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2011/11/14

実に分刻みの一日だった

11/10

本日は、教育実習の訪問指導だった。これだけならいいのだが、実に分刻みの一日だった。いつもは娘の園バスを見送ってから大学に出掛けるのだが、今日は娘に見送ってもらって先に大学へ。

一限は模擬授業の事前指導。「ちょっと立ち止まって」を教材にする。これ、実は結構難しい。学生たちはどうしてもトリックアートをメインに授業を作ってしまう。それも、生徒が初めて見ることを前提に作る。しかし、通常教科書を貰ったらぱらぱらと見るのが子どもたちだし、そうでなかったとしても、授業が始まる前に
(なんか面白い絵があるぞ)
ということでこの絵を見てしまう。

だから、指導案で生徒が授業の瞬間に初めて見ることを前提にした設定で授業を作ってはならない。ならないにもかかわらず、今までこの教材で授業を作ろうとして来た学生は、みんなその設定で作ってくる。これで授業をすると、ま、付き合いの良い生徒はまるで初めて見たかのような対応で、お約束ということで授業に「参加」してくれるが、通常は
(んなもん、もう分かっているじゃん)
という態度で、授業を投げ出す。そういう意味で難しい教材なのだ。

かつて、私がこの教材を扱っていた頃は、まだトリックアートのネタがそれほど世の中に広まっていなかった。だから、教科書のこの絵だけでもけっこういけた。しかし、今の世の中、グーグルにトリックアートと打ち込んで画像検索すれば立ち所にそれは目の前に現れる。先生が隠して隠して本番で、「ほーら、面白いだろ?」とやっても、(別に。知っているし)という世界になっている。だから難しい教材なのだ。情報の格差で授業を作ることが実はとても難しくなってきていると考えて良い。

であるからして、絵に振り回されることなく、この文章の中にある文言をきちんと読むということが、この教材では特に必要になってきたと考えられるだろう。いや、インターネットで様々なトリックアートを取り出して、その共通項は何なのか、どういう分類が出来るのかということを考える授業もあるかもしれない。何れにしても、一筋縄では行かない教材になったのは確かだ。

で、どういう扱い方が可能なのかのヒントを言って、この指導はおしまい。

二限は卒論ゼミ。粗い文章を書いてきているゼミ生がいて、少しイライラする。概念のレベルが揃っていないのに気がついていない。または、論じようと予告してある文章に論じる内容が呼応していない。ちゃんと書いてきたのかと?思う。本人に確認した所まだ途中だという。

そうではない。卒論は確かにまだ書き終わっていないが、ゼミで揉んでもらう文章は、そこの部分においては完璧なものを目指して仕上げてこなければならないということを理解していない。私はそんな指導をしていたのかと自己嫌悪。だが、そんなことを言ってられない。厳しく再指導。

例えば、論じようと予告してある文章に論じる内容が呼応していないでは、「~について、以下の4つの項目を○○は指摘している」と書き、その4つの項目を挙げた後に、それぞれを論じて行くのに、4つ目がない。それは私にとっては非常に気持ちの悪いことなのだが、気持ち悪くないらしい。

『あのね、「飴を4つ上げるよ。赤、青、白、緑の飴ね。じゃあ、はい、赤のイチゴ。青のソーダ。白のミルクの飴ね」と子ども達に言ったら、暴動になるぞ。それと同じことをこの文章でやっているの分かる?』というと、ああ、と分かる。まだ、文章に向き合う真剣味が足りないのだと話す。

文章を書くとは、考えるということ。だから、卒業論文が大事になってくるのだ。一生のうちで、こんなに長い自分の文章に向き合うまとまった時間というのは、多くの学生にとってここが最後になる。じっくりと考えさせたい。

昼休みにゼミの続きをやり、次の模擬授業担当者の予約を受付け、顧問をしている野球部の幹部交代の挨拶を受け、教務委員の仕事をして、生協で慌てて昼ご飯を片付け、教育実習訪問指導先に向かう。

しかし、まあこういう忙しいときにちょっとしたトラブルは起きるものだ。E91の調子がおかしい。エンジンにアラートが出ている。アイドリングのときに振動が大きい。
(あ、やってもうたか?)
コードが一本切れたんだなと思った。6気筒のうち一つが動いていないような感じだ。あと5気筒あるから動くが、乗り心地は全然駄目。気持ちを落ち着かせながら、小学校に向かう。

模擬授業は、70点の出来だった。とても良かった。その70点のうち、60点が子どものが担当だがf(^^;。とても良い子どもたちであった。授業者は明るくテンポの良い展開と、メリハリのある声。これは良かった。授業が進んで作業に入る。
「班になります。どうぞ」
と言ったら3秒後に、クラスのすべての子どもたちが4人の学習班を作っていた。もの凄く質の高い小学校3年生であった。

今日の授業は同音異義語、同訓異字の使い分けについての授業であった。見ていると、もうすでに分かっている子どもは答えを言い、分からない子どもは考え続け、要領のいい子は辞書を見て答えるというようになっていた。つまり、分からない子どもは分からないままという授業になってしまっていたのだ。

ゲーム形式で授業を作っていた。問題を作り合ってそれを解き合う形式の授業だ。が、個人で考えること、全体で考えること、調べて考えることの指示が適当であったり、作業のための時間が予め示されていなかったりで、見ている方はヒヤヒヤであった。ではあるが、子どもたちに支えられてこうして成立してしまう授業ってのは、あるものだなと改めて思った。

その質の高い児童に支えられて、それなりの授業が出来てしまっているところに問題があることを、授業後に1時間ちょっとかけて指導した。子どもの良さに支えられすぎて授業が成立しているということはどういことで、どこをどう直せばより良くなるのかということを指導である。

その後、慌ててBMWのディーラーに向かう。イグニッションが1気筒やられていることが判明。在庫があるというのでその場で交換してもらう。ちょっと値は張るが、やはりディーラーは便利だ。

小一時間で颯と直してもらい、シルキー6を楽しみながら、いつもよりは早い帰宅であった。今日は教務委員の仕事も一山超えたし、ちょと寛ごう。

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