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2011/10/05

学級担任論ではこのことから授業をスタートしている

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今日の学級担任論では、春休みにする教員の仕事の説明から入る。小学校六年生を担当した先生が、四月から新五年生を担当するとして、春休みにどんな仕事をしているのかを考えさせて、解説する。

春休みは、ご案内の通り教員にとって一年間で一番忙しい時間である。今まで担当していた学年のまとめがあり、次に担当する学年の準備がある。これを一週間でしなければならない。

自分のクラスだけならまあまだいいが、学年のこと、学校のことをやっていくわけで、相当大変になる。今までの纏めは、ここをやっていかないと次の学年でクラスを分けるときに困る。また、一年間の方針を立てるということをやっていかなければ、四月からがスタートしない。

学生たちは、私が配った資料に愕然とする。
毎年、学級担任論で見られる光景である。

私の時代には、一年目の先生が学年主任なんて考えられない。
ところが、単級の学校だとこれがあるわけだ。
さらに、二年目から体育主任とかもあって、運動会の実施計画などを書かなければならない立場になることも、今はある。

目隠しをされて、走らされるのだ。
何をして良いのか分からない、どっちに向かって走っていいか分からないのに、走らされるのだ。一年目は、100走を目隠しをされて、毎日全力疾走させられている感覚だろう。

教師の仕事の特殊性は、ここにある。
一年目から一人で仕事を任される所にある。
私の時代は、まあ、若さだけで乗り切れたと思う。なぜなら、社会がこんなに混迷していないし、事務仕事量がこんなになかったからだ。しかし、いまはもう限界だろう。

社会から評価を受けている企業は、新人の研修に時間をかける傾向にあると思う。国家公務員のあるキャリアは、学部卒だと3年、院卒でも2年マンツーマンで指導を受けるとか。国内の世界的企業である家電メーカーは新卒一年目は研修だけだとか。しかし、教師は一年目から一人なのだ。

私個人は、一人であれこれやれたのが良かったと思っている。自分で考えることができたからだ。しかし、そんな私でもいまの時代に一人でやれと投げ出されたら、大変だろうなあと正直思う。一年目の先生、学級担任を取り巻く環境が、時代が大きく変わっている。

授業ができていないから子どもたちが荒れる。
確かにそれはあるだろう。
しかし、学級は生活集団と学習集団から成り立っている。もう少し言えば、生活集団の上に学習集団があるわけだ。

この生活集団を成立させなければ、学習集団は成立しない。
嘗ては、
「先生の言うことを良く聞いて、賢くなってきなさい」
と送り出してくれる親御さんに支えられて学校はあった。
しかし、いまはそんな家は少ないだろう。先生が、自ら先生の「偉さ」を証明し、子どもを児童の位置において、自分を先生と認めさせる過程が必要になってきている。

野中信行先生もよくおっしゃるが、実は授業はそんなに簡単にうまくはならない。勿論、最初からうまい先生もいるが、実際はなかなかうまくならない。3年、5年、10年と修行をしてうまくなって行くことが多い。この10年もの修行が許されるのは、学級が生活集団として成立しているときである。

私は学級が崩壊して先生を退職するという先生の話は聞いたことがあるが、授業がうまく行かなくて退職するという先生の話はあまりきかない。授業がうまく行かなというのは、実は学級が崩壊していることが多い。

学級をどう作って行くか。校務分掌をどう進めて行くか。その二つが、四月に一年目の先生の両肩にドシンとのしかかる。学級担任論ではこのことから授業をスタートしている。

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