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明日の教室、塩澤さんによる写真講座が終わった。
上記の写真は、その講座のレッスンを受けての私の一枚(^^)。
ブルーモメントの京都橘大学です。
いやあ、良かった。
実はこの講座もっと多くの方が参加を申し込みされると思っていた。実際は30人程度。講座を行うには実に適切な規模なのだが、もっと多いと思っていた。写真にみなさん興味が無いはずは無いと思うのだが、それが教育とどう結びつくのかが理解しにくかったのか、写真なら教わらないでも出来ると思ったのか、用事と重なってしまったのか。
いずれにしても実に勿体ないことであった。
写真は、教育と実に相性がいいのだ。
カメラを構えていると、子ども達は
「先生、撮って!」
とやってくる。
子どもの笑顔を写してあげることが出来る。
また、当たり前だが、写真はその子どもが自分を客観視することが出来る。自分の姿を客観的に見ることが出来るのである。教師はカメラマンになって、その子どもが気がつかないその子どもの良さを写し撮ってあげることが出来るのである。
君にはこんなにいい点がある。
だけどそれには気がついていない。
ほら、こんなにいいところがあるんだよ。
と写真を示す。
その延長で、世界を示すこともできる。
世界はこんなに美しいんだ。
ほら、これがその世界だ。
と写真を示す。
それが写真のいい所なのだ。
デジカメではそれが現像や焼き付けいらないで、一瞬で示すことが出来る。
Macにつなげば、本当に簡単に写真はiPhotoで整理され、大画面でスライドショーでも見ることも出来る。
◆
写真は実に簡単に上手に撮影できるようになったものだと思う。
私もカメラを持ってもう30年にはなるが、いまのデジカメはもうほとんど別物かもしれない。私は高校のクラブの記録係として映像を担当していた。コンサートの記録である。暗いステージに向けてフラッシュを焚いてしまうと、おかしな絵になってしまうので自分で増感現像をしていた。
トライエックスというフィルムを缶で買って来て、ダークバックで手探りでパトローネに詰めて、増感現像、焼き付けまでやっていた。だから、オートにしてシャッターを切れば、ほぼ間違いなく撮影できて、間違えてもコンピュータ側で簡単に調整できる、いまのデジカメは私には別物にさえ思えるのだ。
だから、デジカメであれば簡単に「写す」ことは出来るのである。
◆
ところが、ということはここに大きな課題が潜んでいることになる。
どういうことなのか。
1)子どもは写りたがっている。
2)カメラは簡単に撮影できる。
3)Macにつなげば写真の整理、表示も実に簡単。
いまの教育における写真の環境は上記のようになっている。だから、簡単に「写す」ことはできると書いたのだ。ではなにが問題なのか。
何を写せばいいのかが見えるかどうかということなのである。
塩澤さんは、この講座の中でそれは「プラスの場所」だと指摘された。
実際の所、テニスのサーブのフォーム矯正のときには、それを連写で撮って「ほら、トスの位置が手前過ぎるだろ?」と弱点を明らかにする使い方もあるのだが、基本的にはプラスの場所を写し撮るということはその通りだと思う。
では、何がその子にとってのプラスなのか。
写真に写し撮ることで、その子どもにどんな発見をプレゼントすることが出来るのか。それは、そのカメラマンである教師の力量に掛かっているのだと私は思うのだ。
となると、私たちは実は子どもを見る目を鍛えなければならないのだ。この目がなければ、奇麗に写った写真ではあるが、だから何?という写真だらけになるのではないかと思うのだ。
◆
恐らく、写真を通して子どもを見る目を鍛え、鍛えた目でさらにいい写真を撮る。
私は、実はそうやって教員として子どもを見る目を鍛えて来たようにも思っている。
教室には被写体が沢山いる。
その被写体の一瞬の煌めきを「掬い撮る」ことができるのは、教師だけなのだ。
素晴らしい一枚を子ども達にプレゼントできますように。
11/28
2011年最後の12月の明日の教室は、激動の2011年のフィナーレにふさわしい講座としました。これからの日本、日本の教育を考える時間を過ごしたいと思います。講師には、京都大学客員准教授の瀧本哲史さんをお迎えしたいと思います。
瀧本さんの京都大学での授業は、立ち見が出るほどの人気の授業です。それは、今をしっかりと分析し、未来を語り、未来を生きる学生達に、生き抜くための「武器」を授けているからでははいかと思われます。
瀧本さんは、最近処女作として、『僕は君たちに武器を配りたい』(講談社)と『武器としての決断思考』 (星海社新書)の二冊を同時に出版されました。出版と同時に売り切れ状態が続き、増刷が続いています。前者は真の資本主義社会をどう生きるかについて。後者はディベート的な思考について書かれています。
私は前者を読んで
「これは教師を目指す学生も必読の本でしょう。これからの世界をどう捉えるかを本書で理解し、その上でそこに生きて行く子どもたちに何を指導するべきなのかを教師は考えなければならない。」
とtwitter上に書きました。そして、瀧本さんがこれからもの凄く忙しくなるだろうと予測して、すぐに明日の教室の講座への登壇を依頼しました。予想通りで、瀧本さんはいまスケジュールが入りません。池田との十数年のおつきあいで無理を言って登壇していただけることになりました。
すでに全国各地から講座の問い合わせを頂いております。
いつもと同じく、またいつも以上に濃密な時間となるでしょう。
是非、『僕は君たちに武器を配りたい』と『武器としての決断思考』をお読みの上、ご参加ください。みなさん、お待ちしております。
なお、今回は、DVDの収録はありません。
◆
講師の履歴
京都大学客員准教授。
東京大学大学院法学政治学研究科助手、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て現職。
マッキンゼーでは、内外の半体、通信、エレクトロニクスメーカーの新規事業立ち上げ、投資プログラムの策定。新卒学生の採用活動とトレーニングに従事。
日本交通の企業再生、ベンチャー投資(エンジェル投資家)における実績多数。
全日本ディベート連盟代表理事、 全国教室ディベート連盟事務局長。
インタビュー記事は
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20111021/288163/
にあります。なぜか、私も出ていましたf(^^;。
お申し込みは、こちらです。
http://kokucheese.com/event/index/22577/
11/22
三日月の後を追いかけて昇る太陽
http://www.youtube.com/watch?v=gRXfRBZsGq0&feature=youtu.be&a
ちなみに、昨日は、もの凄い赤色でした。
http://www.youtube.com/watch?v=trAVfeM1oHE&feature=related
しばらくこの微速度撮影からの動画作成にハマっています。
11/20
高校卒業して30年というのは、なかなか凄いことだと思う。
初めて高校の同窓会に参加した。ちょうど私たちの代が幹事の学年になったということで、東京まで出掛けていき、同窓会、同期会、さらにその後の会まで参加した。
同窓会だったので、クラブの先輩にも会えた。
一つ上の、当時あこがれの女子の先輩も来ていた(^^)。
近況を報告したが、その後
『相変わらずお美しいですねえ』
とさらっと言えてしまう所が、30年の月日だなあと思うのだ。
でも、50歳を過ぎて尚且つお美しいのには感激であった。
クラブの後輩にも会った。
もう誰だか分からない位変わってしまったのもいたが、まあ、中身と性格は同じだったりするので、だんだん記憶が戻るのが面白かったなあ。
同期会の場面では、ステージで当時の流行の歌をクラブの仲間が披露することになった。アリスだ。懐かしいねえと思っていたら
「池田、ほれ、タンバリン」
と渡され、全く打ち合わせもなくステージに立つことに。
タンバリンは、本気でやろうとすると結構難しい。
ま、昔一緒にやっていた仲間なので、その辺りの呼吸はなんとかあわせて、ハモりもなんとか無事出来て一安心ではあった。
◆
基本的に体型はみんなが太ったのだがf(^^;、そうではなく同じ体型を保つ者もいた。さらに、顔が全く変わってしまった者もいれば、全然変わらない者もいるし、髪の毛の量、色、しわの数など、外見は本当にそれぞれだった。
クラス、クラブ、バンド仲間、先輩、後輩。
いろいろと会ったが、体型や外見は変わってたなあ。
だが、中身は変わらないなあというのが、本当に思ったこと。
人間はなかなか変わらないなあというのが、思ったこと。
教育を仕事にしている私としては、
(うーむ。私の仕事はこの変わらない人間という者についてあれこれする仕事なのだなあ)と思うのであった。
◆
同窓会には、お世話になった恩師達もいらっしゃっていた。
私を担任してくださった先生方は、体調を崩されて出席されていなかったが、授業等でお世話になった先生がいらしゃって、挨拶をすることが出来た。
卒業して30年だが、覚えてくださっている。
そんなに悪いことをした記憶は、ないのだが、覚えてくださっていた。
いや、悪い奴ほど覚えている者だから(^^)。
大学で教員養成に関わっていると話した所とても喜んでくださった。
先生に喜んでもらえるってのは、実に嬉しいものだ。
しみじみ思うのは、教師は長生きしなければならないということだ。
「お前は、高校時代ダメだったが、いまは立派になったな」
と言ってあげられるのは、長生きした先生だからできる。勿論、
「お前は高校時代ダメだったが、今もダメだな」
と言ってあげるのも、先生。
その子どもの成長を喜び、さらに叱咤激励する。それが先生なんだと思う。
そして、それをし続けられるように健康で、なおかつ自分を成長させるために勉強し続けなければならないと思うのであった。恩師は、まだ成長を続けられているというのが、教え子を勉強させる気にさせるエネルギーになるのだから。
◆
同窓会は、結局同期会、さらにその二次会と続いて、気がついたら日付が変わってもやっていた。二次会の会場は靴を脱ぎ、ゆったり出来る飲み屋で、朝までいられるとのことであった。私はホテルを予約してあったので、そちらに戻った。
「池田、クラス会もやりたいな」
「池田、クラブの同期会もやろうな」
という声を受けて
『そうだよな。そうだよな』
と話して、握手をして再会を期して、会場を後にした。
いい時間だった。
11/18
このところ文学づいている。
学校教育で文学を扱う意味については良くわからないこともある。私は文学は「危険」だと思っている。そんな危険なものを学校教育で扱うってのは、文学を飼いならしてしまえということなのかなあと思うことがもある。
だってねえ、いい文学の授業をすれば、それは限りなく文学の危険性に近づくことになる訳で、そんなことを学校教育を通して推奨していいのだろうかと思うのだ。だとすれば、文学を飼い殺しにする授業を期待しているか、そもそも良い文学の授業なんて君たち教師には出来ないだろうと高をくくられているかではないかと訝っている私なのである。
ま、
「池田。お前は、文学が分からなくてよかったな」
とほめられているのだか貶されているのだかわからない言葉を恩師から頂いた私ではあるが。
◆
昨日は京都府立高校の国語科の研究授業にお招きいただき、授業を拝見した後合評会で話をさせてもらった。この日の教材は「こころ」。言うまでもなく夏目漱石の作品で、高校の国語の教材の定番の一つである。私は「こころ」で授業をしたことはない。だから、教材研究もしたことがない。そんな私が講師でいいのかとも思いつつも、三年間のプロジェクトの締めくくりということで、出掛けていった。
私は「こころ」の作品を通しての教えるべきポイントなどは、現場の高校の先生には敵わないと思う。ただ、授業の作り方や進め方、また、生徒と同じように先生の指導言で授業を受けての体験からの話はできる。ここをベースにすることでお引き受けした。
◆
授業の場面はKが自殺する所であった。
人の授業を見ると勉強になるものである。自分ならこういう構成で、こういう展開で行うだろうというところを、違う構成で違う展開で進めるのを見ることが出来るからだ。私の進め方が良いのか、それともこの授業が良いのか。はたまた別の選択肢があるのか。あれこれ考えながら授業を見るのは、授業をする人間にとって実に勉強になることである。
授業の中の発問の一つは、Kが自殺したのはいつか?であった。作品の四十八の部分には「土曜日の晩」とある。では、時刻はいつごろ? 授業者は「真夜中」と説明するのだが、その根拠を示さなかった。
(ははあ、これを考えさせるのだな)
と思い、私は生徒になったつもりで懸命に文章を読んだ。すると、「洋燈が暗く点っているのです」という部分を発見。
(うーん、まあ、点けたときは明るかったのだが、暗くなったということは、ランプのオイルが足りなくなったか、芯が短くなった。つまり、時間が経っているということを示す描写ということなのかな)
と思いながら作品を読んでいった。
こういうのが面白いところだと思う。そして、そういう思考を促すような発問を教師は考えるべきなのだと改めて思った。
1)Kが自殺したのは、土曜日の晩のいつごろか? 根拠を示して答えよ。
2)「洋燈が暗く点っているのです」という描写は、何を示しているのか。答えよ。
の二通りが考えられるが、生徒の実態に合わせてどちらかの方法を選択し、授業を展開してくことになるだろう。
帰宅後、授業を拝見して出て来た私自身の疑問が解決しないので、あれこれ考えて調べて、知り合いにメールで聞いたり。実に面白い。教科書の本文に書かれている事実に即して、それを根拠として採用することを通して、読み込んでいく。
◆
帰宅後、私自身の疑問が解決しないので、あれこれ考えて調べて、知り合いにメールで聞いたり。実に面白い。教科書の本文に書かれている事実に即して、それを根拠として採用することを通して、読み込んでいく。
この面白さを、授業の中で子ども達にさせたい。味合わせたい。
教師の説明ではなく、指示と発問で実感させたい。
(自分一人で読んで来たときには、そんな風な物語だったとは全く思わなかった)
と授業を通して生徒が物語から再発見をするような授業をしたい。
そして、一人で再発見ができるような力を育てて上げたい。
◆
で、今朝、連続ドラマの「カーネーション」を見た。
これは私の中での最近のNO1の「ちりとてちん」と同じ位良い連続ドラマである。脚本の良さ、演出の良さ、役者の演技の良さなどがうまいこと回っている。
今日は主人公の糸子が独立を決意して父親とやり合うシーンが一つの山場だった。父親に反抗してビンタを食らうシーンだ。そのシーンに至る前から二階に荷物を取りにいく場面まで、TV番組では非常に珍しい長回しのシーンで構成されていた。
勿論、これは場面の緊張感を崩さないために、ビンタを食らった糸子の頬がだんだんと赤くなることを見せるために、セーので長回しで収録しているのだと思う。takeいくつで収録しきったのか分からないが、もし失敗したら糸子の頬の赤みが消えるまで待って収録しなければならないことになる。その位緊張のあるシーンだ。
◆
twitterなどでこのカーネーションの記事を読むと、見ている人が誰に自分を投影して見ているのかが分かって面白い。主人公は糸子なのだが、糸子の父親、母親、おばあちゃん。それに神戸のおじいちゃん、おばあちゃんなどに姿を投影し、自分と自分の家族を重ねながら見ている。
まさに、文学の醍醐味だなあと思う。
例えば、父親を演じる小林薫さん。この父親の評価は分かれていて面白い。
1)糸子の将来を潰す、最低な父親として見る人。
2)実は糸子の将来をプロデュースしている戦略的な父親として見る人。
3)寺内貫太郎一家の父親のルーツはここだなと見る人。
4)向田邦子さんの『父の詫び状』の父を重ねて見ている人。
5)お母さん(麻生祐未)に甘える気の弱い男と見る人。
一つ一つの姿は父親であり、父親ではない。その集合体が糸子の父親なのだ。多面であるということが人物であり、その多面性を引きさす脚本と演技が、この小林薫さんのお父ちゃんの正体なのだと思う。そしてさらに、このカーネーションに出てくる登場人物達が同じように多面であるってのが、名作の予感をさらに醸し出しているのだと思う。
◆
で、カーネーションを堪能し、一息ついてたら、twitter上で国語の先生仲間と文学教育談義が始まった。特に座の文学をどう考えるかということについて。日本のトップレベルの国語教師とこうして簡単に意見を交わすことが出来る。
この凄さをどう表現したらいいのか。
ありがたいことだ。
◆
東京に行く準備を整えて、京都駅に向かう。さらに、コンソーシアム京都に向かう。学生達の指導だ。来週の月曜日に行う模擬授業の事前指導だ。実は一回やったのだが、教材を変えることになり、もう一度指導をお願いしますということになったのだ。
ところが、もう私には時間がない。
あれこれ考えた結果、東京に向かう新幹線に乗るその1時間前なら、1時間だけ指導の時間が作れると分かったので、京都駅前で指導することにしたのだ。
学生時代、私の同級生は書道の授業を喫茶店で補講してもらったという話を聞いたことがある。國學院大学の佐野光一先生からだ。
(まったく、佐野先生も良くやるよなあ。面倒見がいいなあ)
と思っていたのだが、まさか自分がこうしてやることになるとは。
人生は面白い(^^)。
で、扱う教材は物語文。つまり小説、文学だ。
昨日の高校の研究授業の合評会で話したことなども関連させつつ、指導。
学生達は、続きをやりに大学に戻り、私は新幹線のホームに向かった。
◆
『先生、文学とは何でしょうか?』
大学時代に漢文学の恩師の吹野安先生に伺ったことがある。
「池田。生き様や、生き様」
とご指導を受けた。はっきりと覚えている。
先生がわざわざ「生き様」とおっしゃったのだ。これは「死に様」から出来ている言葉で、通常は間違った日本語として扱われる。そんなもの文学の先生がわざわざ間違って「生き様」と使う訳がない。だからこそ、「生き様」という言葉が私の中で響いた。
(のたうち回って生きていくようすを言葉で表すこと。これが文学なのか)
(俺は、そんな文学を生涯の仕事の対象の一つとして相手にしていくんだなあ)
と思ったのをはっきりと覚えている。
◆
今年の秋は、私にとっては文学の秋なのかもしれない。
11/16
出張で三重県に出掛けていた。
普段さほど関わりのある所でもないので気にしていなかったのだが、三重という文字を見ていて、
(さて、何が三つ重なっているのだろう?)
(いや、三つ重たいものがあるのか?)
と興味を持った。
ちょっと調べてみると、元々三重県の県庁所在地は四日市にあって、そこに三重郡というところがあったそうな。そこから県庁所在地は津に移るのだが、その名残があってか三重という名前を県の名前にしたようだ。
で、何が三つ重なる? 何が三つ重たい?
と思って調べていたら、これは水(み)辺(へ)だという。鈴鹿川の辺りという説があるのだそうだ。ということは、重なってもいないし、重くもないということなんだな。へー。
◆
私たちが生まれる前から社会は当たり前のような顔をして存在していて、私たちがこの世からおさらばしても存在する。だから、当たり前すぎて気にもしないことは沢山ある。この三重県という地名だって200年前にはなかったわけで、今後どうなるかもわからない。
さらに、今ある三重県という名前の由来だって、取りあえずでも知っている人は、さて、どの位いるのだろうか。私は関東の「ことばめがね」を持っているので、関西のあれこれが面白い。面倒くさいというよりは、面白い。
知るって楽しいねえ。
写真は、紀伊半島から望む太平洋の「かぎろひ」。
写真左側に、関空が微かに見えます。
11/15
教職総合演習の授業は、学生達が教育実習に行ってしまっているので変則的なメニューで行う。実習から帰ってきている学生たちの実習報告会のような形式で行った。本学の児童教育学科の実習は三回生で行っている。三回生で行うことで、実習後にそれを踏まえて学ぶ時間を確保したいという思いからだ。
実習後に、自分たちが学んできたケースを元に具体的に考えるというのは、実に良い。自分だったらどう指導するのかという感じになる。他人事ではなく、我が事として授業に参加するようになる。今日もそうであった。今日はa.子どもとの関係づくり、b.喧嘩の後の指導の仕方、c.進度が違いすぎる子ども達への一斉授業のあり方、d.叱ることで子ども達が実習生から先生に見方が変わって心強く思われてきたことなどについての発表があった。それぞれに対して質問と意見が出され、私からも考え方を出して議論を重ねた。
例えば、a では、子どもと関係を作るには?ということに関して、「子ども達とよく遊びなさい」という指導を受けたという話があった。それは何なのであろうかということである。子ども達と遊ぶことで教師は何を得ているのか。子どもの人間関係や遊んでくれる良い先生という評価ということはある。だが、大事なのは子どもの理解なのだ。
その子どもが何を考えていて、どうなりたいのかということを理解することが大事。できれば、その子どもの生育環境も理解したい。そして、その上で人間関係を見る。そのときに、教師は適切な距離感を保っていることが大事。ここが遊ぶ時のポイントなのだという話をする。これをしつつ学級作りを進め、その上に授業作りを行うのだ。
現実は、4月の始業式の段階で、どんな子どもを担任するのかは分からない。だから、学級作りを進め、その後に子どもを理解し、人間関係を理解しという順番になる。理想の学級集団を目指しつつ、現実の子ども達の様子を見ながら修正を重ねて行くのだ。つまり、授業は最後になる。
嘗て、そう東京で言えば20年ほど前は、教師が教室に入れば、教室は私的空間から公的な学習空間にまだ変わったし、わざわざ私は先生であるということを子ども達に認めさせる必要もなかった。子ども達も、教室では児童生徒であった。それは社会がそのように認知していたからである。
しかし、今は、教室に先生が入ってくると「何?」という態度を示す子ども達がいる。その子ども達は児童生徒になっていない。まずは、そこで教師と児童生徒の関係を作らなければならない。学級を作らなければならない、学習集団を作らなければならない。その上に、授業が乗る。
若い先生に授業が大事だと言うことを教えるのは分かる。いや、若い先生たちも分かっている。だから授業を懸命にやる。でも出来ない。そして言われる。「教材研究が足りない」「指導言が良くない」と。確かにその通りになのだが、順番が逆なのではないだろうか? 良い授業が良いクラスを作るではない。
良いクラスだと、良い授業が出来るではないだろうか。特に小学校はそうだと思っている。ある程度力量のある先生であっても、自分のクラスでないクラスで突然授業をすることになると、まったくうまく行かないことは珍しくない。それは授業の力がないのではなくて、クラスへの理解、教師と児童生徒との関係がないなかで授業をすることになるからだ。
ある程度力量のある教員でもこういうことは珍しくない。そうであれば、若い教師に先ず授業だとするのは、おかしいことが十分に分かるだろう。学級作りは学級の組織作りであり、生活集団作り、子どもの居場所作りであるのだが、学級作りは実は学習集団を作っているのだ。学習をする土台を作ることができていなくて授業を進めることはできない。
先ずは、クラスを安定させることだ。授業はすぐには上達しない。ただクラスは、いくつかのポイントを押さえて指導すれば、後は若さで乗り越えられるクラスを作れる。持ちこたえられる。私はそれを教えたいと考えている。
その後、残りの3つに付いてもあれこれ話しあって、今日の教職総合演習3は終了。国語科教育法2の模擬授業の授業に続くのでありました。
11/13
本学の人間発達学部のシンポジウムに出掛けて来た。"21世紀の人間発達学Part2 「詩の力―世界を読み解くリテラシーを育む」"だ。第一部が詩人のアーサー・ビナードさんの講演。第二部が本学人間発達学部のお二人の先生を含めてのシンポジウム。一言で言うと、手前味噌のようであるが、とても良かった。
実は、アーサーさんと私はかつて同じ番組に出演した(私の回とアーサーさんの回は収録が別なので、実際に会ったことはない)ことがあり、私は一方的に親近感を持っていて控え室にご挨拶に伺ったのだが、事情を説明したらとても喜んでくれた。
◆
第一部のアーサー・ビナードさんの演目は「ことばめがね」。
私も中学生達に良く説明していた。
『眼鏡をしている人は、眼鏡を外してみれば分かる。世界は何も変わっていないのに、あなたが眼鏡を外すだけで、全く違って見えるはずだ。つまり、ものの見方を変えるだけで世界は別世界になるという一面があるのだ』
と。
アーサーさんは、これを日本語と英語でやっていた。
たとえば、目玉焼き。
勿論、卵を割ってフライパンで焼く料理である。英語では、サニーサイドアップという。ま、これはその通り。しかし、よく考えてみると「目玉」焼きである。アーサーさんは、気持ち悪くてしばらく食べられなくなったという。
日本人は、あれが目玉焼きという料理であって、まさか目玉を焼いているというイメージはない。さらに、サニーサイドアップであるからして、卵は太陽の比喩で語られているが、日本語では「月見うどん」のように、月の比喩で語られているということに気がついて面白かったという話をしていた。目玉焼きからサニーサイドアップへは大丈夫だが、サニーサイドアップから目玉焼きというのは駄目だというのも面白い。
他にも、原子力爆弾、原子力燃料、クリーンエネルギーと言葉がその本質をくるんで見えなくしてきたことや、TPPはなぜTPPとして報道されていたのか、その本質は何なのかなど、言葉に関わって本質的な話をとても分かりやすくしていた。
◆
私は眼鏡を掛けると外すで、世界の見え方の違いを説明していたが、アーサーさんは、日本語と英語の眼鏡を掛け変えることで、物事の本質を掴もうとすることを話していた。そして、そのことで発見できたことを、詩という形にして表現することが詩人としての私の仕事だと話していた。
言葉で物事を考える。
言葉の精度を上げることが、考えの精度を上げることになる。
当たり前のことを、再認識させてくれた時間だった。
11/10
本日は、教育実習の訪問指導だった。これだけならいいのだが、実に分刻みの一日だった。いつもは娘の園バスを見送ってから大学に出掛けるのだが、今日は娘に見送ってもらって先に大学へ。
一限は模擬授業の事前指導。「ちょっと立ち止まって」を教材にする。これ、実は結構難しい。学生たちはどうしてもトリックアートをメインに授業を作ってしまう。それも、生徒が初めて見ることを前提に作る。しかし、通常教科書を貰ったらぱらぱらと見るのが子どもたちだし、そうでなかったとしても、授業が始まる前に
(なんか面白い絵があるぞ)
ということでこの絵を見てしまう。
だから、指導案で生徒が授業の瞬間に初めて見ることを前提にした設定で授業を作ってはならない。ならないにもかかわらず、今までこの教材で授業を作ろうとして来た学生は、みんなその設定で作ってくる。これで授業をすると、ま、付き合いの良い生徒はまるで初めて見たかのような対応で、お約束ということで授業に「参加」してくれるが、通常は
(んなもん、もう分かっているじゃん)
という態度で、授業を投げ出す。そういう意味で難しい教材なのだ。
かつて、私がこの教材を扱っていた頃は、まだトリックアートのネタがそれほど世の中に広まっていなかった。だから、教科書のこの絵だけでもけっこういけた。しかし、今の世の中、グーグルにトリックアートと打ち込んで画像検索すれば立ち所にそれは目の前に現れる。先生が隠して隠して本番で、「ほーら、面白いだろ?」とやっても、(別に。知っているし)という世界になっている。だから難しい教材なのだ。情報の格差で授業を作ることが実はとても難しくなってきていると考えて良い。
であるからして、絵に振り回されることなく、この文章の中にある文言をきちんと読むということが、この教材では特に必要になってきたと考えられるだろう。いや、インターネットで様々なトリックアートを取り出して、その共通項は何なのか、どういう分類が出来るのかということを考える授業もあるかもしれない。何れにしても、一筋縄では行かない教材になったのは確かだ。
で、どういう扱い方が可能なのかのヒントを言って、この指導はおしまい。
◆
二限は卒論ゼミ。粗い文章を書いてきているゼミ生がいて、少しイライラする。概念のレベルが揃っていないのに気がついていない。または、論じようと予告してある文章に論じる内容が呼応していない。ちゃんと書いてきたのかと?思う。本人に確認した所まだ途中だという。
そうではない。卒論は確かにまだ書き終わっていないが、ゼミで揉んでもらう文章は、そこの部分においては完璧なものを目指して仕上げてこなければならないということを理解していない。私はそんな指導をしていたのかと自己嫌悪。だが、そんなことを言ってられない。厳しく再指導。
例えば、論じようと予告してある文章に論じる内容が呼応していないでは、「~について、以下の4つの項目を○○は指摘している」と書き、その4つの項目を挙げた後に、それぞれを論じて行くのに、4つ目がない。それは私にとっては非常に気持ちの悪いことなのだが、気持ち悪くないらしい。
『あのね、「飴を4つ上げるよ。赤、青、白、緑の飴ね。じゃあ、はい、赤のイチゴ。青のソーダ。白のミルクの飴ね」と子ども達に言ったら、暴動になるぞ。それと同じことをこの文章でやっているの分かる?』というと、ああ、と分かる。まだ、文章に向き合う真剣味が足りないのだと話す。
文章を書くとは、考えるということ。だから、卒業論文が大事になってくるのだ。一生のうちで、こんなに長い自分の文章に向き合うまとまった時間というのは、多くの学生にとってここが最後になる。じっくりと考えさせたい。
◆
昼休みにゼミの続きをやり、次の模擬授業担当者の予約を受付け、顧問をしている野球部の幹部交代の挨拶を受け、教務委員の仕事をして、生協で慌てて昼ご飯を片付け、教育実習訪問指導先に向かう。
しかし、まあこういう忙しいときにちょっとしたトラブルは起きるものだ。E91の調子がおかしい。エンジンにアラートが出ている。アイドリングのときに振動が大きい。
(あ、やってもうたか?)
コードが一本切れたんだなと思った。6気筒のうち一つが動いていないような感じだ。あと5気筒あるから動くが、乗り心地は全然駄目。気持ちを落ち着かせながら、小学校に向かう。
◆
模擬授業は、70点の出来だった。とても良かった。その70点のうち、60点が子どものが担当だがf(^^;。とても良い子どもたちであった。授業者は明るくテンポの良い展開と、メリハリのある声。これは良かった。授業が進んで作業に入る。
「班になります。どうぞ」
と言ったら3秒後に、クラスのすべての子どもたちが4人の学習班を作っていた。もの凄く質の高い小学校3年生であった。
今日の授業は同音異義語、同訓異字の使い分けについての授業であった。見ていると、もうすでに分かっている子どもは答えを言い、分からない子どもは考え続け、要領のいい子は辞書を見て答えるというようになっていた。つまり、分からない子どもは分からないままという授業になってしまっていたのだ。
ゲーム形式で授業を作っていた。問題を作り合ってそれを解き合う形式の授業だ。が、個人で考えること、全体で考えること、調べて考えることの指示が適当であったり、作業のための時間が予め示されていなかったりで、見ている方はヒヤヒヤであった。ではあるが、子どもたちに支えられてこうして成立してしまう授業ってのは、あるものだなと改めて思った。
その質の高い児童に支えられて、それなりの授業が出来てしまっているところに問題があることを、授業後に1時間ちょっとかけて指導した。子どもの良さに支えられすぎて授業が成立しているということはどういことで、どこをどう直せばより良くなるのかということを指導である。
◆
その後、慌ててBMWのディーラーに向かう。イグニッションが1気筒やられていることが判明。在庫があるというのでその場で交換してもらう。ちょっと値は張るが、やはりディーラーは便利だ。
小一時間で颯と直してもらい、シルキー6を楽しみながら、いつもよりは早い帰宅であった。今日は教務委員の仕事も一山超えたし、ちょと寛ごう。
11/8
正倉院展に向かう。http://narakanko.jp/j/ivnt/ivnt_data/ivnt117/
正倉院展は、言うまでもなく天平文化の宝物を年に一度、この時期だけに見せてくれる展覧会である。奈良国立博物館で開催である。東京にいるときは、まあ、無理だったが関西にいるのでありがたく見ることにする。
◆
1250年前に実際に聖武天皇らが使っていた、あれこれが目と鼻の先で見られるってのは、本当に凄いことだ。若い頃はあんまりその凄さに驚くこともなかったが、だんだんその凄さを再認識する。
考えてみれば、世界で発掘される遺物は、そう、まさに発掘されるということなのである。土の中に埋もれていたものが発掘されて展示されることはあるが、こうして室内に保存されながら1250年も現存しているものというのは、世界にもないと思われる。
土に埋まっていないので、その品々は風化することもなく、溶けることもなく、あるのだ。錆、酸化、こけ、カビなどが付かないように1250年前の技術で工夫を凝らして保存し、それが目の前にあるってことは、そりゃあ凄いことだと思う。今は年に一回こうして人々に見る機会があるが、歴史の中では100年間倉を開けることがなかったときもあるというのだから、見られるのは幸いだ。
ただ、ぼーっと口を開かないように見とれたのであった。
◆
美術館に行ったらミュージアムショップでの買い物は楽しみである。レプリカもたくさんあるし、便箋や関連書籍も多い。今回はこれもお目当ての一つ。万葉集関連の書籍と日本の色の辞典と正倉院関連で子ども向けの本とを手に入れて喜ぶ私。
そして、家にある風呂敷の大型のも手に入れた。正倉院の御物のレプリカなのだが、小型のものは奥さんが買っていたのだが、これが実に良くて大型のものも欲しいと思っていた。店にいくと、一つあった。
『えっと、在庫はありますか?』
確認したら、現物のみだという。ひえー、嬉しい。あわてて買う。
正月や結婚式にも使えて、それでいてそんなに華々しいというものでもない柄は、なかなかない。ああ、嬉しい。
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で、奈良に行ったら必ず立ち寄るのが若草山。ここの夕景は見事の一言。
日の沈むまで見届ける。
幸いなことに、この日は14番目の月。
大仏殿を従えて昇る月を見ることができた。
大仏殿側から見るとこんな夕景。
頂上はこんな感じ。
青丹よしには、鹿は大事。
また、来年も来たいなと思いながら、帰路につくのでありました。
11/10
うーん、ちょっと驚いた。
学習指導案まで売っているのね。
http://www.happycampus.co.jp/docs/963203737164@hc08/19274/
確かに、追試という勉強法があるわけで、その追試のためには本を買う訳で、買うということに関しては同じだ。ただ、勿論、追試の場合は、最初の実践(原実践)を示し、それを直す場合には修正実践と明記する。
しかし、この学習指導案販売で手に入れた学習指導案は、どう扱われるのだろうか?
中身を見ていないので、断定は出来ないが、このサイトにアップロードしている人たちは匿名であり、日付や学校名等を記入する所は空欄になっていて、書き込めるようになっている。つまり、ひな形になっていると考えられる。
であれば、この資料を参考にして授業を作るということは考えにくい。
まして、卒業論文など、その使い道は言うまでもないだろう。
学習指導案の書き方を指導されたことのない学生が買うのか、卒業論文の書き方を指導を受けたことのない学生が買うのか。高い大学の授業を払っているのだから、大学の教員に指導を受ければいいのになあ。
折角大学に行っているのに、考えるチャンスを自ら失っている。
はあ。
【展示紹介】「被ばくはどう伝わったか ―平和絵本・児童文学への入口―」
本学の図書館と児童教育学科の共催の企画です。丸木美術館から原画をお借りしています。無料です。是非、お立ち寄りください。http://bit.ly/uzm8cH
11/6
シャワーを浴びて気持ちを整えて、新幹線、マリンライナーを乗り継いで高松に向かう。香川大学で行われる「日本生徒指導学会第12回大会香川大会」の中での香川大学教育学部附属教育実践総合センターとの共催の講座を行うためである。
昨年は、「伝えるということ」というテーマでお招きいただいた。今年は生活指導に関して。『こんな時どう言い返す』の講座をお願いされた。国語と生活指導と二つのテーマで読んでいただけるとは嬉しい。
瀬戸大橋を渡って香川に向かう。
しかし、この橋を渡るのに別料金が掛からないというのはいいなあと思う。
馬鹿みたいに窓にへばりついて海を眺めていた。
美しい景色、良いなあと思う。
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講座の参加者は当初想定していた若手教員ではなく、それこそベテランの先生、指導主事、管理職、研究者がほとんどになっていた。70人ぐらいの参加者。
(私が話しても良いのだろうか?)
と思わず思ってしまった。が、まあ、現状に最善を尽くすしかない。2時間の講座に力を注ぐ。
感想を見る限りでは、及第点を頂いたようだ。
自分でやる授業はいいのだが、こうしてお招きいただいてやる講座というのは、未だにどうもどきどきする。それは昨日も同じだ。読んで下さった方の顔に泥を塗ってしまうことにならないかと心配する。自分のことであれば、大概のことは上がらない私も、人様が絡むとやや緊張することもある。
講座には、教え子も来ていた。来年の春から高知の小学校の先生に合格した卒業生。本当は、香川県の書道の先生に合格した卒業生も参加するのだったが、仕事で来れず。これは残念。また、縁があって学生時代から私の講座を受けている小学校の講師の先生も(この先生も春から正規教員に合格)参加。こうして顔を見られるのもいいものだ。
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講座が終わってから教え子とお茶をする。本当は懇親会にもと思っていたが、香川から高知は高速バスで2時間は掛かる。ちょっと無理なのでお茶をする。そして、高松の町であれこれする。忙中閑ありだ。
この日の懇親会も楽しかった。懇親会なんだから楽しいだろうと思うかもしれないが、そう簡単なことではない。私を読んで下さったS先生のお人柄に包まれながら、そしてスタッフのみなさんの暖かさに包まれながら、私は幸せだなと思うのだ。このスタッフの中で一緒にお酒が飲めるってのはねえ。人生の中でたった二日しか同じ時間を過ごしていないのに、こういうおつきあいをさせていただけるなんてね。
また、新しくお会いした先生が、私の大学の大先輩だということも分かった。まさか、香川で院友に会うことになるとは。嬉しいことだ。
締めのうどんを食べて、幸せに爆睡。
11/5
大阪で講座。「第5回中学校・学級づくりセミナーin大阪」に登壇。中学校に絞って、学級づくりに絞ってセミナーというのはストライクゾーンが狭い講座だ。これを堀さんらが、中心になって今年は全国で展開している。その関西版にお招きいただいたというもの。
中学校の教員が担う仕事というのは、私は実に多岐にわたると思っている。授業の他に進路選択とクラブ指導と生活指導があり、そこに生徒の思春期とが関わってくる。本当に大変な仕事だと思う。しかし、国の教員養成の柱は小学校教員養成であって、中高はどちらかというと主流にはなっていない。
だから、こうして中学校のことは、自分たちでやるしかないような感じがある。
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講座を終えて、懇親会。
中学校教員のカラーの良く出た懇親会であった。
とても懐かしい感じがした。
つい、飲み過ぎてしまった。
この世界観を懐かしがっているだけでなく、きちんと世の中に翻訳しなければなあと思うのであった。
ホテルに戻り、高層のバーに一人で出向き、これからのことをあれこれ考える私であった。
ま、考えていたら寝てしまったんだけどね。
11/3
近江神宮の流鏑馬を見て、午後から大学に行った。教員仲間で作っている研究会に参加するためだ。児童教育学科の教員はいろいろな民間教育団体のトップで発表をし続けて来ている人たちが多く、言ってみれば職場に行くだけで全国大会の分科会になっているという恵まれた環境にいると言えるのだ。
研究会では「なんでこんなもん勉強しなければならないんだよ」と生徒に言われたときになんていうのだろうかという話になった。『入試に出るから』進学しないという生徒には意味はない。『社会人になったときに必要だから』就職できないしという生徒には関係ない。
となると、残る答えは一つかもしれない。それは「だって、面白いじゃないか」である。新しいことを知ること、できるようになること、謎が解けること。これは面白い。教師は少なくともこの感覚を体験したことがある人がやっているだろう。だが、勉強で虐げられて来た生徒たちは、そうは思わない。
だから、だからこそ教師の仕事なのだ。(えっ、面白い!)と子どもたちに思わせるのが教師の専門性であり、教師の存在意義である。役に立つ立たないということは、ちょっと横においておいて、面白いと思わせないとそういう子どもたちは、授業に参加しようとはしない。
「いいから、やれ」というのも指導としてはありなのだが、「だからなに?」ということで全く反応しない生徒たちがいるのも事実。だったら、「だからなに?」の生徒に、「先生ごめん。面白いからやらせて」と言わせる授業を作ることを優先させるべきである。
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研究会の後、国語科教育法の学生たちに模擬授業の事前指導を行う。休日だがここしか時間がなかったのだ。2時間ほど行う。このグループの授業は「文法」。指導案の書き方は先週指導済。そして、一応書いて来ている。一瞥して思った。つまらない。聞いてみた『君たちは、この授業は面白いと思う?』と。
すると、「つまらない」という。『そんなつまらない授業を作ってくるなよ』と指導。助動詞「れる・られる」に関しての授業であった。指導案は、この単語には「受け身尊敬可能自発」の四つの意味があり、それぞれの例文を出して、一つ一つ説明して、最後に練習問題を出すというもの。
確かに授業は進むだろう。だが、本人たちも言っているように、これは全く面白くない。文法の授業は、全体が分からないと部分が分からないという特徴がある。だから、助動詞一つを取り出しても、実は生徒は良くわからないということがほとんどである。だから取りあえず順番に教えようとなるのだ。
しかし、ここは挑戦しなければ駄目だ。この「れる・られる」は、同じ形をしているのに、意味が四つもあるというところが面白い。そして、文法ではここが良く問われる。「ない」「の」「た」「そうだ」「ようだ」がそうである。だからここで、同じ形で、意味が違うものあるときちんと教える必要がある。
『例えば、「先生は投げられた。」という一部文を授業の冒頭に持ってくるのはどうかな?』これだと、「られ」に受け身、尊敬、可能の三つの意味があり得る。「先生は食べられた」も三つ。そこから、授業を展開するのだ。(へー、言葉って面白いなあ)とならねば、子どもたちは先に進まない。
指導が終わった後、学生の一人が言った「先生。一週間に一回90分の授業では全然足りません。もっと、先生と授業を作る話をしたいです」と。嬉しいねえ。私はこう答えた
『自主ゼミを組織しなさい。大学の勉強の醍醐味は自主ゼミだよ。学びたいものを仲間と一緒に自主的に極めようとする。懸命に勉強した所で、単位は一つも出ない。これがいいんだ。私も教育に関しては大学時代は自主ゼミで鍛えていただいたんだよ。あんなにやったのに、単位は出ない。これがいいんだよな(^^)』
面白い授業を作る。その一歩目を彼ら彼女らは文化の日に踏み出しました(^^)。
11/2
本日の学級担任論は、少し授業のことも。いま教育実習の巡回指導していることから、授業が気になっていることもあって。先週私が行ったこの授業は、予定通りに進んでいなかったことから話し始めた。授業はやりたかったことと、出来たことの差があるものである。目標を立て、計画、準備してもずれる。
これは仕方がない。子どもの反応や理解によってその場で変わってしまうことはある。思ったよりも理解が出来ていない子どもがいたり、興味を示したりしたらそこはもう少し深くやるし、先に進むこともある。遅れる子どもはその後指導し、進んだ子ども達には発展課題を与えていく。それが授業だ。
だが、研究授業になると、ここまでは終わらなければならないという思いで、子ども達の理解が不十分だろうと、話が盛り上がろうと指導案の通りに進めようとしすぎてしまう。気持ちは分かるが、それは違う。研究授業も一つの授業である。指導案からずれてでも必要ならばやるのだ。
その後、「指導案と授業が違いましたね」と指摘を受けるだろう。そりゃあそうだ、違うんだから。その通りにやったってずれることはあるのに意図的にずらしているのだから。ここで大事なのは指導講評を受ける前である。この前に、通常は自評ができる。そこで「○○のようにするつもりでしたが、××になってしまいました。どうしたら、○○のように授業を展開することができたのでしょうか。よろしくご指導ください」と言えば良いのだ。私はそう考えている。指導を受けるポイントを自分で設定してしまっていいと考えている。勿論、言い方は謙虚にとは思うが。そうすれば、自分の問題点を十分叩いてもらえる。自分が必要な指導が受けられる。
で、今日の授業の中で、私はミスをした。ミスをしたのだが、一旦それはそのまま流した。そして、その後そのミスの解説をした。何のミスをしたかというと『全員立ちなさい。小グループを作ります。4人、または5人になります。出来た所から座ります。はい、どうぞ』と指示を出した。その指示でミスを作ってしまったのだ。
グループを見て歩いたのだが、そのときには気がつかなかった。アクティビティが始まってから6人のグループが3組いることに気がついたのだ。(まずい)と思ったが、ここは流して、アクティビティが終わってから学生たちに問うた。『私のミスに気がついた者?』と聞いたが、それに気がつく者はいなかった。
私は、『4人、または5人になります』と指示を出しておきながら、6人のグループを結果的に認めていたのである。ここが間違いだということに、学生たちは気がついていない。『これをそのままにしておくと、(なんだ、あの先生の指示は守らなくてもいいんだ)と子ども達が思うようになるのだ』と話した。『机をつけなさい』と指示を出したら、徹底させる。3cm離れているのであれば直ぐに戻る。しかし、これを見逃し、5cm、10cmとなったらもう元には戻しにくい。これは子どもが悪いのではない。指示を徹底できなかった教師が悪いのである。
『だから、先生の指示は徹底しなければならないのだ』と説明を重ねた。この説明は授業の予定にはないものであった。今日の授業の予定もズレた。だが、誤解のないように今日の私の講義メモを見せながら学生たちに話した。『ズレるから準備しなくてもいいというのではない。準備は十分にすること。間違えてはならない。準備してあるからずれるのだ』と。
その後、今日の講義の中心テーマの学級内グループ(公的、私的)の種類と特徴と、学級内の人間関係について分析の仕方を扱った。なんとか予定していたものは終えることができた。ああ、良かった。学級担任論、15回じゃ、少なすぎる。
11/1
『AさせたいならBと言え』(岩下修)は、名著である。子どもにAをさせたとき、Aしなさいと言ってもダメで、Bしなさいと言って、実質的にAの内容をさせるのである。プール指導で、体の力を抜きなさい(A)と言ってもダメで、お化けになりなさい(B)と言うと、体の力が抜けるというものだ。
今日の教職総合演習では、学生たちに手遊び、歌遊び、手品などのこねたを披露させた。ちょっとしたものを数多く持っておくことは、教育実習では大事なのでそれを披露し合った。私はそのときの指示の出し方などに指導を入れていた。立ち方、声の出し方、指示の順番、一時一事の法則などを確認した。
その中で、改めて凄いなと思ったのが、「とんとんとんとん、ひげじいさん」である。幼児はミュージカルの世界にいる。なんでも歌って踊っている。学生たちには、「君の動作を30分間、全部歌と踊りで表現してみよ」というやれればやってみよの指示を出すが、子どもはこれをやっている。
髭じいさんをやると、子ども達はすぐに喜んでやる。歌、動作(踊り)があってすぐに乗ってくる。この髭じいさんが凄いのは、髭、こぶ、鼻、眼鏡、頭の上と手の位置がだんだん上に上がることだ。そして、最後に「ひらひらひらひら、手はお膝」となるのが凄い。
手が上にだんだん上がると疲れる。だから、「ひらひらひらひら」と降りてくると、子どもは嬉しい。そして、安心して「手はお膝」に落ち着くのだ。この歌は、「手を膝に置きなさい」というAを実現させるためのBの歌なのではないかと思うのだ。実に優れていると思うのだ。
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今日の国語科教育法2では、学習指導案の書き方についてあれこれ。項目の説明、例えば評価の基準と規準の違い等は先週やっておき、今週はそれを受け手行った課題を振り返った。学習指導案を書かせたのだが、何を元にしたかと言えば、私の出演したNHK教育テレビ「わくわく授業」である。
作文の書かせ方についての巻である。この作文の書かせ方については、前期の授業で学生たちには指導してある。その内容のちょっと古いヴァージョンで指導したものが、このH16に行った「わくわく授業」の収録である。この授業の内容をPCで見られるようにし、その内容を学習指導案にさせた。一週間かけての課題である。
通常、学習指導案の書き方指導は、ある教材を与えて、それを学習指導案の形式で教材研究させるというのが一般的ではないかと思う。だが、これは結構難しいと考えている。そこで私は、実際の授業を見せて、それを学習指導案の形式に落とすことで学ばせようとしている。
今は、例えば野口芳宏先生の授業のDVDなどが、簡単に手に入る。その授業を学習指導案の形式でまとめさせるというのは、いい勉強方法ではないかと思うのだ。追試という方法をさせる前に、学習指導案のひな形の中で授業を見させるのだ。書き取らせるのだ。
これだと教師と生徒のやり取りも具体的に書けるのでやりやすいはずである。自分の書いた指導案を仲間たちと読み合って、自分のものと比較検討をすることができる。同じ授業を見ながら、観点が違うことが分かる。自分が何を大事にしているのかも分かる。
そして、何より、このDVDは授業者が私なので、彼らが学習指導案を書いた後で抱いた授業に関する疑問は、私が確実に答えられる(^^)。また、おまけとして収録時の裏話や、メディアリテラシーとしての考え方も示せる。これも結構面白い。
この「わくわく授業」収録は二週間にわたった。一週目が作文で、二週目がディベートであった。進路指導主任としての仕事がピークの時の収録でもあったので、二週間で5キロ以上痩せたのを覚えている。だが、このタイミングで残しておいて良かったなあと思う。人生は面白い。さ、頑張ろ(^^)。