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2011/11/15

第一部のアーサー・ビナードさんの演目は「ことばめがね」

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本学の人間発達学部のシンポジウムに出掛けて来た。"21世紀の人間発達学Part2
「詩の力―世界を読み解くリテラシーを育む」"だ。第一部が詩人のアーサー・ビナードさんの講演。第二部が本学人間発達学部のお二人の先生を含めてのシンポジウム。一言で言うと、手前味噌のようであるが、とても良かった。

実は、アーサーさんと私はかつて同じ番組に出演した(私の回とアーサーさんの回は収録が別なので、実際に会ったことはない)ことがあり、私は一方的に親近感を持っていて控え室にご挨拶に伺ったのだが、事情を説明したらとても喜んでくれた。

第一部のアーサー・ビナードさんの演目は「ことばめがね」。
私も中学生達に良く説明していた。
『眼鏡をしている人は、眼鏡を外してみれば分かる。世界は何も変わっていないのに、あなたが眼鏡を外すだけで、全く違って見えるはずだ。つまり、ものの見方を変えるだけで世界は別世界になるという一面があるのだ』
と。

アーサーさんは、これを日本語と英語でやっていた。
たとえば、目玉焼き。
勿論、卵を割ってフライパンで焼く料理である。英語では、サニーサイドアップという。ま、これはその通り。しかし、よく考えてみると「目玉」焼きである。アーサーさんは、気持ち悪くてしばらく食べられなくなったという。

日本人は、あれが目玉焼きという料理であって、まさか目玉を焼いているというイメージはない。さらに、サニーサイドアップであるからして、卵は太陽の比喩で語られているが、日本語では「月見うどん」のように、月の比喩で語られているということに気がついて面白かったという話をしていた。目玉焼きからサニーサイドアップへは大丈夫だが、サニーサイドアップから目玉焼きというのは駄目だというのも面白い。

他にも、原子力爆弾、原子力燃料、クリーンエネルギーと言葉がその本質をくるんで見えなくしてきたことや、TPPはなぜTPPとして報道されていたのか、その本質は何なのかなど、言葉に関わって本質的な話をとても分かりやすくしていた。

私は眼鏡を掛けると外すで、世界の見え方の違いを説明していたが、アーサーさんは、日本語と英語の眼鏡を掛け変えることで、物事の本質を掴もうとすることを話していた。そして、そのことで発見できたことを、詩という形にして表現することが詩人としての私の仕事だと話していた。

言葉で物事を考える。
言葉の精度を上げることが、考えの精度を上げることになる。
当たり前のことを、再認識させてくれた時間だった。

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