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2011/11/04

今日の授業の中で、私はミスをした

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本日の学級担任論は、少し授業のことも。いま教育実習の巡回指導していることから、授業が気になっていることもあって。先週私が行ったこの授業は、予定通りに進んでいなかったことから話し始めた。授業はやりたかったことと、出来たことの差があるものである。目標を立て、計画、準備してもずれる。

これは仕方がない。子どもの反応や理解によってその場で変わってしまうことはある。思ったよりも理解が出来ていない子どもがいたり、興味を示したりしたらそこはもう少し深くやるし、先に進むこともある。遅れる子どもはその後指導し、進んだ子ども達には発展課題を与えていく。それが授業だ。

だが、研究授業になると、ここまでは終わらなければならないという思いで、子ども達の理解が不十分だろうと、話が盛り上がろうと指導案の通りに進めようとしすぎてしまう。気持ちは分かるが、それは違う。研究授業も一つの授業である。指導案からずれてでも必要ならばやるのだ。

その後、「指導案と授業が違いましたね」と指摘を受けるだろう。そりゃあそうだ、違うんだから。その通りにやったってずれることはあるのに意図的にずらしているのだから。ここで大事なのは指導講評を受ける前である。この前に、通常は自評ができる。そこで「○○のようにするつもりでしたが、××になってしまいました。どうしたら、○○のように授業を展開することができたのでしょうか。よろしくご指導ください」と言えば良いのだ。私はそう考えている。指導を受けるポイントを自分で設定してしまっていいと考えている。勿論、言い方は謙虚にとは思うが。そうすれば、自分の問題点を十分叩いてもらえる。自分が必要な指導が受けられる。

で、今日の授業の中で、私はミスをした。ミスをしたのだが、一旦それはそのまま流した。そして、その後そのミスの解説をした。何のミスをしたかというと『全員立ちなさい。小グループを作ります。4人、または5人になります。出来た所から座ります。はい、どうぞ』と指示を出した。その指示でミスを作ってしまったのだ。

グループを見て歩いたのだが、そのときには気がつかなかった。アクティビティが始まってから6人のグループが3組いることに気がついたのだ。(まずい)と思ったが、ここは流して、アクティビティが終わってから学生たちに問うた。『私のミスに気がついた者?』と聞いたが、それに気がつく者はいなかった。

私は、『4人、または5人になります』と指示を出しておきながら、6人のグループを結果的に認めていたのである。ここが間違いだということに、学生たちは気がついていない。『これをそのままにしておくと、(なんだ、あの先生の指示は守らなくてもいいんだ)と子ども達が思うようになるのだ』と話した。『机をつけなさい』と指示を出したら、徹底させる。3cm離れているのであれば直ぐに戻る。しかし、これを見逃し、5cm、10cmとなったらもう元には戻しにくい。これは子どもが悪いのではない。指示を徹底できなかった教師が悪いのである。

『だから、先生の指示は徹底しなければならないのだ』と説明を重ねた。この説明は授業の予定にはないものであった。今日の授業の予定もズレた。だが、誤解のないように今日の私の講義メモを見せながら学生たちに話した。『ズレるから準備しなくてもいいというのではない。準備は十分にすること。間違えてはならない。準備してあるからずれるのだ』と。

その後、今日の講義の中心テーマの学級内グループ(公的、私的)の種類と特徴と、学級内の人間関係について分析の仕方を扱った。なんとか予定していたものは終えることができた。ああ、良かった。学級担任論、15回じゃ、少なすぎる。

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