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2011/12/31

少しばかりは、今年を振り返るかな

12/31

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(写真は、淡路島から大阪湾を臨む露天風呂。iPhone4で撮影)

少しばかりは、今年を振り返るかな。
今年買ったもので良かったもの。思いつつくままに10ほど。

・MacBook Air 11

第三世代MacBook Air。Lion搭載。MobileMeのアドレスブックに問題があって、最初はちょっと難儀したが、いまは快適。これを超える筐体をMacは是から出せるのかなあ。出たら、楽しみ。持ち運びのこれと研究室のiMac27で極楽である。

このMacBook Airの弱点は何かを考えるのだが、軽すぎて鞄に入れ忘れることがあることかな。入っているかどうかが分からないことがある。
http://www.apple.com/jp/macbookair/

・Tree

Macのアウトラインプロセッサーのソフト。昔昔、まだ漢字Talk7というMacのOSを使っていたときにあったacta7というアウトラインプロセッサーに衝撃を受けて、アウトラインプロセッサーを使い始める。

爾来、アップルワークスやPagesのアウトライン機能を使っていたのだが、MacBook Airで授業の構成や原稿の構成を考えるにとても便利なので、Treeを手に入れる。通常のアウトラインプロセッサー機能の他に、ややリンクマップのような機能があり、これが便利。http://www.topoftree.jp/tree/

原稿の依頼があったときは、その日のうちに頭に有るものを、ここにアウトプットしてしまって、醗酵するのを待つ。因に、原稿に起こすときは、Ommwriterで。これも優れもの。

・iTimeLapse

iPhone/iPadの微速度撮影アプリ。いやあ、楽しい。琵琶湖の景色を撮影するのにぴたり。http://www.youtube.com/watch?v=ZcfoO6BcVxs 他にもあれこれ使えそうで良い。

・iPad2

ビューアーとして、これは実に面白い。しかし、カメラとしてもなかなか。琵琶湖の朝焼けの微速度撮影に実力を発揮。また、実家とのFaceTimeでも活躍。父と義父にも買ってあげたが、これは喜ばれた。パーソナルコンピュータではなし得なかった世界を見せてくれるのは、なかなか。
http://www.apple.com/jp/ipad/

・7notes

iPadで入力する際、フリック入力もいいのだが、この手書き認識ソフトを使うのもいい。だーっと書いて行ける。驚きの変換率である。縦書きがあると最高なのだが、ま、縦書きが欲しいなんて要望は、ごく少数だろうなあ。縦書きの方が圧倒的に早く気持ちよく書けるのが、日本語なんだけどね。
http://7knowledge.com/7notes_top

・ACE GEEN

ずっと使っていたデイパックから乗り換えた鞄。良く出来ている。二泊三日の仕事位までなら対応してしまう。長い付き合いになりそうだ。
http://www.acegene.jp/index.html

・布団乾燥機。

娘の布団のダニ防止のために買ったのだが、私が使っている。ほぼ毎日使っている。娘のダニの方はダニ防止カバーを布団にセットしてことなきを得ていることもあり、私が使っている。寝る前に、セットしておくと実に良い。こんなに良いのであれば、もっと早く買えばよかったと思っている。
http://kakaku.com/kaden/bedcloth-dryer/

・圧力鍋

豚のバラ肉の固まりをチャーシューにする。カレーを作るなど実に簡単に作ってくれる。中に調味料と食材をセットして火にかければおしまいと言うずぼらさもいい。調理をしていると言う感覚がなくなるが、タイマーさえあれば、他ごとに集中していてもいい手軽さがある。
http://www.coneco.net/SpecList/02611030/maker_id/2458/

・吸盤フック

100円ショップで5個100円で買ったもの。これをiPhoneの裏側にくっつけておくと、角度が作れて見やすくなる。100円ショップでは、是の専門のものも売っていたが、一つ21円で吸盤の力が優れているこちらの方が、いいだろう。
http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2011/12/iphone-204c.html

・GR4

年末にエイヤっと買った。CX2とμとk-rがありつつも、iPhone4のカメラで結構満足していた私。ところが、このGR4を手にしてから、とにかくびっくりびっくり。こんなに美しい写真が私にも簡単に手に入るのかと。いえ、みなさんにも手に入ります。

http://www.flickr.com/photos/ikedaosamu/6587140729/in/photostream
http://www.flickr.com/photos/ikedaosamu/6603950353/in/photostream
http://www.flickr.com/photos/ikedaosamu/6603947371/in/photostream

なんか物欲に満ちた一年のようにも思えますが、この中には衝動買いしたものは一つもありません。私は衝動買いは本とネクタイだけと決めているので。

欲しいものは本当に必要なのかを考える。必要なものは適正価格で買う。宣伝に力を入れているものは、よく調べる。良いものだったら宣伝しなくても売れますから。これが私の買い物の基本的な考え方。

ま、一番買ったのは本なんですけどね。それを書き始めるととんでもないことになるので、それはパス。ああ、なんてだらだらの年の瀬なのだ。

どちらさまも、良いお年をお迎えください。

2011/12/29

『世界でもっとも阿呆な旅』(幻冬社)をざっと読了

『世界でもっとも阿呆な旅』(幻冬社)をざっと読了。

ああ、これこそ誰も(特に男子)がみな中学校の社会科の授業のときに憧れた旅だ。社会科の先生は必携だろうなあ。「珍地名100カ所以上に行ってきました」である。例の、スケベニンゲン、エロマンガから始まって、凄いです。

くだらない。実にくだらない。
しかし、このくだらなさに情熱を掛けて13年も世界を旅することが尊い。
全部クリアしたからと言って何か特別得るものがあるのだろうか。
あるとすれば、
(あんたも好きだねえ)
という視線であろう。

しかし、私は熱烈に応援する。
こういうことができるのが、大事なのだ。
誰に言われたのでもなく、むしろ馬鹿にされるであろうことに情熱を掛けて挑む。
こういうことが大事なのだ。

私たちの周りには、いくつものアイディアがある。
分かっている。
だけど、それを実行に移すかどうかは別だ。
その実行に移す過程にこそ、人生の醍醐味がある。

見ているだけでは、勿体ない。
読んでいるだけでも、勿体ない。

東京から教育業界の大先輩達が

12/27

東京から教育業界の大先輩達が、京都にいらっしゃった。
もう20歳近くも年上の大先輩達で、日本の国語教育、日本語教育、中学校教育の重鎮の方がたである。

ひょんなことでそのうちの一人の先生と、今年一緒にお仕事をした。そしたら
「え、あなた池田さんを知っているの?」
ということになったそうで、
「じゃあ、京都で飲もうか」
となり
「それなら私も一緒に行こうかな」
ということで、三人のビックネームの先生方が、いらっしゃることになった。

私はそれぞれの先生方を、中学校の教師の時代に私淑をしていた先生方で、この話が決まったときになんだか、夢とし感じられなかった。

まあ、中学生のときにオフコースをコピーして演奏していたら、大人になって小田和正さんから連絡があって
「池田さん、一緒に飲もう」
と言っている位のインパクトが私にはある。
って、分かるかな?

なんでそうなるのかは分からないのだが、私としてはとてもありがたく嬉しいので、ホテルを押さえ、料亭を押さえと走り回った。

京都に職場があるにはあるが、そんなにしょっちゅう京都の町中で飲むと言うことは無い。私は、自分の家で毎晩のように晩酌はするが、琵琶湖と娘を見ながらの方が圧倒的に多い。ではあるが、こんな機会があったので、贅沢をしつくすことにした。

知り合いに相談し、ここ一番のお店を予約した。

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祇園である。
もう、言うまでもないお味であった。

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なんども私に感謝されながら、先生方は食事を進め杯を重ねられていた。私なんぞに頭を下げる必要等全くないのに。指導、研究の実績があり、さらに人徳のある先生方の側で食事が出来ると言うだけで、なんとも幸せな私であった。

その上「池田先生の今後を見守る会」というものを結成していただいた。
なんという幸せなことであろうか(^^)。
四季折々の京都の景色、そして、食事を楽しみにお越し下さいませ。

一年が過ぎていく。


2011/12/26

年の瀬である。

12/26

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年の瀬である。

午前中は、娘(4)のちょっとしたトラブルがあって家から出られなかった。なんとか落ち着いたのが、昼前。そのトラブルの間に、少し原稿を書き進めて編集者に送ってとしながら過ごしていた。大事に至らなくて良かった。治ったらけろりとしていて、元気元気。子どもは元気が一番。

昼ご飯にカレーライスを食べる。
玉葱のアチャールがいい感じに仕上がっていそうなので、一緒に食す。玉葱を千切りにして、リンゴ酢に漬込むだけ。唐辛子やチリペッパーを入れても良い。カレー屋さんにおいてあるあれだ。

我が家のカレーはあまり辛くない。私はここはやや悲しい。だから、アチャールを食べながら辛さを調整する。頭皮から汗が出るぐらいで、私はちょうどいい。美味しい。

昼過ぎから大学で仕事。
研究費の精算、部屋の片付け、教務委員の仕事などをこなす。

その間に、これまでGR4で撮影した映像を、研究室のiMacにも移す。
そして、驚く。
大画面で見たGR4の描写力は実に凄まじいものがあった。

例えば、昨日の朝撮影した一枚。
琵琶湖の朝陽を受けている朝ご飯のサラダ。
冬の朝の光がこんなに綺麗に表現できているなんて、撮影した私が驚いてしまった。

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教務委員の仕事は一段落。これに関しての年越しの宿題はない。一安心。
ま、GP関連の纏め、卒論の評価、シラバスの記入、授業の準備などが大学関連であって、論文の執筆、本の原稿の執筆などもあるので、一息つくという感じではないが、それでも教務委員の仕事がないということが分かっただけで、気持ちは随分と楽になった。

全体に関わる仕事なので漏れがあってはならないと思い、気が張る仕事仕事なのだ。

合唱コンクールで撮影したデータがSDカードの不良に遭ってしまい、カメラのメッセージでは、データが一枚もなく、初期化して下さいというものが出てしまうという最悪の事態になっていたのだが、復活。

twitterでヘルプを求めた所、http://blog.washo3.com/memo/sd%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89%E5%BE%A9%E6%97%A7%E6%96%B9%E6%B3%95/を教えていただいた。この情報を本学の情報メディアセンターに持ち込んでサルベージをお願いしてみた。学生たちの写真が800枚ぐらいあるはずなので、数枚でも取り出せればと思ったのだ。それが、この結果。嬉しい。

昔だったら、頭にきて強制終了して、SDカードを初期化してとしたであろうが、大人になったというか、知恵がついたというか、twitterありがとうというか。
(おそらくデータは残っているけど、そこにアクセスする部分がクラッシュしているので、そこをなんとか修復すれば大丈夫じゃないかな)
と予測が立ったので、慌てなかったというのもある。

いずれにしても良かった良かった。

冬は食べ物がおいしくなる。
そして、その食べ物を美しく残せるカメラがある。
ああ、仕事以外にも年末年始は忙しい(^^)。

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2011/12/25

GR4である

12/25

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ということで、とうとう手に入れてしまった。二ヶ月半辛抱していたのだが、この年末年始を過ごすパートナーとして、手に入れてしまった。

GR4

である。

コンパクトデジタルカメラは、今までオリンパスからスタート。リコーはR7まで乗り継いでCX2で楽しみ、実は最近はiPhone4でばかり撮影していた。ま、他にもオリンパスのμとか、ザクティもありますがf(^^;。一眼レフもペンタックスk-rで楽しんでいるのだが、GRはGR1のころから気になってはいた。寧ろ欲しくて仕方が無かったカメラだ。

昨日届いて今朝までですでに400枚近く撮影している。
もの凄い描写力だ。

琵琶湖の太陽をしっとりと受け止めて納めてくれる。
また、夜の繊細な光も包み込みつつシャープに切り取ってくれる。

iPhone4の手軽さはこれからも手放すことは無いだろうが、このGR4はいつも持ち歩くことになるだろうなあ。

私がコンパクトデジタルカメラに最低限求めることは

・電源を入れたら直ぐに撮れる
・押すだけでいい
・ポケットにすっと入る。

である。
これにプラス

・防水
・落としても壊れない
・単三電池、または単四電池が使える
・動画機能がある
・望遠機能がある
・明るいレンズ
・撮影したものが直ぐにネットに上がる
・接写能力に優れている

となる。
最低限の部分は、カメラの根っこの所なのでここの性能がいいと言うのは、実に頼もしい。プラスの部分は、付加価値なので一台のカメラでこれらを全て求めるのは無理なので、カメラを代えて対応するようにしている。

で、GR4はこの私が最低限求める部分がいいのだ。さらにプラスの部分もかなりクリアしている。最大の問題は値段だったのだが、まあ、発売当初より2万5千円も下がれば十分だと判断した。そして、この判断は大正解だった。

簡単に言えば、私の技術があっという間に3割アップしたと言っていいだろう。いままで描写したくても仕切れなかった光を、手に入れることが出来たなあという思いだ。

メリークリスマス。

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(写真はすべてGR4にて撮影)


2011/12/24

この日の琵琶湖は実にいい表情を見せてくれた

12/23

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(このページの写真は全てiPhone4)

年賀状の写真を撮りに日吉大社に向かう。
今頃と思うだろうが、まあ、今頃なのだ。
年末になると、ここに来年の干支を示す大きな絵馬が飾られるのでそれを背景に使ったらどうかということになり、今頃なのであった。

CX2のインターバル撮影モードにして、三脚に設定した上で撮影を重ねる。5秒に一回撮影なので、娘(4)に100まで数えてもらって撮影することにした。なかなか便利な娘である(^^)。

その後、娘の好きなうどんやに出掛けていく。
こんなに寒いのに、娘はいつも「冷たいうどん」と頼む。あったかいのは直ぐに食べられないので、冷たいのがいいのだ。ま、いいけど冬は暖かいうどんを食べて欲しいねえ。

お腹がいっぱいになったので、珈琲を飲みたいなあと思って、久しぶりにオーパルに向かった。
レストランがあるので、そこで一年のご挨拶をかねて珈琲を飲もうと向かったのだが。

なんとそういう日に限ってレストランは貸し切り。結婚パーティが行われていた。
だけど、まあ、仕方が無い。お祝いである。

急遽、撮影モードに切り替える。
この日の琵琶湖は実にいい表情を見せてくれた。
天候がどんどん変わるのだ。だから、光がどんどん変わる。これは撮影していてとても気持ちが良い。

『これ、勿体ないですよ。これを撮影しないのは』
とオーパルスタッフの中岡さんに言うのだが、見慣れていて当たり前の景色なので、改めて撮影しようと思わないというのだ。勿体ない。かわりに私がバシャバシャ。オーパルの周りでもバシャバシャ。虹まで出ていた。

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325iの調子はいいのだが、タイヤに問題がありとの警告ランプが点いたまま消えない。年末に帰省することを考えると、どうも気になる。空気圧の問題のようなのでガスステイションでタイヤの空気圧をチェックしたのだが、問題は無い。コンピュータのトラブルかと思って、リセットを掛けるのだがかからない。

これはやはり何かあると見て、申し訳ないが大学の用事をキャンセルして、ディーラーに向かう。
そしたら、なんと釘が刺さっていたのであった。ごめん、325i君が正しかったのね。

珈琲を飲みながら、新車展示を見て乗ってとしながら、修理が仕上がるのを待つ。
私の325iは2500ccの直6エンジンとしては、唯一になってしまったんだなあと思いながら、あれこれの新車のシートに身を沈める。まあ、時代の流れって奴ですから仕方が無いかねえ。
そもそもこの325iを買うときも
(次の車は、ガソリン車じゃないかもなあ。ハイブリッドかなあ。電気自動車かなあ。それならば、今、手に入るエンジンで伝説に残るシルキー6に乗っておくかな)
と思った。

足回りの直った325iは実に快適であった。
早く直してよかった。

明日はクリスマスイブ。
あっという間に時間が過ぎていく。


2011/12/23

「フォトジャーナリストの見た原発震災 ~イラクから福島へ~」

12/23

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世界を飛び回って取材活動をしているフォトジャーナリストの豊田直巳さん。児童教育学科学生学会主催「フォトジャーナリストの見た原発震災 ~イラクから福島へ~」の講演で連続ツイートしたものから、昨日の記録を掲載します。

ブータンは、10万人が追い出されて来ている。追い出した側は、幸福度が高いが、追い出された側はカウントされない。報道カメラマンなどは、紙媒体の発表場所が無くなって来たので、ギャランティが発生しないので、大変なことになっている。なんとか取材と生活が出来るというレベル。これからますます酷くなるだろう。

現実は、福島には今も津波が襲い続けている。目に見えない津波が続いている。放射能である。目に見えないので実感はない。今日は福島から直接来たが、「まさかあなたその服のままで若い学生さんの前に立つんじゃないでしょうね」と家内に言われて、今日の服は新しく京都駅前で全部買って着替えてきました。

目に見えない。ベクレルという単位は、ガイガーカウンターでは測れない。が、野菜の測定器では出てしまう。三日前にあった母親。一般の牛乳は5ベクレルが基準。しかし、20ベクレルが幼稚園の牛乳から出ている。信じられないと。この親は2ヶ月アメリカに避難し、これからは沖縄に脱出すると言っていた。

福島から逃げたいという母親に会った。「頑張ろう福島」という幟は、「もう、いい。もう頑張れない」と言った。今後子ども達がどうなるか分からないということから。心配の種はあるが、どうなるか分からない。

6500人の子どもがチェルノブイリでは甲状腺ガンの手術を受けている。これを知っている母親は圧倒的に少数派である。何で福島? なんで放射能なのという風に思うのがほとんどであるのは分かっている。

福島の桃が風評と言われているが、本当でしょうか? 本当ではない。あれは実害です。しかし、マスコミで風評と言われ続けると、それが真実になり、損害賠償の請求ができなくなる。風評ではない。実害です。東京電力による実害です。

「目に見えない戦場で戦っているみたい」と映像の中の福島の女性が言っている。ダッシュ村のすぐ側にいた女性。500マイクロシーベルトが測定されていた。1年間に浴びさせていいのが1000マイクロシーベルト。この村では2時間で超える。3/11前の東京は、0.02~0.04が東京の値であった。大丈夫だと言われたからここにいたとのことであった。500マイクロシーベルトの大きさがどの位なのかは分かると思います。

イラクでアメリカが行って来た劣化ウラン弾の実態についての説明。戦争のシナリオがどのように描かれていったのかを説明しています。300グラム持っているだけで違法の劣化ウラン。持っているだけで逮捕される。が、100万発アメリカに撃った。沖縄の鳥島でもアメリカ軍は1300発間違えて撃ってしまった。が、不問にされているのが今。

イラクの癌の子どもは85%死んでいた。そのとき、経済制裁だったので治療は出来なかったのだ。勿論、全部が劣化ウラン弾が原因だと証明はされていない。日本の65年前の被爆者が今でも、原爆症と証明されないので裁判になっている人もいる。安全ならば、安全という方が証明しなければならないはずだが、日本では逆に被害者が証明しなければならないということになっている。これは、おかしい。

被害に遭った子ども達の写真を撮ったところで、何も解決しない。その子どもの命は救えない。薬が欲しいと肉親は言う。言い訳は出来る。取材をして世界を動かすことができるかもしれないと。しかし、目の前の子ども達は救えない。だから、今、私はNGOを通じて薬を送り続けている。イラクでは、劣化ウラン弾で破壊された所で子ども達が遊んでいる。放射線は見えないのだ。その子ども達の様子を写真に撮って、見る。

だけど、勿論、これが劣化ウラン弾で起きたとは断定できない。しかし、現地の医者は「劣化ウラン弾の以前には、このような症状は見ることが出来なかった」と言っている。また、日本は世界で唯一の被爆国と言われながら、実は核兵器を開発していたということは報道されていない。湯川博士もそれに関わっていたことは、日本では報道されていない。

新潟の柏崎原発の事故のときに、取材に行っていたので「安全神話」も十分に分かっていた。災害時避難場所は地震で壊れるものになっていた。分かっていて防げなかったので、大人として責任を果たせてなかった。申し訳ない。福島でも一般民家が避難場所になっていた。

地震の直後に、病院に入った。100マイクロシーベルトまで測れるガイガーカウンターの針が振り切れていた。1000マイクロシーベルトまでのも。この結果をすぐに衛星携帯電話で東京に伝えた。その3時間後に東京電力が1500マイクロシーベルトであったと発表した。

3.11から一ヶ月後の原発の近辺の場所の映像が流れています。牛小屋の中で倒れている子牛の映像です。

逃げ出したり、逃がした牛や豚は、自分で餌を捜して食べていきのびていたが、周りに被害を与えるので、畜産農家が集めて薬で処分をしたとのこと。そして、今は、3/11の後に生まれた子豚たちが出て来て、それを集めてまた処分しているとのこと。

京都大学で25年間チェルノブイリ原発の研究をしている今中先生は、飯館村を調べにいった。そして今中先生「信じられない。この世のものとは思えない」とつぶやき続けた。「チェルノブイリには人はいないのには、ここにはいる」。牛を殺すわけにはいかないので、餌を与えるためにいる人。でも、その牛から出た牛乳は捨てざるを得ないので捨て続けていた。村長は今中先生に「なんとかならないのか?」と訴えるが「この世のものとは思えない」ところなので、どうしようもない。

136億円かけてスピーディを開発したが、発表されなかった。首相に届かなかった。経産省の役人が途中で握りつぶした。2週間あれば子ども達は逃げられたはず。村での検査の後、「大丈夫」と言われて、値は教えられなかったとのこと。そして、牛に餌を与えることはなくなった。全滅したからだ。

廃業をしよう。生き物を飼っているとここを離れることは出来ない。犠牲者を出さないようにしようと決意をした。が、酪農を営んでいた犠牲者が出た。「原発がなければ」と書き残して。(報道ステーションの映像が流れています)福島県相馬市の男性。

自殺男性は、酪農の二代目で親から受け継いで規模を拡大しようと借金をして建物を大きくした直後だった。自転車操業の酪農業だから耐えられなかったのだろうとのこと。実は一人目ではなく、この前にもいたし、102歳の老人が子どもに迷惑をかけられないと自殺した。まだ、続いている。

除染というが、やっているのは大掃除と同じ。やっている人たちはみんなみんな分かっている。「無駄」です。田んぼの表土を掃いても山からまた落ちてくる。自分たちは残っても、子どもは戻らせないと老人達とは口を揃えていっている。

病院の放射線管理区域には医者しか入れないが、そこに普通の人が住んでいるのである。3200億円の予算で原発を作っていた建設会社で除染をしている。これはマッチポンプではないか? 仮設住宅に住んでいる人たちは、もう一度戻れたとして、野菜を作る体力や気力は残っているだろうか。飯館村に私は戻りたいが、子どもは絶対に戻らせない。北海道にでも行きたいと言っている。

それでも、ヨルダン、トルコ、ベトナムに輸出しようとしている日本。なぜ、原発を全廃にしないのか。8割ぐらいの国民が無くせと思っているのに。原発の稼働は、プルトニウムを作ることになる。これは核兵器を直ぐに作れることである。これが抑止力になると石破政調会長は発言してる。

その結果、誰が被害者になるのですか? 子ども達です。スピーディで逃げていれば、被爆しなかった子ども達なのに。

ここに来た皆さんには、是非、思ったことを表に出していただきたい。待っていたところで何も変わりません。3/11以降良くなっていない。寧ろ、今の日本を世に出したことになってしまっているというのが現実だろう。200万人が福島だけで被害者になってしまっている今、訴え続けたい。ありがとうございました

今日の講演の豊田直巳さんのHPは、http://t.co/Jxpt7qeTです。これで児童教育学科学生学会主催「フォトジャーナリストの見た原発震災 ~イラクから福島へ~」の連続ツイートを終わります。ありがとうございました。

このあと質疑があり、お茶を飲みながらあれこれ話しました。
大学のある山科の市営団地にも60人ぐらいが疎開していることや、滋賀県の休耕田のあるところに集団で移住するというのはどうだろうかという話が協議されていたりとあれこれ。

3200億円「除染」に使うのであれば、一人5000万円を支払って、集団で移住の方がいいのではないかという話も出ました。「出て行ってください」と命令がないと「お前だけ我がままだ」と言われてしまうという二重被害に遭っている人もいるという話もありました。

現状に対して、これは教育にできることを超えたことだと私も理解しています。しかし、この現実を背負って行きていく子ども達がいる。さらに、これからの社会を立て直すには、現状の理解ということが大事だと考えています。関西にいるとなかなか現実感はありませんが、そこは想像力を働かせることと現実を見ることで補うことだと思っています。

人の痛みをどれだけ背負えるか。その痛みを背負って、それを我がごととして生きて行けるか。歴史の重みをも背負って、今を良くするために生きて行けるか。煩悩や欲望に振り回されながら、それでも大きなことは出来ないが少しは前に進めるようでありたいなあと、今日の講演で改めて思いました。

2011/12/22

だけど、教師の喜びはそこではない

12/21

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(iPhone4で撮影)

ときどき、
「池田先生、中学校の教員を辞めて大学に移って寂しくないですか?」
と聞かれることがある。まあ、中学校も大学も授業は出来るので、そんなに違いは無いのだが、合唱コンクールだけは、無いのが寂しかった。

そんなことをチラッと、今年卒業した児童教育学科の一期生達に、話したことがあった。そうしたら、児童教育学科で合唱祭が行われるようになったのが去年であった。嬉しかったなあ。で、どうなるかなあと思っていたら、今年も今日開催された。

学生達が実行委員会を立ち上げて、手作りで合唱祭を作り出していく。これは大したことだと思う。企画運営をする側も大変だが、自分たちで練習を重ねる学生達も結構大変だ。年末の忙しい時期に、作り上げていくのだから。試験もあるだろうし、クリスマスもあるだろうに。

1、2回生はクラスごとの参加。ここがコンクール。3、4回生は有志の参加。3回生はコースごと、4回生は全員で合唱ということになっている。オープニングはパイプの楽器の演奏。そして、マルモリで身体を温める準備運動となかなか面白い。

1回生は初めてなので、どんな感じなのか分からないまま練習を重ねていた。が、驚いたと思う。2回生以上は、結構本気なのだ。選曲は特に指定はないので自由だが、結構本気なのだ。

玉川大学の教育学部は、コースに関係なくベートーベンの第九をドイツ語で歌うということを玉川大学卒の教師仲間から聞いたことが有る。はっきり言ってうらやましいと思った。大学の教員になったとき、これをしたいと思った。だが、立ち上げの学科であれこれやることも多く、まして、国語科の教師になにができるわけでもない。

いいなあということを学生達に言っていた。
そしたら、全員合唱をしたいということになった。学科の歌になっている歌ではない。しかし、こうしてみんなで歌う歌を持てるというのはとても、いい。私も学生達の輪に入って一緒に歌った。

幸いにして、私が担当していた2回生ゼミは準優勝だった。嬉しい。
嬉しいが、教師の本当の喜びはそこではない。
学生は準優勝で喜んでいい。
だけど、教師の喜びはそこではない。

三回生から四回生のお礼の言葉があったり、みんなで写真をとったりと、なんと言うかプレ卒業式のような様相を呈していた。

教師の最大の喜びは、教えている彼ら彼女らの成長する瞬間に側にいられることだと思っている。彼らが成長していくその側にいられる。こんな幸せなことは無い。確かに、人間は教師なんていなくたって成長するものだ。そもそも成長するものだ。だから、私たち教師が育てたなんてことを心の底から思う教師は、私の学科の教員にはいないと思う。

彼らが仲間達とともに育ったのだと思う。
そして、その側に私たちがいた。
そうなんだと思う。
明日はどうか分からないが、今日は、そう信じていいのだと思った。

教師の喜びは、この行事を通して学生達が人間的に成長すること。
ここだと私は思っている。

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(iPhone4で撮影)


2011/12/20

因に、今朝の琵琶湖の動画はこれ

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因に、今朝の琵琶湖の動画はこれ。
3秒ごとに撮影し、動画にする際は、30コマを1秒に割り振って撮影しました。

雲の流れが、今朝はダイナミックでした。
最後の数秒は、雨が降るのも捉えています。

http://www.youtube.com/watch?v=89s1Zy-WzRE&feature=youtu.be&a

月のあった場所に太陽がある

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(iPhone4で撮影)

朝は執筆。4000字弱を書く。
その後、朝の風呂読書を楽しむ。『鬼平犯科帳』は五巻まで来た。しみじみいいなあと思いながら読んでいたら、突然やってきたのである。
アイディアである。執筆のアイディアである。

慌てて鉛筆を取り出して、『鬼平犯科帳』に書きまくる。
本はテキストの書いてある、メモ帳である。
とにかくアイディアが沸き出している瞬間に書きまくる。
この瞬間を逃すと、次にいつになるか分からないので、必死に書く。

しかし、なんで『鬼平犯科帳』を読んでいるときに、本の執筆のアイディアが出てくるのだろうか。脳みその仕組みはつくづく不思議だと思う。

風呂上がりに外を見ると、今朝撮影したときに月のあった場所に太陽がある。
一日でこれが見られるのは珍しいと思い、パシャリ。

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(iPhone4で撮影)

午後からは、姫路まで出張。
新幹線で京都から姫路まで1時間弱。早い。

姫路駅で何気なく時刻表を見たら、「湖西線経由敦賀行き」という表示。へ?と確認したら確かに新快速で行ける。凄い長い距離を行けるんだなあ。関東にはこんなに長い距離を行く普通のJRはないんじゃないか? 

で、高校でディベートの入門講座を3時間実施。
生徒達が、ぐんぐん成長する瞬間に立ち会えるのは、教師として本当に嬉しい。
来年、ディベート甲子園で会いましょう。

帰宅したら娘(4)は寝ていた。
それでいい。
沢山遊んで、寝る。
幸せな寝顔を見せてくれるだけで、いい。

さ、明日は会議満載の日だ。

2011/12/19

週末は走り回った

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(琵琶湖のかぎろひ。 iPhone4にて)

ふう。

週末は走り回った。

土曜日は、大阪のある教育委員会主催の講座。150人相手にあれこれ。2時間だったけど、やはり時間が足りなかったなあ。

この日は本当は電車で行く予定だったのだが、急遽自動車に変更。E91で高速を流す。松岡直也さんの曲を流しながら大阪湾の上を走る高速は気持ちよく、降りるはずのインターチェンジを乗り過ごしてしまうというミス。40分前に到着の予定が5分前になってしまった。

終わってから、知り合いといま取りかかっている研究についてあれこれ話を聞いてもらう。私は、話を聞いてもらって自分の考えを整理するタイプなので、とてもありがたい。良いヒントももらう。

その後、また車で帰るのだが、名神高速道路に乗り継ぐ所を危うく間違えそうになったりで、危なかった。その上、疲れも出てきて眠たくなってしまったので、SAで仮眠。10分ねるだけで本当にすっきりするからなあ。

2時間の講座のために、まるまる半日以上、いや、準備を入れると勿論それ以上の時間を使っている。この講座が役に立ってくれれば良いなあ。

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(桃山の椛 iPhone4にて)

日曜日は、全国教室ディベート連盟近畿支部の冬のディベート交流会。京都橘大学付属中学校を会場にして行った。中高とも同じ論題でやった。【日本は遺伝子組み換え食品の販売を禁止すべきである。是か非か】である。

中高一緒にやるというのは、なかなか面白かった。
私は中学を一試合、高校を二試合ジャッジした。
三試合とも主審ということでコメントをあれこれ考えるのは、面白かった。

一つ分かったのは、中高で論証の流れはあまり変わらず、精度が違うということであった。
ただ、圧倒的に違ったのは、第二反駁。第二反駁の議論の価値の比較がさすが高校生ということだったなあ。

議論の価値の比較というのは、メリットでメリットのラベルの比較だけでなく、そこに含まれている価値の比較なのだが、これがなかなか出来ない。今回、ある高校は、肯定側として、食品は予防原則で政策を立てるべきであるというスタンスをとり、否定側の取り組みをリスク分析という形で対象化して価値の比較を行っていた。とても分かりやすい議論であった。

こういうことができるようになると、ディベートは面白いし、ジャッジも楽になるなあと思うのであるf(^^;。

終わってからの打ち上げは、足を伸ばした。中書島にある「黄桜カッパカントリー」名前はいかがなものかと思うが、これはなかなか良かった。ここいらあたりを龍馬がうろうろしていたんだろうなあと思いながら美酒を頂く。

一年があっという間に過ぎて行く。
この一年で何を成すことができたのかと思いながら、若い仲間と一緒に杯を重ねた夜であった。


2011/12/15

超簡単で安いiPhoneのスタンド

ちょっとした発見をしてしまった。
超簡単で安いiPhoneのスタンドである。
正確に言うとスタンドというか、iPhoneを見やすい角度で立てておく道具。

まずは横置き。

1

次に縦置き。

2

後ろにおいてあるケーキのメモブロックと比較するとだいたいの角度は分かると思う。
横置きで45度ぐらい。縦置きで30度ぐらいだろうか。簡単に角度は調整できるが、和紙はこれぐらいがいい。

では、何を使っているのでしょうか?
答えは100行下。

100
99
98
97
96
95
94
93
92
91
90
89
88
87
86
85
84
83
82
81
80
79
78
77
76
75
74
73
72
71
70
69
68
67
66
65
64
63
62
61
60
59
58
57
56
55
54
53
52
51
50
49
48
47
46
45
44
43
42
41
40
39
38
37
36
35
34
33
32
31
30
29
28
27
26
25
24
23
22
21
20
19
18
17
16
15
14
13
12
11
10
9
8
7
6
5
4
3
2
1

ジャカジャン!

3

なんと100円ショップで買ってきた5個100円の吸盤付きフックでした。
いやあ、便利。
ちなみに、iPadもいけます。

お試しあれ。

2011/12/14

「デンマークの大学で試験中のインターネットへのアクセスを許可」から考える

12/14

Photo

昨日、調べ物をしていて次の記事を見つけた。

「デンマークの大学で試験中のインターネットへのアクセスを許可」http://t.co/o7Grttds

これについて、「これが世界の流れでしょう。こうして鍛えられた学生たちと、日本の学生たちは同じ時代を生きて行くことになります。」とツイートした所、これがまあ、凄い勢いでRTされている。Favされている。私のtwitterで最高記録になっている。こんなに反応があるとは私もびっくりである。

なんでこんなに反応があるのかと考えたのだが、これは一種の日本の教育やテストに対する、批判なのではないかと思ったのだ。もっと簡単に言えば、知識偏重主義への批判である。

「だからね、ネットを使って調べればいいんだよ。覚えなくても良いんだよ」

という思いがあるように感じられる。
だが、このリンク先の記事を良く読んでみるとこう書いてある。

引用開始 ーーーーーーーーーー

南デンマーク大学がカンニング対策として試験中に学生がインターネットへアクセスすることを許可する方針を採用したことを紹介しています。

引用終了 ーーーーーーーーーー

知識が要らなくていいということにはなっていない。
以下のようにある。

引用開始 ーーーーーーーーーー

「テストで見たいのは、学生の問題解決と分析能力であり、ある特定のトピックについて考え議論する能力である。」

引用終了 ーーーーーーーーーー

つまりカンニング対策をきっかけとしながら、テストの問題の質を変えてきたということなのである。

持ち込み可のテストというものは今でもある。
このテストを受けたことのある人は、持ち込み不可のテストと比べてみると、可の方がテストが難しいというのは体験的に知っている。

何でも持って行っていいというのは、何を持って行かないかということなのである。持ち込んだ資料のどこに何が書いてあるかを理解していないと、すぐにテストの時間は終わる。試験問題と資料がどのように関係しているのかを理解できないと、資料は資料として活用されない。

インターネットに接続してテストを受けることが可能になる。これは何が前提になっているかと言えば、

・問題を解くために必要な、適切な検索Wordを手に入れている。
・出てきたデータの真偽を見抜く力を持っている。ヘイトサイトを見抜ける。
・データは何を表しているのかが分かる。
・そのデータから、論証すべきことが分かる。
・論証によって問題を解決することができる。

ということであろう。

(意味は分からないけど、暗記しておけばいいや)

で点数が取れるテストではないということなのだ。
難しくなると考えて良いだろう。

私が懸念するのは、日本のテストは、問題解決の力を見るテストがなかなか行われないということ。さらに、ネットさえあればあとはなんとかなると思っている若者が多いということである。

ネットは、簡単に検索できると思われるが、きちんとした資料に辿り着くのは結構実力が必要である。そしてまた、恐ろしいことに検索の結果、答えらしき物が出てくるとそれを自分の答えにしてしまっておしまいということにする者も多い。考えないでおしまいということが実に多い。

検索で出たものは、答えらしきものであり、答えではない。
これを答えにするのは、いやなかなか難しいものなのだ。きちんと検証して議論を構築しなければならないのだ。ディベートをやっている人にとってみれば、当たり前のことなのだが、やっている人は多くないしねえ。

あ、ディベートに興味がある人は、http://nade.jp/やhttp://japan-debate-association.org/を見られることをお薦めします。

ま、いろいろと考えさせられる記事であります。

因に、記事の全文は以下の通り。

引用開始 ーーーーーーーーーー

デンマークの大学で試験中のインターネットへのアクセスを許可(記事紹介)
Posted 2011年5月18日

2011年5月12日のTimes Higher Educationに、“The Danish gambit: online access, even during exams”と題した記事が掲載されています。記事は、南デンマーク大学がカンニング対策として試験中に学生がインターネットへアクセスすることを許可する方針を採用したことを紹介しています。この方針を採用した背景には、2012年1月までに原則として同大学の全ての試験を、手書きの試験からデジタルプラットフォームへ移行させていることがあるようです。記事では、同大学のeラーニングプロジェクトを担当するLise Petersen氏の言葉として、「テストで見たいのは、学生の問題解決と分析能力であり、ある特定のトピックについて考え議論する能力である。」「試験でインターネットを利用することで、インターネット上の巨大な情報源から、関連する情報とそうでない情報を峻別し、関連する情報を文脈に載せるスキルが学生には求められることになる」という意見を紹介しているようです。また、Petersen氏はカンニング問題に関して、「(試験中に)コミュニケーションをとったりディスカッションをしたり、あるいは検索したりすることが許されるのであれば、誰もカンニングをしなくなるだろう。なぜならもはやそれはカンニングではなくなるからだ。我々が考えるべきはその方法である。」ともコメントしているようです。

The Danish gambit: online access, even during exams (2011/5/12 Times Higher Educationの記事)
http://www.timeshighereducation.co.uk/story.asp?sectioncode=26&storycode=416090
• カレントアウェアネス-R, 情報検索, 情報リテラシー, インターネット, デンマーク
• 参照(3813) 印刷用ページ

引用終了 ーーーーーーーーーー

2011/12/13

そろそろ、自分の頭で考えましょうよ

12/12

土曜日の明日の教室は、古くからの友人の瀧本さんに来てもらって、日本のこの先を俯瞰した上で、では教育はどのようになっていく可能性があるのかということについて、語っていただいた。初めて瀧本さんに触れる人たちは、おそらくかなり衝撃だったことだろう。

私は
(いやあ、丸くなったなあ)
という思いが一番最初で、その次に相変わらず切れがいいなあであったf(^^;。


この国は、右肩上がりに成長し、未来は明るい。
というイメージの中で育って来たのは、私たちの世代。

今の若者は、日本が景気が良かった時代があることを全く知らない。
私たちが生きて来たときに必要なストラテジーやスキル、いや、社会のフレームの捉え方、パラダイムそのものが疑われるなかで、今の若者達は生きている。

太平洋戦争に負けたというはっきりとした区切りがあったわけではない。だから分かりにくかったのか。いや、インターネットの登場、バブルの崩壊、失われた10年、9.11、3.11と実際は大きな区切りがあったし、モダンからポストモダンに、成長社会から成熟社会へと変わっていったが、それを無かったことにして、成長社会と明るい未来を願う絵を描きながら、世の中を見させられてきたと言っていいのかもしれない。

そろそろ、自分の頭で考えましょうよ。
というのが瀧本さんの講義の趣旨である。

・リスクを取る。
・自分の頭で考える。
・仲間の成功を自分の成功とする。

この三つが大事なのだと、改めて思ったのであった。
ありがとうございました。
また、来てもらえることになりました。え、確かそう約束したお思いますf(^^;。

今回来れなかったみなさん、またの機会をお楽しみにどうぞ。

問題を、その先生個人の問題にすり替えてしまっては、駄目だ

一つ前のエントリーの記事を良く読むと、最後にこう書いてある。

引用開始 ーーーーーーーーーー

いずれにしろ、教員採用の見直しと同時に、採用直後から、教員のメンタルヘルス(心の健康)対策が求められます。

引用終了 ーーーーーーーーーー

実は、
(ああ、またここに着地するのね)
と私はがっかりでありました。

問題の所在はここではないと私は考えている。
いや、もちろんしないよりは、した方がよい。しかし、教員採用をどう見直すのだ? 心が傷ついたら対応するという後手でいいのか? という問題がある。

ここでは、心の強い人間が教師になれ。なまっちょろい心の者が教師になっては駄目だという隠れたメッセージが見て取れる。心の強い、弱いというのが何をどこまで表しているのかは議論がある。ただ、心が繊細な教師は弱いと言われることが多い。

だが、考えてみれば分かる。
心が繊細というのは、教育をするには大事な資質だ。子どもの小さな変化を感じ取れるセンサーを持っている先生というのは、かなりいい先生だ。これを否定することにもなりかねない。

また、この結論からは、教師の個人の問題として取り上げていることが、問題である。問題は、教師だけにあるのではないのだ。寧ろ、システムに問題があるのではないかと思うのである。繊細な心を持った人間が教師になって、子どものために働ける学校を作っていると言えるのだろうか。

例えば、親対応の一つをとってもやれることは沢山ある。
『先生! 親ってそんなに怖いんですか? 親対応の基本中の基本』(星 幸宏著 立花書房)を読んでみれば沢山やれることは書いてある。

問題を、その先生個人の問題にすり替えてしまっては、駄目だ。
システムを変えなければ駄目なのだと思う。

2011/12/12

新人先生なぜ辞める……大半は「精神疾患」

産經新聞の記事にありました。2011.12.12 15:00

http://sankei.jp.msn.com/life/news/111212/edc11121215340000-n1.htmから
引用開始 ーーーーーーーーーー

新人先生なぜ辞める……大半は「精神疾患」

2011.12.12 15:00 (1/2ページ)[受験情報]
2010(平成22)年度に公立学校教員として新規採用された教員のうち、300人近くが1年以内に依願退職していたことが、文部科学省の調査でわかりました。正式採用前に辞める新採教員自体はほぼ横ばいですが、そのうち病気を理由に辞める者は増加傾向を示しており、文科省や都道府県教育委員会も問題視しています。新採教員に、何が起こっているのでしょう。

調査結果によると、公立学校(小・中・高・特別支援学校)に新規採用された教員2万5,743人のうち、288人が1年以内に依願退職しました。公立学校教員は1年間の「条件附採用期間」が設けられているので、これらの新採教員は、正式採用前に自ら教壇から去ったことになります。内訳を見ると、最も多い退職理由は「自己都合」で167人、次いで「病気」が101人、勤務成績などが悪く不採用になる前に退職した「不採用決定者」が20人でした。

採用から1年以内に依願退職した教員の数(※筆者計算による)と、全体に占める割合の推移を見ると、2004(平成16)年度172人(0.9%)、05(同17)年度198人(0.9%)、06(同18)年度281人(1.3%)、07(同19)年度293人(1.3%)、08(同20)年度304人(1.3%)、09(同21)年度302人(1.2%)、10(同22)年度288 人(1.1%)……で、数年前まで増加傾向にありましたが、最近ではほぼ横ばいとなっています。

新規採用教員全体から見れば、2010(平成22)年度の288人という数は、わずか1.1%にすぎません。この程度ならば問題はないという見方もできます。ところが、依願退職者のうち「病気」を理由に辞めた新採教員の数だけを見ると、04(平成16)年度61人、05(同17)年度65人、06(同18)年度84人、07(同19)年度103人、 08(同20)年度93人、09(同21)年度86人、10(同22)年度101人と、明らかに増加傾向を示しています。

このため文科省は、2009(平成21)年度調査から「病気」を理由とした者に対して、「精神疾患」の項目を追加しました。その結果、「精神疾患」を理由に採用後1年以内に依願退職した新採教員は、09(平成21)年度が83人、10(同22)年度が91人であることがわかりました。「病気」を理由に依願退職した新採教員のほとんどが、「精神疾患」だったのです。

文科省のほかの調査でも、精神疾患を理由に休職する公立学校教員の数が、年々増加していることが大きな問題となっています。精神疾患の問題は、新規採用直後から起こっていたことがうかがえます。

教育関係者の多くが理由として指摘するのが、子どもや保護者の多様化、予想以上の教員の多忙化などです。また、多忙化により、ベテランや中堅の教員が若手の面倒を見る余裕がなく、若手教員が孤立化していると懸念する声もあります。最近の若手教員はコミュニケーション能力などに欠けるという批判も、一部にあるようです。

いずれにしろ、教員採用の見直しと同時に、採用直後から、教員のメンタルヘルス(心の健康)対策が求められます。

引用終了 ーーーーーーーーーー

なぜ病むのか。
若者は、体の不調は大丈夫です。いや、体の疲れは取り戻せます。
心の方は、通常しがらみが多くなってくる年配の方が、問題を抱えることが多いのですが、
若手の心に負担が掛かっているのがかなり深刻です。

仕事は、ワーク、レイバー、プレイと三つあると習いました。
心と体の関係で説明できます。
心がハッピーで体が疲れている。ワーク。
心と体が疲れている。レイバー。
心と体がハッピー。プレイ。

教師の仕事は、少なくともワークでなければと思うのです。
年に数回はハッピーな瞬間もあるべきです。
子どもの、社会の未来を担う仕事です。
それが、今はレイバーになってきているのだと言えるのではないでしょうか。

さらに、さまざまな、そして深刻な原因があることが、私の耳にも届いています。
なんとかせねばと思います。

『月刊 生徒指導』(学事出版)の2012/2月号に、【「学級事務職」を導入するべきである】という小論を書きました。良かったらご覧下さい。提案しています。

2011/12/09

『奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち』を読み終える

12/9

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『奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち 伝説の灘高国語教師 橋本武の流儀』(伊藤氏高著 小学館)を読み終える。

すごい。
良い。
私は間違っていなかった。
このやろうやってやるぞ。

読後の感想である。

灘中学で『銀の匙』一冊を、三年間かけて読むという実践を30年間続けた先生の記録。
そして、その教え子達の記録である。

国語の教師に、広く読まれるべき本である。
国語の教師なら、橋本先生の国語の授業観を身に浴びるべきだ。

未読の方は、是非年末年始に読まれることをお勧めする。
授業がしたくてうずうずすることになるはずだ。

私はこの本を読みながら、授業の準備をもう一度やり直したくなってやってしまったり、
研究のアイディアがどわああああと浮かんで来たりで、もうとても幸せであった。

本当に、良かった。

2011/12/08

「神を降ろす」方法

12/8

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本日の卒論ゼミは、卒論提出の一週間前である。来週の今日のゼミは卒論を仕上げての振り返りの時間になる。5/6の学生が規定の2万字前後をクリアしているので、後はブラッシュアップをすれば良い所まで来た。1/6の学生は書くしか無い。まあ来年もあるが、後一週間で書くのが良い。

四回生が発表の資料の準備をする間に、三回生にあれこれ話した。「神を降ろす」方法である。良く「あ、文章の神様が降りてきた」のような言い方をするが、降りるのではなく、降ろす方法である。そんな方法はあるのか?と思うかもしれないが、私はあると考えている。百発百中ではなく、降ろす精度を高める方法である。

あなたが神様になったとしよう。(さて、今日はどこに降りようかな?)と思ったとしよう。あなたならどこに降りるだろうか? 私が神様だったら降りやすい所に降りる。具体的には、二つの場所を規準にする。a 高い所 b 広い所だ。

足をうっかり降ろしたら降りてしまうには、足の下が高いところにあることが大事。また、どこに行っても降りられるには広い場所が大事。ということは、高い興味知識と、広い興味知識を持っていることが、降りてきてもらう側の人間には必要になるということである。

また、アイディアが湧くという言い方がある。どこから湧くのか? 名著『ワープロ作文技術』(岩波新書)の著者の木村泉先生は、地底湖にいるお魚が表面に浮かんでくることをメタファとしてこれを見事に説明している。地底湖にいるお魚に針と連想の糸とをつけてしまうのだという。

とてもよく分かる。浮かんできたお魚がまた地底湖に沈んでしまう前に、メモを取りそこに針と糸をつけてしまうというのだ。(ああ、これはとても良いアイディアだから絶対に忘れないな)と思ってそのアイディアが消えてしまう経験を、多くの人がしていることだろう。それを回避するのだ。

ワープロで、テキストでだーっと書くことを勧められているのがこの本。しかし、今はもっと便利なものがある。マンダラートやマッピングやアウトラインプロセサーである。自分の好みに応じて、そのアイディアを思いつきのスピードでデジタルで記録することができる。

私は車で通勤しているので、車を運転しているときに思いつくことも多い。これは困る。メモが出来ないからだ。路肩に停めてメモすることもあるが、この路肩に停める時間が勿体ない。そこで、iPhoneのハンズフリーを使って、音声認識メールソフトに話しかけてしまうようにしている。こうすると、大学の駐車場に到着したときに、その音声がテキスト化されたものを私宛にメールすれば、研究室に到着したときにはそれが届いているという案配である。

神が降り、魚が浮かんでくるの、古来、馬上枕上厠上(ばじょう、ちんじょう、しじょう)の三上だと言われる。リラックスしてアルファ波が出ている時だとも言われている。つまりホゲーッと緩んでいる時である。そのときに、降りてきやすいように、浮かんできやすいようにする。そして、それをさっと掬い取って形にする方法を常備しておく。それが大事なんだと一年後の卒論に向かう三回生に話したのでした。

実は、これは今朝の私のあれこれを元に話したこと。
朝、風呂に入りながら本を読んでいたら、
(うわわわわああああああ!)
というぐらいに論文アイディアが降ったり、湧いたりした。そこで、読んでいる本にアイデアのキーワードをだーっと書き出した。本は、テキストのあるメモ帳である。

そして、風呂から上がって一気にTreeというアウトラインプロセッサに書き出した。論文の構成が二つ思いついたので、その二つに従って書き出した。書き出して時間を見ると、大学に行く時間。今日は実に京都大学名誉教授の森先生のお言葉が頭の中を駆け巡った。

「本日、頭脳明晰につき休講」

そんなことは、今の大学ではあり得ないと思うが、実に気持ちはこれだった。冷静になって考えようとしてもわき出してくるあれこれのアイディアをTreeに書いて、その一方で
(このアイディアはもう発見されてしまっているアイディアだろうか)
と思い、キーワードと思われる言葉でグーグルでチェックもする。どうやらそれに関する実践も、論文もなさそうなことを確認。

そして、関係するであろう論文や書籍をだーっっと検索。
必要な書籍は注文。
そのテンションで、卒論指導であった。

んでもって、教務の仕事をして、娘の子守りをしてとしながら体制を整えた。
ま、取りあえず最低限の手配はしたので、あとは書きまくることになる。
こういう瞬間はとても幸せなのではあるが、身体には悪い(^^)。

あとは、時間と精度の勝負だな。


指導をするということの根本は何なのかを理解すること

12/7

Hinode

本日の学級担任論は、掃除指導から教室美化についてあれこれ話す。掃除指導は、掃除を通して教室を綺麗にすることも大事な目的だが、掃除の活動を考えさせ、実際にやらせるなかで学級を育てることも大事な目的であることを話す。具体的には『掃除サボリの教育学』(家本芳郎著)のゴミ箱問題で。

家本先生の本書で、私は掃除指導のあれこれを学び実践してきた。だが、間違えてはいけないのは、やり方だけを学ぶことではない。その指導の根っこのところを身につけることだ。家本先生は、学級に問題があると先ず自分で実際に確認してみる。そして、問題の所在を子ども達としっかりと共有する。

例えば、ゴミ箱の中にあるゴミを捨てない、または他のクラスのゴミ箱に捨ててしまうという問題が発生した場合である。通常であれば、「こら、そんなことするな」で終わりにするだろう。しかし、先生はそうじゃない。実際にゴミ箱を持って学校の中のゴミ捨て場に捨てに行くのだ。

そうすることで、子ども達がこのゴミ捨ての仕事をさぼる理由を発見する。ゴミ箱が重いのだ。そこからあれこれ工夫する。これは実に面白い。これは読んでもらうのが一番である。大人の側からすると、サボるな!である。しかし、子どもの側に立ってみると、重たいのが大変だというのはよく分かる。

この子どもの側からこの事実を見たらどういうように見えるのか、という視点を持つことが極めて大事だと私は考えている。勿論、子どもの側から見て(これは我侭だな)とか(話にならない)ということもある。だが、先ずはどう見えるのかと見てみることが大事だと思うのだ。

私は、中学校の教師の頃にこの本を読んでそれを学んだ。指導というのは点ではなく、線なのだということも学んだ。一点を指導してもダメで、問題は流れの中に生まれるということをだ。ゴミ箱問題を読むとよく分かる。私はこのことから教室の美化の実践どう工夫したのかを話した。

学生たちは、結果だけを理解しようとする。これは、点だ。S.ジョブズのスタンフォードのスピーチであった点を繋ぐだ。この話にあるように、点を繋ぐことは大事だ。http://t.co/i9hwvgqL しかし、点を繋ぐことは難しい。だから、エピソードで説明していくことも大事。

エピソードで説明する時、点が線に結ばれて行くことが理解できる。ジョブズのように語れたかどうかは別にして、意図はそこにある。学生諸君が、現場に出たときに家本先生と私がやった指導のレベルから始めれば良い。それが学習した人のいい所だ。だが、大事なのはそこだけではない。

指導をするということの根本は何なのかを理解することである。今日のテーマは掃除指導と教室美化だったが、その事を通して、担任がクラスを指導することの根っこの部分を理解させたいというのが今日の授業のテーマだったのだ。そのことを話しておしまいにした。来週は「忘れ物」指導である。


2011/12/05

正しい奢られ方

12/5

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マンダラートの開発者の今泉浩晃先生とフェイスブックで話をした。今泉先生には、マンダラートを「イメージの花火」として私が改良開発したことを快く許して下さっている。そのご縁で友だちになっていただいている。

先生は、お金の事を書かれていた。
お金については、私も気になることがある。それは、いま教育ではお金は、稼ぐことの話ばかりしているように思えるのだ。

日本は、お金事をあれこれ言うのは、みっともないことであり、子どもの前でする話ではないという文化があったはずなのに。今はそれはどこかに行ってしまっている。現金を手渡す時は袋に入れて渡すというのは、流石にまだ残っているが、人前で何が幾らだという話をすることに躊躇うことは随分無くなったように思う。寧ろ、それが幾らなのかを語らないと話が通じないようになっている感すらある。

で、まあ、時代の流れで仕方が無いというのであれば、どうせお金の話をするのであれば、もう少しバリエーション豊かにすればいいと思うのである。お金=稼ぐだけでは、良い大人になれない。お金の扱い方は、大人になるために大事な学習課題だと思うのだ。

使う、貯める、借りる、おごる、おごられる、貸す、投資、投機・・・個人に関わることだけでも学ぶことは沢山ある。

私は、大人になるってどういうことなのか、ということを教師になってからずっと考えている。そしてその授業を子ども達にやってきた。どうやら私たち子どもは大人にならざるを得ない。それならば、つまらない大人にはなりたくない。カッチョエー大人になりたい。では、つまらない大人とカッチョ良い大人の違いは何なのか?ということを授業でやって来た。その時のキーワードの一つがお金だったのだ。

なんというか、カッチョエー大人は綺麗に奢り、綺麗に奢られるというイメージがあった。山口瞳さんの『酒呑みの自己弁護』『新入社員諸君!』、遠藤周作さんの『我が青春に悔いあり』『狐狸庵閑話』などを読みながら、あれこれ考えていた。単に稼ぐとは違うなと考えていた。

ということで、私がたどり着いた正しい奢られ方は以下の通りである。

1)会計をする場所は見ない。
2)軽くお礼を言って、奢ってくれる人よりも、先に店を出る。
3)店を出てきたら、間髪を入れず大声でお礼を言う。
4)「まあ、まあ」とか言われたら、「またお願いします!」と間髪を入れずに言う。
5)翌日会ったら「昨日はごちそうさまでした」と言う。

こういうことを中学生に教えて良いのかどうか分かりませんが、教えていましたf(^^;。
こういうのって人生生きて行くための基礎だと思うのです。義務教育はその基礎を固めるとき。まあ、教科書には載らないし、道徳の教材にもなりませんが、今でも大事だと思っています。

お金を、使う、貯める、貸す、借りる、おごる、おごられる、投資、投機・・・。カッチョエー大人になるための、結構大きな学習課題だと思う。

2011/12/04

風呂に持っていって、一回湯船に浸すのだ

12/3

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(琵琶湖に上がった冬の花火)

読みたい本が溜まりすぎて困っているというか、嬉しいというか。一日に一冊レベルで読んでだとしても、相当溜まっている。本は、買う。私は基本的にはそうだ。借りる本では、書き込みが出来ない。本とは、テキストの書いてあるノートだという定義をかなり昔に読んだことがある。とても良くわかる。

私が中学生の頃は、赤と青の二色の鉛筆を持って読んでいた。賛成の所に赤の線。反対や疑問があるところには青の線を引きながら読んでいた。そして、青の線が多い本に価値があるというのを、確かムツゴロウさんか遠藤周作さんの本で読んでその通りにやっていた。

この二色の線を引くことが出来るようになると、著者と対話が出来るようになる。疑問や反論。さらには、この文章の先の論の展開の予測等を本の回りに書き込み始める。そうすると、これが実に楽しくなる。

トイレでも風呂でも枕元でも読む。それぞれに違う本を用意してあったり、時には一冊をずっと読み続けたり。この楽しみを知らないで人生を送るなんて、実に勿体ないなあと思い生徒達にも随分話してきた。本の世界に引きづりこんできた。

私が風呂で読むというと、「本は濡れないのですか?」と質問を受ける。『え、濡れますよ』と答えると、「いいんですか?」と聞かれる。私は『え、駄目なんですか?』と答えることになる。図書館の本でなければいいでしょ。

私は中学生の頃から、ムツゴロウさんの文庫本にハマっていた。『ムツゴロウの青春期』から始まってずっと読んだ。当時文庫本は半年に一冊のペースで出ていた。買うと一気に読みたいのだが、読んでしまうのは勿体ない。でも読みたい。どうしよう。そこで考えた。

風呂に持っていって、一回湯船に浸すのだ。そうすると、急いで捲ろうとしてもくっついてしまっていてなかなか捲れない。そーっと、「剥がし」ながら読んでいた。何回も湯船に浸して読んでいた。書き込みは鉛筆。濡れていても書ける。

親に呆れられたが、私はこの方法がベストだと思っていた。勿論、今でも。そうやってじっくりと読んでいた。風呂から出てゆっくり読めばいいように思うが、それは風呂読書を知らない人の言葉。あのそーっと捲るのがいいのだ。

だから、風呂で本を読む。濡れてシワシワになるというのは、私にとっては何も問題がない。寧ろ、買ったままでそのまま投げ捨てられている本よりも、全然大事に扱われている本だと思う。本は読まれてなんぼ。読み方はいろいろ、で良い。


2011/12/02

卒論提出に向けての日々

12/1

事務仕事のためにキャンパスをうろうろしていた。すると、卒論に向けて走り回っている学生たちに会った。去年授業を受けていた文学部の学生たちである。本学の卒論の締め切りはあと二週間後。『どうだい調子は?』と聞くとどうも顔色が悪いし、やつれている。「いよいよです」と言いながらまだ進んでいない様子。

私のゼミの学生は、卒論提出に向けて本日3名が発表。規定の2万字はクリア。あとは、精度を高めて、締め切り日までに提出というところまで来た。ところが、去年の学生はまだまだ。卒論のテーマを聞くと日本の色に関して文学作品との関わりを論じる予定とのこと。え~!それにぴったりの本がある。最近買った色の辞典だ。

事務方で打ち合わせをする時間を少し延ばしてもらって、再び研究室に戻る。そして、件の本を捜して貸し出してあげる。少し、顔色が良くなる。ああ、良かった。色の中でも青色を扱うという。青は良い色だ。だが、なぜ数あるテーマから色を選んだのか。数ある色から青にしたのかを論じろ。青の補色も検討しろなどをアドヴァイス。

事務方との打ち合わせをしたら、また別の学生とばったり。卒論指導の順番待ちだとのこと。あれこれ話して別れてから、その学生に話そうと思っていたことがあったことを思い出す。キャンパスの中で大声でその学生の名前を叫ぶ。ああ、もう図書館でも入ってしまったかな? と思ってエレベーターを待っていた。

そしたら、走ってやってきた。『すまんな。ちょっと話しておいた方がいいかなということを思い出したのだよ』『先日、教育実習の反省会で、身長の低いことを高校生に馬鹿にされたという話をしていたよな』「はい。その時には人が努力しても直らないことを馬鹿にするのではない、と指導せよと」。

『そうだ。そう言った』『それで、他の言い方も無いかなとあれから考えていて、思いついたことがあったのだが、なかなか会えなかったのでね、いま言おうと思って』「はい」『確か、実習先の生徒達は、学力が低い生徒達だと言っていたよね』「はい」『であるとすれば、こういうのはどうだ?』

『君たちは、私の身長が低いことを馬鹿にしているが、なんだかなと思う。私は努力してもこの身長が伸びることはもう無いだろう。しかし、君たちの馬鹿は、努力すれば直る。努力すれば直るのにやらないのは、いかがなものだろうか? という感じで言うのはありではないか?』
「はい、ありがとうございます!」と学生は返事をしてくれた。

これは捨て身の返答で、自分が身長が低いことを受け入れていなければ出来ない返答だ。だが、受け入れた時この返答は相手のかなり深い所に届く。恩師は、自分の運命を引き受け背負った時に、進みだせると仰っていた。私もこれは実感している。しかしそこまでは解説しなかった。

解説しなくても、この言葉の意味が彼に届いたなと思ったので、解説しなかった。四回生は大学に来ないし、卒業も近づいている。三ヶ月経ってやっと伝えられた。ほっと一安心。卒論は文章に向かいながら自分とも向き合うことになる。卒論で難儀している学生諸君、頑張れ。

2011/12/01

卒論指導の中で、学生たちにこんな問題を解かせたことがある

12/1

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12月に入った。卒業論文の指導が佳境に入っている。
今日の卒論ゼミでは、3人がほぼ仕上がった卒論を読み上げながら、チェックを行うというスタイルで行った。本学の児童教育学科の卒業論文は、2万字程度で締め切りは二週間後というところ。今日の3人は2万字の規定をクリアしているので、あとは質の向上と期限を守らせることということだな。

卒論指導の中で、学生たちにこんな問題を解かせたことがある。

ーーーーーーー

Q「5メートルの鎖にライオンがつながれていました。さて、そのライオンは何平方センチメートルまでの草を食べる事ができるでしょう?」

ーーーーーーー

さて、答えは出たであろうか?

論じるというのは、主張に根拠を添えていくことだ。イイタイコトに、なぜならば〜だからであると添えていくこと。その繋がりに滞りがなく、矛盾も無いこと。そして、自らが立てた問に対して、答えを導く論の展開が文章でなされたとき、それを論文と呼ぶ。

卒業論文は、ほとんどの学生が最初に書く論文だ。
私が学生時代には、こんな論文の書き方の指導を受けたことは無く、テーマを相談に行ったら卒業論文のタイトルを決められておしまいという感じだった。

今でこそ、タイトルは先生が決めてくれるのはいいなと思うが、その当時は
(なんで、勝手に決められてしまうのか?)
と頭に来ていたのだがf(^^;。

で、最初の論文なのでとにかく目次案指導に力を入れる。ここで論が滞り無く流れていれば、あとは大きな失敗にはならないからだ。ここに力を入れる。

その後、学生が自信のない辺りの文章をゼミの場に持ってこさせて、3、4回生全員の前で読み上げ発表をさせる。読み上げるだけで、自分の間違いに自分で気がつくことも結構ある。滑らかに読み続けることの出来ない文章は、やはりどこかで論理が破綻していることが多い。

ところが、論理は繋がっているのだが、根本がダメだと言うことがある。それはそもそも論証できないでしょというものを論証しようとしているものが、ときどきある。そこで最初の問題の登場となる。

上記の問題の答えは、0平方センチメートルである。
問題を良く読むと、ライオンがとある。ライオンは敷地の草は食べない。ま、実際はシマウマの内蔵に食らいつき、消化の最中の草を食べるらしいが、この問題にはシマウマはいないし無視して良い。だから0平方センチメートルなのである。

このような間違いをしている場合がある。
ライオンは草を食べないのに、どれだけ食べられるかを証明しようとしているような論証である。

論証しようと思っている本には、正しいことを書こうと思っているのでまさか自分が間違って書いているとは思わない。しかし、見る人が見るとまったく見当違いのことをしていることが分かる。だから、卒論はゼミで仲間達からのリアクションをもらいながら進めることに意味があると考えている。

今日も「大幅に」という言葉の使い方について、あれこれ検討を進めた。大幅にという言葉は、何を規準にして大幅なのだろうか。どの程度になれば大幅なのだろうか。3倍に増えて大幅もあれば、10倍に増えて大幅ということもある。一つの言葉を使うとき、その言葉が何を示していて、論文の中で整合性をもって使われているかを確認する必要がある。そんな話を進めていた。

書くのは、君である。
自分の勉強したことをベースにして、自ら立てた問にすっとした答えを、論証して提示せよ。
私たち教師に出来ることは、指摘することと待つことだけである。


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