一期生の里帰りの会に参加した
6/12
夕方からは、一期生の里帰りの会に参加した。
この三月に卒業した児童教育学科の一期生たちに、三ヶ月社会に出てみてどうだったのかの様子を聞く会である。四回生は準備等で手伝っていた。
彼らの卒業式は3/11。そう震災の日の午前中であった。あの日から三ヶ月なのである。自分がまさか関東の学校の先生になるとは思わなかったし、震災なんて起きるとも思わなかった学生時代。親元は慣れ頑張り始めた者。実家に戻って頑張り始めたもの。そこで踏ん張って生活を始め、仕事を始めた彼ら彼女らの顔があった。
◆
事前の返信ハガキに「京都橘大学児童教育学科で学んだことで良かったことは何ですか?」のような問いを設定した。すると、小学校の教員になった彼らの答えのほとんどにあったのは、
・学級担任論
・板書の練習課題
というものがあった。
どちらも私の授業であり、授業課題であった。彼らは学生時代は、課題が多い、面倒くさいとぶーぶー言っていたものでもある。しかし、現場に出たらそれが良いと言うのだ。
他にも「課題が多かったこと」が役に立ったと言うのもある。教員の事務仕事量の半端でない多さを乗り切るには、あそこでの訓練が役に立ったと言うのだ。仕事に就かないと分からないことがあるのだよ。それを見据えて(これ、なんか意味があるの?)と思っている学生達にやらせるのが、教師の仕事なのだ。
◆
「先生、担任て孤独なんですね」
「先生、スピードですね」
「先生、こんな子どもにどうしたらいいのでしょう?」
あれこれ話しかけられたり、相談された。
『そうだよ。授業でも話したろ。孤独なんだよ。子どもの傍にいても、教師は児童の仲間ではない。先生なのだ。子どもたちにダメという言い方をしなければならないことも多くある。クラス全員を敵に回しても、言わなければならないことがある。そう授業で話したよな?』
「はい。よく分かりました」
『子どもと適切な距離を取って、先生にならなきゃだめだぞ。良いお兄さんになってはだめだぞ。お前が先生にならないと、子どもは児童になれないんだからな』
「はい」
『そうだよ、授業で話したろ。スピードだよ。子どものノートを見るのに一人1分で見たって、30人いれば30分だからと話したよな?』
「一人5分掛けて添削していたら、とんでもないことになっていました」
『そうだろ』
「学級の事務をしてくれる人がいたらいいと思います。学生ボランティアで良いので」
『一年目から、お前は贅沢だなあ(^^)。でも、そうだなんだよ。それを私は学級事務職を導入すべきだと言い続けているのだよ』
「先生、それなんとかしてください! 印刷、プリント配り、提出物のチェックだけでいいです」
『だよな(^^)』
『クラスを作れ、授業を作れ。先生に怒られても叱られても、でもあのクラスにいたいと思われるクラスを。受けたいと思われる授業を。子どもは大人と違って命令では動かないと授業で話したよな。でも、良いものを与えれば必ず良い反応をするものだよ』
「この子の事情は、....」
『ああ、それは大変だな。可哀想な子どもだな。こういうことは考えてみたことはあるか?』
「あ、それはやってません。ありがとうございます。やってみます」
一年目だ。
一年目は、目隠しをされたままで100mを全力疾走させられている日々だ。だけど、四年間鍛えたその根っ子はきちんと根を張っている。大丈夫だ。走り続けろ。
◆
この日の為になんとか一日だけ休暇を取って駆けつけた者は、日帰りで帰って行く。時間のある者は、二次会にも顔を出す。京都に残っている仲間の所に向かう者もいた。
大学にいる違和感を全く感じさせない彼ら彼女らであった。
それでも、しっかりと社会人一年目を歩み始めた彼ら彼女らでもあった。
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