか

6/18

4回生ゼミでは、採用試験の個人面談の指導をする。卒論を書くための指導の時間に行っている。今週、一次試験合格の第一号が出たが、ここからが本番である。卒論指導と個人面談とどう関係があるのか? 結構あると思っている。

その関係している所の中心部分は、言葉である。卒論は事象と言葉にどれぐらいsensitiveになれるかどうかが決定的に重要である。卒論は書き言葉でこれを鍛える。面接はそれを話し言葉で見る。勿論、話し言葉で短時間であるから深い論考は難しい。だが、短時間であってもポイントは表出する。

面接官の問いにどれだけ正対して答えようとしているか。答えられているか。面接官が聞きたいことは何なのかを理解できているかどうか。ここを見るだけでその受験生の実力は分かる。

例えば、「あなたはなぜ小学校の先生になろうとしたのですか?」という質問があったとする。これに対して「小学校の5年生の時の担任の先生がすばらしかったからです」という答えをする学生がいる。ま、それはそうなんだろうけど、私に言わせれば、outである。

この学生は、「なぜ?」という質問の意味が分かっていない。この「なぜ?」はきっかけを聞いているのではない。理由を聞いているのである。にも関わらず、この学生はきっかけを答えている。「あなたはなぜ彼女と結婚したのですか?」「友人の結婚式で隣の席に座っていたからなんだ」。

これはきっかけである。これが理由なら、友人の結婚式に出席する度に、隣に座った女性と結婚をし続けなければならない(^^)。となりに座ったのをきっかけとして、この人と結婚しようという理由が見つかったはずである。だからその女性と結婚したわけである。教師を目指す理由を語るべきである。

その際「成長する子どもの傍に居たいから」なんて理由を述べるのもoutである。プロ野球では、観客はプロのプレーを見てお金を払う。子どもの成長を見たいだけの教師になんで税金から給料を払うのだ? それでも見たいなら自分で払えってんだ。

プロになるのだ。教師というレッスンプロになるのだ。学校で子どもを育てることのプロになるのだ。あなたは、なんで子どもを育てることを仕事として選んだのか。なんで小学校なのか。そのために、あなたは何を学んできたのだ? 教師になったら何ができるのだ。これを具体的に語れなければならない。

「一生懸命やります」「6年間掛けてじっくりやります」「規律を教えます」。そんな言葉を答えで聞くたびに、嘘嘘と思う。自分が勉強してきた事実で語れていない。事実を語るべきである。そうしたら、「を、一生懸命やったんだな、この学生は」と面接官が呟くはずだ。そしたら、合格だ。

『二回目の面接練習のときには、少しはまともになっているよな?』と念を押して、その日の90分は終わりました。

2011/06/14

日本中の国語の先生を敵に回してしまうかもしれないが

6/14

文章の書き方の授業を進めている。正確に言うと書かせ方の授業である。文章の種類、なぜ文章が書けないか、その対策等から始めている。私は中学校の教員のときに、履歴書の書き方を指導していた。中学校三年生の3月ぐらいに行う。受験が終わり卒業式までの間である。「入試には出ないが人生には大事なこと」というテーマでやっていた。

日本中の国語の先生を敵に回してしまうかもしれないが、私にはよく分からないことがあった。物語、小説の読解指導である。確かに、物語、小説によって人間を育てる部分はあるとは思う。しかし、小説を読むというのは卒業したら娯楽である。そこにあんなに力を入れて指導するのは、私には?なのだ。

『履歴書を書いたことのある人?』と学生たちに聞くと29人全員が、あると答えた。『では、履歴書の書き方を学校で習ったことのある人?』と聞くと、これまた全員が習ったことがないとのことであった。おかしい。卒業したら全員が必要な履歴書の書き方を義務教育で教えないとは。

国語、または特別活動の進路指導できちんと一回は教えるべきだろう。履歴書を書かない日本人はいないはずだ。手書きかワープロか、それは進む先によって違ってくるだろうが、とにかく書き方ぐらいは教えるべきだ。履歴書の封筒の宛名の書き方。高校生が「机下」とか書けたらカッコいいではないか。

小説の読解にかけるエネルギーの少しをこちらに回しても良いと思うのだ。学生に聞くとそうだそうだという。さらに、「教えてほしかった」とも言う。そこで言う。『そうだろうなあ。教えてほしかったろうな。知っていれば随分違うからねえ。だけど、間違えてはならないことがあるぞ』

『それは、今後、卒業してからは、「習っていないから出来ません」なんてことはいっさい言ってはならないということだ。私はディベートで修論を書いたし、コンピュータも人並みには使えるが、学生時代にまったく習っていない。卒業してから自分で勉強したのである』

『習っていないから出来ないという人は、そういう割には、習ったこともしっかりできていない人が多いもんだ。習っていないことなんて、社会に出ればいくらでもある。そこで必死に自分で勉強してできるようになるもんなのだ。子どもに必要だと思ったら先生自らが勉強して、身につけて教えるのだ』

とまあ、私はそう思うので学生たちには、こんな風に話す授業なのでした。

JJ先生による震災の貴重な記録

6/14

コメント欄に書き込みをしてくださる、JJ先生による震災の貴重な記録です。

http://sasakinet.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-9541.html

http://sasakinet.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-5931.html

http://sasakinet.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-f30e.html

まだ続きますが、是非お詠みください。

2011/06/13

寝違えたまま働いている

6/13

ふう。
今日もよく働いたな。

寝違えたまま働いているのでこれが結構大変。
9時過ぎに研究室に入り、7/2にICUで行う発表の予定原稿のようなものを書く。書けないでいた原稿だ。ような、というのは原稿にする前のアウトラインを書いたと言うことなので、ようななのである。

TreeというMacのアウトラインプロセッサーで書いている。講座を作るときは非常に便利なアプリである。これで書いて、そこから文字にするつもりだったが、書けなかったので取り敢えずこのまま送ることにする。事務局に見てもらう。私の生のハンドアウトが記録集に載るのは初めてのことになる。すみません。

でも、私の生のハンドアウトが冊子になるのは(なるのか?)、初めて。池田ファンには堪らない資料になるかも。って、そんなもの欲しいのはいないかf(^^;。すみません。

昼ご飯を10分で片付けて、引き続きハンドアウトの修正作業を続ける。気がつくと3限開始5分前。慌ててエレベーターに乗る。ディベートの授業。今日は団体戦の二、三試合目。

二試合目は、ジャッジが足りなくなるのは予測できたので、私がジャッジに入ることにした。私のジャッジの様子はもう少し彼らが成長したら見せるつもりだったが、ま、仕方がない。

4限は、国語科教育法。今年は、授業の導入の部分に学生の5分間発表を入れている。その季節に関わるネタを発表させている。今日はあじさいと蛭であった。なんで蛭なのかよく分からんが、蛭は夏の季語と言うことで選んだそうだ。

学生の紹介で知った一茶の句。

人の世や 山は山とて 蛭が降る

いいなあ、これ。なんという広い世界を詠んでいるのだろうと思う。やっぱり一茶は凄い。

で、私の授業は、文章の書かせた方に入った。この授業の山の一つだ。文章の種類野説明、さらに、文章指導に対する疑問とその解決の糸口、また、子どもが書けない理由とその解決の糸口を示して今日はオシマイ。来週、再来週と続くのであった。

で、4時過ぎから再び文章と格闘。
気がついたら19:00を回っていた。
か、体が固まっている。

軽くほぐして再び格闘。
気がついたら21:00時だった。
ふう。

でも、この仕事と『やさしい学級担任論(仮題)』のゲラが終われば、次のステップのためのあれこれに取りかかれる。少しはその時間がとれる。そこに向けて気合いを入れましょう。

2011/06/12

一期生の里帰りの会に参加した

6/12

夕方からは、一期生の里帰りの会に参加した。
この三月に卒業した児童教育学科の一期生たちに、三ヶ月社会に出てみてどうだったのかの様子を聞く会である。四回生は準備等で手伝っていた。

彼らの卒業式は3/11。そう震災の日の午前中であった。あの日から三ヶ月なのである。自分がまさか関東の学校の先生になるとは思わなかったし、震災なんて起きるとも思わなかった学生時代。親元は慣れ頑張り始めた者。実家に戻って頑張り始めたもの。そこで踏ん張って生活を始め、仕事を始めた彼ら彼女らの顔があった。

事前の返信ハガキに「京都橘大学児童教育学科で学んだことで良かったことは何ですか?」のような問いを設定した。すると、小学校の教員になった彼らの答えのほとんどにあったのは、

・学級担任論
・板書の練習課題

というものがあった。
どちらも私の授業であり、授業課題であった。彼らは学生時代は、課題が多い、面倒くさいとぶーぶー言っていたものでもある。しかし、現場に出たらそれが良いと言うのだ。

他にも「課題が多かったこと」が役に立ったと言うのもある。教員の事務仕事量の半端でない多さを乗り切るには、あそこでの訓練が役に立ったと言うのだ。仕事に就かないと分からないことがあるのだよ。それを見据えて(これ、なんか意味があるの?)と思っている学生達にやらせるのが、教師の仕事なのだ。

「先生、担任て孤独なんですね」
「先生、スピードですね」
「先生、こんな子どもにどうしたらいいのでしょう?」

あれこれ話しかけられたり、相談された。

『そうだよ。授業でも話したろ。孤独なんだよ。子どもの傍にいても、教師は児童の仲間ではない。先生なのだ。子どもたちにダメという言い方をしなければならないことも多くある。クラス全員を敵に回しても、言わなければならないことがある。そう授業で話したよな?』
「はい。よく分かりました」
『子どもと適切な距離を取って、先生にならなきゃだめだぞ。良いお兄さんになってはだめだぞ。お前が先生にならないと、子どもは児童になれないんだからな』
「はい」

『そうだよ、授業で話したろ。スピードだよ。子どものノートを見るのに一人1分で見たって、30人いれば30分だからと話したよな?』
「一人5分掛けて添削していたら、とんでもないことになっていました」
『そうだろ』
「学級の事務をしてくれる人がいたらいいと思います。学生ボランティアで良いので」
『一年目から、お前は贅沢だなあ(^^)。でも、そうだなんだよ。それを私は学級事務職を導入すべきだと言い続けているのだよ』
「先生、それなんとかしてください! 印刷、プリント配り、提出物のチェックだけでいいです」
『だよな(^^)』

『クラスを作れ、授業を作れ。先生に怒られても叱られても、でもあのクラスにいたいと思われるクラスを。受けたいと思われる授業を。子どもは大人と違って命令では動かないと授業で話したよな。でも、良いものを与えれば必ず良い反応をするものだよ』
「この子の事情は、....」
『ああ、それは大変だな。可哀想な子どもだな。こういうことは考えてみたことはあるか?』
「あ、それはやってません。ありがとうございます。やってみます」

一年目だ。
一年目は、目隠しをされたままで100mを全力疾走させられている日々だ。だけど、四年間鍛えたその根っ子はきちんと根を張っている。大丈夫だ。走り続けろ。

この日の為になんとか一日だけ休暇を取って駆けつけた者は、日帰りで帰って行く。時間のある者は、二次会にも顔を出す。京都に残っている仲間の所に向かう者もいた。

大学にいる違和感を全く感じさせない彼ら彼女らであった。
それでも、しっかりと社会人一年目を歩み始めた彼ら彼女らでもあった。

『やさしい学級担任論(仮題)』(池田修 学事出版)

6/11

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(銀色の琵琶湖)

大学の授業は、前期の半分が終わったところである。15週のうち7週が終わったと言うことだ。始まってしまえばあっという間である。

しかし、この7週間は忙しかった。いや、この先暇になるのかと言えばそんなことはないのだが、忙しかった。飛び込みの仕事や代わりの仕事が入って来て、
(まあ、これなら大丈夫かな)
と思って引き受けた仕事も大変なことになっている。

外に出て仕事をするのは、授業のある期間は一ヶ月に二回までと決めているのだが、これがなかなかその通りにならない。うーむ。t

ただ、仕事の量だけならば、まあなんとかならんでもない。問題は体調だ。いま大学の前期が始まって7週間ということを改めて思ったが、この7週間ずっと風邪を引いている。本当に風邪なのか?と自分でも思うのだが、耳鼻科に行って診てもらうと風邪との診断なのだ。

実際、未だ喉は治りきっていない。声は出にくい。
この出にくい声をだましだまししながら授業をするのは、なかなか大変だ。だが、もっと大変なのは気力が湧いてこないことだ。書くことを約束した原稿が本当に進まないのだ。

私はどちらかと言うと、筆は早い方である。だが、この二ヶ月間は、遅筆であったというか、まだ遅筆である。こんなに書けないかなあと思うぐらい書けない。7/2にICUで行われる研究会の講演予定稿が書けないままでいる。この週末にはなんとかしなければならないと思いつつ、本当に書けないでる。参った。

で、もう一つ原稿の〆切にも追われていた。5月末に原稿をあげてほしいと言われていたのだが、忙しいのでとてもじゃないけどその〆切では書けないとお断りしたのだが、諸般の事情で引き受けることになり書き続けていたのであった。

こちらの方は、去年一年間「授業づくりネットワーク」で連載していたものに加筆修正をして一冊に仕上げるというもの。連載していた原稿は12本。この他に18本を加えて一冊にする。

大変なことには変わりないが、こちらは一年間書いていたそのリズムが体に残っていたのであろう、まだ書けた。そして、必死に書き進めて昨日やっと原稿は完成した。本当に肩の荷が片方下りた感じだ。

ではあるが、このあと原稿のゲラチェックをしなければならない。出版社の方も急いでいるので、私の原稿の進捗状況に合わせてゲラを作り、最終原稿完成とほぼ同じタイミングでゲラも完成していた。それがPDFで送られて来て、紙でも送られて来て、それをチェックして一冊となる予定だ。

『やさしい学級担任論(仮題)』(池田修 学事出版)

ということで早ければ6月中には書店に並ぶとのことであります。
大学で行っている、学級担任論の内容をベースにして書いています。お手にしていただければ嬉しいです。


仕事を選ぶほど偉くはないが、先ずは体調を元に戻すことが先決だなあと思う今日この頃の私であります。


2011/06/10

ところが、このことがニュースになっていない

東京が高濃度の汚染地区になって来たことが確定して来たようだ。特に東部が危険とのことだ。

http://mykeita.blog59.fc2.com/blog-entry-1447.html

http://biotoushi.seesaa.net/article/201249007.html

ところが、このことがニュースになっていない。
私は、義父からこのことを知らされてネットで検索したら上記のブログを発見した。
AKBなんか報道するよりも、こちらだろ。

関西に住んでいる私がこんなことを書くのは、どこかで憚れる思いもあるのだが、後になってそうだったんだということになるのもまずい。判断はブログを読む皆さんにお任せするとして、情報はあげることにする。

一方、郡山の小学校ではこんなことまでしている。

http://www2.schoolweb.ne.jp/swas/index.phpid=0710015&frame=weblog&type=1&column_id=314087&category_id=8761

その結果が

http://www2.schoolweb.ne.jp/weblog/data/0710015/e/a/667258.pdf

である。
子どもたちを守る為に、先生たちはここまでしている。いや、させられている。先生たちは、子どもたちに学力を付けるのが仕事である。大人に育てるのが仕事である。

それぞれの人がそれぞれの場所で必死にやるしかないとは思うのだが、ここまでとも思うのだ。

頑張れ、橘小学校。

2011/06/09

今まで常識と思っていたことが

6/9

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運動では、うさぎ跳びが否定されてどのぐらいになるだろうか。練習中に水を飲んではいけないというのが否定されてどのぐらいになるだろうか。私が子どもの頃は、うさぎ跳びや水を飲まないで運動というのは「常識」であった。しかし、いまこんな授業やクラブをやる先生はいない。

運動系はきちんと計測して体のデータを取って、科学的に効率よく体を動かすことを追求してきていると思える。だから、こうして常識だったこともあっさりと覆るのだろう。では、通常の授業ではどうだろうか?

私がいま教育で疑っていることは記録に関してのことである。二つある。一つは、ノートに関してである。通常、高校まではノートは教科ごとに分けて取るようにという指導を受けるだろう。その理由は、教科ごとに分けてノートを取った方が頭の中で整理されやすいということである。

私もこのように指導してきた。教科ごとにノートを分けること。その方が良く理解できると。しかし、本当なのだろうか? つまり、一冊のノートに時系列で何でも書くのと、教科ごとに分けて書くので本当に学習に違いがあるのだろうか?分けた方がいいのだろうか?

実を言うと大学の一回生には、「ノートは一冊にする。なんでもそこに書く」ということを勧めている。時系列で何でも書いてある方が、頭には入りやすいし、記憶を呼び出しやすいと思うのである。ではなんで、学校は教科ごとだったのか? 

この理由は二つ考えられる。a.ノート点検のため。b.一冊だと、その一冊をなくしたら全教科の記録が無くなるから。a.一冊だと、ノート点検をしているときに他の授業で使えなくなる。だからだ。つまり、先生のためということになる。b.これは私にはよく分かる。なくすと困る。

大学生になれば、ノート提出もなくなる。あっても、コピーを出せばよい。なくす人も少なくなるだろう。そうであれば、ノートは一冊の方がかなり良い。ところが、このことが分からないで高校生までの惰性で行く学生が多い。いや社会人でも多い。

おそらくiCloudなどが普及すると、タブレット一つにだーっと書くだけ書き続けることが普通になるのかもしれない。その過渡期ではあるが、ノートは一冊というのが、いまの常識としていいのではないかと思うのである。

今ひとつ疑っていることは、教室の板書である。綺麗に構造化された板書は見ていて気持ちがよい。そして、それは子どもたちの頭の中に綺麗に収まって行くと思われている。子どもたちも、その綺麗な黒板を綺麗にノートに書き写すことで「満足」している。

私はこの綺麗に構造化された黒板に、罠が潜んでいると考えている。綺麗に構造化された黒板。構造化するのは誰か? そうである。教師である。教師は教材を理解し、授業のために構造化する。その通りである。だが、ちょっと待て。これで子どもたちに力はついているのか?

教師の仕事が子どもたちに力を育てることだとすれば、構造化された黒板を綺麗に書き写すことを指導しても、力はつかないのではないかと思うのである。教師はプレーンに話し、それを子どもたちが自らの力で構造化した「板書」に仕上げて行くこと(実際はノートに)が、大事だろう。

それをする中で、子どもたちは構造化するということを学習して行く。綺麗に書き写すだけでは、その構造化するための力は育たない、育ちにくいのではないかと思うのだ。授業を使って教師が力をつけてどうする。子どもに力をつけなければならない。

社会の変化、環境の変化に伴って、子どもに付けようとする力も変わる部分がある。そうだとすれば、教育も変わって行く。今まで常識と思っていたことが、常識ではなくなって行くこともあるだろう。それを見極めて指導を考えたいと思うのである。

2011/06/07

週末東京に行っていた

6/7

週末東京に行っていた。

震災以降初めて行った。去年から関わっている番組の制作打ち合わせが日曜日にあるので、土曜日から行ったのだ。久し振りに髪を切ってさっぱり。実家に立ち寄ろうと思ったら、
「1時間ぐらいのためにくることないよ。忙しいんだろ。気持ちだけでいいよ」
と親。18:30に都内に行かなければならないことになっていたので確かに忙しかったのだが、顔を出さないのもなあと思って電話をしたのだが、そういう返事であった。ま、来月は一泊するのでそのときに話をしましょうか。

土曜日の夜は、一人の予定だったのでどこで食事をしようかと思っていた。そんな所、20年前のオフロードバイク仲間のMLで久しぶりに会わないか?という話題になっていたので、
「土曜日東京に行きます」
と書いたら、これが早速7人も集まったのであった。

私がお忍びで使う店にご案内し、久闊を叙したのであった。20年前に毎週のように野山を駆け巡り、キャンプを楽しんだ仲間は、それぞれそれなりに年を取ったのだが、一瞬にしてあの頃に戻るのであった。

美味しい食事、仲間との語らい。
良い時間だったなあ。

日曜日は、いつもよりも短くて9時間の会議であった。三ヶ月に一回ぐらい、あれこれあれこれ企画に関わってアイディアを出し、煮詰め、方針を立てる。知的体力を要求される会議だ。だが、この会議で出たあれこれが、実際の番組になることの喜びは、なかなかのもの。

あの会議のあの一言が、こういう感じで表現されるのかと実に面白いである。

会議後、会議参加者とスタッフと一緒に食事。
突き出しがバーニャカウダーというなかなかいい感じのお店。
お腹いっぱい食べました。

その後、ホテルに戻って私の人生を変えるかもしれない大きな話について、あれこれアドヴァイスをもらう。そうか、そうか。うーむ、そうか。挑戦しよう。

翌日は9時台の新幹線で、一路京都に向かう。3限は13:00からスタート。東京から京都へ新幹線通勤をするなんてことが俺の人生に用意されていたなんて、実に人生は面白いものである。

2011/06/03

最大のプレゼント

6/3

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原稿が煮詰まっている所に、買い物に出かけていた奥さんが面白いものを買って来た。娘(3)のための腕時計である。いや、腕時計と言っても正確な時を刻む時計ではなく、指で針を動かせるような腕時計である。

子どもにものを与えるのは、難しい。
親が気に入ったから買った。だからプレゼントしたというのは、ダメだと考えている。それを続けたら、もののありがたさを理解できない子どもに育ってしまうと思う。

でも、この腕時計はとてもいい。最近時計を読もうとし始めている娘のためにもとてもいい。さて、どうしたことか。

原稿書きの息抜きに散歩に出かけようと思っていた所だったのを思い出した。
『じゃあ、ガーデンに行っておやつを食べようか?』
と娘を散歩に誘った。腕時計を一緒に隠し持って。


ガーデンは、薔薇が満開。
ではあるが、平日の湖西なんて誰も人は来ない。貸し切り状態である。しばらく娘と芝生の上を裸足で走り回ってから言った。

『あれ、なんか薔薇のところにプレゼントがあるよ』
「えー、なにー(^^)」

娘はそこに置かれている袋を大事そうに持ち上げる。

『そうそう。お父さんの所に、薔薇さんからメールが来ていたよ。「いつも、ガーデンに遊びに来てくれて、ありがとう。お花を見て喜んでくれてとても嬉しいよ」って、書いてあったよ』
「えー!」
『それで、プレゼントを用意しておくって薔薇さんのメールに書いてあったよ。それじゃないかな』
「えーっ!(^^)」

ということで、この腕時計は、薔薇さんからのプレゼントということになりました。

『薔薇さんに、ありがとうって言えるかな?』
「ばらさーん、ありがとう!!」
と言う娘でありました。そして、
「今度はお父さんにもプレゼントあるかな?」
と。
『ははは。あると嬉しいなあ』

勿論、娘との散歩が最大のプレゼントです。


2011年 「明日の教室」研究会の予定

2011年 「明日の教室」研究会の予定

教育研究会「明日の教室」関連のご案内をブログのトップに置くことにします。

                   ◆

11月26日(土)   塩澤一洋氏 写真講座(ポートレート、風景写真)

12月10(土)『僕は君たちに武器を配りたい』『武器としての決断思考』の著者の瀧本哲史氏。この本をベースにして、では教師はこれから何を学び何を教えて行くことが肝要なのかについて、縦横無尽に語って頂きます。← NEW!!

2012年3月3日(土) 野中信之先生 
                   ◆

明日の教室の書籍1〜5と、DVD1~13が発売されました。(16まで製作中)

書籍は、http://www.gyosei.co.jp/home/books/book_detail.html?gc=3100501-01-000/
DVDは、http://www.sogogakushu.gr.jp/asunokyoshitsu/dvd_1.htm

からお求めください。

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