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2011/09/30

Mailの動作が遅い、FaceTimeが起動しない。解決しました。まさに、問題解決学習でした。

MacBook AirのLionにしてからちょっとトラブルが続いていた。簡単に言うと、

1)Mailの動作が遅い
2)FaceTimeが起動しない
3)バッテリーがもの凄く熱くなってしまう

ということである。
だから使えると言えば使えるのであるが、快適に使えるということではなかった。アクティビティモニタを開いてみると、よく分けのわからないものがメモリーを相当使っていて、素人目に見ても明らかにおかしい状態。

家を離れて娘の顔を見るには旅先のホテルからFaceTimeでというのが実に快適な訳で、これが新しいLionMacBook Airにしてからできなくなるというのは、なんのための新型機種なのかという思いになっていたのでありました。

で、ここはもう徹底的に直そうと思いこの二ヶ月間ぐらいあれこれしていたわけです。
で、なんとか直ったと思えるので、記録として残しておくことにします。

1)は、MailとThunderbirdのアプリがなかなか立ち上がらず、レインボーマークが出る。Mailはなんとか立ち上がるのだが、Thunderbirdは駄目という症状でした。2)は、起動するとレインボーマークが出たまま応答なし。3)は膝の上におけないぐらい。

渋谷のアップルストアで見てもらったら、どうもシステムに障害があるというメッセージが出ているとのこと。システムの入れ替えをしなければならないのかとがっかり。

その後、マックに詳しい人に見てもらったら初期設定を全部クリアしても修復しないが、アカウントをもう一つ作ると動くことが判明。ということは、システムに問題があるわけではないということにたどり着いた。じゃあ、何が原因なんだ?

Mail、Thunderbird、FaceTime。このアプリケーションに障害が出る。このアプリケーションに共通していることは何か?じっくり考えてみた。わかった。それはアドレスブックだ。

これらのアプリは、一度アドレスブックにある私のデータを読みにいっているはずである。だから、ここが壊れているのではないかと仮説を立てたのだ。実際、アドレスブックをMacBook AirLionで開いてみようとしても開くことができない。そこで、研究室のiMacで開いてみることにした。こちらはメモリーを8GB搭載しているのでいけるだろうと判断。開けた。

すると、名前なしのデータが20万件近く入っていた。
なんだこりゃ。ここが問題に違いない。

アドレスブックはMobileMeで管理されている。そこでMobileMeのサポートに連絡する。すると、メールで一日に一通ごとに指示をくれる。これを少しずつ実施する。20万件のアドレスブックにある名前なしを削除することが第一。だけど、これが一苦労。設定しようとするとすぐにレインボーマークが出てくる。だけど、重複するファイルを選んで、削除。このまま一週間の旅に出たのが、九月の半ば。その後、おそるおそる研究室に戻ると、削除されていた。オッケー。

それから、MobileMeのデータの再設定を行う。
まず、iMacにあるMobileMeで管理しているデータをすべてバックアップする。その後、iMacにある最新データをMobileMeに乗っける。そして、そのデータをMobileMeを使って、MacBook Air Lionに降らせていこうという作戦なのだ。

MobileMeがなんだかわからない方の為に少し行っておけば、Macのクラウドコンピューティングシステムのことなのである。メールの設定、住所、パソコンのパスワード、カレンダーの日付など、いわゆるパソコンの設定の面倒くさい部分をすべてネットにある私の金庫に預けるという感じである。

このことによって、私が持っているMacすべてが同じ環境になるのだ。これを活用した。

ところが、さらにこれがうまく行かない。研究室のiMacはこの方法によってきれいになり、Mailも非常に軽くなり、Thunderbirdも立ち上がるようになったのに、MacBook Airは駄目。メモリの問題かさらには違う問題かがあるのか。また考えることになったのだ。

いくつかのアップルストアのジーニアスバーで相談したりもしたのだが、答えはバラバラ。ここで最終的に解決に導いてくれたのがアップルケアの電話相談であった。症状を話していくうちに、「初期設定を全部クリアしても修復しないが、アカウントをもう一つ作ると動く」ということを説明したら、「アドレスブックが関係していることはその通りだと思いますが、そこを解決しても無理だと判断できます」とのことだった。

アカウントごとにあれこれ簡単には触ることのできない設定がされていて、そこが壊れている可能性が高いとのことだったのだ。うーむ。そうか。それならば仕方がない。

結局、新しいアカウントを設定することにした。危惧したのは

1)データの移行
2)メールなどの各種設定

これがどの程度面倒くさいのかということであった。
結論から言うと、なんとも簡単であった。

1)データは、MacBook Airの中のユーザーの共有フォルダに一度移して、その後新しいアカウントで開いたときに、そのデータを新しいアカウントのフォルダに移す。これで問題なし。SSDの中の移動なので、早い。20分ぐらい。

2)これは、MobileMeで設定を降らせるだけ。ユーザー辞書登録で環境を開いて新しく設定する必要はあったが、問題なくできた。半日ぐらいかな。

これで、Mail,Thunderbird,FaceTimeと起動してみるが、何事も問題なくさくさく動き出す。ああ、うれしい。

現在、新しい環境設定でMacのまるごとバックアップのタイムマシーンを使ってバックアップをとっているところ。これが完了したら、MacBook Air Lionに入っている今までのアカウントのところに入っているデータを削除するつもり。そうしたら、SSDの容量も増えて、さらに快適になるはず。

8/1にMacBook Air Lionを購入してからもう二ヶ月か。
やっと正常に動き出すことになりました。

仮説を立て、一つ一つ原因と思われるところを調整して、たどり着きました。ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました。

ふうううううううううううううっ!

思い出せない歌

9/30

思い出せない歌。
この数年時々思い出すのだが、なんの曲なのかわからない。〜のところはさらに思い出せないところ。
一番の歌詞はこんな感じ。

引用開始 ーーーーーーーーーー

あの日海辺をわたるバスはなかなかやって来なかったね。とうとう道路の〜に座り込んだのは君。
並んで星を眺めてみたり、僕が逆立ちしてみせたり。〜
別に大したことではないけれど、いまでも不思議と忘れない。海辺のバスストップ。

引用終了 ーーーーーーーーーー

ネットで検索しても、出てこない。
捜している人は出てきたが、曲は出てこない。
素朴ないい歌なんだけどなあ。

気になるなあ。

その一歩めを三回生は歩みだした

9/29

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本日は三、四回生合同ゼミ。三回生は卒論のテーマ決めに向けてあれこれ始める。自分がなんとなくテーマにしたいことに関して、関わっているであろう一冊の本を選んで、その本を紹介し、疑問を提出し、ゼミで議論する。

この時期の三回生の卒論のテーマは、途方もなく大きい。それでも構わない。自分がやってみたいことは何なのか。これを考えてとにかく一冊読み込んでみて発表してみる。

ゼミの仲間や私からあれこれ突っ込まれて、それに答えられないことでテーマの深さや、自分が求めていることなのかどうかに気づいていく。三回生のうちは、どんどんテーマを広げていいっていい。その過程で自分がやりたいことは何なのかに気づけば良い。

自分は正しいと思って発表をする。
ところがこれが箸にも棒にも関わらないような反応になることもある。ばさっと切り捨てられこともある。学生はショックである。しかし、そうやって先生や仲間たちと一緒に本を読まないと、たどり着けないことがある。これはテキストリーディングでは特に大事な部分だ。

で、そうしてもがいているうちに、問題の核心にたどり着く。自分が疑問に思っていることはなんだったのかにである。

もう一つ大事なこと。
世の中にあるあれこれ疑問のなかで、教育に関することを選び、さらにその教育の中でも、なぜあなたはこのテーマを選んだのかを考えさせたい。

なぜ、それを研究のテーマにしたのか。つまり卒業論文のテーマにしようと思ったのであろうかということである。自分が生きてきた中でそれを選ぼうとした根源的な思いは、何に根ざしているのかを自分がまず理解するべきなのだ。研究の動機の部分である。

だから、論文を書くということは、社会にある疑問を取り出し、論証し、結論を示すことでありながら、もう一つの側面では自分とは何者なのかということをしることにもつながる。

自分探しとしてあちこちに出かけて行っては、無駄なお金を使ってしまうよりも、じっくりと論文に向かう方が自分に出会える。出会わざるを得ない。

書くとは考えること。
その一歩めを三回生は歩みだした。

2011/09/28

「担任が指導する行事作文の書かせ方」

9/28

昨日は大阪のとある市教委で研修の講師を勤めてきた。熱心に受講される先生方。行事が立て込んでくるこの時期に50名近くの先生方が集まった。学校を離れられなかったのが、最後の30分ぐらいに駆け込んでくる先生もいらっしゃった。
(少なくともここにいらっしゃる先生方にはあんな条例は全く必要ないよなあ)
と思った。自らの意思で参加された先生方に90分、「担任が指導する行事作文の書かせ方」について行った。

この講座は、一年間で三回行うスキルアップ研修の二回目。一回目が生活指導で、二回目の今日が作文の書かせ方。三回目は学習ゲームの予定である。今回の講座は、行事後に書かせる作文指導は担任が指導するものの、特に中学校では国語科ではない先生が指導するのは厳しいのではないかという前提から行った。「好きなように書け」「思ったように書け」という「指導」では、子供たちは書けない。かといって、先生たちも他に指導のしようがない。

私は国語の教師になるぐらいだから、小中学生の頃は特に指導がなくても「書け」で書けていた。しかし、それは特別であろう。好きなように書けと言われて好きなように書いて、それで成績が勝手につけられるってのは、おかしいことだと子供ながらに思っていた。どういう風になったら良くて、そのためにはどうやって書けばいいのかを予め示してくれていない作文「指導」って、なんだと思っていた。だから中学校の教員になったときは、ちゃんと指導したいと思った。

講座の内容は、大学では「学級担任論」や「特別活動論」で扱う内容。その1コマで行う内容を更にバージョンアップして行った。文章の種類、子供が躓く場所とその理由、そしてその対応策。これらを説明とワークショップで行った。参加者からは「二学期の学校行事の後の作文指導が楽しみになった」という声。嬉しいなあ。先生方が指導してくれれば、教室で書けるようになる子供たちが増える。ということは、子供たちの笑顔が増えるということだ。

私の仕事は、そういう風にして子供たちにつながっているんだなと改めて思った。

2011/09/26

講座案内 10/1 明日の教室 (をい、こんなデータをどーんと公開してしまって良いの、藤川さん)

毎回凄い人を呼ぶのが、「明日の教室」ではある。
だが、そうなのだが、今回は今までの教育・授業。これからの教育・授業についてどかんと語っていただく方をお招きしている。

10/1(土)千葉大学教授、藤川大祐先生(教育方法学・教育実践講座)だ。
藤川先生の専門は、教育と授業。
なんの教育でも大丈夫。
なんの教科の授業でも大丈夫なのだ。
こんな大学の先生は、滅多にいない。

数日前に、当日配布する資料が届いた。
印刷のために早速拝見したのだが、
最初に思ったのは

(をい、こんなデータをどーんと公開してしまって良いの、藤川さん)

という思いであった。
確かにアウトプットしない所には、インプットはない。
が、ものには限度があるでしょ、ってな感じである。

だが、学びは贅沢に行うのが一番。
この贅沢なシャワーをたっぷり浴びて下さい。

お申し込みは、ここ
みなさん。
お待ちしております。

明日の教室の恒例行事である、琵琶湖でのカヤック

9/26

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明日の教室の恒例行事である、琵琶湖でのカヤック。
今年で四回目になる。

実に贅沢な時間なのだ。
琵琶湖を貸し切るのだ。そんな感覚になるのだ。

今年は、対岸まで行って帰ってくる。実に、琵琶湖横断である。私の人生に琵琶湖横断という一文字が刻み付けられることになろうとは。数年前まではまったく予想できなかった。人生は凄い。

琵琶湖は縦に横断すると70キロ、カヤックで12時間ぐらい掛かるそうだ。私たちは、横に。往復3時間ぐらい。これでも十分だ。横断をしたのだ。決して往復ではないf(^^;。

そして、その後のジャグジー。
あー、極楽。
ゆっくりと体をあたためてほぐす。

東京の中学校時代の教え子がいま、京都で仕事をしていてこの明日の教室のカヤックにも参加していた。一緒に横断し、ジャグジーに入る。実に不思議だ。私のゼミの学生も一緒に横断する。これも不思議だ。

下世話なことを思う。
この企画を東京でやったらいったいいくら掛かるのだろうか。というか、そもそも出来るのだろうかと。

『葉山辺りかねえ?』
「葉山か鎌倉でしょうか」

教え子と話す。
あり得ないf(^^;。

しかし、滋賀にはある。
なんでこんなに良いのに人がいないのか?
おそらく、滋賀の人はその良さに気がついていて、黙っているのだと思う。外からやってきた人たちが、その良さに気がついたらそれを売れシック思うだろうが、それをわざわざ言わないのだろうと思う。

いいものをじっくりと味わうってのが、滋賀なのかもしれないなあ。

ジャグジーで体を温め、水温の下がったプールに飛び込む。
一緒に飛び込んだ教え子が言った。

「夏を収めました」

そうだな。これでこの夏はおしまいだ。
良い夏の締め方だ。

また楽しませて下さい。
ありがとうございました。


2011/09/22

教師はこの呟きと仕草に敏感にならねばならない

本学の教育実習が始まっている。本学は三回生の後期に行う。ここで行うと、実習後にその経験を受けて大学で指導することが可能になるからで、これは大事だと考えている。

で、実習が始まると訪問指導も始まることになる。先日出かけてきた。ゼミ生の研究授業である。小学校一年生の算数の授業。9−3−1を考えさせる授業であった。

研究授業ではいくつか印象的な場面があった。バスにウサギが「9」いる掲示物を見せて、いくつかの発問をしていた。

1)
「バスにいるウサギさんの数は?」
「9個」
「そうじゃないですね」
「9匹」
「そうですね」

2)
「9匹のウサギさんから3匹のウサギさんがバスを降りたら、残りは何匹?」

3)
「バスからウサギさんが降りたら、・・・」
「死んだんだ」
「あれ、使っては行けない言葉がでましたね」
「...」

のようなものである。これらについて学生と授業後に検討した。一部載せてみる。

1)
ウサギは匹なのだろうか。ウサギは羽である。このことを学生に確認したら、分かっていたのだが、そこには触れなかったというのである。これは勿体ない。言語事項は、その場その時で指導するというのが野口芳宏先生の持論である。

『そうだね。生き物は匹って数えるんだよね。よく知っているね。だけど、ウサギは特別に違う呼び方で言うのは知っている? 羽っていうんだね。なぜかというとねえ、〜』
と簡単に説明してしまえば良い。そして、その授業でずっと羽を使っていれば子どもたちは覚えてしまう。

さらに余裕があれば、
「一匹、二匹、三匹ってどうして読み方が変わるのかねえ。面白いねえ」
とか小ネタを振っても良いだろう。「ぴき、ひき、びき」と変わるのは実に面白いネタなのだ。

家に帰って子どもは
「お母さん、知っている? ウサギは羽って数えるんだよ。なんでかというとね〜」
と話すだろう。学校で習った面白いことを家で家族に話す。そんなことが一日に一つあればそうとう良いと思う。

2)
『「残っている」という表現が理解できていない児童がいたと思うが、気がついていた?』と学生に確認すると、11人の内の3名が分かっていなさそうだということを瞬時に言えた。これは良い。だが、分かっているのにそれを流してしまったのはダメだ。

私なら、分かっていない三人以外の子どもたちを、一人一人教室の外に出して行き、
『ほら、これが残っているだよ』
としたと思う。ほんの1分で説明できることだ。その授業で必要なキーワードの理解が出来ていないのに、先に進むのはダメだ。

3)
これは私もよく分からない。死ね、うざいなどの言葉は即時に指導すると思うが、ここでは、「死んだんだ」である。これはなんだろうか。私はコンピューターゲームのロールプレイング系のゲームで道連れの仲間が倒れたのではないかなと思ったのだ。勿論、確証はない。ただ、「死ね」ではなく「死んだんだ」というのは、そんな気がしてしまう。

私なら、
『それは何?』
と確認するだろうなあということを学生に話した。

子どもたちは具体の世界にいる。そこにはさまざまな子どももストーリー、文脈、世界がある。その世界の中にいる子どもたちは、そこから勉強の世界に顔を出してくる。それは多くの場合、呟きというかたちで顔を出してくる。または、仕草ということで著してくる。表出である。

教師はこの呟きと仕草に敏感にならねばならない。特に、勉強に自信のない子どもは、手を挙げて意見を述べること等できない。だから、教師がキャッチするしかないのだ。

勿論、中学生、高校生にもなれば、生徒が呟いているのを分かった上で、「きちんと発言しなさい」とその呟きを「無視」することも大事である。だが、今回は小学校一年生。丁寧に拾うべきだろう。

残りの実習の時間を丁寧に過ごすことを期待して、厳しく指導してきた。

2011/09/17

本日、再起動した

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9/17

『論語』や『風姿花伝』を年に一回ぐらい読み直す。真剣に読むと言う感じではなく、ぱらぱら見直す感じで読み直す。何歳の時には何をしているなんて部分を読むと、自分の規準が感じられて良いかなあと思って読み直す。

「四十にして惑わず」

不惑を迎えた時。
分かったことがある。これは私ではないということだ。孔子先生は40歳で不惑だったのだろう。が、当たり前のことに気がついた。私は孔子先生ではない。無理である。

惑うことなく、一本の道を造ってその上を堂々と歩んで行きたいとは思う。ははは。無理である。私にはそんな人生は待っていないのであった。

凄い人、偉い人は過去には沢山いて、今の世の中にも沢山いて、これからも生まれてくるだろう。私はそんな人とは違う。頭の中では分かっている筈なのだが、どうもそこに規準を置いてそこから自分の人生を見てしまう。

そして、あーあとなる。
そんな偉い人と比べても何の意味も無いことは分かっている。
比べるのは過去の自分とである。
もっと言えば、今朝の自分と夜の自分でどれだけ良くなったか。
いや、ひょっとしたら今朝の自分よりも悪くなっていないかの確認かもしれないがf(^^;。

俺は何をしているんだ。

そんな思いを抱くことが、この夏はとても多かった。
そんな夏もこの三連休で終わって行くだろう。

本日、再起動した。
浮上する為に藻掻いた。
私のような貧乏性の人間は、藻掻いているのが似合っているかもしれない。
半歩、いや一歩ぐらい前に進んだと思う。
藻掻いたお陰だ。

藻掻いて、藻掻いて、その結果、絡まるのを恐れるようになってはダメだ。
藻掻いて、藻掻いて、良い結果を待つしか無いだろう。
藻掻いた分だけ、あれこれ考えなくて済む。
私が思うこと等大したことは無い。
現実はもっと単純に、またはもっと大胆に展開するだろう。

うしゃあああああああ。
うりゃりゃりゃりゃりゃあああああ。

まったくもって落ち着くことを知らない私だなあf(^^;。

維新の教育条例案に異論噴出、陰山委員「間違っている」

9/17

陰山先生が、頑張っている。
本当にそうだと思う。
先生は、学校教育現場のスピリッツを持ったままだなあと思う。

大阪の教育が良くなりますように。

http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201109160035.htmlらら引用開始 ーーーーーーーーーー

維新の教育条例案に異論噴出、陰山委員「間違っている」

大阪府の橋下徹知事が率いる地域政党「大阪維新の会」が府と大阪市の9月議会に提出を予定している「教育基本条例案」について、16日に開かれた定例の大阪府教育委員会会議で異論が噴出。なかでも「百ます計算」で知られ、学力向上を掲げる橋下知事の要請で教育委員に就任した陰山英男委員が、教員の管理を強化すれば現場がよくなるという発想は根本から間違っているとして、「(可決されれば)辞めますよ」などと激しく反発した。

 約90分の話し合いのうち、大半を条例への反発と疑問が占めた。

 特に異論が相次いだのが、一定の比率の教員に最低評価を行わなければならないなどと定めた管理強化の規定。陰山委員は「あの先生を辞めさせたいといういじめが始まる」「評価者の方向ばかり向く教員や、一部の保護者とつるむ教員も出てきます。(現場は)むちゃくちゃになりますよ」などと反対理由を述べ、「これで学力が上がりますか、先生のやる気が上がりますか」と訴えた。

引用終了 ーーーーーーーーーー

2011/09/16

講座案内 9/23 明日の教室 琵琶湖でカヌー&ジャグジー

P9060299

9/16

明日の教室の恒例になりました夏のお楽しみイベント。琵琶湖のカヌー体験。
運動が苦手なあなたも大丈夫。カヌーは極めて安全な乗り物です。

電線のない広い空を独り占めに。
湖面ぎりぎりからのアングルはまたこれが格別。

午前中に簡単なレッスン。午後にカヌーツーリングに出ます。
風向きによっては対岸まで往復できるかもしれません。

これがお弁当とプールとジャグジーがついて、2000円。
驚きでしょ?

お待ちしております。

http://kokucheese.com/event/index/17615/

写真は、カヌーの後に入るジャグジーとカヌーを楽しむ琵琶湖です。

2011/09/14

日本の先生、働き過ぎ? 事務作業長く OECD調査

9/14

以前、学級事務職を導入すべきであるという記事を書いた。
学校の教員は授業以外で忙しくなっており、それを解決するには学級の事務をする事務方が必要だという考えだ。

http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2010/12/post-114d.html

twitterのログも纏めてもらっている。

http://togetter.com/li/81822

で、とうとうOECDからも言われてしまった。OECDと言えばPISAが有名。ここでランクが上がった下がったで一喜一憂している。確かに大事な側面もあるが、同じ0ECDなら、これもきちんと大々的に取り上げてほしい。

引用開始 ーーーーーーーーーー

日本の先生、働き過ぎ? 事務作業長く OECD調査

 日本の先生は先進国の中で勤務時間が長いことが、経済協力開発機構(OECD)が13日に発表した調査結果から明らかになった。ただ、長いのは授業ではなく、事務作業の時間。負担が重い一方で給与は減る傾向にあり、教員の質を確保する手立てが課題になっている。
 調査によると、日本の小学校の先生の勤務時間は、2009年の時点で年間1899時間。データのある調査対象国21カ国の中で米国に次いで2番目に多かった。ただし授業に費やす時間は707時間で、OECD加盟国の平均を72時間下回っており、授業以外の事務作業などの時間が勤務時間数を押し上げていることがうかがえる。
 一方で給与をみると、05年の水準を100とした場合、平均は7ポイント上昇していたのに対し、日本は5ポイント下がっている。OECDの調査担当者は「日本は仕事の負担は重いが、報酬は恵まれていない。優秀な人材が集まり教員の質を上げるような対策が必要」と話す。

http://www.asahi.com/national/update/0913/TKY201109130560.html

引用終了 ーーーーーーーーーー

これ、本当に恥ずかしい話だ。
教育を大事にする国ならば、一刻も早く改善しなければならない。

2011/09/12

家族と言う言葉を、四歳の娘は覚えた

9/12

プール三昧の娘(4)。私もプールは好きなので基本的には問題はない。ただ、私の場合は、これに読書とビールが加わるのも好きである。iPhoneで音楽を流し、ニュース拾い読みし、怒った鳥をやったりしながらだらだらと言うのも好きである。

だが、娘は兎に角遊ぶ。
そして、ちょっと休んでいると、
「見て、見て!」
となる。
そりゃあまあ安全の為に見ているが、ずっと見ているわけにも行かない。

子どもを授かっていないときは、子どもと遊ぶことを楽しみにし、子どもを授かってからは、自分の時間をほしがる。いやあ、実に我侭だ。

プールが終わってから夕陽を見に行こうという話をする。
すると、
「えー、昨日も行ったのに。行かない」
と。
『行こうよ。綺麗だよ』
「だから、昨日も行った」
『だって、昨日もプール入ったでしょ?』
「あ、そうか」
『お父さんとお母さんは、○○ちゃんが好きなことをしている時、ずっと一緒に遊んであげるでしょ。その時、お父さんとお母さんはやらなければならないことや、やりたことを我慢していることもたくさんあるんだよ』
「...」
『お父さんは夕焼けを見たいの。○○ちゃんもだから一緒につき合ってね。一人一人があれこれ少しずつ我慢して、みんなが楽しくなるようにするっていうのが、家族なんだよ』
「家族?」
『そう、家族っていうんだよ』
「へー、家族」

その後、娘は疲れていたこともあって、実際は連れて行かなかったのだが、家族という言葉を気に入ったようだった。

私が見た夕焼けは、これ。
この青がいいんだよなあ。

3

仲秋名月の今宵。
家族と言う言葉を、四歳の娘は覚えた。


淡路島のホテルだ

9/12

娘が1歳6ヶ月ぐらいのときに来たホテルに泊まっている。淡路島のホテルだ。そのときは、春だったのでプールには入ることができなかったが、今回はプールに入れるのである。

娘(4)も私もとても嬉しく楽しむ。
子供用プールが上品で、さらに大人プールも階段形式で深くなって行くところがあり、娘位の子どもにちょうどいい。

さらに、ジャグジーもあって、嬉しい。
屋外プールにジャグジーがあるかないかは、相当ポイントが違う。

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二回目の利用だが、このホテルは気持ちよく裏切ってくれる。気持ちよく裏切ってくれると言うのは、予想している範囲の上方にサービスを提供してくれるということだ。

4歳の誕生日のお祝いということで、オフを兼ねての旅行だが、本当にいいお祝いをしてくれた。

ホテルの空気がなんというか、カラリとしていながら、しっとりとしているのだ。爽やかで丁寧という言い方もできるかもしれない。

2

夕焼けを堪能した後、食事をしていたら、料理長が海ほたるのことを話してくれた。
淡路島にある海ほたるの見学会の事かと思ったら、このホテルが独自にやっているもので、漁港に設置してあるしかけに集まっているので見に行ってはどうか?と言うお誘いをうけた。

食事後、ホテルの車で見に行った。
結果は実は残念であった。
風が強くてうまいこと海ほたるが集まらなかったと言うのだ。

しかし、もう大満足。
娘を喜ばせてくれようとするその気持ちがとても嬉しかった。
確かに、値段の張るホテルではあるが、オフにはとても良い。

来週も来たくなってしまいたくなるホテルである(^^)。


2011/09/10

娘(4)に小さな嘘をついた

9/10

11

娘(4)に小さな嘘をついた。

ちょっと遅いが娘と海に行った。
遠浅の浜で広々としていてとても気持ちのよい浜だ。
季節が少し遅いので見渡す限り誰もいない。

貸し切りで娘と二人で遊んだ。
ちょっと休憩と思って砂浜に上がった。
何気なく見たら、波打ち際にカタクチイワシが一匹打ち上げられていた。
まだ生きているのではないかと思う位に綺麗に輝いている体。
でも、目はもう溶けていた。

『あれ、お魚さんだ』
「本当だ!」

どうしようかと思ったが、見つけたものだから娘に教えてあげた。
娘は死んでいるようには思っていない。

『慌てんぼうの魚さんで、上がって来てしまったんだね。海に帰してあげようか』
「うん!」

というので、私は捕まえて海に戻してあげた。
娘は拾った貝殻を
「お魚さんの食べ物。元気出してね」
と海の中に投げ入れていた。

暫くまた貝殻を捜したりして休憩した後、また波打ち際に体を浸した。
お尻を据えて、足を伸ばし両手を体の斜め後ろに置いて波に戯れようとした瞬間である。

右手の掌の中で何かが動いた。
『え〜〜〜、何か動いている。あ、魚だ!』
と本当にびっくりしたのだが、たまたま置いた手が魚を捕まえてしまっていたのだ。なんとも驚き。すると、
「あ! お父さん、お魚さんが元気になったんだね。良かった!」
と娘。

そうか。そこに繋がったのか。
『そうだね。ご飯をあげたから元気になったんだね。それでありがとうって言いに来たのかな?』
「そうだよ! 良かったね」
『良かったね』

小さな嘘をつきました。


2011/09/06

それで十分

9/5

幼稚園に行く前にギターが出ていたので歌を歌ってと娘(3)にお願いされる。チューリップの「夏色の思いで」と「となりのトトロ」を歌う。

『トトロに会ったことある?』
「ない」
『お父さんは子どもの頃にあるよ』
「え!」
『子どものときだけ会えるから、会えると思うよ』
「やった!」

と明日は4歳の娘。

そんなわけで娘の誕生日お祝いを選びに出かける。一週間位前から自分の誕生日をプロデュースしてる。うどんを食べに行って、イチゴのケーキを食べて、キャンドルを点けてと。また、いろいろと公約を述べている。「もう、怒り虫はいなくなるの」「エプロンしなくても食べられるようになるの」などなど。相当楽しみにしている。

娘が最近興味を持っているのは、あやとり、折り紙はいいとして、セロテープ、鋏、輪ゴム、手裏剣、くるくる剣(広告の紙を丸めて作った細長い剣)など。まるで男の子である。なんかまるで男の子である。

何とかジャーと言うヒーローが多い。ゴーカイジャー、シンケンジャー、デカレンジャー、ゴセイジャー、ハリケンジャーなど。知っているかと聞くと娘は、何でも「知ってる!」と叫ぶ。そこで『デンシレンジャーは?』と聞く。すると「知ってる!」と。可愛い嘘つき発見である(^^)。

ま、一人で男の子と女の子の両方を楽しめるのだから、親としてはお得と言えばお得かもしれないが。

子どものおもちゃ売り場なんて、私の人生には縁のないものかと思っていたので、おもちゃ売り場に行くようになって驚いている。なんだかよく分からないものだらけだ。

特に女の子のおもちゃ。
そんなの一週間も遊んだら飽きて、次の別の種類が欲しくなるだろうと思われるものが沢山。しかも、それが結構な値段。これを買い与えることで、将来のブランド品漁りの素養を鍛えているんだろうなあと思う。

最低でも一ヶ月遊べるもの。それも手を使って遊べるものを与えたいなあとあれこれ捜す。

幼稚園から帰って来た娘は、芋掘りの話と幼稚園で作った鞄を私に見せて自慢する。鞄と言っても空き箱に紙で作った把手をセロテープで付けて、色を塗ったもの。一生懸命説明してくれる。

毎日何かを作って持って帰ってくる。
それで私も一緒に遊ぶ。

それで十分。
それで十分。

2011/09/03

別れる店があれば、新たに出会う店もある

9/3

二泊三日の東京出張を終えて、帰路につく。去年から関わっている仕事の打ち合わせだ。メンバーは結構入れ替わっているが、私はまだやっている。一度始めたことはやりきらないとその仕事から学ぶことは半減すると思っている。それはアルバイトであっても同じで、アルバイトでも最低一年間は続けなければならないと思っている。

声が掛かるうちはやりきろうと思う。

で、この打ち合わせが終わってから、いつもの店で食をしたのだが、その前に少し時間があったので、学生時代にこの街で最初に行ったバーに寄ってみた。これがとても残念であった。

老舗のバーである。
いや、老舗だと思っていた。
ところが、ただの古いバーになっていた。
バーと言うのは、サービス業の最たるものだと思うのだが、とても寛げるものにはなっていなかった。

客からの正当な指摘を、単なるクレームとしか考えられず、最初から食い逃げしようと企んでいると思い込んでいるような言動があって、もう、驚くばかりであった。バーテンダーのあの目はダメだ。いきなり憎悪の目だったもんなあ。

ああ、残念だな。もう、あの店には二度と行くことも無いな。
一緒に行ったメンバー全員がそう思うのでありました。

で、いつもの店で食事。
相変わらず美味しい。安心して食べられる。
こうでなきゃ。

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もう少し話したいなあと思ったので、一緒に食事をしていた人の知り合いのバーに行く。五年ぶりだとか。だけど、これがまあびっくりする位最初の店とは違って、いい。

バーの良さは、その空気感にある。適度な重厚さのある方が私は好きだ。インテリア、食器、酒器、客同士の会話、そしてそこで働く人たちの存在。邪魔にならず必要な時にはすぐに応えてくれる。その適度な重さが、アルコールと相まって、すっと疲れを抜き出してくれる。

オーダーだ。こちらのリクエストをしっかり聞いて、そのリクエストのど真ん中を出して来てくれた。この店での一杯目は、これ。

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http://www.highlandpark.co.uk/

今年は就職して四半世紀。「ど根性ガエル」の町田先生と同じである。
そこで、バーでは25年ものを頼むことにしている。
自分が走り続けて来た年月に熟成を重ねて来た一杯をあれこれ思いながら味わいたいと思って25年ものを頼み続けている。

とても良い一杯だった。
私の25年はあっという間だったなあと思うが、その25年も樽の中にいて、こうして出会うのを待っていてくれたのだなあと、勝手に思う。

すると、カウンターの上に何やらもう一本瓶が並んだ。
『ん?』
「違う種類ですが、26年ものもございました(^^)」
とバーテンダー。
「来年、是非、お楽しみください」
こういうのが嬉しい。

うまく行くと、来年もこの打ち合わせは続きそうだから、是非頂きましょう。

谷中ショウガを使ったオリジナルのカクテルをもう一杯貰い、ホテルに気持ち良く帰るのでありました。別れる店があれば、新たに出会う店もある。そして、また新しい明日が始まるのだな。


2011/09/01

永遠に続けたいと思いながら、娘の三歳の夏は終わる

8/31

台風の影響だろう。風がずっと吹き続けていた。
八月の終わりである。

思い出すのは、この詩だ。

引用開始 ーーーーーーーーーー

このごろは 
あなたにほれて居てほれてゐて
どうにもならぬほど 
ほれて居て
それで居て
あたしもさりげない顔をして
とうとう夏も終わるか

1924.8.31作 川上澄生

引用終了 ーーーーーーーーーー

中学の生徒には毎年のように紹介していたなあ。
夏を迎える前は、今年の夏こそは何か大きなことがある。そして、何か大きなことを成し遂げたいと思いながら迎える。

しかし、実際はほとんどこの詩の通りだ。

松岡直也さんの曲を流しながら、午前中を過ごす。
"Sun Spot Dance"
などを聞きながら。

夏はこうして終わって行くんだよなあ。

午後から出かける。
食事をして、プール、温泉という夏の終わりを楽しむ時間にしようと思ったのだ。

バーベキューランチをする予定だったのだが、なんと前日までに予約をしないとダメだと言うことが分かりがっかり。店を移して、食事をしてプールに向かう。すかっと晴れてはいないので、少し寒い。だが、娘はどんどんプールに入る。

私はプールサイドで足を濡らしていようかと思ったのだが
「お父さんも、どーんって入って」
というリクエストで、仕方なしに入るf(^^;。

プールに入り、お風呂に入り。
これをこの夏に何回したことだろうか。
永遠に続けたいと思いながら、娘の三歳の夏は終わる。

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