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2011/10/31

秋の日のヴィオロンの

10/31

Yukei

中学校の教師の時代にずっとやっていたことは、実はそんなにないかもしれない。生徒の様子を見て、あれこれ一番良いものは何かと考えてやっていたので、一貫してこれというのは、実は書写とこれぐらいしかないかなあとも思う。そのこれとは、「アンソロジーノート」である。

俳句の授業をするとき、季節に関わらず四季それぞれの俳句を教科書に従って教えるのが、どうもすっきりしなかった。勿論短歌も。折角日本には四季があるのにまとめて教えるのは勿体ないなあと思っていた。

そんなことを思っていたら、高校のときの日本史の先生、増田先生のことを思い出した。それが大学生で塾の教師をしているときのこと。増田先生は、ロシアに抑留されこれからの日本を担う若者をきちんと教えるには歴史だと、歴史の先生になられた方だ。

私がであった高校三年生のときは、脳梗塞の後遺症があり、片足を引きずり言葉もうまく出ない感じであった。にも関わらず、休み時間は教室にいないで、階段の踊り場で次の授業を待っていられた。職員室に戻ると授業開始に間に合わない。かといって、生徒の休み時間の中にいるのも、すまんと思ったのであろう。だから、踊り場にいらっしゃった。

その増田先生がされていたのが、「今日は何があった日なのか」という授業の導入であった。黒板の右の上の所に、近現代の日本史に関わって、今日は何があったのかをそこに書き、導入の5分、10分で語られていた。

日本史では近現代史を扱う時間が本当に少ない。しかし、教えたい。それも実感を伴わせて。恐らく先生がお考えになっていたのはそういうことだと思う。私たちはノートにそれをメモしながら聞いていた。

日本史にそれほど興味のなかった私だったが、これが私の授業に残ったのだと思う。そのシステムを使おと思ったのだ。で、塾の教師のとき、毎週やる漢字テストの裏側に、その季節、その時の事件に関わって関連のある、詩、短歌、俳句、名言を書いて生徒に渡すようにしたのだ。

これが結構好評だったので、私も気を良くしてずっと続けていた。別にそんなに難しいことではなかった。高校生のときから気に入った言葉を書き写していたノートがあったので、その中から捜して、合ったものを書いていったので。

で、中学校の教員になったとき、同じことを始めた。
授業の最初に、今日の詩、短歌、俳句ということで紹介した。それを書くための専用のノートを用意させた。アンソロジーノートである。三年間教えると、200位の作品を教えることができる。

不易流行である。
不易の言葉と流行の言葉がある。
流行の言葉は、生徒が勝手に身につける。しかし、不易の言葉は教え込まないと身につけない。そして、不易の言葉は中学生には良くわからない言葉である。

だから、私が、
『いいから覚えろ』
と言って彼ら彼女らの身体に埋め込んでいった。定期考査のたんびに、覚えさせた。
時間のフィルターを経て残っている言葉は、中学生にそのときに分からなくても、必ずその子どもの人生の過程でなんらかの意味を持つはずだという思いを持っていた。

宝の言葉を彼ら彼女に埋め込めば、やがて輝きだすと思って教え込んでいた。

今日、研究室から奇麗な夕焼けが見えた。
写真を一枚とって、
「秋の日のヴィオロンの」
とキャプションをつけた。

そしたら、N中の卒業生がtwitterで、Z中の卒業生がFBでコメントをしていた。次のフレーズが出てきたというのだ。彼女らの身体の中には残っていたのだ。上田敏が訳したの『海潮音』の「落葉」である。

こんな報告が聞けるのは、やはり一つの教師冥利だなと思う。
そして、増田先生にありがとうございます、と生徒として思うのだ。


2011/10/29

11/26 明日の教室 塩澤一洋さん 写真講座

お待ちどうさまでした。
明日の教室ならではの、企画です。

まず、この写真をご覧ください。
http://shiology.com/

教師は、学校でいろいろな書類を保護者に出します。その中で学級通信、学年通信は大事な書類です。その中の、一枚の写真が見事に決まっていると、その通信はさらに愛読されると思われるのです。

デジカメの隆盛により、簡単に写真を撮ることができるようになりました。ほとんど何も考えずにシャッターを切れば、見事な写真ができあがります。しかし、ここに写真の基礎基本が理解されていたら、さらに素晴らしい写真がその紙面を飾ることになるでしょう。

今回の明日の教室では、研究者、教育者でありつつ、写真家である塩澤一洋さんをお招きして、写真講座を開催します。子どもを撮るにはどうしたらいいのか。おまけに、秋の京都を舞台にして風景を撮るにはどうしたらいいのか。これを理論とワークショップで展開します。ああ、なんて贅沢なんだ(^^)。

さらに、凄いことが二つ。

1)株式会社リコーさんの提供で、コンパクトデジカメを25台ほど貸し出しをしていただくことができました。先着順です。申し込み欄にご記入ください。

2)京都橘大学の学生は、準備片付けなど手伝うことが前提で、参加費が無料になりました。チャンスを掴むようにね。

なお、参加者のみなさんにお願いです。

1)デジカメをご持参ください。一眼レフでもコンパクトデジカメでも、携帯電話に付いているものでも構いません。ご自身がいつも使っているものが良いかと思います。

2)当日はDVDの撮影があります。撮影された写真、肖像権はDVD作成に関わってご協力いただくことになります。よろしくお願いいたします。

講師のプロフィールです

塩澤一洋(しおざわかずひろ)
成蹊大学法学部教授
政策研究大学院大学客員教授
写真家

1990年代から、ポートレイト、結婚式、風景などの「きらきら」を写し続けている。日本、韓国、米国で、写真集、書籍、雑誌の表紙や記事に多数の写真が掲載されているほか、複数の写真展に委嘱出品。Apple社の前CEO、スティーブ・ジョブズ氏を撮影した写真は多くの媒体に掲載されている。写真撮影に関するセミナーやワークショップにも講師として多数登壇しており、最近では9月から10月にかけて、「GR DIGITAL×Macであなたの写真が変わる!!」と題して、福岡から札幌まで全国のApple Storeで8回講演。

『月刊MacPeople』に「一語一絵」を連載中。
2004年から書き続けるブログ「shiology」は月間十数万アクセス。

1993年慶應義塾大学経済学部卒業。95年同法学部卒業。2000年同大学院法学研究科博士課程単位取得退学。同年成蹊大学法学部専任講師。助教授、准教授を経て08年より教授。04年から政策研究大学院大学客員教授および財務省研修所講師、10年から慶應義塾大学非常勤講師を兼務。専門は著作権法、知的財産法、民法。

この他、03~07年に東京大学先端科学技術研究センター特任助教授、05~07年に米国スタンフォード大学ロースクール客員フェローを歴任。また02年から現在まで、カンボジア王立法律経済大学で学生及び教授陣に講義をするボランティアを続けている。

ブログ→ http://shiology.com/
twitter→ http://twitter.com/shiology
Facebook→ http://www.facebook.com/shiozawa

おまちしております(^^)。
お申し込みは、
http://kokucheese.com/event/index/20545/です。

琵琶湖の朝 インターバル撮影から動画

http://www.youtube.com/watch?v=iuGe0eO0f94

今朝の琵琶湖を、iPad2でインターバル撮影して、それを動画にしてみました。
いやあ、実に簡単。

使ったアプリは、iTimeLapse
http://itunes.apple.com/jp/app/id335866860?mt=8

地球の時間を感じることができます。

今日は、娘(4)とうどんを作っている

10/29

小学生の頃、父方の祖父の芳美ばあちゃんに良く言われた。
「修、男だったら、相撲を見なさい」
と。
一夏田舎に一人で預けられたときに、NHKの相撲実況を見ることを強要されていた。良くわからないが、田舎で一人の私はそれに従うしかない。田舎のだだっ広い部屋でただ相撲を見ていた。

私に分からなかったのが、あの仕切りである。なんで何回もやるのか。一回で立ち上がれば良いじゃないかと思っていた。数回やるわりには時間が決まっていて、そこでは必ず立ち上がる。だったら、一回目で立ち上がれば良いじゃないかと思っていた。だから、イライラしながら見ていた。

当時、剣道をやっていた私は、主に先鋒を務めることが多かった。先鋒か大将かどちらかであった。剣道では、礼をする所から試合は始まっている。礼は、通常頭を下げて行う。視線は相手の足下にいくだろう。しかし、剣道では違う。腰を曲げて礼をしつつ、顎を少し前に出して視線は相手の目を見る。頭を下げた瞬間に切り倒されても仕方がないという考えだ。

「始め!」
の声で試合は始まる。瞬間に飛び込んで面を決めて、一瞬で試合が終わることもある。だから、あの相撲の仕切りの時間が、どうも嘘っぽくでダラダラ感じられて駄目だった。夜のNHKのニュースでその戦いの場面を見るだけで十分であった。

今日は、娘(4)とうどんを作っている。うどんが大好きな娘なので、時間ができたらうどんを一緒に作りたいなあと思っていて、少し時間ができたので作っている。塩、小麦粉、水。それぞれの分量を量って混ぜて捏ねて、醗酵するためにしばらく待つ。

ああ、と思う。
間なんだなと思う。
それぞれにあった、間なんだと思う。

この間を大事にすることができるようになるのが、成長なのかもしれないなあと。
無限に時間があると感じられた子どもの時代は、せっかちで、人生の残り時間が見えて来た頃になって
、間というものを考えるようになる。

せっかちでなければ駄目ということもある。
しかし、醗酵のための時間が必要なこともある。
両方のバランスんなんだよなあと思う。

2011/10/28

2012年 「明日の教室」研究会の予定

2012年 「明日の教室」研究会の予定

教育研究会「明日の教室」関連のご案内をブログのトップに置くことにします。

                   ◆

2012年4月14日(土) 星  幸宏先生 http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2012/02/414-9339.html

2012年5月26日(土) 高久啓吾先生 

                   ◆

明日の教室の書籍1〜5と、DVD1~21が発売されました。

書籍は、http://www.gyosei.co.jp/home/books/book_detail.html?gc=3100501-01-000/
DVDは、http://sogogakushu.gr.jp/asunokyoshitsu/dvd_1.htm

からお求めください。

2011/10/26

学級担任論 レクは、re-creationなのだ

10/26

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本日の学級担任論は、先週に続き学級レクの話。その理論と実例について語る。一言でレクというが、これはre-creationなのである。気晴らしにレクでもいいのだが、re-creationは再び創造するということなのだ。何を創造するか? それは人間関係である。

学級の中の人間関係をかき混ぜてさらに一段高い所にその集団の質を高めて行くのである。学級開きで行うのはアイスブレイクであるが、学期の途中でやるもの、学期の最後にやるもの、一年間経ってやるものなど、それぞれ目的が違い、やることも違う。

私は、一学期打ち上げ花火大会や、学校に泊まって星を見る会などをやってきた。学期の最後には学校中を使って鬼ごっこのようなものをしたこともある。花火大会の時は、地域の公園を借りてやったのだが、事前に生徒達を地域の人たちにご挨拶に伺わせた。

「7月○にちは、1年3組で花火大会をやります。うるさくなりますが、よろしくお願いいたします」と班毎に地域を決めてさせた。子ども達は嫌がったり照れていたりしたが、させた。すると、地域の人たちは「偉い!」と言って、お菓子や花火を差し入れしてくれた。

そういうもんである。そして、そういうことをさせるのが、この花火大会の大きな役割だと私は考えていた。自分たちが楽しむとき、それを迷惑だと考える人たちはいないか? いたとしたらどうしたらいいのか。社会で生きて行くということは、ここを考えていくことだと思うのだ。

また、行事を行うときににクラスで話し合いがもたれて、多数決で決められることが多い。多数決で何をするかが決まるわけだ。多数決は少数意見を大事にするということが言われるが、どう大事にするのかということについて、実はほとんど教えられていない。学生たちに今日聞いてみてもそうだった。

少数意見は、条件に入れるのである。例えば、クラスが30人で16対14でレクがバスケになり、サッカーが負けたとする。そのとき、「じゃあ、次はバスケね」とするのである。こういうことをする。30人のうち、3人が何もしたくないと言えば、年に一回、何もしないレクを入れるとかするのだ。

自分が楽しいと思う時、(面白くないと思っている人はいないか?)と考えられる子どもを育てたい。面白くないと思っている人は「実は、楽しめていない」と言える子どもを育てたい。それがクラスの中で話し合いの中で出てくる時、クラスはその行事を通して、次の段階に進める。

行事を楽しむ。レク。そう、気晴らしでも良い。だけど、そこを通してクラスの子ども達が、もう一歩成長する機会を得られるようにするのが、学級担任の仕事だと思うのだ。ここが出来るようになってくると、次は、学年。そして、学校と範囲を広げて企画を立てられるようになる。

私は、仲間と一緒に「学校でワールドカップを見る会」http://t.co/QhuzFbDl まで企画してしまった。学校はその気になれば、結構いろいろなことができるのだ。子ども達を楽しませて、力をつけさせたい。クラスを育てたい。レクは、re-creationなのだ。

2011/10/25

26巻の旅が始まったのでありました

10/25

30歳になったら読もうと思っていた本がある。『蝉時雨』(藤沢周平)である。いや、何歳で読んでも良いのだろうが、その本を手にしたとき漠然とそう思って、30歳になるまで待った。正解であった。10代や20代ではあの世界の凄さは、理解はできても納得することはなかったかと思う。

40代のうちには読んではいけないような気がする。
そう思っている本もある。『鬼平犯科帳』である。良いのは読まなくても分かる。いろいろな人がいろいろなところで良さを述べているのだから。
テレビ番組のエンディングの曲が、http://www.youtube.com/watch?v=Tm7N0-LGpEcと知ったときには、内容も知らないのに
(ああ、合っているなあ)
と思ったものだ。

それだけになんだか読めなかった。というか、若造には分かってはいけない世界のような気がしてというのが正しいか。

ところが、うっかり読んでしまったのだ『鬼平犯科帳 1』。
あっという間に一冊を読み終えてしまった。
いい。やっぱり、いい。
結末を心地よく裏切りながら、解決していく。
それでいて、その解決の中に次の話の種をまいていくのだ。
引きづり込まれる。文章には独特のリズムがある。これは句点の使い方が絶妙なので生まれてくるのだと思う。

26巻の旅が始まったのでありました。

2011/10/24

5)生徒の失敗、勘違い、間違いから作る授業

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もう一つの授業は、国語科教育法2。学習指導案の書き方についての説明である。学習指導案は、教育実習で担当される先生やその地方によって独特のカラーがあるので、柱の部分だけをしっかりと教えることになる。

学生たちに強調したのは、

1)生徒観
2)基準と規準の違い
3)板書計画
4)評価の規準と観点
5)生徒の失敗、勘違い、間違いから作る授業

である。1)〜4)はまあ、その通り。5)は私が特に指導している所だ。

学生諸君は放っておくと、授業中生徒が簡単に正解を言ってくれるという前提で授業を作る。
『○○が分かる人?』
「〜です」
『そうですね。ということは、△△は?」
「〜〜です」
のような授業の案を作ってくる。
こんな授業はあり得ない。あり得ないからこういう指導案で授業をすると、子ども達はまったく反応しない。そして、その授業で頭が真っ白になり、自分で独り言のように正解を呟きながら進める授業になっていくのだ。

そんな授業はその授業をしている学生が、生徒時代に、いや大学でも最も嫌う授業であったにも関わらず、それをやるしかないところに追いつめられてやってしまうのだ。

授業は、生徒の失敗、勘違い、間違いから作るのである。
もう少し正確に言えば、この発問をしたとき、どんな反応があるのかを予め十分に予測しておくのである。そして、正解から遠い子どもの発言を大事にして、なぜそれが違うのかという説明を予め授業の流れに予定しておいたかのような授業を作って行くのだ。

そのためには、深い教材研究が必要になる。子どものつぶやきやノンバーバルコミュニケーションを見て取る眼力も必要になる。

私が読んだ実践記録で、今でも鮮やかに覚えている授業のシーンがある。理科の授業だ。

コップに冷たい水を注いだ先生は、教室にそのコップを暫くおいておく。すると、コップの表面に水滴が現れる。先生は
『この水滴はどこから現れたのでしょうか?』
と発問する。子ども達は考えるが分からない。その中で一人の児童が
「コップの中の水がガラスを通って出てきたんだ」
と呟く。それを聞いた先生は
『あ、そうかもしれないねえ』
と言ってその発言を認め
『じゃあ、実験してみようか?』
と言ってコップの中にインクを垂らすのであった。
もしコップを通って出てくるのであれば、外の水滴はインクの色にならなければならない。しかし、勿論ならない。子どもたちは正解に向けて深い思考に入って行くのであった。

この先生の凄さは、子どもが「コップの中の水がガラスを通って出て」来るということを考えるのではないかと予測し、その答えに対応できる準備をしている所にある。これが私の言う、生徒の失敗、勘違い、間違いから作る授業である。

この授業を作るのは、実に難しい。しかし、この授業を受ける児童生徒は実に楽しい。答えは出ている。難しくても教師はここに挑戦するしかないのだ。

教職総合演習の今日のテーマは食育

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教職総合演習の今日のテーマは食育。
(食べるものの指導ぐらい家でやってくれないかなあ)
(いや、食べ物のことぐらいほっといてくれって、家庭は思わないのかな?)
と中学校現場にいたときには思っていた。
(食べることは家庭での教育、養育の根幹のところだから、そこを学校にいじられたくないんじゃないかなあ)
と思っていた。

ところが、2005年に「食育基本法」が成立し、学校教育でも扱うことが法的に定められた。その前文は以下のように始まる。

引用開始 ーーーーーーーーーー

 二十一世紀における我が国の発展のためには、子どもたちが健全な心と身体を培い、未来や国際社会に向かって羽ばたくことができるようにするとともに、すべての国民が心身の健康を確保し、生涯にわたって生き生きと暮らすことができるようにすることが大切である。
 子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付けていくためには、何よりも「食」が重要である。今、改めて、食育を、生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきものと位置付けるとともに、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる食育を推進することが求められている。もとより、食育はあらゆる世代の国民に必要なものであるが、子どもたちに対する食育は、心身の成長及び人格の形成に大きな影響を及ぼし、生涯にわたって健全な心と身体を培い豊かな人間性をはぐくんでいく基礎となるものである。

引用終了 ーーーーーーーーーー

さらに、第八条と第九条は以下のようにある。

引用開始 ーーーーーーーーーー

(食品の安全性の確保等における食育の役割)
第八条  食育は、食品の安全性が確保され安心して消費できることが健全な食生活の基礎であることにかんがみ、食品の安全性をはじめとする食に関する幅広い情報の提供及びこれについての意見交換が、食に関する知識と理解を深め、国民の適切な食生活の実践に資することを旨として、国際的な連携を図りつつ積極的に行われなければならない。

(国の責務)
第九条  国は、第二条から前条までに定める食育に関する基本理念(以下「基本理念」という。)にのっとり、食育の推進に関する施策を総合的かつ計画的に策定し、及び実施する責務を有する。

引用終了 ーーーーーーーーーー

お分かりだと思う。国による現状の放射能、放射線対策は、食育基本法に違反している可能性が極めて高いと言えないだろうか。

このごろでは、買い物に行っても「国内産野菜使用」と書かれている冷凍食品を見ても喜べなくなっている。なんと悲しいことであり、怒りを覚えることか。

学生たちは、食育のテーマに関わって、朝ご飯のあり方について発表していた。農林水産省の資料のhttp://www.maff.go.jp/j/soushoku/kakou/pdf/230630hp.pdf から朝ご飯を食べない子ども達は実はとても少ないということを話していた。1~6歳児では94.1%,7~14歳児では94.2%が朝ご飯を食べているとのことだった。
『私たちが問題にしたいのは、 残りの6%の子ども達である。そこを発見できるようにすること、そこに適切な指導、アドヴァイスができるようになることが大事なんだな』
と話す。そして、

『食育は、実は被曝の問題と大きく関わると言えるだろう。内部被曝の問題をきちんと理解していなければならない。特に君たちは、乳幼児を相手にする、乳幼児の本当の味方にならなければならない仕事に就く。しっかり学ぶことだ』
とも。
学生諸君はいつも以上に真剣に聞いていた。

2011/10/23

「ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか」

10/23

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まずは、以下の文章を読んでいただきたい。

こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっかにんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?ちんゃと よためら はのんう よしろく

ひらがなばかりでちょっと読みにくいと思いますが、読めましたか? 読めましたよね。私たちの世代だと「こなさん みんばんわ」を思い出すのですがf(^^;、それとはちょっと違います。

で、一文字ずつ聲に出して読むと、とんでもないことになっているのが分かりますよね。昨晩寝る前に、つぶやいて寝た所、結構大きな反応がありました。
時々ネットで見かけるこの文章。ここにある「ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか」が気になる訳です。そこで捜してみました。

一つ目は、文士・事物起源探究家 松永英明さんのブログ。細かく調べていて、面白かったです。
http://www.kotono8.com/2009/05/10yometeshimau.html

「ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか」は都市伝説のようですね。

二つ目は、学芸大学の岸先生の認知心理学を活用した文章読解・作文指導のヒントです。
http://psycho.u-gakugei.ac.jp/teacher/kishi.html

トップダウンとボトムアップという考え方は、教えると学ぶにも似ているのかなあと思いながら読みました。

ま、私が不思議に思うレベルのことは、大概もう調べられているということの良い証左ですね(^^)。ただ、こうして一つのことを調べていったら、岸先生の文章に出会うという楽しみは、やはり良いものだなと。一時セレンディピティという言葉が流行りましたが、そうなんだと思います。

仮説、または妄言や野望をばらまきながらでも前に進もうとしなければ、出会うことのないものというものはたくさんあるのだろうなと思う訳です。勿論、良いものばかりに出会うとは限りませんが、それでも大事なことなのだろうと思うのです。

と言い訳をして、これを児童生徒にやってみたらどうなるかなと思うのです。
恐らく、日頃から文章が読めている児童生徒は、このひらがなだらけで単語がおかしな順番になっている文章を、読めると思います。しかし、文章を読むことが苦手な児童生徒ほど、間違いに気がつくと思います。

それは、文章を読める児童生徒は、黙読で内言語化しつつ、さらにその単語の音を心の中で声に出さないで、見ているからだと思います。見て、意味を取っている。音にしていないわけです。我が家の娘(4)は、
「いいなあ。大人は。スラスラ読めて」
と三歳の後半の時に、言ったことがあります。

これは何を示しているかというと、娘にとっての言葉は音で、音の固まりとして言葉を認識しているということです。文字を覚え始めた娘は、たとえば「おはよう」と書かれいてる文字を「お、は、よ、う」と人文字ずつ読む訳です。しかし、大人はさらっと「おはよう」と読める。これがうらやましいということを言っていた訳です。娘は文字を一つずつ音に出して、その結果、あとからつなげて意味を拾うということをしているわけです。

私たちは、簡単に「教科書を読みましょう」と言いますが、実は多くのステップを経て読むということができるようになっており、さらに、読むは、見るにつながっていくということもあるのではないかということが、今回のことからわかるのではないかと思うのです。そして、この見るが「速読」と関連しているというのが、速読の考え方だと私は理解しています。

仮説をあれこれ述べるのは、楽しい(^^)。

2011/10/22

(あ、橋掛りか)

10/22

411年前の今日は、関ヶ原の合戦の翌日である。その本日、大学祭の初日に出かけていった。学生たちが頑張っている姿をなんとなくでも目に納めて置こうと思って、娘(4)と出掛けていった。
私と一緒にいると娘はあちこちから声をかけられるので、その度に
「こんにちは」
と挨拶をする。そんなので、ちょっと疲れてしまったようだった。

ま、これだけのお兄さんお姉さんから視線を受ければ、通常の子どもは疲れてしまう。だから、時々研究室に行ってゆっくりさせたりもしていた。

そんなところに中庭でステージが始まった。

研究室から見下ろした所、ダンス関連の舞台であった。それが二つ続いた。二つは違う種類の踊りなのだが、私が(あれ?)と思う共通したことがあった。私にとってはちょっと違和感のあった、あれ?であった。

それは踊り始める前の円陣であった。

アホの坂田と呼ばれる芸人がいる。お笑いの大物芸人である。彼がステージに立つ直前に、袖からステージに出るときに、付き人の若い衆から
「よ、日本一。師匠、最高。日本一!!」
と声をかけられていたのだ。

勿論、これはアホの坂田師匠が、付き人に言わせているのである。
これだけの芸人であってもステージ前は恐怖に教われるのだなあと思った。

私はマドンナのライブステージビデオを見たことがある。
あのマドンナが、ステージに立つ前にステージの袖でダンサーたちと一緒に円陣を組み
「このステージの成功が〜。神の祝福がありますように」
のようなことを唱えていたのを覚えている。

ちょっと衝撃的であった。マドンナにしてステージ立つ直前はこうなのかと思った。

だから、学生たちがステージに立つ前に円陣を組んで気合いをかけるというのは、十分分かる。分かるのだが、場所が違うんじゃないかなあと思ったのだ。客席とステージの前の空間。いや、そこでも踊るからステージの一部である空間で、円陣を組んで雄叫びを上げていたのだ。

私の認識では
(そういうのは、お客に見えない所でやるものであって、お客の目の前でやるもんじゃないよなあ)
というものである。だから、アホの坂田師匠とマドンナの件は、そうだよなあと思うのであった。
二つの踊りのグループがそうだったため、
(最近はこうなのか?)
と思ったのだが、その後の和太鼓のグループは違ったので、
(やっぱり今流行の踊りのグループだけなのかなあ)
と思ったのだ。
(ああ、おじさんになったねえ)
と思ったのだ。

ところが、帰り道車を運転しているときに、ふと思ったのだ。
(あ、橋掛りか)
と。

能舞台は三つの場所方で来ている。鏡の間、橋掛り、本舞台である。http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/edc9/kouzou/stage/tokusyoku.html
橋掛りは、この世とあの世を結びつける橋である。「隅田川」「道成寺」「井筒」などは、この橋掛りの意味が良くわかる演目だ。

そう考えると、あのダンスのグループの舞台前での円陣は、実は橋掛りをわたっているときの姿なのだとも言えるかな、と思ったのだ。お能もダンスと言えばダンスだしf(^^;。

でも、まあ、私の気持ちとしては、そういうのはお客に見えない所でやって欲しいなあというものであった。もと、ステージ作りをしていた私としてはね。

2011/10/19

学級担任論 行事とレクで考える

10/19

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本日の学級担任論。
各地の小学校で運動会が行われている。このことを受け、行事での子どもの目標と教師の目的の違いを説明する所から入る。子どもたちは勝つことを目標に取り組む。優勝が目標だ。担任も勿論一緒に燃えて良い。

ただ教師は、勝ったり負けたりだけではならない。学習指導要領の特別活動の「D 学校行事」には、「生徒児童は、体育的行事において勝利を第一に目指す指導をすること」とはない。http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301b/990301k.htmとある。一言で言えば、人間の器を大きくしようと言うことである。

勝ってダメになるクラスというものはある。逆に、負けたとしても良いクラスに成長してくクラスもある。3月にクラスを解散するときに、どれだけ子どもたちが成長しているか。ここが指導者のポイントなのであって、一つ一つの勝ち負けに子どもと同じレベルで一喜一憂してはならない。

授業の中では、学級担任がすべき仕事を、毎日、毎週、毎月、毎学期、毎年にわけて説明する。それだけでも多いが、生徒指導が入るとこのルーティーンの仕事ができなくなることを理解させる。

(ま、これは後で良いや)
と思っていると、そういうときに限って子どもは事件を起こし、教師の仕事のスケジュールを変えてしまい、追いつかなくなることを話す。子どもは教師のスケジュールを知っていると思った方が良い。そして、仕事を追いつめる方向に進むものであるとも。

一つ考えさせたのは、子どもの連絡帳や日記のチェックをどうするかである。例えば、クラスが30人だとする。一人1分でそのノートを確認してコメントを書いたとして、30分かかる。朝集めたノートは、帰りの学活で返却する。

『さて、諸君。朝からずっと授業をしていて、中休み、昼休みと子どもたちと一緒に遊ぶ小学校の先生である。いつそのノートを点検するのだ?』

学生諸君は考えこむ。この30分が確保できるのは、専科の先生が授業をしてくれる時間がない限りは、一日のうちで一カ所しかない。それは給食の時間だ。もう少し詳しく見ると、給食の配膳の時間と、先生だけ早く食べ終わって、ごちそうさまをするまでの時間しかない。たったか仕事をしないと、話にならないのである。

その後、学級開きにおけるレクリエーションのあり方について。実際に私が学生を小学校五年生に見立ててやってみる。三種類のレクをやる。その後、問を出す。

『さて、私は何を目的にこのレクをやっていたのでしょうか?』

勿論、子ども同士のコミュニケーションを促すということは学生も分かる。しかし、それは表の目的。そう、今日の授業の導入で話したように、子どもは勝ち負けにこだわって良いが教師は違う視点が必要だということを改めて話す。この展開のために伏線を張っていたのだ。

違う視点が必要だとすれば、教師はこのレクリエーションで何を見ていたのであろうか。これを考えさせる。なぜそのレクリエーションの項目なのか、なぜその順番なのか、なぜそのテーマでやらせているのか。考えさせた。そして、正解を話す。

学生諸君は、まさかそんなところまで配慮してレクリエーションの項目を設定しているとはまったく思っていない。説明を聞いて驚く。ほとんど愕然とする。そして、
(そんなことまで配慮するのか。私に出来るのだろうか)
と落ち込む。

アホか。
今の君たちに出来るわけがない。だから勉強させているのだ。
私と自分を比べる事自体が失礼なのだということが分からない。

学級担任についての勉強は、まだ3回目が終わった所である。

白身魚のガーリッックオイルグリル レシピ

10/19

Kinnme

久し振りに作ったら、美味しそうだと言われ、レシピを知りたいという声があったのでブログに載せます。美味しいですよ。是非作って下さい。私のお気に入りの店の代表的な一品です。「白身魚のガーリッックオイルグリル」

1)用意するもの
・白身魚(石持、ニシン、アイナメ、金目鯛、甘鯛など)一匹。腸と鱗を取っておく。
・ニンニクひとかけら。唐辛子1〜2本
・香草(タイム、ローリエなど自分の好きなもの)
・塩、こしょう、バージンオリーブオイル、レモン。
・ビール。たくさん。

2)下準備
・グリルに火を付けて、5分程度空焚きして、庫内の温度を上げておく。
・白身魚の腹に塩、こしょうして香草を詰める。
・白身魚の外側にも塩、こしょうする。ちょっと多めにするのがコツ。
・ニンニクを細かく包丁で切る。粒を同じにすること。そうすると火の通りが均一になる。
・唐辛子を輪切りにしておく。

3)調理
・グリルで白身魚を焼く。片面ずつ両面をしっかりと焼く。えらなどは焦げても良い。
・フライパンに細かくしたニンニクを入れ、多めのオリーブオイルで加熱する。この際、弱火でゆっくりやるのがコツ。きつね色になり始めるころに、唐辛子を入れる。
・焼きあがった魚を皿に載せ、そこに加熱したニンニク唐辛子オリーブオイルをかける。
・最後に、レモン(お気に入りの柑橘類。グレープフルーツなども美味しい)を半分ぐらい絞りながら魚にかける。

4)実食
・ビールを傍らに置いておき、常に飲める状態になっているのを確認する。
・とにかく、熱熱の内に食べる。「うまーい」と叫ぶ。
・しかし、さめても実はおいしい。

で、大事なのは、ビールです(^^)。
お楽しみあれ。

2011/10/17

原稿書きと大津ジャズフェスティバルの週末

10/17

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週末は、来週締め切りの原稿書きを優先した。
7月に依頼されたICUでの講演の内容を元にしたまとめの原稿だ。資料の整理をしながらあれこれ書き進めた。引用する文献のページ数とかを確認するために、書斎に籠って書き進めた。

自分の実践を語るとき、その時の子どもの顔が思い浮かぶのは当然だが、私の場合はそのときに読んでいた本や出会った人も思い出すことが多い。人生には人それぞれその人を支えてくれた本や方向性を変えてしまった本というものもあるだろう。私にもある。今回原稿を書くためにその本を改めて読み直してみて、
(ああ、俺はこの本に出会ったんだよなあ。幸せだったなあ)
と思った。

その中の一冊は『学校』(松崎運之助 晩聲社)である。
大学生のときに読んだ一冊だ。
東京の夜間中学校のドキュメントだ。後に山田洋二郎監督によって「学校」という映画になるのだが、私は本が先であった。というか映画は見ていない。

この本から得られたものは、本当に大きい。自分の実践の根っこの部分を作ってくれていると行っても良いんじゃないかな。読んでない若い先生には是非読んでほしいなあ。

私は90分を1コマとして原稿を書き進めることが多い。90分書いて、ちょっと休憩。そしてまた90分。修士論文のときはこれを一日に最低6回やっていた。午前、午後、夜と二回ずつ。これを二ヶ月半やり続けたのだから我ながら偉いと思う(^^)。

ま、このペースが私にはあっているのだろうと思う。今回、その90分が過ぎた辺りで、娘(4)がやってきた。
「お父さん、どうしたの?」
いつもはリビングで物書きをしている私なので、姿が見えなくて心配したのかもしれない。
『お父さんは、文章を書くお仕事をしているんだよ。でも、ちょうどいいタイミングで来たね。お父さん、休憩をしていたんだ。おいで』
というと娘は喜んで書斎中にはいり、私の座っているところに乗ってくる。
なんという贅沢なことだ(^^)。
疲れがすっと抜ける。

原稿もあと5時間以内には終わるぐらいまで書き進めることができた。よしよし。

午後からは、大津ジャズフェスティバルに向かう。前日も出かけたのだが雨と風でちょっと残念。しかし、二日目の日曜日は見事な秋晴れ。私はじっくりと堪能した。

青空、トワイライト、ライトアップの三つの時間で、ジャズを楽しめた。しかも無料。勿論カンパはあるのだが、無料。この贅沢さはなんだと思いつつも、贅沢は好きなのでたっぷりと楽しむ。

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世界一のジャズフェスティバルにするぞと実行委員達は言っていた。私はロケーション的にも参加メンバー的にも十分可能だと思っている。私は実行委員をやる時間はないのだが、こうして宣伝することぐらいはと思う。

来年は第四回になる。
お越し下さい。なんとも良い時間を過ごせますよ。

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そんな週末であった。


今日学生諸君が選んだテーマは「子どもの名前」である

10/17

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(写真は、琵琶湖噴水にできた虹)

教職総合演習の授業。
今日学生諸君が選んだテーマは「子どもの名前」である。最近の子どもたちの名前がDQNネームだとかキラキラネームだとか言われているものが増えていて、これはどういうことなのだろうかということで授業取り上げることにしたとのこと。面白いテーマである。

戸籍法では常用漢字2136字と人名漢字861字に使われている漢字を使って名前を登録することができる。漢字さえ、この中から選ぶことができれば、読み方はどうでも良いということになっている。極端な話、太郎と書いて「じろう」と呼んでも法律的には問題はない。これは日本の文字が表音文字と表意文字を持っているというすばらしい言語環境にあることにも起因していると思われる。さらに、日本は「にほん」とも「にっぽん」とも呼んでいてとくに問題がないというような言語環境も前提にあるのかもしれない。

発表では、大正時代から現代までの100年の名付けの歴史を概観し、その特徴を説明する。クイズ形式なども取り入れていてい面白い。社会情勢を反映したもの、有名人の名前をもらったもの、音の響きを大切にして選んだものなどがあることが分かる。

実習コーナーでは、最近の子どもの名前の例を出して、どんな呼び方をするのかを当てさせたり、逆に音を出してどんな漢字なのかを考えさせたりしながらの授業展開でこれも面白かった。

例えば、「こづえ」「ひよこ」はどんな漢字が出るだろうか? これは「虎強」(男)、「一夜子」という漢字が与えられているとのことであった。

(えー、かわいそう)
(なんだ、この親?)
と思うこともあるだろう。しかし、教師はその子どもに名前を付けることは出来ないし、親を否定するのも問題だ。教師として考えなければならないことは、その子どもの名前を先ず全面的に受け入れるということなのだろう。それがたとえ、教師の価値観とはまったく違っていたとしても。

例えば、自分のクラスに変わった名前の子どもがいたとする。これはいかがなものかと思う教師は多いだろう。ただ、ここで大事なのはどんな親でも、その子どもを大切にしたいという思いからつけようとしたはずだと思うことであり、子どもにそれを理解させることがだと思う。

私が中学校の教師をしていたとき、その中学校の隣の学区で「悪魔」と名付けられようとした子どもがいた。これは社会通念上、子どもの福祉上の問題があるということで受理されなかった。が、その親であっても、悪魔という名前が子どもには力強さを与えるもの、または悪魔が良いと思ってつけているというところは、子どもに良い名前を付けたいという思いと同じではないかと思う。

しかし、実際のところ変わった名前というのは、つけた後に気がつく。あれこれ気がつく。私の場合、日本語では二音で呼ばれることが多いので、子どもの名前は女の子だったら二音の名前を付けてあげたいなあと思っていた。ところがこれは思わぬメリットもあった。幼稚園の持ち物に名前を書くとき、実に楽なのだ(^^)。「けんいちろう」とか名前を付けたら、大変だったろうなあと思う。私の場合はメリットだったが、逆の場合もあるだろうと思う。

親は満足、子どもも満足。
親は満足、子どもは不満。
親は不満、子どもは満足。
親は不満、子どもも不満。

小学校に入ってきた辺りの子どもは、名前に関してどのような思いを持っているだろうか。
親はまあ良いとして、子どもが不満を持っていたときにどう対応するのかが、教師の大事な役割なのだと思う。

クラスにいる生徒の名前を取り出して具体的に説明するのではなく、今回、下記にある「一夜子」の場合のように、子どもたちとは直接関係のない名前を出しながら説明するというのが良い方法だと思われる。そもそも名前とは何なのかついて、中学校なら特別活動の進路で扱っても良いのではないかなあと思うのだ。

その際、まず、「親は自分の子どもを不幸せにしようとして名前を付けることはない」という前提を子どもに伝えることが大事だろう。その上で、あれこれ考える。

例えば、悪魔だったらどうするか。これは私が中学生に話したことだ。豊臣秀吉の子どもの幼名のことを出して説明した。
『鶴丸の名前は、子どもの頃は「捨(すて)」。これは拾われてきた子どもは丈夫に育つという言い伝えがあったことから付けたというものなんだな。さらに、良い名前を付けてしまうと、悪魔がすぐに見つけてその子の命を取ってしまうので、悪い名前を付ける習俗をもつ人たちもいるるのだぞ。わざとそういうい名前を付けることもあるということも、あるのだ。これも子どもを大事にしたいという願いからだ。だから、そうなのかもよ』

今回の授業では、「一夜子」だ。これは「一回セックスしたら出来ちゃった子ども」という意味があってとても耐えられない名前だと学生たちは言う。確かにそういう思いがわくのは分かるかもしれない。しかし、現代では10組のカップルのうち1組のカップルは不妊症に悩んでいるという。そういうカップルからすれば、うらやましい名前かもしれない。

さらに、これが戦時中だったらどうなのだろうか。連続テレビ小説では、陽子は結婚して一週間でご主人は出兵する。その間に授かった子どもがいたとしたら。いや、一夜限りの結婚の場合も多くあったはずだ。そこで授かった子どもは(その後の養育の大変さは別にして)、「一夜子」というのはありなのではないかという話をした。背景が変わるとかなり変わるのである。

人それぞれの事情なんてのは、周りにはそう簡単に分からないものなのである。
私が話そうとすることはまったく違うかもしれない。しかし、こういう話は、ありだと思うし、場合によっては積極的にすべきだろう。

また「一夜子」という漢字の問題もあるかもしれない。「ひよこ」という読み方は、どういう文字が考えられるであろうか。ヒヨコ、雛。Macの変換ソフトの「ことえり」でやってみるとこのカタカナと漢字が出てくる。ま、一般的にもこれだろう。ここから「一夜子」という漢字をひねり出すのは大変なことだ。

私は、この音からどんな漢字を思い浮かべますかという学生の発問に対して、「陽与子」という漢字を考えてみた。お日様のあたたかさを与えられる子どもというのは、結構いいのではないかと思う。(ま、連続テレビの「おひさま」の「陽子」ぽいけど。で、来年は、この陽子の名前がはやるんだろうなあ。火与子までなると、卑弥呼っぽくなるなあf(^^;。)

だから、「あなたの名前の音には、こういう意味もあるね」という説明の仕方もあるかもしれない。

また、ワーキングネームや、通名、呼び名、筆名などを考えるという手もあるかもしれない。
そして、最後は改名の方法だろう。実際に改名をするかどうかは別にして、親と子どもが悩んでいるのであれば、改名はこのようにして出来ますよということを教師は知っておいてもいいのかもしれない。

この「名前」というテーマは実に奥が深い。
実はもう一つ別のグループもこのテーマで発表することになる。今回の発表を受けて次の発表がさらに深まった発表になることを期待する。

2011/10/15

その中で恐ろしいことが判明した

10/15

Otsujazz

昨晩は、新大阪駅近辺で快飲であった。今関わっている仕事のメンバーたちと一献。こういうのはとても嬉しい。で、今朝はちょっとゆるりとした時間を過ごす。

娘(4)が幼稚園から帰ってきたのを拾って、浜大津まで出かける。今日と明日は大津ジャズフェスティバルがあるのだ。http://otsu-jazz.com/index.html 簡単な食事もできるので、そこでランチとすることにした。

あいにくの小雨ということもあり、会場はさほど人はいなかった。が、演奏はなかなか良かった。大阪のあるバンドは、四人のボーカル(男女2人ずつ)に、ホーンセクションを兼ね備えていた。ドゥービーブラザーズやE&Fのナンバーをやってくれて、いやあとても良かった。

明日も行っちゃおうかなあと思ってしまうぐらいであった。

その後、車検に出していたE91を引き取りにいく。丁寧に見てもらって調整もしてもらったのが説明で良くわかった。

その中で恐ろしいことが判明した。
なんと、タイヤが間違って装着されていたというのだ。前後が逆だったと。今はスタッドレスをはきつぶしているが、そのスタッドレスタイヤに変えたときに、その店で前後逆に装着されてしまっていたのだ。

スタッドレスにしたとき
(ん? なんか重たいな)
と思ったのだが、スタッドレスにしたからだと思っていた。ところが、原因はそこにはなかった。逆だったのだ。

当然リアのタイヤの方が大きい。だから、それをフロントに持ってくるとハンドルは重たい。でも、それはスタッドレスのためだと思い込んでいた。場合によっては事故につながるところだ。今からでも文句を言ってやろうかと思った。

で、正しい位置に装着されたタイヤで走り始めたE91。いやあ、快適。ハンドルは軽いし、加速もいい。なんか新しい車に乗り換えたかのようだ。エンジンオイルを変えたりあれこれもしてるので、すべてタイヤのおかげということではないのだろうが、こんなに味わいが違うのかと、感心することしきりであった。

夜は、久しぶりに休肝日。
食事の後、コーヒー何ぞを楽しむ。
夜のコーヒーが美味しくなるのが、秋。

もう少ししたら寝よう。


2011/10/13

『もの食う人びと』(辺見 庸 角川文庫)

この本を読み終わるまで12年掛かったことになる。
『もの食う人びと』(辺見 庸 角川文庫)だ。

何かの書評で見つけて面白そうだと購入し、読み始めてはどっかになくしてしまうことが続き、結局読み終えたこの本は三冊目ということになる。

初版で買ったのが平成九年。今手元にある本は平成十五年で十四版だ。ま、この本を手に入れてからももう既に八年も経っているが。


だが、おそらくこの本は私にこのタイミングで読まれるために、無くなったり隠れたりしていたのではないかと思えた。

本は、筆者の辺見さんが世界中のさまざまなものを現地で食べ、そのことを書いたドキュメントである。今から20年前の世界が描かれている。食べたものと言えば、

346pから引用開始 ーーーーーーーーーー

ダッカの残飯、ビター、猫用缶詰、ソムタム、キャッサバ、ジュゴンの歯の粉末、スズメ、フォー、バンザイ、ドイツの囚人食、ドナー・ケバブ、サチカオルマ、ボグラッチ、旧ユーゴ難民向け援助食料、...

引用終了 ーーーーーーーーーー

と実に様々。それだけでも圧巻である。

その中に、「禁断の森」と名付けられた一編がある。まるで福島原発事故のことを書いているのではないかと思いながら読み進めた。勿論、20年前の書籍にそんな記述があるわけがない。これは、チェルノブイリのことなのだ。

電力、放射能、働き口、老人、食事。

ここで語られていることは、20年前のチェルノブイリのことではなく、今の日本のこと、これからの日本のことではないかと思えて仕方がないのだ。12年前に一気に読んでしまえば、この一編は、単なる他人事として読み飛ばしていたかもしれない。だが、今は違う。

なんて自分勝手なんだろうとも思う。
だが、今読めて良かったと思う。

『もの食う人びと』(辺見 庸 角川文庫)「禁断の森」

ここだけでも読んでみることをお薦めする。

iPhone 4Sのすごさ。大阪弁バージョン

http://www.youtube.com/watch?v=xjFFz4Grwe0&feature=share

いやあ、面白い。
こういうのいいなあ。
5分間、笑いながら情報を増やして下さい(^^)。

2011/10/11

叱りつけるところである

http://mainichi.jp/enta/sports/news/20111011spn00m050008000c.htmlより引用開始 ーーーーーーーーーー

大相撲:高見盛 小学生の「どうしてブサイク」にタジタジ


ちびっ子相撲教室で司会を務める高見盛=スポニチ提供
 大相撲の十両・高見盛(35)が10日、東京都小金井市内で子供相撲教室を行い、小学生の厳しい質問攻めにタジタジとなった。

 自ら胸を出して稽古をつけた後の質問コーナーで「どうしてそんなにブサイクなのですか?」ときつい一発を浴び「生まれつきだから言えない…」とシドロモドロ。慣れない司会進行も担ったため「しゃべったりするのは難しい」と終始戸惑い気味だった。それでも「生意気盛りなところも含めて(子供は)かわいい」と進退を懸けて臨む九州場所(11月13日初日)に向け、英気を養ったようだった。(スポニチ)

2011年10月11日

引用終了 ーーーーーーーーーー

あほかと思う。
ここは、
「失礼なことを聞くな!」
と叱りつけるところである。

高見盛関ご本人が言えなかったら、周りの者か教員が叱り飛ばさなければならない。これを許しておくから駄目になる。子どもが可哀想だ。

体育の日。ハッピーマンデー。大学は授業がある

10/10

Akiyugure

体育の日。ハッピーマンデー。大学は授業がある。
『ハッピーマンデーが、ハッピーな諸君は手を挙げよ』
と聞くところから授業を始めた。

二つの授業があったが、どちらもハッピーな者は1割にも満たない。
『では、なぜハッピーなのか?』
『ハッピーな人たちはどこにいるのか?』
と問いをたてて考えさせる。

勿論、この社会の中には三連休になることでハッピーになる人たちがいるだろう。しかし、私はこの法律ができてからハッピーに感じたことはない。昔母親が言っていた言葉を思い出す。
「全く休みばかりだとお金がかかって仕方がない」
庶民はこの感覚だろう。しかし、立場を変えればお金が入ってくる人たちがいる訳で、これはハッピーなのだろう。

権力を持つということはどういうことか。いろいろな考え方があるだろうが、私は「他人の時間をコントロールできるようになる」ということではないかと思う。休日を勝手に変更するのもそうだし、勤務時間を決めるのもそうだし、最悪の場合は戦争で殺すこともできる。つまり、その人の生きる時間を奪い取るというコントロールである。

どこがどのようにハッピーなのか。このネーミングをした人たちのその意図は何か。三連休にする法律でありながら、例外の祭日があるのはなぜか。そんなことを考えることは、批判的に物事を見る訓練の一つとして入りやすいかもしれない。

授業の一つ教職総合演習であった。今日のテーマは「子どもの発熱」について。グループが発表する。最初のグループであり、一回目でもあるのでおかしな点は叱るのではなく、教えて指導する。発表原稿の不備や発表の仕方、さらには実習コーナーでの指示の出し方などに問題があることを指摘し、その改善の仕方も示す。

うがいの仕方の説明、手の洗い方の説明があって、実際にやってみる。
実はしっかりやるとなかなか面白い。学生の説明を聞いていたのだが、どうも私の理解と違うことがあるので、私の説明でもやってみる。例えばうがい。「ガラガラする」というのが違う。この擬音語がくせ者。学生たちにやらせると声を出してガラガラやっている。だが、これは声を出さないでやるのがいい。その方が水がしっかりとのどの奥に入る。

また理解のための説明と、行動をさせるための指示の違いが分かっていない学生も多く、ここも具体的に違いを指摘して説明する。一つ一つ教えるしかないなと思いながら。

国教法2は、私の研究テーマの柱である「国語科を実技教科にしたい」の部分の説明であった。私がなんでこんなことを考えるようになったのかをあれこれ話す。教師は子どもから影響をもろに受ける。出会った子どもたちによって、教育の考え方や指導のあり方などが大きく変わる。

私が「国語科を実技教科にしたい」と考えるようになったのも、子どもたちの変化によることがおおい。若い頃の私は『勉強は、できるできないではない。やったかやらなかっただ』という考え方を持っていた。実際そうだと今でも思っている部分もある。しかし、ある学校に行ったときこれは無理だと思ったのだ。やろうと思ってもできないのだ。

家本先生の本の中にあったのは、「新しい漢字が出てきたら、辞書を引いてその意味をノートに書いてくる」という宿題を忘れる女の子の話だ。しっかりやるその子は毎回忘れる。よく調べてみたら、辞書が買えないというのであった。だからやりたくてもできないので、「忘れた」と言っていたという。

このことを思った。家に帰っても勉強できる環境にない子どもがたちがいるのだ。そんな子どもたちに、やればできるなんて言っても無理なのである。そうであれば、折角来たその学校。そのチャンスを生かさなければならない。学校には来るが保健室でぐだぐだしている彼ら彼女らを教室に入れて、それも力づくではなくて(なんか面白そうなことをしている)と思わせて自分から入りたくさせて、それでもって国語の力を1時間でつける。そのためにはどうしたらいいのか。私の出した答えは、国語科を実技教科にするということである。

そのあと、この具体例をあれこれ話した。

折角の休みの日に来ている学生たちに、ああ来てよかったと思わせる授業に挑戦の一日であった。

写真は、この日の夕焼け。秋は夕暮れというのはほんとだなあ。


ちょっとウルっと来た

10/9

Photo

指導すること運営することは、それこそ随分とやったが保護者として参加する運動会は初めてであった。こんなに楽なんだと思った。勿論、お客さんたちが大変だったら困るが、先生の仕事の大変さを改めて思うのだった。

親として参加の私は、とにかく怪我をしないこと、させないことである。自分が怪我をしないためには準備運動が大事。親子リレーに参加したが、準備運動がメイン種目であるかのように私は入念に行った。娘(4)と一緒に走るのだが、娘の勢いが良くわからなかったので足手まといにならぬよう、急かさぬようにと気を使う。

中学校と違うなあと思ったことは、いくつかあった。

1)殺気立っていない。
2)ストーリーがある。
3)早い。

1)入場門に子どもたちが集合すると、保護者もカメラを持って集まる。それで問題がない。また、席取りもあったようだが、いざ始まってみるとカメラを構えた人たちが自由に動いている。譲り合って撮影している。

中学校の場合、生徒席に卒業生や他の中学校の生徒が混じって面倒を起こすことが多いので、生徒席と一般席は厳密に分けることがほとんどだ。だが、幼稚園は違うなあと感じた。

2)運動会が、一つの物語になっている。三つの組があって冒険の旅に出るという設定。途中にゴリラさんがいて、おなかをすかしていたので玉のご飯をあげる。これが玉入れ。実になるほどなあと思った。ファンタジーの世界が運動会も包むのかと驚く。

3)当たり前だが、子どもの競技なので一つ一つの演目の時間が短い。あっという間に終わっていく。運営する方としては、これはいいなあf(^^;。

改めて良かったなあと思ったのは、娘の人間関係が見られることだ。家で幼稚園の話題として出てくる友達の顔が良くわかり、じゃれ合っている姿も見ることができた。なるほどなあと思うし、なんか安心。

小中学校でも、この姿を保護者に見せるというのは大事だなと思う。

私はカメラを持って懸命に競技に参加する娘の姿を撮り続けた。また、同じマンションの子どもの姿も。幼稚園によっては保護者のカメラが駄目だというところもある。私には信じられない。その理由は、しっかりと目で子どもの姿を見て欲しいからだという。写真は業者を入れて写真は販売するからいい大丈夫とのことだ。

それはそうなんだろうけど、実際は場所取りの混乱排除とかが目的だろう。業者を入れたら高いし、親にしか見せない表情は撮れない。こんなデジカメで便利な時代なのにねえ。

娘は、ちょっと笑ってしまうぐらい一生懸命であった。
「お前も、一生懸命だったねえ」
と私の母に言われた。こういうところは良く覚えているようだ。そして、こういうところも遺伝するのかなあと思った。ちょっとウルっと来た。

夕方、ヨットハーバーを通り抜け近所のガーデンに娘と散歩に行った。
『あれ? バラさんのところに何かあるよ?!』
と話すと、嬉しそうに恥ずかしそうに向かっていく。
「あ、お手紙!」
封筒に入ったお手紙を娘は発見。
中には、運動会一生懸命がんばったねという内容のお手紙が入っていた。バラさんからである。

『頑張ったのをバラさんもどこかで見ていたんだね』
「うん!」
『よかったね』
「うん!」

その後、近くの温泉に娘と一緒に向かう。
長い一日を振り返りながら露天風呂に入る。
そこに、琵琶湖で打ち上げられた花火が目の前に広がった。

出来過ぎの一日であった。


2011/10/07

社会のサードギアぐらいにいるのかなと思う

10/7

若い友人のY君が、スティーブ・ジョブズがなくなったことに関して、
「時代を作った方が表舞台を去り、バトンを受け取っている自分たちの世代の出番だと感じることが増えてきました。」
と書いている。

分かるなあと思う。

私は自分が30歳ぐらいになったときにこれを感じた。誰かが死んだということではなく、自分が社会を動かしていくギヤのセカンドギアのポジションになったんだなと感じた。こんなことがあった。

CMに使われている音楽が、自分の好みの曲や、これは結構マニアな人でないと知らない曲だぞという曲になっていったのを感じたのだ。CMに使われる曲は、分析してみると面白い。売ろうとする対象に応じた曲になっている。有名なのは、車のCMの曲だ。クラウン(最近はクラウンのCMは、流れていないが。クラウンの購入層はTVを見ないということらしい)とカローラ2では、違っていたわけである。で、違っていて良いのだが、違っているその曲が使われていることに驚きを感じるようになったのが、30歳の頃だ。

なんでだろうと思った。最初は、もう音楽の順列組み合わせがなくなったので、最近流行った曲を使うようになったのかなあと思った。しかし、考え直した。そうなのである。その曲を選ぶ決定権を持つ人間が、私と同じ世代になったのだと考えるようになった。そしてそれは正しいようであった。

もう一つ。私にとっては全国教室ディベート連盟(NADE)である。いや、これが設立される前の、教室ディベート研究会である。当時も教育業界には今のような閉塞感があった。だが、この研究会の設立に参加することになり、第一回の研究会でモデルディベートを担当する等、いきなり最先頭集団にいるようになってしまった。

あの時は、なんというか
(ああ、明治維新ってのはこんな風な感じだったのかもしれないな)
と思えたのだ。
(俺たちが、突っ走れば良いんだ。俺たちが突っ走ることが、日本の教育に風穴をあけることになるかもしれない)
と思えたのだ。
それが、30歳の頃だ。

いま、改めてなんとなく考えてみると、社会のサードギアぐらいにいるのかなと思う。私はバトンを受け取るという感覚もあるが、実はラグビーの方が感覚としてはしっくりくる。

先達から受け取った楕円のボールを抱えて前に進む。自分のできるギリギリのところまで前に進んで、その後、そのボールは後ろから走ってくる若者に託す。後ろに投げる。教師の仕事はこのラグビーそのものだと思っているのだが、人が生きていくということもまさにこれなんだろうなあと、最近強く思う。

勿論、もう少し前に進もうと思う。いや、まだまだ前に進もうと思う。
私が先達から受け取ったそのボールをもう少し前に運ぼうと思う。

ただ、その時が来たら後ろから走ってくる若い仲間に、パスをしたいと思う。スティーブ・ジョブズのとんでもない前進と、とんでもない価値のボールは無理だが、私にしかできない前進と私にしか作り出せない価値のボールもあるはず。そこに進もう。

Y君の文章に触発されて。

『武器としての決断思考』(星海社)を読み終える

10/7

瀧本哲史さんの『武器としての決断思考』(星海社)を読み終える。直ぐに、来年度のディベートの授業の副読本として使うことに決定。本書はディベート甲子園を目指す中学生から、大学生まで幅広く読まれるべき本であろう。ディベート思考に基づいて決断へのプロセスを論じている。

しかし、本当は中学生の特別活動のテキストとして読ませたい、と思ったのである。特別活動とは、学校行事のことと思われるが、実はその中身は結構多岐なのである。その一つに「進路指導」というものがある。学習指導要領には「学業生活の充実,将来の生き方と進路の適切な選択に関すること。」とある。

間違えてはいけない。進学指導ではない、進路指導である。本文には、さらに「主体的な進路の選択と将来設計など」とある。私は、国語科でディベートの指導をしながら、常にここのことを意識していた。卒業後の進路選択の際、自分で仕事や学校を比較して決断させたいと思ったのだ。

『大事なことを決めるときは、資料を集め、じっくり考え、一人で決めることだぞ』と中学生に話していた。じっくり考えの、考え方をディベートで身につけさせようとしていたのだ。本書は、ディベート思考を通して決断とは何かを具体的に好書である。私なら中学校2年生の課題図書にするなあ。

義務教育段階で、どうやって生きていくのか、その為にどう考えていけば良いのかということを教わることもなく社会に放り出され、(え?)と思ったら、「自己責任です」と結果だけ背負わされる。そんな社会になってしまっている。学習者としても、指導者としてもそんなんじゃあ駄目だと思う方には『武器としての決断思考』(星海社)をお勧めしたい。

2011/10/06

Stay hungry、Stay foolish.

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10/6

書道をやっている私が、こうしてMacを友にすることなんて教師になった頃には考えもしなかった。教師になった時、20人の職員室でワープロを使えた人は私ともう一人。Rupoの世界であった。

当時清書マシーンと思われていたワープロ。
「池田さんは、字が書けるのになんでワープロを使うの?」
文章を書くための道具とは思われていなかったのだ。

PC98にするかMacにするか。最初のコンピュータを選ぶ時は相当考えた。PC98を使っている人の話を聞いて頭の中がPC98だらけになり、そしてMacを使っている義父に話を聞いて頭の中はMacだらけになり。これを繰り返して、最終的には仕事でありとあらゆるコンピュータを触ってきた義父が、その中で選んだMacにしたのが始まり。

私のMacはカラークラッシック2、カラクラ2から始まった。

今はMacBookAir。持ち運んでいるのも忘れてしまうぐらいの軽さだ。私は実は家と職員室とカラクラ2を持ち歩いていたのだ。分かる人には分かるが、小さなテレビを持ち歩くのと変わらないぐらいのことをしていた。だって、それはそれは魅力的なものだったからだ。

Macはコンピュータではなく、電子文房具だと思っていた。Macでは、思考の自転車という言い方をしていた。自転車は、その人の運動能力を4倍に高めてくれるというのだ。Macはその人の思考力を4倍に高めてくれるというのだ。実に分かりやすいたとえだと思ったものだ。

あれから、カラクラ2、PowerBook150、PowerBookcs,
1400c,ibook,MacBook Pro15,iMac21,iMac27,MacBookAir2、MacBookAir3と手にし続けてきた。iPodもシャッフルを手にしてから、iPod touch2、iPod touch3、さらにAppleTV,iPad2、iPhone4と。

改めて書き出してみると、凄いな。
なんかここだけ書くと単なる物欲君のように見えるが、購入の際は新しい機種が出た時に、現行機種が一気に安くなるそのタイミングで買っているものばかりなのだ。新品でその時の一番いいのを手に入れたのは、大学に移ってからMacBook Proからだ。

原稿と写真と音楽。ネットとメール。私の使い道はほとんどそれだけ。だけど、Macのお陰で本当に気持ちよく毎日を送ることができている。世界の幸せに大きな貢献をしているのがMacというのを多くの人が認めるだろう。

そのMacを作ったジョブズが亡くなられた。早すぎる。
だが、その精神はしばらくは受け継がれて行くだろう。
そうでなけば、世界中のMacファンは悲しむ。

Macだけでなく、こんなすばらしいスピーチをも我々に残してくれた彼に、心から感謝の気持ちをあらわしたいと思う。

Stay hungry、Stay foolish.

http://video.google.com/videoplay?docid=9132783120748987670

ありがとう。


2011/10/05

学級担任論ではこのことから授業をスタートしている

10/5

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今日の学級担任論では、春休みにする教員の仕事の説明から入る。小学校六年生を担当した先生が、四月から新五年生を担当するとして、春休みにどんな仕事をしているのかを考えさせて、解説する。

春休みは、ご案内の通り教員にとって一年間で一番忙しい時間である。今まで担当していた学年のまとめがあり、次に担当する学年の準備がある。これを一週間でしなければならない。

自分のクラスだけならまあまだいいが、学年のこと、学校のことをやっていくわけで、相当大変になる。今までの纏めは、ここをやっていかないと次の学年でクラスを分けるときに困る。また、一年間の方針を立てるということをやっていかなければ、四月からがスタートしない。

学生たちは、私が配った資料に愕然とする。
毎年、学級担任論で見られる光景である。

私の時代には、一年目の先生が学年主任なんて考えられない。
ところが、単級の学校だとこれがあるわけだ。
さらに、二年目から体育主任とかもあって、運動会の実施計画などを書かなければならない立場になることも、今はある。

目隠しをされて、走らされるのだ。
何をして良いのか分からない、どっちに向かって走っていいか分からないのに、走らされるのだ。一年目は、100走を目隠しをされて、毎日全力疾走させられている感覚だろう。

教師の仕事の特殊性は、ここにある。
一年目から一人で仕事を任される所にある。
私の時代は、まあ、若さだけで乗り切れたと思う。なぜなら、社会がこんなに混迷していないし、事務仕事量がこんなになかったからだ。しかし、いまはもう限界だろう。

社会から評価を受けている企業は、新人の研修に時間をかける傾向にあると思う。国家公務員のあるキャリアは、学部卒だと3年、院卒でも2年マンツーマンで指導を受けるとか。国内の世界的企業である家電メーカーは新卒一年目は研修だけだとか。しかし、教師は一年目から一人なのだ。

私個人は、一人であれこれやれたのが良かったと思っている。自分で考えることができたからだ。しかし、そんな私でもいまの時代に一人でやれと投げ出されたら、大変だろうなあと正直思う。一年目の先生、学級担任を取り巻く環境が、時代が大きく変わっている。

授業ができていないから子どもたちが荒れる。
確かにそれはあるだろう。
しかし、学級は生活集団と学習集団から成り立っている。もう少し言えば、生活集団の上に学習集団があるわけだ。

この生活集団を成立させなければ、学習集団は成立しない。
嘗ては、
「先生の言うことを良く聞いて、賢くなってきなさい」
と送り出してくれる親御さんに支えられて学校はあった。
しかし、いまはそんな家は少ないだろう。先生が、自ら先生の「偉さ」を証明し、子どもを児童の位置において、自分を先生と認めさせる過程が必要になってきている。

野中信行先生もよくおっしゃるが、実は授業はそんなに簡単にうまくはならない。勿論、最初からうまい先生もいるが、実際はなかなかうまくならない。3年、5年、10年と修行をしてうまくなって行くことが多い。この10年もの修行が許されるのは、学級が生活集団として成立しているときである。

私は学級が崩壊して先生を退職するという先生の話は聞いたことがあるが、授業がうまく行かなくて退職するという先生の話はあまりきかない。授業がうまく行かなというのは、実は学級が崩壊していることが多い。

学級をどう作って行くか。校務分掌をどう進めて行くか。その二つが、四月に一年目の先生の両肩にドシンとのしかかる。学級担任論ではこのことから授業をスタートしている。

2011/10/04

クローン人間の問題は、今ひとたび倫理の問題に焦点を当てる

10/4

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ノーベル賞が齎されるかと思いきや、残念であった。IPS細胞はもの凄いインパクトがあると思うのだが、今回は受賞することができなかった。光よりも速いスピードのニュートリノの存在や、アインシュタインのλ係数は本当だったとか、
(もうこれ以上そんなにびっくりするような発見はないんじゃないかなあ)
と思っていた20世紀の末だったが、なんのなんのビックリする発見が続く。

学生たちにこのノーベル賞のISP細胞の話をした。この細胞の衝撃は、クローン人間の誕生につながる可能性があるということである。
『で、クローン人間は賛成? 反対?』
と聞くと、賛成は1割にも満たない。

『では、クローン牛は?』
と聞くとこれは、5割ぐらいが賛成。
『では、なんで牛は良くて、人間は駄目?』
「いやあ、人の誕生は加工されるのはどうも」
『では、不妊治療はどうなる? いま、日本の夫婦の10組に1組は不妊に悩んでいて治療を受ける人もいるんだけど、これは? 君たちの可能性もあるし、君たちが出会う子どもたちの可能性もあるな』
「うーん.....」

『ちなみに、大学生で耳にピアスをしてもいいと思う諸君は?』
これは9割以上が賛成。
『では、こんなのは?』
と未来の話をする。
『「お母さん、一分間に1000字書ける右腕がコンビニで500円で売っているんだけど買っていいでしょ。テストのときに楽なんだもん」とあなたの中学生の娘に言われたらそれを許す?』
これは全員が反対。

『なんでなの?』
「どうも生理的に駄目です」
『そうでしょ。実は私は君たちが耳にピアスをするのをその生理的に駄目な感覚で見ているのだよ。ただ、これは時代の違いではないかと思う。だから、良い悪いではなく、時代や社会の許容範囲の問題だと思うのだ。ピアスぐらいという感覚は君たちは持っている。だが、右腕ぐらいという感覚はない訳だ。ピアスが駄目という人たちの感覚はわかったかね?』

ここで考えてみたかったことは、技術と倫理の問題である。
IPS細胞のおかげで、クローニン人間は技術的に可能な領域に入った。
今までは技術的に不可能であったので、クローン人間は賛成、反対?という議論も机上のものであった。しかし、技術的にできるようになった。

そうなると、倫理の問題である。
倫理は、技術的に可能になったことがらをやっていいのかわるいのか考えることと言うことができるかもしれない。人類が原子力手に入れたとき、これを使っていいのか悪いのかの議論があり、人類は使うことを選択した。

倫理、倫理観というのは、その人間の育つ環境によってかなり違う。だから、あるところでは駄目でも、あるところでは問題ないということがあり、さらに開発競争によって得られるメリットを考えると、やめることはなかったということであろう。これはクローン人間に関しても同じことが言えるだろう。

クローン人間の問題は、今ひとたび倫理の問題に焦点を当てる。
こういうことを一つ一つ丁寧に考えさせたい。
唯一絶対の正解を求める訳ではない。

自分の頭で考えること。
これをさせたい。


青の時代

ブログの写真は、青がベースのものが続いているのを発見。青の時代だ。

2011/10/03

教職総合演習の授業が面白い

10/2

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教職総合演習の授業が面白い。総合的な学習の時間と同じような展開で行っている。学生たちは、何となく教育に関するであろうと思った内容で自分たちで調べたいテーマを選ぶ。そのテーマについての問題、背景、解決への道筋を説明して行く。発表するのだ。

そして、必ず実習コーナーを取り入れることを指示している。例えば、食育をテーマにするのであれば、それに関する実習である。今までは、「どの清涼飲料水が一番多く砂糖が入っているか? 飲み比べ」「アレルゲンの大豆の無い醤油で作ったみたらし団子づくり」などである。

これは「ためしてガッテン」の番組の構成を参考に作らせている。私が番組づくりに関わるようになってさらに思うのだが、テレビ業界にはまだ天才が集まっている。特に、構成作家さんたちの仕事は凄いと思う。プロデューサーが方向を示し、ディレクターが現場の判断をするのだが、その土台となる脚本を作る。

私は内容に関わることが多いのだが、好き放題、思いついたアイディアをがんがん出して行くと、一つの構成された番組になって行くのを見ると本当に驚愕する。長寿番組は、この構成がしっかりしているものが多い。心地よい緊張と刺激が解決に修練されるように作られている。

だから、授業を作るときには『人気番組の構成を参考にせよ』と言っている。今回、学生たちが取り上げるテーマは、最近の子どもの名前、子どもの病気、食育など。どのテーマも面白そうだが、最近の子どもの名前というのは面白いなあと思う。私も興味がある。

学生たちは、最近の子どもの名前について参考図書を集めて勉強を始めている。その様子を聞いていてアドヴァウスをする。『そもそも、名前って何?』「え?」『あなたが持っている名前はいくつあるの?』「え?」『この現象は日本だけなの?』「え?」。

学生たちは資料を集めると、その資料中だけで議論を展開したくなる。だから、私の仕事はそもそも論と、外側の視点を与えること。勿論それを採択するかどうかは彼らの自由。だけど、広く視点をとり、深く見ることの両方を「考える」ために与えたい。発表が、楽しみ楽しみ。

今月の明日の教室は、藤川大祐先生だった

10/1

今月の明日の教室は、藤川大祐先生だった。
彼とはもう、20年ぐらい前からの付き合いになる。私がディベートを学ぼと思って出かけていった研究会で出会ったのが最初。それからあっという間の20年である。この間、藤川さんは教育、授業作りの最先端にいた。勿論、いまでもいる。
今回は、この30年間の授業のトレンドを語ってもらい、さらにいま実践されている授業作りについて、これからの授業について、あれこれ話してもらった。

私も教育学者の端くれなので、知っていることは知っているのだが、こんな風に整理して話してもらえるのは、実にありがたいことだと思った。藤川さんの凄いところは、きちんとわかりやすく伝えるだけでなく、その後にその情報をどーんと公開してしまうところにもある。

当日の資料がそのまま彼のブログにあるのだ。
すごいなあと思う。

懇親会は当初の予定を超えて大人数になった。
そして、懇親会はいままでに経験したことのない「事件」が起きたりもして、なかなか凄かったf(^^;。

翌日は東京の明日の教室だというのに、終電まで藤川さんを引きずり回してしまった。
いやあ、いい時間だった。若い教師の皆さんが、この研究会で出会い、20年後に再びこうして出会えるような関係を作ってくれたら嬉しいなあと思う、一日だった。

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