« (あ、橋掛りか) | トップページ | 教職総合演習の今日のテーマは食育 »

2011/10/23

「ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか」

10/23

111016a93

まずは、以下の文章を読んでいただきたい。

こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっかにんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?ちんゃと よためら はのんう よしろく

ひらがなばかりでちょっと読みにくいと思いますが、読めましたか? 読めましたよね。私たちの世代だと「こなさん みんばんわ」を思い出すのですがf(^^;、それとはちょっと違います。

で、一文字ずつ聲に出して読むと、とんでもないことになっているのが分かりますよね。昨晩寝る前に、つぶやいて寝た所、結構大きな反応がありました。
時々ネットで見かけるこの文章。ここにある「ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか」が気になる訳です。そこで捜してみました。

一つ目は、文士・事物起源探究家 松永英明さんのブログ。細かく調べていて、面白かったです。
http://www.kotono8.com/2009/05/10yometeshimau.html

「ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか」は都市伝説のようですね。

二つ目は、学芸大学の岸先生の認知心理学を活用した文章読解・作文指導のヒントです。
http://psycho.u-gakugei.ac.jp/teacher/kishi.html

トップダウンとボトムアップという考え方は、教えると学ぶにも似ているのかなあと思いながら読みました。

ま、私が不思議に思うレベルのことは、大概もう調べられているということの良い証左ですね(^^)。ただ、こうして一つのことを調べていったら、岸先生の文章に出会うという楽しみは、やはり良いものだなと。一時セレンディピティという言葉が流行りましたが、そうなんだと思います。

仮説、または妄言や野望をばらまきながらでも前に進もうとしなければ、出会うことのないものというものはたくさんあるのだろうなと思う訳です。勿論、良いものばかりに出会うとは限りませんが、それでも大事なことなのだろうと思うのです。

と言い訳をして、これを児童生徒にやってみたらどうなるかなと思うのです。
恐らく、日頃から文章が読めている児童生徒は、このひらがなだらけで単語がおかしな順番になっている文章を、読めると思います。しかし、文章を読むことが苦手な児童生徒ほど、間違いに気がつくと思います。

それは、文章を読める児童生徒は、黙読で内言語化しつつ、さらにその単語の音を心の中で声に出さないで、見ているからだと思います。見て、意味を取っている。音にしていないわけです。我が家の娘(4)は、
「いいなあ。大人は。スラスラ読めて」
と三歳の後半の時に、言ったことがあります。

これは何を示しているかというと、娘にとっての言葉は音で、音の固まりとして言葉を認識しているということです。文字を覚え始めた娘は、たとえば「おはよう」と書かれいてる文字を「お、は、よ、う」と人文字ずつ読む訳です。しかし、大人はさらっと「おはよう」と読める。これがうらやましいということを言っていた訳です。娘は文字を一つずつ音に出して、その結果、あとからつなげて意味を拾うということをしているわけです。

私たちは、簡単に「教科書を読みましょう」と言いますが、実は多くのステップを経て読むということができるようになっており、さらに、読むは、見るにつながっていくということもあるのではないかということが、今回のことからわかるのではないかと思うのです。そして、この見るが「速読」と関連しているというのが、速読の考え方だと私は理解しています。

仮説をあれこれ述べるのは、楽しい(^^)。

« (あ、橋掛りか) | トップページ | 教職総合演習の今日のテーマは食育 »

コメント

池田先生の説は、経験的に賛成できます。

一般に書籍編集者はゲラが出てくると、二人一組で「読み合わせ」という校正作業を行います。一方が入稿原稿を読み、一方がゲラを目で追います。
このとき両者に要求されるのは、「意味を取らないで読むこと」です。
いまではあまり考えられませんが、活版印刷のときには、この手の誤字はわりとよくあり、また見逃し勝ちだと言うことが広く知られていたわけです。
とはいえ、意味を取らずに読むという行為は、なかなかできることではありません。少なくとも、私にその方面の能力はありませんでした。
校正のプロだと、経験的にこの現象を説明してくれるのではないかと思いました。

>>このとき両者に要求されるのは、「意味を取らないで読むこと」です。

これ面白いですねえ。この時の脳波はどうなっているのでしょうか。意味を取って読む時と比較が出来たら、何か発見があるかもしれませんねえ。

私は漢字テストの採点のときに、あまり考えなくても間違いは発見できました。これはおそらく、「この漢字の場合は、ここが間違えやすい」というものが頭に入っているので、考えることなく反応として、間違いやすい場所を見ていたのだと思います。知識で見るポイントを絞っているわけです。だから、間違った漢字の時は、センサーが活躍するという感じでできていました。

ただ、濃く太く大きな、読みやすい字や美しい字で書かれている漢字の場合は、間違っていても○にしてしまうということも発生していました。これはこれでなんでなのかを考えると面白そうです。

今日、電子黒板に映して3年生に読ませました。なぜ読めるのか不思議がっていました。日本語を母語としない生徒には難しいようでした。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« (あ、橋掛りか) | トップページ | 教職総合演習の今日のテーマは食育 »