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2011/08/30

朝から滋賀大学付属中学校に行く

8/30

朝から滋賀大学付属中学校に行く。情報学に関する研究発表会。去年も出かけて行ったが、今年も声をかけていただいたこともあって出かけて行った。

国立大学付属の小中高校学校の先生達は、本当に大変だなあと改めて思うのでした。このレベルの研究をしつつ、実践をしつつ、事務をこなしということなのだから。そして、力のある先生は、腰が低いなあというのも、また思う。実に、実るほど頭の垂れる稲穂かななんだよな。

研究授業を二本見て、研究協議に参加して、シンポジウムにも参加。
まあ、自転車で来れる距離でこれだけ学べるのだから、幸せだなあ。実際に、今日は自転車で来たのだがf(^^;。

シンポジウムには、黒上先生、堀田先生が登壇されていて、キーノートを話された。面白かったなあ。私は縁あってお二人の先生と一緒にそれぞれ別の仕事をさせてもらっているが、私が一緒で良いのかなあと、思っちゃいますねえ。

でも、私をそこにプロデュースしてくれる人がいるのだから、ありがたいと思って、私にできる部分であれこれしようと思うのであった。

その後、文科省の冨山先生の講演も聴く。「各教科等における 言語活動の充実」と題して。
冨山先生は、東京の多磨地区の公立中学校の先生だったので、私にとっては先輩。ま、後輩とは思っていないでしょうがf(^^;。

ところが、去年お話ししたことも覚えてくださっていて、まあ嬉しいやら恥ずかしいやら。変なことを聞く奴だなあと覚えてくださっているのだろう(^^)。

帰宅後、今来た道をもう一度戻って娘と温泉に行く。
私は長湯なのだが、流石に娘はそれは無理なので娘に合わせて入る。
「お父さん、一緒に遊ぼ」
なんて言ってくれるのは、娘の人生の中でほんの少しだろう。
その時間を大事に、大事にしたい。

地元でこんなに凄い研究会が開かれたお陰で、こうして公私ともに幸せな時間を過ごせました。

みなさん、滋賀へ、琵琶湖へお越し下さい。
とってもいいですよ(^^)。

(え? 今日?!)

8/29

集中講義が終わり、その翌日から東京に久し振りに帰省した。東京にはしょっちゅう行っているのだが、仕事。実家に娘と帰ることはなかった。私が集中講義をしている間に、もう既に東京に戻っていたので追っかけて帰ることにした。

髪を切り、私の両親と食事をし、洋服を買いに行き、娘と大きな温水プールに入り、奥さんの両親と食事をしというだけだが、ゆったりとした時間であった。

で、
(あ〜あ、明日の日曜日からゼミ合宿だなあ)
と思いながら、土曜日の朝にメールを開いた。
すると
「合宿の集合場所は、〜」
というメールがゼミ長から入っていた。

(を、丁寧だなあ。明日のことを最終確認か)
と思って読んでいたら、
(え? 今日?!)
思いっきり間違えてしまった。明日からではない、今日から合宿である。
慌ててメールを送る。
これが、集合時間の10:00のこと。

新幹線の予約を一時間繰り上げて、急いで京都に帰る。
帰省の荷物から合宿に必要な荷物を取り出して、心を落ち着けて325iに飛び乗る。

今回の合宿は鈴鹿。新名神高速道路を順調に走らせてなんとか18:00に合宿場所に到着。そのまま、四回生の卒論の目次指導に突入したのであった。なんてこったf(^^;。

宿泊は、公共の施設ということで、なんとアルコールは禁止。事前に申請すれば大丈夫とのことだったが、これをしていなかったのでアルコールはなしのゼミ合宿となったのだ。なんと健全。

相当むくれている顔に見えたのか、学生達は買ってきましょうかと言って来た。勿論隠れて黙って飲んでしまえば飲めるが、そんなこと教師を目指すゼミのゼミ合宿で許されるわけが無い。本日は休肝日ということにして、我慢であったf(^^;。

翌日は三回生の模擬授業と四回生の卒論目次案指導の続き。模擬授業は
10分間。三人の学生が行ったが、すべてカタカナの誕生についての授業であった。打ち合わせたわけではないのだが、そうなっていた。三人が同じテーマでやったのを、結果的に比較することになったのかこれはこれで面白かった。

ただ気になったこと。調べて来たことをなんとか授業の中に入れこんでしまおうとする姿勢が見られたこと。この10分で最終的に伝えたいことは何なのか、理解させたいことは何かを考えて、授業の展開によってはばっさりと切り捨てることが大事なのだが、これができない。

さらにまずいのが、一生懸命に調べて来たことなのではあろうが、それが不十分な知識になっているままということ。ここがだめなので、授業が安定したものになっていなかったということが共通してみられた。今後を楽しみにしたい。

昼は、カレー作りと壇流クッキングにある「丸鳥の穴焼き」。ゼミ生にアウトドアの達人がいるのでカレーとご飯は完璧に薪で作れた。問題は、丸鳥の穴焼き。実は、穴を掘る場所が与えられなかったので、穴焼きにならなかった。

だが、薪の中にアルミホイルでくるんだものを入れてなんとか頑張ったら、出来上がった。もう25年ぶりに食べるのだが、美味かった。

児童教育学科の四回生は、採用試験が7月にあるので、そこまではそれに全力投球。その後にやっと卒論に本腰になれる。ここから12月の卒論提出に向けて、全力疾走するのである。そのために、あと数回卒論の目次案を叩き、修正しながら進む。

今年は、今のところ卒論のテーマを根本的に直すということはなさそうなので、穏やかなスタートが切れそうである。勿論、穏やかなスタートが切れることと、卒論がきちんと仕上がることは別のことだが、それでもそれはそれで嬉しいことだ。

帰りは渋滞も無く、明るいうちに帰宅。
いやあ、ゼミ生には申し訳なかったが、指導にはなんとか間に合って良かった。ビールは無かったが、おいしい料理も食べられて良かった。

ふう。

2011/08/25

少しばかりの夏休みが始まった

8/25

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集中講義は終わったのだが、体がまだ集中講義モードになっていて、朝5時に起きてしまう。書き込みのある筈のない感想掲示板をチェックして、ホゲーッとする。家の外が明るくなって来ている。外に出てみると、綺麗な朝焼けだった。

朝ご飯を食べ、本を読んで過ごす午前中。だらだら過ごすのもいい。
その後、やりかけていた家のあれこれを終わらせてしまおうと動き出す。先ずは、無線LANの増築。

パソコンの設定はMacに任せてあるので、大きな問題はない。Macの場合は基本的には電源を入れて、「はい」をクリックしてしまえばオシマイである。インターネットの接続もほとんどそれでいく。面倒くさいところを受け持つのがコンピュータという考え方なので、驚くくらい簡単である。

ところが、その外側の世界は相変わらず面倒くさい。昨日、新しいAirMacExpressを追加しようと家のネットの根っこの所に変更を加えようとしたら、光電話は止まるし、ネットは繋がらなくなるしで本当に困った。

すぐにiPhoneを取り出して、トラブルシューティングのサービスに電話をかける。こういう時はどたばたしないで、専門家に頼るのが一番である。かれこれ20分程度やりとりをしていたら、解決した。私の説明と向こう側に見える接続の状況だけで、話だけで解決してしまうんだから凄い。

トラブルも解決したので、夕方から東京に向かおうかと思ったのだが、行きつけの美容院に電話してみると夏休み。じゃあ、夜慌てて行く必要もない。

ならば、と久し振りに一人でプールに向かう。娘(3)とプールに行くと娘が遊んでいるのを見て、つき合ってしているだけなので、自分は全く泳げない。ま、それは仕方がないのだがたまには泳ぎたい。チャンスとばかりに出かける。

プールが閉まるまであと30分。人の少なくなったプールで泳ぎ続けた。20分程度続けて泳ぎ続けた。スピードを上げて泳ぐのではなく、手と足を伸ばして遠くの水を掴み、つま先の先まで水を蹴るイメージで体をストレッチしながら泳ぎ続けた。本当なら3時間位プールにいて、本の一冊でも読みながらと思っていたが、まあ、こういうのでもいいことにしよう。

で、プールが終わってプールの傍にある本屋に行こうと思った時に、念のためと思って助手席のドアを開けてみた。
(あった!)
この一週間以上見つからなかった携帯電話とb-mobie wifiがあったのだ。おそらく、鞄の外ポケットに入れておいたのが、助手席に置いた時にこぼれ出て、カーブで椅子から落ちてドアの隙間に挟まってしまっていたのだろう。

助手席は殆ど空けないので、気がつかなかったのだ。
車のシートの下とか後部座席とかはよく見たんだけどねえ。
ああ、すっきり。これで一安心。気分がいい。

帰って来てからの夕ご飯は、冷蔵庫の片付け。
食べきってしまった方が良いものを出して来ては、食べる。
読みかけの本を読みつつ、新しい本にさらに手を出し。
少しばかりの夏休みが始まった。


2011/08/24

集中講義最終日。 本日は、行事などの活動後のまとめの指導のあり方について

8/23

集中講義最終日。
本日は、行事などの活動後のまとめの指導のあり方について。

今回は、佐々木先生に来ていただいた。外部講師を招いて授業や行事を作ると言うことは、これからも行われて行くことであろう。その際、生徒が指導を受けた後に、お礼状を書くと言うことは大事なことだと私は考えている。

今でも高校で模擬授業をすることがある。高校の進路指導の一環として大学や専門学校の先生が出向いて行って大学と同じような授業をするのだ。私の『教師になるということ』(ひまわり社)は、この模擬授業をベースにして書かれている本である。

で、この高校での模擬授業だが学校ごとに相当対応が違う。控え室にいる時に業者だけしかいない高校。校長や進路指導部長が来て挨拶する学校。学年の担当の先生が迎えにくる高校。更には、その授業を受ける高校生の代表が迎えにくる高校等、実に様々である。

私は、校長が挨拶をするのも大事だと思うが、もっと大事なのは高校生に迎えにこさせることではないかと思っている。あなた達の為にわざわざ高校まで出向いて行って授業をするのである。授業を受ける本人が挨拶に来る、いや挨拶をする経験を得ると言うことが大事だと思っている。

そして、授業が終わってからも高校によって違いがある。生徒のアンケートを一覧にしてお礼状とともに送ってくる高校。生徒のアンケートのコピーを送ってくる高校。何にも連絡のない高校。実に様々で、実は最後が一番多い。

学校教育現場にいた私は、その現場の忙しさはよく分かる。だが、私は先生がお礼状を書くというのではなく、生徒に書かせるべきだと思うのだ。その経験が進路の学習なのだ。ところが、ここをしないで只単にどのコースに進学したいかということのみで、大学の先生の授業を聴かせている。進路指導の筈なのに、進学指導のみとなっている。

私が中学校で進路指導主任をしていた時、高校の先生に来ていただいて一日中高校の先生に模擬授業をしてもらったことがあった。そのとき、私は「わくわく授業」の収録と重なっていたのだが、準備をして先生方に連絡をし、授業の後は、生徒達全員にお礼状を書かせた。いま、高校はこの準備をして大学と連絡調整をする業者と提携している。私はその部分も自分でやったが、高校はそれは業者がやる。だとすれば、残っているのはお礼状の指導だと思うのだ。

大学生相手に手紙の書き方を指導するのはどんなもんかという思いも私にはある。しかし、指導をしないで「書け」というのは、どうも私にはできにくい。正式な手紙の書き方と、便箋の上下はどうやって決まっているのか? 便箋の上に書く内容、下に書く内容の違いなどのちょっと専門的なことも含めて教えて、実際にお礼状を書かせた。
『手紙の書き方を習うなんてのは、君の人生でこれが最後だからね』
と話しながら。

彼らは教壇に立って、生徒達にお礼状を書かせる側に回る。だから、きちんと手紙が書けなければならない。その指導である。

そして、行事作文の指導。
行事の後にクラスで作文を書かせることは多い。その時に指導をするのは担任である。教科に関係なく作文の指導をする。

この場合、指導と言っても多くは
「さ、原稿用紙を配るぞ。書け」
でお仕舞いになっている。これはおかしい、ダメだということを話して書かせ方を指導する。調理実習で「さ、カレーを作って」といきなり言うわけがない。手順を明らかにして指導する。またできない子どもがいたら、子どもが何に躓いていて書けなくなっているのかを明らかにし、教えなければならない。それを説明した上で学生達に実際に書かせる。30分で原稿用紙2枚を書くためのあれこれを指導。

学生達はあっという間に書けたことに仰天。
これは、国語科教育法で指導する内容と被るが、定番の指導方法なのでここでも活用する。

最後に、この四日間を振り返る。
実踏計画書づくりに参ったと言う学生が多くいるが、遠足の全体の流れの1/16でしかないことを説明する。

そして、最終課題を示す。「実踏報告書」の作成である。
自分で立てた計画書を元に、実踏に行きその報告書を書くのだ。それを元に、実施計画案を立ててとなるのだが、ここから先は教師になってからという話にした。

今年もなんとか集中講義をやり遂げることができた。
佐々木先生と飲んだり、大阪に来ていた藤川先生たちと京都の床に行ったりと、夜は夜で楽しい時間を過ごしながら、昼は15コマ、4日間の講義を終えることができた。これで暫く朝5時に起きる生活からは解放される。

これで少し、夏休みを味わえる。
ふううううううううううう、う(^^)。

集中講義三日目 「遠足の実踏計画書」づくり

8/22

集中講義三日目。
この日は、この講座の一つの山になる。特別活動の「旅行・集団宿泊的行事」を学ぶことを目標として、「遠足の実踏計画書」づくりを行う。京都の岡崎公園を中心にして中学校一年生が遠足をする想定で作らせる。

私が教師になった年は、まだ新採研が正式に導入される前の年であった。だが、試験的に導入されていた年でもあった。だから、今思うと教育委員会もどういうことをやろうかということで試行錯誤していたのではないかと思う。

私は新採の集まりの代表をしていたので、新採研の内容をもっと、新人が希望するものに変えてくれないかということを要望していた。例えば、富士山の麓で合宿研修があった。その際に
『一日、ここで遠足をするとどういう遠足ができるか。実施計画書を書く課題を下さい』
と申し入れていた。とても良いアイディアだとは言われたものの、この研修は実施されなかった。

教科の指導については、大学でそれなりに習って来ている。ところが、遠足の作り方などは、全く習っていない。だから、折角富士山の麓にいるのだから教わりたいと申し入れたのだ。ダメだった。

それから20年近い年月が流れて、私は大学で特別活動論を担当することになる。真っ先に思ったのは、この遠足を取り上げることであった。20年前に不満に思ったその思いを、次の世代のこの学生達には思わせるわけにはいかない。そんなことは授業では話さなかったが、そういう思いでやっている。

よく
「先生は、いつ教材研究をしているのですか?」
「いつ、授業を作っているのですか?」
と学生から聞かれる。私は
『いつも』
と答えている。実にそうである。そして、そのいつからと言われれば、12歳の時に授業中に抱いた疑問や不満、そして教師になったばかりの頃に抱いた不満のころからもということになるであろうか。

若いということは、瞬発的にあれこれを変えて行くということを目指す。しかし、そんなに簡単に物事が変わるわけがない。変更すべきポイントをじっくりと見定め、こちら側に実力を付け時期が到来したら一気に変えるのである。

私たちの頃は、遠足の原案を作る立場になるのに、10年ぐらいの時間があったであろうか。その間にあれこれ学んだわけだ。だが、今は若い教師がドンドン現場に出る。もっと早く原案提出権を手にすることになるだろう。学校を帰るチャンスを握る。その際、実力がないとどうにもならない。鍛えたい。

学生達は、早い学生で6時間位で課題を完成させる。
そうでない学生は、翌朝の9時の〆切を目指して頑張ることになる。

『この課題を終わると、(あああ、小中学校の時の先生、ごめんなさい。もう遠足のおこずかいなんていくらでも良いです。遠足二回も行って良いなあなんて言ってごめんなさい)って言いたくなるよ』

と言う。そして、実際そう思う学生達ばかりになるのであった(^^)。

2011/08/22

連絡 山田隆弘先生

hotmailのアドレスに、メールを送っているのですが、跳ね返されてしまっております。別のアドレスはありますか?

2011/08/21

8/21

例年の集中講義は、四日間連続なのだが今年は間に日曜日が入った。昨日の佐々木先生の講義の余韻に浸れるのはいいなあと思う。

久し振りに一人で過ごす家。
そういう時間があるのもいいなあと思う。

が。

すかっと晴れていたらプールに行って、プールサイドで読みかけの本をうりゃりゃりゃああああと読もうと思っていたのだが、外はそんなに晴れていない。これはその気になれない。

そこで溜まっていたブログの更新をしたりする。
で、気になっていた失せ物を捜すことにする。
生活のメインテナンスということだ。

現在見当たらなくなっているもの。

・携帯電話
・万年筆
・スタイラスペン
・mini wifi

Macで調子の悪いもの

・タイムマシーンの読み取り
・Lion環境下での動作の不安定さ
・バッテリーの発熱

毎日の生活が駆け抜けるだけになっているので、充電やメインテナンスができないでいる。これはいかん。体のメインテナンスもできていないが、環境のメインテナンスもできてない。

で、一日中捜したのだが、出てこない。
調整したが直らない。
どーんと落ち込む。

(あれ、ないなあ)
と思ったときに捜さないとダメだとは思う。
無くなった時の感覚がまだしっかり残っている時に捜すことが大事なんだとは思う。だが、その時間がなかったり気力が削がれてしまう忙しさに陥っているんだなあと思う。

勿論、すべてを完璧にやりくりしていく人生なんてないわけで、仕方がないものは仕方がないのだが、今日のダウナーの流れには実に参った。

集中講義二日目。宮城県から佐々木潤先生をお招きする

8/20

集中講義二日目。宮城県から佐々木潤先生をお招きする。
http://sasakinet.cocolog-nifty.com/

2限から4限までお願いした。
2限は、クラスづくりと授業に関して。
3限は、震災に関して。
4限は、これらを踏まえて私との対談。

たっぷりと語っていただいた。

震災のことを語っていただくのは、大変心苦しいと言う思いもあったが、伝え残して行くということを考えている先生だったので、お願いした。

昼ご飯の後の3限は疲れて眠たくなる。
それは十分ありうる。
しかし、この日の授業では寝る学生は1%も居たであろうか?
その1%も必死に顔を上げようとしていた。
聞き漏らすまいとしていた。

語り継ぎ言い継ぎゆかむ

は富士の高嶺の事だが、やはり今を生きている者としては、それを語って行くことが大事なのだと改めて私も思った。
生きている者は、生かされている者なのかもしれない。

この90分の内容は、日本中の特に教師に聞いてもらいたい内容であった。

「会える人には会っておくのが大事ですよ」

と佐々木先生は、懇親会に向かう時に話していた。
そうなんだろうなあ。そうなんだよな。

美味しいものを食べ、美しいものに触れ、素晴らしい人に出会い、なぜか?と分からないことを問い続け、仮説を出す。人生の醍醐味だ。その一瞬を佐々木先生からプレゼントしてもらった。

終電で帰る私は幸せだった。

集中講義初日。特別活動論である

8/19

集中講義初日。特別活動論である。四日間行う。今年は間に日曜日が入るので、例年よりも楽である。今年だけ受講する学生はその楽さが分からないだろうが、二回目、三回目の学生はそれが分かるだろう。

特別活動は、学級ベースで行うことが多い。そこで、特別活動論は学級担任論と重なる部分も多い。学級を開くことと学級での日常について理論と実際をあれこれ講じる。

私の授業は、先ず実際に私がやって見せることが多い。または、学生達を生徒に見立ててあれこれさせることも多い。で、その後、私は何をしていたのかを解説する。例えば、学級開きに行うレクリエーションを学生にさせる。アイスブレイクだ。それをさせた後で、

1)なんで、その種目をやったと思いますか?
2)なんで、その順番でやったと思いますか?
3)このレクの教師にとっての目的は何だと思いますか?

と問うて行く。
勿論、これに正確に答えられる学生はいない。当たり前である。楽しまされている側にいれば、この1)から3)は考えることはない。しかし、教師になればこれを考えないではやれない。ここに気がつかせて行く。

特別活動の講義の中で、教師の立ち位置を気がつかせて行く。そして、特別活動の内容にもう一度立ち返らせる。そんな講義を考えている。

夕方からは娘の幼稚園の盆踊り

8/17

久し振りに娘とプールに行った。
明後日からの集中講義の準備をしていたため、のんびりと入ると言うことはできなかったが、少しだけでも楽しめて良かった良かった。

8/18

夕方まで大学で集中講義の準備。
集中講義は、一日に4コマ。つまり6時間。これを三日やって、残りは3コマということになる。一気に四日間が過ぎて行く。だから、授業の中での微調整が効きにくい。流れ出すとその流れに任せて進めないとうまく行かないということになる。

授業はやりたいことと、できたことに差が生まれるものである。その差をどう修復しながら次の展開に導いて行くかと言う部分にその教師の力量が現れる。通常の授業であれば、それを授業内に修正し、さらに授業のあとに次の授業に向けて修正をしてということが可能なのだが、集中講義は次の授業に向けて修正する時間が10分の休み時間しかない。

だから、ブレがないように事前の準備をいつも以上にしなければならない。実際はこのブレが授業に良い色を付けてくれるのだが、今回はそこを押さえるように計画を立てる必要がある。

印刷なども含めてあれこれ準備準備。

夕方からは娘の幼稚園の盆踊り。
最澄が生まれたとされる生源寺の境内での盆踊りに参加。
暗くなる前に幼稚園児が踊る。

娘は浴衣を着ることができて大喜び。
だが、いざ踊りが始まると娘にしては非常に珍しく物怖じしてしまった。見よう見まねで踊るもんだと思っていたが。

娘の浴衣姿を見られただけで満足としましょう(^^)。

この研修講座で、夏休みの外での仕事はオシマイである

8/16

朝の7時過ぎに家を出て、大阪に向かう。
朝の新快速は空いている。

今日は午前中が小学校の二年目の先生に向けての研修。午後が中高生の二年目の先生と生活指導研の自主研修講座の先生の合同研修。3時間ずつ、6時間。70人ずつ140人。

数年前から依頼されていて、今年も行う。
この研修講座で、夏休みの外での仕事はオシマイである。
よく頑張った。

京都駅で待ち合わせて、あれこれ。
今日は、大文字なので多くの人が街に繰り出している。
見ようかとも思ったのだが、それよりも人が外に出ている間に、あれこれした方が良いと思ってする。

うまく行きました。

花背の松上げ

8/15-2

夜に出かけた。
花背に出かけた。

この日は、花背の松上げが行われる。
白洲正子さんがわざわざ見にやって来たことのある、祭りだ。
関東にいたらまあ、見ることのできない祭りだろう。わざわざ見に行こうと言うことにはならないはずだ。

だが、ここは滋賀県。我が家から45キロで行ける距離だ。
山を越えて花背に向かった。

とんでもない山道を通り抜けて花背に到着。
一時間前には到着したのだが、会場はかなりの人。
かなりの人なのだが、会場はとても見晴らしの良いところだったので、どこからも綺麗に見ることができた。

実に荘厳な祭りだった。
一面に広がる松明。飛び交う松上げ。
お盆に返って来た先祖の魂が飛び交っているかのように見えた。

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関西にいるなら、あれは、一度見に行くことをお薦めする。

翌日に大阪での一日研修講師を控えての夜遊びはどうかなあと思いましたが、これは行って良かった。
お薦めである。


2011/08/17

娘は、満員のプールのプールサイドで大声で泣き始めた

8/13

大学の事務仕事を一つ終え、肩の荷を少し降ろし、寛ぐ午前中。
『何して遊ぶ?』
と聞くと
「お絵描きして、おままごとして、折り紙作って、カプラーして、プール。あ、ご飯も食べる」
と娘。

はい、フルコースですねf(^^;。

食事後最後の一つのプールに行く。
お盆のプールはもう物凄い混雑。
プールの中で体を横にするのも難儀な位。
荷物を置く場所もプールサイドに取れず、少し離れた所になった。

しばらくして泳いでいる近くに席が取れたので、荷物を移動することにした。
『いいか? ここにずっといるんだよ。お父さんは荷物を持ってくるから』
「うん」
と娘に約束をさせて荷物を取りに行った。娘は幼児用プールで遊んでいた。

荷物を取りに行ったとき
「おとうさーん」
と呼びかける娘に応えながら。
急いでもとの場所に戻った所、娘はこっそりと幼児用プールから出て、大人用のプールに入ろうとしていた。浮力のある丸太のような棒を持ってそのまま入ろうとしていた。

(なに!)
と思ったのだが、そのまま見守ることにした。水深1.5mのプールである。一つ間違えれば溺れる。だが、見守ることにした。すると、しっかりと浮かんでいるのだ。そのことを確認して娘を呼びつけた。
『○○!』
「お父さん...」
私の顔色を見た娘は事態を察したようだった。

プールから上がったことを確認してから思い切り叱った。
その場所にいなさいと言う約束をどうして破ったのだ。
死んでしまうぞ。
約束を守れないのなら、もう二度とプールには連れてこない。

娘は、満員のプールのプールサイドで大声で泣き始めた。
関係ない。さらに、叱り続けた。
分かる。
娘は、興味があって自分一人で大人用のプールに入れることを私に自慢したかったのだ。だから、一人で入れた時は、私に自慢するような視線で私を見つめていたのだ。分かるが、それを許すわけにはいかない。

プールサイドのベンチに体を横たえさせ、バスタオルをかけて体を休ませた。そして、反省をさせた。
『分かったか?』
「うん」
『本当に危ないんだぞ』
「うん」
『きちんと約束は守るな?』
「うん」
『じゃあ、お父さんと大人用のプールに行ってみよう』
「うん」

同じことをもう一度私の見ている前でやらせてみた。すると今度は風が吹いていて浮力のある丸太は風に流されてしまう。それを取ろうとすると取れないで、私に取ってほしいとリクエストをする娘であった。
『ほら、取れないでしょ。これを取ろうとすると、この大人用のプールにどぼんとしてしまうんだよ。息が出来なくなるんだよ』
しつこくしつこく話した。

子どもは危険なものには近づかない。近づくのは、危険ではないと判断したからである。ただ、その判断が間違っているとき、悲劇が訪れるのだと思う。

成長と言うのはこの危険の克服の繰り返しの歴史とも言えると思う。
子育てとは、これを一つずつ乗り越えさせて行くことなんだなあと思うのである。

バーチャル居間の完成

8/12

朝から、大学の事務仕事をガシガシと進める。丁寧にガシガシと進める。そのまま進めれば午前中で終わる所だったのだが、今日は娘の子供会の行事がある。目の前の琵琶湖でカヌー体験が出来ると言うのだ。

東京の家は多摩川のすぐ傍にあった。今は琵琶湖のすぐ傍。どちらも電線のない広い空があって、花火もあってお気に入り。だが、圧倒的に違うなと思うのは、琵琶湖は遊ぶ場所ということ。もう少し言えばリゾートということだ。観覧船、プレジャーボート、ヨット、バス釣りの舟。もう数えきれないほどだ。滋賀は豊かだなあと思う。

ところが、目の前が琵琶湖の割には実は我が家はなかなか舟では遊べていない。子供会のこの企画は大喜びだ。自宅から自転車で5分のところの浜にタープが張られてカヌーが10艘ほど並べられていた。私はそれなりに経験があるので、準備体操だけして乗り込む。

娘を私の前に乗せ、私が漕ぐことになる。
一人の利用のカヌーなので娘には座布団を与えて前に座らせる。
『前に乗るんだよ』
と言った所、私の方を向いて座って乗ってしまったのであったf(^^;。
「かわいい!」
と女性陣に一斉に言われたが、実に可愛かった。

カヌーは風が強いとちょっと難儀だが、それがなければ実に安定した乗り物である。この日は微風。波は立っていないのでベストコンディション。パドルで湖面の表面を撫でるように漕ぐ。出ているスピードは10kmもないのだろうが、湖面がすぐ近くなので体感スピードはかなりなる。あっという間に我が家の前まで漕ぎ着いてしまった。

通常、琵琶湖側から我が家を眺めることはない。とても贅沢な気分。
「もっと漕いで」
「誰が一番かな?」
「風が気持ち良い」
と娘。
そうですか、はい、一番になれということですね。どうやってこの婉曲表現を身につけるのだろうか。不思議だ。

浜では西瓜割り。
これがないと日本の夏ではありませんな。タップリと西瓜を頂きました。

夕方に弟家族がやってくることになった。関東から岡山へ旅行に来ていて途中で立ち寄ると言うのだ。当初の予定では一気に帰るので立ち寄れないとのことだったのだが、それは無謀と言うことが分かり琵琶湖近辺に泊まるので夕ご飯を一緒にということになった。

娘も久し振りに会う従兄弟が楽しみ。
私が甥っ子を呼び捨てにするので、娘まで呼び捨てにしてしまうのがちょっとまずい。

お気に入りの湖岸のビアレストランに連れて行こうと思って電話をしたら、にわか雨でテラス席は使えないとのこと。家から見る分には降っているようには思えないのだが、仕方がない。

そこで別の湖岸の店に予約を入れる。
到着すると、かすかに降っていたがまあ許容範囲なので外のテラス席で楽しむことにする。暑くもなく虫もいなくて良い感じだった。

弟が持って来たiPad2でFaceTimeを使う。東京の実家に繋げる。
家にいる両親がそれに応える。
ということで、東京の両親と琵琶湖の息子達家族とでバーチャル居間の完成である。なんて凄いことだ。簡単に凄いことができる。

家でお茶して、弟家族を見送ってから、また大学の事務仕事。
でも、やっと終わりました。一つはf(^^;。

そして、人生は続く。

幼児用プール

8/11

昨晩の内に一気に帰って来て良かった。ここだけの講座であれば、一泊位して諏訪を楽しんで帰ってくるのだが、流石にこれだけ長く家を空けていると、帰るのを優先したくなる。久し振りに見る琵琶湖の朝の景色に心を洗う。

朝ご飯のあと、午前中はしばらく寛ぐ。
体の疲れをハンモックで溶かす。
こんなに長くハンモックに乗らなかったのは本当に久し振りだなあと思う。

昼過ぎから大学の事務仕事に取りかかる。うりゃりゃああああと終わらせたいのだが、特に丁寧に慎重にやらねばならないものなのでそうも行かず、じっくりと行う。私には向いていないなあと思う仕事。ま、仕事と言うのは向き不向きでやる部分と、向き不向きには関係なくやらなければならない部分があるのでやるしかない。

午後からはこれまた久し振りに、娘とプール。
これだけプールに行っていれば、少しはダイエットになると思いたいのだが、実際のところプールに行って泳ぐのは娘だけ。私はずっと見守るだけ。幼児用プールに浸って水風呂を楽しむようなもんだ。

幼児用プールは、憧れたねえ。
子どもを授からない時は、あのエリアだけアンタッチャブルで。別に子供用の滑り台に乗りたいとか、子どもの声の中に居たいとかではなく、あの浅いプールに体を横たえて、プールから空を眺めたかったんだよね。あ、アンタッチャブルではなくてサンクチュアリだったのか。

浮かぶのではなくて、プールに腰を下ろして空を見上げたかったんだな。でも、良いおじさんが一人でそんなことをしていたら、間違いなく不審者で通報されるからね、今の日本なら。そこで我慢をしていた訳だ。それが楽しめるだけでも娘に感謝だね。

体の疲れも溶かしてくれるプールでした。

2011/08/15

を、これが世の中の規準なのね

8/15

水棲生物の私は、プールと風呂に入り続けるのがこの夏の正しい過ごし方である。奥さんは水より山なのでこのあたりの趣味は合わないのだが、娘はどうやら水棲生物である。

夏休み、時間があるとプールと風呂に一緒に入っている。最近の水着は洋服を着るような水着だが、娘は通常のワンピースの水着。少しずつ焼いているので皮が剥けることもなく綺麗な色。

三歳までに人間の汗腺の数は決まるということを嘗て読んだことがある。三歳までを快適に過ごしてしまうと、人間の体はその快適さを規準にして体の機能を作って行くと言うのだ。

だから、三歳までの夏を涼しいクーラーの効いた部屋で育てていたら、子どもの体は
(を、これが世の中の規準なのね。んじゃあ、まあ、この位の汗腺でいいのね)
と判断して、汗腺の数を少なくしてしまうというのだ。

これが何を引き起こすかと言うと、体温調節の出来ない体の子どもを作ってしまうと言うのである。暑いとき、汗を流して体温を調節する。これが人間がアウストラロピテクスからずっと受け継いでいる方法。この機能をきちんと使えるようにすることが大事。基本スペックを磨き上げることが大事だと考えている。

だから、この三年間はなるべくクーラーを付けずに汗をかかせるようにして過ごさせて来た。娘が生きて行く地球は温暖化の方向に向かっている。日本の電力事情は不透明になってきている。

「暑いわねえ」
と言いながら汗がきちんと流れる体を娘にプレゼントしたいと思って、今日も扇風機で(なるべく)過ごす。そんな終戦記念日。

2011/08/14

8/9から8/10までの記録です。 東京ツアー3

8/9

琵琶湖花火大会の翌日の今日は、9時に家を出て、再び東京に向かう。今日は大田区の初任者研修講座の講師だ。この日は午後から120人を相手に3時間講座。行きの新幹線は、寝て行こうと思っていたのだが、翌日の講演の準備が終わっていないので、新幹線の中で仕事をしながら移動となった。

大田区の初任者研修は、小中の先生が対象。
正直に言えば、私が初任者研修を受けた時は、面白くなかった。まだ試行期間ということで行う側も何をしていいのかがよく分かっていなかったのかもしれない。退職間際の校長先生の思い出話などを聞かされることが多かった。

私は初任者の代表をしていたので、こういう初任者研修はやめてほしいと教育委員会の指導主事に申し出ていた。
『私たちが知りたいのは、今自分たちに足りないと感じていることです。例えば遠足の作り方などは全く知りません。そういう研修をしてください』
と。

願いは叶うことはなかった。そう簡単に組織は動かない。
しかし、この願いは新卒にはあり続ける願いだと思う。ま、そんなことから大学で学級担任論を開講したり、特別活動論で遠足の実踏計画書を書かせる授業を行っているのである。私もしつこいのである。

「学校で習ったことなんて、全く意味がなかった」
「大学で習ったことなんて、社会で役に立たない」
「教育委員会の主催の研修なんて意味がない」
「民間教育団体なのに、面白くないなあ」

私が関わる以上、そんな思いはさせないぞと思いながら中学校、大学の授業、教育委員会の研修、研究会であれこれしているつもりだ。
研修終了後に、120人の先生方に拍手を貰う。
やはり、こういう拍手は嬉しい。

3時間の研修を終えて、おいしい食事をして、ホテルへ。宿泊者にはスーパー銭湯が楽しめるホテルで、ゆったりと汗を流す。

さ、明日は前半最後のお仕事だ。

8/10

大井町のホテルを後にして、長野県は下諏訪に向かう。
(ま、大丈夫だろう)
と思って予約はしていなかったのだが、大井町のみどりの窓口で聞いてびっくり。長野に向かうあずさ号の指定席は満席だと言うのだ。流石に夏休みである。

ただ、講演の仕上げをこのあずさ号の中でしようと思っていた私には死活問題。新宿駅に向かう山手線を一本前に乗るようにして、慌てて新宿駅に向かう。

新宿駅ではもう既に自由席の席を待つ為の列が結構長くなっている。
(う、まずいかも)
並んだ所に、あずさ号が入線。
(さ、どうなるか?)
と思ったが、なんとか窓際の席を確保することができた。よし、準備ができる。

動き出してからMacBook Airを取り出すも、しばらく車窓を眺める。東京を離れて6年目。中央線の車窓から見える景色も随分と変わった。国立駅も高架の駅になったし、立川、八王子の駅周辺も随分と変わったなあと思いながら。6年と言えば、小学校に入学した子どもが6年生になる年月だからなあ。

八王子でまたまた乗車。自由席は通路まで人。明らかに湖西線のラッシュアワーよりも混んでいるf(^^;。この辺りから真剣に準備を始める。2時間の乗車だ。最後の最後までこんなことをしているのもなんだが、このスケジュールでは仕方がない。ここまで倒れないようにやってくるためにはこの時間を活用するしかなかったんだなあ。座れなかったことのことを考えると恐ろしいが。

甲府あたりから車窓の緑が濃くなる。中央高速道路から見ていた景色とはちょっと違うようにも思える。日本の暑い夏の緑が目に心地よい。

下諏訪駅まで迎えに来てもらい、本日の講演と講座の会場に向かう。長野県の民間教育研究大会である。長野県の民間教育研究会の年に一回の総会で今年は、53回目になると言う。53回も続いているのが凄い。そこに私が招かれていいのだろうかと思いながら、呼んでくださるならと思って伺った。本来ならば、この時期は授業づくりネットワークなのだが、先に声をかけてくださったのが長野の方なので、こちらに行くことにした。

会場は諏訪湖を臨むホテル。諏訪湖は東京にいた時にドライブで出かけたところだ。懐かしさを感じた。

今回の私の講演のタイトルは、「困難な今を乗り切る教師の仕事術」ということ。うーむ、なんでこんなタイトルの講演を引き受けてしまったのかと思うのだ。それは私が知りたいf(^^;。数日前に行った野中信行先生の「仕事術チェックリスト」http://nonobu.way-nifty.com/blog/2011/08/post-ab16.htmlでは、30点にいくかどうかの私であったのだからf(^^;。

それでも2時間、タップリと話す。参加者は100名近く。それもほとんどが私よりベテランの方ばかり。やや恐縮したが何が困難なのか、それはどう解決すべきなのかについて語った。担当の方からは「2時間でこんなにあれこれ教えてもらった講演は初めてです」と言われてしまった。

その後、ワークショップを一つ。ディベートのワークショップをと言われたのだが、2時間だとかなり大変なので、言葉遊び系のワークショップを行った。4時間立ちっぱなしというのは、長期ツアーの最後にはやや体にこたえた。阪神タイガースの気持ちがわかった。

講座修了後、一泊する予定だったのを変更してもらって帰宅することにした。乗り換えを調べてみると、22:00台に帰れることが判明。
翌日の仕事や娘(3)の顔を思うと、これは一泊するよりは帰宅した方が良いと判断したのだ。電車が出るまであと70分位あったので、ホテルの温泉に浸からせてもらう。

露天風呂で手足を延ばし、疲れをほぐす。
諏訪湖の上に昇って来た月を眺めて、琵琶湖の月を思い浮かべたりしながら。

車内での弁当購入は厳しいんじゃないかと思い、コンビニで弁当とビールを購入して列車に乗り込む。塩尻まで20分。名古屋まで2時間。名古屋から40分で京都。京都からさらに自宅まで電車という列車の旅だ。ビールを飲んで弁当を食べたら、あっという間に寝ていた。そりゃあ、そうだ。

家に帰った。娘の寝顔を見た。
長い長いツアーだったなあと思った。
今日だけで電車に乗っている時間だけで5時間と少し、講演と講座で4時間。
こういう仕事の仕方は、もうやめなければなあとも思ったf(^^;。

無事終えられて感謝。出会った皆さんに感謝であった。

新型MacBook Airにした アップルワークスの再生

8/13

新型MacBook Airにした。OSはLionである。SSDを大きくして11インチはそのまま。この小ささは実に心地よい。感覚としてはあの名機NECのモバイルギアと変わらない。

Macの場合、今まで使っていたマシーンから新しいマシーンに乗り換えるのが実に簡単である。本当にびっくりする位簡単である。

1)新しいMacを立ち上げる。
2)今ままで使っていたコンピュータからデータ、設定を使うか?と聞いてくるので、それを使うとする。
3)そのまま1時間位待つ。
4)AppleIDのパスワードを入れる。

以上である。今回はOSがメジャーアップグレードしたのでどうなるかと思ったが、実に何事もなかった。娘とプールに遊びに行っている間に終わった。これでデータ、アプリケーションの移動、メールなどの各種設定が終わっているのだ。

ところが、今回一つだけ問題が発生していた。
それは私のメインアプリの一つ「アップルワークス Apple Works」がサポートされていないということなのである。これは非常に困った。今までの私の実践記録や教材作成はこれで行っているので、これが開けないと、私がやってきたことがすべて使えなくなってしまうのだ。

あれこれするのだが、開けない。後継アプリケーションのiWorksにあるPagesで開こうとしてもダメ。ネットで調べてみても載っていない。寧ろOS Lionをダウングレードして使うしかないというような記事ばかり見つけてしまった。

(ああ、もうだめか。なんか私の半生を否定されているようだなあ)

と思ってしまった。Macにこういう感情を持ったのは初めてである。悲しいなあと思いつつ、ふと思った。(塩澤さんだ)。Mac使いの塩澤さん@shiology ならと思ってDM してみた。殆ど神頼み状態で。

そしたら、見事に解決したのである。それも実に簡単に。この情報は共有せねばならない情報だと思い皆さんにご紹介する次第です。頂いた情報をそのまま載せます。

引用開始 ーーーーーーーーーー


Pagesはインストールしてありますか?
体験版ではなく正規版です。

そのあと下記のようにしてください。
・AppleWorksの書類(どれでもよい)をクリック(シングルクリック)して選択。
・ファイルメニューから「情報を見る」します(command + I でもOK)。
・「このアプリケーションで開く」のプルダウンメニューから、pages.appを選択
・すぐ下に「すべてを変更」ボタンがあるので、クリックする

以上です。
お試しください。



引用終了 ーーーーーーーーーー

これだけです。今朝、祈るような気持ちでやってみました。実に簡単に開きました。開いた後、Pages書類で保存でオッケーです。いやあ、本当に凄い。塩澤さん、ありがとうございました。

ということで、快適に新MacBook Airを使い始めた池田でした。

2011/08/13

8/6から8/8までの記録です 東京ツアー2

写真の設定は後ほどにして、文章だけ。

8/6

ディベート甲子園初日。
ああ、今年もこの時が来たんだなあと思う。もう16回目だ。

今年は、近畿から京都橘大学付属中学校が中学校二年生チームで全国大会初出場を決めた。実に嬉しい。嬉しいが、ジャッジとしては応援に行けない。基本的に自分の地区の学校の対戦はジャッジをしないことになっているので、問題はないのだが、それでもジャッジがチームの所にいるのは、他の学校から見たらいい気はしないだろう。

開会式の前に一言、
『応援しているよ。強豪高相手にどーんと戦って、ちゃっかり勝ってしまってください』
とだけ伝えた。

16回ともなると、中だるみがあるようにも思うがそうではない。
ディベート甲子園のOBOGたちが大会運営のスタッフになり中枢になりと、とても頼もしく運営してくれている。今回は、オープニングムービー、ツイッターでの速報、U-stでの決勝実況、クロージングムービーなどの工夫もされていた。若者が育って行く傍にいられるのは、実に嬉しい。

夜は、懇親会。
自分でも驚くが、若者の方には参加せずに、ディベート甲子園草創期のメンバー達と飲む。あれこれ懐かしい顔に会って、あの当時の思いを思い出せるのは嬉しい。あの当時、今と同じく教育業界には閉塞感があった。その時、ディベート甲子園を立ち上げようと動き出した時、明治維新を身近に感じることができた。

(日本の教育は変わるかもしれない。いや、変えて行こう)

と。
日本の教育全体は変わることはなかったかもしれない。しかし、確実に一部は変わったと言えるだろう。それは、ディベート甲子園OBOGの姿が証明してくれている。幸せだ。全国の指導者達とこうして杯を交わせる。幸せだ。

8/7

ディベート甲子園二日目。
一日に四試合するチームが出てくる。山場である。
リーグ戦を終えて、トーナメント戦に入ると、一試合の重みがぐっと増す。
この試合で、半年間の準備の集大成になってしまうチームが多く出てくる。殆どの学校が、トーナメント表から姿を消す。

生徒達はなぜディベートに挑むのか。
先生に声をかけられたから、興味があったから、先輩の姿に憧れたから。
いろいろあるだろう。
だが、そのゴールは共通している。勝ちたいということだ。ジャッジを説得して勝ちたいということだ。それは当然である。勝敗のあるゲームであれば、それは頂点を目指すのが当然である。

だが、私たち主催者は違う。全国教室ディベート連盟の目的は、「この法人は、小学校・中学校・高等学校等の児童・生徒及び教員等を対象に教室ディベートの研究会・研修講座・ディベート大会等の事業を行い、ディベートの発想と技術を学校や社会に普及させることをもって、健全な市民社会を構築することを目的とする。」にある。

そして、ディベート甲子園については、参加する彼ら彼女らがこの大会を通して人間的な成長を遂げてくれることを願って行っている。知的にも、体力的にも、精神的にも成長を遂げてほしいと願って行っている。

敗退するチームが、この大会に参加できて良かったと地区予選でも思えるディベート甲子園。そんな大会を目指してジャッジしている。

この夜も、懇親会。
ジャッジはしていなかった昔の仲間がこの懇親会の為だけに駆けつけて来た。出会った頃から確実に16年年を取っている。あの頃とんがっていたメンバーは、やっぱりみんなとんがっていて、16年経ってもあまり変わらない。ただ、私のように仕事が変わった人もいれば、学校でのポジションが変わった人もいる。それぞれの場所で一歩前に出ようとして格闘している。

新しく参加した顧問の先生は
「会話の展開が恐ろしく早いです」
とおっしゃっていた。
そうなんだなあ、このスピード感というかグルーブ感というか。ディベートの仲間達の飲み会はここが心地よい。そして、人を傷つける話は出てくることがなく、くだらない笑いと、明るい未来への展望の話がほとんど。

来年の飲み会を楽しみに散開。

(そうか。今日はひと月遅れの七夕か。こういう七夕もいいなあ)

近くにホテルを押さえておいて良かったと思いつつ、撃沈。

8/8

ディベート甲子園最終日。

近畿の学校が準決勝に残っている。同じ地区の学校のジャッジはしないので、見に行くことにする。地区大会から頑張っている姿を見ているので、ここまで勝ち上がって来た姿を見るのは、やはり嬉しい。膳所高校。近畿大会を三位で通過し、ここまでやってきた。

結果は北嶺高校に負けてしまった。
だが、それはそれはいい戦いであった。
ご苦労さん、そして指導の先生ありがとうございました。

私は中学校の決勝戦のジャッジをすることになった。
光栄だ。今シーズン、半年間準備を重ね、勝ち上がって来たチームたちの最後の一試合である。凛とする。

まだ中高生のディベートを見たことのない人がいたら、是非一度会場に足を運んでいただきたいと思う。ここには二十年後の世界をしっかりと支えて行く若者がいる。応援していただきたい。

高校の決勝戦を見ることなく、私は会場を後にした。
この日の夜に行われる、琵琶湖花火大会を楽しむ為に、六日ぶりに一時的に帰宅するのだ。

新幹線に飛び乗る。
本来なら、見ることの出来ない高校決勝であったが、なんとu-stをしてくれるというのである。なんという贅沢。時速250キロで移動する新幹線の車中で、高校のファイナルを見る。そして、その判定までを楽しむことができた。はああ、なんて幸せな時代なのだ。ありがとうございます。


京都駅は、琵琶湖花火大会2時間前であったが大混雑であった。大津市市民は15万人。そこに花火見学のために15万人やってくるというのだから混雑もするはずだ。

京都駅で旅をしている途中のUさんと待ち合わせ。花火大会にご招待した。ディベートの仲間の一人だ。京都駅伊勢丹で食材を大量に購入して、自宅に向かう。

池田ゼミの四回生と玄関で落ち合う。
打ち上げ1時間前だ。花火大会は始まってしまうと、食事をしている暇どころかビールを飲んでいる暇もなくなる。慌てて食べる食べる。

1時間の花火。
この1時間のために一年を生きているのかなあと思うこともある。

学生達を見送り、Uさんとあれこれ話して寝る。
さ、明日はまた東京だ。

8/2から8/5までの記録です 東京ツアー

8/10

またブログが途絶えていた。
実際忙しかったんだよねえ。
去年の今頃は、
「来年はこんな生活はもうしない。ゆったりと夏を過ごす」
と誓っていた筈なのに、今年は去年よりも忙しかった。
ふう。
来年こそはと思うf(^^;。

8/2から8/5までの記録です。

8/2

午前中に家を出る。
午後から渋谷で打ち合わせ。昔から知ってはいるが会ったことのなかった有名な実践家の先生と研究者の先生とお会いする。とてもフレンドリー。そして、私のことをよく知ってくださっている。力のある人と言うのは、みんなこんな風にオープンマインドなんだよなあと思う。

この打ち合わせはいつも伸びるので、夕食まで一緒かと思っていたが、意外と早く終わる。夕ご飯をその辺のラーメン屋さんで済まそうかと思ったが、せっかくなので「誰か渋谷近辺にいませんか?」と無線のコールのようなツイートをしてみると、応答あり。お会いしたことはないがこれまた実力派の国語科の実践家が近くにいてご飯につき合ってくれると言う。

渋谷近辺で2時間ほど話をしながら食事。
実にありがたいことだ。
日本中どこに行ってもこうして一緒に食事をしてくれる仲間がいる。

8/3

ホテルにこもって仕事をする。
でもって、MacBookAirの調子を整える為に、AppleStoreに向かう。システムの入れ替えを勧められる。バックアップは完璧なのですぐにやれるのだが、システムのは言っているUSBは家なので、帰ってからすることに。

またiPhone4の調子も見てもらう。
原因がすぐに分かるのは、実に便利である。

その後、今日から6泊お願いするホテルにチェックイン。4時からなのだが、2時間も早くチェックインすることができた。そのお陰でホテルで仕事をすることができた。実に助かる。

夕方、実家に向かう。
実は先週母親が救急車で運ばれていたのだ。その後、問題なく帰れたのだが、こういうときは顔を出しておくべきだろうと思って、荷物をホテルに置いたまま実家に向かい、結局泊まることにした。

父親にあげたiPad2の設定を確認して、FaceTimeも無事に使えるようにすることができた。パスワードの大文字と小文字の違いの設定違いであった。もう大丈夫。

8/4

水道橋のホテルに戻り、三田中学校に向かう。IMETSの講座で講師を務める為だ。一昨年位から講師を頼まれているのだが、今年は「国語科ではない学級担任が行う行事作文の指導」ということで講座を持つ。

中学校では、行事の後の作文は担任が「書かせる」。しかし、国語科の教員でない場合、これは実に難しい。殆どの場合が
「書け」
という一言の命令でオシマイにしている。
これはおかしい。そして、これでは子どもたちは書けない。
そのおかしさを分かっていても、どう指導していいのか分からないのが実際である。そこで、この講座となったのである。

国語科以外の先生を対象にした講座であったが、実際は国語科教育法などで扱っている内容であり、国語科の先生にも理解してもらいたい内容ではある。

そこで驚いた人に会った。最初の学校で二年後から採用された元同僚だ。人は変わらないものだなあと思ったのでありました。

夜は、懇親会。
第一陣で会場に到着。そのお陰で大先生の前に座ることになってしまった。水越先生(大阪大学名誉教授)である。本の中でしか会えないと思っていた先生と30分ぐらいあれこれお話を伺うことができた。ひえーである。他にもビックネームの先生ばかり。

(なんで私がここにいるんだろう?)

と思いながらも

(ま、いっか)

と会話に加わり続ける。ご縁はありがたく大事にすることにした。

8/5

この日も講座。昨日と同じ内容。
お昼からの講座だったので、午前中はホテルで仕事。ホテルなんて寝る場所だと思っていたが、こうして移動生活が続くと空いている時間はホテルで仕事になるのだなと思う。

講座修了後、水越先生の全体講座を伺う。
会場は満席。港区と大田区の教員研修も兼ねているのでかなりの人数である。こういう研修もあるんだなあと思う。

昼ご飯を食べ損ねていたので、三田製麺というつけ麺屋さんで食べてからホテルに戻る。なかなかの美味。聖蹟桜ヶ丘にあった名店「きがら」に似ているかもしれない。

お腹いっぱいになったままホテルに戻って、更に仕事。
夕ご飯どうしようかと思って呟いた所、藤川さん(千葉大学)から電話。
なんと、近くで飲んでいると言う。それも昔からの仲間も一緒。
これはうれしい、慌てて出かける。「授業づくりネットワーク」の最初のころからの仲間がいて楽しく食事をすることができた。

(今日は明らかにカロリーオーバーだなあ)

と思いながら、

(幸せもいっぱいだからいいか)

と寝る。

2011/08/04

気がついたら一週間も。ブログの更新が滞っていた。

8/2

ひゃあ、気がついたら一週間も。ブログの更新が滞っていた。いやあ、忙しいのですよ。今も、東京に向かう新幹線の中。こんなに新幹線に乗る人生になるとは思わなかったが、この夏も随分お世話になります。

メモ程度に何をしていたか、この一週間を振り返ります。

7/27

一回生ゼミの最後の日。一回生ゼミは、大学での学び方を学ばせることと、このクラスを大学でのホームにすること。この二つを目標にして指導している。今年もいいクラスに育った。

夕方は、このクラスのパーティ。ゼミの課題で夕食会の企画を立てるというものがある。この企画の実行の部である。私を楽しませることも目標の一つに入れてある。

毎年必ず出している課題は、群舞である。群舞と言っても、自分で創作する訳ではなく、踊れると子どもたちに自慢できそうな物を私が指示してやらせている。今までに「ぱわわっぷ体操」「なんかいーっす」とやってきた。今年は「アルゴリズム行進」であった。工夫がされており、ピタゴラスイッチのテーマをアルトとソプラノのリコーダーで演奏してから行進すると言うなかなかのもの。

クラス全員が写っているマグカップを記念に貰った。すごいねえ。

7/28

前期の授業最終日。3、4回生ゼミと2回生ゼミの日。前者は、論文の書き方指導。後者は句会をした。

言語力の向上、言語活動の充実ということが新学習指導要領で強調されている。http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/gengo/1300857.htm 私も研修会の講師を依頼されるとき、生活指導関係でないときは、こればかりである。

私の主張はシンプルである。

国語科を実技教科にする。
言語活動は、言葉遊びを大切にする。
学習ゲームを大胆に取り入れる。

である。
日本には、万葉集の短歌から正岡子規の俳句に続く文芸があり、そこには歌合わせ、連歌、連句、句会という座の文学がある。(さらに、小倉百人一首のカルタ取りもある)この座の文学は、言葉遊びと考えてもいいのではないかと思うのだ。

学校は、集団で継続して学ぶことが出来る。まさに、座の文学、言葉遊びにもってこいなのだ。俳句らしきものを作ってオシマイというのが学生達の小中高の経験。せめて、句会ぐらいは体験させる学校教育であってほしい。二回生は初めての句会体験であったが、大興奮であった。

その後、夜は3、4回生の打ち上げ。シャベリカを使って楽しく遊ぶ。二次会は終電まで。事故があったようで湖西線の乗り継ぎがうまく行かず、30分も待つ。ま、仕方がない。いい一日だったから許す。

7/29

一週間ぶりに体を休める。
午後は娘(3)とこれまた一週間ぶりにプールに行く。
「お父さん、大好き!」
と腕を掴んでくる娘。

プールサイドで本を読みながら娘が遊んでいるのを眺めるというのには、まだなっていない。
「なんで一緒にプールに入らないの?」
と少し本を広げようものなら、急かされる。

"この夏も、やがてあの夏になる。"

昔あったコピーを思い出す。
この夏は、この夏として大切にしたい。

7/30

明日の教室。野中信行先生。
前日までN市の教育委員会でご指導されていたのに、お元気な先生。私のゼミの卒業生も顔を出していて、久し振りの笑顔に安心。

4月の金の時間を使って学級づくりをする。これがうまく行かないと6月あたりからクラスがおかしくなる。これを立て直すには、夏休み明けの銀の時間を使うしかない。そのためには、何をどうしたらいいのかについての講座であった。

教育の世界では「春を待つ教師」という言い方がある。クラスがうまく行かなくなってしまい、早く新しいクラスにならないかなあと思っている教師を皮肉っていう言い方だ。教師も子どもも人間である。だから、合うとか合わないということもある。それはある。

しかし、クラスがうまく行かない時に、クラスを立て直すことができるのは、そのきっかけを作れるのは教師だけである。教師がその気にならなければ、上手くはいかない。

ではあるが、どうやったらいいのかは、なかなか上手く説明できるものではない。私も殆ど読んだ記憶はない。その大きな課題について野中先生は、提案をされていた。すごい。

懇親会は浜大津までみんなでタクシーで移動。
琵琶湖の湖畔で滋賀B級グルメ大会があるのだ。そして、その後に花火があがると言う情報をつかんでいたので、折角なので行くことに。去年も行って、人は少ないし、おいしい料理が安いし、ジャズの演奏はあるしでとても良かったので、自信を持ってみなさんをお誘いしたのであった。

ところが、今年は物凄い人。
慌てて琵琶湖の見える中華料理屋さんに場所を移して懇親会。このレベルの花火でこんな人ということは、8/8はとんでもないんだろうなあと思う。

そこに、娘もやってきて一緒に花火を見ることに。
たまや~の一日であった。

7/31

仕事をしに大学へ。
今日は誰にも会わないだろうからと、かなりラフな格好で出かけたのだが、キャンパス見学会であった。
大学関係者ではないような顔をしながら研究室に。

集中して仕事の一日であった。

8/1

仕事をしに大学へ。
終わらない仕事。
ただ、始めなければ、続けなければ終わらない。
続ける。

夕方、琵琶湖の北に向かう。
三回生たちが行っている「立志式」に参加する為だ。実習まで一ヶ月、採用試験まで一年のこの時期に、これまでの学生生活を振り返り、さらに未来を見据えて決意をする会である。

学生達が自主的に企画、運営し私たち教員は、自由参加で招待される。私はこういうのは大事だと考えているので、出来る限り参加してきた。今年で三回目の参加。本体は昼からやっているが、私は仕事があったので、夕ご飯の後ぐらいから参加。

夕ご飯を食べて、軽く寝て、その後、懇親会に参加。
教育のことをあれこれ学生と語り合う。
こういう時間がとても大事だと思う。
もっとこういう機会をとっていきたいが、時間がなかなか取れない。
だけど、これからもと思う。

8/2

朝ご飯を食べずに、家に向かう。
これからしばらく娘(3)に会えなくなるので、幼稚園のお見送りをするために、帰る。

ああ、間に合った。
いい子にしているんだよ。

さ、東京に向かうぞ。

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