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2011/07/27

「家で書いておきなさい」

7/26

3回生の学生の模擬授業を指導する。授業のレッスンはやりがいがある。本学は、3回生の後期に教育実習が組み込まれているので、いまが直前指導ということになる。今日はグループで練った指導案を一人の代表が10分で行い、私が5分の志度をするという流れで行った。

良い授業をするかどうかは、最初の2~3分を見ればだいたい分かる。だから45分の模擬授業は私は行わない。45分の授業ができるってのは相当な力量が必要なのである。先ずは、10分で1つのトピックをきちんと説明できる力が身に付いていることが大事。

この10分の授業で、指示、発問、説明の3つの指導言が適切に使われているかどうかを見ながら、学生たちの授業を見る。勿論、(を、なかなかやるなあ)という授業もあったのが、(これは、まずい)というものもあった。漢字の指導である。空書きの指導である。

指先は動かしやすいのでついやってしまうが、これは避けたい。動かしにくい所を動かすことで、画数や書き順を意識できるのである。さらに、アウトは児童の方を向いてやっていた。これもダメ。児童に背中を向けてやらなければならないのである。そうしないと、鏡像になってしまい児童の理解が難しくなる。

で、問題はそれだけではなかった。「漢字を3回書いて、まだ不安な人は家に帰って書いておきましょうね」という指示を出して授業が進んで行ったのである。私はここを取り上げた。『この指示がダメな指示だと分かる人はいるか?』と 確認した。学生たちはよく分からない顔をしていた。

私は決定的にダメな指示だと思っている。まだ不安な人というのは、漢字がしっかりと書けていない子どもである。その子どもたちに「家で書いておきなさい」という指示を出して、書くわけがない。つまり、この指示はやらないと暗黙のうちに分かっているにも関わらず出している指示なのである。

これは子どもの側から見るとどう見えるかというと、(この先生は、やらなくてものに、やれという指示を出しているな)と見えるのである。つまり、この先生の指示はやらなくてもいいと子どもたちは理解し、学習してしまうのである。授業だけでなく、学級活動においても。たどり着く先は崩壊である。

授業中の先生の指示というのは力があるのだ。それは教師が思っている以上のものと考えて良い。できないことをやらせようとする指示。これはやらなくてもいいからねということを教えてしまう。やらなくても良いという指示を出し続けていては、子どもたちはやらなくなる。

それでいて「この子どもたちには、指示が通らない」ということを言い出す先生になってしまうことがある。これは、とても恐ろしいことだ。ほとんどの学生がこれに気がつかなかった。だから学生なのだが。だから模擬授業形式のレッスンはやりがいがあるのだ。さ、しっかりとした実習をするんだよ。

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