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2011/09/17

本日、再起動した

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9/17

『論語』や『風姿花伝』を年に一回ぐらい読み直す。真剣に読むと言う感じではなく、ぱらぱら見直す感じで読み直す。何歳の時には何をしているなんて部分を読むと、自分の規準が感じられて良いかなあと思って読み直す。

「四十にして惑わず」

不惑を迎えた時。
分かったことがある。これは私ではないということだ。孔子先生は40歳で不惑だったのだろう。が、当たり前のことに気がついた。私は孔子先生ではない。無理である。

惑うことなく、一本の道を造ってその上を堂々と歩んで行きたいとは思う。ははは。無理である。私にはそんな人生は待っていないのであった。

凄い人、偉い人は過去には沢山いて、今の世の中にも沢山いて、これからも生まれてくるだろう。私はそんな人とは違う。頭の中では分かっている筈なのだが、どうもそこに規準を置いてそこから自分の人生を見てしまう。

そして、あーあとなる。
そんな偉い人と比べても何の意味も無いことは分かっている。
比べるのは過去の自分とである。
もっと言えば、今朝の自分と夜の自分でどれだけ良くなったか。
いや、ひょっとしたら今朝の自分よりも悪くなっていないかの確認かもしれないがf(^^;。

俺は何をしているんだ。

そんな思いを抱くことが、この夏はとても多かった。
そんな夏もこの三連休で終わって行くだろう。

本日、再起動した。
浮上する為に藻掻いた。
私のような貧乏性の人間は、藻掻いているのが似合っているかもしれない。
半歩、いや一歩ぐらい前に進んだと思う。
藻掻いたお陰だ。

藻掻いて、藻掻いて、その結果、絡まるのを恐れるようになってはダメだ。
藻掻いて、藻掻いて、良い結果を待つしか無いだろう。
藻掻いた分だけ、あれこれ考えなくて済む。
私が思うこと等大したことは無い。
現実はもっと単純に、またはもっと大胆に展開するだろう。

うしゃあああああああ。
うりゃりゃりゃりゃりゃあああああ。

まったくもって落ち着くことを知らない私だなあf(^^;。

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