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2011/06/14

日本中の国語の先生を敵に回してしまうかもしれないが

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文章の書き方の授業を進めている。正確に言うと書かせ方の授業である。文章の種類、なぜ文章が書けないか、その対策等から始めている。私は中学校の教員のときに、履歴書の書き方を指導していた。中学校三年生の3月ぐらいに行う。受験が終わり卒業式までの間である。「入試には出ないが人生には大事なこと」というテーマでやっていた。

日本中の国語の先生を敵に回してしまうかもしれないが、私にはよく分からないことがあった。物語、小説の読解指導である。確かに、物語、小説によって人間を育てる部分はあるとは思う。しかし、小説を読むというのは卒業したら娯楽である。そこにあんなに力を入れて指導するのは、私には?なのだ。

『履歴書を書いたことのある人?』と学生たちに聞くと29人全員が、あると答えた。『では、履歴書の書き方を学校で習ったことのある人?』と聞くと、これまた全員が習ったことがないとのことであった。おかしい。卒業したら全員が必要な履歴書の書き方を義務教育で教えないとは。

国語、または特別活動の進路指導できちんと一回は教えるべきだろう。履歴書を書かない日本人はいないはずだ。手書きかワープロか、それは進む先によって違ってくるだろうが、とにかく書き方ぐらいは教えるべきだ。履歴書の封筒の宛名の書き方。高校生が「机下」とか書けたらカッコいいではないか。

小説の読解にかけるエネルギーの少しをこちらに回しても良いと思うのだ。学生に聞くとそうだそうだという。さらに、「教えてほしかった」とも言う。そこで言う。『そうだろうなあ。教えてほしかったろうな。知っていれば随分違うからねえ。だけど、間違えてはならないことがあるぞ』

『それは、今後、卒業してからは、「習っていないから出来ません」なんてことはいっさい言ってはならないということだ。私はディベートで修論を書いたし、コンピュータも人並みには使えるが、学生時代にまったく習っていない。卒業してから自分で勉強したのである』

『習っていないから出来ないという人は、そういう割には、習ったこともしっかりできていない人が多いもんだ。習っていないことなんて、社会に出ればいくらでもある。そこで必死に自分で勉強してできるようになるもんなのだ。子どもに必要だと思ったら先生自らが勉強して、身につけて教えるのだ』

とまあ、私はそう思うので学生たちには、こんな風に話す授業なのでした。

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